定期テスト対策をしないと言い張って来たが。

オトノネは定期テスト対策をしたくないとおもっていた。
だって実力とは関係ないもの。
短期対策の癖がついて、高校生になってから苦労するのは子どもたちだ。

だけど定期テスト対策をして点数をとることが内申点につながる。

富山県の人たちの視点で教育を考えなかったら、私は一体何をやっているのだろう?観客のいない一人芝居のように感じてしまう。

定期テスト対策で子どもをあくせくさせたくないという私の気持ちは、おせっかいなのだろうか。
高校生になっても使える学力をつけてもらいという気持ちは、独りよがりだろうか。

高校生になってから勉強で困る子どもをたくさん見てきた。
理由ははっきりしているのではないだろうか。
異常なまでの中学校の定期テスト対策だ。

学校は子どもの人生になんの責任もとらない。
お父さん、お母さんが良識をもって子どもを守ってほしい。
学校を信じず、子どものもっているチカラを信じてほしい。

という私の気持ちは独りよがりなのだろうか。
要望に応えて、定期テスト対策で点数を上げようか。
それで高岡のお母さんたちを安心させるための塾をやろうか。

私の信念はなんだったか、問い直している。

オトノネどうしよう

オトノネさんは生徒が来なくて困って居ます。

高校生にアンケートをとっているのですが、
金沢の桜丘高校のみんなの反応がよすぎる。

このページです
https://otonone.com/html/new/questionnaire.html

富山県の高校生からは「どうしたら効率的になりますか?」といった質問が多い。
うーん、勉強のことしか頭にないのかな・・・大丈夫?

富山、高岡のみなさん、オトノネはみなさんのお役に立てませんか?

今日の面談

今日じゃないけど。。

「あのページ」をみて来てくれたお父さんとお母さん。
このページ
https://otonone.com/toyama/index.html

「勉強しなさい」がくちぐせになって、けどそれ子どもが勉強をするわけでもない。
「勉強しなさい」と言ったとたんに表情が変わる。。。

親と子、の関わり合いだけではこのまま何も変わらないとおもって、相談に来た、という話だった。

その子はスポーツに夢中だという。

学校という閉じた世界で楽しめるものは少ない。部活か、お喋りだ。
勉強を楽しめる人はめったにいない。

学校は卒業したらそれで終わり。なんの責任もない。
そんなシステムだからこそ、家庭で世の中のこと、生き方のこと、価値観を伝えなくちゃならない。

お父さん、お母さんが、生き方でそれらを示さなくてはいけない。
とおもっている。

と同時に、時代が変わって、子供は時代に敏感に反応するけれど、大人は昔の世界、限られた情報の中で子どもに「べんきょうしなさい」と言葉をかけるしかないという社会がある。だからこそ専門家、価値観をもって子どもと関われる人に、子どもを教育してもらう、関わってもらう、学んでもらうことが大切だとおもっている。

家庭は、ストレス社会に生きる子どもが安心できる場所であってほしいとおもう。
子どもが大人にたくさんのことを教えてくれる。
大人は子どもからいろんなことを教わっていったらいいとおもう。

私もいつも、子どもからたくさん教わっている。

なぜ勉強しなくちゃいけないか

勉強する必要はありませんが、。

勉強して、大学に行くことは、一人暮らしをする口実になります。

大学に行かなくてもいい人生は歩めます。
いつでも大学に入り直しても構わないでしょう。
高校は予備校です。
高校は中学校第二部です。

大学は、人生を変えたい人のためにあるとおもっています。
親から離れて、一人暮らしをしなければわからない、地域を超えて人と出会わなければわからない世界があります。
もちろん、それは別に大学でなくてもいいものですよ。

念のため。。。。

人によっては、大学に行くことで何かいいことがあるとおもっているでしょう。
「私はあそこの有名大学でた」と喋ったら、どんなやつだろうと興味をもたれるかもしれません。
人に会った時にね。

けど結局、名前と人の魅力は関係ないです。
大学名を先に出さないと関係が作れない人になりたいですか?

自信をつけるために進学高校に行く、有名大学にいくのはいいでしょう。
ではその自信を、何につかうか。

こうした問いをもてない人が、東大医学部を出て自殺をしてしまう現実がある。

ネームバリューがものいう世界があります。
今オトノネをしていますが、多くの人から「学歴も信用のうち」といわれて困って居ます。
そういうお母さんが。子供に学歴を求めるケースが多々あるからです。

もうオトノネは塾をやめようとおもいます。オトノネ始めます。

子供が学校に行く意味

小学生、中学生、高校生が学校に行くことにあまりいい思いを抱いていなかった。
学校で学べることは社会性でなく集団性であると言ってきた。

そこに肯定的な意味をみつけられたのでメモしておく。

学校は子どもたちが人生観を作る場所だ。人生観を問い、多くのことを疑問に思い、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」「なんで先生はあんなことをいうの?」とか、友達との付き合い方も。

だから学校という職場で起こった出来事をイベントと考えて、大人として、その子が「社会」とどう付き合って言ったらよいかおやから学ぶこと。
それが学校に行く意味だ。
学校以外に生きる場所を失った子どもたちの宿命に、お父さんお母さんはどう関わりますか?

学校に行くことでお父さん、お母さんが子どもに知恵や価値観を与えたり、育てたてることができる。
この点からも、お父さんお母さんが学校と一緒になって成績のことを言うことがいいことだとは思えない。

子どもが学校で学ぶ以上に、お父さんお母さんが現代という時代、学校という場所について価値観をもっていなくてはいけないのではないだろうか。
(子どもはなんだかんだいって親の背中を見て育つ、お父さんお母さんが輝いていたら、子どもも輝く、かもしれない???)

逆に考えてもいい。
新しい時代が始まっている。社会は変わっている。
子育てを通じて、お父さんお母さんが「現代」を学ぶいい機会でもある。

お互いに学べる親子関係、なんて素敵なんだろう!

定時制高校のススメ。え?進学校は1日2時間余分授業うけなきゃいけない!?

高校を作ろうと、いろいろ聞いていたら、「定時制でもいいのではないか」とおもいました。
え?どうしてかって?

高校を卒業するのに必要な単位数は三年間で74単位です。

それがなぜか、進学高校の全日制では三年間で102単位以上を取らなくては卒業できないことがほとんどです。
つまり3年間で28単位多い。1年間で9単位多い!

9単位というのは一週間に9回、授業が多いということです。
大まかにいってしまえば、全日制は定時制より1日2時間、授業が多い。行事もないので体感的にはもっと増えます。
もちろん補習などに参加しようものなら・・・

(それに、受験とは関係のない科目も勉強させられます。時間を大切に!)

大検はテストだから面倒だけど、公立・通信制・単位制なら大事な時間を別のことに使えます。
高校生活をどうやって過ごしたいか、一度、流されずに、立ち止まって考えるのもいいでしょう。

進学高校が朝から晩まで勉強してあの合格実績なら、鬱になるひともでてきて当然だとおもえる。
そんなにたくさん勉強しているのにうまくいかないなんて、人生のトラウマに、十分なりえる。

中学校の延長で友達と楽しんだり部活に勤しむ高校生活もあるが、いろいろな価値観の人と学ぶのもいい経験になる。と、おもう。

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高校に入って、なんかちがうなとおもったら、単位を認めてくれる定時制高校に移動することも考えてみるといいかもしれない。

小学生の教科書を見て愕然とする。

今日たまたま小学校の教科書をみる機会があった。

そして驚いたことに。

「会話」がない。
ほとんどが「地」の文、つまり状況説明の文章。

会話に慣れ親しんで小学生になって、初めて読むのが、説明文?????

ーーーー

昔は民話や伝説を囲炉裏のそばでおばあちゃんやお母さんから何度もなんども聴きながら過ごした時代があった。
そういった「話す文化・聞く文化」がなくなった今、子どもがまず「じっとして話を聞く」ことが困難だ。

小学校に入る以前にこの状態になっていないと、辛い。
子どもが辛いのではないかとおもう。

「話し方・聴き方」のモデルになるお母さんや友達とのコミュニケーションができているのだろうか。
テレビのナレーションのような「地」の文章をいきなり読まなくてはいけない。。。

はながさいた。
きれいなはなが。

みたいな。

外国語は会話から入るのに、国語は会話から入らない、というのは謎だ。
国語力がないないと問題になっているようだが、教科書を変えるだけでだいぶ良くなるのではないか。

会話の中にこそ、感情があり、人間らしさがある。と私はおもっている。

あー!びっくりした!

集中して勉強するためには?

この言葉をよく聞く。

いろんな答え方ができるが。

よくあるのは

集中するのに値する勉強ではないから集中できないこと。

その勉強を、課題をする意味をわかっているのか。
それがあなたにとってどれだけ大切で、なぜ大切で、その課題をすることで何がどのように成長できるのか。
課題が終わった後にどこにたどり着いているのか。
目標は何なのか。

課題は適切か。
やり方を間違っていないか。
課題をする目標をひとつひとつすべて言えるか。

集中していない大きな原因は「勉強をやらされているから」だ。
とてもシンプル。

現代文で要約の練習をする。

すると、回路図のような図が現れる。
書き方もいろいろあって、物理で回路図をやったことを思い出して笑う。
「センター試験に回路図の問題でました!先生とやったの思い出して解けました!」
という報告を今更うける。

うれしいものだ。

現代文で回路図をつかう。

さておき。

小論文の試験では要約をして考えを書くような二段構えになっていることが多い。
要約をするには、全体像を知ることが必要だ。
作者一人ひとり違う癖を見抜いて、何が大切か、骨子をつかむこと。

文章によっては、教養、文章以前に作者が想定している読者のレベルの基礎知識をもっていないと厳しいことがある。
文章の中には書かれていない、それは知っているという前提で表現されたものがあると、読めなくなって困る。

そういうときは、その文章はなかったことにする、とか、、、
作者も伝えようとしていろいろな比喩をだすわけだが、その比喩を読み取れないと辛い。

幸い、現代文の練習ではないから小論文を読むための要約の練習として文章を一緒に読んでいった。
鈴木大拙の文章。

読めば読むほど、文章というのは、不思議な織物なのだとおもう。

今日発見したこと。
小論文で、もしくは現代文で出される文章には二つのタイプがあって、「物の見方考え方・観点・認識」を与える文章と、「主張・提案」を述べるタイプの文章。
「主張・提案」タイプの文章でも、主張・提案に行き着くまでにいろんな考えや事実、根拠を出すだろう。

作者もどちらかのタイプを好んで書くような気がする。
ある作者は新しい視点でものを考える仕方を書いたり。
ある作者は、現代のいろんな現象を分析して提案してみたり。

けど2つはやっぱり繋がっていて、結局は読者がその文章を読んで何を学ぶか、何を考えるかが大切なのだろう。
それを主体的、主観的に書き留めるのが小論文だ。

「作者の話題にしていることがわかった。その話題について作者がどう考えているか、視点もわかった。私の視点はこうだ。」
というのが、小論文だ。