お母さん、子どもの将来に不安する気持ちに浸らず、一緒に学びましょう。

  1. 「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと
    1. お母さんの仕事は、子どもが暮らす社会を変えること
    2. 止めなければ、拡大する格差
    3. 教育が好循環を生み出す。格差は教育が生み出している。格差を埋めるものは、愛情だ。
  2. 日本はデモ大国。富山は「ラスト」ボスだった?
  3. お母さん、子どもを守るために、参政しよう。
  4. 第一問:価値ある人生とは、なんでしょうか。
  5. お母さん、大丈夫ですよ
  6. 坂本龍馬が教科書から外される?ワケ
  7. スーパーサラリーマン山田流子育て
  8. 悩むコスト
  9. いじめのない海賊社会
  10. お風呂に赤ちゃん、毎日入れる?
  11. 生む前から情報に悩むお母さん!考え方を、学びませんか?
  12. お母さんは言葉の先生
  13. 速すぎる時代で、見失わないように。
  14. 教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】
  15. 「世の中」と向かい合う前に。
  16. 【仕事と家庭】西野亮廣さんと安冨歩さんの共通点と相違点
  17. これからこの国で幸せになるには。
  18. 【知の個別性・主観性】フルーツバスケットより
  19. 困っているけど声を出せないお母さんなう
  20. オトノネなお母さんと衣食の話。
  21. キーワードを手に入れたら、どんどん出てくる新しい世界の人たち!
  22. 好きなことを仕事にする?できることを仕事にする?趣味?の意味。『三太郎の日記』
  23. 共産主義的日本と資本主義的中国
  24. 禁じられた即興『キース・ジョンストンのインプロ』
  25. 「お勉強」の価値
  26. 森のシンガーソングライター山田証さんと出会う。
  27. 好きなことをするお母さん!Hug*smile
  28. 学歴は所得に本当に影響するの?【学歴の影】
  29. 10年後の仕事図鑑1

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと

子育ては、社会をつくること。
お母さん一人でしているのではないですね。

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なことは、お母さんが社会に働きかける、社会をつくっていくことです。

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ひとつめ。

お母さんが笑っていると、子どももしあわせになるんです。

お母さんが「お母さん」という役割を超えて、「◯◯さん」として充実した生活を送ることはもちろんです。

「あ、こうしたら、しあわせになるんだな」という作法を、子供はお母さんからたくさん学びます。
お母さんがしあわせになることが、子どものしあわせになるチカラを伸ばします。

お母さんの今の暮らしを豊かにすること。
これがひとつめです。

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ふたつめ。

ふたつめは、お子さんの将来の暮らしを豊かにする「しくみ」をつくることです。
「お母さんが」!です!
子どもが!何かするではありません。

さぁ、どうしたらいいのでしょうか・・・

お母さんが不安を感じてしまう社会の「しくみ」を変えることです。

お母さんの仕事は、子どもが暮らす社会を変えること

不安な世の中、「この子をどう育てたら、しあわせになれるんだろう?」と悩んでしまうかもしれません。
学歴社会?貧困?この子は勝ち組に・・・?

繰り返してしまいますが、高学歴の人でも、引きこもりになることがあります。
不安の中で暮らしている子どもは、しあわせになるチカラを発揮できないことが多いのです。

お母さんは、どんな世の中になってほしいですか?

「正規雇用が少なくなった、外国人労働者が入ってきた、子どもは仕事をちゃんとできるだろうか」
そういうしくみをつくっている政治を変えるチカラがおかあさんにはあります。

「もしうちの子の時代に戦争が起こったら?」と考えてもいいでしょう。

「いやいや、政治なんて・・・」とおもっていませんか。

有権者として、政権を変える努力ができます。
別の政党になっても同じ・・・かもしれません。
ただ、今の「不安な世の中」にブレーキはかけられます。
また最近、希望に満ち溢れた言動をしている政党もでてきました。

子どもの子どもを「安心できる」社会に送り出したいという気持ちを、祈りを込めて、投票に行くことは、子育ての一部です。
「安心できる」社会をつくるプロセスに参加することは、子育ての一部です。

絶望しないための貧困学: ルポ 自己責任と向き合う支援の現場
画像をクリックすると、amazonという通販サイトに行き、関連する図書のリストが見られます。

責任とは何か。
「貧困になったのは、その人の自己責任」か。
「学校についていけなくなった」のは、その子の自己責任か。

いえいえ。
学力、経済の格差が生まれる「システム」になっているのです。
「システム」を変えれば、ずっと、よくなる、よくならなくても、最悪の事態は免れるでしょう。

だって現政権はこれから戦争しようとしているんだから。。。
だって現政権は、お金をオリンピックにつかって「国際的な評判」を高めようとしているのですから。

貧困はどの国でもある。
埋まらない格差がある。
ではどう生きればいいのだろう?
とりあえず一票!で簡単に変えられるのだから、一票入れたらいいでしょう。
簡単じゃないですか?

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選挙に関心がなかった僕が、はっ!とさせられたのは、安冨さんが出馬したこと!

ある保育園の美術の時間と保育×美術×コーヒー

『誰が星の王子様を殺したか』というモラルハラスメントの本も書いている。おもしろかったですよ。星の王子様の、悲しい物語が、とても現実味を帯びて、さらに悲しく感じられるようになりました。

安冨さんがれいわ新撰組に入った後に書いた記事がこちら。
「組織」としてダメだから政治はダメだと思っていたところで、政党という「組織」を解体して選挙に挑んだ山本太郎。
その本意を汲み取って、文章化した安冨さん。

内側から見た「れいわ新選組」

「こどもを守り未来を開く」と訴えて参院選を戦ったれいわ新選組比例候補は、近現代史に精通し、社会生態学者でもある経済学・経済史の専門家!岩上安身による東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授インタビュー 2019.8.9

止めなければ、拡大する格差

社会の現状、見えない貧困と、「いい会社」一人勝ちになる格差社会を「よし!」とするのが今の政治です。
塾業界、学校はこれをさらに加速させています。
受験戦争、「定期テスト対策」をさせることは、貧困を生み出すシステムを強化することになります。
塾に通わせること自体、この貧困システムを強くしていることになります(さらに競争を激化させるコマーシャルをするわけですから)

貧困は拡大します。
そんな社会から子どもを救うために、大人は今、「課題」をしなくちゃいけないとおとのねさんは考えています。

犯罪、競争、さまざまな不安を作り出している今の政治を変えるのが、「子どもの子ども」を守る今の大人がしなくてはいけない、親としての責任だと僕は思っています。

【そろそろみんな怒ろうや!】
このデータがどこからきているかわかりませんが、彼の言うことなので、まぁ正しいのではないかと、おもってしまいます。

自民党すげえ金額企業から献金もらってる!!
お母さんが思い描く「いい会社」はこういうところですか。

「救いようのない世界それでも救いたい人がいる」
crisis 公安機動捜査隊特捜班

随所にちりばめられた問題提起に感動
こちらのドラマで、とある「犯罪者」が語る「貧困者」の姿は、お母さん自身、お子さん自身かもしれません。

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今話題のキングダムで、武将の誰かが騙されて、「全て」を失う瞬間があった。たしか、えっと、「離眼」の話だ。
その時、騙された、殺される運命にある武将(王?)が、殺戮者にこう申し出た。
「女子供には手を出すな」みたいなセリフだった。

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現状、隠された貧困やらなんやらのデータはこちらのフェイスブックページで収集できます。
子どもを守るために、お母さんがやらなくてはいけないことが、あります。
山本太郎「れいわ新選組」を応援する会

教育が好循環を生み出す。格差は教育が生み出している。格差を埋めるものは、愛情だ。

経済は「競争」では繁栄しない

教育の質を向上させればコストをかけずに繁栄の度合いを高められることが私の研究からわかって いる。なぜコストがかからないかといえば、教育の質が上がれば、「善循環」の輪を回しつづけるの に必要なほかの事柄のじつに多くが強化され、最終的には経済的な恩恵が投資のコストをはるかに上 回るからだ。教育が充実すれば、多くの人が高所得の快感帯に到達し、そのおかげで信頼が増し、そ の結果、人々はよりよい政府を求め、それがさらに信頼を高め、そのせいで不平等がさらに減り、ひ いては、優れた教育を受ける人の数が増える。

公立校の実績を上げるというのは、アメリカの政治家たちのお決まりのスローガンだ。だが、子ど もが教育の成果を最大限に発揮できるかどうかを決める最大の要因は、ボトムアップ型かどうか、つまり、家庭が安定していて愛情に満ちているかどうかであることが、データからわかっている。また、 子どもに本気で投資する意欲のある親ほど、優れた学校教育を要求することも確かだ。

最近の教育改革は「善循環」を真剣に捉え、共感のようなポジティブな情動を植えつけようとして いる。教育者は、ストレスを和らげ、他人とのつながりを促すのを助けるソフトウェアを試してさえ いる。とはいえ、共感を強めることについて言えば、私たちの人間らしさを増すうえで、2000年 前からとても成功している伝統がある。それは、人文科学を質の高いかたちで経験することだ。人文 科学とは、文学、外国語、哲学、歴史、音楽、芸術といった学問で、今では「役立たず」と言われる こともあるが、かつてはどんな教養人にとってもいわば共通通貨だったものだ。素晴らしい小説を読 んだり、ソナタを聴いたり、ほかの文化や別の時代の理解を深めたりすることで、他者の頭の中に入 り込むときにいつも、オキシトシンのシステムが調整され、高められることを私たちは思い出す必要 がある。

だから私たちは、仕事を見つけるのに役立つ専門的な技能を人々に提供しなくてはならないものの、 読み書きや、考えること感じることといった、それよりももっと基本的な技能を無視するわけにはい かない。そうした技能があって初めて、私たちは健全な人間になり、自分の暮らす世界や、その世界 を共有する人々を気遣うことができるのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.277)

 

日本はデモ大国。富山は「ラスト」ボスだった?

百姓一揆のこと。
富山は米騒動の国だったなぁとおもって、ふと気がつく。

江戸時代で騒ぎを起こしたのは富山だけだったかどうか。
富山の「お母さん」たちが最初で、それが、全国に広まった、ような。

一揆という名のデモは日本の文化であった。

富山のお母さん、もう一度、騒動、起こしませんか?

お母さん、子どもを守るために、参政しよう。

オトノネは子育て、お母さんの悩み、子どもの育つ環境を本気で考えているので、本当に腹が立っています。
これが日本の子育ての難しさの原因です。

子育ては、家庭の問題ではないのです。
社会問題です。

一人で悩んでいるお母さん。
子育てに困っているお母さん。
不安でいっぱいなお母さん。
頭が不安になりすぎて塾業界・家庭教師業界のカモになっているお母さんと子ども。

学ぶべきことを、学ぶべきときに、学ぶ。
ただそれだけのことができない。

子どもを守れない。

オトノネは本気で子どもの育ち、成長、発達を考えているので、こうした行為を学校、親、国を問わずバシッといいます。
「土足で入ってくるようなことをしたら・・・」という人がいるかもしれません。
子育てを家庭の問題、個人の問題。学校の問題としていたら、そうでしょう。

僕はそう思っていません。
子育ては社会全体で、みんなでするものだからです。
もし不安なことや心配なこと、困っていることがあったら、助けてくれる人がいたらしあわせです。

僕は子どもから、お母さんたちからたくさんのチカラをもらっています。
だから応援したいのです。

だから僕はオトノネをつくりました。
どうぞ、土足で、入って来てください笑

ビリギャルで有名な坪田先生のツイッターにコメントしました。
もう次の選挙で自民公明党を「大敗」できなかったら、、、、

お母さんひとりひとりの力が集まれば、国が変わります。
オトノネは、ツイッター上でこっそりと、「参政」をしているところです。

最近、いろんな制度を作りましたね。
全部、キャンペーンです。お母さんや現場の人の過酷さ、子どものサバイバル状況は悪化します。

え?そのこと詳しく聞きたいですか?
保育園無償化の本当の「ねらい」知りたいですか?

影響力のある人に、たくさん発信してもらいたいとおもっています。

僕はれいわ新鮮組の安冨さんに入れます。
内側から見た「れいわ新選組」

『生きるための経済学』や『誰が星の王子様を殺したのか』などの本を読んでいたので、出馬したときはびっくりしました。
いろんな本を書いています。どれも「人間らしさ」についての本です。

こういう人が、参政しています。

なのでまだ、希望があります。

こんな感じで、おとのねさん、暗躍しています笑

本気、ですから。

僕なりに!

お母さんも、ツイッターで有名人を見つけたら、教育や労働のことで発言している人を見つけたら、その人のツイートにコメントを残して行ってほしいとおもいます。人の言葉が、人を動かすと僕は信じています。

第一問:価値ある人生とは、なんでしょうか。

「あなたが学ぶ」価値はなんですか。

あなたには、どんな価値があるんですか。

そんな難しい問いに答えなくても、自分の価値を生きている人がたくさんいる。
「ふつう」なんてない。

「いい」ものなんてない。

価値ある人生を送ろう。

 

お母さん、大丈夫ですよ

世の中は不安を巻いて育てている。
私の言う地獄の一場面だ。

世の中を不安にした方が、いろいろと買ってくれるからだ。
習い事、勉強もそうだ。
本当に必要なのか、わからないけど他の人が使っているから・・・みんなやっているから・・・
とか、有名な人が使っているから・・・とかいうケースもある。

みんないっしょでないと不安になるのも地獄現象だ。

毎日、子供を風呂に入れないと、入れないと!いけないというのもお風呂関係の商品を売るために「〜せねば」と思われる宣伝をうっているだけだ。

だから大丈夫、子どもは大丈夫、世の中が見せてくる、縛ってくる不安なんか気にしなくていいよ。
子どもはしあわせになる力をもって生まれるんだから。

お母さんが不安になってたら、子どもはちゃんとそれを感じて、世界を不安で満たしてしまうかもしれませんよ。
それだけお母さんは、お子さんの、大事な先生です。

笑ってください。しあわせになってください。
もうそれだけでいいのではないですか。

子育ては心理学でラクになる
『子育ては心理学でラクになる』DaiGo

 

ーーーーーーーー

最近、おとのねさんが生徒のお母さんに教えてもらった記事。
子どもが自分の思い通りにならないといって、感情的になっているお父さん、お母さんに出会うことがある。

全く新しく在りなさい。自分の母親から学んだことは全て忘れなさい。

言葉を言葉のまま受け取るなら、この言葉には、力があるとおもう。

坂本龍馬が教科書から外される?ワケ

脱藩したからかな?。

吉田松陰も外されるらしいですね。

そういう世の中です。

スーパーサラリーマン山田流子育て

会社人ではなく、社会人を。
これがスーパーサラリーマン山田さんの考えだと僕はおもっている。

ーーーーーー

親からは離れていく。子どもの活動範囲は広くなる。地域を超える。
自分がしあわせになるんじゃなくて、一緒に誰かとしあわせになっていかないと。子どもは社会人になれない。
会社人になっても、社会人にはなれない。

大人も一緒に。友達も一緒に。。。
まずは親が子どもを連れ出す。連れ出す。
連れ出すのに適した年齢は、思春期前。
成人儀礼の前。大人になる前。

子どもが興味を持ちそうなイベントに親子ともに参加したり。
「まぁ行ってみるか・・」といってみて、社会人との会話をして、新しいスキルにも出会って、しあわせを感じられたら、

次の段階は、「お父さん、友達とここいくんだけど、連れて行って」くらいな。
子供が育つには、子供同士で話をしていかないと。親と話すのとは別のたくさんの学びがそこにはある。

イベントの帰りの子どもとの会話
山田さん「自分が楽しかったことには他の人も誘うんだよ。そしたら楽しみが広がるからね」
そしたらお子さんは、「はっ!」という顔したそうです。

友達を引き込む。

親の社交性が子供の社交性(人付き合い)の基本になる。経験を習う。
連れていってみる、「いくよね??」人と繋がる環境をつくる。

ーーーーーー

それができるのが、メタ認知力がだいぶ育っている中学生が適切なようにおもう。
塾に行く、習い事をする時間では得られない経験が、そこにはある。

部活をしてもいいだろう。
けど、

子供は子供専用の塾とかでなくて、習い事でなくて、社会人として親が知っている繋がりのなかで学べることがある。
親の社会性から、子どもは社会を学ぶ。
社会性は、伝わるものだ。


社会性は、学ぶものだ。

誰から?

学ぶことなく、いきなり社会に投げ出されて、どうしたらいいかわからないのは、お母さんも、子どもも、同じかもしれない。

ーーーーー

オトノネはしあわせ育てを応援しています。

山田さんの言
困っている知り合いの子どもを助ける感じのとき一言。
「うちのこと一緒に育つ子をきったらダメだよね」

これを一人でやったらしんどいだろう。
山田さんは、たくさんの人的な資源をもっている。
今山田さんのこうした気持ちを文字に起こす(山田さんが苦手なところを僕がしている)ことで、少しでも、笑い仲間が増えるといいな。

と、僕は思っていることをネット世界に放出する係だ笑

 

悩むコスト

悩んで、選び抜いて、選び抜くだけの時間と労力の対価があるのか。
僕にはわからない。
『自由からの逃走』という書物を書いた哲学者がいる。
「人間は自由の刑に処せられている」とのたまうこの思想家は、ずばり現代人が選択肢の多さに滅入って自由の名の下に抑圧されている様子を書いたのだった。

罰ゲームのように自由に振り回されずに、人生をよる自由に生きるには?
無限の選択肢の中から「わたし」にあったものを選んでいく。
次第に自分がわかってくれば、選択のために悩む必要はなくなる。
次の一歩を踏み出すだけで、風景は少しずつ変わっていくのだ。
今ここにとどまるより、「どれか」を選んで進み出すことの方が、人間的で、自由で、わくわくすることだと僕は思う。

離婚、中退、退社。
将来の不安(無限に広がる不安なまでの自由)が人を臆病にすることがある。
それもまた人のパーソナリティー。
それぞれの生き方にあった、生きる戦略をひとりひとりが身につけて、強く生きよう。

そしてあるとき、人生のとあるライフステージで、大きな選択をしなくなったとき、人の脳みそはしあわせを感じるのかもしれない。ひとりひとりのしあわせは違う。

一体誰が、曲がりくねった道で起きるひとつひとつの出会いを予測できるだろう?
一体誰が、出会った人たちから出てくる一生心にとどまる言葉を予測できるだろう?
一体誰が、ある日、ある夜にふと空を眺めてみつけた月に感動することを予測できるだろう?

悩みっぱなしでもいい。
悩み疲れたら、オトノネにあそびにおいで。

子どもをなんとかしたい一心で、常に悩み、選択しているお母さんは疲れていて、多分子どもの本当の姿が見えていないかもしれない。休むという選択も、とても自然で、大切なことだとおもう。毎日「いいこと」を意識的に繰り返すことで、それが自然になって、「しあわせ」がやってくるかもしれない。

心から、子どものためをおもって、子どものためにならないことをしていることがある。
子どもはそれでもたくましく成長するが。
こらえきれなくてまた富山県の長男(報道はされていないが長男でしょう)が一人、思春期を乗り越えられなかった。
たくましく、健康に育ってほしいとおもう。

思い出し、再現していく能力。
「あのとき、しあわせを感じたのは、なぜなんだろう。どうしたらそういう状況を作り出せるだろう」

面談の際、「この人の助けがあれば、この子は変われるかもしれない」という希望をもててもらえたら、うれしくおもいます。

 

いじめのない海賊社会

残酷すぎる成功法則

お風呂に赤ちゃん、毎日入れる?

「病院からは毎日入れてくださいって言われるけど、母からは3日に一回でいいって言われるんです。どうしたらいいですか???」

という話。

早速インターネットで調べてみると、、、、毎日、最低一回はお風呂に入れるとかいてある!掲示板をみると、毎日入れない親は人間じゃないみたいなことまで書いてある・・・・

人それぞれに言い分があり、主張があり、それ以前に「想い」がある。

お風呂に入れたいなら入れたらいいし、入れなくても大丈夫かな〜と思ったら入れなくてもいい???

いや絶対!毎日!という人もいる。

例えば病院なら、衛生指導、ちょっとした湿疹とかで病院に来て欲しくないから「毎日」というかもしれない。お風呂でスキンシップを毎日とってもらって、児童虐待を防ぐ意味もあるかもしれない。保健所から「安全」のために毎日体を洗うようにという指導なのかもしれない。

例えば学校なら「給食の前には手を洗いましょう」「外から戻って来たらうがいをしましょう」だろう。

大切なことは何だろうか・・・

お風呂に入らなくても、人は死なないということです!笑わらってください!

お風呂に入れることを推奨するのは、「病気が流行ると嫌」な病院、保健所だけではありませんね。

お風呂の商品を売りたい企業も、毎日お風呂に入れることを推奨します。

あたかも、お風呂に毎日入れるのが、当然であるかのように・・・

(ベビーローションが売られているらしいですね。お風呂と関係するものもどんどん売りたいですね!企業は!)

「衛生観念」「無菌がいい」「ピカピカ」という考え方のせいで、免疫力がなく薬漬け、病院通いになる大人になる可能性もあります。

最近の若い人はすぐ病気になる・・・というのは、バリ島の留学生の面倒をみてくれる人のつぶやきです。

「毎日お風呂に入れなきゃ・・・」とおもって、ストレスになっていませんか?

「綺麗な体に保たなきゃ・・・」とおもって子どもを「無菌」にしていませんか?

子どもを裸にしてじっくり見る。子どもと裸で触れ合うのを楽しむ、自分も入るのだから、子どもも一緒に、というくらいの気持ちで、お風呂にはいって、笑顔で。

「毎日入れなきゃ」と思っていたら、せっかくのしあわせを、しあわせに育てられなくならないですか?「絶対入れる」とは考えずに、お子さんとの関わり合いの一つとして、お母さん自身の体を気遣うように、お子さんをお風呂に入れてあげてはいかがでしょうか。

生む前から情報に悩むお母さん!考え方を、学びませんか?

病院に行くと・・・

「あの先生はこうしろっていうし、別の先生はああしろって違うこというんです!」

どうしたらいいかわからない、という話。

これがネットやテレビだとまたさらに話がややこしくなる。

「みんながそういっているから」やることが「正しい」のかもわからない。みんなやっているからいいんだろう!

・・・いいんですか?

「正しい」か「正しくないか」で判断するのはよくない、と考えてほしい。

例えば生まれる前。。「スクワットをしてください。腹筋を鍛えてください」と言われるとします。出産に向けて、お腹の周りの筋肉(昔の人は体を動かして働いていたので別に鍛える必要はなかった)を鍛えるようにと。食事はこれを食べて、あれを食べて・・・・なるほど。なるほど。。。なるほど。。。

実はこれ、学校の生徒の状況とよく似ている。「あれも、これも、やりなさい」と言われてそれが課題になり強制される。お母さんの場合は、強制でないからまだいいでしょう。しかし、たくさんの「行為」をしなくちゃいけなくて・・・

目が、回ってしまいませんか?(実はそれが学校に入った多くの子どもが毎日感じていることです)

「出産後、21日はじっとしていなさいといわれたんですが・・・本当なんですか?」

こういう質問ができる状況が、病院にはないのだろうか(学校と同じだ)。お医者さんも時間がない(2時間待たせて、2分しかみない、という話を聞いたことがないですか?)。だからオトノネに聞いて欲しいのだが・・・

行動を教えられて、その心を、大切なことを教えてくれない。気が付けない。これが「学べない」学校式暗記型勉強法だ。

学校では「この解き方を覚えなさい」といわれる。え?

病院では「こうして、ああして、こうしなさい。」といわれる。え?

なんで???

そんな問いをぶつけにオトノネに来てください。オトノネで学んでください。

21日の間に、お母さんの体の中で何が起こっているのか。21日の間に、子どもはお母さんと何を学ぶのか。21日の意味を味わって、21日を大切に過ごしてほしいとおもいます。

お母さんは言葉の先生

言葉を学ぶとは、言葉を使うことだ。

「決められた行為」をする場所を行為空間とよび、

言葉が自然とでてくる場所を感情空間と呼んでみよう。

子どもたちが話す権利を使えるように、大人は環境を整えなくちゃいけない。次はあれやって、これやって、、、ご飯を食べてると勉強の話しかしない(聞くという行為空間)、一方的に喋られて、話す隙間がない。すると言葉が育たない。「宿題やったの!??」

子どもは学校に行くとお母さんから離れていろんなことを経験する。その経験をたくさん話したいはずだ。話しても、受け止めてもらえない!という経験を重ねると、感情を出すことができなくなりけっこう子どもはキツイ。ツライ。

「しなきゃいけないこと」をたくさん要求される世の中で、家庭は感情空間であってほしい。と、おもう。

ーーーー

待つこと。

子どもが何かで困っているときに、「お母さん!」と言われたら、「何?」と答えよう。状況で判断すれば何に困っているかわかるかもしれない。それでも、「何?」と聞いてみよう。「くつ!」というかもしれない。「くつをどうしたいの?」「くつがどうしたの?」とさらに待ってみよう。子どもの今現在の発達段階の一つ上の会話をしてあげるだけで、子どもはぐんぐんと言葉をつかって、伸びて行く。言葉の先生は、お母さんだ。

保育所では大人と言葉をこうやって交わし合うことはない。人数が多すぎる。だから子ども同士で学び合うだろう。年上の子どもと関わり合いがある仕組みになっているなら幸いだが、年齢別に分かれている場合、言葉を引き出す、言葉に挑戦する機会も少なくなるかもしれない。

教材を買うよりも、育つ場所を選ぶだけで子どもは学ぶ。

速すぎる時代で、見失わないように。

おとのねさんはその時代の先を行こうとしているが笑

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人間は環境に適応するために、そして自然に暮らすために、文化をつくりあげた。
よりしあわせに、より安定して暮らすための知恵が、ルールであり、制度であった。

その制度が、文化が、知恵が、追いついていない。
時代が動きすぎている。
多くの人が、時代に飲まれながら、神にもすがるおもいで暮らしている人さえいる。

巨大な組織はそのスピードについていけない。
保育園では保育士の叫び声で満たされ、学校は教員の叱責と罰の呪力で縛られている。

大学でも時代をさらに突き動かすテクノロジー・理系の研究には予算が分配され、肝心の人間の生活、感覚、心を守るための研究がなおざりになっている。

よりしあわせに、より安定して暮らすための知恵が、ルールであり、文化であった。
かつて役に立っていた価値観・ツールが今の時代では、逆に不安を引き起こした。
多くの人が、困っている。(困ることすらできずに神にすがる人もいる)
伝統が、新しい時代の足枷になっていないか。
新しいなにかを学びとったら、もっと楽に生きられないか。

新しい時代でどう生きたらいいのか?
それを学ぶにはあまりにも時間がかかり、あまりにも膨大なエネルギーが必要になるようだ。
だから一部の学びのプロフェッショナルが学び、多くの人がその成果を享受して時代に合わせてしあわせに生きる仕組みが必要なのだ。が、研究機関が麻痺しているこの時代、リーダー不在のこの時代、人と人がしあわせのために繋がれなくなった。

役割分担ができなくなった。
が、役割分担をするだけでだいぶ楽になるはずだ。

僕ができることは僕がやって。
僕ができないことは、誰かにやってもらって、バランスをとろう。

お母さんには、お母さんにしかできないことを。
お母さんが頑張っている一部を、オトノネが担ったらいい。
お母さんは世界に一人だけだ。
お母さんにはお母さんにしかできないことがある。

一人で全部やろうとする習慣を、どこかで身につけていく。
(部活も宿題も習い事も学校も受験も全部・・・)
子どももお母さんも、無理しすぎなんじゃないか?

なんちゃって。

ーーーーーー

いろんな人に助けてもらいながら、僕が踏み出したことのない一歩を踏み出そう。
世の中の流れに飲み込まれず、自分をコントロールするには、やっぱり誰かの助けが必要だと、改めて感じている。

 

教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、「環境に適応する」

であると定義してみよう。仮に!

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

———–

思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

ーーーーーー

世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

ーーーーーーー

意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

ーーーーー


子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

 

「世の中」と向かい合う前に。

世の中、って誰のことだろう。

世の中は、甘くない。
世の中は、学歴、
世の中は、、、

結局、選ぶ、決断するというスキルがないために、
自分が決断して、世の中を選ぶことができないために、
世の中の仕組みを知らないために、漠然とした世の中と対峙することになる。

それはとてつもない不安だ。

世の中で心がすり潰される子どもたちがいる。
どんどん、世の中に染まって行くのだ。
心がすり潰されて行くのが、世の中だ。
くらいどんよりとした、たった一箇所、か細い光の先にしか出口がないような世の中だ。
「もうそんな世の中、うんざりだよ」という子どもの言い分がある。
学業不振?やる気がない?あそびほうける?それが、世の中の標準であることを、お父さんお母さんは認めているだろうか。

そう考えたら、世の中というものは、勝手に作り出した幻想にすぎないとわかるだろうか。
世の中は、目の前にあるものではなく、
お父さんお母さんの瞳の中に写っているものだ。

「成績が伸びないしくみ」になっている学校の成績を上げようとすることは、世の中に逆らうことだ。
だったら、子どもが世の中に逆らっても、大人は何も言えない。

世の中ってなんだろう?

==========

お父さんお母さんのファンタジー(世の中物語)のなかに子どもを閉じ込めて、子どもが滅入っていることもある。
「それは、あなたたちの生き方でしょう?私の生き方ではないでしょう?」と、子どもは心におもっているかもしれない。
「もっと別の世の中を、みせてくれない?僕はまだ、子どもなんだ」と、子どもは心におもっているかもしれない。

いろんな生き方がある。

いろんなオトノネがある。

その子の見ている世界と、僕らの見ている世界が同じなわけがない。
大人が勝手に「世の中」を語るとき、子どもはそれを「ファンタジー」だとおもっているかもしれない。
8歳、9歳でその区別がつき始める。
「いやいや、目の前の現実が大人には見えていないんだね」と子どもは冷静に思っているかもしれない。

子ども曰く。
「どうして大人は、わけわかんないことを言っているんだろう?」

世の中を語る前に、心を語りたい。
その子の瞳に映ってる世の中を教えてもらうのはどうだろう。

その子の人生の舞台に上がっているのは、その子なのだから。

【仕事と家庭】西野亮廣さんと安冨歩さんの共通点と相違点

西野亮廣さんという人がどういう人なのか、掴みかねていた。
前よりはつかめた気がするから残しておく。

安倍さんと前澤さんに続き、人物紹介3人目。
(追記あります)前澤さんという一人の人間から学んだこと。
【Are you Abe?】「安倍晋三」というありふれた人間性について

相手が気持ちよくお金を出してくれるような言葉を使う(ストーリーをつくる)。(全国の子供達に「プレゼント」したい)

買ってもらえるようによくよく計算している(6分20秒くらいから

「僕は嘘をつかない」というが、口に出していない言葉がない、とはいっていない。

この人どんな人かいまいちわからない。。。。。
これが僕の第一印象。

ーーーーーーーー

西野さんと比べてしまった人に、安冨さんがいる。
共通点がある。

どちらもアーティストだ。
世の中が変わるのではないか、新しい世の中ができるのではないかとワクワクして、それに参加したくなる。
人が入り込んで、のめり込んで、参加したくなるようなストーリーをつくる。

アーティストだ。
どちらも新しい価値観を、みんなに伝えようとしてくれている。

うん、いい感じ。

だが、しかし。ながら。二人は違う。

どんな違いがあるか。あえて言葉にしてみようとしてみる。

西野さんの言動は「目標」がはっきりしている。

「戦」が存在している。
成功という言葉が「戦」に勝つことだし、一つ一つの行いには、全てなにがしかの「成果」があると計算している。
そしてその成果を手に入れる。

それは西野さんの言葉で言えば「影響力」と「信頼」だろう。
お金集めのための技術。

野心を叶えるための方法。
「負け戦」をしない方法。(お金を得るための別のルートを探した結果、テレビ業界とは別の方向に向かって、今にたどり着いたといってもいいかもしれない)

ーーーーーー

一方で安冨さんは、「成果」をそもそも、求めていない。
選挙のときも「投票してくれとはいいません」「一緒に選挙をしてほしい」といいました。
どういうことかといったら、、、、、

「学ぶ」プロセスを重視している。
むしろ結果を出したり「成功」しようとする心が世の中を狂わせているといわんばかりに・・・

「成功」という前提がない。
言語体系が、ビジネスではない。
言語体系が、極めて人間学だ。

ビジネスと子育ての原理は違うと僕は思っている。
ビジネスの原理は、そうだな、、、やっぱり、、、、、子育ての原理とは違うとおもう。

こんなことをいうとこのご時世どかとおもうが。
ビジネスの原理は、父性的だと、僕は感じる。

ーーーーー

西野さんがyoutubeで話していることは、なるほど。なるほど。
といえること。

だけど「定期テスト対策」的なものと、「本質」的なものが、まざっている。
(西野さんの根本原理は「信頼」で生きていく。ことだと僕は思う。)
その区別ができていない、体系化されていない。多分本人は無自覚でやっている。

というのが、西野さん(情報を出し続けないといけない(結果を出さないといけない)から、しょうがないんだろうけど。。。)

西野さんは、前澤さんと同じように、「お金」の実験をしている。
そのやり方や考え方を参考に、いろいろとこれからも考えていきたい。何よりもまず、僕の場合は行動なのだろうけど・・・・

価値観を転倒させる、世界をひっくり返す、という意味では、前澤さんはトリックスターの資格はないかもしれない。(サプライズではあるだろうが)
「お金の価値」と「人の価値」のコントラストを逆転させたところに、西野さんのトリックスターたる資格がある、と僕はおもっている。

ーー

西野さんのyoutube動画を要約すると以下のよう。

結果の出し方-西野亮廣
ねばねばしながら、気持ちが乗らなくても、、作品を作る。
挑戦する人をお応援する。(守る人を明確にする)

「お金持ち」の考え方と、「貧乏人」の考え方の決定的な違い-西野亮廣
「ラッキー!もうけた!」という人(貧乏人)には近づかずかないで、無償で振る舞う。
貧乏人は、与えられる回数が次第に減って行く。そうして、貨幣による冷たい関係しか残らない。これは絶望的だ。
金持ちは、与えた者以上のものが帰ってくる人を、呼吸するように選んで、与えている。

価値の付け方-西野亮廣
クオリティーをつけて価値をつける。か、売る場所を選んで価値をつける。どの市場でだすか。
だれに買ってもらうか。どんな場所でみてもらうか。売り場を選ぶ。

は? キンコン西野が無料のコーヒーショップをオープン!-西野亮廣
お金の価値を、実験する。(結局無料で提供するためのお金は西野さんの「信頼」と「影響力」でサロンのメンバーから出してもらう)

敵は増やさない。
戦に勝つというのは、敵を取り込むこと。

【なるほど】他人の力を使って夢を叶える方法-西野亮廣
目指しているものを、作品に内蔵させる。「この人を、こう使ったら、いいんじゃない?」と誰かに思わせるようなデザインを、自分の作品に組み込む。何を目指しているのか?その上で、目の前の作品の発展過程を思い描くこと。

「守るべきファン」について~ファンとは何か?~ 西野亮廣
変化を、学びを肯定してくれるひと、未来の自分を支持する人。

「昨日より進んでいればいい」というわけでもない-西野亮廣
進んでいる!とおもったら、安心できる。が、自分のゴールから逆算して、制限時間までに、たどり着けるか?

「場」を作ろうとする人間が、「場」を作れない致命的な原因-西野亮廣
作品が中心にあって、それを魅力に感じて、人がやってくる。

会社の方針と社員の考えが違う場合はどうすればいいのか?-西野亮廣
会社を動かす方法。会社を徹底的に勝たせて、発言権を得る。

【西野亮廣】空気を読むことに何の意味もないですよ。過去の常識からいち早く脱却した奴が勝てる時代です。
悩んだ時はお酒を飲んで決断しろ!決めてしまえ!

キンコン西野の「お金」の使い方-西野亮廣
作業効率UPのための投資をする!家を買ってカスタマイズ!

挑戦できるサラリーマン、挑戦できないフリーランス-西野亮廣
安定しているサラリーマンは挑戦を!

ーーーーーー

西野さんはコーチングの人間だと僕には思える。(ビジネスとコーチングは相性がいい)
武器のない人に武器をあげる。戦える!とおもえるようにする。「成功」へと導く。

安冨さんは?
逆に「堕落」せよといっている爆と僕はおもっている。

西野さんはぐいぐい寄ってくる感じ。
安冨さんは風景の一部として僕を見ている感じ。(これは僕の感覚。)

二人の対談を期待します。

マジで。
二人には、共通する点がありながら、どこか、違うところがある。
その間にどんな言葉が生まれるのか。きになる。

コフートで対極的に扱われる(と同時に共に必要とされる)2つの自己と類似している。

 

人間関係(仕事)を見直した西野さん。(テレビ業界で頑張っても壊れるだけだと悟った)
人間関係(家庭)を見直した安冨さん。(今の夫婦関係で頑張っても壊れるだけだと悟った。)

ビジネスの原理と、子育ての原理の対比だ。
どちらも、抜け出した。
それは、それは、すごいことだと思う。
(いうて、藤原和博さんなんかも仕事を見直して、新しい生き方を伝えてくれているけれど。アーティスト、とは違う気がする)

ーーーー

ぶろぐかいてばかりいないで、 うごかねばならぬ。
そうね。

そうですね。。。

ブログ書いていても、動きがないから、その結果を受け止めて、、、、、

すみません。。。。

追伸西野さんはオンラインサロンで月、ひとつき、4千万円稼いでいる。
こういう人が「子供のために」っていってクラファンをしていることに違和感を感じる。
なぜ日本に学校を作らずに海外に学校をつくるのか。
なぜ最近ノートで子供の時の思い出を綴るようになったのか。
全部、計画のうちにはいっている。
西野さんの描いたストーリーのなかに、参加させられているこの感覚。違和感。(まぁ人間そんなもんだといえないこともないが)
(そういってしまうと、西野さんは「人のお金の使い方にものをいうのは・・・」と返事してくれるだろう。そうね。ビジネスってそういうものですからね。相手から、どう見えるか、どうしたら、自分のストーリーに入ってきてくれるか。
自分でお金を出したらそれで済むけど、それをしないで、あえて「子どものために」と呼びかける。信頼を増やすという作戦でどこまでいくのか。
作った信頼を政治の話にはもっていかないんだろう。敵を増やすからだ。
敵を増やさないという制約が西野さんにはある。
だから西野さんの口からは自民党だとか公明党だとか安倍とかという名前はでてこないのだろう。
そうやって自分のキャラをきちんとコントロールしている。もうそれが自然な西野さんの姿になっている、そんな気がする。それは僕の妬み(月4千万かぁ)も入りつつ、西野さんが自分を語る語り口に騙されてしまったのかもしれないとおもう。人間の不思議さを、人間の不自然さを、人間の愚かさを、滑稽さを感じる。信頼を作り上げた後で、西野さんは何をしようというのか。結局信頼を、お金に替えることをしてきた。
結局は、お金なのか。そうね。そうかもね。惑わされず、しっかりしなきゃとおもいます。

 

これからこの国で幸せになるには。

この国で、幸せとは何か、もう一度考えてみたい。

考えなくていいか。
感じてみたい。

この国で、この国のシステムのなかで、僕はもう少し強くなろうとおもった。

日本は日本仏教の国。
この国でしか使えない、この国の宗教。

この国ならではのしあわせが、あるような気がした。
しあわせをつくりだす社会的装置が故障している。
たまにボロボロになってでてくる心がある。

僕はその「たまにでてくる」ものに目を向けすぎなんだろうか。

昔みたいに、みんなで長屋に住むとか、寺に行くとか。

もう現実に、日本の孤児院、ぱんぱんだからね?
もう現実になりかけています。

こんなにも貧しい国で、しあわせになるには?
日々の暮らしに満足すること、なのでしょうか。

念仏を唱える代わりに、みんなテレビをみていますね。
念仏を唱える代わりに、みんなスマホをみていますね。

念仏が、必要なのでしょうか。

 

 

【知の個別性・主観性】フルーツバスケットより

世界で一番バカな旅人

たった一人になっても。
たった一人でも。

誰かにとっての真実は
誰かにとっての真実ではない。

自分の感じていることは
他の誰かは感じていない。

それを、愛しいと感じるか。
それを、憂いと感じるか。

心が大事。
【言葉を超えたもの】『僕の青春ラブコメはまちがっている』と「欺瞞」

 

困っているけど声を出せないお母さんなう

孤独なお母さんという言葉から、僕が連想するのは、

家でお父さんから受けるストレスで頭がいっぱい。
仕事で会社から受けるストレスで頭がいっぱい。
将来への不安で頭がいっぱい。

そんなお母さん

家事に時間が取られる。
仕事に時間が取られる。

昔なら、仕事をしながら、いろんな話ができた。
今は仕事は仕事。

人が話をする時間が減ったとおもう。
DVを受けていたら、話どころではなくなってしまう。
(キングダムの登場人物セイの生い立ちはその状況を描いている)

お父さんはビジネスの原理を体得していたら、子育ての原理など「は?」となるだろう。無視。
一番近くにいる人が、一番遠い状態。

つらいことだとおもう。

子どもが社会化する大きな窓口である学校も閉鎖している。
学校は学校で身を固めている。
学校の先生も忙しい。

子どもが過ごす時間が長い学校の先生たちも「立場上」話を聞けないことがたくさんある。

ご近所さんに何か話したら変な噂が立つ。
怖い。

ママ友仲間は修羅場になりがちらしい(ライン炎上って何?)。

沈黙。

沈黙。

オトが聞こえない世界。
オトを出してはいけない世界。

ーーーーー

ようこそオトノネへ^^

 

オトノネなお母さんと衣食の話。

最近オトノネは衣食住にこだわっている。

そこでオトノネのお母さんと話しながら、、、

ぬか床を作り始めたり、食材を見直したりしているとのこと。

ぬか床は微生物の住処。
野菜、食べられない場所はない。漬けたら全部、微生物が仕事をしてくれて、僕らが食べられるようにしてくれる。

そのオトノネのお母さんは一汁一菜を調べ直した。

仙人は衣食住にこだわるらしい。
いろいろな話をした。

バリ島から持ってきた生地の素材が何か判別してもらいたくてみてもらったら・・・・
繊維が何か、表示が買いて居ないので判別しないといけないのだけど・・

オトノネなお母さんにはポリエステルしかわからず、オトノネのお母さんのお母さんと一緒に判別をしてくれたそうだ。
いろんな服を作ってきたオトノネのお母さんのお母さんでも、判別が難しかったみたいだ。

「いい見立てだね」といってくれた。
生地をライトで照らしたり・・・いろんな話をオトノネのお母さんとお母さんのお母さんはしたという。

学校の宿題よりも難しい笑

食べ物も生地も、本当にいいもの、本物を、ありのままの「命」を感じようとしたら、途方もなく深い。

キーワードを手に入れたら、どんどん出てくる新しい世界の人たち!

平川理恵
広島

と検索して、このページをみつけた。
広島県が目指す「主体的な学び」とは

このページの下にある「編集部おすすめの関連記事」がおもしろい。

「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらない
親の言うことばかり聞く子どもには危機感を持ったほうがいい
教育委員会の都合は最後に考えよう
社会に出たら、何もかも指示されるなんてことはない
「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている

変わってきている。
それでも変わらない学校もある。

今まで沈黙していた人が動き始めている。
きっかけをくれた人がいる。

お父さん、お母さん、自信を持って、新しい時代に子どもを送ってあげても大丈夫ですよ。
助けてくれる人が、たくさんいますよ。

ホリエモン、藤原和弘、その他(ごめんなさいたくさんいるから…)

新しい世界、新しい時代。
そこで思い出したこの本。
新世界

この本は、西野 亮廣という特殊な人間の目線で書かれているので自分の世界観と摩擦を起こすくらい度肝を抜かれる。
けど今までは想像もできないことが、世の中では起きている。起こりうるということを知るには、役に立つ本だとおもう。

FBやツイッターをみるだけでも、新しい世界観をもった人の記事に出会える時代になりました。
情報はあります!

 

好きなことを仕事にする?できることを仕事にする?趣味?の意味。『三太郎の日記』

iPS細胞を自前でつくった山中伸弥教授は世の中のために研究をしていたか。

と聞かれたら、いやいや、ただ、楽しかった、やりたかった、つくってみたかった、という純粋な遊びごころで研究していたんだろう。

表向きは、社会貢献とか、いろんな飾りをつけられても。
人の役にたつこと?いやいや、自分が好きだからやったんだよ。

結局は、何かを成し遂げるときは、情熱、ロマン、遊び心、本気になれる純粋な何かに向き合うメタスキルが大切になってくる。

そういう話を、した。

かつて阿部次郎の『三太郎日記』を塾の先生から借りて読んで読みきれなかった。
けどそこにこんなことが書いてあったらしい。

生きるための職業は、魂の生活と一致するものを選ぶことを第一にする。

けど、そこでこう言われた。
「魂の生活ってのが何かわかりませんよ。私自身、魂が震えるような経験をしたことがないですからね!」

そうだ、雪をみたことがなければ、雪がどんなものかわからない。
自分の心を知らなければ、心がどんなものかわからない。

もちろん、ほんとうにわかるなど到底できない心であるが、それが震える経験を、一体私はいつしただろうか?
そう、阿部次郎は魂の生活と、肉体の生活を分けた。世の中で求められている肉体労働(ブラック!)とは別に、魂が喜ぶ生活を目指すのだと、言っている。魂がしあわせになる生活と、一致するように、できるだけ、仕事を選べと。もしそれができないなら、仕事とは別に、魂の世話をしなさいと。

心を大事に。

けど僕も、魂が震える経験、「これが僕の仕事だ」と、実はまだ言い切れていない。
いや、本当はわかっていて、それに向かっているけれども、まだ仕事にはなっていないだけかもしれない。

ーーーーーーー

できることを、仕事にする、という考えもある。

できることは、自分がポテンシャルを、タネを、しあわせを育てる扉。
できることをするのは、当たり前。

できることを進めて行くうちに、人と出会ううちに、自分のチカラを感じて、好きになって行くこともあるだろう。

多様化されてきた時代、自分の適性をみつけたり、自分の仲間をみつけるだけでも時間がかかるかもしれない。
「いい会社」を狙う作戦で、失敗してもいい。

「そんなもんだ」とおもって進んでみて、「あれれ?」と思った時に、もう一度、思春期の課題にもどってもいい。
オトノネは、大人の思春期、絶賛、応援中。

共産主義的日本と資本主義的中国

とりあえずタイトルだけメモ。
名前と実態は違うという話。

けれども、こんなことを知って、よりよく生きるために役に立つのだろうか。
知ることの価値を、最近、見出せなくなっている。

大学時代に逆戻りした感じ。

禁じられた即興『キース・ジョンストンのインプロ』


『キース・ジョンストンのインプロ』

最近面接によく行く。そこで気づいたことがある。面接官は、与えられたセリフ、もしくはパターン化された条件にもとづいて質問していると。私が何かはなしかけても、返ってくるのは、偽りの笑顔と言葉。面接の評価は「この人には何ができるか」ではなく「この人は従順であり安全か」ということであるようだった。スキルは研修で身につけてもらうということだ。私は危険を冒しても、創造性を大切にする人間だ。面接とは、面を接することだとわかっていなかった。その面とは、パーソナリティー、社会的な仮面だということを、私は気がついていなかったのだ。私がやっていたことはいわば即興であって、面接官が求めていたものは、台本のある芝居であった。面接とは「あなたは、ちゃんとこの役できますか?」という試験であった。〈私〉がそこにいてはならなかった。〈私〉は仮面をかぶり、演じる必要があった。面接では相互作用はない。「何か質問はありますか?」という一言も、ソレに対する「正しい反応」が準備されていなければならない。インスピレーションもない。「あなたは、何者ですか?」ではない。「この役を、演じてください」それが面接という試験だし、課題だということに、今更気がつく。だから「社長がどんな人か、エピソードを交えて教えてください」といった時、彼の笑顔が消えたんだろう。

つまりこの面接は、シミュレーションであり、コミュニケーションではないのだ。

別の面接にいくと、ある人はこういってくれた。「あなたはひとの中に行くのではなく、ひとをあつめるようにしたほうがいい」と。実はその人には、「最後に、何か言葉を頂戴できませんか?」と、帰り際に尋ねたのだった。この質問がふっとでてきて話せただけでも、僕は前よりも、成長しているとおもう。

インプロの世界に入って、それを学び始めたら、後戻りはできない。その知識を払いのけることはできない。人を見る見方が変わる。人とのかかわり方をいつもちょっと調節する。朝、新聞を買う時に、ちょっとハイステイタスに、あるいはローステータスになる。映画を見ているときに、何がサークル内のもので、何がサークル外のものかに気付く。この知識を持っていたら、あなたは少しずつ、違う種類の生き物になっていく。ほとんどの人がどんどん生気がなくなっていくのに、インプロをやっている人は歳を重ねる度に、どんどん生き生きとしていく傾向がる。(略)多くの年配の陰プロバイザーが、すべてのことに興味を失っていく一般的な年寄りとは、全く違う。普通はモノゴトを遮断していくのに、陰プロバイザーはそうはなっていかないようだ。人との間のキネテックダンスも、気づいているから完璧だし、バス停にいれば、何か小さなストーリーを紡いでいる。時間があったり、退屈していたら、頭のなかでインプロし始める。子どもがいるなら、彼らとインプロのゲームで遊べる。インプロがあなたを変える。入り込めば入り込むほど、インプロはあなたをもっと変える。人類学や心理学などに興味を持つ。新聞を読めば、シーンを探している。いつもストーリーを探している。(『キース・ジョンストンのインプロ』 p.237)

 

「お勉強」の価値

勉強して役に立つの?

高校を卒業して、大学を出て、資格を取って、海外留学もして。。。

それでもし「役に立つ」かどうかを「給料」で換算したら、全く役に立たない。
特別な技能が必要ない事務職に就いてキャリアを積んだ方が、大学卒よりも給料がいいだろう。

そういう見方もできる。
大学に行ってお金をかけるより・・・

実際、大学に行って「見つけられなかった」人、大学にいって「出会えなかった人」は東大でもゴロゴロいる。

勉強したことが生きること、暮らすこと、幸せになることに変わりはない。
大学院にまでいかないと得られない資格がある。臨床心理士。
はっきりいって、受け入れ態勢がよくない。

雇われることよりも、まず、
仕事を自分でつくることを考えてみよう。
仕事を作る、目標に向けて、まずは誰かと一緒にやってみる、誰かに雇ってもらいながら学ぶ、というスタンスだ。
そういう学び方がいい。

専門の勉強をして得られる保育士資格がある。
勉強も何もしないで働く保育補助の給料とあまり変わらない。
子ども支援員、学習支援員の方が給料が高い場合すらある。

勉強と給料の関係はほとんどくずれている。

ただし、医者を除いては!(医者の世界は、給料を守るシステムが働いている)

森のシンガーソングライター山田証さんと出会う。

どうしてか忘れてしまったけれどたまたまFBで知り合って「今度日曜日どこにいますか?」「あ、近くですね」「じゃぁ」ということでお会いしてきました。もう一ヶ月くらい前のこと、思い倦ねて投稿できずにいましたが。 山田証さんのFacebookはこちら 最初にメッセージを送った時に「音楽家として副業せずに、暮らしているのか」と聞いてみた。 話を聞くと、音楽家、というより、表現者として、ギターを選んだ、ということ。 いろんな話を聞きながら、証さんは小さい時から自分に素直に、素直に、生きて来たんだなぁとおもう。 つきつめて、つきつめて、ただ自分らしい自分を応援して、考えて、勉強して、学んで、気づいて、行動して。 その繰り返しで、全国で「森のうた」の輪が広がっている。 ーーー 劇場の中で自分の仕事をすればよかった韓国時代と比べて、日本ではプロデュースから自分でやらないといけない。人にどう見せるか。「それは、自分がお金を払ってもみたいとおもえる、行きたいと思える舞台か」をよくよく吟味する。 そして自分が求めている報酬をはっきり明示する。旗を立ててみて、その結果をみて、また修正していく。 とにかく今、フラグを立てよう。というお話でした。 「コレ」というものをもっている人は、やっている人は、どこか不思議な魅力をもっている。 おとのねさん、そろそろ始めないと、そのうち、死んじゃうからね!

好きなことをするお母さん!Hug*smile

好きなことをするといい、本気になれることを
と思っている私自身がなかなかできないのだが。

「好きなことをする」ということがどういうことか、わからない人が多いように思う。
友達とのおしゃべり?と答える人はおしゃべりをする力を磨くといい。
おしゃべりでなく、1人で何か打ち込むタイプの人が、つまり(外向性とともに強い)内向性を持っている子どもには、「好きなこと」をしている大人をみて育ってほしいとおもう。
「仕事に打ち込む」誰かの姿かもしれないし、かっこいいい上級生への憧れからはじまる「真似」なのかもしれない。

昨日のなべまつり でみつけたお店、Hug*smileは手作り、縫い物が大好きな、お母さんのお店。
オトノネがモデルとしたいような、、、好きなこと、ねー

しあわせがつながっていくような活動を、オトノネはできているだろうか。
「友達に子どもができるから、プレゼントにするんです」といって買いに来たお客さんのセリフをききながら、そんなふうにおもった。


たまたま出会った私の友達とお喋りをした。仕事をしながら、いろんな人と出会わないとわからない世の中のことがたくさんある。オタクの話、中国の人の話、忍者の話・・・
勉強勉強で専門書ばっかり読んでる場合じゃない!

学歴は所得に本当に影響するの?【学歴の影】

フィンランドの所得を調べていたら日本のこんなサイトに出会った。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/gakureki.php

このサイトの結論は、「学歴は所得の差につながる」というもの。

で?

この結果に、データに疑問を持つ人がいたら、スバラシイ。

実感が伴っていなければ、直感が働くだけの経験、知識がなければ、出された資料を鵜呑みにせざるを得ない、
数字に隠された現実の姿が見えてこない。

ーーーーー

賃金構造基本統計調査
をみてみる。

賃金構造基本統計調査|厚生労働省
賃金構造基本統計調査について紹介しています。

調査の概要、という場所をみると。
この調査の対象になったのが誰か、母集団がわかる。

その選び方は、ランダムではない。
ランダムな「自然」さがどのようなものか、わからない。
偏りあるランダムなのか。(ちなみに「賃金構造基本統計調査」の学歴別のデータを僕は見つけることができませんでした。。どこ???)

ーーーー

つまりこういうことだ。

現実として、大学進学をしてニート、もしくはマクドナルドでアルバイト、などよくある話だ。
水商売をしてお金を稼いで大学に通い、その後、どうなったかわからない子もいる。
社会の闇が、このデータ(賃金構造基本統計調査)から消されている。

と、僕はおもうのだ。
他の都道府県への「タテマエ」でぬりつぶされたデータなど、全国学力テストで十分だ。
富山県は《教育県》か?(その1)全国学力テストの見方(情報リテラシーを身につけよう)

ーーーー

もちろん、給料が高い企業は、大学卒、大学院卒の人を採用するという話があるのは事実。
【イイ大学がイイのはナゼか】上場企業の保護者に聞いた。旧帝大でなかったら、東京の私立へ行った方がいい話。

で???

大学を出て無職の人たち、死んでいった人たち、知的で教養があり社会から排斥された人たちをカウントしない社会。

大人は、子どもに何を伝えたらいいだろうか。
伝えるべきだろうか。
伝えては、いけないのだろうか。

10年後の仕事図鑑1

10年後の仕事図鑑 10年後の『仕事図鑑』とあるが、新しい時代の教科書。 いきなりビビッとくる文に出会う。 『それは、恐れとして避けるものではなく、適応すべき「自然」である』 それとは、新しい時代のこと。 私は自然という言葉が好きだ。 失われて行くもののなかに、大切なものがあると思い続けてきた。 時代とともになくなっていく「人間らしさ」が、私には輝いてみえていた。 けどよく見ると、時代とともに輝いて行く人間らしさもある。 私が子どもと関わるのが好きなのは、まさに、どんな輝き方もできる可能性、創造性をもっているからだ。 子供は。 自然と人間社会を対比する価値観に囚われ続けていた私に、この本は今、ガツンと一撃与えてくれた。 よくよく考えれば、試験問題にこういう新しい文章をみることはできない。 こういう新しい世界の文章は、試験問題にそうそう出てこない。なぜかって、数多くの大学の試験問題をつくる大手の予備校が作り上げてきた世界と、新しい時代は、折り合わない部分があるから。 もう少し読み進めてみよう。。。

ーーー

10年後の『仕事図鑑』とあるが、新しい時代の教科書。

ほりえもんの本を読むたびに、あー、この人は好きなことをしてきたんだな、それを守れる環境を選んできたんだなとおもう。
私などはまだまだ、子どもの頃の課題を引きずっている。
(そのおかげで子どもの発達心理を学んだのだが)

時代はニーズなしにやってくる。(というか新しい市場をつくろうとする人たちが「つくってしまう」のがほとんどだが)
時代に合わせてニーズができる。

「塾」は古い時代のニーズに応える場所だ。
学びのスタイルも変わってくる。

学校の勉強に囚われている、大学、会社に囚われている人にはこういった時代の変化は感じにくいだろう。
私は「違うな」とおもいつつ、まだ抜け出せていない。

「違うな」と思うから、塾を始めた。

塾はビジネスであり、どうやって「利益を出すか」を考える。
私はどちらかというと、塾で実験をしている。

そういう気持ちでオトノネをしたいとおもっている。
その実験を、富山県でやることの意味は?

考えながら、じっくりと読んでいこうとおもう。

アップルは、時代を変えた。
スマホ時代を作った。
アップルを作った人は、きっと、友達がほしかったんだとおもう。
自分が作ったものを、認めて欲しかった。

「作る人」の心を感じると、私もその流れに乗りたくなってくる。

 

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