思春期が一つのテーマになっているオトノネさんの気にしていること。

動物にも思春期ってあるんだろうか…

発情期はあるよね。

「物思いにふける犬」とかシュールだな。
いいね。絵になる。

人の思春期っていつまで?

死ぬまで思春期!
ドキドキ!

おとのねさんも思春期なんでしょうか。
すったもんだしたり、いろんな人に出会ったり、なんだかんだやったり。挑戦したり。
いつまでも思春期でありたいとおもっています。

だけど、早く大人になりたいともおもっています。

最近、ブログ書きまくっているせいか、問い合わせが増えています。
思春期の先輩として、いろんな子どもたちに出会えたらとおもいます。

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キーワードを手に入れたら、どんどん出てくる新しい世界の人たち!

平川理恵
広島

と検索して、このページをみつけた。
広島県が目指す「主体的な学び」とは

このページの下にある「編集部おすすめの関連記事」がおもしろい。

「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらない
親の言うことばかり聞く子どもには危機感を持ったほうがいい
教育委員会の都合は最後に考えよう
社会に出たら、何もかも指示されるなんてことはない
「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている

変わってきている。
それでも変わらない学校もある。

今まで沈黙していた人が動き始めている。
きっかけをくれた人がいる。

お父さん、お母さん、自信を持って、新しい時代に子どもを送ってあげても大丈夫ですよ。
助けてくれる人が、たくさんいますよ。

ホリエモン、藤原和弘、その他(ごめんなさいたくさんいるから…)

新しい世界、新しい時代。
そこで思い出したこの本。
新世界

この本は、西野 亮廣という特殊な人間の目線で書かれているので自分の世界観と摩擦を起こすくらい度肝を抜かれる。
けど今までは想像もできないことが、世の中では起きている。起こりうるということを知るには、役に立つ本だとおもう。

FBやツイッターをみるだけでも、新しい世界観をもった人の記事に出会える時代になりました。
情報はあります!

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子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てるのが教育。

託児所で学んだこと。

10ヶ月の子。

離乳食を口の中にスプーンで入れてもらった後に、指を口の中に入れる癖がある。
そこで保育士の先生。

指を口の中に入れる癖はよろしくない、それは癖になる。
ということで、「大丈夫、口の中に入っているよ」と言って口に入れた指を手でどかす。
けどそれが何回も続くので、口に入れるスプーンをもっていく場所が悪いのか、という仮説を建てたその先生は、場所を変えて食べ物をあげて見た。
それでも、やっぱり指を入れる。ん?となって、また次の時に、どうして指を入れたがるのか、その先生は解明するだろう。

ーーーーーー

子どもは小さい時、「泣いて勝とうとする」という。

泣いたら、何かしてもらえる、という癖をそのまま、2歳までもっていくと、いわゆる「魔の2歳」と呼ばれるのではないかと僕はおもっている。
泣くという行為(泣いたらなんとかしてくれる!)が、逃げ回ったり、手を出したりする行動(暴れたらなんとかしてくれる!)になるのではないか。

今度先生に聞いてみよう。。。

ーーーーー

小さい頃から濃い味に慣れてしまった子どもは、薄い味を食べられなくなる。
今時の小学生の給食で好まれるのは「ラーメンと唐揚げ」だという。仕事帰りのお父さんとおなじメニューじゃん。
いやいや、伝家の宝刀、カレーはもちろん。人気だそうです。(最近出会った栄養士さんの話)

どんな食生活をしているのか。
癖はなかなかなおらない。
いや、いつでも直せる。

直すための環境が揃えば。
自我が発達していれば。
自分で「あれ?」とおもうか、環境がそうさせるか。

だから離乳食のときに、食べ物を噛んで味わえるようになった時に、いろんな味を、歯ごたえを経験させることが大切だと、先生は言っていた。
その後、好き嫌いがでてきても、大人になってから、必ず、その味に、食材に、出会えるきっかけがある、とのことだ。

学校でも、いろんな先生に出会うだろう。
嫌いな食材を食べさせられることでまいってしまう子もいる。
今は、その子には、その食べ物は、人間関係は無理なのだ。

今は。

大人になってから、苦手な人とであったときに、自分なりに関係を作っていけるようになる。
僕自身がそうだったから、子どももきっとうそうなると信じている。
人は成長し続ける。

ーーーーー

「泣いて勝つ」というコミュニケーションの作戦を子どもはとろうとする。
乳児期に、離乳食の前までにそれを覚え、使い続けようとする。
けどいつまでもそれじゃダメだと、「教える」ことは大切だろう。

「待たせる」こともあっていい。
ぜひ、待ってもらおう。
待って入ればちゃんと助けてもらえる、眼差しをくれる、暖かさをくれることを「教えて」あげよう。
待つことは、大切なメタスキルだ。発達の課題だ。
待つという経験を、赤ちゃんの時からさせてみよう。
大丈夫だ、待たせても、死なないから。

たぶんそういうことなんじゃないか。

頭だけで考えてみれば、人見知りをするくらいになったら、十分、待たせてもいい気がする。
またはいはいができるようになったら、十分待たせてもいい気がする。

「魔の2歳児」が本当にあるかどうかわからないが(今度先生に聞いてみよう)、関わり方一つで、「教える」ことを意図することで、子どもは順序よく、無理なく発達していく。子どもという一つの宇宙が育っていくための、子どもというひとつの自然がシステムを作り出すための、必要な種を渡していく。そんなイメージだろう。

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種を蒔いていく、蒔かれた種を育てていくはずの学校で、子どもの大地が、子どもの泉が、子どもの森がまるで「公害」のように汚染され、傷つけられていくことがある。もしくは、全く種がお世話されないか。子どもは泣くだろうか。暴れるだろうか。「学校に行きたくない」というだろうか。お父さんお母さんが子どものメッセージを受け取って、守ってあげることが親としての責任なのだろうか。

お金のための仕事をしなくてはならないお母さんがたくさんいる。
今しかできない、子どもを育てるという仕事と両立できるんだろうか。

昔だったら、「おしん」の時代なら、小学生といえば、もう立派に仕事をして、働ける年齢。
大人が水をやり過ぎたり、日光を当て過ぎたりして種をダメにしてしまっていないか。
(そんなこといったら何をしていいかわからなくなってお母さんは不安になってしまうかもしれないが)

けど今の小学生は、、、学校以外に行き場がない子が多い。
学校は、この意味で、牢獄だ。

子どものための社会資源が足りない気がする。
子どもの自然を守り、小学校に上がる前に蒔かれた種が育つための環境が、整っていない。

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最近、安い納豆についているタレを使わずに、家にある醤油をかけて食べたら。
納豆がすっぱかった。
納豆の味は納豆のタレの味だったわけだ(それからちょっと高い「ちゃんとした」納豆を食べることにした)

安いものはいくらでも出回っている。
オトノネは、やっぱりちょっと高くていいとおもう。
じゃないとオトノネさん過労死します。

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ある種の行為が癖になると、それで神経が作られるようになる。
その神経を作り変えていくだけの、自然な、多様な人間に出会う機会に恵まれた子どもは、しあわせだ。

多様性の中に、おとのねがあってもいい。

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小学校もサバイバルな件。

最近、オトノネに面談に来てくれた小学生。
「針時計が読めない」ということ。学校のプリントもできない。
算数自体が弱いという。

本人はあっけらかん!としている(見事!親指ピアノに興味もってくれたし)が、お母さんが心配している。
「スローラーナー」、ゆっくりその子のペースで学習するだけでわかるケースだと僕はおもった。
けど学校ではその子に合わせてくれない。違法です。

学校でやらされている宿題、課題、プリントを見せてもらった。そして教科書も。
小学生にも毎日のように宿題(課題)が課されている。信じられない。
これだから、高校になってもみんな課題をやらなかったら不安になったり、定期テストに追われるのかな?宿題は「やらせない」方がいい。(勝手にやるならそれはそれで!)
そして「学年×10+10分」の家庭学習を「強くお願い」されているそうだ。
家庭は家庭で教育することがあるんですが。

そしてそのプリントのわかりにくいことといったら。。。
全て噛み砕いて、分析的に、誰にでもわかるように、導くという姿勢がみえるのはわかるが、あまりにも「観念的」すぎるという印象だ。
そして、「演習」が多すぎる。高校で「演習」ばかりさせて教えないのと同じ現象が、小学校でも起きているとわかった。

これ、困っている小学生、たくさんいるんじゃない?

図形、単位、計算でつまずいていても、どんどん先に進む。
遅れを取りもどす、といっても、そもそもスローラーンなので、「ほとんど取り戻すとか期待できない」状況で「もっと頑張りましょう」という先生。

しょうがない。だって教育にお金も人もかけていないのが、富山県・石川県なのだから。
いや、工夫はできるんだけどね。工夫もしないのね。オトノネにきたら、いろんな授業のアイデアだしますよ。けど、そもそもの心が、学ぶ準備ができていない先生が多いような気がする。

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと1

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと3

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時計をみなくても生活できる。
学校では鐘がなる。誰かについていけばいい。

うーん。

いろいろ話をしながら、「お昼休みが始まる時刻」「長休みが始まる時間」がわからないことがわかった。
けど、「もう7時30分だよ!」と家でお母さんから言われているおかげで朝家を出る時刻はわかっていた。
針が読めることよりも、まずは時間を生活の中に取り入れる、意識化する、言語化するプロセスを、家庭で増やすのはどうだろう。とお母さんには話をした。(仕事で忙しく、大変なようだが。。仕事!お母さんの子育てという大切な仕事は!?)学校では「演習」をさせられて気が滅入って嫌いになってしまう。時計が嫌いになってしまう。僕は精神的暴力、学校の法律違反、犯罪だとおもう。はっきり言っておく。だって、子どもの命を守りたいもの。

「じゃぁ、あと60秒数えたら、◯◯しようか」ということでもいい。
一緒にご飯を作る時に、砂時計を一緒に眺めてもいい。「これが5分だよ」。
そういう家庭教育、家庭での経験がなければ、小学校をサバイバルすることが難しくなる、そういう子もいる。

僕が働いている保育所では針時計の「6」のところにアンパンマンが貼ってあって、子どもも時計を見るようなやりとりを大人としている。保育の中でも「まだあそびたいの?でもこのあと◯◯だから、何時になったら片付けはじめようね」というように。

けど針時計読めなくても行きていけるのも事実だけどね!
小学校が終われば、時計の針を読む「問題」も出てこないのではないか。でてくる?
大丈夫、大丈夫。死なないから。

そんな時に思い出す。
「ウォッシュレットでなかったらうんちができない子」。
大丈夫、ウォッシュレットがない学校で、これから生活するんだから。

大切なのは、時計の針が読めるようになること以上に、時計の針が読めないという困った状況を通じて、「その子」をみてくれない学校の現状(もう無理なんです)を理解し、社会資源(子育てを助けてくれるいろんな人)を探してこれからの長い、長い、学びの環境を整えていくことだとおもう。

できなかった、
わからなかったことがわかるようになってうれしくない子がいるだろうか。
針時計が読めるようになって、暮らしが豊かになるような、そういう世界を大人として見せてあげたい。

うーん。

富山大学図書館にいって検定教科書をみてみよう。
おそらく、時代が新しくなるにつれ、醜くなっているのではないか。

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難関大学を目指すあなたへのメッセージ

一流の学習者になってください。

課題の海で溺れている、課題の森で迷っているうちは、一流にはなれませんよ。
(実は課題の海で溺れながら、第一志望校にはいけなかったが難関大学に合格した子はいます。課題をやっていなかったら、第一志望校に入っていたことでしょう。まぁ今その子は笑っているからいいでしょう。そういう子もいます。いろいろですから)

目の前に現れる矢継ぎ早の定期テスト、やたらうけさせられる意味不明な進研模試、参加任意と言って強制される土曜模試、与えられた課題をこなすことに心を砕くのは一流の「労働者」であっても、一流の「学習者」ではありませんよ。

学校には学校の都合があります。
一流は、一流なりに都合をつけて生きています。

一流の大学は、「労働者」は求めていません。

AO入試を探してみてください。
あなたは大学に「求められいる」人間ですか?

一流の学習者になってください。
日々、自分にフィードバックして、改善を積み重ね、全力を尽くしてみてください。

「あれ?うまくいかない」とおもってもなお、「労働者」であり続けるなら、そのまま試験に挑んでみてください。

もしかしたら、合格するかもしれません。
大学が求めている人材ではないと、僕はおもうのですが。

「あれ?うまくいかない」とおもえないのも、大学受験の難しさ。
(僕も当時、うまくいっていなかったことに気がつきませんでした)
若さゆえか。

だから僕はオトノネをつくったんですけどね。

大学受験というものは、とてつもない、かけがえのない経験になります。
いろんな人と出会って、助けてもらいながら、突き進んで、早いとこ高校を卒業しましょう。
一番近くで見守ってくれている人へ、感謝の気持ちを抱きながら。

進んでいってほしいとおもいます。

世界で奇跡的に生まれたあなたの命を大事にしてほしいとおもいます。
しあわせを育てられるように。誰かの心をあたためられるように。

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小学生、中学生の心を学校から「守る」という愛で子どもの「命」を守ること。高校になった時に自立すること。自由に生きること。

「自由にさせたい」

ということが一つのキーワードになる。
ひとりひとりが自由に世界をつくっていけば、世の中はもっとおもしろくなるだろう。
では、

子どもに「自由に生きて欲しい」という祈りを届けるための、愛とは何か。

ーーーー

さっき、ドジョウが2匹、死んだ。
正確に言えば蘇生しようとしているのか、死んでいこうとしているのかわからない。
とりあえず、フタをせずに「カルキも抜きたいし、水たっぷりにして泳がせたいし」ということで2匹が今、埃にまみれて瀕死。
奇跡的におとのねさんに食べられることを免れた命。
飼うつもりだった。
生存者は3名

ーーーーー

「自由にさせたい」
けれども、守らなくてはいけない。
何を?命を。

人間なら、僕はもっと別のものを大切にしてほしいと思っている。
心だ。

命、といってもいい。

その人が生まれて来て、燃やせるもの。
他の人にも与えられる炎。

で。

「自由」がうまく働かない場合がある。
自由は条件付きだ。
「みんなで一緒」で小学校・中学校を過ごした子どもたちが、高校になって、「みんなで一緒」になって、本気をだせずにいる。
「個別化」されるべき進路を「課題」に阻まれている。
3年間を学校で「みんなで一緒」のわけのわからない課題に耐え、終わる。
それがお父さんお母さんの望んだ「自由」の結果だろうか。

(学校変えるか、課題や定期テストを拒否するだけでいいのに…それは困難なのだろう)

それで、子どもは、「殺された」と言えないか。
お母さん、お父さんが「自由だ」といって子どもの大切な心を、命を殺していないか。
おとのねさんも「自由だ」といって子どもの心を殺してはいないか。

そこはおとのねさん、実にドライだ。
「もう育ってしまった。もう思春期を超えた。あとは、今あるものでやっていくしかない。もう高校生になったなら、痛みがなければ、変わらない」
発達課題を、思春期の意味を僕はそのように理解している。
入試が終わった後で、希望しない大学に入学した後で、大切なことに気がつけばいい。

ーーーーーーー

「自由」を大切にすることはいいことだとおもう。
ただそれで「自由」を発揮するチカラを育てられているか。
「自由」にすることで「不自由」になっていないか。

「教えてはいけないこと」と「教えるべきこと」をはっきりさせているか。

「みんな一緒」から子どもを守ることがお父さんお母さんの役割ではないのか。
学校で「みんな一緒」の価値観で育った心が「自由」を発揮する、「個性」を生かすチカラを発揮することができるだろうか。
障害にならないか。

学校という環境がつくる心から、子どもの命を守ることが大事ではないのか。
それほど学校の先生は、学校というシステムのなかで生き延びることに精一杯なことが多い。
(一部の先生が生徒の心に大きな負担をかけることも往往にしてある)

ーーーー

もし本当に「自由」を、「その子らしさ」を育てるなら、学校から子どもの心を「守る」ような関わり合いをしなくてはいけないのではないか。
小学生・中学生の発達の課題は、「個別化」ではないのか。
それは学校から「自立」することも意味するだろうとおもう。

「先生、いろいろ大変だね。まぁ、私は私でやっていくよ」という目線。

心を圧迫してくるあらゆる言葉、振る舞い(時として脅迫や精神的苦痛といういじめに相当するものが公然と教育の名で行われることもある)から自立すること。僕がよくDVをDVだと思わないお母さんの話をするが、それの学校バージョンだ。毒親の支配から逃げられない子どもに例えてもいい。

小学校、中学校の発達の課題には学校からの「自立」がある。
だからこれを意識して就学以前から、低学年から関わりあうこと。
小学校になってからも、「自立」できるように子どもの心を守ること。

ーーーー

テストの点数が悪くてもいいよ!とはいっていない。
学校という環境の中で、「その子」をみつけて、どうしたら「その子」が「その子」として自立できるか、かけがえのない命を燃やせるのか、他の誰かを照らす炎になるのか。見て、守ってあげることが大事だとおもう。(場合によっては、学校がいうことなど気にしなくていいと、言えるだろうか)

ーーーーー

子どもを「守る」ために課題をやらせ、テストの点数をあげさせようとするお父さんお母さんの心はわかる。
ドジョウを2匹、自由にして殺してしまった気持ちだ。

「自由」になるために「檻に入れる」のだ。

ーーーーー

勉強「させる」、習い事を「させる」のは悪いこととは限らない。
ただ発達の過程で刷り込まれた神経は残るということは知恵として知っておいて欲しいとおもう。

小さな子どもの「気を引き締める」「ケジメをつけさせる」のも同じだ。
その一挙手一投足が、子どもの心をつくる。神経を作り上げる。

ーーーーーー

命を守るとはどういうことだろう。
僕は生まれて来た命にかける願いを、祈りを、言葉で、仕草で、振る舞いで子どもにかけたい。
小学生・中学生の発達の課題は、「個別化」ではないのか。
そして高校生になったときに、本当の自分を社会にプロデュースするという課題に、向き合えるように。
そのための基礎が「自立」する心であって、これはつねに自分という物差しで、自分の心で世界をみる行い(自分が自分のことを語るという単純なこと)の繰り返しで強められる。

小学校、中学校で「みんな一緒」の「定期テストに追われる」、「学校の先生が怖くて従う」、「友達の視線が気になる」神経を作り上げる学校の環境から子どもを守ることが、「自由」のために教えなくてはいけないことではないのだろうか。命を、殺さないために。

小学校、中学校で「死にに行く」ことを覚えた体は、高校になってから「個別化」を拒むだろう。「自立」することが難しくなるだろう。
身体は記憶する。
気持ちとか、精神論とか、正論は関係ない。
わかっちゃいるけど、、
先生に頭ごなしに否定されると体がすくんで、心の元気がなくなる。
身体は記憶する。
心理学の一般書のコーナーにいけば、すぐにでも手に入る真実だ。

ーーーーーーーー

別に課題をしなくてもいい。
勉強しなくてもいい。
本気になれることさえあるなら。
それが個別化だ。

勉強ができなくても、しあわせを育てている人を、僕はたくさん知っている。
勉強ができても、しあわせそうではない人も、僕はたくさん知っている。

ーーーーー

自由にさせて、小学校・中学校で心をすり減らしていないだろうか。
「みんな一緒」を神経に、体に刷り込まれていないだろうか。
それは僕には、発達障害のようにもおもえる。「え?まだ学校から自立できていないの?」

子どもの命を殺していないだろうか。

知恵をもって、仕草をもって、愛のある言葉をもって、子どもと関わりたい。

(ブログの記事)
愛とはなにか?

そうして僕は、ドジョウを入れたボールにラップをかけた。

ボールの外から飛び出して「死ぬ」のは自由。
けどそれは、言い方を変えれば僕がラップをかけずに「殺した」ことにもなる。

小さな赤ん坊が、歩き始めた時、わけもわからず車道に出ようとするのを引き止めるように、学校から子どもを守ることも、命を守ることになるのではないかと、僕はおもっている。それほど学校は、生徒たちの心をすり減らしている。子どもたちは、笑いながら、「自由」であり続ける。

僕は子どもたちに、どんな祈りの言葉をかけよう。

小学校、中学校の発達の課題は学校からの「自立」と「個別化」だとおもう。
学校は利用するのであって、機会は「与えられている」のであって、「従わなければならない」法はない。

教育基本法 第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

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ついに解明?物理がわからない、理由。

自称進学校で物理でお悩みのみなさん。

お待たせしました。
なぜみなさんが物理がわからないかわかりました。
「やるべき順序でやるべき学びをしていない」という当たり前のことでした。

理由1:数1A2Bが終わっていないのに物理をやらされている。
数学的な道具を持たずして速度とかベクトルだとか角度とかやるから、頭がこんがらがる。(矢印が出てこない参考書はない)
理由2:学校が使わせる参考書でろくな解説をしてくれていない。
理由3:「問題の解き方」を教わるだけで「物理」を学んでいない。(体系的に学べない)

人によって、理由は違うと思いますが。
最近オトノネに来てくれた自称進学校の生徒が物理に悩んでいる理由は上の通りでした。

自称進学校の生徒が面談に来てくれて、判明したことです。

ちなみに、「中学校の間は、物理が得意だった」そうです。

今度、課程表みて、一年生から物理やっている学校のリストアップをしてみましょう。
理系の人は、その学校を避けるといいとおもいます。
(けど最近ブログにする記事が溜まっていて、しんどいです。誰か調べて教えてください)

進学校に行って意味不明な課題をやるくらいなら、定時制に行って、塾できちんと教わったらいいとおもいます。
学校に足を引っ張られたまま合格できるほど、難関大学に合格することは簡単ではないのですよー。
「みんなと一緒」に慣れてしまっていて、抜け出せそうにないなら。
小学校・中学校で身についてしまった「定期テスト」に反応する敏感な神経を取り除けるかどうか。

と、オトノネは考えています。

いや、定期テストもやる!難関大も合格する!というなら、僕はそれもありだとおもう。
やってみてほしい。ただ、僕はそのパタンで合格した人を一人もみたことがない。ただの一人も・・・
でも可能性はゼロじゃない。
君は君だけのストーリーをもっていていい。
自分の受験であって、僕の受験ではないから。
自分の人生、思い切って、やってみてほしい。
本気をみせてほしい。

誰もが自分の条件のなかで暮らしているから。
自分が決めたルールで受験をしたらいい。
自分でルールを決められるのだから、きっと素晴らしい受験になるだろう。
実りのある受験という経験をしてほしい。

本気で難関大学に合格するなら、引っ張られている足をどうするか、心が大事だと、オトノネは考えています。
定期テストのために生きるか、受験勉強に生きるか。あれか、これかを選ばないといけないのが、難関大学。
難関大学に行く人は、そもそも定期テストのための勉強などしていないと僕はおもうのだが。いかがだろうか。

定期テストの結果と
受験の結果のデータが欲しいんだけど、だれかくれないかな?

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公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費を概算して気が付いたこと1

最近情報が大量に入ってきて処理しきれていないおとのねさん。

夜更かしして記事を書く。。。もう掘っても掘ってもこんなことしか出てこないからもう情報発信しなくていいかなとおもってしまうくらい、でるわでるわ。おとのねさん、堕落中。

校基本調査 平成28年度 初等中等教育機関・専修学校・各種学校《報告書掲載集計》 学校調査・学校通信教育調査(高等学校) 総括

ちょっと古い2016年のデータです。

何をしたいかというと、公立高校が高校生ひとりにかけている税金の概算をしました。

「そういえば、おとのねは授業料で悩んでいるけど、学校はどれくらい取っているのかな?」というのが、疑問でした。

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設備費は含めず、人件費だけで計算。だから、少なめに見積もっている。
正規雇用の教員のボーナスも含め、新卒者を30万とした。とっている人(年も、給料も)は50万。
だから「少なめに見積もって」平均を40万とした(明らかに、若い人が少ないので平均はもっと高いはずだが)
兼務者というのは非常勤講師で月収は少ない。職員(事務室にいる先生)も少なめに計算した。
最近増えているALTの給料がこのデータには入っていない可能性もあるからかなり低めに見積もられる。

教員と職員の違いがわからなかったけど許してください。

あと、文科省がエリートをつくるための予算でHSGとかなんとかよくわからないものをくっつけているので実際は当然もっと高くなります。

で、結果がコレです。
(全国を母集団にしています)

生徒が学校に通う10ヶ月間で月額を計算。
一人当たり。。。
高校生は4万4千円。
中学生は4万円。
小学生は3万5千円。

え???
高校生の方が小学生よりも手厚いの???????
びっくりしました。

人件費以外もだいぶ減ってきているようですね。この記事は2008年で古いものですが。今はもっと減っているのか。「実費」といって、保護者からお金を取るようにしているのか。どうなっているんでしょう。予算が足りなくて家庭からお金を出してもらわないといけないのでしょう。無償化されたのは公立高校の授業料だけなんですね。(どこかの塾みたいに教材費とか設備費とかとるのかな…)
教育委員会から学校に任されるお金=学校配分予算は、小学校の場合、児童一人当たりの金額の水準はこの8年間に25%もカットされてしまい、一人当たり年間8500円となりました。

それにしても。。。

え???
高校生の方が小学生よりも手厚いの???????

高校になってから、選ばれたエリートにお金をかけているのか、とおもってしまいました。
どうしてこうなっているんだろう…

小学校の方を、大切にしてほしいのだが(そうおもうのは僕だけでしょうか)。

そうそう、何かの間違いです。きっと。僕が計算ミスをしたのでしょう。計算間違いに気が付いていないだけだとおもいます!
給料体系が違うのかもしれません。何か僕の知らない世界があるのだとおもいます。。

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「ふつう」という色眼鏡。「ふつう」の3つの意味。

かけてる人!

はい!

外してみてください!

外せますか?

なかなか、外せないですよねぇ…

学校で、外し方、教わりませんでしたか?

教わらないですよねぇ…

お子さんはもう、外しているかもしれませんよ。

メガネを外してみて、
お父さんお母さんが、
お子さんと一緒に風景をみてみたら、何かが起きるでしょうか。

ーーーーーーーー

「ふつう」と違うことが怖いらしい富山県。(だからといって誰も「平均点」以上をねらわない親はいない不思議)

「ふつう」って何だろう?

普通という言葉を英語で表すとnormal とかordinaryとかcommonとか。
normalはノルマという言葉があるように、規格に合う、正常なという意味。
けどordinaryはorderつまり秩序の中にあるという意味(これを順番と訳すと話が少しおかしくなる)。
commonはcom、共通しているという意味。

はい、英語の勉強です。

あなたの「ふつう」はどれですか?

「学校の成績」は「ふつう」でなくちゃだめですか?
その子の今のままの「ふつう」ではだめですか?

どんな「ふつう」がいいですか?
「ふつう」を望まれているせいで、お子さんは苦しんでいませんか?

そもそも、学校の成績の出し方によれば、平均点以外の子どもは「ふつう」ではなくなる現実がありますが。

オトノネひろげるシェアぼたん

義務教育学校の本当の意味とエリート社会と堕落と、子育ての2つの考え方。残酷な考え方。

僕自身、大切な考え方が出てきた記事なので、最後まで見てもらえるとうれしいです。

ーーーーーーーー

こんな記事を見つけた。

知ったかぶりでは許されない「学校のリアル」

気持ちがいいくらいはっきり書いてくれているなぁ。

公立学校は壊れている。
もう壊れている。
と認めてから、新しいことをはじめる時期にすでに入っているのではないか。

上のリンクからウェブサイトを見てくれましたか?
学校は、そういう場所です。
そういう大人たちがいる場所です。(悪口ではないですよ。事実です。もちろん、全ての学校がそうであるわけではありませんが)

学校は、基本、困難な場所です。
子どもがサバイバルする場所です。
僕にはそう見えます。(もちろん、そうでない学校もありますが!もちろん!)

気になったところにコメントを。

ーーーーーーー

「3割のエリート」と「7割の非正規」を育てる、それが日本の教育の実態

富山県、石川県の進学校の進学実績とかぶっていて笑えてしまった。
この3割に入ることを目標にしている「学歴社会から抜け出せない親たち」がいる。

「学校で英語が始まったから英語の塾に通わせる」というお父さん、お母さんがいるとしたら、少し考えてみてほしい。
(習い事をさせることでワルイことが起きる可能性も、オトノネのブログを見てくれているなら、ご存知ですね?)

そうでなければ「「子どものため」のようで、経済界に影響されているだけの日本の教育」にふりまわされるだろう。
子どもが困らないように‥という親心を、マスコミ(経済界の一番槍)は刺激する。
子どもをマスコミの情報から守るのが、お父さんお母さん、学校の役目だと僕にはおもうのだが。

お父さんお母さんが振り回されていたのでは、もちろん、子どもも振り回されてしまうだろう。

子どもは可能性に満ち溢れている。
だから経済界はそれを狙う。「うちの子は、エリートに…できる子に…」
そのうち何人が、これから8050問題を作り上げていくことになるか。誰にもわからない。

ただ僕はそれを自分自身に課し、やりすぎて、心が壊れた人間だ。

それから「7割の非正規」の人たちと出会って行き、「うちの子は、エリートに…できる子に…困らない子に…普通の子に‥(普通って何?)」の連鎖から離れてしあわせを育てる人の暮らしを知った。(例えば期間限定で猛烈にアルバイトして、貯まったお金で物価の安い国に行き、暮らすことを続けている人。そしていろんな「いいもの」をネットで発信している人がいる。ある意味3割のエリートよりも、たくさんの人を幸せにしている気がする)もちろん、「3割のエリート」組の知り合いもいる。

「7割の非正規」の道を歩んでいた人が、「3割のエリート」コースに移ることもあった。
不確定だ。不確定の、不確実の、摩訶不思議な時代。
雇用されるという発想に縛られるだけでも、子どもの可能性を狭めてしまう、殺してしまうかもしれない時代。

「うちの子は、エリートになるかもしれないし、非正規になるかもしれないけど、どっちでもいいけどしあわせになってほしい」


というお父さんお母さんが増えてくれたら、僕がおじいちゃんになったときの世の中は今よりもおもしろくなるとおもいう。

あ、これですね。大切な考え方ですね。
自画自賛。

「うちの子は、エリートになるかもしれないし、非正規になるかもしれないけど、どっちでもいいけどしあわせになってほしい」

という考え方。(いつもお金に困っているオトノネだけど、困っているからこそいろんな人に巡り会えている気がする。それはそれで、よし!よし!と言い聞かせよう笑エリートでなくてもお金を持っている人もいるし笑)

大切なのは、幸せになることだから。
大切なことと巡り会うことだから。

だからこそオトノネはメタスキルとか、自立とか、心が大事と言っている。

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ところで小学校と中学校をひとつにする義務教育学校が富山県でも増えてくるようだが。
お金と人がいないからまとめるという消極的な意味でとらえるしかなさそうだ。
だって、子どもがすくない地域でしか義務教育学校がつくられる予定がないからだ。

もう教育に、国はお金をかけてはくれない。
無償化という言葉も、ただのアピールだ。(富山県、石川県、地方ではお金持ちが公立に行く。肝心の支援が必要な私立は無償化されていない)

育ちの場として、小中がひとつになることはいいことではあるとおもう。
けどそれが実りのある、人と人が関わり合える場所になるには、やはり大人が意図を持って、意思を持って作り出すしかない。

どうなるかなぁ。

「ああ、もうむり。やっぱり人だ」と動き出している地域もある。
課題先進地から未来の教育の当たり前をつくる雲南市高校魅力化プロジェクト

そのほか、原発で一度壊れた太平洋の北側の地域でも、再生を通じて新しい学校が生まれている。
“ 災害の悲しみを強さへ ”

堕ちることでしか、浮き上がってこれない。
堕ちているのに、守られることで、ちゃんと堕ちることができなくなるほど、不幸なことはない。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない。(坂口安吾の『堕落論』)

今は昔、人々の成人の儀式、通過儀礼と呼ばれているものは、精神的にも、肉体的にも、人間として堕ちる経験だったのかもしれない。
そう考えると、高校受験、課題で潰される経験は、悩ましい高校時代は、非人道的な扱いを受けること(進学校の生徒からでた言葉)は、高校生にとって、世界を作り直すきっかけになる大切なイベントだということができる。

それを助ける大人の存在が、大切なのだ。
そんなおとのねです。

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青森県で漁師をしながらアイヌ民族の研究と三味線の練習に明け暮れていたころ。
親方がこういった(津軽弁忘れた!)。「俺は学校で化学式なんかみた途端に眠くなってしょうがなかったけどな!鯛なんか釣っていろんな人に配って笑ってもらうのが好きなんだな!」もちろん、「漁業組合」という仕組みの中でだいぶ搾取される立場だったのだが。大切なものを守ろうとして、一生懸命に海に出ていた。「3割のエリート」とは何だろうか。「搾取する側」になるということだろうか。

「うちの子は、エリートに…できる子に…困らない子に…普通の子に‥(普通って何?)」

「搾取する側」か「搾取される側」かどちらですか?
「普通」なら、「搾取される側」ですよ。
「困らない子」はIQではなくEQが高い子です。勉強は関係ありません。(エリートの中には困っていない人がいないということでしょうか?)
「エリート」なら、「搾取する側」です。
お子さんはすでに、「できる子」ですよ。

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蛇足!

「3割のエリート」と「7割の非正規」を育てる、それが日本の教育の実態

という言葉を聞いて。

「7割の非正規」になる子が大部分だとしたら、
非正規として生きる子どもたちの物語を、大人たちは嫌がらずに、もっと真面目に作ってみるのもいいのかもしれない。
「勉強ができなかったら、この子はこの時代、どうなるのだろう‥」そんな不安が、お父さんお母さんを不安にさせているのかもしれないから。

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あー、おやすみなさい爆

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