高岡高校がサバイバルな件

課題課題と言って来たが、今日、新しい事実が判明。

宿題には二種類ある。「課題」と「予習」である。

課題=宿題だと思っていた僕は大いに驚き、また想像ができなかった。え?予習?

富山高校も富山中部高校も同じなのかな?自称進学高校も同じかな?

高岡高校の生徒が「もう課題やらないからな!!!」と先生に、職員室前(?)で叫んだところ、そのまま生徒指導(教科指導?)行きになったという話などなど、「課題」というモンスターの存在は知っていたが、まさか、予習という名の亡霊までいるとは。。。

予習という名の亡霊は課題よりもタチが悪いかもしれない。授業中に予習の範囲を板書することになっているので、集団心理が働く(これも人によりけりだが)「みんなの前で忘れたというのは恥ずかしい!」とか「俺できる!できるんだから見栄を見せないとね!」とかいう人間の心理をくすぐるようだ。。。

もうすでに置いていかれた生徒にとって、予習も、課題も、やっても受験には役に立たない。はっきりしている。多く見積もって8割の生徒にとって、予習も、課題も、息を切らすものでしかない。ほとんどの生徒がセンター試験止まりの中堅大学に行き、その他の生徒が消息を立つしくみだと僕はおもう。育英予備校よりも辛い。予備校には自由がある。高岡高校にも自由があるはずだが、自由を使うことができる生徒は少ない。体が、神経が覚えてしまっている。抑圧されている。処理しきれないと、病気になる。体のどこかが不調になる。

予習のテキストをみれば、それがどういう生徒を対象にしているのかが僕にはわかる。授業の進め方がどんなのか話してもらえば、それが誰に対する授業なのか僕にはわかる。2割の生徒のための教材だ。

学校でついていけないのは、たいていの場合、お子さんが怠惰だからではありません。勉強が足りないから成績が伸びないのではなく、勉強を一生懸命している(予習や課題をしている)からついていけない生徒が8割いる学校が、実際に存在しています。

宿題が二種類であり、復習、が入らないのは妥当だろう。学校は復習したかどうかをチェックしないからだ。管理されない復習をする気力が生徒にはない。が、しかし、復習しなくて予習の意味があるわけないとおもうのだが。

「勉強して体壊して無理して大学にいくよりも、健康で大学に行って長生きしたいんです」と話してくれた高校生。健康が大事。心が大事。命が大事。受験という経験を通じて、自分の心も体もを大切にすることを学んでほしいとおもう。

勉強することそのものに意味はないかもしれない。受験という経験を通じて学べるもの、気がついたこと、本気を出した記憶を、振り返ったあとで、春、桜の咲く道を笑いながら一歩未来へ踏み出す一瞬の充足感のために、今、「勉強」が目の前にいるのかもしれない。


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