学校の責任と義務(責任について・・・いくつめ?)

沖縄の那覇から船で1時間半の渡名喜幼小中学校の「校長先生」の挨拶を転載する。
これだけ時代を直視し、時代を感じさせ、使命感ある言葉を学校の先生が使っているのをみて、私は驚いたとともに、うれしくなった。

私の感じたことが、伝わるかどうかはわからない。
無理に伝えようとしなくてもいいのだろう。

読んでみてほしい。
あなたが通う高校の「校長先生の挨拶」と比べてみたらどうか。
比べる必要はないのかもしれない。
ただ、私はこの渡名喜幼小中学校の校長の言葉に、チカラを感じたのだった。

「責任」という言葉が上っ面のたわごとでわなく、使命として感じられたのは、私だけだろうか。

はじめに
 小学校は明治23年創立で今年度127周年、中学校は昭和24年創立で今年度67周年を迎える島唯一の学校である。更に、併設されている幼稚園は3年保育であり、ここ渡名喜の子ども達は、12カ年この幼小中学校で過ごしている。その子どもたちは中学を卒業すると、親元を離れ自活をする ケースがある。高校・島外という新しい環境や人間関係の中で、正しく適応・対応しつつ、自己 を発揮し、切磋琢磨しながら自ら成長しなければならない。そのため、卒業生や島外へ出る子ど もたちに「どんな状況にあっても夢や希望を持ち続け、強く生きてほしい」という保護者や島の 人の願いがある。その現状と期待を受け、我々は、子ども達に「試練を乗り越える力」、つまり 「生きる力」を幼小中学校12年間で身に付けさせるという責任と義務がある。
 渡名喜村は、狭隘な土地を忍耐強く耕し山頂近くまで広げた段々畑があった。勇気を持って荒 海を乗り越え、優秀な船乗りを多く輩出した。厳しい自然環境の中で力を合わせて生きてきた。苦しい時代を頑張った先人や地域の絆に大きな誇りを持っている。
 現在、過疎化により人口が減少している。しかし、島の村並みと自然景観が平成12年に国の重要伝統的建造物群に選定され、人々に渡名喜島の自信と誇りを再確認させてくれた。また、今年で98回目を迎える「水上運動会」や大正時代から続けている「朝おき会」に代用されるように、他校にはない独特の伝統行事が現在も続いている。
 幼児児童生徒がいきいきと活動し、島への愛着と誇りを高め、自分自身の頑張りを自信として抱き、将来に夢や希望を持って生きていく児童生徒の育成を目指し、「普遍性」「地域性」「時代性」の観点で教育計画を作成し、「積小為大」の精神で学校経営を進めているところである。

渡名喜幼小中学校のHP

本気を出せる場所

今日、とある大人の人と話をした。

短く言うと、
体が大きかったから、手加減をしないと、他の人を困らせたり、一緒に遊んだりできなかった、という話。

本気になってやれることが、部活動、円盤投げだったと。
1人で練習して、一生懸命になれた。それで結果がでた。

けど、進学校だったから学校の先生は一生懸命やっている(テスト期間中も一生懸命やっていたために)のを白い目でみていたという。

1人でコーチを探して、1人で研究をして、1人でトレーニングを積んでいった。

ーー

「本気を出せる」ことが、限られているような気がした。
「それは将来役に立たない」「これをやりなさい」という大人の世界で
「いや、それは私のやることではない」といって、自分の世界に埋没するのに勇気がいるような雰囲気だ。

大人が、子どもの独自性、世界に一人しかいないその子の創造性を狭めていないか。

内気な子がいた。
その子は「ピアノの先生」になるために人生が計画されているようだった。
もう小学生なのだから、好きなら続ければいいし、それが適しているなら、将来そうなるだろう。
けれども「あなたはこうなる」「あなたはこうしなきゃ」という考えがちらっとでもあるなら、それは子どもに伝わる。
そしてそれが子どもの価値観になる。

夢中になって遊ぶ経験を、大人になってからも自分にさせてあげることが、大切だと思う。
大人がそういう遊ぶ姿を見せてあげることが、子どものしあわせを育てることになるんだとおもう。

子どもを育てるには、大人が自分を育てていくのが一番だ。
大人が挑戦しなければ、子どもも挑戦しようとはおもえない。それだけ子どもは、大人から、環境から、学んでいく。
知性溢れる、創造性溢れる大人と一緒にいる時間が、子どもを知的に、創造的にする。

「絶対無理!」症候群!無気力の原因は?

学校の中にいるとたまに耳にする「絶対無理だよ〜」という言葉。

明るく言う子はまだいい。
心の中で「むりむり、それは無理」とおもう子がたくさんいるにちがいない。

無理なことをさせすぎだ。(無理な課題を与えられ続けて、失敗ばかりしていたら大人だって元気なくなって、むりむりと言いたくなる)
多くの先生は困っている子どもを放っておく。
「ちょっと頑張ったら自分でもできる」ことに困っている時だけ、1人で解決していく。

遊びの中ではこの「試行錯誤」のレベルを自分で選べる。
自分で課題を見つけて、目標をつくって、やってみる。
けれども学校や塾で与えられる課題は、自分では選べない。
与えられたままにやっていくしかない。

学校で生徒が受けているストレスは本当に大きいだろう(先生すらストレスをうけている。だれもハッピーでない。)

その点、個別指導塾は、自分の課題を選べるからいいんだろう。
マニュアルがあって、テストをして、点数が取れなくなったところからやり直せばいい。

誰にでもできる仕事だ。
AIがうまくやる仕事だ。

これから先生は、日本からいなくなるかもしれない。
これから先生は、生徒管理、保護者対応係になる(生産管理と苦情窓口のように聞こえるのは私だけだろうか)だろうし、現にそうなっている。

先生は決して、教えてはならないことを、教えてはいけない。
だれかに潜在的カリキュラムで生徒が学ぶことをきちんと研究して世の中に出して欲しいのだが、そうすると叩かれるので誰もやらない。

研究者がそれをしたら、科研費でなくなるし、、、、
なかなか研究者として自立ができない。

「絶対無理!」な「自立」への道。
多くの大人が「自立試験」受験生としてすでに無気力、無意欲。(もちろん、志願者がいない、といってもいい)
そういう言い方をしてみれば、少しは子どもたちの気持ちもわかるだろうか。

その中で自立していく人たちはどんな人だろう。
もう最初っから、根っこから自立できる環境で育ち続けた人(大切なものを守り続けた人)。
或る日突然、「症状」がでて、苦しみの末、自立の道を歩まざるを得なくなった人(諦めて、自立した人)。

受験とは何か2

ふと思いつく。

受験とは何かという記事で「思春期」と絡めて書いた記事がある。
それとは別の言い方で。

受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。

新しい「受験」の表現はこちら。

「受験」とは、「成績が伸びない」という問題を「解決する能力」が試されるイベントのこと。

「受験にどう挑む?」という問いに答えることだ。

どれだけ試行錯誤したのか。
どれだけ失敗し、新しいことを試みてきたのか。
どれだけ「探し続けたのか」「満足しなかったのか」

支えられて来たのか。

受験生の「受験」という問題解決能力を、受験は問うている。

新しい時代を生きる子どもたちへ

10年後の仕事図鑑
10年後の『仕事図鑑』とあるが、新しい時代の教科書。

ほりえもんの本を読むたびに、あー、この人は好きなことをしてきたんだな、それを守れる環境を選んできたんだなとおもう。
私などはまだまだ、子どもの頃の課題を引きずっている。
(そのおかげで子どもの発達心理を学んだのだが)

時代はニーズなしにやってくる。(というか新しい市場をつくろうとする人たちが「つくってしまう」のがほとんどだが)
時代に合わせてニーズができる。

「塾」は古い時代のニーズに応える場所だ。
学びのスタイルも変わってくる。

学校の勉強に囚われている、大学、会社に囚われている人にはこういった時代の変化は感じにくいだろう。
私は「違うな」とおもいつつ、まだ抜け出せていない。

「違うな」と思うから、塾を始めた。

塾はビジネスであり、どうやって「利益を出すか」を考える。
私はどちらかというと、塾で実験をしている。

そういう気持ちでオトノネをしたいとおもっている。
その実験を、富山県でやることの意味は?

考えながら、じっくりと読んでいこうとおもう。

アップルは、時代を変えた。
スマホ時代を作った。
アップルを作った人は、きっと、友達がほしかったんだとおもう。
自分が作ったものを、認めて欲しかった。

「作る人」の心を感じると、私もその流れに乗りたくなってくる。

夢から早く覚めた子が、合格する。

よくあるのが、夢に浸って、まるでディズニーランドにきてアドレナリンを放出するために、
「私、勉強してる!志望校に近づいている!」という夢の世界で暮らしている中学生・高校生。

一年間で英数国だけなら中学範囲、高校範囲の基礎は全て終わるはずなのに、それをしない学校、塾。
習い事のつもりでコツコツと教わって成績が伸びるのは「デキる」生徒であって、多くの生徒はちゃんと学んだほうがいい。

1時間?2時間?そんな短時間で学べることはない。
解法を覚えるしかできない。(2時間くらいなら、ちゃんと考える勉強ができるだろうが、それでは2年かかる。)
だからよくあるのが、お話してリラックスして、1時間後に、少し気持ちを楽にするために塾に通う子。
子供は子供なりに塾を活用している。

ある生徒は、自習室があるから塾に行くという。
授業は、役に立たないけど・・・・と言っていた。(砺波高校の生徒)

1年、というのも、勉強習慣が身についている生徒の話。
伸びる生徒も伸ばせない。
時間がない。

良問とは何か(その2)

昔、良問とは何か云々と書いた気がする。

富山高校の生徒とセンターの勉強をしながら、「あ、これは良問だ」と思えるものにあたった。

回答までのプロセスが「マニュアル化」されていない問題のことだ。
当たり前、知っていることをつなげていかなくてはいけない。
けどその繋げ方は、教わったことがない。
考えて、試してみながら、その場で道を作っていくしかない。

そういう問題のことだ。

新しい問題が出るとすぐに受験業界は、教育業界は「マニュアル化」する。

三角関数の何かの定理を証明するような問題を東大が出す。
公式自体は、受験生なら誰でも知っているはずだ!
それを証明しろという問題を東大が出した。

公式つかってるけど、本当に「本当に」わかってるの?本質がわかってるの?
と受験生に問いただした。

その「意図」を汲まずに、受験業界は、問題の解き方を「マニュアル化」する。
新しい「解法」をどんどんつくっていく。
そうして受験生たちは、どんどん「暗記する量」が多くなり、パニックになる。

暗記ではないのに・・・

良問とは、暗記に頼っている受験生には解けない、「君、暗記勉強してるんじゃない?」というメッセージだ。

本質を理解するか、本質を知らずに暗記をするか。
難関大学に受かる生徒とそうでない生徒には、こんな違いがあるんだろう。

塾選びのポイント

お母さんがお子さんを思いやる気持ちがある。
お母さんが勉強を教えられたらそれが一番いい。

けどそれができないから先生を探す。

とても簡単に考えたらいい。
合格実績でも、勉強法でもない。


お母さんがお子さんを思いやるように、
お子さんをおもいやってくれる先生を探せばいい。

合格実績で塾を選んで、知名度で塾を選んでも、中身がボロボロの塾がほとんどだ。
進学高校でも、6割の生徒は伸びないのだから。

お子さんの成績は、お母さんの先生選びの成績だと考えてもいい。
お母さんが先生を選ぶチカラが、その子の学ぶチカラそのものだといっていい。

塾で選ばず、先生で選ぶこと。
塾選びは先生選びだ。

プログラミング型勉強法

プログラミングが必須になるとか、ならないとか。
その良し悪しの話ではなく・・・

プログラミングとはなんだろう。

機械に、「こういうときはああするんだよ」という知識を与える。
知識というより、反応パターンを与える。
情報を処理し、与えられた情報から答えを出す。

それって今の学校や塾でやっている受験勉強と同じ。
「答えを出す」マニュアルを見ながら、マニュアルなしで答えがでるように訓練するのが今の受験勉強。
人間を「受験マシン」としてプログラミングすることが受験勉強だ。

それが暗記型、マニュアル経営型、プログラミング型勉強法であり、学校やほとんどの塾が採用している勉強法だ。
なぜかって、安価で、「いい先生」は必要ないから。
上手に知識を与えてくれる先生はたくさんいる。
(というか動画授業をみればいい。塾に行く必要はない。)

与えられるばかりで考えることができない。
そういう人は、仕事がなくなる。

AIに人間が負ける。
今、人がやっている仕事の多くがAIで代行されるという時代がくる。

オトノネは考えて、考えて、答えを導く人間らしさの体験ができる場所にしたい。

「考えること」がどういうことか、
「クリエイティブ」とはどういうことか、
「自分らしく」がどういうことかわからなくなる時代。

「考えること」ができない人、
「クリエイティブ」でない人、
「自分らしく」ない人が多くなった世界で、意欲を失った人は、機械に負ける。
そして、外国人労働者にも負ける!

人間らしく、学んで欲しい。