学校が子どもの障害になっている場合。障害物レースのルールは?

お父さんお母さんや学校の先生が、その子に「させている」「歩ませたい道」が子どもにとって「障害」になるかもしれない。

いわゆる障害児(不定型発達児)が「いわゆる健常児(最近は定型発達児と言うようになったらしい。いいことだと思う。)にとってのふつう」を目指そうとしても目指せない「障害」があるように。

課題の海で溺れてボロボロになりながら、沈んでいく子もいる。
けどそれは誰にとっても起こりうることだ。
明日死ぬかもわからない時代があったのだ。
そう思えば、漆黒のブラックな会社、学校の出来事もとても自然なことだと思うことができる。

障害を乗り越えて立派な人間になると考えるなら、乗り越えられるように手助けしてくれる人がいればその子は幸せだろう。

超えることのできない障害物が目の前に現れた時、レースをヤメて、とりあえず障害物の横から回り込んで前に進んでもいい。
前に進めぬほどの障害物なら、しばらくそこで、休んでもいい。逃げてもいい。

障害物が、ただそこにいるだけでなく、子どもの自然を壊す脅威になることもあるから。

障害物レースのルールは、ない。
教育基本法によれば、ルールは、お母さんが作れるらしい。
ただ、障害物を壊そうとしても壊れないだろう。
ただ、障害物に語りかけることはできる。もしかしたら、動いてどいてくれるかもしれない。(障害物を岩だとおもってみよう。動いてくれそうか?心を込めて、本気で、唱えてみよう。アブラカタブラ!)

前に進んで見た後で、後ろを振り返ってみると、そこにはなんの障害物もなかったのだと、目を疑うかもしれない。

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