共産主義的日本と資本主義的中国

とりあえずタイトルだけメモ。
名前と実態は違うという話。

けれども、こんなことを知って、よりよく生きるために役に立つのだろうか。
知ることの価値を、最近、見出せなくなっている。

大学時代に逆戻りした感じ。

オトノネひろげるシェアぼたん

生徒4人を不登校にした先生が担任になったらどうするか。

どうやら進学校に一人は、恐ろしい病気の先生がいるらしい。
なんの恐怖に狩られてか、生徒を恐怖に陥れる先生が、いる、らしい。(すこし誇張しすぎでしょうか。現実でしょうか)

なぜ不登校になるかといったら。
課題をやれとか、補講に来いとか、テストの点がどうこうとか、呼び出しとかされるときに心が擦り切れてボロボロになるからだということは、みなさん想像できるとおもう。進学校の日常風景だ。

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この記事を読んでもらう前に。

人は変えられない。
自分が変わるしかない。

という言葉がある。

世の中に出たら、実際にそういうケースが多々ある。
けど本当は、誰もが皆それぞれの事情や都合、歴史、育ち、物語をもっている。

だから本当は全員の声を聞きたいのだ。
学校の先生はどうしてそうなったのか。
僕自身、どうしてそうなったのか。
学校という組織は、どうしてそうなったのか。

学校は変えられない。

かもしれない。
けど対話はできる。
しかし対話が許される場所があるだろうか?
対話をするような関係が、あるだろうか?

オトノネには、学校の先生にも来てもらいたい。
オトノネは教えることよりも、対話をしながら、気持ちをはっきりさせたり、いつもは隠れている本当の気持ちを、心を大事にする場所だから。

いや、僕が学校に行って話をしたらいいだろうか?
そのうち話をしに行こうとおもう。

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こんな話がある。

あるお母さんの子が不登校になった。
その子の学校の担任は「担任が変わって学校に来てくれるなら担任を変えます」と。
お母さんが返事をする。「世の中に出たら合わない人と当たり前のように出会います。これから世の中にでて必要な大切な勉強をいまうちの子はしているところです。担任を変わってもらったら困ります」と。

そういう考え方もできる。

アウシュビッツに入ってもきっとたくさんのことを学べるだろう。

死ななかったのなら。

アウシュビッツで学んで、それがトラウマになった人の例を、そのお母さんは知らないのだろう。
もちろん、強くなって収容所を出る人もいるだろうが。

子どもは学校で戦争のような経験を学校でしているかもしれない。
いやいや、うまく遊びながら、息抜きしながらテキトーにやりすごす子もいる。
「子どもの発達課題として適当な試練か」どうかだ。

心が病んでしまうリスクのある発達課題など、僕は認めたくないのだが。

誰かが助けてくれて、乗り越えられるような課題がほしいものだ。

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リアルな話になります。

最近、おとのねさんは富山県のとある進学高校にオトノネのチラシを配りに行って、暴力的な先生に「指導」をされた。
大きな声で、威圧的に、やってもないことを「やったでしょ!警察よぶよ!証拠写真あるよ!」とのたまう。証拠写真見せてといったら、見せてくれない。そんな写真はないからね…
いや、本当に、怖い・・・何言っているのかわからない・・・先生、疲れているんじゃない?
学校が先生にとってもストレスな場所だということは知っている。休んでいいよ。先生。じゃないと生徒にしわ寄せがくるからね。
笑ってよ先生!
(今思えば、僕がもっと笑顔で幸せそうな顔をしたらよかった!)

本当に、その場で心が壊れそうなほど、暴力的な声だった。
(今思えば、僕がもっと笑顔で幸せそうな顔をしたらよかった!)
本当は優しい先生なのかな?その先生にどんな歴史があるのかはわからない。部活をやるためだけに学校に来ている先生もいる(先生も学校は好きではないケースが多い)。

あの声は、日常的にどこかで使って居なかったら出せない声だ。
使い慣れている声。
ああ・・・

そんな声に毎日怯えながら、先生の機嫌をとりながら1年間を過ごす高校生を尊敬してしまう。

心を大事に。

ああ、話には聞いて居たが、生徒4人(5人だったか)を不登校にさせる先生は本当に実在するのだと、身をもって感じた。
そのうち一人は、心を壊した。病気になってしまった。学校は、心が壊れたその子を登校させようとしている。いろいろ壊れている。
先生が生徒の心を壊しても、先生の責任は問われない。学校は、そういう場所だ。すべて「生徒自身や家庭の自己責任」になる。

自分の身は自分で守ろう。
学校は君を守ってはくれない。

心を大事に。

某有名な予備校でも心が壊れる子がいますね。
どうして学びの場所で、心が壊れるんでしょうか。その子が弱かっただけ?その子の責任?
それは学びの場所なのでしょうか。できなければ別のところで学べばいい。機会均等!なのでしょうか。
そう、その子の責任ではある。

が、「学校がそんな場所とは思わなかった」とわかった後で、どうするか。
そこから、その子が自分自身で、積極的に責任を負って行動していくことに僕は意味があると思う。
負わされる責任ではなく、自分で自ら選択し、進んで、未来に対して責任を負う。日本人が大好きな過去の過失に対する責任ではない。未来に対する肯定的な責任だ。

もし我慢して、1年間を過ごす間に、体がビクビクして緊張するような神経回路をつくあげる(防衛機構ができる)なら、一生、その子はその神経と付き合わなくてはいけないかもしれない。それも、生徒自身が選ぶこと。(実際、高校での恐怖体験、先生による脅迫で、「恐怖」で、ある話題になると、ある場面において、喋るときに声が細くなり震えてしまう子がいる)

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あの話を思い出すたびに、僕は少し怒ったようになってしまう。
けど、完璧な人間もいなくて、完璧な組織もないのも事実。
冷静に、まずは、離れよう。と僕は思う。君は?大丈夫?

本当に、怖かった。毎日ビクビクして教室でHRを受けるとしたら、気が狂う。僕ならね。

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オトノネは、自尊心や自立心を守りたい人が来てくれたらいいと思っている。
そんな旗を、立てよう。みんなにみえているかな?

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オトノネのレッスン料

そろそろ決めないとなぁとおもい、統計を調べて居た。

学習塾・予備校費用
こんなものがあった。
富山県は平均以下。石川県は平均以上。
この実感はたしかにある。

親がやっきになって塾に通わせて(心が大事にされなくて)成績が伸びないケースは石川県にありがちかもしれない。
僕が働いて居たフランチャイズの塾ではそういう子がたくさん居た(半数くらい)

「どれだけ教育費に使うか」

北陸にはとある有名な大手の塾があって、ブランド化し、ブランド目当てで子供をその塾に生かせるお父さんお母さんがいるらしい。
教育の価値は先生の価値であり、先生には安月給しかあたらないとおもうと悲しい。先生もアルバイトなのだ。

そういう利益優先の塾で嫌になってオトノネを始めたのもそうだが、僕にもチカラがほしい。
お金はチカラだ。何しろ、本が買えるのだから!

そうして一人で本だけ読んで過ごして居た時もある。
それで、そのチカラを誰かに還元したくなって今がある。
タダでやってみる?

そういうことも考えた。
考えている。

タダですよって言ったら、どんな人と出会えるだろう。
どんなオトノネになるだろう。

だから正直オトノネはお互いにお互いをある程度「どんな人間か」見極めた上で、相談して値段を決めたいとおもっている。
ぶっちゃけ年間所得とか普通に聞く。家のローンとか。子どもの数とか。
証明書まで出してもらう?真面目に。富山県の平均世帯所得は500万〜600万。共働きのパターンもあれば、一人でこれだけ稼ぐ人もいるだろう。僕には信じられない金額だ。働かないで、勉強をして、スキルを高めてきたからだ。

僕が働かずに育てた特殊なスキルを使うのだから(働きながらスキルを上げるにしては、僕のスキルは特殊すぎる)、
お父さんお母さんがスキルを育てずに(特殊すぎる)働いた分だけお金で還元してもらう。

そういうスタンスだ。

旅行会社、テーマパーク、宿泊産業といった娯楽にお金をつぎ込んで、教育にお金をかけないなら、オトノネにチカラ(お金)をくれないなら、オトノネは悲しい。

そんなわけで、いつもレッスン料で悩んでいるオトノネでした。

蛇足ですが、
年間所得が2000万円以上を超えるひとが富山県には1,000人以上いて、
その世帯の年間所得の偏差値を計算すると98.3でした。
100万以下の人は2200人以上いて、偏差値は34.1でした。

稼ぐのに、上限はないんだね。

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