健康が大事。受験の極意は健康から。

健康第一。安全よりも健康。で、集中できないとか、いろんな相談をオトノネは受けるのだが。体が問題を抱えていたら、勉強どころではない。勉強は遊びだ!おもいっきり遊べるように、体をゆるめてあげなくちゃ!というわけで、今日はストレッチの練習をした。

健康とは、病名がついていないことではない。心を、体が支えられているか、応援できているか、体が、心とつながっているか、ということだ。命が燃えている。魂が喜んでいる状態だ。(健全な肉体に・・・という文句は誤訳であることはご存知だろうか。そもそも、健全な肉体に宿った不健康な精神が世の中にはたくさんある。健全さとはなにかはさておき、私にはそうおもう)

姿勢を保てない、どこかに力がかかってすぐに疲れる・・・そんな体でお勉強できるか!本気で遊べるか!受験という経験は、遊びと同じで、自分の能力を最大限に使う経験だ。本気を出せる状態を作り出した人が、いい受験を経験できる。

日本人はあまり呼吸をしない。韓国にいくとみんな目に見えるくらい息を吸ったり履いている。外国人が話すときはジェスチャーをつかったり、体全体で息を巡らせている。インドネシア人は、笑顔で話している。日本人は、太陽神経叢が弱い。。。日本人は、と言ったら誤解があるかもしれない。現代人は。。ストレスに耐えきれずに、体が陰性になっている人がおおい。塾の宿題ができなかったことを僕に話す時、息が詰まったように話す生徒。「学校でもそうなんじゃない?」と聞くと、「そうなんです」と答えてくれる。神経は記憶している。宿題ができなかった理由はさておき、息が詰まっているのがいかにも辛そうだ。仕方がない。。。試しに体を緩める経験を受験時代にしておいてもいいだろうとおもい、やってもらうことにした。

姿勢を変えるということは、肩こりをなくすということは、喋り方を変えるということは、生き方が変わるということで、そう簡単には変わらない。だから一時的なマッサージを受けるだけでなんとかしのぐ人がほとんどだ。けど、すぐに、神経が記憶しているルーチンに戻って、すぐに体がもとにもどる。剥がした筋肉がまたくっつく。

できるだけ、体がゆるまっている時間を、体に味わってもらおう。それを寝る前、毎日、体に、神経に、記憶してもらおう。力をぬくことから、新しい学びがはじまる。息を吐きながら、身体中の緊張を、吐き出そう。さぁ、君は捨てられるか。

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おもちゃも、学校の宿題も、同じ。

だという考え方ができる。

どういうことだ!頭が狂ったか!

いえいえ。おもちゃも学校の宿題も、学びのきっかけをつくるものです。

大人はそれを手助けします。

おもちゃであれば、新しい遊び方をしてみせたり。おもちゃを通じて言葉をかわしたり。学校の宿題であれば、、、、解説してあげたり、計画することについて話したり。人生について語ったり。

で、肝心なのは、おもちゃも、学校の宿題も、子どもとオトナをつなげる環境をつくるということだ。子どもと大人が関わりあう、相互に作用し合う、道具にすぎない。素敵なおもちゃ、高いおもちゃ、高価な教材、魅力的な教材があっても、それを通じて大人との関わり合いができないなら、おもちゃも教材も、「ただの時間つぶし」になってしまう。テレビゲームという道具は、この点、遊び道具としては「積極的に介入できるテレビ番組」ぐらいのものかもしれない。(ただし、ゲームを通じて大人と子どもが仲良くなることは多々ある)

おもちゃも学校の宿題も、大人と子どもの相互作用を補うものだ。そうおもうと、宿題をする時間は、ずっと一人遊び、一緒にいるけど結局バラバラに遊んでいる並行遊びをしているのかもしれない。喜ばしいあそびは心の成長を促す。

遊ぶように、学校の宿題もやってみたらどうだろうか。

4歳の男の子がレゴみたいなもので飛行機みたいな乗り物を作っていた。「どこに行くの?」と聞くと、「わかんない」と答えた。

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失敗は成功のもとという。そうして赤ちゃんは大人になるように。

子供は失敗を許される。

といより、学ぶということは失敗の連続だ。

子供が言葉を覚える時に「言葉の意味を知っている」状態で使い始めるのではない。「言葉の使い方もしらないけど、使い始める」のである。使いながら、「ああ、そうなのね」と自分で修正して行く。「そうやって使うのね」と。

発音も。小さな子は/s/の音をだせずに「しゅいか」とかいう。ある単語では/t/が言えても別の単語では/t/が言えない場合もある。それでも喋る。そして、言葉が正確でなくても伝わるものでコミュニケーションする。使いながら、口を動かしながら、絶えず「次に喋れるようになる音」に向かって喋り続ける。もし言葉が遅れている、としたら、言葉を使う量が少ないのかもしれない。それには失敗をしてもたくさん使って行く意欲を受け取る大人の存在が大切だ。

文を喋れるようになるまでに、子供はその使い方を、日常会話の中で学ぶ。大人の会話を聞きながら学ぶ。この動詞には「てにをは」のどの助詞を使うのかな、とか。これも最初は間違いながら、使ってみて、実際にやってみて、少しずつ「あ、こっちかー」と思いながら、改善をしていく。

「できるようになるまで待つ」のでは、できるようにならない。

できるようになるためには刺激の量が必要だ。あかちゃんは何度も繰り返し、聞き、使い、規則性を発見していく。勝手に覚える、のではない。環境、言葉が、思いやりある眼差しがなければいけない。聞くたびに。だから注意力とか、関心とか、信頼できる人間関係、おもしろいとおもうできごとに心を開くことは、言葉を学ぶ一流の人間としてのあかちゃんの成長を支える、言葉の基礎なのだ。

失敗しないように、転ばないように、鞭を打つ、という生き方がある。それに疲れてしまっている人がいる。鞭を打つのをやめてみよう。「恐れる気持ち」「鞭を打つあなた自身の気持ち」とどう付き合うか。今までずっとそうして生きてきたのだから。。。だから、離れがたい。

失敗してもいい、鞭を打たなくてもいい、正しいと思っていたことをとりあえず保留にして、小さな「悪」をはたらいてもいい。小さな子供をみてみよう。毎日毎日、おおらかに、あそびながら、暮らしながら、失敗を積み重ねて、二本足で立ったり、走ったりできるようになる。成長するための時間を、小さな失敗で埋め続ける。

失敗の仕方も、段階を追っている。いきなり文を話す前にまずいろいろな音を出し、一語で何かを表してコミュニケートする。大人のぐちゃぐちゃした会話から、「使える情報」を抜き出すには、子ども自身がその言葉を使って、その言葉にフォーカスされた情報(反応)をしることが大切だろう。2語文以前にゆたかな言葉の経験があるからこそ、「言葉には規則がある。私は私にできる分だけ、規則を覚えよう。大丈夫だ。私はそれを聞いてきた」というのが赤ちゃんの主張かもしれない。

鞭を自分に振らずに、少しでもゆたかに、暮らしてみたい。

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授業においていかれたら

もしくは、授業が簡単すぎてつまらない、でもいい。

さぁ、どうする!???

それこそ、考えよう!というより、ひらめこう!

原理は簡単。「どうやったら、目の前で淡々と進んでいく無慈悲なこの世界で権威の支配を受けながら私は成長していくか?」である。「ここで眠っておいて生気を養い次の時間に頑張る」のもありだろう。「先生が言っていることがわからないけどとりあえずでてきた公式全部証明してみよう」とか「なんやこの英文簡単だなじゃぁ要約してみるか」とか「この授業が終わるまでにこの英文は暗記しちゃおう」とか「もはや自習しよう」とか「筆ペンでこの初めて見る二字熟語を今の感情を込めて書いてみよう」とか。「先生の回答よくないな。書き直してみよう」とか。

キレーにノートを書くとか意味のないことはやめよう。

自分にとって最適な課題を正しく設定すること。

点滴受けながら集中治療室でゼーゼーいっているような授業の受け方をしている人!いませんかー!つまらない授業(おいていかれた授業)は、ゲームにしてみてください。ルールは自分でかんがる。隠れて内職するゲームでもいい。なんでもいい。大丈夫だ。先生といくら喧嘩しても、出席日数さえあれば留年はしない。留年の手続きが先生にとってとても面倒臭いからだ。

宿題だったところからランダムに生徒に当てて黒板に書かせるスタイルの先生がいた。私は宿題をしていかない(他にやることがあった)。私は授業中、先生に当てられてから、解き始める。そして他の生徒が説いている途中で黒板の前にゆき、書きはじめ、まぁちょっとイライラしてみている先生を横目に見ながら書き終わり。席に戻る。そういうゲームをしていた。

屍(置いていかれた人)を脇目にもせずつきすすむ戦場の兵士(先生という名の隊長と部下という名の生徒)たちの教室で、屍が蘇るのだから、さぞかしみな驚くだろう。驚かしてやってもいい。だって、学校は戦場なのだから。

さぁ、ルールを考えよう!

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勉強をする意味って何?

生きる意味ってなに?という質問くらい、謎めいた質問であって、大抵の大人たちが困る質問です。答え方も人それぞれ。

意味はどうやってできるのでしょうか。サルトルは「人間とは、存在するために、自らを投企する存在」みたいなことを言いました。

実存が本質に先立つとは、この場合何を意味するのか。それは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。(中略)人間はあとになってはじめて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところのものになるのである。このように、人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。

つまり、自分が作り上げた人間が自分だ、意味(本質)は創造されるものだということです。勉強をする意味も、生きる意味も、自分で作らなくてはいけない。それが人間だといいます。キェルケゴールは関係性によって移り変わる本質の姿を描写しました。

「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。 」

学校での勉強、会社での勉強、人間としての勉強、同じ勉強でも意味が変わるかもしれません。大人になってから「ああ、勉強していたらよかった」ということも、世界と自分との関わり方が変わるからです。

結局、「勉強する意味がわからないからやらない」ではいつまでたっても意味などわからないということです。意味がわからないけど、やってみないと、意味はつくられない。それが人間の姿です。とにかく1分でも30秒でも、1個でもやってみる。

私は、高校生が進路に向けて勉強する意味は、利害関係に満ち溢れた「大人たちの世界」と対等に関係を結ぶための、人間として自立するための練習をすることだと思っています。戦場のような場所で「自分と向き合う」「自分を知る」、孤独な営みかもしれません。だからこそ、誰かに支えられながら、前に進んでいって、たくさんのことを学んで、春になって、新しい世界でうんと体を伸ばして、にこやかに、ごくごく自然に、また次の世界に進んでいってほしいとおもっています。

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夢がない、やりたいことがない人へ

大切なことを感じられるような、リッチな暮らしを目指してください。

「リッチネス」という言葉のこと、私も記事にしてきたのでみてみてください(検索できます)。

いろんな人の声を聞いてください。やりたいことがないぶん、他の人を手伝うチカラ、他の人が手伝ってほしいとおもうことを感じるチカラをあなたはもっています。

たくさんのことを感じられるように、あくせくせずに安心して暮らしてみてください(がつがつ稼いでみるのもいいですが)

共感能力、間主観性、人の視点に立てるなら、きっとあなたを必要としている人に、出会っていきます。どんどん進んでいってください。大切なものを、感じられるようになりますよ。

仲間と出会ってください。きっと、誰かが、あなたには見えない、大切なあなたを見つけてくれます。仲間と出会うために、一歩を踏み出してみましょう。

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限られた時間。限られた1日の過ごし方

「効率的な勉強法を教えてください」

「効率化」をするエネルギーをかける値打ちが、その勉強にありますか?

①無駄を省くのが一番です。自分の目標のために勉強をしてください。

学校の目標、会社の目標ではなく、自分の目標のために、です。

②効率的に勉強するためには、効率化するだけの量が必要です。お寿司屋さんがぱぱーっと寿司を効率よく握れるのは、それだけの量を握ってきたからです。

③効率的に勉強するには、時間を増やすことが大切です。スマホをいじっている時間をなくせば効率的になります。自制心はありますか?朝何時に起きていますか?

④効率的に勉強するためには、「改善」し続けないといけません。いつも同じパターンをこなすだけの作業の何を改善しますか?リラックスする時間もいれていますか?力になるご飯を食べていますか?毎日1%の改善をしていくと、1年で37.78倍になります。小さなことでも、些細なことでも改善を重ねると相乗効果でバツバツ変わっていくでしょう。

⑤効率的に課題をこなすなら、回答を丸写しするのがいいでしょう。

一番大切なことは「効率化の先にあるもの」がほんとうにあなたの目指していることと結びついているという実感です。

「課題をやれば大丈夫」という言葉を信じますか?「大丈夫」だという根拠を聞きましたか?「効率化」をするエネルギーをかける値打ちが、そこにありますか?

人生のうち、最も価値があるものは?お金?いやいや、時間でしょう。受験生でも、大人でも同じです。時間は、成長するためにあるものです。大切にしてみよう。

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「ガマン」の価値・喜びの泉

進学高校の生徒たち。

というか、進学高校でなくとも。

結果も給料もでないのに、どうして言われたことをやりつづける?

どうしてそんなことするの????

大人になったら、お給料がでる。

「やりたくないことをするからお金をもらえる」という価値観を口にする人がいる。

私は「大切なものを守るために、自分で折り合いをつけて仕事をする」と考える。(それでオトノネを初めてみたものの生徒が来ないからアルバイトを探す。とにかく探す。目標があるから、それにあったものを探す)折り合いの付け方はひとそれぞれだ。「やりたくないことをする」ことが美徳ではない時代。もう経済成長もとっくのとうに終わっているのに旧態依然で働くのはどうだろうか。充実した成長の経験ができないのに、課題ばかり、自分にとって楽しくもなんともない作業ばかりしているのはどうだろうか。

「ガマン」は大切。目標を達成するためのガマン、大切なものを大事にするためのガマンであるときに限っては。

「社会に望まれていること」をするのは大切なことだ。「自分がしたいこと」を先に考えていたら、もし心が誰かと繋がっていなかったら、実現しないことが世の中にはたくさんある。この問いには、答えがない。答え続けるしかない。これほど難しい問題はない。けど簡単なことでもある。「自分を守る」ことが一番大切だからだ。(もし自分を守るために誰かを傷つけるなら、その時はしっぺ返しがくるからどんどん修正していこう。扁桃体の共感能力、間主観性が育っていたら、そういう失敗にもすぐに適応できる)

仕事は、暮らしだ。学校は、暮らしだ。「やりたくない人生を歩む」孤独がどんなにつらいか。成長する喜び、実現していく喜び、大切な心と一緒にいる喜びが、そんな孤独な旅を支えてくれる。

「ガマン」は大切。他の人と一緒にいるためには、自分とは違うことを認めて、受け入れなくちゃいけない。それが「ガマン」ではなくて、「作法」のように身につけられればいい。ガマンは、ともに喜び合う、笑い合いながら暮らすための、作法だ。しかめつらをすることはないのだ。

喜びの泉を見つけよう。誰かとともに、泉に手を浸し、湧き出る水を染み込ませよう。誰かとともに。笑い合おう。泉を守ろう。泉を作ろう。よろこびを分かち合う人と一緒にいられる時間を作ることこそ、人間の仕事だと思うのだが。先生という仕事は(現代においては)、子どもたちが砂漠の中の井戸で命のエネルギーを汲み出し、そのエネルギーで成長していくよろこびを経験してもらうことなのかもしれない。

本当の文化とは、よろこびあうシステムのことかもしれない。それは慌ただしい暮らしの中で、ただただ人が集まって笑い合う酒場であり、音楽が流れる場所であり、やさしい匂いと時間が流れ込む、つかの間の空白のように、感じられるかもしれない。

毎日毎日、心をあらってみよう。よろこびがなくても。無為に委ねて、洗うこともできる。無為に委ねるとは、心を自分の外に置き(自分が心の外にでて)、心からでてくる森羅万象が森羅万象によって風化して行く、移ろって行く、流れ出て消えて行くのを眺めることだと私はおもっている。と考えれば、あらうのではなく、あらわれるようにする、という自動詞的な感覚。

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田舎と都会のメリット

アンケートで質問されて以来、考えている。

人によってもちろん違うが。

本当に違うのだが。

田舎と都会の違いを人の数だと考えてみる。

都会は人が多い=いろんな人に出会える。としてみよう。すると、都会に行くと多様な価値観がある、と言い換えられる。なるほど。

もし都会のメリットを使いたいなら、情報を集め、整理する能力が役に立つだろう。本当にいろんなものが、都会にはあるはずだからだ。

例外ならいくらでも出てくる。田舎は閉鎖的だというが、都会で孤立化する人もたくさんいる。もちろん、田舎で孤立する人もたくさんいる。田舎には田舎の生き方があり、都会だってそうだ。田舎には田舎の歴史があり、都会にも歴史がある。歴史の中で、特異点になる団体がある。信念を持って新しいことを始めようとする人たちが、田舎にもいる。

情報はいくらでもある。その中で、「あ、ここでやってみよう」という本当に些細なきっかけ、ドキドキ、ワクワクを信じてみたらどうだろう。空が、青かったから。という理由でもいいのだ。

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