勉強は「しつけ」か「あそび」か

勉強は「しつけ」だろうか。

やらせる、という限りにおいて、「しつけ」だろう。

習い事は「しつけ」だろうか。

やらせる、という限りにおいて、これも「しつけ」だろう。

しつけるとは「躾ける」と書く。身体を美しくする意味が、「拘束する」意味になったのが近代であり、現代社会ではないのか。

プログラミングするように、子どもを「しつける」大人がいる。

なにがしかの能力を植え付ける、仕付ける。「子どものために」。まるでコンピューターの性能をあげるかのように。

けど学ぶ気持ちは「躾」では文字通り得られない。

躾は本人の意思とは関係がない。なにせ、「躾」には自動詞がない。誰かが「躾ける」であり、誰かに「しつけられる」ものだ。

「あそび」には「遊ぶ」という自動詞がある。学ぶのも自動詞だ。

本当に子どもたちは学んでいるのだろうか。

「これをやりなさい」と言われて目の前に出された課題をやっている限り、それは学びではなくただのお勉強だ。(もちろん、お勉強をしながら何かを学ぶこともあるだろうが)

勉強が「あそび」になるだろうか。

今の日本では、勉強=「しつけ」だろう。子どもはお勉強をするように躾けられる。成績が悪いと「しつけが悪い」ことになる。(成績が悪い生徒は、いなくならない。だって相対評価だもん)本来それは「躾」ではない。美しさとは、数字で表せないから。

じゃぁ学校でさせられる「お勉強」ってなんなんだ?

「労働」という二文字がよく似合う。


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