四畳半の、別世界。

グンデルの音、きいてみませんか

グンデルは一人で演奏する楽器ではありません。二人で演奏します。そして二人の「手」は違います。めちゃくちゃ、深い。グンデル、練習してみませんか?世の中にはいろいろな楽器があります。ギターなら、吟遊詩人が持ち歩いて、歌い、物語った歴史があります。ピアノなら、西洋の貴族社会の中で、貴族文化の中で育ってきた経緯があります(だから今でもテクニックを競い合うのでしょうか)。グンデルには儀式や信仰、そして人と人の関わりが深いバリ島の社会を背景にもっています(現在は、テクニック重視の文化がでてきました)。楽器を習う気持ちもひとそれぞれ、もしあなたがグンデルの音を好きなら、おとのねさんと一緒に練習してみませんか。

《otonone》とは?

だれもが同じ世界で、ちがったものを感じている。

ひとりひとり、感じていることが違います。例えば同じ公園にいても、ある人は鳥の声を聞いたり、ある人は向こうにある空をみたり、木の緑をみたり、ある人は遊んでいる子どもをみたり。感じて、何をするかも別々です。ギターを弾きたくなる人もいれば、歌を歌いたくなる、走り出したくなる、踊りたくなる、おしゃべりをしたくなる、深呼吸をしたくなる、座ってゆっくりしたくなる…。そんなあたりまえのひとりひとりの違いが、とてもおもしろいと私はおもいます。ひとりひとりが出している音は、例えば同じ“ど”でも違います。それが音の音-オトノネ-です。音楽の世界の話をしましょう。世界にはいろんな音楽があります。場所が違えば楽器も音楽も違います。それがおもしろいのです。私ももっと自分の音を出していきたいとおもっています。みんなが自分の音をだせば、世の中はもっとおもしろくなるとおもっています。ですが、実際はどうでしょうか。幼稚園、保育園、小学校から高校まで、一斉保育、一斉授業、団体行動、教員の定員が減り続けているために、ひとりひとりの音を聞いたり、ひとりひとりの音を重ねる経験が少なくなってしまいました。「君の音は違う。そっちじゃなくて、この音を出すんだ。」というオトナがたくさんいます。ひとりひとりがもっている気持ちと、その気持ちをひとに伝えることが、知らず知らずの間に制限されています。

子どもに美的体験をしてほしい。

だから本当に自分が感じていることを受け取って、感じたそのままを表現することが大切だと私はおもっています。目の前にアリの巣がある。ほじくり返したい。ほじってみることは美的体験です。目の前の人と、心を通じあわせて、相手の言葉から、表情から、自分の感じたことを、気持ちを話すことも、美的体験です。こうした相互のやりとり、関係性を公教育の中で実践できていないと私はおもっています。悪いことをしたら、叱る、罰する、規制をかける、もしくはおだてたり褒めたりして望ましい行動に導くことから美的な体験は生まれません。一方的だからです。美的体験にはイイこともワルイこともありません。アリの巣をほじっていて「ありがかわいそう」だとおもうことはいいでしょう。ただそれで「ありがかわいそうだからやめなさい」と言ってしまえば、その子が手先を使う練習、アリの動きを目で追う眼球運動の練習、そして何が起きているか、因果関係を推測する練習を奪うことになります。子どもは遊びながら、楽しみながら、自然に成長していきます。けど「かわいそうなものはかわいそう」とおもう人もいます。だから美的体験は、葛藤が生まれることがほとんどです。けれども美しい何かに惹かれて、その葛藤に真正面から向かい合うことができます。

不安が絶えない世の中で

美的体験とは、簡単に言えば心を開いて没頭できる時間のことです。将来、もしくは現在、子どもはいろんな葛藤に直面します。その時の助けになるのが、美的体験だと私は思っています。例えば学校、会社といった組織に入ったとき、自分の気持ちを押し殺し、ストレスを抱えることになります。社会に出たら誰かから規制や要求といった一方的な関わり合いをすることが多くなるでしょう。もし我慢だけをしていたら、おもしろいことは何も生まれません。美的体験をしていたら「あんなステキな時間があった。自分はこうやって表現していいんだ。自分のやりたいことをしていいんだ」と思えるかもしれません。美的体験は子どもが心を開く鍵になります。もちろん、葛藤は続きますが、子どもの頃に時を忘れて何かに没頭して楽しめること(心理学の専門用語で“フロー体験”などといったりします)は、人生のかけがえのない大切なものになるはずです。いじめや不登校、ひきこもりといった状況に陥ったとしても、「あんなステキな時間があった」という記憶は、子どもが自分で前に進む、成長するために必ず助けになるはずです。音楽療法というものがあります。本に書かれている事例を読めばわかるように、音楽療法は美的体験によって、人を癒しているのです。

四畳半の、美的体験。

美的体験は人とちゃんと話すことでも体験できます。一人で何かに没頭していても体験できます。私は音楽で子どもとこの体験をしたいとおもっています。だから、技術をならって発表会で発表する、大きな賞をとることとは違う音楽体験です。もちろん、ならいながら上手く弾けるようになったら、誰かの前で演奏することもできるでしょう。ただ技術を競い合う音楽と、美的体験はちがいます。技術だけ磨いて、演奏者の音が聞こえないことが、多々あります。つまり楽器の音が聞こえはするが、音を出している演奏者が見えないのです。これまでの音楽体験会を通じて、たった一つの音しか出せない子と一緒に演奏をしたことがあります。その子は一つの音しか出しませんでしたが、私もおもしろかったし、その子もおもしろかったと言ってくれました。私はいつも、自分が忘れかけている何かを、子どもたちと音楽を通じて、思い出しています。そんな不思議な四畳半で、オトノネを聞いてみませんか。

Facebook(体験会の様子はここからみられます)

グンデルを習いたいひと、《otonone》を訪ねてみてはいかがですか?

写真はインドネシアのサンガールsanggarの様子。お昼過ぎに学校が終わった後、子どもたちがやってきます。
otononeは「リトミック」や「ソルフェージュ」といったプログラムを提供しません。
保護者の方が一緒の場合は、乳児・乳幼児でも可能です。
音楽療法的な専門行為も可能ですが、対応できない場合もあります。
児童養護施設、学校等へ出向くこともできます。応相談です。

ガムランgamelanとは?

インドネシアの楽器編成の名前。青銅と共鳴管で構成される打楽器で構成される。西欧でいう「オーケストラ」。オーケストラのなかにヴァイオリンやチェロがあるように、ガムランのなかにも様々な楽器がある。また西洋であれば四重奏や室内曲といった楽器編成による違いがガムランにもある。インドネシアでは、獅子舞と同様、町レベルでそれぞれガムランを所有しており、多くのサンガールsanggarがガムランを日々練習している。

サンガールsanggarとは?

インドネシアのコミュニティーの名前。先生がいて、好きな人が集まって、芸能を習う。ガムランのsanggar、グンデルのsanggar、踊りのsanggar、笛のsanggarなど、先生から直接習って文化を継承する場所。先生の家で集まったり、地域の集会場(パンジャールpanjar)で集まって練習をする。お祭りがある時などは、サンガールsanggarが呼ばれて出し物をしたり、儀式の時に呼ばれたりと、実践の場が社会的・文化的に準備されている。

グンデルgenderとは?

ガムランの中でも特に儀式で多用される。影絵芝居で使われることで有名な楽器の名前。インドネシアのバリ島では教育委員会がグンデルの競技会を主催し、若者のグンデル離れに歯止めをかけた。現在、多くの後継者が育成されている。グンデルは2つで一つの音をつくる。梵鐘やお鈴と同じく「うなり」をもつ。

バリ島で習って来た曲のリストです。

曲名: pakang raras(パンジー物語にでてくるララスさん)

曲名: cecak megelut

曲名: cerucuk punyah

曲名: sekar sungsang(さかさまの花)

曲名: bima kroda (ビマ神の怒り)

曲名: sekar taman(花の庭)

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