理解できない行為への問い「なんでそんなことするの?」への答え方

人は人を理解できない。

他人はとなりの銀河のごとく、まったく離れていて、計り知ることができない。

と私はおもっている。

けどもその銀河にも、別の宇宙にも、きっと僕のいる宇宙と同じ法則が働いているのではないかという期待もしている。それは人間らしさであり、人間性であり、「相手には自分の知らない意図や意識がある」という世界の捉え方だ。理解不能な行為がなされたとき、だれでも素直にこう心で呟くだろう。

「なんでそんなことするの??」

この問いへの答え方は、2つあると僕は思う。

一つはタテマエの空間。問いへの典型的な答えは「そうすることになっているから」だろう。組織によくある空間。新しいこと、心の動きではなく、過去を引きずって今と向かい合えない空間だ。後ろ向きで喋っているようなものだ。タテマエ空間では、人間が意図していない。過去が、心なき組織が作り上げた過去の亡霊の口ずさむ呪文のような響きが帰ってくるだけである。(組織を守るためには仕方がない!?)

もう一つはホンネの空間。これはまさに、今、目の前の他者に感じる“不自然さ”を、〈かつて・あそこ〉ではなく〈いま・ここ〉でおこっていることとして理解しようとする切実な要求である。

もちろんこのタテマエの空間とホンネの空間は混ざり合うことができる。混ぜ方によっては人を騙すこともできるし、人を救うこともできる。(心の仕組みを知っている人が人の心を積極的に操作することで、人を救うこともできるし、殺すこともできる)

「なんで学校に行かなくちゃいけないの?」この問いに、この問いを発した心に、面と向かって答えることができるだろうか。答えられることはないかもしれない。それでも向き合うことができるか。本気で、心からふり絞られた言葉を、意識を、タテマエ空間に分離して切り離される経験を重ねてしまえば、心はきっとバラバラになってしまうだろう。切り取られる苦痛に耐えられなくなってしまうだろう。

理解できぬ他者との切実な出来事が、心を他人に開く、ホンネの関係をつくりだす心を生み出す。この“切実な出来事”が生まれる場所は、いったいどこにあるだろう?

共感する心を、向き合う心を働かせたとき、人は自分の宇宙を超えて他人の宇宙へと飛び立つような、もしくはお互いの宇宙を離れてその真ん中で出会うような感覚になるかもしれない。(シャーマンなどは完全に向こうの世界にまで行ってきて、また戻ってこれるからすごい)人はいつでも、宇宙旅行にいける。

世の中は多くのタテマエ空間がある。この空間で心をすり減らしているのは子どもだけではない。大人もだいぶこの空間にやられている。タテマエ空間は、社会的な空間と言えるかもしれない(心あるタテマエ空間といえる場所もあるだろう)。このタテマエ空間でいかに生き残るか、と言う課題が、多くの子どもにとっては、重すぎる。学習環境として、タテマエ空間が適しているのか。会社と同じでいいのか。その子が判断できなければ、親が判断して、心を守ってあげるのも、いいかもしれない。

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