不登校

不登校は社会問題。燃え尽き症候群と8050問題。いじめ。ひきこもり。

不登校は社会問題。燃え尽き症候群と8050問題。いじめ。ひきこもり。

はい。

最近知りました。
家にテレビがないおとのねさんです。

事件があったようですね。

現実ですね。
「うちの子は関係ない!」と思っているお父さんお母さんがいるかもしれません。
けどお子さんが暮らしていく世の中だと思ったら、気持ちも変わるでしょうか。
お子さんに、お子さんが生きていく時代のために、今、時代を生きる知恵をお父さんお母さん自身がつけておくのもいいのではないかとおもいます。

ちなみに今は8050問題と言っていますが、昔はこれが「オウム真理教」だったり「サカキバラ」だったり、名前が変わっているだけで、実態は変わりません。またそのうち忘れられるとおもいますが、あれから何も変わってないなぁとおもうおとのねさんでした。

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簡単に言えば、日本で暮らす人たちは概してみんなひきこもっている。と僕はおもっています。
小学校から高校まではもちろん、高校卒業後、高学歴の人でさえひきこもる(オウム真理教の幹部は超高学歴でしたね)。
それが孤食という言葉に置き換えることもできる。
よくよく思い起こせば、高齢者が自宅で一人で孤独死するということも、ひきこもりだといえる。(みんなひきこもりたくて引きこもっているのではない)

さて、解釈(物語)をはじめましょう・・・・

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今、50才でひきこもり(人間関係がつくれない)をしている人がいるということは、どういうことだろうか?
今50歳の人が20才の時、どんな時代だったか。30年前。

1990年をバブル崩壊としよう。今、2020年だとしよう。ぴったり30年前だ。
20歳まで、バブル時代に育てた価値観をもつ親の影響を受けて育って来た世代だ。

1945年、終戦した年に生まれた人が今、75才。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代、三種の神器と呼ばれる家電製品、テレビ・冷蔵庫・洗濯機を夢見て働いていた時代を経て、ボンボンの子が学生時代に車を親の金で買ってもらい乗り回す時代を経てきた。

バブル時代の価値観を「働け。儲けろ。地位を築け。そうしたら幸福が手に入る。」と安直に考えてもいけない気がするが、それでいいとも思えてしまう。

20歳のとき、20年間をバブル時代の価値観で育った人たちが投げ出された世界は、どんな世界だっただろう。
異世界?「8050」の「50」の人がどんな暮らしをしてきたのかわからないが。想像はできる。

親の価値観から自立ができていないのだ。
自分の価値観で自分の生きている世界を見られない。
親から自立していない。

思い描いていた人生が崩れていった時、自分で立て直すことができなかったのだろうか。
親のつくった道を歩くことしかできなかった(そしてその道は失われた)のだろうか。

バブル崩壊から、いろんな社会現象が起きた。
その中で「発達課題」を超えられなかった人がいるということだろうか。

大学時代か、仕事をしている間か、どこかでなにかがおかしくなった。
うん。それでDVとかも増えるのね。

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ここからは学歴の話。

学歴社会の始まりを申すと、明治時代に西洋を習って作られた大学から始まる。
大学で育てられた人がいく道は「官僚」もしくは「先生」、「役人」だ。
技術者ももちろんいただろう。いわゆる公務員。

学歴は「国に雇われる」ために必要だった時代。

そしてバブル時代といえば。逆に民間にいた方が儲かった時代。「なんで公務員になるの?」という時代。

それからバブル崩壊。「公務員っていいよね」となる。

で、いつからかわからないが、おそらく、ここが、ごちゃ混ぜになっている。
おそらくマスコミ、教育産業が台頭しはじめてから?

1955年河合塾、1957年代々木ゼミナール設立。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代の幕開けと共に、大手予備校は始まった。

おそらく、新しいテクノロジー、メディアに乗っかって「学歴最高だぜ!」という価値観を広げていたのかもしれないとおもって、河合塾の当時のCMを探して見た。7分11秒あたりからみてみてください。(いつのCMかは、わかりませんでした)

どうですか!
輝いてみえますか!

もう部分的には完全に学歴社会終わっているんだけどねー(実際に今も学歴が大切な採用基準であることは別の記事でも書いた。合理的にね。)
幻想はいつまでも抱き続けられる。

現在、高学歴”だからといって”いい会社に入れるわけでもないし、入れたとしても仕事ができない、人間関係ができなくてやめることになるかもしれない。不確定な時代だということしか、確かなことがない。ようこそ、量子力学の世界へ

富山中部高校にいっても、少なくとも3割の生徒は富山南高校と同じレベルの大学へ行く。学歴社会が高校時代から始まっているとしたら、その結果は、すでに大学受験でみえている。学歴社会ではないことが証明されているといってもいい。

一体「学歴社会」って何なの?
はっきりと説明できるひとがどれだけいるだろうか。

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日本はメディアがよく「幻想」を作り出す。8050問題も「幻想」かもしれない。
景気も「幻想」かもしれない。何しろ、不確定な時代だ。

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マスコミの影響を受け「景気がよい・わるい」で一喜一憂している世代と違い、もう今を生きる子供たちは、景気など知らん顔で暮らしているようにおもうし、実際もう(バブル時代がよかったというなら)好転しようがないほど日本はもう、戦後を離れた。経済の仕組みも変わった。

しかし町ぐるみで、いまだにそれを夢見ている人たちがいる。
同じ夢をみれない、みたくない人も「みんな一緒に!」するのはどうかとおもう。

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1975年から出生数は継続して下がっている。
日本をアメリカに売るためのプログラミング教育と小学英語教育じゃないの????

謎なことがたくさんありすぎて、不安定すぎて、もう頭が混乱する。
日本は、基本、不安な国だ。
そして不安に対する対処法が、引きこもりかもしれない。日本人のあるべき姿なのかもしれない。(だからこそアニメや漫画が発達した?)
そう考えれば、ひきこもりなど、8050問題など、新しいビジネスをつくろうとする人たちの目論見の一つなのだろう。
くらいに軽い気持ちでとらえられないだろうか。「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」とか

そう考えることもできる。

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そうそう。今日たまたま県議会に行くことがあって、パンフレットの中に謎の表現があることを発見。
「県議会の仕組み」→「常任委員会」→「教育警務委員会」→「教育委員会、公安委員会の書簡に関する事項を調査・審議します」

いやいや、なんでその2つが一緒になってるのよ。
ああそうか。学校のモデルがもともと刑務所と軍隊だからか。軍隊も警察も繋がっているからね。学校ってそういう場所です。歴史的に。

これから通学路に警官が配置される時代になるかもしれないね。
あ、国にはお金がないね。無理だね。やっぱりお金を出して護衛してもらうんですね。
「お子さんの登下校、専属の警備員が守ります!」

歴史、大切。

みんな、歴史を背負っている。
学校の先生は悪くないよ!しょうがないんだよ!

だから助けてくれる別の人が、学校の外にいたらいい。
と、オトノネは考えています。

燃え尽き症候群は自己欺瞞が原因の学習性無気力?社会的不登校の一面

私たちの大多数は、心臓発作や自殺にいたるほど働きすぎたりはしない。いや、違う。私たちはただ、ひどく惨めでも状態を受けいれてしまうのだろう。この問題はふつう、「燃え尽き症候群」と呼ばれる。だが 興味深いのは、心理学者たちが、燃え尽き症候群はただ過剰なストレスによるものではなく、ありきたりな臨床的うつ病だと気がついたことだ。『燃え尽き症候群とうつ病の比較症候学』と題した論文には、「この度の調査結果は、燃え尽き症候群とうつ病が別の疾患であるという仮説を裏づけるものではなかった」と記されている。

誰でもストレスを経験するが、大半の人は休みを取れば回復する。こ の分野で指導的な研究者で心理学者のクリスティーナ・マスラックは、 本当の燃え尽き症候群は、自分に適していない職業に就いたときに起こると言う。 

仕事に夢中な人間は、人間関係を壊し、物理的な極度の疲労から死ぬ可能性はあるが、一般の労働者のように燃え尽き症候群にならないのはそのためだ。研究者のキャリー・チャーニスとデビッド・クランツは、「従業員が自分の職務を単なる仕事ではなく天職ととらえる、男子修道会やモンテッソーリ学校、宗教関係の施設などでは、事実上燃え尽き症候群が見られない」ことを発見した。 

しかし、果たすべき役割が自分に合っていないとき、負担が重すぎるとき、あるいは職務が自分の期待や価値観と一致しないとき、あなたに及ぶ悪影響は、ストレスの問題だけではなくなる。恐いのは、ものの見方が変わってしまうことだ。いくら努力しても自分が進歩しないと感じ、やる気を失い、ついには疑り深くなり、悲観的になる。

つまり、燃え尽き症候群はグリット(やり抜く力)の裏返しである。 海軍特殊部隊シールズやマーティン・セリグマンの実験について紹介したとき、楽観主義が回復力につながることを見てきた。それと対照的に、自分の職に対する悲観的な態度は、燃え尽き症候群につながるのだ。「どうにもならないし、私の手には負えない。いつまでたっても状況が良くならない」と。

困難に耐え抜けばいいじゃないか、と思うかもしれないが、悲観的な心理状態にある人にとって、成功を成し遂げるのは非常に難しい。 職業評価等に関する研究結果を紹介する『ジャーナル・オブ・キャリ ア・アセスメント』誌に掲載されたジュリア・ベームとソニア・リュボ ミルスキーによる研究によれば、楽天主義があなたを前進し続けさせて くれるとすれば、燃え尽き症候群は悲観的な下方スパイラルにあなたを陥らせる。そうなると、何をやっても無駄に思え、職務をまっとうするのが難しくなる。そしてしまいには、気づかぬうちに過労死を望むようになるかもしれない。

こんな状況を打破するにはどうしたらいいか? 給与が大幅に上がれ ば、辛抱するだけの価値があるという意見も多いが、それは間違っている。『仕事の主観的成功と客観的成功の相互関係は経時的にどのように 変化するか』と題した論文によると、給与は仕事の満足度を高めないという。賃金が増えたからと言って、職務が自分に合うようになるわけではない。すなわち、燃え尽き症候群を減らす可能性もない。もしも自分に合わない職業で働きすぎているなら、転職を考えるときかもしれない。

もしあなたが夢中になれる仕事でキャリアを追求しているなら、解決策は意外なものではない。すなわち、あなたはもっと人とのつながりに時間を費やすべきだ。米国医師会が第一線で活躍する医師を対象に、燃 え尽き症候群をどのように回避しているか調査したところ、多かった回 答の一つは「家族や友人と問題を共有すること」だった。

要するに人には限界があり、バランスの取れた豊かな人生を築くには、自分に合ったキャリアに加え、支えになってくれる最愛の人びとが 欠かせない。成功を極めるには、常軌を逸したような仕事ぶりが必要かもしれないが、それではバランスの取れた充実した人生を送れないのだ。

このことは、また別の問題を提起する。もし私たちが成功を望みながらも、友人や家族との絆を大切にしたくて、うつ病や燃え尽き症候群に もなりたくないとすれば、本当はほどほどに仕事するほうが、豊かな人生につながるのだろうか? 遊び心を持ち、人生を楽しみながら成功す ることは可能だろうか? あるいは、それは夢物語だろうか?

改【いじめ、ダメ?】島氏の市議会議員辞職によせるおもひ

「戦う」場、「作業する」場、「人を理解する」場、「人と学び合う」場

あなたにとって、この世界は、今いる場所は、あの場所は、どんな場所なんだろう。

 

あなたは、どこで、生きますか?

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オトノネ が学童をしようとしていたとき、「芝園キッズ」で出会ったのが島氏だった。
議員だから出会ったわけでもなく、学童をやっていたから出会った。

都知事選もあり、あれれ、そうだったのかと驚きつつ。

↑都知事選について話すガレイさん

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島氏の辞職の話がFBで流れてきたので心に留まってしまった。
以下、ただ心に浮かんできたことをそのまま書き記します。

いろいろな「理由」を島氏のFBで拝見する。

が、数の暴力に負けたのではないか、という思いが残った。
市議会議員を志したときの思いはなんであったのか。
それが「数」の暴力でどうしようもできない無力感、無気力に苛まれていたのではないか。

と思う。

魔界とは「暴力」で溢れている世界だ。

学習性無気力について
https://otonone.com/wp/psychotherapy/learnedhelplessness/

県議会を見学したことがある。
例えが悪いかもしれないが、怒りを込めて表現すれば「幼稚園のお遊戯会」である。(その日はたまたま発表会だったのかもしれない)
もしその中に島氏がいたら。
そのなかで一人、一人だけ、ぼっちにされ、はぶられ、いじめられていたかもしれない。
と想像してしまった。(いじめられたけどいじめられたと言えない子どもがどれだけいるのかわからない)

いじめは、日本人のコミュニケーションツールであって、どれだけ「ダメ」といっても「ダメ」といっている大人自身がやっているのだからまったく説得力はない。

「暴力」でも同じだ。

いじめも暴力も、日常的。
すぐ隣にある。

「あいつ、転校したんだって」
「まじで?やっぱり?」

国会すらまともにやっていないのだから仕方がない。というしかない現実がある。
健康な「心」が擦り切れる場所であることは間違いない。

政治は結局のところ戦いだ。
「数」の戦いだ。
現実として、対話ではない。(民主主義ではない)
現状として、政治は数の暴力だ。(それが現状だということが、事実なのか、解釈なのか、さてどうだろう)

ライトレールを合体させた。
次は商業施設だ!
とか、何やってんだか。
ツッコミどころが満載すぎるが、それが「有権者」の意思らしい。


別に議員はライトレールを敷きたいのではなく、ライトレールを敷いた方が次の選挙で票を集められるからライトレールを敷いているだけで、ライトレールがよいのかどうか、優先事項なのかどうかは考えてない、というのが本当のことではないのかとおもう。

票だけ得られればいいという人の例。
議員として適切な人自体が少なすぎて、こういう人でも議員になれてしまうのだろう。

これに対して心ある思いを抱いて1人戦さ場に行って傷ついて帰ってきた島氏の姿を思い浮かべる。
よく帰ってきた、心も体も壊れる前に帰ってきてくれた、よかった。と思う。

同時に、オトノネのネを広げることを考える。
戦略的に「島氏が市議会議員を志した当初の思い」を強めて、実現するには?

「数」しかない。
それが「政治」のルールだ。
「数」がモノを言う。その「数」に心があるかどうかは問題ではない。
(片山学園が存在する国、富山県なのだ。心が見えない大人がたくさんいる)

だから子どもの教育に関わる人が全員、一斉に、あるタイミングで市議会でも県議会議員にでもなったらいい。市議会でもいいけど。
https://www.city.toyama.toyama.jp/senkyokanriiinkai/senkyo_2.html

政治活動費とかいうものはクラファンで集めたらいい。

というか基本的に予算は教育・福祉に使って「経済発展」という幻想に浸りたい人(主に富裕層)はクラファン経由で予算を出してくれたらいい。
行政用のクラファン作ろう!

各家庭に配布しょう。
「あなたの一票で実現します」「クラファン作りました」みたいな。
(もちろん、基本的なところは予算を使うが)

18歳でなくとも参加できるようにしたらおもしろい。

政治は、お金の回し方、人の活かし方だ。

そんな想像をしたら、楽しくなる。

そういった仕組みをつくったら、それは政治界の遺伝子として引き継がれるだろうか。
今子供を育てている人たちでこうした新しい動きに賛同してくれる人は半分くらいだろうか。
「このままでいい」という人が多数いるのは事実。
この人口ピラミッドは驚異的だ。
http://www.pref.toyama.jp/sections/1015/lib/jinko/_rep_r01/report02.pdf

50代の人を全員味方につける計算??
(「数」の戦い)

やっぱり無理なのか・・・
どうでしょう???

「変えたい」?「変えたくない」?「特になし」?

(とりあえず戦いに勝ったら「一票」の重みを変えた方がいいかもしれない。10代20代が3、30代から50代が2、60代以降は1、というように。そういう平等のあり方だって間違ってはいない。すでにアリストテレスが喋っていることだ)

そんな思いが頭をよぎる。(でも広島県は1人が動いて、変えた。たった1人の人間に、権限を与えて変えた)

協力すること、一緒にやることを大人がしないでどうするか。
などと綺麗事を吐いてみてもいい。

子どもの暮らし、子どもの姿、人間らしさを求めてやまない人たちだどれだけたくさんいることか。
実際に活動をしている人も、そうでない人もいるだろう。


「不登校」というキーワードでオトノネのHPを訪ねた人の数(一週間)

オトノネのやっていること自体がオトノネの嫌う「定期テスト対策」であって、土の部分、暮らし、そもそもの「命」の土台はやはり政治がつくる。
と僕は思う。

と同時に、政治の多少となる市民の行動、振る舞いが大切になる。
https://otonone.com/wp/obenkyou/society/whichtochoose/
曹操

すでに活動をしている団体はどうだろう?
「うちの団体だけ平和ならいい」と考えているだろうか。
「政治に参加したら、風評が・・・」と感じているだろうか(政治が政治を破壊している)
政治の話をして離れる人は、離れた方がいい、くらいに僕は思っているけどね!!

大人も学習性無気力だろうか。

政治の価値はなんだろうか。

家の中の政治、教室の政治、友達同士の政治。

心が大事。
心の問題。

手始めに、みんなで学校を作ったらいいんだろうけどね。
私立学校、クラファンで作りませんか?笑

といいながら思い出すのが、きのくに子どもの村
http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php

手始めに、学校を組織してみる、というのはどうだろう。

なんちゃって

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島議員、お疲れ様でした。

戦略的に「数」で勝ちに行く計画
県議会議員、富山市から14人、高岡市から7人なので、半数、取りに行けますかね????笑

このページhttp://www.pref.toyama.jp/sections/1015/lib/jinko/index.html

6.富山県、年齢(5歳階級)別社会動態(平成30年10月1日~令和元年9月30日)(jinko_dat006.xls)

をみると、出入りが激しい20代、30代から票が集まらない、という予想がつく。
外から来て、何がなんだかわからないし、興味もない、という人だろう。
この票をかりに全部集められたら2万人。

なんてことを考えるとおもしろい。
(県外の人がよく「困って」オトノネに問い合わせをしてくれる。僕自身が旅のもんだしね)

ーーーーーー

島氏の挑戦をきっかけにして、僕の中でも新しいプロセスが動き出したような気がする。
一人一人の心にとって、そうあることを願う。

 

家庭でも学校でも起きている児童虐待の原因は何か。一つの見方。

今日、こんな投稿をフェイスブックでみつけた。
児童虐待なんて、保育施設でも軽くおこっている。
社会現象、日本の文化になりつつある。
この問題を正面を向いて見ている人がいる、というだけでもああ、とおもった。

ーーーーー

児童虐待を無くすために私達は何ができるでしょうか?沢山の意見を聞かせていただきたく、投稿しました。

テレビにも新聞にも児童虐待死の関連のニュースが絶えません。心を痛める毎日です。

子供達は私達の未来そのものです。
子供が幸せじゃない国を果たして幸福な国と言えるでしょうか?

どうしたら児童虐待は無くすことができると思いますか?

私は大学で社会福祉学を専攻し、現在独学ですが児童福祉を学び直しています。目標は児童虐待を無くすことを目的とした団体やプロジェクトの立ち上げです。

私も実の親からではありませんが、実の姉からの暴力を受けながら幼少期を過ごしました。なので、最近の虐待関連のニュースを他人事とは思えず、このような目標の立ち上げに至りました。

この度、具体的にどういったことが求められているのか当事者である、お子様をお持ちの方の沢山の意見を聞きたく、投稿させていただきました。

で、僕のコメント。

ーーーー

はじめまして。ふと目に留まりコメントさせていただきます。

統計データをみると人口減少しているのに虐待相談件数は増加し続けています(通報されていない件数はそれ以上ですね。データはこちらをみました。http://www.orangeribbon.jp/about/child/data.php)。僕のもっている一つの見方をお伝えします。自民党といった組織が経済発展を追求した結果広がった経済格差です。仕事でノイローゼ、仕事、社会に適応できない父親からのDVで心が壊れたお母さんが大勢いることでしょう。これは個人の問題ではなく、社会の問題だという視点です。政権を変えること、少なくとも自民党(票集めとお金集めのためのキャンペーン組織)を国会に入れないように大人が良識をもって投票することで児童虐待現象は減るかもしれません(長い目で見て)。SNSやFBで検索すれば、現政権の情報が入ります。お母さんを仕事させる、お母さんの負担を増やして行こうとする政策は児童虐待を増加させるのではないかと僕は心配しています。保育施設でも(軽い)虐待は起こっています(これもまたツイッターで多くの情報が得られます)。児童虐待は個人の問題ではなく、国の問題だと僕はおもっています。教育も保育も、経済発展のビジネスの原理で動いています。子育てだけは、子育ての原理で動けるように、守ってほしいものです(保育施設の無償化キャンペーンは、児童虐待件数を増やすと僕はおもっています)。

もちろん、個人レベルで工夫をすることもできますが。その工夫ができないほど、お母さんたちは苦しんでいるのでしょう。少しでも助けになればと、僕はオトノネをはじめました。思い余って書いてしまいました。

ーーーー

虐待レベルでなくても、子どもが子どもらしく育てない、安心できない環境が日本にはある。
大人ですら、安心して暮らせないのだから。

2つの文化【自己疎外・人間疎外】と境界を侵害するナルシシズム

お母さんから相談があった。

お母さんは悩んでいるらしい。
お父さんは悩んでいないらしい。
子どもが学校で先生にいじめられている件について。

もしかしたらお母さんは県外出身かもしれない(まだきいていない)。
お父さんは、富山県の人だろう笑

いやいや、お父さんはなぜか子どもの事情に口を出すことがすくない印象を受けるこの頃。

男と女、でもいいし、学校と家、でもいい。
まったく違う文化があったときに。

その二つの文化が摩擦を生み出しているときに。
どうするか。

ーー

インドネシアのスラウェシ島で聞いた話。

「村には村の儀式がある」
「結婚するときも違うしきたりがあって、島が違えば、儀式も違う」

え?じゃぁ、別の村、地域、島の人同士が結婚するときって、どうするの?
と僕は聞いた。

「どっちもやる」

が答えでした笑

ーーーーー

もちろんこれは儀式であって、行為、振る舞いを変えて二度結婚式をするようなもの。
それで、「よし」なのだ笑

どちらか一方に染まる必要はない。
優劣はない。
二つの文化の思いを背負った二人の人間のための、またその二人を見守る二つの文化への敬意だ。

ーーーーー

郷に入れば郷に従え、という言葉が、日本にはある。
なるほど、例えば最近、日本にやってくる外国からくる観光客の素行が問題となっているらしいが。
(温泉の入り方とか、道にゴミ巻いて行くとか、食べ歩くとか、、いろんなレベルがあるが)

「郷に入れば業に従え」笑というやり方は、日本のどんな精神文化を表しているのだろう。

人間疎外、全体主義の国といっていいんだろうか。
「うちの会社に入ったんだから、従え」
「学校に来たんだから、従え」
「うちの子に生まれたのだから、従え」

人と人のコミュニケーションが、人と人の学びが、そこには生じない。
人間疎外。

そうして、「従って」自己疎外が始まる。


これは人と人の境界線を越えて精神を犯してくる暴力、ナルシシズムとみることもできる。
他者を自分の(じぶんたちの)一部だとみなすこの文化は、ナルシシズムだと僕はおもっている。

集団的なナルシシズム。
凶悪だ。

========

「従え」という言葉は使わないが、常日頃の日常会話の中で、振る舞いの中で、子どもを「従え」ているナルシシストなお母さんがいる。

例えば。

「支援級に行ったら、子どもはお嫁にいけなくなる」といって普通級に止まらせて勉強についていけないと悩んでいるお母さんがいる。
しかも「普通級にいるのは子どもの意思だ」という。

これが自己欺瞞であり、子どもから大事な子ども時代を搾取していても気がつかず、親が子どもを人間として疎外している例だ。
(将来が不安だから勉強「させて」いい大学に「行かせ」るために塾に「行かせる」のと同じで凶悪だ)

他にもいろいろなパターンがある。

欺瞞に満ちた多くのお母さんは「子どもの意思を尊重している」といって、自分に対する欺瞞を認めない(欺瞞とはそういうものだ)。

他者を欺き、自己も欺き、子どもも欺く。

なんのためか。

目的はない。

狂っているだけだ。

しかもその、自覚がない。
ナルシシストとは、そういうものだ。

========

さて、2つの文化の話に戻しましょう笑

ーーーー

例えば。

お母さんは「宿題はやらなくちゃだめ」といっている。
お父さんは「宿題をやらなくてもいい」と言っている。
そういう家庭を想像してみよう。

学校では「それはダメだ」と言われ、家では「それはイイよ」という状況を想像してみよう。

9歳を過ぎていたら、それを疑問に思うだろう。
「へ?どっちだよ!」

その二つの文化、二つの考え方に対して、自分はどう関わって行くのか。
どう「理解」をしていくのか。

「解釈」していくのか。

 

一方の文化を尊重し、もう一方の文化も尊重し、お互いの考えを知ること。
(学校の考えは学校が教えてくれることがないので聞かなくてもいいが、結局は「学校のため」であるから別に聞く意味もないだろうが)
どちらも「大切」なら、両方受け入れてもいい。

両方受け入れられるような心をつくるしくみ、やりかた、振る舞いを学んでいけばいい。
板挟みになって、自分の心が擦り切れてしまう、隠蔽してしまうのが、欺瞞が、一番、ダメダメなパターン。

自分を大事にできなかったら、他の人を本当に大事にすることなんて、できないから。

どうしようもない狂人、魔王は実在する。
その人たちの「文化」とは別に、自分の「文化」を守ろう(破壊しにやってくるから、守ろう)というのが、オトノネのスタイルです。

学校というナルシシズム組織から、子供の心を守りましょう。
子どもから子ども時代を搾取する組織から、子どもの心を守りましょう。

と、おとのねさんは、おもいましたとさ。

【魔王と戦う知恵】情報リテラシーの宿題

平成30年分民間給与実態統計調査結果について|国税庁

問1:このデータによって内閣府が主張しうることは何か。
問2:問1で書かれた主張を反駁するためにはどのようなデータが必要か。

こんな大学入試問題だしたらいいのに・・・・

相手の心を読み取るには、相手の状況をまず、理解することが大切になります。
理解するには????「知る」ことです。
読み取るには???「心」です。

え??学校で教わらなかった?笑

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