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「独学・参考書」

大学受験小論文のおすすめ本・独学のための参考書

小論文はコミュニケーションだ『採点者の心をつかむ 合格する小論文』

優しい言葉でかいてくれています。読みやすいです。

ぱっと読めます。それでいて、大切なことを書いてくれています。オトノネ流小論文の入門書です。

 

採点者の心をつかむ 合格する小論文

『採点者の心をつかむ 合格する小論文中塚光之助

 

小論文はこれ一冊でもいい『「考える」ための小論文』

 「考える」ための小論文

『「考える」ための小論文』西 研 (著), 森下 育彦 (著)

小論文は、学びへの構えそのもの

論文とは一人一人が考えていく作業そのものであり、また考えていくプロセスを他者に 向けて提示することであって、どこかに模範があるのではない。そして、書くことの原動 力となるのは、自分で発見したり納得したりすることの悦びと自由の感覚なのである。 (『「考える」ための小論文』p.7)

この本が狙いとしたのは、試験のための小手先 のテクニックを教えることではなく、あくまでも、入試問題を素材として思考と書き方を 訓練することである。第一に、考えることの面白さと豊かさ、第二に、「一般論」になら ないように考えを掘り進める技術、そして第三に、論文もまた「他者」に対するコミュニ ケーションであること、そういうことを伝えようとして私たちはこの本を書いた。

その意味で、この本は受験生のための参考書であると同時に、広く考えて書きたい人 ――独自性ある文章をめざしたい人のための本でもあることを意図している。 (『「考える」ための小論文』p.8)

小論文は、自問自答。

たとえば、イイタイコトが自分のなかにもやもやしているのだが、どうもじょうずに言

葉にできない、ということがある。自分でもよくつかめないし、他人にもうまく伝えられ なくてイライラする。そういうときに、日記やノートに文字にして書きつけてみると、だ んだんはっきりしてくることがある。 「論文が書かれるのも、一つにはそのためだ。つまり自分のなかのモヤモヤしたことを明 確にするために書かれるのである。あいまいだったり錯綜したりしている考えやイメージ を書くことでハッキリさせ、自分のなかをスッキリさせたいから、書く。「論文」という といかめしいけれど、もともと、私たちが日記に言葉を書きつけるのとそれほど違わない。

ところで、そうやって日記に考えを書きつけていくと、「これってちょっと勝手な考え だなあ」とか「やっぱりこれでいいんだ」と思うことがある。つまり浮かんできた考えに 違和感を覚えたり、深く納得したりし始めるのだ。こうしていつのまにか考えを吟味・検 討する自問自答の作業が始まる。この自問自答をはっきりと意識して行なうなら、それが そのまま論文になるのである。

私たちはなぜ、そんなことをするのだろう。それはおそらく、納得できない考えには従 いたくない、自分は自分らしく生きたい、と思っているからだ。他人から与えられたまま ではなくて(私たちのなかに浮かぶ考えの多くが他人の考えのコヒーなのだ)、自分でちゃん と考えて納得したい。そのために、私たちは論文を書いて自問自答してみるのである。 (『「考える」ための小論文』p.10)

小論文は、コミュニケーション。

論文を書くとき、自分の考えに全面的に賛成・賛同してもらうという意味での「丸ごと わかってもらう」ということは、必ずしも必要ではないし、また求めるべきでもないだろ う。実際、相手から厳しい批判をもらったときでも、「まっすぐに受けとめてもらったう えでの言葉だなあ」と思えるときには私たちはあまり傷つかないし、かえって感謝しさえ する。自分の考えの足らなかったところを気づかせ、助けてくれたのだから。 つまり論文を書く人がめざすのは、ただの賛同でも賞賛でもなくて、読み手に自分の考え(結論及びそう考える理由)をまっすぐに受けとめてもらうことなのであり、そのことを 通じて考えを進めるための助力をもらえるようにすることなのだ。そのために、書き手は いろいろと努力する。筋道がきちんとしているかを点検し、よけいな誤解を招かないよう 配慮し、そして何よりも、自分の考えの「核心」をうまく伝える言葉を探すのである。

だから論文は自問自答のプロセスであるだけでなく、他者を巻きこんで互いに応答しあ うプロセスでもあるのだ。そうやってともに納得できる考えをつくりあげていこうとする こと、これが論文を書くことのいちばん底にある夢であり、ユートピアなのだといっても いいだろう。もちろん実際には、イイタイコトの核心を理解されずに筋違いな批判を受け ることもあるけれど、書き手は表現を鍛えることでもってそれに対抗するのであり、それ 以外の手段を持たないのである。 (『「考える」ための小論文』p.13)

「メソッド」小論文と双璧をなす小論文に踏み込む本『小論文ー書き方と考え方』

「賛成か反対かだ!」「メリットデメリットを考える!」といった小論文の書き方を僕は好みません。「これは書いたらダメ!」「合格点をとるためのルール!」といった参考書も好みません。

安心をうるビジネスです。どれも学びを得られるものではありません。

これから本を紹介しますが、「大学に合格できればそれでいいよ!」という人には向かないでしょう。自分を作らないといけない、学ばないといけないので、不安になるからです。

学びたい人、小論文と向き合いたい人に、おすすめの本です。

 

小論文 書き方と考え方

『小論文ー書き方と考え方』大堀 精一

 

『小論文に強くなる』轡田 隆史

 

わかりやすい表現・伝えるための本『論理的な小論文を書く方法』

こちらは、「論理的思考」を説明してくれている本です。「エッセンシャル思考」にも通じる「わかりやすい文章」「情熱を注げる文章」とは何かを理解できます。

 

『論理的な小論文を書く方法』小野田 博一

 

『エッセンシャル思考』グレッグ マキューン

 

知を広げたい人のための本『小論文を学ぶ―知の構築のために』

この本は「思考」の要となる言葉を学ぶ本です。「思考」自体を鍛えたい方のための本です。「思考」の使い方を学ぶ今までの本とは違い、この本は「思考」そのものを鍛えます。そんなイメージです。

小論文を学ぶ―知の構築のために

『小論文を学ぶ―知の構築のために』長尾 達也

大学入試小論文、独学で勉強する人のためのおすすめサイト

勉強「できる」ことはできるでしょう。

独学でも成果が出る、大丈夫だという自信があるなら独学でいいのでは?

 

僕の知っている人で医学部の小論文を受けた人がいますが、その人は「過去問集」の模範解答を読みまくっただけでOKだったそうです。

所詮は「適性試験」「入試小論文」だと思えば、他の教科で点数を稼げば小論文など勉強しなくて良い、でもいいのかもしれません。

 

あなたにとって「受験」とは何ですか。

 

一人でやってみても、よいでしょう。

 

大学入試小論文を独学するおすすめのサイトです。

おすすめというか、「この書き方はいいのかわるいのか、本質的なのか、枝葉末節なのか、取捨選択しないと混乱する」ので、気をつけてください。

学びエイドでいろんな人が小論文の講義をしてくれています。

NHK高校講座でも小論文の講義があります(役に立つようには思えませんが。大学受験ではなく、高校受験レベルのように僕には感じます)。

スタディサプリのこのシリーズも人によっては役に立つかもしれません。

このサイトも頑張っていますね。

代々木ゼミナール講師平尾始さんが張り切って書いてくれたサイトがあります。熱を感じます。

あくまで、情報です。

その情報を(世界を)どう読み取るかはあなた次第です。

心が大事。

 

小論文で樋口さんの本・参考書を選んだ人へ:賛成・反対はやめよう

youtubeで紹介しました。もう、本当に、びっくりしました。

 

参考書選びは先生選びです。どの先生を選ぶのか、どの先生から何を学ぶのか、すべてあなた次第です。「みんな同じような書き方で大学の先生はうんざりしている」という声を聞いたことはないですか。

レッスン7「評価基準・採点基準・独創性・作法」

小論文の勉強とは、勉強をしながらあなたの評価基準をつくっていくことです。

どんな小論文を描きたいのか、どんな小論文がよいのか、どんな小論文なら評価してくれるのか、すべてのバランスを取った上で、覚悟しましょう!

西さんと森下さんの静かな樋口さん批判・・・

 「考える」ための小論文

主題が明確で問いや主張がはっきりと打ち出されている課題文があるような設問への、 もっともオーソドックスな対応は、ごく簡単にまとめると ①筆者の主張をまとめる ②賛成か反対かを述べる。③その理由を説明する という構成になる。課題文へのごく自然な反応は、共感・賛同あるいは違和感・反発と いうかたちをとりやすいからだ。設問で課題文の核心部分の要約を求めたり、それへの意 見を明らかにすることを求めたりするのは、このような構成への誘導であると考えていい が(くわしくは巻末の出題形式のバリエーションを参照)設問がそれを求めていない場合で も課題文筆者の考え方への自分なりの態度や立場の確認として、賛成か反対かという選択 は有効だろう。このとき論というものの基本として、逆の意見の根拠を十分にふまえ、そ れへの反駁として成立するかどうかを考えなければならないことは、いうまでもない。

ただし、これをマニュアル的に当てはめようとすると深く考えることからは遠ざかるこ とになりがちであるし、答案として失敗することも多い。

まず、共感や賛同を説明しようとして、課題文をそのまま焼き直しただけの論述になっ てしまうことがある。課題文というのは、おおむね、周到に偉そうに書かれていて、なお かつ説得力のある文章であることが多い。だから「共感」というより、それに巻き込まれ のみこまれてしまった結果、「自分」が見失われてしまう。そして、目の前にある言葉に 飛びついてしまう。これを、「オウム返し型」という。論述の流れが、課題文をなぞった かっこうになっていることから、「なぞり型」といったりもするが、要するに自分なりの 言葉がほとんど見られないのが特徴だ。また、自分なりの意見を出そうとして、いわば課 題文の尻馬に乗って「社会」や「いまどきの若者」を一方的に憂い、嘆き、攻撃してしま うというパターンもありがちだ。これは、発想段階で「自分」を棚上げしてしまうからそういうことになる。逆に「違和感」や「反発」を説明しようとして、やみくもに、課題文 を攻撃するタイプもある。課題文というのは、おおむね、偉そうに書かれていて、なおか つ妙にむかつく文章であることも多い。だから、何だか腹の立つままに、感情のおもむく ままに言葉を書き散らしてしまう。

いずれにしても、「自分」が見失われている(あるいは棚上げされている)わけだが、言 葉が過剰に攻撃的になる場合は、他者に向けて書いているということも、忘れ去られてい る。したがって、たんなる「暴論」か、反論が意識されていない「独善」になる。要する に自分の感情にのみこまれ、その根拠を自分のなかに見いだし說明することを放棄してい るのだ。他人や世の中の悪口を書くだけではもたないから、外側から適当に持ってきた理 屈やお話によって、自己の感情を正当化しようとする場合もあるが、これは読む者の心証 をさらに悪くする。

なお、ぼくはよく知らないのだが、小論文のノウハウとして「反論を書く」というのが あるやに聞く。理屈としてわからないではないが、これが本当に信じられているとしたら 問題だと思う。たしかに、「反論」を心がければ「なぞり」にはならないだろうし、自分 なりの言葉を模索する方向へ持っていきやすいだろう。しかし、実際に答案に接した経験 からいえば、そういうふうに書かれたものは、課題文の言いたいこと――したがって出題者が示している問題――とは何の関係もない「とんちんかんなあら捜し」か、自分の (「反論したい」という)都合に合わせた「間抜けな誤読」にもとづいた、笑っちゃうほど 情けないものになることが多い。たとえていえば「このリンゴは甘いかすっぱいか」が問 題にされているのに問題のそのリンゴをかじってもみないで「いや、このリンゴは外側は 赤いがなかみは白い」と言い出すような答案だ。イイタイコトをすっとばして、いきなり 「反論」を企てようというのだから無理が生じるのはあたりまえだが、そもそも、読み始 める前にあらかじめ書くことの方向が決まっているなどというのは、基本的な態度として まちがっているということなのだ。

長尾さんの静かな樋口さん批判・・・

 

小論文を学ぶ―知の構築のために

『小論文を学ぶ―知の構築のために』長尾 達也

  1. d.YES,NOで単純化する論文 

複雑な事柄を強引に単純化して, YES, NOで答えられるような決めつけを行う 答案は書いてはならない。これは一部に存在する,そうした姿勢を促すロクでもない参考書があるだけに,特に注意が必要なことである。自分の立場を明確化することは 良いことだが,立場を“明確化”することと事柄を“単純化”することとは同じことでは ない。微妙な立場であることを明確化するということもある。いやむしろ小論文の問 題では、問題自体がたいへんに解決の難しい問題が多いので,ほとんどはそうした微妙な立場の表明にならざるを得ない。それを強引に“単純化”して白か黒かをはっきり させるような答案は最悪である。事柄には「灰色」という認定もありうるということを しっかりと理解しておきたい。

歴史とは客観的で事実的な「事件」の記述なのか,それとも歴史家の構想力を前提に した「できごと」の創作なのかという文章を読んで意見を問う問題が出題されたとしよ う――つまり,歴史記述は客観的か主観的かが問われたとしよう。

このとき,白,黒をつけるべく一方の立場だけを肯定して他方を廃棄するような答 案は劣悪である。歴史は客観的でなければならないことはいうまでもないが,やはり そうはいっても歴史家の主観に頼らざるを得ない側面もある。どちらの要素もありう る。それを強引にどちらか一方に引き寄せて語るのは事柄の性質上まったく望ましく ない。もちろん,双方の意見がともに正しいというのでは話にならないが,例えば, 客観的な事件にともなう事実性と歴史家の主観がつくりだす創作性が一つの「循環性」 を形成していることを指摘するだけでも,明確な答案になりうる。つまり歴史とは歴 史家の主体的な「問いかけ」と事実からの「学び」とが「循環」しながら「調和点」を見出す ときに成立する営みであると押さえることも,れっきとした明確化なのである。要は, 明確化のための概念をどれだけ用意できるかが問われているのである。微妙な問題を 考えるにあたって、乱暴に YES, NOだけですませ,適切な概念を何ら用意しない などというのでは話にならないということである。 (『小論文を学ぶ』長尾達也 p.36)

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