印刷機をみて人間をみる

ちょっと具合が悪くて印刷機の裏側を開けてみてもらった。
外見ではわからないいろんな回路、配線がある!

劇場で働いていたときも、同じ感覚を覚えたことがある。
劇場にはいろんな配線、電気関係の装置がある。舞台のために、ステージをかこんではりめぐらされる、まるで神経だ。
情報を伝える、エネルギーを送る、ということのシンボルが、糸、なのかもしれない。

私たちは機械の中で暮らしている。
機械の使い方、ボタンを押すといろんなことをしてくれる。

私たちは人間の中で暮らしている。
決められた状況で決められたスイッチを押すと決められたことをするような関係だけになっていないか。

人間らしさとはなんだろう。
見てくれをみる限り、機械とあまり変わらない。
心があるかないかが、やっぱり違う。

何が起こるかわからない。
ひとりひとり違う心を大切にしたい。

プログラムや機械ではなく、人間らしい心で人と関わっていきたい。

さて、化学の問題です。

おとのねさんはある日、ヘリウムを入れた風船をヘリウムガスの中に入れたらどうなるか気になってやってみました。

なんと!

ヘリウムの風船が、ヘリウムの中では、浮きません!
ヘリウムのくせに!浮かないなんて!

当たり前といえば当たり前ですね。
私たちは空気というものが当たり前になっている。
空気が基準だ。
その当たり前の世界から、ヘリウムガスは少しだけ私たちを自由にしてくれる。

学ぶといいうことは、当たり前の世界のなかに隠れている僕らの世界の不思議を見つけていくことなのだとおもう。
受験の勉強は、ただの受験勉強だ。
受験生の時、私もツライおもいをした。「こんなんおもろない」とおもったものだ。

それでもかけぬけて、大学でいろんな人との出会いがあって、今私はここにいる。
大学の選び方も、偏差値以外でどうやって選んだらいいかも、高校生たちに喋れるようになった。

当たり前に過ごしている世界とは違った世界の見方を、生徒たちに伝えたい。

物理も化学もわからない

中学数学からやりなおした高校生。
結構長い付き合いをしているのだが。

物理、化学の勉強をしていて、ツラそうな場面がある。数学的な考え方、文字や図形の処理をしているときだ。
数学の基礎がなくて、計算をすることがどれだけ負担になっていたか。

基礎の順序を間違えて組み立ててしまった化学、物理がどれだけあやういか。
物理ができない、化学ができないひとは、たぶん、数学ができていない。
しかも、高1の範囲。

ということを、今日私は学んだ。

やりなおせるものなら、物理や化学でなく、数学をやり直すのはいかがでしょう。

数学がわからない

人が多いらしい。

数学は教わらないとわからない。
数学を学ぶ順序をきちんとわかっている先生から教わらないといけない。

数学がわからないのは、数学をわかっている先生が少ないからだろうか。
暗記型で点数を取っている先生には、「WAKALANAI!」生徒のわからなさがわからない。

数学をわかっている先生がいないから、解法を覚えていく暗記が流行る。
解法を暗記して点数がとれる人は、無秩序に、意味不明な順番で教わる解法を自分で順序立てて頭の中で整理できる人だ。
大切なものが何かを誰にも教わらずに学び取る、メタスキルをもっている人だけだ。
「あの人、この参考書使っているから!」という基準で参考書を選んではいけない。

だってメタスキルもってなかったらぐちゃぐちゃになってしまうもの!

今日、高校1年生で習う一番最初の勉強をしてみた。

驚いたことが2つ。
最初に習う言葉が「降べきの順」?
中学校で習うはずの言葉を高校でも教えるのか!?

いい先生に出会ってください。
数学がわからなくて困っている人にはそれしかない。
それほど数学は、体系的に構築されている。
逆に言えば、体系的に学べば、わかるものだ。

わかりやすい解説をしてくれる参考書はある。
解法を理解するための参考書はある。しかし体系的に、ゼロから作り上げる参考書は、ない。

いい先生を探してください。

宇宙一わかりにくい参考書が売れている

「新しく出たイイ参考書」が売れていることを知っている。
「新しく出たイイ参考書」が売れていないことも知っている。

世の中はいいものが出回るわけではない。
社会心理学、経済心理学という分野もあるほどだ。
人はいいわるいだけでは判断しない。

いいもの、の基準が人によって違うし、そもそもいいものが何かわからない。
昔の人はよく「根っこ」を食べようとしたものだと感心してしまう。イイものかどうか、よくよく吟味したのだ。
現代人は、体を使って、感覚を研ぎ澄ませて吟味してイイワルイを判断しているだろうか。新しいものが出て来すぎて、吟味する時間もないのかもしれない。

otononeに生徒が来ません。どうしよう。
イイ先生だけど、塾はワルイというパターンがあるのかと、考え込んでしまう。

アウシュビッツは自由・平等・平和の象徴か。

私は自由も平和も平等もこの世界にはないと思っている。
それらの言葉を掲げることが西欧文化と折り合いをつけるために都合が良かっただけで、日本は明治以降にとってつけた漢字でハイカラをしているだけのようにも思える。ハイカラという言葉も、死語になっただろうか。

私たちは自由か。自由とはなんなのか。そんなことを話してもおもしろくなさそうだ。
「自分を自由にしているか、相手を自由にしているか」の方がおもしろい話ができそうだ。
政治経済、現代社会で憲法や法律をならう。なぜ法律が必要か。世の中に出ると、他人は人を酷使してくる、都合のいいようにする、傷つけてくる。そうした攻撃から、自分を守るためだ。

私たちの国は平和ではない。犯罪の報道、事故の報道ばかりする国がどこにあるだろう?人の不安を掻き立て、いろいろな製品を売りたいのだ。不安は人を動かす。

私たちは平等でない。
平等という名の下に、自由を失う。平等という名の下に、平和を失う。そういう状況に出会ったことはないだろうか。
もう日本人は、抽象語、二字熟語をほとんど、使用できていない。

私にとって学校は、不自由であり、不平等であり、平和ではなかった。
そもそも自由・平等・平和ということばが曖昧なのに、どうしてこれ以上話をすることができるだろうか?

私ならとりあえず、平等であるとは言い悪いで評価判断しないこと。自由とは自分に積極的責任をもつこと。平和とは、自分の心と体のバランスに気をつけること、と言い換えておこうか。
どうすれば、オトナが、言葉を教えずに、コドモは言葉を覚えることができるだろう。学校は引きこもりだ。文部科学省というモンスターペアレンツに怯える、ブラック企業だ。その中で笑顔で作業しているコドモたちは、どこかアウシュビッツを生き抜く人々のように、たくましく思える。彼らは、彼女らは、自由であり、平和であり、平等であろうとしているのだから。

黒船がきた!

さぁ、君ならどうする。

最近市役所や学校といった公の組織と何かができないかとおもって話を聞いている。
話ができない。話にならない場合がほとんどだ。「責任がとれませんから」とか「もう年度の初めにすべて決まっているので」とか「忙しくて」とか。本当に何かを生み出すような対話にならない。丁重に断るために話を聞いてやっている、という気持ちすら伝わってくる。「クレームがあると・・・」という言葉が常套句。忙しい忙しいで大変な学校で暮らす生徒は主体的、個性的な自分自身を忘れていくかもしれない。オトナは生活を管理し、課題を出す看守のようだ。囚人はその作業をこなしていく。これが私の学校観。

思えば組織というものは保守的だ。組織を守るために個人を利用する。個人もその組織があるからこそ守られているから、お互いに助け合っている、といえる。それを「日本を守るために」といっていたあの時代と変わらない、と思った人はするどい。また黒船が来た時、日本が二つに別れた。例えば坂本龍馬はそれで会社をつくった!日本が動いている、別に「まるまる主義」「まるまる派」でなくても、自分ができること、したいことをする。そういう態度が龍馬の魅力なのだろう。

時代遅れのものというのは、時代をみていない、時代をみて、時代が動いているリズム、すでにもう生まれ、鳴り響いている時代のメロディーとどう関わりあうかだ。何も見えず、聞こえず、感じない世界が、これからやってくるかもしれない。「生徒たちは学校が終わったら家に帰ってゲーム」というのもどの学校も同じだ。もう、面白くないのだ。地域振興、地域復興というが、コドモたちが家に引きこもる地域だったらだめだ。私はだめと言い切ってしまう。道を歩いていても人がいない、面白い人がいない、とにかく人がいない、どこにいっていいかもわからない。ゲームをするのが一番合理的だ。賢い選択だ。ゲームはまっていればいくらでも新しいものがでてくる。スマートフォンという時代と共演している。

役所も学校(文部科学省)も、まだ戦時・戦後の「立場主義」を守り抜き、いまだに「国家総戦力」を演じている。戦う相手は決まっている。黒船だ。私たちは、工場で働いたりや兵隊さんになる代わりに、よりよい消費者になり、労働者となることを求められている。まさに学校がそうではないか!学歴社会でなくなった今でも、高学歴社会を演じている。もう高度経済成長期は終わっているのに、当時の文化がまだ残っている。日本は、どうも、そういう国らしい。

さぁ、君ならどうする。
新しいゲーム機を買おう!?

おじさんが英語を喋る

英語、を喋るおじさんがインドネシアにはたくさんいる。道端で寝転がっているおじさん、おばさんすら英語を喋る。どうしてか。もちろん観光地、での話だ。観光客に話しかけるため、英語を学ぶ。日本はおそらく、行政としては英語をたくさん勉強するように公教育として計画されてはいるものの、実際に英語を使える人は少ない。それもこれも、やはり結局大学受験のための英語であり、なかなか学生の時代に話ができないからだとおもう。私自身、受験英語をとおして英語が喋れるようになったのだが。。。

どうしてインドネシアではおじさんおばさんも英語を喋れるんだろう。今日ふと気が付いた。英語を喋りたい、英語を喋ることで生きようとしている人がたくさんいるのだ。自営業がたくさんいるのだ。例えば道端のタクシーのおじさん。ツアーガイド、民宿ホテルがインドネシアの観光地にはたくさんある。そしてどれもいわゆる自営業だ。日本はどうか。大きな組織、会社でやっていることが多い。そしてツアー客の多くは大手の会社の宣伝をみて、そのまま大きな会社の案内で観光をすることになるだろう。学生たちも「会社に行くものだ」と思っているのだとおもう。私はそうだった。日本はそういう現代文化を継承している。高度経済成長時代からそうだ。広告、宣伝、大量生産がものをいい、資本を持ったものが市場を占める。これを資本主義といっていいのかどうか。インドネシアには広告というものがない。広告の分、人が喋っている。人が道に出ている。人と人が直接関わる。資本主義というのは、資本を持った者、初期投資ができる人間が、人と人が直接話をし、出会い、交渉をする近代以前の市場を解体する現象だと言えるかもしれない。だから行政は、自治体は、この現象に対して、個々人の出会いを守るようなしくみをつくるとよいのだろう。現象をみて、バランスを取る。というのはどうだろう。これは政治に関わらず、ふつうの日常生活でもいえることだ。自分の中で起きて来る現象、性格、気質、暮らしながら作り上げられて来た心の働きをそのままにしていたらバランスが悪くなる、状況が変わっても、変わったことに気がつかないことすらある。バランス。

スーパーマーケットで学ぶ

今日、最近オープンしたスーパーマーケットに入ってびっくりした。この間はレタスが68円だったのが、今日はキャベツが98円だ!あまりにも驚きすぎて、近くにいる店員さんに話しかけてしまった。「こんなやすくて大丈夫なんですか」「いやぁ、この店は呉西地区にはまだ少なくて、オープンしたばっかりだし、やっぱりいろんな人に来て欲しいから、やってるんです!」「いやぁ、まいりました!」という会話をした。

印象を与える、店を入って目の前の野菜のコーナー。まさか、他の店では298円で売っているキャベルまるまる一つがこの値段!そうした驚きが、お店を印象付ける。なるほど、otononeも学ばなくちゃなぁ、ということでさっそくホームページを変えた。印象をもってもらう、スーパーで買い物に来る人には値段で。otononeは?と考えて、「あなたの参考書はあなたのよき友ですか」みたいな見出しをつけることにした。

気がつこうとおもったら、日常生活のなかにいろんなきっかけがある。受験生は試験の時、そんなドラマチックなことを考えてはいられないだろう。だから受験勉強をしているときは、とびっきりドラマチックに、ドキドキしたらいいとおもう。そういう参考書を、otononeでは使っています。

受験物理は実用的か

物理の問題集に「良問の風」というものがある。
本当に良問で、頭がよろこぶ問題集だ。ところで。

ヘリウム入りの風船をつくろうと思ったところ、ふと、「そういえば夏だし膨張したら破けるんじゃないか」とおもって膨張率など調べてみた。どうやら熱伝導率が空気よりも大きいらしい。肝心の膨張率だが、果たして計算できるだろうか。よくわからない。風船売りの人は経験則でヘリウムを入れているだろう。風船にLEDを入れたらさぞおもしろいだろうとおもって調べたら、ボタン電池二つで光るそうだ。LEDが光るのに必要な電圧っていくつ?調べてみた。

電気回路も同じだ。どんなに計算ができても、実際に回路がどう動くかは、「予測できない」が電子回路に携わる人の常識だ。いや、単純なものは予測できるよ。ところで風船。夜になったらLEDで光らせようとおもって、調べると・・・赤色のLEDは必要な電圧が低くつくってあるから、白色LEDと同じ電源・電池は使えないということ。もし赤色を使いたいなら、抵抗をはさむしかない。抵抗の値は?あの有名なオームの法則で計算できる。

家の中にマルチタップがある。マルチタップが耐えられる電流の値があるということを、大学卒業後に知った。つまりタップにコンセントをつないでいろんな電気製品を使うと、マルチタップが耐えられる電流を超えてしまうかもしれない。すると、タップが壊れる。もしくは発火するか。。。。どんなに受験勉強をしていても、日常のなかにある物理現象の輪郭しかつかめない。受験物理は実用的ではない。実践のなかで学んでいくことの方が、たくさんあると、私はおもう。だから、もう簡単にあっさりと受験は終わらせて、はやいところ実用の世界、本当に感動する、おもしろい世界に入っていくといい、と、私はおもう。電気の世界も、分子の世界も、本当に繊細で、一人の人間のような微妙な暮らし方をしている。

ところで「良問の風」は、問題に書かれた現象をみて、何の法則がその現象に働いているかを問われている。いくつかの法則が一つの現象に含まれることもある。現象を見て、法則に気がつく、法則をひとつひとつあつかっていく、現象を、時間を追って、ひとつづつみていく。物理の学習の第二段階だ。