対話ができない政治家。令和時代の戦争とピクニック。

政治家と話をする機会があった。
いわゆる県議員と呼ばれる人たちと話をした。

まずもって、対話ができない。
僕の質問の意味がわからないらしい。

コミュニケーション的には、相手のレベルに合わせて喋れない僕が悪いのかもしれない。
政治のレベルは、そのレベルだとわかった。
というかそのまえに威圧的な権威的なその声の響やめてほしい。
おとのねさん、そういう声、嫌いなの。体が、本当に、無理っていうの。
宗教とかセミナーとかで聞く声ですよそれ。
あなたがしているのはなにですか。
目の前に学生がいるのに、学生の声を聞かないのですか。
あなたはなんのために、だれのために政治家をしているのですか。

言葉が、その人を表す。
喋ることが、その人を表す。

授業として、「政治とはなにか」を講義してくれるはずだったのだが。
演説を聞いただけだった。

それでも世界は回っている。
それで世界は回っている。

それで、子どもたちは、狂って踊っている。
小中学校に冷房入れた?それPTAのお金でしょ?中等教育学校?お金を教育に回したくないだけでしょ?
それが、何かの、意義ある政策かどうか。

それこそ、声を聞いたらいいのに。

富山県、石川県は、全国的に、教育にお金をかけていない県です。
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない)

それで、子どもたちは、狂って踊っている、ようだ。

日本は他の国から遅れて、30年前に教育を変えられなかった。
日本は100年前の教育を今でも続けている。
もう、遅れてしまった。
どうして子どもたちは狂わずにいられるのだろう?
戦地に弁当をもってピクニックをする毎日。
頭の上を砲弾がかすめる。
笑いながら、お友達とお喋り。

ある意味この状況がシュールすぎて僕としては感動するのだが。
これが多くの小中高校生の日常だと、僕は、僕は、少なからず僕は、思っている。

‹‹\(´ω` )/›› ‹‹\(  ´)/›› ‹‹\( ´ω`)/››
オモッテルー

令和時代にもう戦争は終わりにしよう。
だか、悲しいかな、子どもたちは、選ぶことを、教わらなかった。
選ぶことを、学ばなかった。

と思える。
もしくは、「忍耐」を学んだ。

自分の命にたいする責任を自ら負うこと、学ばなかった。
自分が自分でいることの価値を学べなかった。
自分の命に対する「責任」を学ぶことのできる大人がいないのだから、しようがない。
創造的に対話をしてくれる大人に学校で(ほとんど)出会えないのだから、しょうがない。

政治家のみなさん、子どもたちは、あなたの生き様を見て、なにを学びますか?
「世の中、コネと金だよ」ということを教えていませんか。ある意味事実ですが!

教えるべきことはなにですか。

子どもは何を「教わるべき」?

ある意味で、学校に行っていない子どもの方が、新しい時代の価値観をもって、新しい時代でしあわせになるチカラをもっているようにもおもえる。

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子どもの未来をつくる「学校」を新しい時代に向けて変えていこうとしない政治家は、今の日本には、必要ない。

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踊り疲れたら、おとのねにおいで。

戦争をさせられる子どもたち(学校という経験・受験という経験)

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