人間関係

久しく会っていない友だちと話をした。夢の中で彼をみたから電話したのだ。15年ぶりだ。
「おまえは変わっていないな」ということになった。
同じところをぐるぐるしていてあのころのままだ。それでもその行動力は俺にはないから見習いたい、だそうだ。

人間関係のことを話した。
そこで一つ思いついたことがある。
ここに2つのモノがある。なんでもいい。この2つのモノの関係を、位置関係で表したらどのくらいのパターンが生まれるだろうか。
それが3つになったら?そこに「場」が加わったら?
先生と生徒、弟子と師匠、親と子、社員と社長、あなたとわたし、道端で会った人とわたし。
それはもしかしたら、分子や原子が互いにつながったり、遠ざかったりする運動みたいに見えるかもしれない。
強い力のように硬く結びついたものもある。それすら崩壊する。
原子や分子は常に、動きを変えて、形を変えて、つながりをかえていく。
ファンデルワールス力のようにとても小さいけれど、表面が大きくなると働く力もある。
化学の世界で絶対的に「支配的な原子」などない。ただ「ほうそく」に従うだけだ。
お互いの条件が満たされている時、それらは反応する。

何かが上手く行っていなかったり。違和感を感じたら、視覚的に、感覚的に捉えてみるのもいいかもしれない。
目の前に相手の「ココロ」がある。それを例えば布にしよう。例えばボールにしよう。あなたはその「ココロ」とどう関わっているのか。
目の前に自分の「ココロ」がある。それをあなたは今、どうしているのか。

世界は円環だという。
おもうにそれはフラクタルだろう。
どんな入り方もできる。
ただその中で自分の場所を見つけて、回ること。
他のワと触れながら、回り、回し合うこと。

回らないとしたら、何か、違和感を感じるはずだ。
もしかしたら、油を塗ればいいかもしれない。
もしかしたら、モウヒトツかフタツ、歯車を付け足さないと行けないかもしれない。
歯車の場所が違っているのかもしれない。

求め、受け取る
捧げ、与える。

自分に何かを捧げ、与えるワタシ
誰かに何かを捧げ、与えるワタシ
自分に何かを求め、受け取るワタシ
誰かに何かを求め、受け取るワタシ

きくこととはなすこと
どれかひとつが円環から外れても、具合がわるいのかもわからない。

上手く回っていない歯車を、取り外してみること。
上手く回っていない歯車を、磨き直してみること。
回りすぎている歯車を、取り外してみること。
大きく回そうとせず、小さく回してみること。
私はそのようにして「変わっていきたい」「成長したい」とおもっている。
固定されたアイデンティティーというものではなく、変わり続ける世界に、関係に、やわらかく合わせていく。

「変えるって、大変なことだよ。苦しいよ」と最後に彼は言った。
苦しみが、尊いものに聞こえてしまう。

彼の視線が、声が、私を助けた。幸せ者だし、夢をみた自分に素直に従ってみた自分を、褒めてあげたい。
ありがたい。ありがたい。

わんぴーす

日本はマンガ大国だ。アニメ大国だ。語り物の歴史はどの国にもあろうが、どうしてかそれがマンガという媒体になって広まった。

ワンピースというマンガがある。
いろんなひとがいうとおり、この漫画には人の生き方、関わり方のエッセンスが盛り込まれている。バトルシーンがドキドキするだけではない。それは過去に縛られていた、過去に生きていた仲間が、今を生きる感覚を取り戻していく物語。主人公の味方の過去も、敵の過去までも物語る。主人公のルフィーは、自分の生き方にゆるぎがない。仲間の大切さもしっている。幼いころにそのすべての経験をしている。

ルフィーは「一緒に行こう」とか「ぶったおす」とかいう。自分の気持ち、道をひたむきに進む。そして、そんな自分が出会った人にできること。それを表す言葉の一つが「仲間になろう」だ。今、この時を、この瞬間を大切にしようぜ。一緒に冒険しようぜ。生きようよ。彼の言葉の力は、彼の拳は、強い。泣きながら、心の堰を外して叫ぶ。「いきたい」

今、ここ、それが本当の自分、成長したい自分、打ち破りたい自分と繋がった時、人は命をまっとうしているのだと思う。
ただその時、誰かが呼びかけてくれることが、どれほどの助けになるだろう。過去に、感情に囚われているこころに、触れてくれる人。
進むだけではない。その場で、戦いながら、過去の苦しみを味わい尽くして、嘗め尽くすからこそ今の、自分の、気持ちがわかるんだろう。苦しんで、苦しんで、その苦しみも抱いて、世界に飛び出す時に、仲間がいてくれることは、どれだけ心強いのだろう。

兄、エースを失った時、悲しみにくれていたとき、真っ暗になったとき、喪失に耐えかねていたとき、ジンベエがいてくれなったら、ジンベエの声がなかったら、ルフィーはどうなっていたのだろう。その一声が、もしかしたら、今の僕の周りにも、あるのかもしれない。その声に気がつくまでが、そしてその声に応えることが、ひとつのドラマなのだ。泣いていいのだ。泣いたらいいのだ。

外からの呼びかけを感じ取ろう。
戦いながらでも、へたれこみながらでも。
それは人かもしれないし、空や、草木や、太陽や、風かもしれない。もしかしたら、自分の内にいる、自分の一部かもしれない。自分の一部に、耳を傾ける。

誰もが旗を持っているのだ。旗を掲げる人生。
人とのかかわり合い、忘れられているものが、マンガの中には、まだ残っている。現実は?僕達の生きている現実は?

山ごもり

山ごもりをしてきた。

無意識のうちに人に気を使っているのか、焦っているのか、山に入って空気を吸うと落ち着いた。それからちょうどいい場所をみつけて、座る。取り憑かれていたノイズめいたぐるぐるしたものがすっと静まる。ああ、本当に一人の時間も大切なのだ。人が周りにいるだけで、疲れてしまっていたようだ。また狭い部屋にいてばかりで、疲れてしまっていたようだ。身体的にも、精神的にも、空間を広げること。瞑想する人は眉間に意識を集中させる、という。これは心の空間がというより、実際何かが変わる。まっあいろいろと何が起きるかを、山ごもりしながら感じてきた。

脳内
座って、ただそこにいるというだけで、体が勝手に震えるのと同じように頭の中でいろんなものごとが起きてくる。いやもうそんなどうしてこんなこと起こるの?とおもうこともおこる。見せてくれる。こんなちょっとした特別な状態になっているとき、そこから何かを教わる体質の人がいる。ぼくは訊いてもいないことの答えをもらうような映像をもらった。音はついているようで、ついていない気がした。未来を見せられた。うーん。ぼくは今のこのこころをなんとかしたかったんだけどな。結局、今の心の状態はよくわからなかった。進むしかない、ということなんだろう、か。

身体
夜寒すぎて、アルミシートにくるまっていたせいで、両眼視できずに森を見ると、同じ目の前の風景が、丸くなったり、四角くなったり、ちいさな四角になったり、おもちゃみたいなかっこになったりした。もちろん暗いせいだ。どうやら情報が限られると脳は適当に画像処理するらしい。目を閉じて、しばらくすると見え方が変わるのだから、笑ってしまう。新しい。

目をつぶってみた。光のツブが飛び交っていた。え?これみたことない?なぜか今までみたものより、鮮烈な光の粒。おまけに、眉間に意識を集中すると、瞼の裏に、映像がみえる。なんかガラスにべたーっとへばりついたヘドロがゆくり落ちていくような。それから、海底の噴水孔(なんたらなんたら)からゆっくり湧き出る煙が如きもくもく。これははじめてみた。不思議だな。新しい。

知らず知らずに人の中で疲弊しているから、本当に一人の時間、できれば広くて気兼ねなくいられる場所に定期的に行くようにしようとおもった。つい先日、古い友だちと電車で話をした。「こんな狭い電車でぎゅうぎゅう詰めになって、心は無事ですむはずがない。だからみんなゲームとかしてるし、人を人としてみない。そうじゃないと、やっていけないよ」これこそ東京の文化なんだろうか。

24時間を森で過ごした。
明日のスケジュールがあるからだ。あくせくしているなぁ。

息を吸い込んで、使おう。
マグロは泳がないと息ができない。
そういえば別の友だちもこういっていた。「起き上がるときに、何か新しい世界につながるといいよね」みたいなこと。
成長しよう。息が詰まったら、山へこもるのもいい。自分の身は自分で身を守ろう。他の人を傷つけないように。

ははは

母親の重要性というか、社会の中で母性的なものが失われつつある、いうならば母という精神、存在を支えていた文化、社会がなくなっているんじゃないかとおもえる。お母さんは一生懸命生きている。誰にも頼れず子どもを育てるお母さんもいる。神話の中でも引き合いにだされるように、母と子、父と母の物語は、世界共通だ。ゆにヴぁーさる。人が生きる、そして死んでいく、エネルギーにあふれている。

『精神保健および教育分野における音楽療法』でコンティンメントという言葉が出てきたので調べてみた。噛み砕いていえば、ある困難で生まれた否定的な感情、また本人が対処不能な状況を、まるごと引き受ける精神的な器(コンテナー)によって、恐怖や不安などを感情をコントロールしてもらう経験が、以後、精神的な成長に役立つ。というものの見方だ。こころを、気持ちを包容してもらう、抱きしめてもらうということだろう。もっと意味を広げれば、言葉がけや振る舞いによって、もてあましていた感情を腑に落とす手助けをすることだろう。子どもは大人を真似る、誰かを、必要としている。それも、身体的に、社会的に安全だと言われる学童期になった後でも、彼らの発達は、他者との関わりつづける限り終わらない。コンテナに入り切らない感情に出会うかもしれない。不測の事態はそこらじゅうにある。そのとき生まれた感情を一人で吸って、きちんと、吐き出せるか。吸ったまま溜め込んでいないか。たまにはつついて、息を抜いたらいい。必要。息を抜く。いいことばだ。

必要という言葉もおかしなことばだ。明治以降に翻訳された二字熟語の使い方には〈気を使ったほうがいい〉。(〈注意した方がいい〉、というよりも、通じる気がしませんか)今日本で流行っているアタッチメントという言葉を似たような意味合いで使うこともできる。しかしどうして人は言葉を作りつづけるのか。この営みは、人間臭い。喋る人が違えば、その言葉が違えば、語り方が違えば、同じことをいうにしても、違って聞こえるということ。同じものを見ても、全く違った印象に鳴る。絵画ならそれがわかりやすい。人間臭い。

平井正三センセイの本の、内容が詳しく紹介されていました。『精神分析的心理療法と象徴化 ―コンテインメントを巡る臨床思考』

ビオンの本、いろいろある。