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第 二 夜:身体の態
私がこの本を書き始めた時、私よりも先に多くのものを見聞きした人達がいた。彼等はもうこの世にいないが、本だけは残っている。私は沈黙している本の供養をしようとしているような気がする。死者の語りに耳を傾け、彼等の言葉をもう一度口にして現代に生き返らせることに、私の価値があると信じて書いている。たとえ幻覚だとしても、彼らは姿形を変えて生き続けている。彼等は今将にこの時代を歩いていることを、書きながら感じることができる。
ところで、幽霊は本当にいるのだろうか。私が韓国で、幽霊が見えて、幽霊の話を聞ける人の話をよく聞いたことがある。霊力のある彼女は居酒屋で、とある店員さんに「あっちに行ってほしい」と言った。何故か?
「あなたについて来ている幽霊(韓国語では「鬼神」という)が、ぶつぶつ呟いてうるさい」からだという。そして「こういうワケがあるって(鬼神が)喋ってるけど、そうなの?」と店員に聞くと、店員は、そうだ、どうしてわかったのだと驚いたという。
オカルトと言われるかもわからない。ただ、見える人達も見えない人もいる世界があるというだけだ。私も幽霊は見えないほうだ。目には見えない人物と自己との境で舞台に立つことが、俳優の仕事だろう。耳を澄ませば、いつも聞き取れない声だってきこえてくるかもしれない。俳優は、自分の身体を越えることもできるのである。
第一話 神の器
肉の膜
人は、どうやって神を知ったのだろう。神とは何者だろうか。人は神をどのように利用したのか。神はもともと、声であった。『楽器の歴史(上)』には、この神の声を模す支配者達の姿が書かれる。
グナール・ラントマンは次のように述べている。「ニューギニアの最も原始的なある種族では、王や酋長は民衆に話しかける時、いつでも口に貝トランペットをあてている。そこで彼の声はとても響きのついた音になる。」(三四頁)
言葉は人間の身体であった。身振り手振りや声、体を叩いての信号や表現を創り出していたものを、人間は身体から分離し、道具とし、二つに分化し発展させた。一つは文字であり、もう一つは楽器である。どちらも神の声、神の姿を目の前に感じとるための方法であった。楽器は単純に叩き鳴らすもの、振り回すもの、擦るもの、唸りやざわめきなどの異様な自然音を発する体鳴楽器Idiophonesから、人間の言葉を模すかのようなメロディーを奏でる楽器へと変化していく。文字も自分の所属する共同体の中で使われる文字から、自分の棲家を越えた社会の中で使われるのに適した文字に変化する。しかしどちらも人間が捉えた、人間が操作しようと試みた神の形象だ。中国等では文字の中には未だに神や山や川が残され、楽器は八つの素材によって分類され、音律にも宇宙が取り入れられている。文字は模様という意をとり更に仮面や装束も分流となる。そして体を動かせば鳴り響くガラガラは装束でありながら楽器であり、楽器に刻み込まれた模様は文字である。楽器と文字は人の身体を離れてからも、互いに混ぜ合わさって存在する。これを「専門家」が分離し別々のものとして発展させて来たが、二つは一つである。神の言葉を写し取った文字が神聖であるように、神の声をうつしとる器としての人間もまた、神と同格になる。
*
神の言葉を聞き取るが、同時にまた伺いを掛けたり、願い祈るのも人間の性だ。白川静は『詩経』で漢字の発生から歌という時の本義を探し当てている。
「歌は、おそらく『訴ふ』という語と語源的に関係があろう。文字の起源的な意味からいえば、歌は神を責めて呵し、神に訴えるものであった。歌と意宇治の基本的な要素は可であり、歌は古くは訶とかかれた。春秋期の青銅器の銘には、歌の意にその時が用いられている。可は木の柯の形と口から成る字である。口は古くはㅂとかかれ、それは「のりと」を入れる器の形である。(略)歌は呵する声を意味した。目に見えぬ寄進を動かすには、激情的な表現が必要であった。(略)區は匚形の秘密の場所に多くののりとの器であるㅂをおき、そこで祈る意であるが、毆は呵とおなじように、これに鞭を加える形である。その声は低く、力強く、威力にみちた般若声であった。その歌が謳であった。謳歌は、のち祝頌の歌をいう語となったが、もとは神の徳をはやし立て、訴えることばであった。さらに遡っていえば、毆の字が示すように、それは神を畏迫することばであった。(一六頁)
神に訴えるために使う呼吸法は、現代の「歌唱」とは全く違う。「呪法」であって、美しく聞こえるためではなく、どこにいるかもわからぬ神に問いかけるための声だ。呼吸法は、例えばバラモンの司祭が呪文を唱えながら反睡眠の状態になるのに重要な役目を果たす(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)三二頁』)。
右の鼻孔から息をすえ、
アウム アン 赤い色
左の鼻孔から息をはけ、
アウム アン 黒い色。
*
人は人の声の中に神の声を聴いただけではない。神はそこら中にいて、唸りを立て、ほのめかし、ざわついている。クルト・ザックスは『楽器の歴史(上)』で「昔の人は、豊かな、人をひきつけるような音を出そうとして楽器を作ったのではない」と述べた後で次のように記す。
人が木片を振り回したり、つろな枝や海潟や骨などに息を吹き込むと一つの声が答える。それは何の声だろうか、誰の声だろうか、自分の声でもなければ他人の声でもない。それは神霊、悪魔、先祖であろうか。見る事も触れる事も出来ないちょう自然的な力のように耳に聞こえるのである。(二六頁)
思えばインディアンのスー族がテントの中で行う儀式でも、ガラガラヘビの音、太鼓の低い、唸り声、ささやき、鳥の羽ばたきが聞こえた。そういった音が実在となってテントの中を暗闇に溶かして宇宙と繋げる道となる。ただ、私たちはトーテムももたない、カミもよくわからない。都会のジャングルで生きる猿である。音は命であり、山の崩れる音、川の溢れる音、雨の振る音は凡て、生き物の暮らしそのものであった。現在は楽器と呼ばれているものは、時代の洗練をうけ近代化されたが、一方で噪音を復活させる人々もいる。こうした二つの方向は人間に備わった本能だ。
中央アメリカの体鳴楽器の中で「最も重要なのは片側にずっと歯形のギザギザのついているこすり鳴らす骨であった。メキシコ人はこの楽器をオミキカファットリomichicahuaztliと呼んでいる、最初にこの楽器を見たスペイン人は闘いで死んだ者や、いけにえの石の上で囚人として死んだ者達を祈念する儀式で、この楽器が「非常に悲しい音楽musixa muy triste」を奏していたといっている。」たいていの場合にこの楽器と一緒に奏されていたのは牝鹿の枝角で奏する亀の甲ayotlであった。(略)これは打ち鳴らしたというよりはデコボコの面をこするのに用いられていたに違いない。」(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)一九〇頁』)
日本では円筒形の「ささら」が擦って鳴らされている。一体誰が擦り合わせて出る音を拡大し、別の物体に移し替え、依り代としたか。現代人も負けてはいられない。
皮の膜
ドラムの製作と食物を入れるための土器の壷の製造との間にはなんらかの関係がある。固い果実の殻を器につかうことから段階を経て粘土の壷へと進化したのとおなじように。東アフリカの鍋太鼓がある。このドラムの上川は垂直で、それからだんだんと傾斜して地面に接している閉園の底まで小さくなっている。この円筒・円錐型のドラムは、中央及び東部ヨーロッパの新石器時代後期に出土した水さしのあるタイプのものと全く類似しているという。(『アジアと土器の世界』)ドラムが木からくりぬかれるまえには、これは器を作る智慧と技術があった。この技術は人の中でも神に近い人がたまたま創り出すしかなかっただろう。無心になって、「意味もなく」穿ち続けた結果できた窪みを、常人がふとめにして使用した。狂人が時代を動かす。器に、そのうち蓋をする発想が現れた。それは皮で覆ったかもしれない。板で覆ったかもしれない。命の源である器が発した音は、人の者ではない。人でなければ声を出すのは神しかいない。神とはそういう存在である。動物に口を聴けない孤独な人間が創り出した幻想だ。ドラムの神聖、豊饒との深い関わりをクルト・ザックスは『楽器の歴史(上)二〇頁で次のように述べる。
ドラムに関するこの奇妙な信仰は東アフリカのワヒンダの歴史物語にもみえる。ドラムを見る事は命に関わる事であって、サルタンですら新月のとき以外はドラムを見てはいけないのである。ドラムは夜のうちに男達の手によって運ばれるが、しかしドラムは自分自身で移動する力を持っている。かつて一つのドラムが走り去ったが、原住民は沼地に隠れていたドラムを発見した。そこにミルクが泡立ってわき出していたので、ドラムが隠れている場所とわかったのである。この二つの話の中には一つの特色ある一連の内包群がある。ドラム、まるさ、ドーム、囲い値、大地、夜、搗き、ミルクなどがそれで、それが原始的な精神では女及び女性の内包である。しかし前述の東アフリカのドラムでは、手を用いずにばちで演奏されるので排他的な女性的性格は失われている。しかし女たちがドラムを奏するときはいつでも手で奏する。バチ(棒)は男根崇拝のシンボルだからである。一九〇一年にレインディア・コニャックの娘(カムチャック)は次のように語っている。「大ラーベンの生きていた時代のこと……外ではまだドラムが鳴っていた。一同が家にはいって行くと、ユニバースがドラムを打ち、そして彼の妻の雨乞い女がその隣りにすわっていた。雨を振らせるために彼は妻の陰門を切り取り、ドラムの上に掛けた。それから自分のペニスを切り取り、それでいつもバチの代わりにドラムを打った。……」
実りと楽器が組み合わされるのは日本も同じだ。能登半島では「豊年太鼓」が祭にでる。港町では「豊漁太鼓」と名前を変える。祭で太鼓が使用されるというのは世界共通だ。そこにはいつも人間の性が関係する。
南アフリカでバ・イラの娘たちの成人式が行われる時には、母方の伯母が「自分の両足の間に大きな土製の壷をはさみ、片手で壷にかぶさっているなめした皮に垂直に立っている葦をゆるく握りながら、もう一方の手をちょっと水にひたして、この葦にそって上下にこするのである」。この成人式は性生活への準備であり、適当な動きを教えるものである。このように資格的・聴覚的に構成された指導は原始的な精神に典型的なものである。(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)二五頁』)
地域によって、例えばデュオニソスの祭やシビリーの祭でドラムを演奏するも御は、ギリシャでもローマでももっぱら女性に限られており、このドラムは軍楽にも使われていないし、ほかのどんな音楽にも使われていない。(一四三頁)一方で男性だけが演奏を赦される文化もある。大洋州ではドラムが完成する前に女たちの目にふれただけで、もう役に叩くなるという(二一頁)。叩くという振る舞いの他にも、擦る、摩る、触れるという動作への衝動にも抑え難い者が有る。スクレイパーScraper(擦るもの)は棒、貝殻、骨などに刻み目をつけたもので、走者はそれを固い者で擦って鳴らすのである。(略)悲しげな音をたてる骨のスクレイパーはまた愛をも目覚めさせる。チェイエンヌのインディアンが伝えている物語がある。(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)二八頁』)
霊力を持つひとりの男が彼らに次のように行ったー「あの娘はここにやって来て君達のダンスを見るだろう。そして彼女は君たちの中野ひとりと恋をし、その若者は彼女を得るだろう。さぁ、行って一歳の大角鹿の角を持って来てくれ、又のない角を、それから羚羊の脛の骨も頼む。」ー若者達は彼が求めたものを持って来た。彼は大角鹿の角を蛇の形にほって、その上に四十五のギザギザをつけた。次に彼は羚羊の脛の骨で、いま作った角をこするものを作った。そしてこの道具がダンスの中で用いられたのである。娘はそこにやって来て踊りを見、そして恋をして若者のひとりと結婚した。」
それにしても、太鼓は本当に食糧貯蔵の壷から作られたとはいいきれない。北方民族のもつ太鼓は見た目、楯である。最初は楯を叩き鳴らしていたのが、いつの間にか皮に置き換えられたのかもしれない。次は、山本祐弘『北方自然民族民話集成』一九四四年、南樺太の大河、幌内川に浮かぶ北の島々が住む島、オタスで行われたギリヤークのシャーマンの様子である。
やがて若者は太鼓、今夜の重大な祭器である太鼓を取出してストーブの上で炙り、ときどき皮をはじいて調子をみている。この太鼓は巫術修法の中心である。ここで見る太鼓は大きい。長径二尺五寸、短径二尺くらいで不規則な楕円形である。アイヌのカチヨ(太鼓)より遥かに大きくて立派である。団扇太鼓で、裏は大体十文字に紐が渡してある。表面は飴色に光って、その右上手に大きく異形な鳥の模様が描いてある。この鳥の形がまた素朴で美しい。「あの鳥はなに」と私は隣りのプキイヨンに聞いて見た。「あれは、鷲だ。今夜のシャマ(巫者)のセワ(偶像)だ。シャマによっていろいろセワがある。シャマのワシカのセワなんだ。今夜はオロッコのワシカがシャマをやるんで、あれはワシカの太鼓だ」と語ってくれた。巫者は常に自分のセワ(seu(^の逆)a)を持っていてー鳥の形、海獣の形、人体の形などを自分で象徴かしたものを作り、守り神としている。ワシカのセワが鷲である。それを、神を呼び自分の憑神が乗りうつってくる大切な太鼓に描いて護持しているのである。(略)特にシャーマンをやる巫者などは、木でシャーマンの偶像を作り、シャーマンのカミとして家内に秘蔵し、且つ自分の神を象徴する形態を秘宝、着衣などにつけている。
太鼓は神と人、人と宇宙を繋げる。だから「太鼓の内側は、シャマンが手助けしてもらうために呼んだ諸霊の集る場所であり、天地をそなえた世界の縮図として書き出されて」いるのである。(ウノ・ハルヴァ『シャマニズム』)この太鼓一つにも文字と音楽の言葉の二重性が象徴されている。楽器の神聖は勿論ドラムだけではなかった。そして神聖というのは、「威力」を意味し、アイヌの「イモシカムイ」のように、力を制御しなければならぬものでもあった。そのために楽器は厳重に保管され隠されるか、破壊される。
アマゾンのある種族の間では、トランペットをみた女は殺されるという。また他の土人は使った後で楽器をこわしてしまうか、口の部分を小川の中に隠しておく。これとおなじ習慣がオランダの南部に残っている。アルプホルンと同様の木製トランペットがキリスト降臨祭に吹き鳴らされ、また次の年まで井戸の中に隠しておかれる。(三三頁)
神の供物は壊されてから供えられる「破壊」の文化、忌みという「隠れ」の文化も神と関わる人や物に対する人間の怖れから生じる。この畏れが楽器自身をも神とし、もしくはアイヌの「イクパスィ」のような神との媒介者として大切にされる。楽器は柱と同様に、呪術の道具であり、カミであり、人が幻想をつくりだすための器である。
倍音を与えドラムを調律するために使われている「ペースト」の起源について(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)』頁)この調律用ペーストの本来の意味は全く別の者であった。いけにえの法典アサルバ・ベーダは、チアあるいは赤い塗料がいけにえとして皮の上に塗られたといっている。(略)しかし現代インドの音楽家たちは、この調律用ペーストの起源を知っていない。(クルト・ザックス『楽器の歴史(上)』一四九頁)