Stage2

「評価基準・採点基準」

小論文の採点基準・評価基準とは?勉強法と落とし穴:作文・現代文との違い

小論文の採点基準を論文と作文と現代文の違いから考える

ところで、みなさん、小論文は学校でみてもらっているのでしょうか。「あの先生はたくさん合格させている」という言葉を信じても良いのでしょうか。僕にはわかりません。学校の先生が、どれだけ親身に、真剣に大学入試小論文と向き合っているでしょうか(国語の先生は小論文の先生ではありません)。

次の傾向がある先生は、要注意かもしれません。

  • 言葉尻を指摘する。
  • 具体的にというが何が具体的か教えてくれない。
  • 知識を要求してくる。
  • 「大切だ」「重要だ」とか「べきだ」を使う。
  • 課題文を読まない(踏まえない)。

学校の先生はあなたに問いかけてくれていますか。あなた自身のことを、あなたが知らないかもしれません。オトノネは、対話する小論文をおすすめしています。

 


さて本題です。

英語で小論文はessay(驚愕!?)、作文はcompositon(驚愕!?)です。論文はpaperです(驚愕!?)。知っていましたか笑

小論文では論文とも違うー共通認識できるもので書く「調査結果・研究結果」を書かない

小論文では「データ」や「調査結果」が課題文と一緒に出されていることがあります。

大学で書かれる論文は「問い」からはじめ、「主張(仮説)」を出し、「根拠(調査結果・実験結果)」を通じて「結論(課題)」を出します。

研究者は論文をやり取りすることで議論を重ねます

論文を使って、世界中の研究に関わって、「うちはこんなんだったよ」「えー、それってどうなの?」「こうじゃない?」といった話をするのです。

議論であるという点で小論文と論文は変わりません。

「筆者」「出題者」「私」の3人が座っているテーブルです。

 

大事なことを二つだけ、まとめます。

  • 小論文は「論文」である
  • 小論文は「適性検査」である

当たり前、だけど大切です。

ちなみに大学の論文で要求されることには、新規性・独創性・優先性などがあるといわれています。小論文でどれだけ評価されているのでしょうか。僕は「新しい発見を述べる」ことはまったく全然これっぽっちも要求されていないとおもっています。

小論文では作文とも違うー「個人的な経験」を超えた視点で描く

こちらが小論文的実況

 

こちらは作文的実況

作文との違いです。

当たり前でしょうか・・・

これも

  • 小論文は「論文」である
  • 小論文は「適性検査」である

という二つの観点から言えることです。

大学生に求められている視点は、個人を超えたものであることが(たいてい)要求されます。

例外はもちろんありますよ^^

「出題者」が何を書いて欲しいかを、読み取らなくてはいけません。

ちなみにこんな問いがあります。これは作文、なのでしょうか。

問:文章を読んで、あなたが感じたことを21行以上30行以内で記述しなさい。(立命館大学経営学部)
けれども、作文も小論文も、「伝える」ものです。
小論文は「大学生としての適性試験」の要素が強い「作文」だとおもってよいとおもいます。

作文、読書感想文(本を読んだ後で書く作文)のことは分~&ページにすでに書いたとお りで、どちらも「論文」でなければなりません。「伝えたいことがあり、それを伝えるため の文章」であり、読み手を納得させることを目指さねばならないのです。「こういう理由なら、 こういう結論なのは当然だ」と読み手を納得させねばならないのです。 この「支える部分の説得力」が論文の―そして作文や読書感想文の―命です。

作文と説得力」 作文は、説得力あるものでなければなりません。 たとえば、失態を演じて恥ずかしい思いをしたことを書くとすると、「そういう思いをし たことをなぜ書くのか」の目的が読み手に伝わるだけでなく、そこに説得力がなければなり ません。つまり、その経験で教訓を得たのなら、経験と教訓のつながりに説得力がなければ ならないのです。あなたは教訓を明言しー「あー、恥ずかしかった」で文章を終えて(文

学的に)教訓は暗示にとどめるのではだめ―そのうえで、「この経験からこの教訓を得た のは納得がいく」と読み手に思わせる文章を書かねばなりません。 『論理的な小論文を書く方法』小野田 博一 p.160

 

信州大学の看護学専攻・作業療法学専攻 小論文(推薦入試)の出題の意図には次のように描かれていました。

小論文は「大学生の作文」だとおもってよいのかもしれません。

たぶん、それだけなんです。

 

 

小論文を学ぶ―知の構築のために

『小論文を学ぶ―知の構築のために』長尾 達也

「孤独について」書いた次の文章は、作文的でしょうか。小論文的でしょうか。

解答A

多忙な社会に生きる中でいつの間にか築き上げられた人間関係。網の目のよう に広がり,複雑に絡まり合い,一体どのように処理すればよいのか見当もつかない。

学校でも会社でもどこへいっても人間が相手であり,そこに生じる問題は避け られない。互いにもめ合い,規準もないのにあれこれ評価し合い批判し合う。人 はその煩雑さに疲れ,そこから逃げようとする。

こんな社会だから,自閉的な人間になってしまう。何でも心の中に隠し,人に 頼ろうとせず他人に対し強がる。本当はとても弱いくせに,それを見られないよ うに隠してしまう。たしかに自分の外のものを現実として受け止めるが,心の中 で自分の孤独を悲しみ,ひそかに自分を癒してくれる何かを求めるのである。

こうして自分の中だけに留まり,いうべきこともいわず,真の自分を閉じ込め, 偽 の自分が現れる。そのうちに自分を見失い, さまよい続けて結局本当に一人 になってしまう。その姿は群れからはずれて迷った小鳥のように淋しくみえる。

解答B

現代社会がそれ以前の社会に比して,その複雑性,多様性,などの点において 数段進んだものとなっていることはいうまでもないことである。人間関係一つを とってみても,社会構造の複雑化にともない非常に錯綜しており, 一人の人間が 取り結ぶ関係は昔とは比較にならないぐらいに多様で多層的になっている。例え ば,一人の人間は他の人間と,家族や親族,あるいは地域や学校や会社やサーク ルなどにおいて,さらには近年ではサイバー・スペース上においても,他の人た ちと複雑に関係を取り結ぶまでになっている。

現代人は,こうした多様な人間関係の中でその都度の対応を迫られるため,そ の対応に終始するだけで相当にストレスを感じている。その煩雑さに疲れ,そこ から逃げ出して「社会的ひきこもり」に走る者もいるという報告までなされている 状況である。他者との表面的で慌ただしいつきあいが増せば増すほど、内面的な 欠乏がそれに比例して増幅していっているといえるだろう。人は,どんなに多く 人とつきあっても、結局は自分の内面を満たしてくれる「アイデンティティ」(本 来的自己)を確認するまでは精神的な安定は得られない,ということなのだろう。

現代社会は,その表面の多様で賑やかな姿とは裏腹に,人心の内面における 「アイデンティティ」を蝕み,人と人の間の内面的な関係を切り裂いて一人ひとりを「孤独」の淵に突き落とし続けているといえるのではないだろうか。

 

Aが作文的文章、Bが小論文的文章です。

客観的に、社会的に捉えようとする視線が強ければ強いほど、小論文的文章になるといえるでしょう。

作文的な文章は,社 会的できごとを意識化して「私的」に語ろうとする文章であるが,小論文の文章という のは,あくまで社会的な事柄を,主観化や内面化に走らずにあくまで客観的・社会的 に語ろうとするのである。視点の違いとでもいおうか,あるいは語り口の違いとでも いおうか,この根本的な違いをまずはしっかり感じ取っておいていただきたい。(『小論文を学ぶ』長尾達也 p.6)

小論文は現代文と違い、「踏まえて」「あなたの考え」を述べる

現代文型のダイゴ(本や論文の内容を要約したり言い換えたりしている)

 

小論文型の安富歩さん(論点を投げかけている・批判している)

現代文と小論文の共通点はなんでしょうか。

記述式の問題を考えてくださいね!

実は最近、同じなんじゃないか・・・と思うようになってきました。。。

が、あえて書くとすれば、

小論文では「踏まえて」、「あなたの意見」「あなたの考え」を述べるのです。

これをおとのねさんは、小論文は「主体的」に書かねばならない、と言い換えます。

現代文では「踏まえる」だけでよい。

小論文がうまく書けない、という悩みの多くは主体性をどう使ったらいいかわからない、論理(箱)は意識するけど中身が意識できないからかもしれません。主体性が、問題なのです。主体性の弱さが、小論文の弱さかもしれません

「あなたの考え」とは何でしょうか。

(中身、とは何でしょうか)

 

人によって、小論文の書き方、評価基準・採点基準は違う:作文的?小論文的?

轡田 隆史さんにとっての小論文ー『小論文に強くなる』より

小論文に強くなる

2 「小論文」と作文などとの違い

《「分析」と「考え」と「意見」〉 「生きる」という題で、いくつか短い文章を書いてみよう。短くても、文章の性格とい うものは、くっきりと表れるはずだ。

A わが家の祖母は九十五歳である。日露戦争の日本海海戦の年に生まれたというのが 自慢だ。もちろん海戦を直接知りはしないが、幼いころから、回りの人たちにその模様をさ んざん聞かされてきたから、なんだか自分もいっしょにバンザイを叫んだような気分 に、いつの間にかなってしまったらしい。 祖母はその思い出をくりかえし僕に話してくれるが、一体、いつごろのことなのか、少しもわからない。 そもそも太平洋戦争というのも、父母から聞かされるが、これだって同じである。 人間が生きていくということは、それぞれの時代にいろいろな歴史を経験すること なのだろうが、経験を語り伝えるのは、とても難しいことだと思う。

 

B:「生きる」とは辞典などによると、命があることである。生存していること、とも いえるわけだ。だから必ずしも人間のことだけに限らず、イヌやネコやスズメも、虫も植物も、み んな「生きる」といっていい。辞典にはまた、「腕一本で生きる」という例文も紹介されていた。これは、「暮らす」という意味だと思う。なにしろ「生きる」というのは生物にとって、最も重要なことだから、言葉として とても応用範囲が広いのだ。 私は見なかったが、昔、「生きる」という名画があったらしい。お役所に勤めていたがあまりやる気のなかった人が、がんにかかったと知って、最 後の力をふりしぼって、子どものための小さな遊園地を実現させて死んでいく話だそ うだ。 死ぬ、ということが、生きるということの大切さを教えてくれたのだろう。

A、Bの二つの文章を読んで、あなたはどう感じたろうか。 わたしは、この二つとも、「小論文」と言うのはどうも無理だと思う。多分、みなさん も同感してくれるだろう。

なぜならば、前項の冒頭で語ったように、「小論文」とは、自分の「考え」と「意見」 を述べる文章でなければならないから。

もちろん、あらゆる文章には、多かれ少なかれ、書いた人の「考え」や「意見」が反映 している。 _A、Bどちらの文章も、筆者の「考え」と「意見」を述べているには違いないが、しか し、これではちょっぴり「反映」しているだけで、大いに物足りない。 強いて分類するならば、Aは、「作文」に若干の「感想」を加えた文章、ということになろうか。 _Bは、一般論的な「解説」に、こちらもまた、「感想」を加えた文章ということになる だろう。

こんなに短い文章なのに「小論文」にせよだなんて、とても無理だ。ある程度の長さを 認めてくれなければ、「考え」や「意見」をまとめられるはずがないよ!そう言って怒る人がいるかもしれない。まあまあ、そう怒りなさんな。どうしても納得 できない人には、次に紹介する「小論文」を読んでもらおう。題も同じ「生きる」。

この世の中で、人々はそれぞれ自分の力をふるって生きている。しかし自分の力だ けで生きて行くことはできない。その人が生まれた社会の習慣や、その時代の仕来り の中で、それに包まれ、それとつき合ってはじめて生きて行くことができる。

わたしはこれを読んだ瞬間、なるほどと、いたく感じ入った。「なるほどもっともだ」 と納得した。

先ほどの例文よりずっと短いのに、この社会で生きるということが、鋭く分析されているではないか。短いけれど、堂々とした「小論文」となっている。「考え」と「意見」が 述べられているからだ。

具体的な実例にはまったく触れていないけれど、これを読むと、わたしたちの毎日の営みの姿が、分析の背後から浮かび上がってくるような気がするではないか。朝、学校に行けば、先生に、「お早うございます」と挨拶する。このこと一つとったっ て、「その人が生まれた社会の習慣」であり「時代の仕来り」であり、「それに包まれ、そ れとつき合ってはじめて生きて行くことができる」のではなかろうか。

このあたりで「種明かし」しておこう。この「小論文」の筆者は、前にも登場いただい た偉大な国語学者、大野晋さん。一九九九年に、『日本語練習帳』(岩波新書)という素晴ら しい本を出した。わたしは、「大野さんの『日本語練習帳』を読め。『小論文の書き方』も、それで充分だ。 では、さようなら」と言って、このわたしの本を終えてしまいたいほど。

「生きる」という文章は、実は大野さんの『日本語の世界』(朝日選書)という本のなかの、 「生きる」という題の文章の書き出しの部分だけを抜き出したのだ。 わたしたちの平凡な日常を「分析」した結果に基づく、「生きる」とは、こういうことですよ、という、大野さん自身の「考え」と「意見」が、的確に表現されている。 では、わたしたちには、このように書くことは、とてもできないのだろうか? できる。先ず、AとBの文章に戻って、なぜこれが、「小論文」になっていないかを考 えてみよう。

第一にそれは、「分析」がないからだ。「分析」がないから、だから、「考え」や「意見」 が書けないのだ。これだけの長さのなかにも、「分析」するに値する部分がちゃんとある のに。惜しいではないか。

Aで言えば、「人間が生きて行くということは、それぞれの時代に、いろいろな歴史を 体験することだが、経験を語り伝えるのは難しい」というくだりだ。ここを生かしながら こんな風に書いてみたらどうだ。

九十五歳の祖母が、自分が体験したわけでもない日露戦争の日本海海戦について語 るのを聞きながら、人間が生きて行くということは、それぞれの時代に歴史を体験す ることだと感じ入った。 しかも実に生きいきと語ることができるのは、海戦の年に自分が生まれたという、 自分の人生に歴史を引きつけて考えているからではなかろうか。戦争体験をどう伝え ていくかという難問に対する、答えのヒントがここにある。

Bで言えば、「死ぬ、ということが、生きるということを教えてくれる」というところ だ。これは、さて? 難問だ。

人は、死を自分のこととして意識したときに、はじめて「生きる」ということの意 味を重く意識するものらしい。

無為に生きてきた役人が、がんであることを知って、残りの命を、子どもたちの遊 園地作りに捧げるという映画「生きる」の話を耳にして、僕はそう思った。

若い僕にはまだ難しいことだが、人間いずれは死ぬことを自覚して、毎日の「生き 方」を振り返ってみようと努めている。

〈体験をどう使うか〉 「作文」とは、読む人に、自分の体験を見せてあげるようなつもりで、できるだけ具体 的に書く文章を言う。

たとえば、「旅行」という題が出たら、自分の旅行の体験を具体的に書くのが「作文」 だし、「旅行」とは人間や社会にとってどんな意味があるのかといったような、「分析」に 基づく「考え」と「意見」を書くのが「小論文」だ。 では、「小論文」では体験を書く必要はあるのか? ないのか?

A、B、どちらの文章も、体験を書いている。その体験の部分が長すぎて、分析の部分 がわずかだから、「作文」になってしまったのだ。 「書き換え」のA、Bはどうかと言えば、体験の具体的描写はうんと減らして、分析の 部分を増やした。これで、少し「小論文」らしくなったはずだ。

これでわかるように、体験を具体的に書くのは、あくまでも「考え」と「意見」を記すための手助けなのだ。

もう一つ。わたしたちは、「感想」と「考え」や「意見」を混同しがちだ。たとえばこ んな具合に。

お年寄りたちが戦争のつらい体験を語るのを聞きながら、戦争体験を後世に伝えて いくのは難しいことだなあと思った。

これは、「考え」でもなければ「意見」でもない。「感想」だ。では、これならばどうだ ろうか。

お年寄りたちが戦争のつらい体験を語るのを聞きながら、戦争体験を伝える難しさ は、情緒と感情に流れるあたりにあると思った。

こんなことを、たとえ例文とはいえ、大声で言ったらお叱りを受けるかもしれないが、 若者たちの勉強のためです、どうかお許し下さい。 まあ、これなら、「思う」という「感想」風の言葉を用いていても、多少は「考え」と 「意見」が出ているはず。ともかくも「分析」があるからだ。

ここまで来れば、何ごとかに気づいてもらいたいものだ。「分析」、ブンセキとやかまし くくりかえして来たが、「分析」は、試験のその場でやったのでは遅い。 先ほど紹介した大野さんの「小論文」は、日常の暮らしのなかで、身の回りに起きてい るごく平凡なできごとを、愛情をこめてこまやかに「観察」し「分析」してきた結果が、 あのような表現になって表れたのだ。 「小論文」とは、日々の暮らしのなかから立ち現れてくるもの。「小論文」とは、あなた の「生き方」なのだ。 とはいえ、そんなに難しいことではない。ボンヤリしない、ただそれだけ。 ボンヤリしない、とは、いつでも、どこでも、「なぜだ?」と、自分自身と、回りに向 かって問いかけていることだ。

たとえば、昼食にオムライスを選んだら、吾輩がこれを選んだのはなぜ? なのか自分 書に問いかけて考えてみろ(!)。 i 朝のラッシュでもみくちゃにされながら、「なぜだ? なぜ、こんなに混むのか?」と自分に問いかける。 都会に人が多いからだ。と自分が答える。「じゃあ、都会 にこんなにも人が集まるのはなぜなのか?」と、さらに自問 する。「働く場所が都会に集中しているからだ」と自答する。 「都会に集中するのはなぜだ?」と自問する。

「小論文」は、自分に対する「質問」がはじまりだ。 「小論文」に限らない。「生きる」とは、「質問すること」と言ってもいいくらい。学校 を定義すれば、「質問する場所」と言ってもいいくらいだし、試験だって、出題者から受 験生に対する「質問」なのだ。 もっとつきつめるなら、文明とは、質問の歴史である。 たとえば、この天と地は、どちらが動いているのだろうか? という質問が、天動説を 生み、地動説をやがて導き出した。

先刻の、「生きる」も、こういう視点から考えてみたら面白そうだ。 さてそろそろ、わたしたちの仲間が書いた「小論文」に対面するときが迫ってきたよう だ。そのなかで、これまでみなさんといっしょに考えてきたことを、あらためて再検証し てみよう。

『小論文に強くなる』轡田 隆史 p.96

『論理的な小論文を書く方法』で小野田 博一さんが書いた「課題文なし」課題作文

【問題7】 課題作文『浮いてる』を書きなさい。

【答えの例】

日本人がよく使う表現の1つに「浮いてる」という表現があり、 この語は日本の独特な一面を表わしています。それは、日本が集団 主義の国だということです。

この語「浮いてる」はネガティヴな意味で使われます。「きみ、 浮いてるよ」と言われたら、「よくないから改善したほうがいい」 の意味が入っています。つまり、集団から浮いているのは、日本で は悪いことなんです。

なぜなら、日本人は、個人行動が基本ではなく、集団行動が基本 だからです。一人ひとりが自分のしたいことをする(これが個人主義)のではなく、ほかの人に行動を合わせなければならないんです

――というか、多くの人にとって、他人に行動を合わせることが 「自分のしたいこと」なんです。そしてさらに、単に「したいこと」 のような嗜好の話ではなくなっています。つまり、集団行動をした くない人に対して「その人の好みの問題だから、私にはどうでもい いこと」とは思えなくて、その人に集団行動を強要するのです(そ の人とは、私です)。たぶん自分では意識していないでしょうけど、 他人に行動を合わせないことは日本人にとって悪徳なんです。集団 行動をすることは、「すべての人が持っているべき主義」なんです。

一人ひとりがどういう主義を持っているかはその人の問題なので すが、日本ではそうではなくて、集団主義を持つか否かはその人個 人の問題ではありません。ほとんどの人は「誰もが集団主義を持っ ているべき」と考えています(意識していないでしょうけど)。こ れはなぜかと言うと、一人が欠けると全員ではなくなるので、集団 主義の人は個人行動を認められないんです。

昔の例で、日本の集団主義をよく示すものもあります。昔は、数 人でレストランに入って一人があるものを注文すると、もう一人が「私も」と言って、さらにほかの人たちも続いて「私も」「私も」と言う――そういう光景が非常によく見られたそうです(ただそれだけじゃなくて、一人だけ別のものを注文したら「ものすごい変わり者」という目で見られたそうです)。これが日本の集団主義です。

その光景が異様だと指摘されたことが日本人に知れわたって、その光景そのものはなくなったようですが、その行動の土台となっている考え方はいまでも同じまま残っているのです。

日本は、他人に行動を合わせなければならない集団主義の国です。 だから、「浮いて」いてはいけないんです。

小論文の正しい【勉強法】とは?評価される基準とは?

 

 

 

小論文の悩みにおとのねさんが答えます

小論文は「出題者」「筆者」そして「私」の3者のコミュニケーションです。

問いに対して、答えて、また問いが返ってくる。
「私」と、「出題者」と、「筆者」を交えてのコミュニケーションです。

で、小論文の勉強で困っている人の悩み事の種類を考えてみました。

  • 自説を展開して暴走してしまう人→意見一辺倒
  • 参考書・問題集で勉強しているけど頭が混乱している人→論理一辺倒

この記事を読んでみてください^^

「ふっきれた」「これなら書けそう」とおもってくれたら、うれしいです。

大学受験時代、僕自身が「小論文」に悩んでいました。

どの本を読んでもしっくりこない、採点基準がわからない、何を書いたら丸がつくのかわらかない。そして言いたいことは山ほどある・・・なんでも自分のテーマに引きつけて書いてしまうという悪癖付きでした笑

小論文は「適性試験」です。

ペーパーテストと同じく、採点の基準、評価の基準があります。

今、小論文の書き方を振り返りながら、学び直しながら、調べながら、とうとうその全貌を突き止めました。小論文に必要な、大切なことをお伝えします。

いわばこれから述べることは、おとのねさんの「小論文観」です。

一言で言えば、小論文は「論文」です。

小論文の書き方は世の中にあふれています。

そしてそのほとんどが、何か薄っぺらいように僕は感じています。

なので、僕なりの「小論文観」が正しい、とおもえる根拠を出します。

「こんな小論文を書いてみたい」と思った人、オトノネで一緒に学びませんか?

とりあえず採点・評価を自分でしてみよう。

問:情報化社会の光と影についてあなたの考えを述べよ。
この問いに対しいて次のように答えたら何点ですか。
メリットはメールができたり、ネットが使えたり・・・デメリットは情報が多すぎたり、嘘があったり、人間関係が悪化したり・・・情報化社会には良い面と悪い面があるから、私たちがいかに情報と関わりあうかが重要である。

 

何点ですか・・・・

もし大学がこういう漠然とした問いを出すとしたら、「受験生の論理的思考のレベル」を問うているかもしれません。(作文が出てくるか、論文がでてくるか)

よし、「解決策」をつけたそう・・・・

解決策は3つある。一つ目は自分の頭で考える時間をつくること・・・二つ目は正しい情報を選ぶこと・・・3つ目は・・・対面したときに仲良くしておくこと・・・

うーん・・・

何点ですか?

 

例えばこんな書き出しだったらどうしますか。

情報化が進んでいく社会で問題となっているスマホ依存について論じる。

 

何点ですか・・・・

こんなのはどうですか。

私は情報化社会に賛成する。たしかにデメリットもあるだろう。しかしそれ以上にメリットが大きい。

他の問いを出してみましょう。

問:「家庭」についてあなたの考えを述べよ。

 

こんな答えはいかがですか?

私の家庭は愛情に溢れていた。父と母は仲睦まじく・・・私はいつも愛犬と外に遊び、日が沈めば温かい夕食を囲んで家族で団欒を楽しんだ・・・

 

何点ですか。。。

私は冷たい家庭に育った。とても厳しかった。だから私はこんな家庭を望みたい。。。。つらつら

 

こちらは?

家庭(かてい)とは、生活をともにする家族によって営まれる集まり、および家族が生活する場所を指す。家庭は、「家族が生活を共有する場」であり、社会の最小単位である家族と、家族が生活する場を内包する概念である。家(住宅・家屋)と不可分ともいえるが、単に一緒に住むだけでは不十分であり、また住宅に居住しない、あるいは住宅以外のものに居住し、家庭を営む家族もある。人間は社会的動物であり、社会に依存したり働きかけて存在しているが、家庭はこういった人間の性質によって形成される。(wikipedia)
これは、やばいでしょうか。
家庭というものに私は反対だ。なぜなら、、、たしかにこういうこともあるだろう。けれども家庭はやはり・・・である。
こんなのはどうですか?
家庭という言葉は様々に使われるが、私は家庭内暴力がどうして起こるのかという視点から論じたい。

こんな小論文はどうでしょうか。

[設問]競争のある社会とない社会を比較論的に詳論しなさい。

争のある社会では、さまざまな争いやもめごとが起こる反面、競争の中でよいものが 生まれ、悪いものは消えていく。競争のない世界では、争いこそないが、競い合いがない から、現状から進歩することがない。どちらがいいとは簡単にいえないが、人間は争いの 中でここまで進歩してきた生き物だと思う。今、争いがなくなると、現状から全く変わら ない世界のまま、進んで行くのだろう。争い合うことも時には必要なのだと思う。

人間には向上心がある。それを最大限に生み出すのは、やはり競争なのではないだろう か。適度な競争こそ、これまで人類が進歩してこられた最大の要因だと思う。かといって 競争がよいことかと聞かれると、考えてしまう。

競争があるから対立が生まれ、溝が出来る。それを国家単位で考えると、戦争になって しまう。競争がある以上、こうしたことは必ず起こってくることだ。まだ自分でもよくわ からないが、競争と協力などのバランスが大切なのではないかと思う。 結果としては、競争はあったほうがいいと思う。

この回答は何点ですか。

常識力で書く小論文

『常識力で書く小論文 』で鷲田 小彌太さんによれば。。

これは私が担当している講義「人間と価値」の後期試験を落として、追試験を受けた学生の 答案である(ちなみに誤字は二カ所あった)。

これを小論文に見立てていえば、この文章には「主張」がない。結論の「競争はあったほう がいい」というのは、一見すると、主張のようだ。しかし、いかにも唐突で、「争い合うことも 時には必要」「適度な競争」といっているように、「競争がなければそれにこしたことない」と 主張しているようにも見える。

小論文で避けるべきは、「こうでもあるが、ああでもある」という議論だ。この学生の文章 は、その典型である。おそらく、本人の「本心」は、競争のない社会のほうがいい、というこ となのだろう。それなら、はっきりとそう書けばいいのだ。

小論文では、競争社会を肯定するのか否定するのか、競争社会も無競争社会も否定して第三 の立場をとるのか、よって立つ「主張」をきちっと決めることが第一条件だ。
『常識力で書く小論文 』p.28

この書き方で、一体どんな評価をされるのだろう?

考えるにしても、書くにしても、一定量の知識がなければ不可能である。実際、言葉(あえ て単語といってもいい)を知らなければ、考えることも、書くことも出来ない。 問題は、一定量の知識、常識の範囲で考え、書くということだ。単純化していえば、高校ま での教科書程度の知識を使って、共通感覚を土台にして、小論文を書くということだ。 例えば、「少年法改正について」という課題が出たとしよう。 普通には、1少年法とは何か、2改正が必要かどうか、3自分の見解を、少年法改正で闘わ されてきた論点と対比させながら論じる、という行き方を取るだろう。これには、法曹界やジャーナリズムで問題にされた論点に関する知識が必要になる。

常識で書く小論文は、1少年が法を守るのは当然だ(常識)、3現行法は少年に対する規制力 を持たなくなった(現実認識)、3親も学校も子どもの暴走をコントロール出来なくなった、4 法改正は必要だ、という論理プロセスになる。特別の知識は必要ではない。

<例文> A少年は厚い法的保護の下にある。少年法はあくまで少年を保護し、犯罪への道から守 ることを第一とする現行法の理念は尊重されるべきだ。しかし、少年といえども法的規制 の下にあり、順法の義務があることはいうまでもない。むしろ、少年こそ法律や道徳を無 条件に尊重する精神で育てられなければならない。ムところが、現行の少年法で少年の犯 罪や不法行為を有効に規制することが困難になった。特に凶悪犯罪を防止し、有効に裁く 機能を失っているといわざるを得ない。しかも、家庭や学校が少年たちを非行や犯罪等へ の道から守る規制力を持たなくなったことも重大だ。罪を犯しても微罪ですむ、ほとんど 社会的制裁も受けないということで、法律と道徳を軽視して省みない精神風土を生む原因 の一つに少年法がなっている、とさえいえる。ム少年を保護し、犯罪への道を防ぎ、犯罪 の重大性を自覚させ、順法精神を覚醒させるためにも、少年法改正は必要である。(四○○ 字以内) 『常識力で書く小論文 』p.70

この書き方を、あなたはどう考えますか?

小論文の書き方で私がいいたいことは、同じ内容のことを、四〇字でも、四〇〇字 でも、四000字でも、四万字でも、書けることである。

*課題 道徳教育 *キーワード 教師 *キーフレーズ 道徳教育が学校で必要だ

[四O字] 道徳教育が学校で必要だ。親に、教師に道徳を教える力がない。教師の教育が 先決だ。

[一〇〇字] 道徳教育は必要だ。道徳が家庭でも、学校でも、ましてや子ども仲間でも教えられない。子どもの身についていない。しかし、道徳教育は難しい。最大の要因が、学校が、教師が道徳を教える能力を欠いているからだ。

[四○○字][①]道徳教育が今ほど必要とされている時はない。人間社会にはルールが ある。道徳もその一つだ。道徳の多くは歴史という荒海を生き抜いてきた習慣である。そ れを教える。こんな当然のことはない。[②] ところが、ルールは必要だが、道徳はお仕着せだ。むしろ自由な人間関係を疎外する因習だ。こういうのだ。ルールを守るというセン スは、ルールを破る時も、否定する場合でも、必要なのだ。道徳がなければ人間社会は存 続不能だ。法律や刑罰があっても、それを守ろうというセンスがない。親が子を扶養する 責任を感じない。国が国民を犠牲にして恥じない。国民が国益を無視しても痛痒を感じな い。これで、社会が、家族が、国がうまくゆくだろうか? ゆかない。[③] しかも、道徳 を教える学校に、ルールを守ろうというセンスがない。家庭も、学校も道徳教育を放棄し てきた。最大の問題は、両親に、教師に道徳を教える力がないことだ。まず親と教師に対 する道徳教育を!」 『常識力で書く小論文 』p.184

あなたが目指している、あなたが書きたい小論文の書き方をはっきりさせることが、小論文の書き方を学ぶ前に(もしくは学びながら自覚していくべき)、一番最初にすることです。
このサイトの記事は、そのためにつくりました。
一番最初を、お手伝いするおとのねさんです。
どのレベルの小論文を求めているのかは、大学によっても異なります。
どんな小論文が求められているのか、はっきりと認識していますか?
全国共通の評価基準がない、ということは言葉、対話、コミュニケーションの本質です。
大学によってもっている文化が違います。

最後に一つ補足を。本書に書いた解答例は、東京大学がこう解答してほしいと言ってい るものではありません。もちろん、私自身は、こういう内容・表現がベストだと信じては いるのですが、出題者・大学側の意図は違うということはあると思います。それにもかか わらず、問題文の使用をこころよく許可してくれた東京大学・出題者および著者の皆さん に感謝したいと思います。

ある問題に対する解決・根拠・判断の仕方は一つではありませんが、そこに至る思考が たどる道筋には、共通したものがあります。本書で示したかったのは、その道筋が誰にでも開かれており、それをたどる限りは、知らない人とでも同じレベルでコミュニケーショ ンができるということです。だから、書くことは、才能や人間性にはよらない。むしろ、 スポーツのように、共通のルールを承認し、それに従って、自分のベストを尽くして思考して、表現する行為です。このルールへの尊敬があるからこそ、負けてもいさぎよく引き 下がれる。本書でも、引用文や解答に対して批判したところがありますが、それを書いた 皆さんにも許していただけるはずだと思います。なぜなら、そういうオープンな批判が相互に行われる関係こそが、論理的文章を書くということの動機の根本にあるからです。 「当然、ここで使った方法については、自分にはねかえってくる場合もあるでしょう。解 答案を書くにあたっては十分に考えたつもりですが、間違うのは人間の常。「お前の方法 に従えば、ここがおかしいじゃないか」という指摘があるなら、いつでも歓迎いたします。 むしろ、そのような反応を読んだ方に引き起こすことが、この本を書いた目的の一つでも あるし、そういう関係を読者と結べるということは、著者にとっての最大の幸福の一つで もあります。(『東大入試に学ぶロジカルライティング』吉岡 友治 ーあとがき)

 

さて、最後にこの小論文をみてください。テーマは「言外の意」です。

伝えたいこと:「英語を学ぶ際は、単語を学ぶだけでなく英語の文化を学ぶことが大切」

伝えるためのもの(根拠):日本語と英語ではどの表現にどういう言外の意があるかが異なるので、それ を知らないと予想もつかなかった誤解を生むので

この伝えるためのものを支えるために、事実を二つ用意します。

英語を学ぶ際は、単語だけでなく文化を学ぶことが大切です。日本語表現に言外の意があるのと同様に英語表現にも言外の意があり、どういう表現にどんな言外の意があるかは、日本語と英語では異なっていますので、その違いを理解していないと予想もつかなかった誤解を生むからです。

誤解を生む例の1つは I hope です(これは日本人がよく使う表現です)。英語では、I hope… という表現は確信が 持てないときに使われます。日本人には、励ましのつもりで I hope you will succeed. と言う人がよくいます。この意

味は「あなたが成功することを期待します」だけではありません。「成功するか確信はありませんが」の意味を言外に持っているのです。したがって、励ましのセリフとしてはパワー 不足で、成功するか否かの大事な件を明日に控えている人が こう言われたら、その人は相当がっかりします。相手を励ますためには I’m sure you’ll succeed. と言わねばなりま せん。また、結婚式のパーティーで日本人が新郎新婦に I hope both of you will be happy. と言って会場の人々から嫌がられるのはよくある話で、この発言を聞いたことのある 人も多いでしょう。これでは「あなたがたが幸せになれるか どうか、私には確信がありませんが」の意だからです。

もう1つの例は、if you can です。日本では「できればしてください」のように「できれば」が要望の強さを弱めるために使われますが、これを英語で言おうとするときに直訳して if you can と言うのは誤解を生みます。状況にもより ますが、これは「あなたにそれをする能力があれば」の意味 になることが多いからです。たとえば、Please point out my mistakes, if you can. これは「できれば私の間違いを 指摘してください」の意味ではありません。言外に「あなた にできるか私にはわかりませんが」の意があるのです。こう いったことは、発言習慣という文化を知らずには理解できません。

それゆえ、英語を学ぶ際は、単語を学ぶだけでなく英語の文化を学ぶことが大切なのです。『論理的な小論文を書く方法』p.142

間違った小論文の書き方【論理一辺倒】

で、巷に出回っている本は、実は間違っている、とおとのねさんは思っています。

「4段構成」「問題提起」「序論」「結論」「反論」「本論」・・・

「序論ではまず問題提起」・・・・

 

大切なことは文章構成、論理ではありません。

断言します

さっそく訂正します。

論理的な書き方、文章構成は採点基準・評価基準の一部です。

みんな論理でしか書いていない「中身のない」小論文なので、それでも上から順に合格させるので、合格できる、というだけです。

 

小論文で使われる「論理」には二つあります。

  • 論理的な思考
  • 論理的な表現

この2つがごっちゃになったり、「論理的な表現」に偏った書き方をしていたら、

小論文、無理!

となります。

 

型にはまった小論文をお勧めしない、という点で学びエイドのこの動画も参考にしてください。

【講義編】難関大小論文対策 第2章 思考・論述のプロセス / 2-3 基本的な論述プロセス根岸 大輔

 

書き方(表面的なメソッド)に振り回されて、大切なことに気づかないと、「ダメだ」「無理だ」「全然書けない!」「語彙がたりない!!」になってしまいます。オトノネで学んだらいいとおもいますよ。

 

字数を稼ぐためのテクニックを身につけていませんか。

世の中の嘘に振り回されて悲しい思いをしていませんか。

小論文で苦しい、嫌な思いをしていませんか。

 

論理的な表現(形式)は、論理的な思考(内容)を支えるにすぎないのです。

(内容とは何でしょうか?)

 

吉田さんの文章で、もう一つ言わなければならないことがあります。それは、この文章が、 論理=ロジックの展開が対話的であるだけでなく、そこにレトリックが巧みに組み合されてい るということです。

吉田さんのいまの文章で、ピアノとほかの楽器との違いを述べるところ。 「何個もの音からなる和音を出すことができるとか……」 「旋律と同時に伴奏もやれるとか……」 「音質上の特性をもっているとか……」 いくつも並べてある。これは修辞学で言う「列挙」ですね。ピアノの特徴が一箇所で列挙さ れるために、話が非常に手っ取り早くわかる。

比喩の使い方もよく考えられている。「新しい音響の殿堂」、「全体の中の一員」という二つ のたとえを使い、その先に「ちょうど歌い手の中でのプリマ・ドンナのような役割」という比 喩の大物を花やかに出す。この比喩の使い方でピアノという楽器の性格がとらえやすくなる。

もう一つ、これはレトリカル・コンセッションというのでしょう、つまり譲歩ですね。「こ ういうことは、誰も知っている」と、いったん引いて、「しかし、その逆の面」と、もう一度 前に出て新しい展開をする。このことで論述にめりはりがつく。僅かこれだけの文章のなかに、 レトリックのあの手この手がちりばめられ、それによって論旨がくっきりと鮮明になって頭に 入りやすくなる。

ここで大事なのは、ロジックがしっかり通っているからこそ、レトリックが冴えるというこ となんです。つまり、ロジックとレトリックを組み合せて話を運ぶ――これが肝心なんですね。 単なるロジックでは頭がこわばってしまって、中身が頭に入りにくい。そこにレトリックがあ るお蔭で、ロジックが鮮明な形で入ってくる。

僕が三島由紀夫の文章が気に入らないのは、レトリックはたいへん派手だけれども、ロジッ クが通ってないことが多いからなんです。だからある程度以上の読者の心には訴えない。とこ ろが吉田さんの文章は、ロジックとレトリックとがぴったりと息の合った形で協力し合って進 んでいる。 レトリックというと、日本ではなんだかうさん臭いものと考えられているでしょう。西洋でもそういうところはあって、「レトリックにすぎない」とか、「レトリックの細工師」とか、軽蔑的に使われることが多いようですね。東洋でも、「文章は小技なり」といった言い方がある。

それはレトリックをロジック抜きで考えるからなんですね。くだらないことをにぎやかに言 うのがレトリックだと思われがちだけれど、本来のレトリックとは、ロジックと手を携えて、 論旨を上手に伝えていくための技術なんです。その相関的な関係が大事なんです。

ピアノ・コンチェルトというのは、変てこりんな音楽形式です。本来なら伴奏楽器であるピ アノがオーケストラをひきつれるわけですからね。それをモーツァルトが、洗練された音楽に した。吉田さんはそのモーツァルトの音楽の構造を、さまざまなレトリックを使いながら解き あかしてくれた。もしダラダラした文章だったら、この内容は頭に入りませんよ。それが綺麗 に入ってくる。それはスポーツのファイン・プレーのようなものであって、それがあるから中 身がすっきり理解できる、そして非常に魅力のある、しゃれた感じになるわけです。

ー「誰も知っている。しかし……」という言い方は、吉田さんはよくお使いになるレトリッ クですね。 丸谷 押したり引いたりするわけね。

吉田さんの文章って、なんでもなくすらすらと書いたような流露感があるでしょう。淀みな く流れる自然な感じ。吉田さんのことを、文章がうまいとよく言いますよね。でも言われてないのは、そのロジックとレトリックが絡み合った結果、一種色っぽい感じが文章にあるという ことなんだと思う。それでみんなうっとりして読むんでしょうね。(『思考のレッスン』丸谷才一 p.268)

間違った小論文の書き方【意見一辺倒】

大切なことを喋る前に、もう一つの「無理」なパターンがあるので伝えておきます。

「私」の思いがダバーっとでてしまう例です(おとのねさんがそうでした)

意見を伝えるための枠組みがあります。

その枠組みのなかに内容(意見)を入れるのです。

論理は、構成は、枠組みは、中身を伝えるためにあります。

中身があっても、伝わらなければいけないのです。

「物申す作法」を身につけるだけで、「なーんだ!書けるぢゃないか!」となるとおもいます

実は、おとのねさんがこのタイプでした。

高校時代、鬱になって本を読みふけり、自分のテーマにとりくみ、とにかく自分の言いたいことだけにフォーカスしていたあの時代・・・・なつかしいです笑

入試小論文の採点基準・評価基準再考

群馬大学

「理」とはなんだろう????

九州大学共創学部AO入試の小論文の評価基準

九州大学共創学部では募集要項ではっきりと「何を求めているのか」を表明してくれています。

素晴らしいです。

講義→レポート→討論→小論文というアカデミックに知を構築するプロセスを踏んでいます。

九州大学共創学部

採点のプロセスをイメージする

とにかく受験生は「考える」時間がない。

そんな問題、出すな!無理があるだろ!ということに気がついていない。

小論文は「適性試験である」のは確かだが、何の適性なのかわからなくなってくる。。

大学生には考える時間がないのか・・・

 

閑話休題。

 

採点するプロセスを想像してみよう。

前提1:採点者は教授であり、人間である。(少なくとも知識を持っている。論理的思考ができていない人はいる。読み方の癖をもっている人もいる)

前提2:採点者は主観で判断する。

前提3:採点者は複数の教授であり、あなたの小論文は複数の教授により主観的に評価される。(その平均をとれば公平であり、客観性がますという論理である)

 

 

例えば次のような「マイナス採点」をする教授もいるだろう。

  • 言葉遣い
  • 句読点の打ち方
  • 漢字

大切な作法ではあるが、肝心の「論」を評価しない教授だっているかもしれない。

けどその教授は無視して考えよう。(作法を「踏まえる」ことは当然のこととしたい)

あなたを評価してくれる教授はどんな観点で見てくれるのか?

『大学・大学院への「小論文」と「日本語表現」』にみる小論文の採点基準 

よく受験生から、「小論文の評価はどのようになされるのでしょうか」という 質問を受ける。受験生がこうした質問をする背景には、小論文の評価が採点者の 主観に流されるのではないかという危惧の念があるためである。しかしながら、 格段に学識が高い人間が受験生の小論文を読んだとしたら、受験生の小論文のレ ベルが勝れているのか、それとも普通なのか、かなり低いものなのか、明確に判 断できる。

普通、小論文を採点する時は、公平を期して二人の採点者が交互に読み合う形 で行われる。そこで採点の基準となるべきものを記すとするならば、概ね次のよ うな事項に纏めることができるであろう。

  1. 題意が正確に把握されているかどうか。論旨が題意からはずれて展開されていないかどうか。
  2. 論旨が論理的に厳密に構成されているかどうか。
  3. 文章表現が適切であるかどうか。原稿用紙の使用ミスや誤字、曖昧な表現な どは減点される。

この3点に私は共感します。おとのねさんの言葉では、

  1. 「踏まえて」いるか。
  2. 「あなたの考え」を論じているか。
  3. 「わかりやすい」か。

です。

出題者だって人間だ。好みがある。主観的だ。

出題者とは、「逃れようと何度も試みては失敗して、疲れ果てたものの姿である」 のかもしれない。 われら若き受験生とは、これから、「自分という存在から逃れてみようと」まさに いま試みようとしているものの姿である。

そもそも、「自分」というものが何であるのかわかりもしないうちに、『自分』とい う存在から逃れることはできない、とはどういうことか。そんなこと、言えるのかしら。

出題者が言いたいのは、人生のどのような場面においても、たとえばこの入試とい う場面でも、試験は自分で受けるしかない、カエダマなんかを立てるわけにはいかな い、という程度のことを言っているに過ぎないのではなかろうか。

古代ギリシアのアポロンの神殿には、七賢人の一人、ソロンの、「汝自身を知れ」 という格言が掲げられていた。 そんな昔から問いつづけていて、いまなお答えられないほど、「己自身を知る」こ とは難しい。 ところが、加藤典洋さんのように、「自分」という問題を、「好み」という次元に限って考えてみようとしたとき、意外にも展望は開けて行くようでもある……。 

たとえば、こんな風にやっていく手もあろうが、こんな具合に、ダラダラとやっていた のでは、合格点は望めそうもない。いくら悪い方の「模範解答文例」を記しても参考には ならないから、わたしはこのあたりで止めておく。 

ただ一つ言えるのは、ここでも、前に言った、「なぜ?」という、自分に対して発する 質問が「力」を持つことだ。 なぜいま、「自分」というものを論じなければならないのか? もちろん、受験でそういう問題が出題されているせいで、仕方ないのだけれど、しかし、 出題というものには、出題者がよほどボンヤリしていない限り、自ずと社会の状況という ものが反映しているはずだ。

加藤さんが主張するように、現代という時代では、「好み」一つとってみても、弱々し くなって、「自分」というものがどこかに消え失せてしまっている。 そんなとき、出題者は「自分」を論じさせることを通じて、ひょっとすると、受験生た ちを励まそうとしているのかもしれない。 『小論文に強くなる』轡田 隆史 p.204

おとのねさんの考える「よい採点者」の採点基準

【知的にやさしい人かどうか見る】

  • 文章が読みやすい(礼儀作法・論理的思考の表現がここに含まれる)。
  • 「踏まえて」いる(「読み取り」ができている)。→小論文という議論の場における適切な「論」を選んでいる。

【大学で学ぶ能力がある人かどうか見る】

  • 「論」を発展させている。(「問い」を正しく理解していれば自然と「論」が発展することが多いような気がする)
  • 「この人に入学してほしい」と思える「学びへの構え」が文章から読み取れる。(感情を揺さぶる何かが書かれている。採点者の「好み」に合う)

 

この4点でどうだろうか。

一つに絞るとすれば、

  • 採点者が「イイな」と思える文章

である爆

主観にもほどがある。しかし、言葉とはまず、そういうものだ。

2013年、グーグルは41項目にも及ぶ複雑な人事評価をやめ、分かりやすい5段階評 価に移行させました。また、従業員一人ひとりに、自分が得意なことを1つ挙げてもらう ようにしました。『トラストファクター』ポール J・ザック p.246

 

「この文章いいな」と思える感性、好みがない採点者もいるだろう。

それも含めて、文章を読んで「好き嫌い」を感じるのは人間として当然だと僕は思う。

言葉は心でもあるからだ。

 

「小論文」は、「読みやすく、やさしく書かなければいけない」と、わたしはくりかえし てきた。ひとまずは、それこそが大目標である。 しかし、あらゆる文章は、「読みやすく」書けてさえいればそれでいいのか? と問われれば、わたしは「そうは言えない」と答える。

もちろん、「読みやすく、やさしく」書けている以前に、「論」として筋が通っていると か、説得力があるとか、「小論文」としての最低の条件が満たされていなければならないこと、言うまでもない。 その上であえて言うのだが、文章全般について言うなら、「読みやすく、やさしく」書 けていることだけがすべてではない。「小論文」を目指しているみなさんにとって、これ は余計なことかもしれないが、わたしはやはり言っておきたい。

従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、余所よりは早く咲 く領地肥後国の花を見棄てて、五十四万石の大名の晴々しい(後略)

これは森鷗外の名作である小説『阿部一族』(『鷗外選集』第四巻、岩波書店) の書き出し。 難しくてわからないよ、もっと読みやすく書いてくれればよかったのに、と思うかもしれ ないが、これが、森鴎外の「書き方」であり、「好み」なのだ。

トインビーの文章の翻訳者の深瀬基寛という大英文学者のところで、イギリスの詩人工 リオットの作品『荒地』の訳語の難しさを語ったけれど、あれは深瀬さんという人間が自 分で選んだ言葉なのだ。 自分で選んだ、「好み」の言葉という意味で「必然性」がある。 あえて「難しく」書かなければならない、こともあるのが、文章というものの面白さ。 読む人の想像力をかきたてるために、人はさまざまに努力し、工夫する。

もちろん、世にたくさんある文章のなかには、「書き方」も「好み」も、いわんや「必 然性」もヘッタクレもない、ただ「下手だけの文章」も多い。 「好み」だけを振りかざして、自分の「悪趣味」に鈍感で、難し気な漢字や表現を連発 して自己満足しているのもある。

そういう「ひどさ」に気がつくためには、何と言っても「優れた文章」を数多く読むこ て と以外に方法はない。 に 「書き方」も「好み」も、磨かれていくもの。多くを読むことによって、あなたの「書 き方」も「好み」も、自然に磨かれていくのである。

前に、「詩を読め」と言ったが、「読む」ことこそ「書く」ことの基本であるからだ。入 試の「小論文」試験だって、文章としての「問題」をしっかり読まなければ、いい答案は 書けない。 『小論文に強くなる』轡田 隆史 p.215

当たり障りのない文章とは、魅力がない文章である。

京都大学なら、即座に落とされるかもしれない。

評価の計算方法を考える(AO入試の小論文)

またまた共創学部に登場してもらう。

Dは、「落第」だとおもう・・・

一つでもDがあったら「評価しない」なのではないかと推測することもできる。

京都大学文学部のAO入試募集要項にはそんなこと書いていたような・・・

論文試験においては「両方がAの者」とあります。

こうした評価基準を公表している大学と、公表していない大学があります。

「A」を目指さないと落ちますよ。といっている京都大学、熱いです。

 

募集要項に書かれている範囲でしか、評価基準はわかりません。

AO入試の場合は、より厳密に小論文を見てくれるでしょう。

一般入試の場合は、、人数が多いから・・・・ねぇ。

 

代々木ゼミナール講師 平尾始さんによれば、採点プロセスは次のよう。

・採点は公平か?  小論文入試で、受験する側にとって一番心配なのが「論文の評価に採点者の主観が強 く入るのではないか」という問題である。そうした不公平を防ぐために、各大学では一 枚の答案を三人から四人の教員で評価し、主観による「評価の揺れ」を防ごうとしてい る。さらに、採点担当の教員の専攻も人文・社会・自然の各分野から一人ずつ選ぶなど、 配慮が行われている。  しかし、そこまで配慮しても「揺れ」は生じる。意外にも減点主義より印象主義の方 が採点者間の評価のズレが少なかったという実験の結果もあり、大学によっては細かく 減点するのをやめて「総合評価」に採点法を変えたところもある。  だが、結論から言えば、複数の教員が推す答案はやはり優れているのである。そうし た答案が第一回で述べたような「形式と内容の両面で優れている答案」であることは言 うまでもない。

alfa

おとのねさんの考える評価・採点基準とそのプロセス

評価基準・採点基準は次の4点にしました。

【やさしい人】

文章が読みやすい(礼儀作法・論理的思考の表現・「重み」がここに含まれる)。
「踏まえて」いる(「読み取り」ができている)。→小論文という議論の場における適切な「論」を選んでいる。

【大学で学ぶ能力がある人】

「論」を一貫して終わらせている。(「問い」を正しく理解していれば自然と「論」が発展することが多いような気がする)

「この人に入学してほしい」と思える「学びへの構え」が文章から読み取れる。(感情を揺さぶる何かが書かれている。採点者の「好み」に合う)

この観点から次のように評価します。

 

STEP1:わかりやすさをみる

イントロでその人の構えを判断する。読み進めて、確信した時点(おそらく1分以内)で一番最初の判断が下される。
A「はっきりしている」
B「漠然としている」
C「何をいっているのかわからない」

Cの論文は「みてもらえない」可能性すらある。(学術論文ではよくある話らしい)
どんなにいいことを言っていたとしても、何いいっているのかわからない人に大学にきてほしくはない。

このようにして、一つの回答に1分くらいで印象をみてABCに分ける。
全ての論文をそれぞれ1分で読む。(《表明》と、《本文》の最初をみたら判断できるとおもいます)

次にAとBを詳しく見る。(Cの回答は評価を保留される)
STEP2とSTEP3は同時に行われるかもしれません。

STEP2:誠実に出題者や筆者の言葉を「読み取り」「踏まえて」いるかをみる。

A「ちゃんとできている」(筆者や出題者への問いに答えようとする優しさを感じる)
B「あんまりできていない」(自分が言いたいことだけを述べている感)
C「全然できていない」(課題文読んでるの?)

このステップはステップ1よりも時間がかかりますが、ステップ3ほどではありません。

STEP3:「論」が成立しているかをみる。

(一貫しているか、余分なことがかかれていないか、飛躍していないか、「言いたいこと」が納得できるか)を見る。

A「はっきりと成立している」
B「ちょっとあやしいところがある」
C「論がないもしくは破綻している」

ステップ3は全文を読まなくてはならないので、一番時間がかかります。

STEP4:「この人に大学に来て欲しい」と思えるか。(結論)

A「ぜひ来て欲しい」
B「どっちでもいい」
C「こないでほしい」

ステップ1から3を踏まえて、採点者が総合的に判断する場所です。
《メッセージ》で最後の一押しができるところだと僕はおもっています。
採点者全員がAを出した人は、問題なく合格、というわけです。

ステップ1でCをもらったひとはどうなるかですか?
僕が想像するに、後回しにされます爆

A,B,Cの配点は?

これも大学により異なると思います。

京都大学は「A」以外は落とすと言っています爆

僕だったら・・200点満点にします。差が出るようにしたいので!

Aが1つで50点

Bが1つで30点

Cが1つで10点え?厳しいですか?

 

出題者の「出題意図」を「読み取る」

島根大学の例

AO入試 生物資源科学部

AO入試(推薦)法文学部

AO入試Ⅱ 人間科学部

推薦入学 医学部看護学科

 

推薦入試Ⅰ 理科教育専攻

推薦入試Ⅰ学校教育課程2類

推薦入試Ⅰ建築デザイン学科

推薦入試Ⅰ 生物資源科学部

代々木ゼミナール講師平尾始さんの模範解答例をおとのねさんが添削してみる

先生が書いた模範解答

《課題》戦争を知らない世代の若者として、あなたは「戦争責任」についてどう考える
か、八〇〇字以内で述べなさい。
《私の解答例》
 今年は第二次大戦終結の記念式典が多く、戦争を知らない私も「戦後五〇年」をいや
でも意識させられる。同時に、私はヨーロッパでは敗戦国も過去の歴史を記念している
ことを思い出す。例えば一〇年前、ドイツのヴァイツゼッカー大統領が敗戦記念日に行
なった演説『荒れ野の四〇年』は有名であり、本にもなった。大統領はドイツ人が敗戦
の日を記念するのは、そこに民族としての意義を見出すからだと述べている。それは、
ユダヤ人虐殺を「故意に無視した罪」を各人が反省し、若い世代が前世代と助け合って
過去の責任を負い、過去を直視することで二度と罪を犯さないよう現状認識を鋭くする
ためであるという。
 ヴァイツゼッカー大統領の演説は「戦争を知らない私たち若い世代も戦争責任の問題
を受け継いでいかなければならない」という考え方を示している。これに対して、「過
去の世代には確かに戦争責任があるが、私たちの世代は別である」とか「戦争はいつの
時代も歴史の必然であるから、個人には責任はない」という考え方もある。私は、日本
では後者の意見が多いと感じる。正確に言うと、民衆は戦争の犠牲者・被害者であり、
戦争責任は当時の指導者にあるという「被害者意識」である。
 そうであるからこそ、私は「個人としての自覚に基づく責任」を負う側に立ちたい。
なぜなら、戦前も含めて、現代の世界は空間的・時間的に連続性をもつ「ボーダーレス」
なあり方をしているからだ。例えば、日常のあらゆる経済活動が、途上国の貧困や世界
的な環境問題と関わっていることを私たちは知っている。軍事的な問題に限らず、私た
ちが他の国の人々や次の世代に対して影響を及ぼすことを「知っている」以上、そこに
はナチズム下の市民と同じ責任が生じるのである。戦争責任の自覚は、こうして「一人
一人の現在」に対する自覚につながると私は考える。

 

おとのねさんによる採点

さて、僕がこの解答を添削するとすれば・・・・

まず「何を伝えたいのかわからない」です。

第一段落、第二段落のどこにも平尾さんが「伝えたいこと」が書かれていない。

「あなたはどう考えるのか」が第3段落にならないとわからない。

 

採点者の「好み」「価値観」に大きく影響するところでしょう。だからこそ複数の採点者が全ての解答を評価し、平均するのではないかと。

 

【やさしい人】

文章が読みやすい(礼儀作法・論理的思考の表現・「重み」がここに含まれる)。

C:「伝えたいこと」が最後に出てくる。読み手を混乱させる。

 

「踏まえて」いる(「読み取り」ができている)。→小論文という議論の場における適切な「論」を選んでいる。

B:第一段落、第二段落で「共通認識」を作り上げているようだが、「何を知っているか」をひけらかしているように思える。が、テーマは踏まえられているのでB。

 

【大学で学ぶ能力がある人】

「論」を一貫して終わらせている。(「問い」を正しく理解していれば自然と「論」が発展することが多いような気がする)

C:「戦争責任」の「論点」が限定できていない。同時代的な戦争と時代を超えた戦争の責任を区別していない。

 

「この人に入学してほしい」と思える「学びへの構え」が文章から読み取れる。(感情を揺さぶる何かが書かれている。採点者の「好み」に合う)

A:「戦争責任」というテーマから「個人としての自覚に基づく責任」という言葉を出したことを評価する。

 

うーん、どうなんでしょう。採点は主観なので、「完璧な採点」はありません。

これが、僕の主観的な採点です。

 

生徒の書いた模範解答

・合格答案のレベルは
 それでは、逆転を可能にするような「合格答案」はどの程度の完成度を必要とするの
か。次に示す答案例は、私の「慶應大・環境情報・総合政策小論文ゼミ」の受講生が書
いたものであるが、この受講生は慶應大の総合政策学部と国際基督教大(ICU)に合
格した。

問題 次の文章を読み、高齢化社会の特質に配慮した都市設計のあり方とそれを助ける
技術について1000字以内で論じなさい。(課題文は省略する。ただし出典は次の通
りである。AとCはNHKブックス。Bは中公新書。)
文章A「高齢者対策の基礎条件」濱英彦「人口問題の時代」より抜粋。
文章B「地方幸福都市の特性」古川俊之「高齢化社会の設計」より抜粋。
文章C「作る技術と使う技術」浜口恵俊「高度情報化社会と日本のゆくえ」より抜粋。

〈生徒の解答例〉
 高度に情報化が進み、技術革新が次々となされていく今日の社会を、高齢者の視点か
ら見るとどのように感じられるであろうか。多くの老人が家族から見放され、病院の機
械的なシステムに放りこまれるという現状の中では、当然、豊かに幸福に生きていくこ
となどできない。しかし、家族と一緒に暮らすからといって、今日では必ずしも幸福な
生活が送れるとは限らない。というのも、真の意味で高齢者を援助するシステムが確立
されていないからである。私はこの問題を中心に論を進めようと思う。
 まず、右に述べた「真の意味での援助」について考えたい。これは、直接的に他者が
手を差し伸べる援助だけではなく、間接的に、つまりシステムを通して高齢者の「自立
」を援助できるような配慮を指す。そうすることで、まず高齢者の主体性を尊重し、他
者に依存しなければならない状況から生まれる精神的な「足かせ」も排除できる。直接
的援助はこうしたシステムの上でこそ十分な効果をもたらすであろう。
 ここから、具体的に、老人が自分の力で豊かな生活が送れるような都市設計について
考えたい。まず第一に、地方都市の特性の活用が重要である。落ち着いた生活のリズム
と自然の豊かな環境は、精神的な安らぎを求めるのに適しており、また、社会資本の整
備もしやすい。つまり、地方都市は高齢者にとって暮らしやすいシステムに近いと考え
られる。
 第二に、都市のハードウェア、つまり技術面での対策が重要である。Cの文章にも述
べられているように、今日の社会では「作る技術」ばかりが発達してしまっている。最
新の電気製品を例にとっても、高度な技術ばかりが競争の焦点となり、高齢者ばかりで
なく、より若い世代にも使いこなせないのが現実である。高度な技術をいかに人々が思
いどおりに利用できるかが、今後の技術開発の焦点になるべきだ。ゆえに、人々の要求
を基に高度技術を生かした都市設計をしなければならない。技術は、使いこなせて初め
て人間に豊かさを与えるものであるからだ。
 以上のことから、身体的な側面では使いやすい工学的システムが高齢者を援助し、さ
らに、住みよい環境全体が高齢者に精神的安らぎを与えるような都市設計をし、実現さ
せていくべきだと私は考える。

 この答案を書くために、それほど高度な専門知識が必要なわけではない。この答案が
優れているのは、課題文の内容を正確に読み取り、複数の課題文に共通の問題点を自力
で見つけ、設問の主旨にしたがってそこから考察を展開した「無理のない」答案だとい
うところである。

Q&A よくある小論文の対策と注意点・ポイント

Q 自分の経験を書いてよいのですか

A 「どうしてそのように考えるのか」を問われているとき、例えば「私はこんなことを経験したから」ということを根拠として書いたとして、それが根拠Ground(大地)として「出題者」と共有できるでしょうか

これは危険な賭けかもしれません。(おすすめしません)

それよりも「社会的に観測されている現象」の方が、「根拠として成り立つ」「説得力がある」とおもいませんか。

論文、であれば、「経験」は「実験結果」や「調査結果」として共有されます。

なので、小論文で「自分の経験」をどれだけ根拠として使っていいのか。出題者の指定がない限り、かなり怪しいというのがおとのねさんの考えです。

小論文は「論文」であることが基本です。

自分の経験を書くことが激しく奨励される問いの例

問:時代とともにコミュニケーションの方法は多様化してきた。それをふまえ、人と人とのコミュニケーションのあり方はどうあるべきか、あなたの体験を踏まえた意見を600字以内で述べなさい。(福島大学人文社会学群経済経営類2017)
問3:問2で取り上げた記憶方法から1つ選び、あなたのこれまでの学習や経験を振り返って、その方法がどのように活用されてきたのかを具体例を挙げて400字以内で説明しなさい。(富山大学人間発達科学学部2017)

 

Q 小論文で嘘を書いてもいいのですか

A 嘘とはなんでしょうか。「私」の経験を「出題者」が聞いている場合、「私」が経験していないことを書いていいか、という問いなら、答えは「NO」です。書いてもいいですよ。ただ、おとのねさんは嘘で自分を固めるよりも、自分を理解する、自分の経験を整理することを小論文の勉強のひとつにしてほしいとおもっています。

「私」の【主体性】【論理的思考】を「出題者」は知りたいのですから

 

Q おすすめの本・問題集・参考書はありますか。独学でできますか。

こちらのページへどうぞ。

 

Q 小論文の添削をしてもらっているのですが、コツがつかめません。意味ありますか。

A 小論文の基礎を知らない人が「論理的かどうか」だけをみたり、適当なコメント(あなたの「主体性」を破壊する言葉)を返している場合がほとんどです。

「文を書く」という行為は人間の精神性そのもの。癖があって当然です。誰かに見てもらうことが大切です。けど、みてもらう相手が「小論文の基礎」を知らなければいけないのです。そんな相手が・・・いる人はしあわせでしょう。

結論、添削はほとんどの場合、意味がない(「私」の主体性が壊れてしまうことが多い)と、おとのねさんはおもっています。

解答例があるとしたら、どう使うのかがわかっていなくて「解答例」に近づけなくちゃ!と思っていたらアウトです。

「私」の学びの質を上げるなら、オトノネが一番でしょう。

Q 小論文の勉強法にコツはありますか。ポイントを教えてください。

A 大切なことは「私」の主体性です。主体性を高めることに限ります。なので、

あなたの「主体性」を破壊する言葉から離れることが大事です。主体性とは何か、このサイトで伝わればうれしいです。

作文型、資料読解型、意見提示型、長文読解型、問題提起型・・・頼りにすべきものが何なのか。型、の前に、型に流し込む「私」の主体性と論理的思考です。

Q 極論、「いい小論文」の書き方は何ですか。

A 極論、「この人と「知」を探求していきたい」と思える書き方をしたらよいです。

Q 頭の中で考えて出てきた言葉をそのまま書いたらダメですか?

A 1つめ。論理的に思考したとして、論理的な表現に落とし込む必要があります。伝わらなければいけないからです。またそれが論文の形式をとっていることが必須です。

2つめ。小論文では、適性試験として「私がわかっていること」を書く必要があります。最後に「ここの点も気になっている」と書いても構いませんが、小論文は「あなたがどれだけはっきりと筆者を理解して、筆者に答えるうえで自分の考えを明確に述べているのか」を問う適性試験です。筆者の問いに対して問いで応えないように!

「この人の頭の中はごちゃごちゃなんだなぁ」ということを伝えてもいいことはないようにおもいます。もちろん、そうした思考プロセスを書き出すような表現スタイルはとても魅力的です。けれども、それは適性試験である小論文には適さないのです。

Q 小論文のタイプってあるんですか?

A 論文には3つのタイプがあるということもできます。小論文ではいわゆる「データ型」と「課題文型」に対応しています。(『留学生と日本人学生のためのレポート・論文表現ハンドブック』p.118)

この区別は書き方の何の役にも立ちませんが。

論文のタイプ

検証型論文:実験・調査に基づく仮説検証の論文→データ型
結果を確認する。結果を解釈する。結果と先行研究の関係を示す。原因を推測する。研究の妥当性について述べる。予想と異なる結果について述べる。

論証型論文[文献解釈系]:文献・資料などに基づく論述過程に重点をおく論文→課題分型
中心的な問題や考察の視点を示す。ある前提。条件・仮定のもとに議論する。問題を要素に分けて検討する。先行研究の議論を整理し、自分の議論に結びつける。他者の見解を評価する。問いを立てて考察を進める。比較して論を展開する。対比させて論を展開する。原因・結果を述べる。根拠に基づいて判断や主張を述べる。問題点や反論を受け止めた上で主張を述べる。これまでの考察の要点を整理する。

論証型論文[論説系]:先行研究を整理して研究の現状を分析・評価する論文。→うーん。

 

留学生と日本人学生のためのレポート・論文表現ハンドブック

 

Q 小論文を書くために、読書をしたほうがいいですか。

A 読書をしなくていいんですか?笑

『書く全技術』という本で齋藤孝さんは「私の『書く力』を鍛えた40冊」を紹介しています。

大人のための書く全技術

その中にはイソップ童話があれば、ちびまる子ちゃんもあります。なんと英文標準問題精講もあります爆

そうした本を読みながら「論理的思考」をどのように使ったか、作って来たか書いてくれています。

多くの人の表現に触れてください。その文章の中には必ず「論理的思考」が入っています。

できれば、新聞のようなレポートを読むのではなく、論理が思考としてしっかり入っている本を読んで欲しいと思います(新聞は読者が喜ぶことを書いています)。現代文の文章を、ひとつひとつ大切に読んでほしいです。

 

 

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