小学1年生から「ちゃんと」英語を始めるといいとおもう理由。

世の中にはこういう塾もある。
英語学習者に「洋書で英語学習をするべき」タイミングを知らせる13のサイン

実は、保育園でこんなことがあったことと相まって、
言葉を喋るまでのケジメが大事すぎる件。

英語教育について考えた。

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英語を英語で学ぶ
英語を英語らしく、英語に触れまくって学ぶ。

というスタイルの学習方法に疑問を持ち続けて来た。
生活の中でも英語にふれるくらい英語環境にあるならまだしも、やはり日本語での文法理解も必要なのではないかと。。。
だって日本じゃ英語使わないし!

けれども「言葉」に対する脳の枠組みが決まる前であるなら、「英語でも自然」になるような、少なくとも「英語が不自然」にならない言語環境を脳内に作れるのではないか。という希望を抱いた。
(三単現のsとか以前に、英語を一つの言葉のあり方として、心を開いて学んでいける環境をつくるということ!

そのためには、英語が嫌になる前に、小学校の1年生からはじめたらいい。
小学英語が始まってどうなったか。

出典をメモし忘れたが、「10歳で聴覚のニューロンネットワークの成長はほぼ終わる。(バイリンガル環境で学べる限界??)」というメモが残っている。それからこんな記事も書いた。脳は断捨離する。

発達させるべき場所とそうでない場所をはっきりさせていくだけで、3歳児までに全てをやらなくてはいけないとかいう話ではない。

フッテンロッハー教授は、「第二言語の習得や音楽のトレーニングは、まだ頭が柔軟な早い時期(5歳から10歳までの就学初期の時期をふくむ)にはじめれば、一層効果的になる可能性が高い」と書いている。(『こどもの「遊び」は魔法の授業』p.57)

たまたま見つけたこのページにも、5歳〜7歳という数字がでてきています。
バイリンガルへ向けての語学教育については、世の中的に意見が食い違っています。

バイリンガル環境で育った人たちの初語の出方、言葉の発達の仕方が母国語一つに限られた人とどう違うのか、勉強してみます。

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これも出典を書き忘れているが、一歳で初語がでるとき、すでに「母語と母語以外の言葉が別れる。(喃語までは「全ての音」を含んでいたが、この時から出す音が使う言語に規定される)」と書いてあるメモがある。また
「生後二日で母国語と外国語を聞かせると、母国語の時は吸啜反応が激しくなる。」というメモもある。

母語と外国語の区別は小さい時から判断している子どもである。

が、「日本を出たこともない、昭和の人(誰か忘れましたごめんなさい)」でも英語をペラペラになった事実があるように、小さい頃でなければならないわけではない。僕も韓国語を20を過ぎてから現地で覚えて、まぁ喋れている(ネイティブの人には変な発音だと言われるが。。。)

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ただ言葉に敏感な、言葉を吸収していく力が伸びる時期に、そして好奇心を持っていろんなあそびをしていく時期に英語を混ぜることで、あそびながら「自然な」ことばとして英語を脳の中に刻むことは意味があるだろう。

言語習得にもいろいろな理論があり、有名なチョムスキーの「生成文法」を

体験を伴った学習環境をつくる。
当たり前のように、英語という料理が目の前に置いて食べてもらう。
英語を使っても恥ずかしくない環境を作る(聞いた話によると、英語を喋っていた子が、周りの子に変な目で見られて英語を喋らなくなったということである)

オトノネは、放課後児童クラブをセカンドスクールとして、子供達に英語環境で暮らしてもらうという実験を試みようと今思いました。
わからなくても、なんでも。英語で問い、英語で語り、わからなくても笑ってごまかす。英語に心を開けているのなら、そのなかでたくさんのことを学べるはずだ。英語に心を閉ざしていない小一なら、できるのではないか。

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言葉が遅れている?遅れか、障害か。そこでグンデルを使ってみる。

3歳になるが、言葉がでてこない。

ということでHPをみて相談に来てくれた。

児童発達支援の事業所を回りながらいろいろな話を聞いているとのこと。

その子と、お母さんと、お父さんと3人で来てもらった。

様子をみていると。。。
確かに、遅れている。

でもお母さんの話では、お兄ちゃんも同じように言葉が遅かったが、保育園に通い始めてから言葉がでてきたということ。
ではこの子は?保育園に最近行き始めたばかり。療育センターに通うことにもなっているが、利用できるのはまだ先で、今からでも始められるところはないかということだった。

ただの遅れなのか、それとも障害(生まれ持ったもの)なのか。
それをお父さんお母さんは気にしているところでもあった。
養護学校ではなく、普通の学校に入れるのか。。。。

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普通の学校に入るために、普通になるためにその子に何かをするのではなく、その子の発達のために何ができるのかを僕は考える。
クシュラの物語を思い出した。(お父さんお母さん、必読です!

個別化とは何か『クシュラの奇跡ー140冊の絵本との日々』

クシュラの場合は絵本だった。
その子の場合は、何だろうか?
それを探そうとして、いくつかあそびをやった。

あれも、これも、うーん。すぐに興味が消える。
あそびが続かない。集中して何かに取り組まない。
初めてのオトノネで混乱しているからだろうか。。。。

そこでグンデルに登場してもらった。
パングルを使って音をだした。
その子も出した。
いろんな音をだす。
その子もその子なりに音をだす。

結構な時間、続いた!
お母さんに背を向けて、お母さんを離れて集中してグンデルを挟んで僕と向き合っていた。

これかも。。。

おしまいには、その子は自分でパングルを置いて、意思表示をした。
(嫌なことは嫌と首を振って言える子だ)

「これをすれば必ず」というものは教育の世界にも療育の世界にもない。(保育の世界は少し例外らしいのだが。。)
オトノネはその子の世界を開く扉を探していく方法をとる。
その扉を叩き続ける。
一人で集中してできることは何か。
しかもそこに人とのコミュニケーションが存在することはなにか。

もし障害だとしても、ただの遅れだとしても、人と非言語であってもコミュニケーションをとる経験はこれからその子の役に立つ。

何がきっかけになるかはわからない。
もってうまれた気質もある。

それを「直そう」として心が歪むこともあるだろう。

あそびに没頭できない。
言葉が出てこない。

人間の不思議を解明しようとしていろんな研究者が研究をしているところで、現場はその研究の成果をなかなか取り入れられていないのではないかと思える今日この頃。まずはワーキングメモリの研究成果を調べてみよう。

自閉症・AD/HD、精神薄弱、いろんな言い方がされてしまうがその診断も、あいまいな乳幼児に対してできることは、祈るように、その子の世界の扉を叩き続けることなのではないかと、今の所僕はおもっている。

勉強を続けたい。

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話の流れで、その子はスマホを手にするとホーム画面からyoutubeを自分で開いて、曲を選んで再生することができるという。
実際にやってもらった。

できている。。。
しかも取り上げられるまでずっと飽きずに見ているという。
ある意味でスマホにはその子の世界が開けている。

スマホの世界には開けている。

それにしても3歳児って、スマホ使えるんだ。。。。
ゲームならわかるけど。。。

youtube がどこにあって、どうしたら何が起きてという記号の意味を知っている。
どうやって学んだのか今度聞いてみよう。(出生児体重を聞くのも忘れた)

スマホがその子の世界を開くきっかけになるか。
うまくスマホの世界を使って、現実の世界で生きるチカラを育てられるだろうか。

これはかなり先進的な研究になるのではないかとおもうが、誰かやってくれるでしょうか?
ぜひやってください。

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保育園に行って、今までずっと一緒だったお母さんから離れることで、「やべぇ、喋んないと」とおもって言葉をだすかもしれない。
何がきっかけになるのかはわからない。
人間の神秘的な部分を大切に、僕ができることをしていこうとおもう。

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