悪とは何か

世の中にはいろいろな悪がある。

「責任」という言葉についていろいろ考えてきたが、最近は「悪」について考えるようになった。
考えるというか、きにするようになった。

悪大名などという言葉がある。
うんうん。

悪臭という言葉もある。
うんうん。

私の考えはこうだ。
「悪」を教えるべきか。
教えるべきとすれば「悪」とは何か。

大切なのは「悪はどのようにして生まれてくるか」だろうか。
もし悪が生まれたら?
それは自分の中に生まれるかもしれないし、外に生まれるかもしれない。

痛みという「悪」の言い分を聞いてみる。
不正という「悪」の言い分を聞いてみる。
暴力という「悪」の言い分を聞いてみる。
うんうん。

同じ体験をしても「悪」だと感じない人もいる。
「善」だとおもっていたことが「悪」だったりする。

「悪」だとおもっていたことが「善」だったりする。

平和か戦争か。
「怒り」という感情は「悪」だろうか。

そうおもえば、悪は本当に、どこにでもある、大切なことで、ほとんど教わる機会がないものだ。
自己肯定感とは、「悪」に対するお守りを手に入れることなのかもしれない。

「悪」をどれだけ理解しようとしているだろうか。
(ちなみにバリ島では「怒り」=「戦争」だそうだ。冗談でそういっていた人がいる)

プールの中にはピラニアはいない。
ピラニアだと思っていたものは、実はみじんこだったと、よくよくみてみるだけでいい。
それだけで安心して泳げるというものだ。

プールの中にはピラニアがいるかもしれない(一匹、空から降って落ちてきたかもしれない)。
だから、全身鎧を着てプールにはいろう!

よくよくみないと、楽しいプールの時間が「悪」で満ち満ちてしまう!
外にあるものの観察と同じくらい、中にあるものを観察すること。
言葉のレッスンの大切さを、私はつくづく、感じている。

オトノネひろげるシェアぼたん

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