受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。

高校生。

就職をするか、
受験をして進学するか。

私は今日、ふと、思春期のことを考えた。
中学校に入ってから、おそらくは高校を卒業をするまでが、思春期であるようにおもう。
思春期はどんな時期か。

体が一度、壊れる時期だ。
体をめぐる物質が変わっていく。
そこで物の見方も変わっていきながら、今まで見て来た世界と、今見えている、変わっていく世界との間で葛藤する時期。

そうだ、と私は思った。
通過儀礼というものがある。
身体的に痛みを与え、試練を与え、それを乗り越えた後に、大人として認められるという共同体のシステムがあった。

受験勉強は、通過儀礼であって、痛みを伴い、試練であり、社会的に与えられたシステムではないか。
高校卒業後就職する人、勉強をしない人にとっての通過儀礼は何かよくわからないが。

「受験って何ですか?」
高校生に聞かれたこの質問が頭の中で回り続けているのかもしれない。
私がその価値、その意義を、受験生にとって受験はどのような役割を果たすのかを知らなくて、その大切さを知らなくて、どうする。
正直、今まで気がついていなかった。

この通過儀礼を一人で、塾に行かずにやり通す人もいる。
まるで自分で悟りを開いていくイメージで、なんとまぁ珍しい人、といえるかもしれない。

塾の役割は何か。
一人では儀礼を完了できない人たちの手伝いをする。
試練を与え、そして儀式が無事に終わるように手助けをする人のことだとおもえた。
儀式は辛いものだ。何日も続く。その中で、必要な食べ物や水を準備してくれる人たちが、通過儀礼を支えている。

成績をあげに塾に来る人がほとんどだろう。
私は試練を与えよう。試練をやり通せるように支えていこう。

と、思った。

富山県では学校の課題をこなすということが、十分に通過儀礼になってしまうほどの試練である。
学校で儀礼を完了したければ、その儀礼を選んでもいい。

この大切な、大人への仲間入りをする、壮大な経験を、私に託してくれる人がいるとしたら。
私はどれだけの責任と、事の重大さを背負って、その使命を果たさなければならないか。

人生に関わり、人に関わる、それ以上に、受験に関わることが、これほど重たい事のように思えたのは、今日が初めてである。

バリ島に行った時の話。
バリ島にも成人する前の儀式がある。
この儀式には、お金がかかる。
僧侶を読んだり、来てくれた人にご馳走を出したり。。。
本来は村ごと、家族ごとにやることであるが、それができない人たちが集まって、お金を出し合って、もっとたくさんの人が一度にこの成人式(ポトンギギ)を行う現場に行ったことがある。

学校は、みんなでいっしょにこの通過儀礼を完了する目的で作られている。
成績を上げるために学校があるのではない。

そう思えた私は、「そうか、学校は成績を上げる場所ではないんだ」と気がついて、怒りが薄らいだ。
「校則・課題・非人道的圧政」によって3年間、試練を与え続ける。
その間に、高校生たちはお互いを慰めあったり、気晴らしに遊びにいきながら、この試練を乗り越える。

バリ島の共同儀式の現場の雰囲気を今でも覚えている。
流れ作業である。
それでも、仕方ない。
学校は宗教組織だ。
改宗したいなら、otononeへどうぞと言ってしまえば、だれもこないだろう。
店じまいをする準備をした方がいいだろうか。

人生に関わり、人に関わる、それ以上に、受験に関わることが、これほど重たい事のように思えたのは、今日が初めてである。
学校の先生は、その重さを知らない。
安価で、大量に、この儀式を終わらせる作業をしているのだから。

学校は、学ぶ場所ではない。その結論は、まだ変わりそうにない。

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