子どもとお花見に行ってきたらドラマがあった。

いろいろあったー。

うさちゃんとお花畑

オトノネはなにをするところかよくわからない。間違いない表現をするなら、「おとのねさんがいるところ」がおとのねだ。で、川べりにいって、前回僕が話した「ヒメオドリコソウ」の話題を発展させてくれて「教科書に書いてあった!」といいながら、「オオイヌノフグリもかわいいよ!」といって見つけて、教えてくれた。かわいいやんか。白い謎の花が近くにあったから、「これ知ってる?」と聞くと知らないというので、教科書でみたら教えてねーと言った。で、ご飯を食べて、今日買った絵の具で絵描く?と聞くと描くというから書いてみる。最初は人を書いていたのが、お母さんに「せっかくだから桜かいたら?」といわれて桜をかいてみるその素直さが子どもらしく、のびのびとなんでもやってみようという気持ちを感じた。

この絵を描く前、この子の弟くんがやってきて、「僕もやる!」といった(そのとき僕は桜を描いていた)。で、僕が目を話した隙に・・・僕の絵に黒い絵の具でぶっとい線をぶっとく描いた!「だー!あー!」と僕は転げて泣き叫んだ!(その子は前にも壊したら人が悲しむものを壊した子だ)僕がめそめそしていると、体操座りになって反省会をはじめた(僕の悲しみを感じているんじゃないか。すごい)それをみて、僕も絵一枚で大人気ない、もっと子どもらしく執着しないでなんとか・・・と思ったその矢先、お姉さんが「枝にしたらいいじゃん」と。

天才じゃないか。それでその子に「この絵、僕が描いたんだけど、この線を枝にしたらおもしろそうだから、続き、描いてよ」と言った。気を取り直した彼は、書き始めた。うん、おもしろい絵になった。こういうこともあるんだなぁ。

ひとつの絵を描きながらドラマが起きる。(もっとたくさんのドラマがあったが割愛)それが個性であったり、発達の段階であったり、心の憂鬱として気持ちだったり、よろこびであったり。絵が上手くなることが大切なのではない。絵を描きながら、人間が人間と一緒にいる時間が大切なのだとおもえる。心から。そんな、昼下がりでした。

ちなみに、弟くんが気を取り直して絵を描き始めて、パレットの絵の具を使おうとしたとき、「これ、使っていい?」とちゃんと聞いてくれました。「僕はこの色しか使わないから、他の色は大丈夫だよ」と答えた。聞いてくれたね。お気遣いありがとう。お心遣い、ありがとう。「世界はいろんな意図で、意味で、計り知れない他人の心であふれている」ということを、体験して、学んでくれたのかもしれない。僕も、お姉ちゃんの一言から「創造的になること」を学びました。弟くんからも、人の成長する姿を、学びました。

ありがとう。楽しかったね!

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