「長時間」「みんな一緒」「やらされる」組織からの自立と、組織の選択。

こんな見方ができる。
あくまで、見方。

「させる」世の中。

学校はまだ戦時で、工場に集団就職した子どもたちがいそいそと手を動かし、終わらない宿題・課題、そして矢継ぎ早に繰り返されるテストで休む間もない。そこで「させられる」以外の何かを見つけるとしたら、休憩時間に友達とおしゃべりをすることくらいである。夜、仕事が終わった後に、故郷の「民謡」を歌う女性労働者の物語を、僕は本で読んだことがある。学校帰りに、イヤホンでPOPミュージックを聴いている子どもたちのようだ。

塾業界は満足のために「できる気にさせる」「できている気にさせる」ことで夢を売り、お金をもらう。子どもが「楽しい!」とかお父さんお母さんが「ここにいたら安心!」と思えるような合格実績、その他のデザインを考えている。夢を「見させる」がんばれ!がんばれ!「勉強をさせる」なぜかそういう状況をお父さんお母さんが望んでいる場合がおおい。子どもに、お母さんお父さんも、夢を「みさせ」たいのだろう。数字を見せて「どうですか?この実績!」という姿は、どこかの営業マンのようだ。(実際、ビジネスなのだから仕方があるまい)

「主体性」の場である保育園ですら。お父さんお母さんを喜ばせるための運動会、発表会、保育士の自己満にもならないと僕にはおもえる掲示物(ぐちゃぐちゃに絵の具を塗った紙をカエルの形に切り抜いて、子どもたちになんのプラスがあるだろうか)。「あそばせ」続け、自分で「あそぶ」ことができない子どもたちもいる。(そのうちこの「あそべない」子どもたちの記事を書きます)。子どもの様子をみて、「的確な遊び」を絶え間なく与える保育士が評価される。子どもを楽しませる先生が、いい先生だということになる。らしい。

「させられ」続けながら、心を大事にできる人もたくさんいる一方、心をすり減らしてしまう人がいるのも確か。心と切り離された仕事をしてお金を稼がなくてはいけないお父さん、お母さんがいる(もちろん、心ある仕事をしている人もいる)数をこなすために、1を大切にできない職場もある。心を尽くして人と人が向き合う時間もなくなってきた。これが、発展した時代の、日本の最終形態なのだろうか?働き方改革と呼ばれているものは、どうにも、僕には国が税収入をあげようとしている作戦にしかみえない(余暇を外食産業に!エンターテインメントに!)。

あせらせる、やらせる、不安がらせる。
満足させる、喜ばせる、来させる。

人間が動物であるようだ。
実際、思春期がある動物だけど。
思春期が一つのテーマになっているオトノネさんの気にしていること。

よくよく考えたら、動物の子どもが「思春期」で親に「反抗」したら、一発で死んじゃうよね。
不思議。

ーーーーーーーーー

そんな見方ができる。
あくまで、ものの見方。

ある場所では喜びに欠け。
ある場所では喜びに満ち。
ある場所では真実に欠け。
真実に満ちた場所を僕は歩き回りながら探してきたし、今は、自分で作ろうとしている。
(もちろん、僕にとっての真実)

ーーーーーー

昔々、社会、集団は、イコール、血縁がある組織だった。

血縁のないところに集団が生まれるために、「満足度」は大切であるし、「お金」は大切だろう。
(集団でいることの「満足」を確認するために文化祭とか体育祭といった祭りが利用される場合もあるだろう。青春!)
【高校選び】進学高校の高校生たちのブラックな青春が青になるとき

「祭り」と「お金」だけでは枯れてしまう心があるのも本当のこと。

ーーーーー

ところで、オトノネは、夢を売りません。(オトノネにきたら、夢が叶う!わけがありません)
一体何にお金を払うのでしょうか?

答えを出さずに不満足のままに終わるのがオトノネらしさかもしれません笑
夢を買いたいなら「逆転合格!」とか「偏差値30から!」とか「定期テストで+30点!」「◯◯大学◯人!◯◯高校◯人!」と宣伝している塾を選んだらいいとおもっています。(たまたま、夢が叶う人もいるでしょう。結局、いい先生と出会った人が、自分にとっていい環境を選べた人が、満足のいく受験を経験します)

ーーーーーーー

経済成長を夢見ながら、みんな一緒を続けていく生き方があります。
が、今は、別の生き方を模索しているひとがでてきています。
誰もが、時代から自立して、認められる時代になってきました。

オトノネは、そんな僕の、(僕が生まれ育った)時代からの自立という挑戦だとおもっています。

時代は変わりましたが、組織はあまり変わりません。
自己保存力が働きます。既得利益をなかなか!手放せません。
(それでも、組織を変えようとする人もたくさん出てくる時代です)

組織から自立する人、
時代から自立した組織を選び所属する人が、笑って生きられる世の中になると、僕は思っています。

組織からの自立って何?時代から自立した組織って何?
気になる方は、いろんな本があります。ぜひ、ご一読ください。
「長時間」「みんな一緒」「やらされる」で心が悲鳴をあげている人はもうすでに、この扉の前に立っているように、僕にはおもえます。

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

たった一度の人生を変える勉強をしよう
学校の「当たり前」をやめた。

学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話

子どもの「遊び」は魔法の授業

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する
売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放
ハッタリの流儀 ソーシャル時代の新貨幣である「影響力」と「信用」を集める方法

こういった新しい価値観を生まれながらに持っている人もいます。
が、育っていく中でつくった価値観をだれもがもっているものです。
もしそれが「なんか変だ」と感じたら、その違和感を大切にしながら、進んでみてほしいとおもいます。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

堕ちて、堕ちて、堕ち抜いてください。
僕はそれを止めようとはおもいません。(一体、何をしてくれるんだオトノネは!)

堕ち抜くチカラは、あなたの本当のチカラになると、信じているからです。
(そのうち、浮上しているのか、墜落しているのかわからなくなるようになります。言葉って難しいんです笑)

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その点、学校って、やっぱり、時代を作る原動力になるとおもう。
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない?)

オトノネひろげるシェアぼたん

戦争をさせられる子どもたち(学校という経験・受験という経験)

第二次世界大戦、というか太平洋戦争が終わるためにはたった一人の人間の声が必要だった。
アメリカは日本に核爆弾を二回落とした。「もうやめようぜ」と??

それでも日本は戦い続けた。
戦争は終わるのだ、と、気がついていた人がいたかもしれない。
けれど、最終的に、戦争が終わるには、たった一人の人間の声が必要だった。

もしその声がなかったら、今でも戦争を続けていたかもしれない。

一体、子どもたちの戦争は、いつ終わるんだろう。
課題・宿題という名の訓練。定期テストという名の実践訓練(三日三晩くらい、眠らない場合もあるだろう)。
精神的な暴力を振るう教師(体罰は禁止されているが呼び出しと指導という名の叱責は禁止されていない)。
そして、受験という名の、戦争。

僕が声を出していってみよう。
「もう、戦争はおわったよ」

えーっと、今度、ラジオ局にお金払って、流してもらおうかな笑

大学受験は、戦争ではない。
けど、「生きて帰ってくればよし」と言ってもいいほど、本当に「戦争だ」と思えてしまうほど、子供にとっては、過酷で残酷な経験になりうる。心を、殺してしまうかもしれないのだから。

心を閉ざして「戦争トラウマ」に陥る子どもも、たくさんいるだろう。

そんな戦場にいて、笑いながら暮らしている子どもたちがいる。
5年後に、10年後に、この子たちが聞く「時代のヒット曲」はどうなっているんだろう。
欅坂(けやきざか)46の「アンビバレント」を聴きながら(子どもの「時間」)

学校を、こうして、戦争に喩えてしまえるほど、泣いている子どもたちに、泣けずに、笑っている子どもたちに僕は出会って来た。

なんでだろうね??

素敵な「学校」もたくさんあるとおもうよ。
戦争のない国へ、行ってもいいんです。
日本では、現在、住む場所も、仕事も、学校も、選べる時代です。

「やーめっぴ!」

といって、やめれば、それで終わるのですが。
やっぱり、「みんなと一緒」じゃないと怖いですか?

怖い、かもしれません。
だから、戦争は終わらないのかも、わかりません。

———————-

ジョンレノンのWar Is Overが頭の中に、流れて来たのは僕だけですか?

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日本はかつて、戦争による特需で潤った。それが高度経済成長期という現象を生み出すチカラとなり、8050問題の80の人が生まれた。
その後、景気は後退し、今、再び「小学英語」「プログラミング」「センター試験に変わる英語の検定試験」「ダンス・武道(あれ?結局入ったっけ?結構昔の話だよね)」によって特需を得ようとしているのかもしれない。僕の、読みが、深いだけか。もはや妄想の領域だ!頭おかしくなってきたから寝ます。子ども同士を争わせる戦いに、子どもを送り込むのは、誰でしょうか?

いやまぁ、そんなの屁でもないぜ!っていう子も、もちろんいるとおもうんですが。
早く戦争を終わらせるために、必死でペンを握る子もいます。

そんな大変な、受験とい経験を、学校という試練を乗り越えながら、通り過ぎていきながら、学べることを、学んで行って欲しいと思います。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校教育の政治的背景(子たちは政治に巻き込まれている?)

富山県の異常さは本当に、よくわからない。
(石川県も異常らしいが、高校生の顔をみると、富山県の方が、異常に、病的な子どもたちが多い気がする。みんな疲れ切っている)

僕たちの知っている学校ではない。
強制収容所で働いている労働者みたいだ。
(ちゃんとお昼休みと部活動というレクイエーションが与えられている!)

けどそれがなんとなくわかった気がしたので報告。

ことの発端はコレ。
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない)

石川、富山の平均所得は他の「大都市」と同じレベルに高いという不思議が、教育に使われる予算も「大都市」と同じくらいに低い不思議と結びついたデータでした。

なぜ富山県の平均所得は、日本海側にあって、閉ざされた地域にあって(地理的には発展しにくいはずが)、高いのか。
これが不思議だった。

路上における犯罪者検挙数の割合も東京並み。

所得格差も大きい。

けど人口は減っている…

人口は減っているのに、新築住宅がバシバシ建っている。

よくわからない富山県。

そしてお金にがめついという曰くつきの、富山県(高岡市は高岡商人でさらに有名)。
歴史的に、奈良の都以前に、歴史に葬られ都があるのではないかと僕はおもっている富山県(というか能登)。

富山には富山の歴史がある。
その歴史とどう関わるか。
それは今生きている人たちが、歴史を相対化して、離れて見て、決めることではないだろうか。

ーーーーーー

ある日、誰かが僕に教えてくれた。
「富山の県庁(だか市長)は東大学閥なんだよ」

ああそうか。

富山中部、富山高校、高岡高校が東大にこだわる理由があるとしたら(東大でなければ、いけないらしい)、政治的な影響力を強めるために、子どもを育てていると考えたら、つじつまがあう!

自分の味方になる議員数を増やす、ということ。
次の世代でも、自分の社会的な地位をまもれるということ。

封建的な考え方だが、まぁ確かにつじつまがあう。

だから、富山中部、富山高校、高岡高校(最近は全然進学校でもなんでもない高校までもが生徒を課題漬けにしているようで意味がわからない)は、子どもに「意図的に」ストレスを与えて、政治家になった後の恐ろしい「政治家世界」を生きるためのストレス対応能力を鍛えているのだと。選抜を行なっていると。課題、テストは、計画された「潜在的カリキュラム」である。

学校は変わらないだろう。
政治が変わらないならば。

政治は変わらないだろう。
人間が変わらないならば。

人間は変わらないだろう。
もし、ひとりひとりがもっている「天の才」を守り育てられないならば。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

ーーーーー

この政治的な策略に、子どもをどう関わらせるか、どう守るか。
お父さん、お母さんの知恵が試されるところかもしれない。

学校をやめなくてもいい。
学校をラクラクとサバイバルできるように、小さい時から関わるだけでもいい。
サバイバルしながら、多くの子どもたちが、「才」を失ってしまっているように僕はおもう。
だれかをしあわせにする、大切な「才」だ。

小学校に入る前に塾に通わせたり英語をやらせたりするよりも、大切なことだ。
「子どものしあわせ」ではなく「子どもが関わる多くの人のしあわせ」を考えなくては、その子は犯罪に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。
「その子のしあわせ」が、習い事をしたら手に入るのか。英語塾にいかせたら手に入るのか。某有名大手学習塾に入れたら手に入るのか。

ーーーー

有名な話、大手の予備校と行政は繋がっている。
教育委員会が塾の下部組織なのか、その逆かはわからない(お金をたくさん握っているのは塾だろう。とすれば、教育委員会の方が弱いのかもしれない…)
学校は、予備校の宣伝をしているのかもしれない。(テスト!テスト!成績!成績!)

お父さんお母さんの、知恵が、試されている。

オトノネひろげるシェアぼたん

生徒4人を不登校にした先生が担任になったらどうするか。

どうやら進学校に一人は、恐ろしい病気の先生がいるらしい。
なんの恐怖に狩られてか、生徒を恐怖に陥れる先生が、いる、らしい。(すこし誇張しすぎでしょうか。現実でしょうか)

なぜ不登校になるかといったら。
課題をやれとか、補講に来いとか、テストの点がどうこうとか、呼び出しとかされるときに心が擦り切れてボロボロになるからだということは、みなさん想像できるとおもう。進学校の日常風景だ。

ーーーーーーーーーーーーー

この記事を読んでもらう前に。

人は変えられない。
自分が変わるしかない。

という言葉がある。

世の中に出たら、実際にそういうケースが多々ある。
けど本当は、誰もが皆それぞれの事情や都合、歴史、育ち、物語をもっている。

だから本当は全員の声を聞きたいのだ。
学校の先生はどうしてそうなったのか。
僕自身、どうしてそうなったのか。
学校という組織は、どうしてそうなったのか。

学校は変えられない。

かもしれない。
けど対話はできる。
しかし対話が許される場所があるだろうか?
対話をするような関係が、あるだろうか?

オトノネには、学校の先生にも来てもらいたい。
オトノネは教えることよりも、対話をしながら、気持ちをはっきりさせたり、いつもは隠れている本当の気持ちを、心を大事にする場所だから。

いや、僕が学校に行って話をしたらいいだろうか?
そのうち話をしに行こうとおもう。

ーーーーーーー

こんな話がある。

あるお母さんの子が不登校になった。
その子の学校の担任は「担任が変わって学校に来てくれるなら担任を変えます」と。
お母さんが返事をする。「世の中に出たら合わない人と当たり前のように出会います。これから世の中にでて必要な大切な勉強をいまうちの子はしているところです。担任を変わってもらったら困ります」と。

そういう考え方もできる。

アウシュビッツに入ってもきっとたくさんのことを学べるだろう。

死ななかったのなら。

アウシュビッツで学んで、それがトラウマになった人の例を、そのお母さんは知らないのだろう。
もちろん、強くなって収容所を出る人もいるだろうが。

子どもは学校で戦争のような経験を学校でしているかもしれない。
いやいや、うまく遊びながら、息抜きしながらテキトーにやりすごす子もいる。
「子どもの発達課題として適当な試練か」どうかだ。

心が病んでしまうリスクのある発達課題など、僕は認めたくないのだが。

誰かが助けてくれて、乗り越えられるような課題がほしいものだ。

ーーーーーーーーーーー

リアルな話になります。

最近、おとのねさんは富山県のとある進学高校にオトノネのチラシを配りに行って、暴力的な先生に「指導」をされた。
大きな声で、威圧的に、やってもないことを「やったでしょ!警察よぶよ!証拠写真あるよ!」とのたまう。証拠写真見せてといったら、見せてくれない。そんな写真はないからね…
いや、本当に、怖い・・・何言っているのかわからない・・・先生、疲れているんじゃない?
学校が先生にとってもストレスな場所だということは知っている。休んでいいよ。先生。じゃないと生徒にしわ寄せがくるからね。
笑ってよ先生!
(今思えば、僕がもっと笑顔で幸せそうな顔をしたらよかった!)

本当に、その場で心が壊れそうなほど、暴力的な声だった。
(今思えば、僕がもっと笑顔で幸せそうな顔をしたらよかった!)
本当は優しい先生なのかな?その先生にどんな歴史があるのかはわからない。部活をやるためだけに学校に来ている先生もいる(先生も学校は好きではないケースが多い)。

あの声は、日常的にどこかで使って居なかったら出せない声だ。
使い慣れている声。
ああ・・・

そんな声に毎日怯えながら、先生の機嫌をとりながら1年間を過ごす高校生を尊敬してしまう。

心を大事に。

ああ、話には聞いて居たが、生徒4人(5人だったか)を不登校にさせる先生は本当に実在するのだと、身をもって感じた。
そのうち一人は、心を壊した。病気になってしまった。学校は、心が壊れたその子を登校させようとしている。いろいろ壊れている。
先生が生徒の心を壊しても、先生の責任は問われない。学校は、そういう場所だ。すべて「生徒自身や家庭の自己責任」になる。

自分の身は自分で守ろう。
学校は君を守ってはくれない。

心を大事に。

某有名な予備校でも心が壊れる子がいますね。
どうして学びの場所で、心が壊れるんでしょうか。その子が弱かっただけ?その子の責任?
それは学びの場所なのでしょうか。できなければ別のところで学べばいい。機会均等!なのでしょうか。
そう、その子の責任ではある。

が、「学校がそんな場所とは思わなかった」とわかった後で、どうするか。
そこから、その子が自分自身で、積極的に責任を負って行動していくことに僕は意味があると思う。
負わされる責任ではなく、自分で自ら選択し、進んで、未来に対して責任を負う。日本人が大好きな過去の過失に対する責任ではない。未来に対する肯定的な責任だ。

もし我慢して、1年間を過ごす間に、体がビクビクして緊張するような神経回路をつくあげる(防衛機構ができる)なら、一生、その子はその神経と付き合わなくてはいけないかもしれない。それも、生徒自身が選ぶこと。(実際、高校での恐怖体験、先生による脅迫で、「恐怖」で、ある話題になると、ある場面において、喋るときに声が細くなり震えてしまう子がいる)

ーーーーー

あの話を思い出すたびに、僕は少し怒ったようになってしまう。
けど、完璧な人間もいなくて、完璧な組織もないのも事実。
冷静に、まずは、離れよう。と僕は思う。君は?大丈夫?

本当に、怖かった。毎日ビクビクして教室でHRを受けるとしたら、気が狂う。僕ならね。

ーーーーー

オトノネは、自尊心や自立心を守りたい人が来てくれたらいいと思っている。
そんな旗を、立てよう。みんなにみえているかな?

オトノネひろげるシェアぼたん

学校の定期テストの成績と高校受験・大学受験の結果が関係ない話。

高校受験の場合、内申点に影響する、ということはさておき。(はっきりいうと、富山県は時代遅れです。異論がある人は、どうぞコメントしてください。時代遅れが富山のよさ、かもしれませんが。見方を変えたら、いろいろです^^)

高校生になると内申点は推薦入試を受ける以外に、学校の成績はなんの役にもたちません。

「学校の成績がよくないといけない」
と考えているとしたら、大きな間違いです。

こんなサイトも見つけたので是非見てください。
定期テスト対策をしている塾をみつけたら、アウトです。
時代に取り残される子どもになってしまいますよ。

本当に。
「定期テスト廃止」で成績が伸びる理由

当たり前すぎることだけれど、目の前の「テスト」に追われるだけで終わる中学生、高校生があまりにもたくさんいます。

多くの塾では「定期テスト前にテスト範囲をがっつり勉強!」という方針でやっているとおもいます。
「定期テストで◯点アップ!」という文句がお母さんやお父さんの不安な心を掴むのかもしれません。
けれども多くの生徒の場合、勉強で悩んでいる生徒の場合、学校の進度にギリギリついて行っているのではないでしょうか。

そんな状態で定期テストの対策、定期テストのための勉強をしても実力になりません。

なぜなら、期末テストの点数を取るためには、学校で出される、学校が指定した問題をとけさえすればいいからです。
また、肝心のメタスキルが育ちません。
これからの時代、AIができることを、一生懸命AIに勝とうとしても、「いい仕事」はできません。
もちろん、大学に行き、資格をとるためには学力は必要ですが。
メタスキルを伸ばさない勉強は、はっきりいって時間の無駄です。(そこらへんオトノネさんははっきりしています)

本番の、肝心の大学受験のテストで、定期テスト対策をした努力が、時間が、エネルギーが無駄になってしまいます。

実際の入試問題で「全く同じ問題」はでません。

定期テスト対策をしてきたおかげで英語や国語の実力が最後まで伸びない生徒とよく出会います。

置いてきぼりにされた、わからなくなった、という生徒が定期テストの成績をあげようとするのは、危険です。

なのでotonone-オトノネ-はきちんと生徒やお父さん、お母さんに説明をして、「目標はなんなのか。なんのために勉強をしているのか」をきちんとお話したいとおもいます。

一夜漬け、直前の追い込みで点数をとったとしても、それが「しあわせ」な学びにはなりませんね。
勉強が嫌いになる理由ができてしまいます。
無理をして、体を壊してまで点数をとる価値があるとは、おとのねさんにはおもえません。

ーーー

もちろん、実力のある子は定期テストでも結果を残します。
けれども、その逆、定期テストで結果を出す子なら実力がある、肝心の入試で成果がでるとは限らないということです。

定期テスト対策は短期的な暗記におわり、みたこともない問題、広い範囲から出題される入試の役には立たない。
(定期テスト対策をしてくれる塾はたくさんある。でも子どもが定期テストができなくて困っているのではない。子どもにとって必要なのは何ですか?目の前にあるテストの点数をとり続けることですか?目の前の定期テストに追われて「ちゃんと」勉強できていない生徒がたくさんいます。「ちゃんと」勉強をしていないのに、高校受験で結果がでなくて「この子はここまでか」と諦めていませんか。ちゃんと勉強していないだけです。定期テストの対策をしていたら、無理です。時間は有限です。定期テストの対策をしないだけで、その子の人生は変わります。ただし「ちゃんと」やればですが。ホント!)

中学生の話をしましょう。
中学校の定期テストで結果が出たとして、富山県の県立高校入試に合わせたテスト内容でそのまま高校にいっても、高校入学時のレベルは例えば東京の高校生とは雲泥の差があります。どのくらい差があるかはこちらのページの真ん中くらいに書いてあります。

富山中部高校、高岡高校、富山高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

金沢泉丘高校、二水高校、錦丘高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

ーーー

勉強がうまく行っていない子であれば、中学生でも高校生でも同じです。
自分で修正できる子は、フィードバックをしながら自己調整できる子は、本当にすばらしい学びのメタスキル をもっている子です。
お子さんのチカラを、まずは確認してみてください。

誠実に、素直に、わからなくなったところから積み重ねていったものが本当のチカラになります。

なのでオトノネでは定期テスト対策をするときには、ことさら慎重に、生徒とも話し合いをして決めるようにしています。

もう、
定期テスト対策、やめにしませんか?

ーーーーーーーーーーーー

それでも「定期テスト対策します!」
と多くの塾が宣伝文句にしているのはなぜか。

短期的に結果が出て「あの塾、いい!」とお母さんが宣伝してくれるからかもしれない。
短期的だから、(受験より)結果が出やすいし、対策がしやすい。
お母さんは学校の先生から「成績が」とか言われて不安にさせられていることを知っているのかもしれない。
その不安を煽っている。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

お母さん、煽られていますよ!どうしますか?

心を大事に。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

ーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

他人の合格実績よりも大切なこと(オトノネの合格実績ポリシー)

実はこれを勘違いしていて「失敗」する受験生が多いのではないかと、僕はおもっている。
「受験」とは何か、「受験勉強」とは何をすることなのかがわかっていないと、合格実績で判断することになると、僕はおもっている。

なぜ「合格実績」のある塾に入るのか?
なぜ「合格実績」の影で泣いている子どもたちのことをみれていないのか?
(もはや、泣くこともできないくらい、疲れ切っている子どもたちの姿が眼に浮かぶ)

「合格実績」はお父さんお母さんに、生徒に、物語を与える。
「ここにきて、勉強していたら、合格できるよ!」
「私も!」
「うちの子も!」

その物語が、他人のものであって、その子の物語ではないけれども。
みんな安心したいのだろう。
こんなにも不確実で、不確かな時代を生きるための物語が。

SNSにもよく流れている「◯週間で◯◯!」と同じだ。

ーーーーーーーーー

オトノネはつくったばかり。
そこでよく耳にする「合格実績がないから信用できない」という言葉。

合格実績があるから、信用がないという声だ。
なんの信用か?合格させてくれるという?

実は合格実績自体が信用できない。

1。合格実績がある。
2。合格実績を作るような優秀な生徒がくる。
3。合格実績がでる。

が実態であって、「合格実績をつくるような優秀な生徒」でなければ合格実績にのるような成果は出せない。

1。合格実績がある。
2。うちの子も合格できる。

ではない。

「合格実績をつくるような優秀な生徒」がくるから、「合格実績」がある。

「その塾に行ったら、伸ばしてもらえる」ような伸ばし方をしている塾は、マレだ。
(オトノネの場合、「伸ばす」のではなく「伸びる」ような環境作りに時間をかける。疲れている心、すり減らされている心では、伸びるものも伸びない。レディネスがない状態でする勉強は、非効率的だ。)

(最近出会った人が金沢市で「絶対に志望校に合格させる」で有名な塾があると教えてくれました。その塾の先生はいつも生徒を励まし、合格させるために疲弊していて、一方で生徒は心をすり減らしながら、実際に、合格していくそうです。そして、たぶん、高校にいって、、、どうなっているかはわかりませんが。個人経営の小さな塾だそうです)

昔話になる。
泉丘の生徒だった。
課題、課題、課題。志望校合格のために、全教科を「やらされていた」それを「しなくてはならない」と思っていた。
明らかに、無理だった。

浪人は確実だった。
「本当に心からそこを目指しているなら、来年に向けて意味ある勉強を、今から始めよう」と僕は言った。
その子は、僕の話を聞いて、納得した。
そして、勉強する教科を、2つに絞った。
頑張って、頑張って、自分を攻め抜いて、疲れ切っていたその子は、それから、目標を見定めて、彼女の道をちゃんと歩き始めることができた。

フィードバックのない受け身の一斉授業も、
フィードバックが適切に与えられてない自立型学習も、生徒をただ疲れさえているだけの場合が多い。

勉強以前に、心が弱り切っている子が多い。

ーーーーーーー

大手の塾にいくなど、お金を捨てるようなものだ。
とオトノネさんは考えています。

けど「安心」のために、「物語のなかに子どもを入れる」ために、「ファンタジーの世界に浸る」ために「合格実績」のある塾を選ぶ人が多いのが事実。

何人がその塾に通って、どれだけの人が合格実績に乗らないか、想像がつきませんか?
授業料は生徒を募集するための広告費に使われ、先生たちは安月給で雇い、多くの受講生からお金をとるのが大手の塾です。

合格実績を信じて、合格実績の裏で泣いている生徒たちがたくさんいることを知っていますか?
学校だけでなく、塾も同じです。

もし合格実績が有用な判断材料になるには、合格実績に名を残した人の物語を最初から(もしかしたら生まれた時から、家族の生い立ちから)読まないといけないだろう・・・(ビリギャルの物語はその点、とても説得力があります。ビリギャルはどんな女の子だったか。どんなチカラがあったか。どれだけ努力してきたか。どれだけ、学校から自立していたか。どれだけ、お母さんに支えられてきたか。お父さんにも、助けてもらっていたか。。。)

医学部に入学しました!というが、実はセンター試験だけでいける制度を使っていた、で、たまたまセンターの結果がよかった、とか。
そういうオチがついている合格実績もある。

逆に、どん底の成績だったけど、なんとか、県立高校に入学できた、という「合格実績」の隅に埋もれてしまうような子もいる。
その子なりの目標があり、目指すものがある。
合格実績を「エライ順」に出すとか、僕には考えられない。

ーーーーー

「偏差値30から難関大に入りました!」というSNSビジネスのような宣伝の仕方もある(その手に弱い人が多いのだ。その手に弱い人がたくさんいる)。
フランチャイズ時代にも、その謳い文句をみて来てくれた子がいた。その子は、最初に聞いた。「本当に、偏差値30から合格できるんですか?」

「偏差値30ってなんのもしで偏差値30かわからないよね。逆転合格したその子は、君と全く別の人間だから。君のことはわからないよ」
と僕ははっきりと言った。けどその子は頑張って僕に付いて来てくれた。

私の勤めていたとあるフランチャイズでは全国にあるフランチャイズ、支部の合格実績を集めて「難関大合格者◯◯人!」などと書いていた。
フランチャイズの塾は、特に学生のアルバイトを雇っている場合(ほとんどそうだ)、都市か田舎かによってメソッドが通じないことがある。地方の学生は都会の学生と比べて受験経験が浅い、薄い学生が多いので、仲のいい友達になって授業時間、雑談することがメインで、勉強にはならないケースがほとんどだった(精神的な安定のために塾にいく。勉強はしないケース。受験をサバイバルするために大金を払う価値があるか考えてみてください)。実際に勤めてみてそうだ。(もちろんそれで勉強ができるようになる子もいますよ!ごくまれに!)

「うちの子も偏差値30だから、この塾でいけるはず・・・」
「みんな行っているからうちの子も・・・」
「合格実績があるから、大丈夫。。。」

偏差値30の意味を誤解しているかもしれない。
お子さんと他人の子が別の子だということはごくごく当然なのですが。
受験勉強というものがどういうものか、理解していないのかもしれない。
合格実績が「お子さん」の合格と関係がないことを説明したページはコチラです。塾の選び方。あなたの塾選びは大丈夫?

とある全国的な映像授業の予備校を盲目的に信じて疑わない生徒もいた。
「そこの授業はイイから、受けておいて損はない」みたいな考え方をしていた。
頭の裏には「カリスマ講師から教わっている!」という喜びや、全国の合格者を寄せ集めた(ほとんどおそらく都会の高校生の)輝かしい実績で勉強どころではなかったっかもしれない。一流の大学に入るには、一流の学習者になる必要がある。一流の学習者は、きちんと学びの質、量をフィードバックによって調節していく。

が、合格実績をみて、合格ストーリー(ファンタジー)に入っていき、勉強していくことには意味があるだろう。合格者の声などをみることによる、また誇大広告によるプラセボ効果がある。どれだけファンタジーの中にいたら、狂人か。この境目が大切だとおもう。

別の例では、生徒は全く受験どころではなく家庭や学校での問題(かなり無理をしていた)があったのに親が塾に行かせていることがあった。合格実績、メソッドの新しさ、宣伝文句をみて「30台から合格できるの??」っということでやってくるケース。。。他の塾に行くよりは、僕のところで休んだらいい、とおもい、話はした。フランチャイズ時代に出会った生徒の話だ。

ーーーーー

合格実績を誠実に発表している塾は多くない(誇大広告がほとんど)。
合格実績という情報を役立てられるお父さんお母さん、生徒はほとんどいない(情報リテラシー)。
というか、合格実績という情報が役に立たない。
これが僕の実感です。

面白いのが、とある難関国立大学に合格した子。
その塾の合格実績には、もちろんどうどうとその大学名が乗る!すごい!となる。
けど勉強面ではなく、メンタル的に支えられていただけだった。
自習室と、勉強の雰囲気が欲しくてその塾にいただけだった。
できる子がたまたまその塾に行っただけで、その塾の合格実績になる。なんの実績でしょうか?

そういうパターンもある。
その子その子で、何が必要かはわからない。
(ちなみにその子が、私が雇われて射たその塾ではじめての難関大合格者だった。その子は合格実績をみてその塾を選んだのではない。雰囲気で選んだのだ)

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合格実績をみるより、先生に質問を一つして、答えてもらって、直接出会って話をして、目を見て、雰囲気を感じて、ちゃんと人を見て判断したらどうですか?そのチカラが、受験の結果にそのまま繋がるとおもうのですが。

一流の学習者なら、きちんと、自分が得られるものがあるか、よく人をみて、自分の状況も分析したうえで、自分に必要な環境の一部として、塾を利用するでしょう。「通わせていたら、大丈夫」などと思っているのは、一流の考え方ではありません。

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お子さんは、世界でたった一人の人間です。
他人の「成功ストーリー」に乗っかるのはいいですが、そのストーリーを歩くのは、お子さん自身です。
エベレストにいく道はすでに作られています。けど全員が頂上にたどり着けるのではないですね。

都会ではよくある「セミナー」も同じ手法をとります。
誰かの成功ストーリーをみせる。聞かせる。
そして「あなたも、できますよ」という。

実際に、その可能性はある。
信じることで、チカラがでてくることもある。

けどその子は将来、自分のチカラを信じることができなくなるかもしれない。
大きくなっても、他人のストーリーに依存してしまうかもしれない。

お子さんが今、どんな気持ちで、どんな状態か。
「今」お子さんが感じていることは大切なことではないのでしょうか。
お父さんお母さんの焦りが子どもに伝わっていないでしょうか。

いろいろと言葉を尽くしても、心がわからなくなって、ちゃんと感じられない人が多い。
何も感じられないくらい、心が疲れてしまっているのだ。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

休んでほしい。
いいよ、休んでも。

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塾選びは、先生選び。
先生を見る目が、先生を選ぶ能力が、一番大切な、学ぶチカラです。
ブランド、合格実績に目が眩んでいては、見えないかもしれません。
ぜひ、「この先生はどんな先生か」知るために、入塾の前に、いろいろと質問をしてみてください。
きちんと答えてくれる、きちんとした言葉を使ってくれる先生を選んでみてほしいとおもいます。
(実際に教わる先生と面談で話せない塾をどうして信用できるのか僕には理解できません)

オトノネははじめたばかりの、小さな小さな学習塾です。
もし将来的に合格実績を出すなら、学習歴、生徒の合格ストーリーをきちんとお伝えしようとおもいます。
ひとりひとり違った道があって、感性があって、違った言葉が必要で、違ったリズム、速さをもっています。
オトノネは、生徒の違いを大切にしていく、小さな小さな学習塾です。

小さすぎて、笑ってしまいます^^

オトノネは、安心を売っていません。
オトノネは、心を売っています。
安くありませんよ^^

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

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【高校選び】進学高校の高校生たちのブラックな青春が青になるとき

体育祭の季節。

高岡高校生の話。
とんでもなく青春だ!この時ばかりは、空が青くなる。爽快!だと!

前にいた生徒の体育大会をみに行ったことがある。
その時の生徒の張り切り方はいつもの(校門前で出会う)生徒の表情とは違っていたことが印象的だったが。
その話を聞いて、ああ、なるほどなとおもった。

ダンスができる人、人を笑わせる人、絵を描くのが上手い人、いろいろまとめてくれる人。
いろんな人が、それぞれの役割をもって、全力であそんでいる。

文化祭のとき、教室まるまる一個の大きな回るコーヒーカップが作られたことがあるという。
その発想をする高校生もすごいが、それを実際につくるチカラもすごい。
木材でつくったそうで。技術者がいたのだろう。

ひとりではできないこと、みんなでやるからできる大きなこと、一緒にやりながら、いつもは話しかけにくい子から話しかけられたり、人間関係が一気に変わる、作られていく。ドラマチックだ!

金沢の二水高校の生徒に、アンケートで「二水高校に入ってよかったとおもったことは?」と聞いたことがある。
「二水祭」と書いてくれた。いやぁ、文化祭は、青春の空が真っ青に晴れ渡るときのようだ。

体育祭、文化祭のあとに、曇り空。いや、雨、雨空。銀を燻したような実力テストが待ち構えていることは、ちょっとしたオチ話にしかならないくらい、空が青く晴れ渡る、青春の一コマだ。

富山中部の生徒にも聞いたことがある富山ブラックの話をした後、「青春が青色になるのはいつ?」と聞くと、「体育祭です」と答えが返って来た。
高校生が高校生らしく、全力であそぶチカラを発揮できる文化祭、体育祭の感動は、そのままその高校の生徒のポテンシャルを表しているのかもしれない。

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どの高校でも、進学校なら課題に苦しむのは同じ。
富山東高校の卒業生の話では、入学式の時に、「高校生の青春は灰色です」と言われたそうです。
それがデフォルト。進学校を選んだら基本、ブラック。

だとしたら、どうやって高校を選ぼう?
文化祭に行って、一番楽しそうな、生徒が笑っている高校を選ぶのもいいかもしれない。
いろんな高校を回って、一番感動したところに入ったらいい。

そういう決め方でもいいな、と思えた。
それくらい、文化祭、体育祭の話をしている時の生徒の顔は、清々しかった。
(といっても、富山高校の文化祭に行って「ココがいい!」と思って入学してしまった子が、文字通り、登校できなくなってしまった話も、実話です。各自、性格・能力・希望に応じた賢明な判断をしてみてください)

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え?青春のブルーって、マタニティーブルーみたいな、ちょっとマイナス的言葉じゃないの?
とツッコミを入れてくれた人、座布団一枚!笑
ちなみに、ブルーカラーといえば青色の作業着、肉体労働者を表す言葉でもある。

ブルーは憂鬱という意味もある。
青春とは、高校時代とは、そもそもが、ブルーな時代なのかもしれないねぇ。
清々しい体育大会の青空をみながら、僕が今見ているのは、宇宙なのだとおもった。
世の中には、いろんな青がある。

憂鬱で、課題という作業をこなす春、それが僕らの青春時代!?

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感情
祭り、というものは、僕自身が日本の芸能史を研究しながら興味を持って調べてきたもの。
儀式、といってもいい。(儀式と平行して行われる場合がほとんどだ)

この本の中で「気分操作の身体的技法」という小節がある。
そこに書かれていることは「パーティー」が人間にとって欠かせない、文化的・社会的な「幸福のシステム」だ!ということだ。
(この本では「文化祭」の話は一切しておりません。「こうしたイベント」とは、大人向けの「パーティー」のことです)

こうしたイベントでは、言語的、感覚的、化学的、身体的といった、全範囲の情動的技法が、きわめて強度の幸福感を生み出すべく、結び合せられる。さまざまに色付けられた光は私たちをクラクラさせ、私たちの目を楽しませる。リズムのある音楽は心を揺さぶる。エクスタシーは脳の中で大量のセロトニンを分泌させ、気の利いたドリンク類は(興奮作用のある)カフェインを少しだけ与えてくれる。また、野生的な踊りはトランス状態を引き起こす。(略)こうした情動的技法は決して今に始まった新しいものではない。人類の夜明け以来、人は定期的に集い、そこで踊り、また何らかの薬物を摂取していたのである。こうしたパーティーこそが、究極的な幸福感への近道であると考えても別段、おかしくはないのかも知れない。(『感情』ディラン・エヴァンズ p.105)

そうしていつも、ブラック企業に勤めながら「青森のねぶた」で一年に一回の祭りのために、一年に一度の幸福のために、暮らしている人と出会ったときのことを、思い出すおとのねさんでした。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

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富山大学附属中学校と富山(中部)高校のギャップ

富山高校生、もと附属中学校の生徒の話。

その前に、、前提知識。
富山大学附属中学校の70人中50人が富山中部に入る。(調べて見たら附属中学こうの生徒の160人中70か80人でした。数字全然違った!)
富山高校の生徒の出身中学は公開されていない。
で、問題はここから。

中学校のときは、先生がよかった。自分で頭を働かせて、主体的に授業がうけれた、というか、学べた。
高校になったら、受け身の授業で勉強する気がなくなった。

そのギャップに苦しんでいるというお話しだ。(富山から高岡に会いに来てくれた人がいる)

附属中の生徒が簡単に富山高校や富山中部高校に入れるのは、もちろん、主体的な授業で「言葉の力」があそびによって鍛えられているからだろう。
富山県の高校入試は暗記ができればいいのだから、とりあえず覚えれば入れるでしょ?という簡単な流れ。
親が教育熱心である、という理由もあるかもしれない。

で、ギャップという話。

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僕の大学生の時の後輩が、今、宗教に入っている。キリスト教。で、昔その子の家にいっておしゃべりをしていると、同じアパートに住む「友達」がやってきた。同じ宗教をしている子だ。その子の話。「大学生の間、ずっとスポーツをしてきました。けど大学が終わってから、何をしていいかわからなくて」

突然、今までしていたことがわからなくなる。
何をしてきたのか、物語が、途中で終わってしまった。
あれ?

どうやって動かせばいいのかわからない、心が動かなくなったのだろう。
そして宗教はそのきっかけを与えた。
新しい物語を彼に与えたのだった。

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で、附属中学の教育は、先生は、すばらしいように思える。実際は知らないけど。けど少なからず、高校にいったら「何これ?」となる。予習をやってきて、生徒が板書して、先生が解説、いやいや、先生いる意味ないでしょ。という話をよく聞く。受け身の授業、意識が朦朧とする。。。あれは、中学生活は、一体、なんだったのか。。。附属中学校の玄関に掲げられている文字は、なんだったのか・・・

実は富山でも高校生をターゲットにした宗教がいくつか存在している。
え?知らないですか?

もちろん、附属中学校で鍛えられて、高校生活を有意義に、送る人もいる。
人それぞれ。

目が覚めた時、次は誰のファンタジーのなかにいるんだろう。
本当の自分の物語を語ることなんて、できるんだろうか。

真実か、正しいのかなんて関係なくて、誰かが近くにいてくれて、ぐるぐるまわっていく運命にちょっとしたいたずらをしていくのを楽しむくらいがちょうどいいのかもしれない。

高校生と話をしながら、僕が高校生だったころの自分の感覚を思い出している。
もう少し、彼らと一緒に何かをしていこう。
僕にとってのおとのねは、自分の心の成長する場所だ。
もしそれが生徒にとっても同じであれば、嬉しい限りだ。
そういう子が、おとのね にきてくれたらいいとおもっている。
悩みながらも、本気で、彼らに応えていきたい。
それが僕の感謝のカタチだ。

というわけで、(そんなものいらないが)結論。

今やっているゲームを降りて別のゲームをするのも、人生というゲームのルールのうち。
同じゲームをやり続けて、誰が褒めてくれるだろう?もしその人生に、幸せを感じていないとしたら。自分が自分を褒められないとしたら。

橋を渡って結婚式をあげたときに男女が初めて顔を合わせていたような時代とは、商品化されたゲームはかなり変わってしまったきがする。
自分でゲームをつくってもいい。もちろん、全てがオリジナルでなかったとしても。

中学生のときに思い描いた「学び」の姿、学んでいる自分の姿を書き換えなければならないような、そんな高校生活に身を置いている高校生のために、僕はotonone-オトノネ-をつくったのだけれども。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

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東京医科歯科大学を目指していた砺波高校の生徒との思い出

といっても、チラシを配りに砺波高校に行った時、門の前で話をしただけの子だが。

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おとのねに問い合わせがあった。
砺波高校、今年はあまりにも進学実績が悪かった。心配です。
というお子さんが砺波高校に在学している子のお母さん。

砺波高校はそもそも進学校ではないし・・・
情報は伝えた。
砺波高校は、そもそも(僕の定義によると)進学校ではない。かなり特殊な学校だ。
(保護者の方から聞いた話では、「安全」な進路選択をさせたい家庭の生徒が通う傾向があるそうだ。浪人する人の数が極端に低いのもそのせいだろう)

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今日、ふと思い出して砺波高校の進学実績(平成31年)を見て見た。

「東京医科歯科大学を目指していた、あの子は受かったのかな…」
東京医科歯科大学といえば、医学部は難関大の定義におさまるが、看護は難関大の定義にはおさまらない。

富山県で出会うのはなかなか珍しい、はっきりと言葉を使って、はっきりと正面を向いて、明るく、前向きに言葉を使う子だった。
この子は、言葉の力をもっている。そう直感できる子だった。看護を目指していたのだろうか。おとのねとしては応援したい子だった。

門の前で立ち止まって、僕と話をしてくれた。東京からきたんだよーと話すと、「私、今年受験なんです。東京医科歯科大学って難しいですか?」とか、本当に短い時間だったけれども。少しだけ話をして、いやぁちょっと話長くなるからおとのね遊びにきて!といって、最後はおじぎをして校舎に入っていった。チラシを配りにいって喋っておじぎをしてくれたのはその子が初めてでそのあと一回もない。印象的な子だった。

合格実績の一覧に、東京医科歯科大学の名前はなかった。なかったよね?
ないよね?

ひとりの生徒の思いを、どれだけ大人は真剣に受け止めて、感じて、気がついていただろうか。
その子は最後まで全力で、受験という経験をやりおえられたのだろうか。
最後は本人だ。
けど、

だけれども。
初めての大学受験で、大人がどれだけ知恵を与え、どれだけ「正しい道」を指し示したかで、結果が変わってしまうと思えば、悲しい。
(僕自身が、高校生のとき、努力を実らせる方向に勉強ができていなかった。開成とか上位校の生徒が通う塾に「ついていくだけ」でよかったはずがないのだった・・・演習の仕方を、間違っていた)その子は、課題をこなして、自信があったのだろうか。進研模試を受けて、間違った判定で志望校を決めていたのだろうか。本当に必要な勉強をできていなかったのではないだろうか。二次試験が英語だけなのに、センター試験を超えた他教科の課題をこなしていたか。小論文の対策ができていなかったからか。恐ろしいセンター試験の魔の手にかかってしまったか・・・

それでも

あの子は、今どこか別の場所で、笑っているだろう。
そう思えるような子だった。

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「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。

富山県と石川県の塾の合格実績を総調べ!

入学時から「学校の課題だけをやってください。塾に通わなくても合格できます」という話を先生がするという話、
自称を含む進学高校ではよく聞きますが。

実際は?

数値でできるところまで実証しました。全部、調べちゃいました。

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「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。
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