本気を出せる場所

今日、とある大人の人と話をした。

短く言うと、
体が大きかったから、手加減をしないと、他の人を困らせたり、一緒に遊んだりできなかった、という話。

本気になってやれることが、部活動、円盤投げだったと。
1人で練習して、一生懸命になれた。それで結果がでた。

けど、進学校だったから学校の先生は一生懸命やっている(テスト期間中も一生懸命やっていたために)のを白い目でみていたという。

1人でコーチを探して、1人で研究をして、1人でトレーニングを積んでいった。

ーー

「本気を出せる」ことが、限られているような気がした。
「それは将来役に立たない」「これをやりなさい」という大人の世界で
「いや、それは私のやることではない」といって、自分の世界に埋没するのに勇気がいるような雰囲気だ。

大人が、子どもの独自性、世界に一人しかいないその子の創造性を狭めていないか。

内気な子がいた。
その子は「ピアノの先生」になるために人生が計画されているようだった。
もう小学生なのだから、好きなら続ければいいし、それが適しているなら、将来そうなるだろう。
けれども「あなたはこうなる」「あなたはこうしなきゃ」という考えがちらっとでもあるなら、それは子どもに伝わる。
そしてそれが子どもの価値観になる。

夢中になって遊ぶ経験を、大人になってからも自分にさせてあげることが、大切だと思う。
大人がそういう遊ぶ姿を見せてあげることが、子どものしあわせを育てることになるんだとおもう。

子どもを育てるには、大人が自分を育てていくのが一番だ。
大人が挑戦しなければ、子どもも挑戦しようとはおもえない。それだけ子どもは、大人から、環境から、学んでいく。
知性溢れる、創造性溢れる大人と一緒にいる時間が、子どもを知的に、創造的にする。

絵を描くことが好きな子

絵を描くのが好き!
な子が結構たくさんいる。

そういう子に限って、絵を描くことを突き詰められていない。
本当に好きなら、もっと描いて、もっといろんな書き方を勉強したりするのに。

勉強をしないからといって絵を描いている子どもを叱っていませんか?

年齢、発達の段階に応じて湯煎しなくてはいけないことがあります。
そして何よりも、子どもに「させること」は少なくしてほしいと思います。
現代では、一人の女性が産み育てる子どもが少なくなって来た分だけ、子育ても一発勝負、だからこそ子どもの育て方、発達の仕方を学ぶことが大切だと、otonone-オトノネ-は考えています。

もしよければ、お母さんも学びに来ませんか?

筆ペンをもつだけで!そう、お母さんと塾の先生で役割分担しましょう。

本屋さんに行って、なんかいい本ないかなーとふらふらしていたら、学習参考書の本棚の前でお母さんがいた。
小学生の漢字のドリルを探していた。

話を聞くと、文字を書きたくない、読みたくない、という。
僕もペンとか鉛筆はあんまり好きでなくて、筆ペンが好きだった。

「筆ペン使ったらどうですか?」
というと、お母さんははっとした顔。

そうやって子どもを発見していくのが、私は楽しいし、お母さんももっと楽しんだらいいとおもっている。

「できないできない」と言って教育業界の罠にハマりがちな世の中。
教育業界は不安にさせて、ドリルなんか、通信教育やら、タブレットを売る。
教育は消費活動ではない。

教育は創造的な営みであるはずだ。
もうそこんとこ、わからないでしょう、お母さん。社会の仕組み。学校で教わらないからね。。。

お母さんは教育の素人でも、愛情のプロ。
どんな立派な先生でも、本当に子どもがチカラをもらうのは、お母さんの愛情です。
役割分担、しましょう。

会社の経営と子育ては同じ。

新生児の母は学校で育児を学ぶといい。
小学生の全員がフリースクールに通うといい。

若い人に責任を与えない、自由を与えないこと。
それが家庭でも繰り返されていないか。

不安だからと、お金を使わずに溜め込む会社。
不安だからと、冒険や自由を与えない親。

子どもも、社員も、やらされるだけの仕事をしていたら、育たない。
使えるチカラを使わなかったら、育たない。

小学生になって、習い事をだらだらと続けさせるのは意欲をだらだらと奪い続ける結果になりはしないか。
その作業は「いうことだけやっていたらまぁ生きていけるか」という価値観を育ててはいないか。

責任を与えること。自由を与えること。
そうでなければ、世界はおもしろくなりはしない。

と、私はおもっている。
どうぞ、お子さんが生まれたら、オトノネにきてみてください。
学校では教えてもらえない、大切なことを、まずはお母さんにお伝えしたいとおもいます。

でないと、世の中を楽しくしてくれる子が育たなくて、私はつまらなくていやなんです。

子供の気持ちになってみる

勝手になってみるだけで本当かどうかは知らないけれども。

好きなことを「ダメ!」といわれて禁止されたり制止させられる子供の気持ち。
大好きな大好物をるんるんで心を躍らせながら味わっているときに突然料理が下げられてしまう。

学校がつまらなくて部活をやるがまぁ授業よりはマシだという感じで「部活は?」の問いに「ふつう」と答える子供の気持ち
獄中でトランプを与えられて楽しくもないがまぁ時間潰しにはなるかぁ

私が大学生の時、重度な精神障害者施設で実習をした。施設にいるのは幼児の子達だった。まったくコミュニケーションが取れず、何をしてイイかわからず、実習の途中で私は泣き出した。
私は久しぶりに、そのことを思い出した。

お母さんの気持ちが見えても、子供の気持ちが見えない。
みえない。

今思い出しても、泣きたくなってくる。

保育士、お母さんたち必読の書。平井信義さんの「意欲」と「思いやり」の子育て。

保育と言いつつも完全に受験生の悩みと同じであることが、興味深いというか、

この事実を受け止めずにまだ教育と福祉をバラバラにしてしまうのかと呆れてものがいえない。

ものをいわなくなってはいけないのだが。

平井さんの本はたくさんあるが、どれも読みやすく、事例の紹介の仕方もうまく、論理、話の流れが明確だ。
(私のもっている知識・経験を加えたらさらにいい本ができるとおもうのだが。共同執筆してくれるだろうか。)

心の基地はおかあさん

例えばこの本。もっと体系的にというか、別の書き方でも書いてくれているが、どの本でも繰り返し、言い換えて、同じ言葉がでてくる。
意欲、創造性、自発性がないと子どもは不登校登校拒否になったりやる気がなくてニートになったりする。
思いやりのある子育て、叱らない、しつけない子育て、甘やかさずに甘えさせる子育てが、子供を意欲的に、自発的に、創造的にする。

いたずら、反抗期は正常な発達であって、それは悪いことではない。
いい子にしている子は、反抗期が来なかったり、あとで不登校になったりする。
ルールに従わせる、自発性を奪う関わり方をしてしまうのは、大人が自分を省みていないから。

そういう話だ。
つまるところ「ちゃんと子どもを子どもとして理解しましょう」
「不登校になる、やる気のない子になる原因ははっきりしています。今すぐ命令・支配・干渉・過保護をやめましょう」
という話だ。

なんともすっきりしていて、わかりやすい。
平井信義さんが長い間研究し、相談を受けていた経験があるから、納得してしまう。

なによりも子どものチカラを信じている。
この文章に社会学、もっと大きな枠で統計やらなにやらを加えたらどうなるだろうか。

もうずっと昔の本だが、今になって、とても意味のある文章になっている。
教育退国日本で、どうしても読み継いでいきたい本。
新しく出てくるメソッドやら何やらを手にするお母さんが多い中で、フランチャイズや大手の予備校で学ぶ人がたくさんいるなかで、
学問の基礎、哲学をもった人たちがきちんと生き残れる世の中であってほしいとおもう。

傲慢という言葉よりも

中学以来の友達と話をしていた。その人のパートナーが図書館で絵本を読む研修をしているという。その人の課題図書の一つに「子どもに残酷な物語を読み聞かせていいのか」みたいなお題の本があった。

絵本を読む子どもの読み方を決めつけるこの傲慢さに気がつくオトナは少ない。コドモの感じる世界を、オトナが決めつけるのは、しかしながら、フツウだ。「この子の幸せのために」という言葉を私は聞いて育ってきた。いやいや。私は私の感じ方があるから。

さて、ここまで書いて、ふと、気がついた「違和感」がある。言葉の一つを使った後に、相手に与える影響もあれば、自分に与える影響もあるのだ。私は、私の中に違和感が産まれたことに気がついた。

傲慢という言葉は、他の人に使えば攻撃になる。非難する声になってしまう。ただ、私が今まで生きてきた時間の中で、コノような誰かを攻撃する言葉をたくさん覚えてきてしまったのだ。語彙は大切だ。人を攻撃する言葉を避け、生きるのに役立つ言葉をオトナが使っていくことが、コドモにとって一番大切なことだとおもう。言葉だけでなく、ものの言い方、態度、性格と呼ばれるものも、だれもが生きながら、学んでいく。人を傷つけるやりかたで暮らしていれば、コドモはそれを真似てしまうかもしれない。コドモは、ちゃんとみているのだ!

だからごうまんという言葉を使わずに、二字熟語、漢字に頼らずに、ちゃんと伝えるために、もっと身体的な、日常的な言葉を、ちゃんとした言い方で、話すといい。傲慢さに気がつく=「コドモの感じていることを決めつけていること」に気がつくと言い換えるのだ。抽象的な言葉に振り回されてはいけない。

傲慢という言葉を使うとき、私の心に少なからず怒りが生まれたことに私は気がついた。そしてそのとき、私も傲慢になっている。言葉は、感情を生み出す。ちゃんと選んで、使えるようになろうと、私も気をつけている。言い方、言葉の選び方、これが自然にできる人こそ、私は先生になってほしいとおもう。だから、保育所をつくりたい!

泉丘高校、二水高校、錦丘高校の【偏差値・合格実績の影】で泣いている高校生がいることに、気が付いていますか?

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保育士試験に合格するための筆記、実技、過去問の使い方、勉強法を教えます。

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無邪気なオトナ


『魂の殺人―親は子どもに何をしたか』A.ミラー

言葉は、言葉を発するココロは一言で人を生かしもするし、殺しもする。
殺す例が多い。塾の先生がただ「君には無理だ」ということ。その一言の言い方によってはもちろん、人を生かすことおもあるが、この一言でその子が死ぬか、生きるか、どちらにも行く可能性があるという言葉の重さを知っているオトナが教育の現場にはいない。学校の先生は筋を通せとか、詭弁を用いて雄弁に語るから言葉を教わることはない。

面白い話は、精神病の患者に「死のうと思います」と言われて「死ねば?」と言って、結局その患者は生きた。ただ医者の一言の言い方、それこそ重みがあったのだろう。その患者が感じているコト、その場で起きているココロの動きに合わせたのかもしれない。言葉の技術はプログラム不可能だ。ペーパーテストなどで測れるものでもない。どれだけ言葉が疎かにされてきたか。

本のタイトルには親とあるが、親が生きている時代そのものが、コドモの魂を殺している。コドモの魂の発達を阻害する。育てつつ、バランスをとるような、絶対に切り離せない自分の一部を無視して、抑圧させて、つながりをないものにして、ココロの一部、魂の一部だけが育てられたアンバランスさが、問題を引き起こす。勿論完璧な人はいない。お互いが部分を担いながら、ただ自分自身が苦手な部分をどう生きるか、そういった工夫、本人にとっていちばん大切な課題に気が付かずに入試問題を解くなどナンセンスだ。

親が育てなくてもいい。親は親で役割がある。全部やらなくてもいい。
ちゃんと向き合ってくれて、真剣で、感情を、言葉を、ココロを打ち合えるオトナと出会えたコドモは幸せだ。

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一対一、個別指導とはどういうことか

流山の松の実保育園を見学したとき、1才児のクラスだった。コドモがオトナに絵本を読んでもらっていた。その子の隣にもコドモがいた。オトナは二人の子に見えるように絵本を広げて、コドモ・コドモ・オトナの順番で並んでいる。その時理事長先生が、「一人のコドモに読んであげなさい」といって、ほんの角度、オトナの体の傾きを変えた。すると、見た目でもコドモとオトナの関係がすっと入ってくる。とてつもない、演出、演劇だ。

もっと驚いたことは、その後ろで、絵本を手にしているコドモがいたことだ。たぶん、次、読んでほしい本をもって、待っているのだと思う。本人に聞いたわけではないが、そのとおりだとおもう。

よくある話し、1歳になるとあれこれやてくれ、あーだこうだと喋りまくるという。本当に、保育園もうるさい。うるさい!声をどうつかったらいいかコドモは学べない。学べるような関係をつくれるオトナがいないのだ。オトナはそれで平気で過ごしている。一度に話しかけてもわからないのに、一度に話しかけてこられたら?ただ本当にありのままの気持ちで言葉を使うだけなのに、オトナにはその余裕がない。イライラして声をあげて「後にして!」というのがフツウの保育所。後っていつ?

だから、一人の人間が複数の人間と同時に関係をつくろうとしたら、ほとんどマインドコントロール、いい気分にさせるような術を使うことになる。特別な技術が必要になる。それが集団授業のスタンダードだ。ふつうだ。小学校から真剣勝負をしてくれるオトナとめぐりあう機会はどんどん少なくなる。コドモは、人間は、それぞれの段階で誰もが真剣に向かい合ってくれる人を必要としているのに。(ちなみに演劇の場合は、一人の俳優が観客に見てもらうための技術をちゃんと修得しなくてはいけない。これができない俳優が多いのだが)

集団は、一方的になりがちだ。というより、集団では育たない大切なものがある。それは言葉だ。「フツウ」の子は集団で「フツウ」のコミュニケーションを覚え「フツウ」に暮らしていく。ただ、「フツウ」でない子は?風の流れに敏感な子、音の響きに敏感な子、ひとりひとり違う。声が聞き取りにくい子もいる。私がびっくりしたことがある。多くのコドモがわらべうたを歌っている外で、一人で積み木で遊んでいる子がいた。私は気が付かなかったのだが、理事長は彼女がわらべうたのリズムを積み木で叩いていた!ソレに気がついて私も耳を傾けると、とてもおもしろいリズムを刻んでいる。楽しそう!といって混ざると「こっちの積み木のほうがいい音がでるよ」みたいなことを喋って積み木を渡してくれた。あとから聞いた話、彼女は音に敏感で、内側に意識が向かう傾向がある(音に敏感な子はそうなのか…)。だから保育者から理解されないで、関係をもてていない時期があった。今は自分なりに遊べるようになったと。「フツウ」でないコドモ、「フツウ」でないのに「フツウ」であろうとするコドモ、いろんなコドモがいる。

「フツウ」の人間は「フツウ」以外のものと関わり合うのが苦手だ。
それは自分の中の「フツウ」じゃない部分と付き合うことが苦手なのだと私は思っている。
私自身が、年をとりながら、いろんな自分と付き合いを深めていく、自分と関係をちゃんともとうとしている。

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