《企業からみた大学》同じ中堅なら、地方国立よりも、都会の私立の方がいい?高校は?

お金があるなら…

いや、お金には変えられない価値があるかもしれない。

私立大学に3人の子どもを送ったお母さんの話。

「私立大学、学費は高いけど、それなりのいいことをしている」という話。

私立の方がおもしろい、フレッシュだ。生き残ろうとしている分、学生のことを考えている。というお話。

施設が整っている。
資格検定のお世話やら、イベントごとの案内。
なにかしら、やはり「時代に合わせて」変わっているのが私立だ、というお話。

本来の「アカデミック」のチカラが強まっているわけではないかもしれない。
ゼミは、国立に比べたら大人数だという(実際のところはわからないが)。

新しい学部をつくったり、外部の講師がきたり。
自立しなくてはならない。(国から補助で運営されている公立大学とはちがう)
だから、私立は、時代にあっている。ということもできる。

——————-

私立、高校のお話。

都会では小学校、中学校、高校といろんな私立学校があり、それぞれの「特色」をもっている。
受験勉強をさせ続ける私立学校もある。(そんな私立に行かせる価値があるのかわからない)

これが、巷で有名な開成中学校校長の言葉。
「入試は通過点にすぎない」開成中高校長が語る

あ、途中から有料ですね。
無料登録で月3本まで記事が観れるそうです。おすすめします。

とにかく開成中学は受験受験ではないよ。というお話。

こんな記事も見つけた。
人事がぶっちゃける「すごい高校」 高校で採用を決める時代がやってきた

はっと思うことがあった。

企業が、会社が、今の組織が求めているもののなかに「地頭」があるらしい。

部活部活で部活ばかりした後に、もしそれで部活をしながら地頭を鍛えていたとしたら、、、、
企業はそれを会社で育ててくれるのだろう。

そういうパターンもあると。
(うーん、すごい時代になってきた)

あ、これ、オトノネですね。

B氏:何かに熱中させてやり切らせることはすごい重要です。面接の時には「お前の狂気を見せてくれ」と投げかけてます。対象はなんでもいいんですよ。なぜかレンガがとにかく好きで、30分ずっと語れる、なんて人もいる。そんなことでも、ハマればすごい人材になるんですよ。

こういう人を、認めてくれる人に出会わないと、この「価値」がでてこない。
育てるということは、そういうことではないかとおもう。
よくある学校は「君はこれをやりきるチカラ(目の前に課題、小テストがある)があるか?」という労働者としての「価値」だけしかみていない気がするが。「そうではない!」という先生、ぜひコメントください!(おとのねさんが出会う人が喋る「学校」は、そんな場所です)

種を守るために、種を下ろす地面を、選んで行くチカラが大切かもしれない。
(マックでは「素早く正確にハンバーガーをつくるチカラ」が表彰される。そうして認めてあげることでアルバイトのやる気をださせているという仕組みがある。人が、人をつくる。)

「みている人」が、「みられている人」をつくる。

 高校って、多くの人にとっては初めて自分で選択できる環境だと思うんですよ。私立なのか公立なのか、地元か寮生活か。その自分が選んだ環境で、自分の世界を広げる経験があるといい。大学でもできるでしょうが、やっぱり早いほうがいい。

富山県、石川県の学校で「うちは、こういう教育をしている」という話を「具体的に」企業に話して、「それはすごい!」と感動してもらえる場所があるだろうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

ひとりひとりの天の才

小さい時はまだよくわからないかもしれない。

いつそれを感じられるかはわからないけれど。

その子を助けてくれる、その子のチカラになる、その子の生き方になる。
そういうチカラを子どもは育てている。守護霊、といってもいい。

「私は目標があればがっつりうごける」
「私はものごとを不思議におもうチカラがある」
「私には、超暗記能力がある(何かを不思議に感じるチカラはないが…)」とか。

それがいつわかるかわからない。
ただ受験受験、習い事習い事、勉強勉強、試験試験、課題課題でわからなくなることは多々ある。

だれかが「君にはこんなチカラがあるね」と言われなければわからないこともある。
自分で気がつくこともある。

高校生たちは社会に出ないと「自分の姿」がわかるようなきっかけがなかなかないのではないか。
学校の中で受ける先生たちの目線、お父さんお母さんの目線だけではみえないものもあるだろう。
慌ただしく暮らしていたら、自分の中にある芽に、気がつかないこともあるだろう。

お父さんお母さんが、そのチカラ(天の才)がでてきたときに、守ってあげるような環境をつくってあげてもいい。
それだけで、「自然に」伸びて行く。

youtubeをみて英語のチカラを勝手に伸ばすインドネシアの女の子。
「させる」以前に、開いた芽。
芽が開くように塾に「行かせる」、習い事を「させる」ことで、実際に開く芽もあるかもしれない。
それでストレスを受けて、開かれない世界の扉の前に呆然と立ちつくしている子どもがいるかもしれない。

不思議だ。

多くの人にとって、「大学」というものは「本当に自分と向き合えるような仲間と出会える」場所のようにおもう。
子供らしく、あそべる場所。本気で将来を考えられるばしょだとおもう。
ちゃんと遊べる仲間と出会える。
ちゃんと教えてくれる大人たちと出会える。
自分の種を大切にできる場所だとおもう。(もちろん、働いてもいい。働きながら、いろんな人と出会える)

そんな場所にいくまでの3年間、3年という時間を、どうか、心を守りながら、悠々と過ごしてほしいと僕はおもっている。

子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

オトノネひろげるシェアぼたん

好きなことを仕事にする?の意味。『三太郎の日記』

iPS細胞を自前でつくった山中伸弥教授は世の中のために研究をしていたか。

と聞かれたら、いやいや、ただ、楽しかった、やりたかった、つくってみたかった、という純粋な遊びごころで研究していたんだろう。

表向きは、社会貢献とか、いろんな飾りをつけられても。
人の役にたつこと?いやいや、自分が好きだからやったんだよ。

結局は、何かを成し遂げるときは、情熱、ロマン、遊び心、本気になれる純粋な何かに向き合うメタスキルが大切になってくる。

そういう話を、した。

かつて阿部次郎の『三太郎日記』を塾の先生から借りて読んで読みきれなかった。
けどそこにこんなことが書いてあったらしい。

生きるための職業は、魂の生活と一致するものを選ぶことを第一にする。

けど、そこでこう言われた。
「魂の生活ってのが何かわかりませんよ。私自身、魂が震えるような経験をしたことがないですからね!」

そうだ、雪をみたことがなければ、雪がどんなものかわからない。
自分の心を知らなければ、心がどんなものかわからない。

もちろん、ほんとうにわかるなど到底できない心であるが、それが震える経験を、一体私はいつしただろうか?
そう、阿部次郎は魂の生活と、肉体の生活を分けた。世の中で求められている肉体労働(ブラック!)とは別に、魂が喜ぶ生活を目指すのだと、言っている。魂がしあわせになる生活と、一致するように、できるだけ、仕事を選べと。もしそれができないなら、仕事とは別に、魂の世話をしなさいと。

心を大事に。

けど僕も、魂が震える経験、「これが僕の仕事だ」と、実はまだ言い切れていない。
いや、本当はわかっていて、それに向かっているけれども、まだ仕事にはなっていないだけかもしれない。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校の定期テストの成績と高校受験・大学受験の結果が関係ない話。

高校受験の場合、内申点に影響する、ということはさておき。(はっきりいうと、富山県は時代遅れです。異論がある人は、どうぞコメントしてください。時代遅れが富山のよさ、かもしれませんが。見方を変えたら、いろいろです^^)

高校生になると内申点は推薦入試を受ける以外に、学校の成績はなんの役にもたちません。

「学校の成績がよくないといけない」
と考えているとしたら、大きな間違いです。

こんなサイトも見つけたので是非見てください。
定期テスト対策をしている塾をみつけたら、アウトです。
時代に取り残される子どもになってしまいますよ。

本当に。
「定期テスト廃止」で成績が伸びる理由

当たり前すぎることだけれど、目の前の「テスト」に追われるだけで終わる中学生、高校生があまりにもたくさんいます。

多くの塾では「定期テスト前にテスト範囲をがっつり勉強!」という方針でやっているとおもいます。
「定期テストで◯点アップ!」という文句がお母さんやお父さんの不安な心を掴むのかもしれません。
けれども多くの生徒の場合、勉強で悩んでいる生徒の場合、学校の進度にギリギリついて行っているのではないでしょうか。

そんな状態で定期テストの対策、定期テストのための勉強をしても実力になりません。

なぜなら、期末テストの点数を取るためには、学校で出される、学校が指定した問題をとけさえすればいいからです。
また、肝心のメタスキルが育ちません。
これからの時代、AIができることを、一生懸命AIに勝とうとしても、「いい仕事」はできません。
もちろん、大学に行き、資格をとるためには学力は必要ですが。
メタスキルを伸ばさない勉強は、はっきりいって時間の無駄です。(そこらへんオトノネさんははっきりしています)

本番の、肝心の大学受験のテストで、定期テスト対策をした努力が、時間が、エネルギーが無駄になってしまいます。

実際の入試問題で「全く同じ問題」はでません。

定期テスト対策をしてきたおかげで英語や国語の実力が最後まで伸びない生徒とよく出会います。

置いてきぼりにされた、わからなくなった、という生徒が定期テストの成績をあげようとするのは、危険です。

なのでotonone-オトノネ-はきちんと生徒やお父さん、お母さんに説明をして、「目標はなんなのか。なんのために勉強をしているのか」をきちんとお話したいとおもいます。

一夜漬け、直前の追い込みで点数をとったとしても、それが「しあわせ」な学びにはなりませんね。
勉強が嫌いになる理由ができてしまいます。
無理をして、体を壊してまで点数をとる価値があるとは、おとのねさんにはおもえません。

ーーー

もちろん、実力のある子は定期テストでも結果を残します。
けれども、その逆、定期テストで結果を出す子なら実力がある、肝心の入試で成果がでるとは限らないということです。

定期テスト対策は短期的な暗記におわり、みたこともない問題、広い範囲から出題される入試の役には立たない。
(定期テスト対策をしてくれる塾はたくさんある。でも子どもが定期テストができなくて困っているのではない。子どもにとって必要なのは何ですか?目の前にあるテストの点数をとり続けることですか?目の前の定期テストに追われて「ちゃんと」勉強できていない生徒がたくさんいます。「ちゃんと」勉強をしていないのに、高校受験で結果がでなくて「この子はここまでか」と諦めていませんか。ちゃんと勉強していないだけです。定期テストの対策をしていたら、無理です。時間は有限です。定期テストの対策をしないだけで、その子の人生は変わります。ただし「ちゃんと」やればですが。ホント!)

中学生の話をしましょう。
中学校の定期テストで結果が出たとして、富山県の県立高校入試に合わせたテスト内容でそのまま高校にいっても、高校入学時のレベルは例えば東京の高校生とは雲泥の差があります。どのくらい差があるかはこちらのページの真ん中くらいに書いてあります。

富山中部高校、高岡高校、富山高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

金沢泉丘高校、二水高校、錦丘高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

ーーー

勉強がうまく行っていない子であれば、中学生でも高校生でも同じです。
自分で修正できる子は、フィードバックをしながら自己調整できる子は、本当にすばらしい学びのメタスキル をもっている子です。
お子さんのチカラを、まずは確認してみてください。

誠実に、素直に、わからなくなったところから積み重ねていったものが本当のチカラになります。

なのでオトノネでは定期テスト対策をするときには、ことさら慎重に、生徒とも話し合いをして決めるようにしています。

もう、
定期テスト対策、やめにしませんか?

ーーーーーーーーーーーー

それでも「定期テスト対策します!」
と多くの塾が宣伝文句にしているのはなぜか。

短期的に結果が出て「あの塾、いい!」とお母さんが宣伝してくれるからかもしれない。
短期的だから、(受験より)結果が出やすいし、対策がしやすい。
お母さんは学校の先生から「成績が」とか言われて不安にさせられていることを知っているのかもしれない。
その不安を煽っている。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

お母さん、煽られていますよ!どうしますか?

心を大事に。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

ーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

【高校選び】進学高校の高校生たちのブラックな青春が青になるとき

体育祭の季節。

高岡高校生の話。
とんでもなく青春だ!この時ばかりは、空が青くなる。爽快!だと!

前にいた生徒の体育大会をみに行ったことがある。
その時の生徒の張り切り方はいつもの(校門前で出会う)生徒の表情とは違っていたことが印象的だったが。
その話を聞いて、ああ、なるほどなとおもった。

ダンスができる人、人を笑わせる人、絵を描くのが上手い人、いろいろまとめてくれる人。
いろんな人が、それぞれの役割をもって、全力であそんでいる。

文化祭のとき、教室まるまる一個の大きな回るコーヒーカップが作られたことがあるという。
その発想をする高校生もすごいが、それを実際につくるチカラもすごい。
木材でつくったそうで。技術者がいたのだろう。

ひとりではできないこと、みんなでやるからできる大きなこと、一緒にやりながら、いつもは話しかけにくい子から話しかけられたり、人間関係が一気に変わる、作られていく。ドラマチックだ!

金沢の二水高校の生徒に、アンケートで「二水高校に入ってよかったとおもったことは?」と聞いたことがある。
「二水祭」と書いてくれた。いやぁ、文化祭は、青春の空が真っ青に晴れ渡るときのようだ。

体育祭、文化祭のあとに、曇り空。いや、雨、雨空。銀を燻したような実力テストが待ち構えていることは、ちょっとしたオチ話にしかならないくらい、空が青く晴れ渡る、青春の一コマだ。

富山中部の生徒にも聞いたことがある富山ブラックの話をした後、「青春が青色になるのはいつ?」と聞くと、「体育祭です」と答えが返って来た。
高校生が高校生らしく、全力であそぶチカラを発揮できる文化祭、体育祭の感動は、そのままその高校の生徒のポテンシャルを表しているのかもしれない。

ーーーー

どの高校でも、進学校なら課題に苦しむのは同じ。
富山東高校の卒業生の話では、入学式の時に、「高校生の青春は灰色です」と言われたそうです。
それがデフォルト。進学校を選んだら基本、ブラック。

だとしたら、どうやって高校を選ぼう?
文化祭に行って、一番楽しそうな、生徒が笑っている高校を選ぶのもいいかもしれない。
いろんな高校を回って、一番感動したところに入ったらいい。

そういう決め方でもいいな、と思えた。
それくらい、文化祭、体育祭の話をしている時の生徒の顔は、清々しかった。
(といっても、富山高校の文化祭に行って「ココがいい!」と思って入学してしまった子が、文字通り、登校できなくなってしまった話も、実話です。各自、性格・能力・希望に応じた賢明な判断をしてみてください)

ーーー

え?青春のブルーって、マタニティーブルーみたいな、ちょっとマイナス的言葉じゃないの?
とツッコミを入れてくれた人、座布団一枚!笑
ちなみに、ブルーカラーといえば青色の作業着、肉体労働者を表す言葉でもある。

ブルーは憂鬱という意味もある。
青春とは、高校時代とは、そもそもが、ブルーな時代なのかもしれないねぇ。
清々しい体育大会の青空をみながら、僕が今見ているのは、宇宙なのだとおもった。
世の中には、いろんな青がある。

憂鬱で、課題という作業をこなす春、それが僕らの青春時代!?

ーーーーーーーーーー
感情
祭り、というものは、僕自身が日本の芸能史を研究しながら興味を持って調べてきたもの。
儀式、といってもいい。(儀式と平行して行われる場合がほとんどだ)

この本の中で「気分操作の身体的技法」という小節がある。
そこに書かれていることは「パーティー」が人間にとって欠かせない、文化的・社会的な「幸福のシステム」だ!ということだ。
(この本では「文化祭」の話は一切しておりません。「こうしたイベント」とは、大人向けの「パーティー」のことです)

こうしたイベントでは、言語的、感覚的、化学的、身体的といった、全範囲の情動的技法が、きわめて強度の幸福感を生み出すべく、結び合せられる。さまざまに色付けられた光は私たちをクラクラさせ、私たちの目を楽しませる。リズムのある音楽は心を揺さぶる。エクスタシーは脳の中で大量のセロトニンを分泌させ、気の利いたドリンク類は(興奮作用のある)カフェインを少しだけ与えてくれる。また、野生的な踊りはトランス状態を引き起こす。(略)こうした情動的技法は決して今に始まった新しいものではない。人類の夜明け以来、人は定期的に集い、そこで踊り、また何らかの薬物を摂取していたのである。こうしたパーティーこそが、究極的な幸福感への近道であると考えても別段、おかしくはないのかも知れない。(『感情』ディラン・エヴァンズ p.105)

そうしていつも、ブラック企業に勤めながら「青森のねぶた」で一年に一回の祭りのために、一年に一度の幸福のために、暮らしている人と出会ったときのことを、思い出すおとのねさんでした。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

ーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

アウシュビッツで生き残った人の言葉のチカラ

このツイートに書かれたコメントが面白い。読んでみてください!

それで・・・

僕はよくアウシュビッツの物語を思い出す。
いつ終わるかもわからない。
いつ死ぬかもわからない。
そんな暮らしをするために必要なのは、自分自身が自分に投げかける言葉だった。
とおもっている。

真剣なごっこ遊びであるとも、ファンタジーともいえる。

アウシュビッツに入るまえに、その言葉を生み出す経験がなければならなかった。
人生の意味を見出していなければならなかった。
他者にとっての自分の価値を知っていなければならなかった。

ーーーー

一方で!

自分に投げかける、生きるチカラを与える言葉が生まれてこない心がある。
困難に直面しても、ファンタジーを見せてくれない心がある。
電気柵に体当たりする人たちのこと。

言葉を自分に投げかけられない人でも、アウシュビッツで生き残る術が一つある。
しあわせを生み出す言葉を使う人になりきることである。
言葉も、振る舞いも、呼吸も真似ることである。(行動を真似ることが大切。特に歩き方、喋り方、深層筋の使い方、ありとあらゆるデテェイル)
同じ夢をみるほどに。
行動を一緒にすること。
同じ空気を吸うこと。
同じ位置に立って、同じ景色を眺めてみること。(キングダムで、信が「将軍の馬」にのったアレ)

ただの夢見ではなく、実際にそれを行うこと。
(よくセミナーで一流になりたいなら一流の振る舞いをしなさいというアレ)

これが方法の一つではないかと、ふと思えた。

自分にとっての現実を捨てて、みている世界すら、その人と同じになってしまうくらい、真似る。
実はそれは、思春期に至るまでに、子どもがやっていることではないかとおもう。
お母さんやお父さんに対して。

思春期とは、親以外の人をモデルとして自分を作り直す時期だとおもえる。
だから思春期には、恋をするのだろうか。

ーーーーー

蛇足:プラスの言葉を使うように心がけましょう。というのがある。
プラスのことしか書かない日記をつけることを、僕もいつの間にかやらなくなってしまった。
と、気がつくたびに、「自分を褒めるノートを書いてみたら?」と行ってくれた友達の声を思い出す。
そういう人が、すぐ近くにいてくれる人は、しあわせだ。

ーーーーー

ちなみに、「これは違う!おかしい!」と抗議をしても殺されるだけ。
むしろ「これでもういいや。シカタガナイ」と思って生きている人の方が長生きする。

憐れむことも、羨むこともなく、自分の命をマットウしよう。

ーーーーー

しあわせな人は、俳優になれない。
真似をする必要がないからだ。

しあわせな人は、俳優だ。
きっと、しあわせな人の真似をしているからだ。

オトノネひろげるシェアぼたん

富山大学附属中学校と富山(中部)高校のギャップ

富山高校生、もと附属中学校の生徒の話。

その前に、、前提知識。
富山大学附属中学校の70人中50人が富山中部に入る。(調べて見たら附属中学こうの生徒の160人中70か80人でした。数字全然違った!)
富山高校の生徒の出身中学は公開されていない。
で、問題はここから。

中学校のときは、先生がよかった。自分で頭を働かせて、主体的に授業がうけれた、というか、学べた。
高校になったら、受け身の授業で勉強する気がなくなった。

そのギャップに苦しんでいるというお話しだ。(富山から高岡に会いに来てくれた人がいる)

附属中の生徒が簡単に富山高校や富山中部高校に入れるのは、もちろん、主体的な授業で「言葉の力」があそびによって鍛えられているからだろう。
富山県の高校入試は暗記ができればいいのだから、とりあえず覚えれば入れるでしょ?という簡単な流れ。
親が教育熱心である、という理由もあるかもしれない。

で、ギャップという話。

ーーーー

僕の大学生の時の後輩が、今、宗教に入っている。キリスト教。で、昔その子の家にいっておしゃべりをしていると、同じアパートに住む「友達」がやってきた。同じ宗教をしている子だ。その子の話。「大学生の間、ずっとスポーツをしてきました。けど大学が終わってから、何をしていいかわからなくて」

突然、今までしていたことがわからなくなる。
何をしてきたのか、物語が、途中で終わってしまった。
あれ?

どうやって動かせばいいのかわからない、心が動かなくなったのだろう。
そして宗教はそのきっかけを与えた。
新しい物語を彼に与えたのだった。

ーーーー

で、附属中学の教育は、先生は、すばらしいように思える。実際は知らないけど。けど少なからず、高校にいったら「何これ?」となる。予習をやってきて、生徒が板書して、先生が解説、いやいや、先生いる意味ないでしょ。という話をよく聞く。受け身の授業、意識が朦朧とする。。。あれは、中学生活は、一体、なんだったのか。。。附属中学校の玄関に掲げられている文字は、なんだったのか・・・

実は富山でも高校生をターゲットにした宗教がいくつか存在している。
え?知らないですか?

もちろん、附属中学校で鍛えられて、高校生活を有意義に、送る人もいる。
人それぞれ。

目が覚めた時、次は誰のファンタジーのなかにいるんだろう。
本当の自分の物語を語ることなんて、できるんだろうか。

真実か、正しいのかなんて関係なくて、誰かが近くにいてくれて、ぐるぐるまわっていく運命にちょっとしたいたずらをしていくのを楽しむくらいがちょうどいいのかもしれない。

高校生と話をしながら、僕が高校生だったころの自分の感覚を思い出している。
もう少し、彼らと一緒に何かをしていこう。
僕にとってのおとのねは、自分の心の成長する場所だ。
もしそれが生徒にとっても同じであれば、嬉しい限りだ。
そういう子が、おとのね にきてくれたらいいとおもっている。
悩みながらも、本気で、彼らに応えていきたい。
それが僕の感謝のカタチだ。

というわけで、(そんなものいらないが)結論。

今やっているゲームを降りて別のゲームをするのも、人生というゲームのルールのうち。
同じゲームをやり続けて、誰が褒めてくれるだろう?もしその人生に、幸せを感じていないとしたら。自分が自分を褒められないとしたら。

橋を渡って結婚式をあげたときに男女が初めて顔を合わせていたような時代とは、商品化されたゲームはかなり変わってしまったきがする。
自分でゲームをつくってもいい。もちろん、全てがオリジナルでなかったとしても。

中学生のときに思い描いた「学び」の姿、学んでいる自分の姿を書き換えなければならないような、そんな高校生活に身を置いている高校生のために、僕はotonone-オトノネ-をつくったのだけれども。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

こちらはオトノネの広告です!

富山市の民間学童保育で毎日英語
ーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

「褒めて伸ばす」はいいことか。外発的動機付けのアンダーマイニング効果とは?

絵本とともに学ぶ発達と教育の心理学
悪いことではないでしょ!

好きだからやってできるようになるのが内発的動機といい、
「褒められて、煽てられて、煽られて」やるのは外発的動機という。

ーーーーー
蛇足1
伸ばそう、として褒めるのではなく、
がんばったね!やろうとしていたことが、できたね!という喜びの共有くらいがいい。
動機付け、「やらせよう!!!!」と意図して褒めるのは、僕の流儀ではない。

蛇足2
「すごい」とおもったら当然のように、感動は伝えるし、
「この子は、これがある」ということはもちろん伝える。
それは自分には見えない、その子の武器だし、魅力だし、磨いていくといいもの、自分を生かすものだから。
ーーーー

さてその上で、褒める、「君はできる」「俺たちは強い!」「俺は海賊王になる!」とか言い聞かせて、もしくは言われて、思い込むといい結果がでる現象を、ピグマリオン効果という。神話に出てくる、望んで、望んで、欲しいものが得られたピグマリオンという人物の名前からこう言われています。いわゆる、「引き寄せの法則」というやつです。

で、この「褒め」や「賞賛」が逆に、もともとあった、内発的動機を剥ぎ取ってしまうケースもある。
それをアンダーマイニング効果と呼ぶそうです。

富山中部高校の生徒で「勉強は好きだけど、課題は嫌い」という子がいました。
その子は心を大切にしているから、勉強と課題を分けて考えられるのですね。

ーーーーーーーーーー

親や教師(他者)が望むように言葉をかけるのは当然だ。
「自由に選びなよ」という言葉さえ「自由になればいい」という望みを言葉がけしているのだから。
(そうそう、自分で選べることは内発的動機を与える。自律性を高める。それは大切)

僕なら「しあわせになりなよ」というだろう。
「大切なものを大切にしてごらんよ」というだろう。
そのために世界をきちんとみたらいい、というだろう。
助けが必要なら求めてもいい、というだろう。

大人は、子どもに、願いをかけるのだ。
人は、人に、願いをかけながら暮らしている。
言葉は、チカラだ。

それを祈りともいう。

オトノネひろげるシェアぼたん

「メデタシメデタシ」の物語には要注意!?『絵本と童話のユング心理学』より学ぶ

子どもが死についてよくよく考えていることは前にどこかの記事で述べた。
で、最近本を読んで感動したので書き残しておきます。子どもすげー!!!!!

子どもは、大人の都合、不自然さ、不条理、違和感を敏感に感じるのでしょうね。

絵本と童話のユング心理学

『かさじぞう』に関して、私が大変驚いた出来事をひとつ話そう。たしか小学6年生になる女の子であった。この『かさじぞう』を読んで、こんなことをつぶやいていたのである。「おわりの方が気に入らないな、なんだかうそだって気がするもん。私だったら、こんな終わり方にしたいな」

1、2年前でしたか、文部省がこの作品は非常に暗い、日本にはこんな貧乏人がたくさにるのかと、アメリカやソ連に思われたは困る、だからこれを削除せよ、と先生方に指示しました。それが話題になり、新聞記事になったことがあります。

娘の小学校の先生も、やはり賛成はできないが、子供たちの反応を見ようと思って話され、あとでどう思うかと聞かれた。その時、うちの娘が「こんな話はうそだ」と言ったそうです。私はその話をたまたま小耳にはさんだので、娘に、お前だったらどうする、と聞いてみたのです。娘はすでに作文に書いてはっょうしていたのですが、先生はそれに✖️をつけていた。それで娘は、大変怒っていましたが、それにはこう書いてありました。「おおみそかの晩、外はすごいふぶきなのに、じいさまとばあさまは食べるものがないので、つけなかんで、お湯飲んで、寝ました。(つけなってなんだと聞くと、「知らへんの、つけもののことや」)。正月になって、とうとう何もなくなり、二人は静かに息を引きとりました」ええ!とびっくり、これでは先生が✖️をつけてあたりまえだと言うと、娘は黙って聞けと言う。
「さて、次の年のおおみそかのことです。一人のしょうにん(この「しょうにん」というのを、私は親鸞上人とか法然上人の上人と解釈して、えらい話になるなと思ったのですが、これは商人のことでした)がふぶきの中を歩いておりました。すると向こうに、かさをかぶったおじぞうさんが立っています。かさからは、つららがさがっておりました。かぞえると、かさをかぶったおじぞうさんは、全部で8つでした。おかしいな、去年はたしか6つだったはうだが。何回もかぞえなおしましたが、やはり8つにまちがいありません。8つとは珍しいことだわい、と承認はそっと手を合わせましたが、ああ、道くさくっとると日が暮れるわい、早く帰って正月のもちつきのよういさするかと、ふぶきの中に消えて行きましたとさ」

こういう文章です。私はびっくりしました。この八地蔵の話は誰が教えたわけではなく、彼女が自分なりに作ったものです。(『絵本と童話のユング心理学』p.238 山中康裕)

「めでたしめでたし」の物語は、編集されている可能性がある、ということです。
学校の進路指導も同じですね。

オトノネひろげるシェアぼたん

(自称)進学高校在校生必見!「課題」が生徒および親に及ぼす影響の考察。

記事をこちらに移動しました!
(自称)進学高校在校生必見!「課題」が生徒および親に及ぼす影響の考察。入学前にみてほしい。
この情報は肝心のコンテンツを有料にしました。(noteという仕組みを利用しています)。

『数学ガール』シリーズで有名な結城浩も利用している有料制記事閲覧システムです。

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

ーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん