不登校

不登校と性格、遺伝と脳【ビッグファイブとマインドセット】

不登校と性格、遺伝と脳【ビッグファイブとマインドセット】

不登校と性格、遺伝と脳【ビッグファイブとマインドセット】

結論から言えば、成長とは、遺伝子の影響とどう付き合っていくかを工夫していくことのようです。

パーソナリティー特性・ビッグファイブは遺伝子と環境で現れたあなた自身

 パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる

ビッグファイブとは?人間の「特性」を5つの因子にわけて、自分のパーソナリティーを理解して、よりよく「生きて」いこうというものです。この研究の成果は『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』で本質的なところまで説明してくれている。

肝心なのは、にパーソナリティが、遺伝か、環境か、ということ。答えは、半分が遺伝、半分が環境です笑。

遺伝の影響は無視できない。だが、環境も無視できない、ということです。

グッピーを捕まえ、水槽で繁殖させると、下流の生息環境で暮らしていた親の子は、上流の生息環境からきた親の子よりも、捕食者のいる水槽で生き残る率が高いのである。当然、子には捕食者との経験がない。親が一度も見たことのないようなタイプの捕食者を水槽に入れた時も、結果は同じだった。(『パーソナリティーを科学する』p.82)

行動遺伝学者によれば、パーソナリティにおける遺伝的構成要素のサイズは、全体のおおよそ50%だという。言い換えると、ビッグファイブのようなパーソナリティ特性に見られる個人差のほぼ半分は、遺伝子型の変異に結びついているというわけだ。残りの半分はむろん、遺伝子型とは無関係ということになる。パーソナリティ特性には、両親から受け継いだ遺伝子型とは関係のない、もう一つ重要な個体間の違いがあるわけだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.223)

オトノネでこれをどう使えるか、といえば、お子さんとお母さんは、全く違ったパーソナリティをもっている、というより、一部、大きく違う要素を持っていることが多い、ということです。突き詰めて言えば、「全く違った人間だ」ということです。それを「常識」とか「ふつう」に合わせることで、お子さんのパーソナリティは、「命」は削り取られているかもしれません。テンポ、ビートが違う、感じ方も違う。そういう当たり前のことを認めていくプロセスが、子育てであり、学びです。

エニアグラムとの違いエニアグラムは科学的な根拠がありません。エニアグラムは「イスラム神秘主義=スーフィーの秘伝」らしいです。坪田さんがビリギャルで使ったことで有名です。が、科学的な根拠はありません。なので僕はより理解しやすい、体系的な、記述的なビッグファイブを使っています。5つの因子の意味が、エニアグラムの比にならないほど、深いのです。

コストと利益パーソナリティー特性の五つの因子は外向性・神経質傾向・誠実性・調和性・開放性です。それぞれに「利点」と「欠点」があります。人によって、また環境に応じて「利用したらいい」特性があれば、「抑えたほうがいい」特性もあります。占いのように「ああしたらこうしたら」ということをビッグファイブは教えてくれません。考えるヒントをくれるだけです。だからオトノネに向いているのです。その子が、人生を選ぶ。積極的自己責任も大切になる。

たとえば、外向性のスコアの高い人のなかで、一人は北極探検家になり、別の人はスカイダイビングに挑戦するかもしれない。さらにもう一人は、北極体験もスカイダイビングも試みるチャンスはなかったが、社会の中で活気ある顔(ペルソナ)を作り上げたかもしれない。要するに外向性ひとつとっても、多くの可能な行動表現の手段があるということであり、どれを採用するかは、個人個人の歴史、チャンス、そして選択によるということなのである。ただはっきり言えるのは、もしあなたの外向性のスコアが高ければ、少なくともそのうちのひとつを採用するだろうということだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.249)

生まれる前から発達心理学のページでも描きたいのだが。。。生まれる前から、生まれてから、人は成長し続ける。子どもには、自立するチカラがある。世界で生きていこうという意思がある。そんな「命」を、僕たち大人が削ってしまうのは、自然に反することのように僕はおもう。お子さんの天の才を、お母さんの持っていない、天の才を、オトノネで見つけて見ませんか。

近年ますます明らかになってきたのは、多くの種において、妊娠期の母親の状態が子供の成長、代謝、さらには大人になってからの行動にまで、かなりの影響をもちうるということである。例えば、妊娠期間中にストレスを受けた母親から生まれたラットは、そうでない母親を持ったラットよりも不安になりやすい。彼らは、新奇な、あるいは開けた環境がはるかに多くの危険に満ちているかのように行動するのだ。これが私たちの興味を引くのは、ラットのこの行動がまさに人間の神経質傾向のように見えるからである。この仕組みはつまり、妊婦の状態がーおそらくストレスホルモンのメカニズムを通じてー子が生まれ出る環境の「天気予報」の働きをしているということだろうう。その「予報」によって、この反応は、直面しようとしている世界に適応するよう調節されるのである。(略)「天気予報」として役立つのは、母親のストレスホルモンだけではない。母親が栄養失調だったり、成長する胎児に与える栄養が不十分だったりすれば、環境の食料不足を示す指標になりうる。(略)母親の栄養が代謝の発達に与える影響については、幾らかの科学的根拠がある。低体重であったり、飢餓の時期に生まれた赤ん坊は、小さな体と不十分な食料に適応した循環系ならびに代謝系をもってうまれてくる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.239)

創造的な人間関係へコフートも述べているように、人は一人では生きられない。自己の充実、自己実現のために、自分のパーソナリティーを補って創造的になれる関係をつくっていくことが、人生のひとつの目標になると、僕はおもっている。

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私たちはすべて、複合的に入り組んだ社会のネットワークにはめこまれている。家族、コミュニティ、そして組織……そのどれもがさまざまに専門化した多くのニッチを供給してくれる。大人のあなたが新年として持つようになった目的や価値がなんであれ、ただしいニッチを選ぶ限りは、自分のパーソナリティ傾向と調和しながらそれを実践して生きる方法がある。これまで何かに取り組んできて、一度として心が落ち着くことがなかったのであれば、ひょっとして自分にあったニッチを目指していなかったのかもしれない。家族や文化、あるいは時代に評価されるようなニッチはもういらない。そうしたプレッシャーに対して、あなたは敢然と立ち向かう覚悟をもつべきだ。現代の豊かな社会では、提供される社会的役割やライフスタイルは極めて多様である。社会にはおびただしい人々を押し込むスペースがあるーワーカホリック、家事労働者、親、庭師、あるいは道化、さらには資金調達者、科学者、そして奉仕者……。リストは際限なく続く。かつての社会はこれほど多様な人々の枠を支えることができなかった。今では、あなたのもつ特性がそのまま有利になるような適所を見いだすことは、これまでにないほど可能なはずである。だがその一方で、落とし穴にはまる危険もある。その手のニッチは世の中におびただしい。薬物依存者や犯罪者のためのニッチ、世界が自分なしで動いてくのを横目に見ながら一人孤立して苦しむ人々のためのニッチ。そしてなかでも、自分がなんのために生きているのかを見出せないまま、形だけの人生を生きる人々のためのニッチ……。自分にふさわしい良いニッチを探し出すとともに、間違ったニッチを避けるために、心を砕かなければならない。私たちはそのための自由と力と、そして責任がある。そのことは同時に、ある種の選択に必然的にともなうコストを理解することでもある。(略)いま述べたことのいずれも、あなたのパーソナリティを変えると言っているわけではない。これが意味するのは、パーソナリティが結果的に何を引き起こすかを理解し、その情報を使って賢い選択をするということだ。そのためには多くのことが必要とされる。自己を知るというのもそのひとつだ。自己認識というこの貴重な財産を自分のものにするうえで、本書が少しでも役に立つとすれば、私がこれを書いた目的は達せられたことになる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.260)

【ビッグファイブ】『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』のメモ

 

個性・性格は変わるのか?遺伝と環境と個人の関係

「遺伝子をどう使うか」というお話です。

誰かと比較したり、誰かを目指すことは愚かなことだ、ということが理解できるでしょうか。自分の遺伝子を意識すれば、自分の「命」をどのように大切にできるのか、がわかってくるとおもいます。

  • 遺伝子は、もらった組み合わせで表現がかわる(親の遺伝子はもらうが、それがどう出るかはわからない)
  • 遺伝子は、ある個体がある環境で何を学習するかを決める。
  • 環境が遺伝子を傷つける。
  • 「メンタル」の強さ、「心」の強さは後天的に学ぶ。

「人」は、環境の中から遺伝子を通じて自分を「表現」する。

たとえば、外向性のスコアの高い人のなかで、一人は北極探検家になり、別の人はスカイダイビングに挑戦するかもしれない。さらにもう一人は、北極体験もスカイダイビングも試みるチャンスはなかったが、社会の中で活気ある顔(ペルソナ)を作り上げたかもしれない。要するに外向性ひとつとっても、多くの可能な行動表現の手段があるということであり、どれを採用するかは、個人個人の歴史、チャンス、そして選択によるということなのである。ただはっきり言えるのは、もしあなたの外向性のスコアが高ければ、少なくともそのうちのひとつを採用するだろうということだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.249)

「人」は、自分の「物語」を語ることができる。

本人が誰であるか、何をしているのか、なぜそれをやっているのかについて、自らに語る主観的ストーリーである。人間が物語を語る生物だというのは、疑う余地がない。(略)全く同じ客観的出来事が無数のことなる物語へと解釈されうるのだ。キャリアでは成功しなかったものの、さまざまな経験をしてきた人間は、自分の物語を失敗と血管のそれとして語ることもあるだろうし、あるいはまた勝ち残りの競争からの心楽しき闘争のそれとして語ることもありうる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.250)

私たちがはるかに大きな自由を持つのは、自分をどう見るかという点である。第三のレベル、すなわち主観的なライフ・ストーリーでは、気質的な要素の制約はほんのわずかしかなく、実際に客観的事実による制約もあまりきいていないからである。例えば、あなたに今ほとんど金がないとして、これを欠陥とみるか美德ととるかは、かなりの程度まであなた次第である。あなたは、自分に金がないことの意味を様々に解釈することができる。このように、何かを客観的に変えることがむずかしい場合でも、少なくとも、それについての考え方は変えることができるのである。そのような再構成は、サイコセラピーでも、またもちろん個人の成長においても、極めて重要である。ただし、それは必ずしも簡単ではない。ことに高い神経質傾向はここでも制約となる。この特性が高い人は、極めて多くの悪いことを自分の身に引き寄せる傾向があるのだが、それより問題なのは、彼らには自分について肯定的なストーリーを語るのが難しいことだ。客観的に見て彼らの人生が肯定的な要素を含んでいる場合でさえ、そうなのである。彼らがネガティブな自己イメージや他者との比較を克服するには、しばしば何年もの苦しい努力と、認知行動療法のようなサポートが必要となる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.254)

遺伝的に内気な性格でもマインドセット(心)で人間関係は変わる

マインドセット

マインドセットは内気さとどう関係するのだろうか。ジェニファー・ビアは何百人もを対象 に調査をおこなった。まず、1人ひとりのマインドセットと内気度を調べてから、その人たち を2人ずつ対面させたのである。そのときの一部始終を録画しておき、あとから、訓練を受け た評価者がそれを観察して、どのような相互作用がなされたかをチェックした。

この研究でまずわかったのは、硬直マインドセットの人の方が内気になりやすいということ だった。それは理屈に合っている。硬直マインドセットの人は、他人の評価を気にするので、 自意識が過剰になり、それだけ不安も強くなるからである。しかしながら、どちらのマインド セットにも内気な人は大勢おり、もっとくわしく調べると、さらに興味深いことが明らかにな ったのである。 内気な性格が人づきあいの妨げになったのは、硬直マインドセットの人の場合だけだった。

しなやかマインドセットの人たちは、内気であってもそれが人間関係の妨げになることはなか った。観察者の評価によると、内気な人たちは、いずれのマインドセットであっても、最初の 5分間はとても不安そうな様子を見せた。ところがそれから後、しなやかマインドセットの人 は優れたソーシャル スキルを発揮して、楽しい交流を行なうことができた。もうそうなると内 気とは思えなかった。

このような結果になったのは当然と言える。内気でもマインドセットがしなやかな人は、人 との交わりをチャレンジと受けとめ、不安を感じはしても、初対面の人との出会いを積極的に 受け入れた。それに対して、内気でしかもマインドセットが硬直している人は、ソーシャルス キルが自分より長けていそうな人との接触を避けようとした。何かへまをやらかすのではとい う不安が先に立ってしまうのである。

このように、硬直マインドセットの人としなやかマインドセットの人とでは、苦手な場面に 臨む姿勢がまるで異なっていた。しなやかな人たちは前向きにチャレンジしたが、こちこちに硬直した人たちは失敗を恐れて尻込みした。 内気でもマインドセットのしなやかな人たちは、交流を続けるうちに不安や気後れをあまり 感じなくなっていった。一方、マインドセットが硬直している人たちは、なかなか不安が消え ず、目をそらしたりしゃべらずにすまそうとしたり、いつまでもぎごちないままだった。 (『マインドセット』キャロル・S・ドゥエック p.236)

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不登校のメンタル5つのタイプ?パーソナリティー特性・ビックファイブ再び

パーソナリティー特性は、「命」がどういう刺激に反応するか、そしてどのように「心」のしくみを作っていくのかをデザインする指標です。

どの特性にもメリットとデメリット(コストと利益)があります。

大切なことがあります。

「自分の特性を知る」ことが、自分をコントロールする経験につながり、幸せにつながる、ということです。

行動の表出は「回転に合わせて」行われるのと同じように、「回転に逆らって」行われることもある。(略)回転位逆らった行動はきわめて後半に見られる。たとえば、一緒にいることで自分の最悪の部分が引き出されるようなある種の人々を避けるというのも、そのひとつだ。自分の気に入らないパーソナリティの鏡面がでてくるような状況から、あえて離れていることもできるし、ピアノの練習を終えるまでは外出するのを自分に禁ずることもできる。あえて仕事を引き受けて、人々と会わざるを得ない状況に自分を追い込むこともできる。行動パターンを変えることによって自分のあり方を変えるというのは、容易なことではない。そのためには脳の意識的な実行機能を使って、心の深いところにある、極めて強力で、しばしば無意識のメカニズムと衝動をくつがえし、あるいは取り消す必要さえある。これは骨の折れる、また、熟慮を要する作業であり、しかも成功の保証はまったくない。行動パターンによっては、簡単に変えたり避けたりできるものもあるが、どうしゆおうもないほど変えるのが難しいパターンもある。それにもかかわらず、自分たちの性向を「回転に合わせて」表出する方法を選ぶか、あえて「回転にさからった」表出を作り出すかの間で、私たちにはある程度の個人的自由を手にすることになる。ー今の自分とこれからの自分を形成するうえで。

外向性ー放浪者:学校がつまらなすぎて不登校

コストは「無謀・危機感のなさ」であり、利益は「ポジティブな情動」

外向性が高い=ポジティブな情動(喜び、欲望、熱中、興奮)への反応性が高い

外向性が低い=内向的(人工的幸福?)、ポジティブな情動(喜び、欲望、熱中、興奮)への反応性が低い

社交性≠外向性
衝動性≠外向性

外向性の高さ=変動する環境になじむ
外向性の低さ=安定した環境になじむ

外向性とは、ポジティブな情動の反応に見られる個人差である、外向性のスコアが高い人は反応性が高く、仲間、興奮、達成、賛美、ロマンスなどの快感を手に入れるために必死になる、一方、スコアの低い人はポジティブな情動システムの反応性が高いため、こうしたものを手に入れることの心理的利益も少ない。両者にとってそれらを手に入れるためのコストが同じだとすれば、内向的な人は外向的な人ほどその獲得に心をそそられないのである。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.104)

神経質傾向ー悩む人:学校が神経に触って不登校

コストは「ネガティブな情動」であり、利益は「熟慮・自我の強さ」

  • 神経質傾向=ネガティブなイメージに対する反応性
  • 神経質傾向=不安障害、恐怖症、摂食障害、心的外傷後ストレス障害、強迫性障害、統合失調症
  • 神経質傾向=「一人称+苦しみの動詞」の表現。
  • 神経質傾向=ワーカホリック(取り憑かれたように仕事をする)
  • 神経質傾向=内気
  • 神経質傾向=知的専門職としての成功を予測する(弱い)ポジティブ要因(熟考するから)

 

  • 神経質傾向が低い=楽観的
  • 神経質傾向が低い=エベレストの登山家集団
  • 神経質傾向が低い=強引・攻撃的・社会のルールを破る(制裁への恐怖を感じない)

勤勉性=神経質傾向+誠実性???

不道徳=結果への恐怖+思慮+他者への共感=神経質傾向の低さ+誠実性の低さ+調和性の低さ

 

私がいつも胸を打たれるのは、人間というものについて最大の洞察をもつ人々が、彼ら自身、不幸な人物であったように思えることだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.139)

誠実性ー自制できる人:学校に合わせすぎて心が壊れて不登校

コストは「柔軟性のなさ・依存」であり、利益は「自制心」

  • 誠実性が高い=衝動のコントロールができる。まじめ。
  • 誠実性が極端に高い=強迫性パーソナリティー障害OCPD(完璧主義)
  • 誠実性が極端に高い=摂食障害(女性)

 

  • 誠実性の低さ=依存症的ギャンブラー・アルコール、コカイン、マリファナの依存症
  • 誠実性の低さ=無責任な行為と違法行為の繰り返し
  • 誠実性が低い=衝動がコントロールできない。気の向くままに行動し、意志が弱い。怠惰。

依存性=神経質傾向の高さ+誠実性の低さ
心身症・精神障害=神経質傾向の高さ+誠実性の高さ

ADHD=高い神経質傾向+低い誠実性+低い調和性

誠実性≠知能

誠実性の高さ+神経質傾向の高さ=強迫性障害OCD

「私の職業倫理はいわば「軽躁状態(ハイポマニック)」といったところです。ほとんど四六時中何かに取り組んでいて、調査したり、考えたり、計画を立てたり、実行しています。私にとっては、何もしないというのが難しいのです……何もしないで時間を過ごしていたら、自分が怠け者で無駄な人間のように感じてしまいます……重要な事柄を先送りするようなことはしませんし、大して重要でないことでも大抵はすぐにやってしまいます。」(略)つきあいはあるようだが、親しい友人はほとんどいない。余暇にかんしても高尚で有益な趣味だけで、どうやら満足いくレない関係も経験したことがなさそうである、自分に設定したルールが、彼女を厳しい監督者に仕立て上げている。「これまで私は、生きる上での理念を磨き、それに従って行動しようと、必死で努力してきました。ときどき私は、その理念が禁じていることをやりたくなります。正しいことをするのはとても努力が要ります。」大学を卒業し、弁護士になるという最初の計画が挫折したいま、キャサリンは少々戸惑っているように思われる。学業優秀で誠実性の高い若者たちの間に、これと同じ症候群がよく見受けられる。高校。大学とつづくハシゴには、頻繁な試験と、勉強という目標がつねに用意されており、努力するための一連のターゲットが与えられていた。とつぜん学校から世界に吐き出されて、ふいに次の目標がわからなくなるのだ。彼らにとって、この時期は大いなる迷いの時期となる。このとき、誠実性の低い学生たちの方は、たいして問題にぶつかっているようでもない。彼らは旅に出かけたり、ぶらぶらして過ごし、遅かれ早かれいずれは目指すものが現れてくるのを待つ。キャサリンも、まもなく次の目標を見つけてくれるように願いたい。それでも彼女の文章は、楽観的な調子で終わっており、彼女の持つ高い学習能力を示している。どうやら彼女は、自分のパーソナリティーのもつ危険な要素についてしっかり理解しているようだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.164)

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調和性ー共感する人:共感すればするほど心が擦り切れて不登校

コストは「出世しない」、利益は「人としての幸せ」

男性は調和性が女性より低い傾向がある。
女性は調和性が男性より高い傾向がある。

  • 調和性が高い=EQ(共感指数)が高い、社交性、人への配慮。
  • 調和性が高い=ボランティア、献血、カウンセラー、ソーシャルワーカー
  • 調和性が高い=人間関係への関心と道徳的喜び

 

  • 調和性の低さ=敵意
  • 調和性の低さ=昇進、社長、管理職になる確率の高さ
  • 調和性の低さ=一人勝ちしたい(利己的)
  • 調和性の極度に低い人=精神病質(サイコパシー)

(ディビッドは)外向性が低く、キャリアの野望や物質的成功にあまり心を動かされない人物である。ディヴィッドはまた調和性のスコアも低い。それにもかかわらず、彼はたよりになる夫で、良き父親であり、有能な教師であるとともに、信頼できる同僚である。(略)ただ、人間にはたいして興味がない。彼は自分の対人関係が「どちらかといえば限られている」と欠き、こう続けるー「大抵の場合、人間とのつきあいは私にとって退屈に思えます。私は一人でいる方が好きです。一人でいれば、自分の考えを好きなようにはばたかせられるのですから。」彼は自分でも、「人々への関心の欠如が、組織でうまくやっていくのを妨げている」ことを認めているが、それでも「自分を変えようとはおもいません」と言ってのける。たしかに、なぜそうする必要があるのか。別に誰にも害を与えていないのだ。彼が自分と人々との関係について書いているなかに、もう一箇所、興味をそそる部分があるー「だいたいにおいて、私は必要もないのにややこしい事態に巻き込まれるのを避けています。対人関係もしばしばその手の面倒をもたらします。そこには、ステータスやランキング競争にからむ隠された行為や信号が溢れており、私を苛立たせます。だからこそ、私はそんな交流に加わりたくないのです。」人間関係がステータスやランキングに関する信号で溢れているということは、私も否定しない。興味を引くのは、人々の会話が「隠された」事柄を含んでいると言っていることなのだ。言葉の下に隠された心の状態を解読するのに生まれつきあまり関心同い人たちにとって、人々との会話は複雑でほとんど不透明の代物なのだろう。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.183)

開放性ー詩人:学校で人格が奪われて不登校

開放性=IQ?

開放性=超自然的な信念、精神病に似た経験

開放性=意味の連想の広がり、隠喩による連想の表現

開放性=因習にとらわれない不断の行為

開放性が高く、神経質傾向も高いなら、芸術家に向いている

ある生態学的状況では生存こそが絶対的原則となる、そこでは人々は、家族がこれからの二冬を生き抜くのを助けてくれそうあ実際的で有能なタイプに惹きつけられるだろう。そのような状況では、開放性には何のプレミアムもない。逆に、次の二冬を生き抜くのに何の心配もない状況ならば、想像力にトム霊感的な資質がもてはやされるかもしれない。よく知られているように、人類の歴史を通じて特定の時期、特定の社会に、芸術活動お偉大な開花が見られる。考えられるのはまさしくその時期い、局地的環境が変化し、配偶と吸うテータスの決定基準がより芸術的な方向へと移動したということである。(略)開放性と繁殖の成功との関係には、他にももうひとつ、込み入った要素がある。芸術的名声は繁殖に有利に働くけれども、妄想状態という僻(スティグマ)をもつのは明らかに不利である。したがって自然淘汰による高い開放性の結果が、これら2つのなりゆきのうちどちらになるかは、極めて偶発的である。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.220)

不登校はギフテッド?遺伝子と踊る。心も踊る。命が燃える。

不登校になって、「しあわせ」な生き方、生きる意味に築く、子育てがよろこびに変わった人がいます。お母さんがお母さん自身の「命」や「心」を見直すきっかけを、コドモが与えてくれたのです。

不登校になって、コドモ自身も学校では教わらない大切なことに目を向けることができるでしょう。このサイトにたどり着けた、ということだけでも幸運です。

不登校になった、ということは、自分の特性を理解するきっかけができた、と思えるでしょうか。

大切なのはむしろ、自分がたまたま受け継いできたパーソナリティ・プロフィールの強みを利用し、弱点からくる影響をできるだけ小さくすることによって、実り豊かな表出を見つけ出すことなのだ。このように見るならば、個人のもつ生活は利用されるべき資源であって、なくなってほしい災いではない。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.258)

この一文の後に続くのは、誰かのパーソナリティによって自分が不足しているパーソナリティを補い、個人が補い合うことで、自分の役割を果たすことだ(それが共依存関係になることもあるだろうと僕はおもうが)。自分が苦手なものは他者がやる。他者にできなことを、自分がやる。孤立しないこと。「個人」が孤独ではなく、「個性」として組織化すること。例えばおとのねさんはビジネスマインドがない。広報が下手。車もってない笑。そこで、それを誰かにやってもらうことで、思いを同じくした仲間と一緒にやれば、うまくいく。という考え方だ。自分のニッチをつくり、生態系を作り上げる。そこには植物もいれば、蝶々もいる。そこに新しいニッチを求めて、生態系は複雑に、豊かになる。人間社会の豊かさの源は「個性」の多様性にある。

私たちはすべて、複合的に入り組んだ社会のネットワークにはめこまれている。家族、コミュニティ、そして組織……そのどれもがさまざまに専門化した多くのニッチを供給してくれる。大人のあなたが新年として持つようになった目的や価値がなんであれ、ただしいニッチを選ぶ限りは、自分のパーソナリティ傾向と調和しながらそれを実践して生きる方法がある。これまで何かに取り組んできて、一度として心が落ち着くことがなかったのであれば、ひょっとして自分にあったニッチを目指していなかったのかもしれない。家族や文化、あるいは時代に評価されるようなニッチはもういらない。そうしたプレッシャーに対して、あなたは敢然と立ち向かう覚悟をもつべきだ。現代の豊かな社会では、提供される社会的役割やライフスタイルは極めて多様である。社会にはおびただしい人々を押し込むスペースがあるーワーカホリック、家事労働者、親、庭師、あるいは道化、さらには資金調達者、科学者、そして奉仕者……。リストは際限なく続く。かつての社会はこれほど多様な人々の枠を支えることができなかった。今では、あなたのもつ特性がそのまま有利になるような適所を見いだすことは、これまでにないほど可能なはずである。だがその一方で、落とし穴にはまる危険もある。その手のニッチは世の中におびただしい。薬物依存者や犯罪者のためのニッチ、世界が自分なしで動いてくのを横目に見ながら一人孤立して苦しむ人々のためのニッチ。そしてなかでも、自分がなんのために生きているのかを見出せないまま、形だけの人生を生きる人々のためのニッチ……。自分にふさわしい良いニッチを探し出すとともに、間違ったニッチを避けるために、心を砕かなければならない。私たちはそのための自由と力と、そして責任がある。そのことは同時に、ある種の選択に必然的にともなうコストを理解することでもある。(略)いま述べたことのいずれも、あなたのパーソナリティを変えると言っているわけではない。これが意味するのは、パーソナリティが結果的に何を引き起こすかを理解し、その情報を使って賢い選択をするということだ。そのためには多くのことが必要とされる。自己を知るというのもそのひとつだ。自己認識というこの貴重な財産を自分のものにするうえで、本書が少しでも役に立つとすれば、私がこれを書いた目的は達せられたことになる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.260)

不登校になると、収入が増える?

『フォーブス』誌が発表した「フォーブス400(アメリカの富豪上位 四〇〇人)」のうち、五八人は大学に行かなかったか、あるいは中途退学をしていたが、その五八人(メンバーの一五%)の平均資産額は四八 億ドルで、全メンバーの平均資産額(一八億ドル)より一六七%も高く、これは、アイビーリーグの大学を卒業したメンバーの平均資産額の 二倍以上に相当した。 (『残酷すぎる成功法則』)

不登校は内気が原因?性格が内向的な人が得をする生き方もある。

内向的な人はビジネスに向かない?:アメリカの話

残酷すぎる成功法則

内向性─外向性は、心理学で最も確立されている概念の一つだが、そ の詳細については、いまなお議論が続いている。たとえば、内向的な人 のほうが単純に、考えごとをたくさんしているという説がある。もちろ ん外向的な人間がうすっぺらだというわけではないし、内向的な人が考 えていると言ってもその一部は心配事など、ネガティブな内容だったり する。

また、騒がしい場所は内向的な人にとって過剰な刺激になるが、逆に、外向的な人は刺激的な環境から遠ざかると退屈してしまう。たとえば、私はかなり内向型の人間だ。大学院時代に付き合っていたガールフレンドはバーやパーティが大好きで、騒がしければ騒がしいほどワクワ クしていた。しかし私にとって喧噪は、音声の水責めに遭うようなものだった。二人でドライブに出かけると、私はポッドキャストにうっとり 聞きいっていたが、彼女はものの三〇秒で寝入ってしまった(結局、私 たちは別れてしまった)。

お金について言えば、外向的な人のほうが稼ぐことがいろいろな調査結果で示されている。スタンフォード大学がビジネススクールの卒業生を二〇年間調査したところ、成功者のほとんどが典型的な外向型人間だったという。

さらに、子ども時代まで遡った調査もあり、「児童期に外向的だった人は、外的な成功(地位、高収入など)を手に入れる確率が高い」という。また、高校のクラスでの人気度が下位二〇%から上位二〇%に移る と、四〇年後の収入が一〇%上昇すると推測できるとの調査結果もある。

ただし、成功はもちろん収入だけでは測れない。昇進と外向性の関係 はどうだろう? ある調査によると、「外向性は、仕事の満足度、給与 水準、生涯における昇進の回数などとプラスの相関関係にある」という。

(略)

大半の人びとは、リーダーは外向的だと思っている。そしてこの認識 は、一種の自己充足的予言となる。企業のCEOなど最高幹部と外向性の関係も、調査結果にはっきりと示されている。四〇〇〇人の管理職を対象とした調査では、自分は「極めて外向的」だと回答した者の比率が、一般の人(一六%)より明らかに高かった。この傾向は成功の梯子をのぼるにつれてさらに強まり、企業の最高幹部では、じつに六〇%が 「極めて外向的」だと回答した。

なぜこうした状況なのか? やや怖ろしい気がするが、集団のなかで 最初に口を開き、積極的に話すという外向的な行動を取るだけで、リーダーとして見られるという調査結果もある。また別の調査では、集団のなかで、最初におずおずとした態度を取ると、知的レベルが低いと認識されることが示された。フェファーが指摘したように、一歩抜きんでるには、自己アピールが必要だ。外向的な人間にとってそれはお手の物。

つまり、リーダーとして見られるためには、有能であるかどうかより、 まず外向的に見られることのほうが重要なのだ。

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内向的な人は、打ち込むことができる性格をもつ。

「一万時間の法則」を覚えているだろうか? もし誰にも邪魔されない としたら、あなたは何かの道を究める時間をたっぷり持てるだろう。た えず注意をそらされるこの時代、私たちは皆、ニュートンから学ぶことがある。そう、外向的な人は素晴らしいネットワークから貴重な資源を 活用することができる反面、本当に重要だと思うことに十分な時間を使えなくなってしまう。独りで精勤する時間が侵害されるからだ。もうお わかりだろうか。内向的な人のとびきりの強みは、それぞれの専門分野でエキスパートになれる可能性が、外向的な人よりはるかに高いという ことだ。

そのことを如実に示した、『外向性は個人的な熟達度と負の関係にあ る』と題する研究がある。平たくいえば、「外向的であればあるほど、 業績が落ちる」ということだ。すでに見てきたように、多くの友人を持つことは明らかにメリットだ。しかし同時に、注意散漫の元にもなる。

アスリートといえば、高校のサッカー部の花形キャプテンを思い浮か べるかもしれない。それとも髭剃りのコマーシャルに出てくるバスケットボールのカリスマ選手? 彼らは皆、パーティが大好きな外向型人間だと考えるのが自然だろう。

ところが、それは大外れだ。作家でオリンピックの金メダリストであ るデビッド・へメリーによれば、トップ・アスリートのほぼ一〇人中九人が自分のことを内向型だと認識している。

何より顕著な特徴は、トップ・アスリートの大部分、じつに八九%が 自分のことを内向的だと思っている点だ──自分は外向的だと感じている 者はわずか六%に過ぎず、残りの五%は自分は〝中間〟だと思っていた」 集団競技のアスリートは、観衆に囲まれながら長い時間を過ごすが、 トップ・アスリートたる彼らを偉大にするのはそうした華々しい時間で はなく、バッティング・ケージで過ごす孤独な時間だ。腕が上がらなく なるまで、黙々とスリーポイント・シュートを練習する時間、あるい は、日没後にパーティの時間も忘れてダッシュをくり返す時間なのだ。

精鋭の音楽家たちにも同じことが言える。フロリダ州立大学教授のア ンダース・エリクソンが、超一流のバイオリニストに、日常の活動で技 量を磨くために最も大切なことは何かと尋ねたところ、「独りで練習す ること」と九〇%の演奏家が答えている。

では、トップクラスのチェスプレーヤーの今後を予測する材料は何 か? これもまた、「独りで真剣に練習」しているかどうかだ。実際、古 参のトーナメント・プレーヤーのあいだでは、独りでの練習時間のみが 統計的に重要な予測因子だった。

では、学校で優秀な成績をおさめる者や、博学になる者を予測する材 料は? IQではない。じつは知能より判断材料となるのは内向性であ る。スーザン・ケインは著書『内向型人間の時代』(講談社)で次のよ うに述べている。

大学レベルで学業成績の予測因子として優れているのは、認知能力より内向性だ。ある調査で一四一人の大学生を対象に、美術から天文学、 統計学にいたる二〇科目の知識をテストしたところ、すべての科目で内向的な学生のほうが多くの知識があった。大学院の学位取得者でも、ナショナル・メリット・スカラシップの奨学生でも、ファイ・ベータ・ カッパ(成績優秀な学生からなる米国最古の友愛会)の会員でも、内向型人間の比率が圧倒的に高い。

そして、遅咲きだが創造的な天才になるのは誰だろう? ズバリ、嫌われ者のオタクだ。

生涯情熱を注ぐ対象になるものだけに一途に没頭することは、高度に クリエイティブな人びとに共通する習性だ。一九九〇~九五年に、九一 人の並はずれて創造的なアーティスト、科学者、実業家、官僚について 調査を行った心理学者、ミハイ・チクセントミハイによると、彼らの多 くは青春期に社会のはみだし者だったという。

その理由の一つは、彼らの「熱狂的な好奇心、または一意専心ぶりが 同級生には奇異に映った」ことにあった。社交好きが過ぎて独りの時間 をあまり持たない十代の若者は、往々にして自分の才能を培うことに失 敗する。演奏を練習するにも、数学を学ぶにも、彼らが忌み嫌う孤独な 時間を必要とするからだ。

 

不登校になったら、性格(脳)を見つめよう『脳科学は人格を変えられるか?』サニーブレイン・レイニーブレイン

脳科学は人格を変えられるか

サニーブレイン

物事をポジティブに捉える行動賦活的「心」→報酬への接近
 オプティミズムとは、世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないこと。(この定義には感動した)
自分で状況をコントロールできる。

レイニーブレイン

物事をネガティブに捉える行動抑制的「心」→危険の回避
ペシミストは「悪い物事は、どうやっても起こる。人にはどうすることもできない。自分でそれをコントロールできない」と考える。無力感。

「心」が世界を作る。
同じ環境でも「心」によって見方(解釈)が変わる。
認識・記憶も「心」が決める。(世界を「ありのまま」にみられるだろうか?)

報酬への接近と危険の回避への反応の仕方が、人生観を決める。(性格)

遺伝的にどちらかの脳が強く働くようにおもえる。
それは「命」を守る「心」の仕組みだ。
サニーブレインをもともと強く持っている人はどんな逆境でも活路を見出すだろう。(報酬回路が活発にうごくようにできている)
【コラム】SQ:性格(心の表現)と自己と【古い脳・新しい脳】
(逆に言えば、こういう人が「無邪気な大人(魔王)になる可能性がある。自分の「良いところ」をしつこいくらい無神経にアピールしてくる人はキチガイが多いので注意)

もしレイニーブレインが強い遺伝子をもっていたとしたら?
その人は、「平穏」「のんびりした人になるかもしれないし、「神経質」な人になるかもしれない。

どちらが優勢かは問題ではない。
自分という生まれ持ったもの、「命」をどのように使うか、「命」を燃やすためにどのように「心」を使うのかが問題なのだ。
【ビッグファイブ】『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』のメモ

コーチング、ポジティブシンキングの押し付けは人権侵害です。

学校という空間の凶暴性は、組織的に遺伝的多様性を(無邪気に)破壊している。
(人間関係の中で、その凶暴性の中でどう生きて行くかを学ぶことはできますが、そのような人的な資源がない人には、辛いばしょでしょう)

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『遺伝マインド』安藤寿康ー遺伝子にやさしい生き方

新書では書かれていなかったことが満載。

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遺伝マインド

ビッグファイブ
神経質傾向・調和生・誠実性は行動抑制性
外向性と開放性は行動賦活性
統計的に相関がある。

1環境の自由度が高いほど遺伝の影響が現れる。

都会に住む人は遺伝の寄与率が大きい。(遺伝子の多様性が保たれる)
社会的制約が緩く、自由に振る舞える。
田舎に住む人は遺伝子の寄与率が小さい。(遺伝子の多様性が抑制される)
社会的制約が強く、自由に振る舞えない。

例えば「放蕩」の遺伝子は「規律」によって制約されることで発現しない。

→遺伝的な特性(才能といったポジティブなものを含め)は遊びの環境から生まれて来る。

2環境が厳しいほど遺伝の影響が現れる。

高ストレス条件、逆境では「ポジティブ(賦活的)」な反応、「ネガティブ(抑制的)」な反応が顕在化する(遺伝子が環境に強くあぶり出される)

オキシトシン欠乏症なら、オキシトシンが出る仕事をする。

経済は「競争」では繁栄しない

数年前、イギリスのある女性が私たちの研究について読み、私の連絡先を調べて自分の娘に関する 質問をしてきた。その娘は、自分が重役を務める大企業のオフィスも含め、複数の人といる場面ではいつでもパニック発作を起こしていた。犬を飼って優しく撫でたり、マッサージを受けたり、相手に 対する信頼感をみなぎらせている人たちのそばに身を置いたりしてはどうかと、私はアドバイスした。 それでうまくいかなかったら、精神科に行って、プロザックやパキシルといった抗鬱剤を処方しても らうことを提案した。そうした薬は、少なくとも齧歯類ではオキシトシンの分泌を促すことが立証さ れている。

母親によると、娘が人といて落ち着いていられるのは相手にマッサージをしているときだけだとい う。もちろんそれも、自己治療になる。マッサージをすることによっても、脳にオキシトシンを分泌 させられるからで、それによって、オキシトシン分泌を促すように脳を鍛えることができ、やがては もっと気楽に社会的相互作用ができるようになる。マッサージには、社会不安のストレスを直接和ら げる働きもある。ここでもやはり、オキシトシンの分泌によって分泌を促されるセロトニンが、弛緩 薬の役目を果たすからだ。結局、その娘は会社の仕事を辞めて、マッサージ療法士になった。

子どもは、見知らぬ人々のあいだである程度の社会不安を感じれば自分を守れるが、最終的には大 人の導きでHOMEシステムの調整法を学ぶ必要がある。(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.177)

自分の命を自分で育てる責任の重み『残酷すぎる成功法則』

 

残酷すぎる成功法則

タンポポとラン

スウェーデンでは古くから、「大半の子どもはタンポポだが、少数の 子は蘭である」と言い伝えられてきた。タンポポはたくましい。それほ ど綺麗な花ではないが、どんな環境でもよく繁殖するので、わざわざ手 間暇かけて育てようとする者はいない。一方、蘭はきちんと管理してや らなければ枯れてしまうが、丁寧に世話をすればそれは見事な花が咲く。 

よくできたたとえ話だと思っただろうか? でもそれだけではなく、 この言い伝えを最先端遺伝学から検証してみよう。

ニュースでよく聞くのは、遺伝子が原因でああなる、こうなるという話だ。それで私たちはすぐに、「良い遺伝子」「悪い遺伝子」とレッテ ルを貼る。これは心理学者が「脆弱性ストレスモデル」と呼んでいるもので、悪い遺伝子を持つ者が何か問題に遭遇すると、うつ病や不安神経 症などの精神疾患を発症しやすいという。だが一つ問題がある。この説が間違っている可能性がじょじょに強まってきたのだ。

遺伝学の最近研究では、「良い遺伝子」対「悪い遺伝子」というモデ ルが覆され、増強装置概念に近い説が導入されつつある。心理学者が差次感受性仮説(感受性差次仮説)と呼ぶもので、問題があるとされる遺伝子が、状況さえ異なれば素晴らしい遺伝子になりうるという考え方だ。一本のナイフで人も刺せれば、家族の食事も作れる。それと同じ で、遺伝子の良し悪しも状況次第で変わるという考え方だ。

もっと具体的に話そう。たとえば大多数の人は、正常なドーパミン受 容体遺伝子DRD4を持つが、一部の人は突然変異種のDRD4-7R を持つ。これは、ADHD、アルコール依存症、暴力性と関連がある悪 い遺伝子とされている。

しかし、社会心理学の研究者のアリエル・クナフォが子どもを対象に 行った実験では、別の可能性が示された。クナフォは、どちらの遺伝子 の子どもが、自分から進んでほかの子とキャンディを分け合うかを調査 した。通常三歳児は、必要に迫られなければお菓子を諦めたりしない。

ところが、キャンディを分け与える傾向がより強かったのは、なんと7 R遺伝子を持つ子たちだったのだ。 「悪い遺伝子」を持つ子どもたちは、頼まれもしないのに、なぜほかの 子にキャンディをあげたいと思ったのだろうか?

なぜなら7Rは、「悪い遺伝子」ではないからだ。

ナイフと同様に、7Rの良し悪しは状況次第で決まる。7Rを持つ子 が虐待や育児放棄など、過酷な環境で育つとアルコール依存症やいじ めっ子になる。しかし良い環境で育った7R遺伝子の子たちは、通常の DRD4遺伝子を持つ子たち以上に親切になる。つまり同一の遺伝子 が、状況次第でその特性を変えるというわけだ。 

行動に関連するほかの遺伝子の多くにも同様の結果が見られた。ある 種のCHRM2遺伝子を持つ十代の子が、粗悪な環境で育つと非行に走 りやすい。同じ遺伝子を持つ十代でも、良い環境で育てばトップにな る。5-HTTLPRという変異体遺伝子を持つ子が支配的な親に育て られるとズルをしやすいが、優しい親に育てられると規則に従順な子に なる。記号だらけのミクロレベルの話はこれくらいにしよう。 大半の人はタンポポだ。どんな状況に置かれても、だいたい正常に開花する。しかし一部の人は蘭で、悪い結果のみならず、すべてのことに対して繊細で傷つきやすい遺伝子を持つ。タンポポが生えているような 道端では花を咲かせられない。しかし温室で手入れが行き届けば、タンポポなど足元にも及ばないほど美しい花を咲かせる。

変わり者の能力が人の役に立つ場所がある:学校ではない

カリフォルニア大心理学教授のディーン・キース・サイモントンによ れば、「創造性に富んだ天才が性格検査を受けると、精神病質(サイコ パシー)の数値が中間域を示す。つまり、創造的天才たちは通常の人よりサイコパス的な傾向を示すが、その度合いは精神障害者よりは軽度で ある。彼らは適度な変人度を持つようだ」という。

私たちは、とかくものごとに「良い」「悪い」のレッテルを貼る。実際には、それらはたんに「異なる」だけなのに。 

イスラエル国防軍は、衛星写真の情報を分析する専門部隊を編成する ことになった。超人的な視認技能を有し、一日中同じ場所を見続けてい ても飽きず、微細な変化も見逃さない兵士が求められた。難しい任務 だ。ところが同軍は意外なところから打ってつけの人材を確保した。そ れは自閉症と診断された人びとだった。自閉症の人は対人関係に困難を 抱えるが、その多くはパズルなどの視覚的作業に秀でている。彼らは、 自分たちも国防に役立つ有用な人材であることを証明したのだ。 神経心理学者のデビッド・ウィークス博士によれば、「変わり者の人びとは社会的進化の変異種であり、自然選択に関して理論的な資料を提供している」という。すなわち、グールドのような蘭、そしてフェルプ スのような有望な怪物のことである。

私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多 くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。卓越した人になる には、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度 に従っていてはいけない。世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知 らないからだ。むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を 意味する。

ジョン・スチュアート・ミルはかつて「変わり者になることを厭わない者があまりにも少ないこと、それこそがわれらの時代の根本的な危機 なのだ」と嘆いた。適した環境さえ与えられれば、悪い遺伝子が良い遺 伝子になり、変わり者が美しい花を咲かせる。

創造的な人間は、平均的ではない:学校には合わない

心理学者のディーン・キース・サイモントンは、その研究『狂気と天 才のパラドクス』で、ほどほどクリエイティブな人間は平均的な人より 精神面で健康だが、並外れて創造的な人間は、精神障害を発症する確率 が高いと明らかにした。リーダーに関する「ふるい」の理論で見たよう に、成功を極めるには、一般社会では問題視されるような特性を持つことも必要だ。

このことは、さまざまな障害と才能の関係においても見ることができ る。注意欠陥障害の兆候を示す人びとは創造性に優れることが調査によって示された。

心理学者のポール・ピアソンは、ユーモアのセンス、神経症的傾向、 サイコパシーが関連し合っていることを発見した。また衝動性は、暴力 や犯罪といった文脈で挙げられることが多いネガティブな特性だが、これもまた創造性と結びついていることがわかった。

あなたはサイコパスを雇いたいとは思わないだろう? しかもサイコ パスは概して業績も振るわないことが調査でも示されている。ほとんど の研究はここで終わっている。

ところが『卓越したアーティストの人格的特性』と題する研究では、 創造的分野で大成功しているアーティストは、活躍がそれほどでもない アーティストに比べて、サイコパシー傾向が著しく高い数値を示すことが証明された。また別の研究でも、功績が華々しい大統領は、サイコパ シーの度合いが高いとされている。

自分が生きる場所を選ぶ

文字通り、また比喩的にも、モルドバに移住するのはやめよう。スタ ンフォード大学ビジネススクールのボブ・サットンに、あなたが教え子 の学生に伝える一番のアドバイスは何かと尋ねたところ、それは次のようなものだと答えてくれた。

仕事を選ぶときには、一緒に働くことになる人びとをよく見ることで すね。というのは、あなたが彼らのようになる可能性が高いからで、そ の逆はない。あなたが彼らを変えることはできないのです。何となく自 分と合わないと思うなら、その仕事はうまくきません。

すでに明らかにしてきたように、不正やごまかしの横行する悪い職場 環境はあなたを悪い人間にし、不幸にする。

だが一方で、幸いにも環境からの影響は良い方向にも働く。一〇〇〇 人の被験者をその幼少期から死亡まで追跡調査した「ターマン調査」 は、私たちがどのような人間になるかは、周りの人びとによって決定さ

れるという結論に達した。周囲の人が利他的に振る舞うのを見ると、人 はいっそう利他的に行動するようになるという。

そして周りに互恵主義の人びとがいれば、私たちはいっそう安心して ギバーになり、テイカーの犠牲になることを恐れずに、トップクラスの ギバーたちが手にする成功の恩恵を分かち合うことができる。コン ピュータ選手権での〝協力的なプログラム〟も、ほかのギバーとつなが ることによって驚異的な成功をおさめた。もし、あなたが今、悪い環境 に身を置いているなら、ほかのいい人たちと円陣を組もう。選手権で、 協力的なプログラムは、その全取引中に同じ協力的なプログラムとの取 引がたった五%あれば、悪いプログラムの利得を上回ることができた。 これがそのまま私たちの実生活に当てはまるとは思わないが、影響が じょじょに浸透し、ある日劇的な変化が起こる転換点は必ずあるだろ う。

それから上司も重要だ。上司は、どの会社に勤めるかよりはるかに、 あなたの成功や幸不幸を左右することが調査で示されている。次の就職 面接では、できれば誰があなたの直属の上司になるのかを確認し、その 人と話をさせてもらい、人物像を調べておくといい。

SQ(魂の知能指数)「命」に責任ある生き方

SQ 魂の知能指数

SQが高い人とは?

「よい人格」「よい性格」「よい人」はどういう人か、という本です。おとのねさんとしては健全な「命」をもっている人、だと表現したいです。。

自分のビジョン、生き方、「自分の価値観」を持っている。精神的に豊かであること。自分の「命」の使い方を意識できていること。未来永劫過去の繰り返しをするのではなく、周りの環境に反応するだけではなく、自分から世界に積極的に関わり「意味」を見出す人。

つまるところ、自分の「命」を積極的自己責任によって生きているか、というお話です。

洋の東西を問わず、西洋型の文化は、手近なもの、物質的なもの、ものごとや経験や他人を自分に 都合のいいように操ろうとする気持ちでいっぱいになっている。わたしたちは人間関係や環境を乱用しているように、自分自身のいちばん深い人間としての意味まで乱用している。そしてものごとを象徴的にとらえる想像力はおそろしく貧弱になっている。人間としての質はなおざりにして、わたしたちはますます狂乱した行動に走り、手に入れて消費する。という行動にばかり心を向けている。自分自身や他人や世界のなかの崇高なもの、神聖なものをひどくおろそかにしているのだ。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.27)

自分の命は自分で責任を持つ。自分の命は自分で守る。自分の命はだれかとともにあって輝く。自分の命に自分で積極的に関わるという意志の強さが、「しあわせ」のために大切だということです

いつもうまくいくのではありません。失敗し続けます。それでも「次へ!」行くことでしか成長は望めないのが人間です。自分の身の回りに起きる出来事、自分の命の動きを自分ごととして積極的に捉えていくことです。

自分の「命」をクリエイティブにする

健康的なSQをもっている人は、健康的な人間関係を作り、自分にも素直に生きていて、しあわせです。不健全なSQ(未熟なSQ)を持っている人は、誰かを破壊的な関係に巻き込んだり、自分の感情を偽って暮らしています。

SQのおかげで人間は創造的になることができ、ルールや状況を変えることができる。そして限 界と遊ぶことができ、〝無限のゲーム”をすることができる。SQのおかげでわたしたちは、識別 することができる。道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情でやわらげることができ、同情や理 解が限界に達したら、もはや限界だと悟ることができるのである。わたしたちはSQを使って善悪 の問題にとり組み、実現していない可能性を心に描く。夢を見、大志を抱き、たとえ泥のなかにあ っても自分を奮い立たせるのだ。

「変えたい」という気持ち強さはSQの強さです。

「何かをしたい」という気持ちの強さはSQの強さです。

「きっと変えられる」という気持ちの強さはSQの強さです。

それが健全な願いであることを祈ります。

「命」の6つのタイプ

この本では魂を6つのタイプにわけています(ビッグファイブのようなものです)。

このそれぞれが成長する、とともに、他の「花びら」も大きくなって行く、というイメージです。どれか一つを伸ばしてみましょう。そうすると、その花びらを中心にして、いろいろな人もであったり、新しい自分を発見する力になります。「嫌いな教科」を「ふつう」にするよりも、「できる教科」を極める方がよい、という基本的なオトノネの方針にも合致します。

 

  • 一枚めの花びら―因習的なタイプ
  • 二枚めの花びらー 社交的なタイプ
  • 三枚めの花びら―学究的なタイプ
  • 四枚めの花びら―芸術的なタイプ
  • 五枚めの花びら― 現実的なタイプ
  • 六枚めの花びら―積極的なタイプ

 

自分の中で育たない花びらもあるでしょう。その時は、誰かと一緒になることで全体として花が咲きます。それこそが、「人間」ではないでしょうか。

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