「ふつう」という色眼鏡。「ふつう」の3つの意味。

かけてる人!

はい!

外してみてください!

外せますか?

なかなか、外せないですよねぇ…

学校で、外し方、教わりませんでしたか?

教わらないですよねぇ…

お子さんはもう、外しているかもしれませんよ。

メガネを外してみて、
お父さんお母さんが、
お子さんと一緒に風景をみてみたら、何かが起きるでしょうか。

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「ふつう」と違うことが怖いらしい富山県。(だからといって誰も「平均点」以上をねらわない親はいない不思議)

「ふつう」って何だろう?

普通という言葉を英語で表すとnormal とかordinaryとかcommonとか。
normalはノルマという言葉があるように、規格に合う、正常なという意味。
けどordinaryはorderつまり秩序の中にあるという意味(これを順番と訳すと話が少しおかしくなる)。
commonはcom、共通しているという意味。

はい、英語の勉強です。

あなたの「ふつう」はどれですか?

「学校の成績」は「ふつう」でなくちゃだめですか?
その子の今のままの「ふつう」ではだめですか?

どんな「ふつう」がいいですか?
「ふつう」を望まれているせいで、お子さんは苦しんでいませんか?

そもそも、学校の成績の出し方によれば、平均点以外の子どもは「ふつう」ではなくなる現実がありますが。

オトノネひろげるシェアぼたん

義務教育学校の本当の意味とエリート社会と堕落と、子育ての2つの考え方。残酷な考え方。

僕自身、大切な考え方が出てきた記事なので、最後まで見てもらえるとうれしいです。

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こんな記事を見つけた。

知ったかぶりでは許されない「学校のリアル」

気持ちがいいくらいはっきり書いてくれているなぁ。

公立学校は壊れている。
もう壊れている。
と認めてから、新しいことをはじめる時期にすでに入っているのではないか。

上のリンクからウェブサイトを見てくれましたか?
学校は、そういう場所です。
そういう大人たちがいる場所です。(悪口ではないですよ。事実です。もちろん、全ての学校がそうであるわけではありませんが)

学校は、基本、困難な場所です。
子どもがサバイバルする場所です。
僕にはそう見えます。(もちろん、そうでない学校もありますが!もちろん!)

気になったところにコメントを。

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「3割のエリート」と「7割の非正規」を育てる、それが日本の教育の実態

富山県、石川県の進学校の進学実績とかぶっていて笑えてしまった。
この3割に入ることを目標にしている「学歴社会から抜け出せない親たち」がいる。

「学校で英語が始まったから英語の塾に通わせる」というお父さん、お母さんがいるとしたら、少し考えてみてほしい。
(習い事をさせることでワルイことが起きる可能性も、オトノネのブログを見てくれているなら、ご存知ですね?)

そうでなければ「「子どものため」のようで、経済界に影響されているだけの日本の教育」にふりまわされるだろう。
子どもが困らないように‥という親心を、マスコミ(経済界の一番槍)は刺激する。
子どもをマスコミの情報から守るのが、お父さんお母さん、学校の役目だと僕にはおもうのだが。

お父さんお母さんが振り回されていたのでは、もちろん、子どもも振り回されてしまうだろう。

子どもは可能性に満ち溢れている。
だから経済界はそれを狙う。「うちの子は、エリートに…できる子に…」
そのうち何人が、これから8050問題を作り上げていくことになるか。誰にもわからない。

ただ僕はそれを自分自身に課し、やりすぎて、心が壊れた人間だ。

それから「7割の非正規」の人たちと出会って行き、「うちの子は、エリートに…できる子に…困らない子に…普通の子に‥(普通って何?)」の連鎖から離れてしあわせを育てる人の暮らしを知った。(例えば期間限定で猛烈にアルバイトして、貯まったお金で物価の安い国に行き、暮らすことを続けている人。そしていろんな「いいもの」をネットで発信している人がいる。ある意味3割のエリートよりも、たくさんの人を幸せにしている気がする)もちろん、「3割のエリート」組の知り合いもいる。

「7割の非正規」の道を歩んでいた人が、「3割のエリート」コースに移ることもあった。
不確定だ。不確定の、不確実の、摩訶不思議な時代。
雇用されるという発想に縛られるだけでも、子どもの可能性を狭めてしまう、殺してしまうかもしれない時代。

「うちの子は、エリートになるかもしれないし、非正規になるかもしれないけど、どっちでもいいけどしあわせになってほしい」


というお父さんお母さんが増えてくれたら、僕がおじいちゃんになったときの世の中は今よりもおもしろくなるとおもいう。

あ、これですね。大切な考え方ですね。
自画自賛。

「うちの子は、エリートになるかもしれないし、非正規になるかもしれないけど、どっちでもいいけどしあわせになってほしい」

という考え方。(いつもお金に困っているオトノネだけど、困っているからこそいろんな人に巡り会えている気がする。それはそれで、よし!よし!と言い聞かせよう笑エリートでなくてもお金を持っている人もいるし笑)

大切なのは、幸せになることだから。
大切なことと巡り会うことだから。

だからこそオトノネはメタスキルとか、自立とか、心が大事と言っている。

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ところで小学校と中学校をひとつにする義務教育学校が富山県でも増えてくるようだが。
お金と人がいないからまとめるという消極的な意味でとらえるしかなさそうだ。
だって、子どもがすくない地域でしか義務教育学校がつくられる予定がないからだ。

もう教育に、国はお金をかけてはくれない。
無償化という言葉も、ただのアピールだ。(富山県、石川県、地方ではお金持ちが公立に行く。肝心の支援が必要な私立は無償化されていない)

育ちの場として、小中がひとつになることはいいことではあるとおもう。
けどそれが実りのある、人と人が関わり合える場所になるには、やはり大人が意図を持って、意思を持って作り出すしかない。

どうなるかなぁ。

「ああ、もうむり。やっぱり人だ」と動き出している地域もある。
課題先進地から未来の教育の当たり前をつくる雲南市高校魅力化プロジェクト

そのほか、原発で一度壊れた太平洋の北側の地域でも、再生を通じて新しい学校が生まれている。
“ 災害の悲しみを強さへ ”

堕ちることでしか、浮き上がってこれない。
堕ちているのに、守られることで、ちゃんと堕ちることができなくなるほど、不幸なことはない。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない。(坂口安吾の『堕落論』)

今は昔、人々の成人の儀式、通過儀礼と呼ばれているものは、精神的にも、肉体的にも、人間として堕ちる経験だったのかもしれない。
そう考えると、高校受験、課題で潰される経験は、悩ましい高校時代は、非人道的な扱いを受けること(進学校の生徒からでた言葉)は、高校生にとって、世界を作り直すきっかけになる大切なイベントだということができる。

それを助ける大人の存在が、大切なのだ。
そんなおとのねです。

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青森県で漁師をしながらアイヌ民族の研究と三味線の練習に明け暮れていたころ。
親方がこういった(津軽弁忘れた!)。「俺は学校で化学式なんかみた途端に眠くなってしょうがなかったけどな!鯛なんか釣っていろんな人に配って笑ってもらうのが好きなんだな!」もちろん、「漁業組合」という仕組みの中でだいぶ搾取される立場だったのだが。大切なものを守ろうとして、一生懸命に海に出ていた。「3割のエリート」とは何だろうか。「搾取する側」になるということだろうか。

「うちの子は、エリートに…できる子に…困らない子に…普通の子に‥(普通って何?)」

「搾取する側」か「搾取される側」かどちらですか?
「普通」なら、「搾取される側」ですよ。
「困らない子」はIQではなくEQが高い子です。勉強は関係ありません。(エリートの中には困っていない人がいないということでしょうか?)
「エリート」なら、「搾取する側」です。
お子さんはすでに、「できる子」ですよ。

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蛇足!

「3割のエリート」と「7割の非正規」を育てる、それが日本の教育の実態

という言葉を聞いて。

「7割の非正規」になる子が大部分だとしたら、
非正規として生きる子どもたちの物語を、大人たちは嫌がらずに、もっと真面目に作ってみるのもいいのかもしれない。
「勉強ができなかったら、この子はこの時代、どうなるのだろう‥」そんな不安が、お父さんお母さんを不安にさせているのかもしれないから。

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あー、おやすみなさい爆

オトノネひろげるシェアぼたん

8050問題の解釈と学歴、マスコミ、景気の関係

はい。

最近知りました。
家にテレビがないおとのねさんです。

事件があったようですね。

現実ですね。
「うちの子は関係ない!」と思っているお父さんお母さんがいるかもしれません。
けどお子さんが暮らしていく世の中だと思ったら、気持ちも変わるでしょうか。
お子さんに、お子さんが生きていく時代のために、今、時代を生きる知恵をお父さんお母さん自身がつけておくのもいいのではないかとおもいます。

ちなみに今は8050問題と言っていますが、昔はこれが「オウム真理教」だったり「サカキバラ」だったり、名前が変わっているだけで、実態は変わりません。またそのうち忘れられるとおもいますが、あれから何も変わってないなぁとおもうおとのねさんでした。

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簡単に言えば、日本で暮らす人たちは概してみんなひきこもっている。と僕はおもっています。
小学校から高校まではもちろん、高校卒業後、高学歴の人でさえひきこもる(オウム真理教の幹部は超高学歴でしたね)。
それが孤食という言葉に置き換えることもできる。
よくよく思い起こせば、高齢者が自宅で一人で孤独死するということも、ひきこもりだといえる。(みんなひきこもりたくて引きこもっているのではない)

さて、解釈(物語)をはじめましょう・・・・

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今、50才でひきこもり(人間関係がつくれない)をしている人がいるということは、どういうことだろうか?
今50歳の人が20才の時、どんな時代だったか。30年前。

1990年をバブル崩壊としよう。今、2020年だとしよう。ぴったり30年前だ。
20歳まで、バブル時代に育てた価値観をもつ親の影響を受けて育って来た世代だ。

1945年、終戦した年に生まれた人が今、75才。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代、三種の神器と呼ばれる家電製品、テレビ・冷蔵庫・洗濯機を夢見て働いていた時代を経て、ボンボンの子が学生時代に車を親の金で買ってもらい乗り回す時代を経てきた。

バブル時代の価値観を「働け。儲けろ。地位を築け。そうしたら幸福が手に入る。」と安直に考えてもいけない気がするが、それでいいとも思えてしまう。

20歳のとき、20年間をバブル時代の価値観で育った人たちが投げ出された世界は、どんな世界だっただろう。
異世界?「8050」の「50」の人がどんな暮らしをしてきたのかわからないが。想像はできる。

親の価値観から自立ができていないのだ。
自分の価値観で自分の生きている世界を見られない。
親から自立していない。

思い描いていた人生が崩れていった時、自分で立て直すことができなかったのだろうか。
親のつくった道を歩くことしかできなかった(そしてその道は失われた)のだろうか。

バブル崩壊から、いろんな社会現象が起きた。
その中で「発達課題」を超えられなかった人がいるということだろうか。

大学時代か、仕事をしている間か、どこかでなにかがおかしくなった。
うん。それでDVとかも増えるのね。

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ここからは学歴の話。

学歴社会の始まりを申すと、明治時代に西洋を習って作られた大学から始まる。
大学で育てられた人がいく道は「官僚」もしくは「先生」、「役人」だ。
技術者ももちろんいただろう。いわゆる公務員。

学歴は「国に雇われる」ために必要だった時代。

そしてバブル時代といえば。逆に民間にいた方が儲かった時代。「なんで公務員になるの?」という時代。

それからバブル崩壊。「公務員っていいよね」となる。

で、いつからかわからないが、おそらく、ここが、ごちゃ混ぜになっている。
おそらくマスコミ、教育産業が台頭しはじめてから?

1955年河合塾、1957年代々木ゼミナール設立。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代の幕開けと共に、大手予備校は始まった。

おそらく、新しいテクノロジー、メディアに乗っかって「学歴最高だぜ!」という価値観を広げていたのかもしれないとおもって、河合塾の当時のCMを探して見た。7分11秒あたりからみてみてください。(いつのCMかは、わかりませんでした)

どうですか!
輝いてみえますか!

もう部分的には完全に学歴社会終わっているんだけどねー(実際に今も学歴が大切な採用基準であることは別の記事でも書いた。合理的にね。)
幻想はいつまでも抱き続けられる。

現在、高学歴”だからといって”いい会社に入れるわけでもないし、入れたとしても仕事ができない、人間関係ができなくてやめることになるかもしれない。不確定な時代だということしか、確かなことがない。ようこそ、量子力学の世界へ

富山中部高校にいっても、少なくとも3割の生徒は富山南高校と同じレベルの大学へ行く。学歴社会が高校時代から始まっているとしたら、その結果は、すでに大学受験でみえている。学歴社会ではないことが証明されているといってもいい。

一体「学歴社会」って何なの?
はっきりと説明できるひとがどれだけいるだろうか。

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日本はメディアがよく「幻想」を作り出す。8050問題も「幻想」かもしれない。
景気も「幻想」かもしれない。何しろ、不確定な時代だ。

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マスコミの影響を受け「景気がよい・わるい」で一喜一憂している世代と違い、もう今を生きる子供たちは、景気など知らん顔で暮らしているようにおもうし、実際もう(バブル時代がよかったというなら)好転しようがないほど日本はもう、戦後を離れた。経済の仕組みも変わった。

しかし町ぐるみで、いまだにそれを夢見ている人たちがいる。
同じ夢をみれない、みたくない人も「みんな一緒に!」するのはどうかとおもう。

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1975年から出生数は継続して下がっている。
日本をアメリカに売るためのプログラミング教育と小学英語教育じゃないの????

謎なことがたくさんありすぎて、不安定すぎて、もう頭が混乱する。
日本は、基本、不安な国だ。
そして不安に対する対処法が、引きこもりかもしれない。日本人のあるべき姿なのかもしれない。(だからこそアニメや漫画が発達した?)
そう考えれば、ひきこもりなど、8050問題など、新しいビジネスをつくろうとする人たちの目論見の一つなのだろう。
くらいに軽い気持ちでとらえられないだろうか。「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」とか

そう考えることもできる。

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そうそう。今日たまたま県議会に行くことがあって、パンフレットの中に謎の表現があることを発見。
「県議会の仕組み」→「常任委員会」→「教育警務委員会」→「教育委員会、公安委員会の書簡に関する事項を調査・審議します」

いやいや、なんでその2つが一緒になってるのよ。
ああそうか。学校のモデルがもともと刑務所と軍隊だからか。軍隊も警察も繋がっているからね。学校ってそういう場所です。歴史的に。

これから通学路に警官が配置される時代になるかもしれないね。
あ、国にはお金がないね。無理だね。やっぱりお金を出して護衛してもらうんですね。
「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」

歴史、大切。

みんな、歴史を背負っている。
学校の先生は悪くないよ!しょうがないんだよ!

だから助けてくれる別の人が、学校の外にいたらいい。
と、オトノネは考えています。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校が子どもの障害になっている場合。障害物レースのルールは?

お父さんお母さんや学校の先生が、その子に「させている」「歩ませたい道」が子どもにとって「障害」になるかもしれない。

いわゆる障害児(不定型発達児)が「いわゆる健常児(最近は定型発達児と言うようになったらしい。いいことだと思う。)にとってのふつう」を目指そうとしても目指せない「障害」があるように。

課題の海で溺れてボロボロになりながら、沈んでいく子もいる。
けどそれは誰にとっても起こりうることだ。
明日死ぬかもわからない時代があったのだ。
そう思えば、漆黒のブラックな会社、学校の出来事もとても自然なことだと思うことができる。

障害を乗り越えて立派な人間になると考えるなら、乗り越えられるように手助けしてくれる人がいればその子は幸せだろう。

超えることのできない障害物が目の前に現れた時、レースをヤメて、とりあえず障害物の横から回り込んで前に進んでもいい。
前に進めぬほどの障害物なら、しばらくそこで、休んでもいい。逃げてもいい。

障害物が、ただそこにいるだけでなく、子どもの自然を壊す脅威になることもあるから。

障害物レースのルールは、ない。
教育基本法によれば、ルールは、お母さんが作れるらしい。
ただ、障害物を壊そうとしても壊れないだろう。
ただ、障害物に語りかけることはできる。もしかしたら、動いてどいてくれるかもしれない。(障害物を岩だとおもってみよう。動いてくれそうか?心を込めて、本気で、唱えてみよう。アブラカタブラ!)

前に進んで見た後で、後ろを振り返ってみると、そこにはなんの障害物もなかったのだと、目を疑うかもしれない。

オトノネひろげるシェアぼたん