学校も学校の先生もお母さんもお父さんも子どもも悪くない。

最近書きたいことが溜まっていてどばーっと書いてしまい言葉を選べていない気がするので書いておこう。。
誤解されたら嫌だからね。

学校も学校の先生も悪くない。というか、ごくごく普通の人間だ。
法律には違反しているけど。。。(だから教育に関する新しい法律ができてきます。それは、人間として悪いことではありません。人間ですから。)

むしろ学校の先生を擁護することもできる。
先生も苦しんでいる。
僕もその一人だった。
(オトノネにはそんな学校の先生が来てくれてもいい)
大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

学校は学校の歴史を背負っている。
先生には家庭があり、先生の大切なものをまもっている。
しくみが、歴史が先生を、学校をそうさせる。

世の中は歴史の流れの中にあり、物語の中にある。
そういう考え方をすれば、見方をすれば、学校は「病気」なのだ、子どもが行くところではないのだ、と素直に、思うことができる。

人は誰でも自分たちの物語をつくりながら暮らしている。
そのためのお手伝いをするのがオトノネ。
僕は自分の大切なものを守るためにオトノネをつくった。つくってみた。

いろんな事情があって、みんな生きている。

学校も学校の先生も悪くない。
法律には違反しているけど。
(だから学校に行かないことに決めた生徒のための教育機会確保法というのがH28にできたそうだ。知らなかった。その前には「いじめ防止法」とか。)
教育機会確保法

それぞれが大切なものを守っている。
だから君も、大切なものを守っていくのはどうだろう。
本当に大切なことに気がつくのは、今ではないかもしれないけれど。

笑いながらね!
いや、泣きながらでもいいけれど。
無表情でもいいよ笑

とりあえず次にすすむために、むちゃくちゃ受験勉強してもいい。
これからは勉強ではない、君らしさがAO入試で問われる時代だ。と考えてみてもいい。
もうお勉強とは別の道にいって、新しい時代に向かってまっすぐに進んでもいい。
人と出会うこと、出会って人のなかで、君たちは作られていく。
君たちは、大人になって行く。
先生たちは「学校という病」に犯されているとおもったらいい。
一部のいい先生、という先生は、「免疫」をもっている先生だ。
病気の先生には近づかない方がいい。
病気の先生は悪くない。
だって病気なのだから。。。

DVの加害者(お父さん?)は悪くない。
会社でいじめられて、ブラックで染められて、昭和の時代のお父さんからギビしいしつけをされて、学校ではいじめられたかもしれない。
そういう物語の中で、ではそのお母さんは?その子どもは?

学校とどう関わるか。逃げるか。
DVの夫とどう関わるか。逃げるか。

それとも、、、、、

それは人それぞれ。
繰り返していうけれども、DV防止法はあるが、DVの加害者を罰する法律はない(児童虐待防止法も同じ)。
教育機会均等法はできたが、不登校になるような生徒がいる学校そのものは変わらない。学校は罰せられない。
「じゃぁ私はどうしよう?」

で、学校教員による組織的生徒虐待防止法、学校教員による組織的生徒いじめ防止法を作ってほしいのだが。
いかがでしょうか。

オトノネでAO入試・小論文の勉強しようぜ!

AO入試が出て来たということは、大学が「もうその大量の課題やめようよ」といっていると同じではないのか。
君はどうする?

「それが普通」なのではない。
病気の人と暮らしていたら、それが普通になってしまうが。
学校は病気なのだ。

経済的には(逆に言えば経済格差は)都会型、都市型なのに、やっていることは、ふるいままではないのか。
まるで軍隊のように毎日、朝から晩まで、意味不明な訓練をさせられていないか。

学校の先生は悪くない。
病気なのだ。(もちろん、病気でない先生もいる。子どもたちに、たくさん、いいものをくれる先生もいることは、確かです)

そう思うことで、自分の置かれた環境を相対化してみてほしい。

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同じことがお母さんにもいえる。子どもの魂を食らうお母さんは確かにいる。(世間では毒親といわれています)
けどどうしてそうなったか。

お母さんにも歴史がある。そして今があり、関わり合いの中でいきている。
お母さんが悪いのではない。
「じゃぁ私はどうしよう?」

世代間連鎖を止めるとかいう使命を僕は全く感じていないが、僕は自分一人の連鎖くらいは止めようかなとおもっている。

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