『あなたの脳は変えられる』自己イメージをリセットするマインドフルネス

  1. 『あなたの脳は変えられる』自己イメージをリセットするマインドフルネス
    1. 課題の森で迷うこと、課題の海で足掻くことをやめるとき
    2. 人は動物である。
    3. 人は報酬学習により主観的バイアスをつくる
    4. 脊椎反射で生きていると、機能不全に陥る(状況が硬直化する)
    5. 立ち止まると、走り出したくなる、依存症。
    6. 止まらない報酬回路
    7. ソレは、報酬として受け取る価値があるものだろうか
  2. 課題の森・課題の海・課題の嵐から逃れる方法ーやめる。
    1. 課題の森で生き残るには、立ち止まり、気づかなくてはいけない。
    2. 変わろうと思えば、変わることは「できる」。するか、しないか。
    3. どれだけ「嫌」なものかに気づく。
    4. 渇望を見つめるブッダの科学的な方法ー瞑想
    5. 「知る」ことから始まる「変わる」プロセス
    6. 「感じる」ことから始まる「変わる」プロセス
    7. 今の自分をリアルに「感じる」ためのアドバイス
    8. 2種類の報酬(危険を避けるか、食べ物を得るか)
    9. 主観的バイアスにかかっている自分をみつめるー瞑想
    10. 「成果」がでないなら、ただのストレスなら、課題(報酬回路)から離れる。
    11. 背負うという習慣を見直す
  3. 期待している?期待されている?自己イメージを満たす快楽
    1. 側坐核が活性化する「自分語り」
    2. 承認欲求が満たされない「いい子」がハマる仕掛けー定期テスト・小テスト・そして課題
    3. 「自分らしさ」に脳の快楽が潜んでいる 
    4. 病的な「自分語り」と満たされない「承認欲求」
    5. 「セルフイメージが不安定な人」に見られる特徴 
    6. 進学校で生きるための知恵ー課題との関係を改める
    7. 依存、報酬回路のループの強化と馴化、単なる習慣化(隷属化)
    8. 「褒められたくて仕方がない」人たち―のさばる自我
  4. 「喜び」「怒り」のドーパミンや「悲しみ」「憂鬱」の自己イメージも報酬回路を刺激する
    1. うつ病の人は「暗い気持ち」にハマっている? 
    2. 依存するほど、脳は「抑うつ状態」に陥っていく
    3. 怒りそのものが「報酬」になってしまっている脳 ー 自他を巻き込む暴力
  5. 幸せを科学するー仏陀はもう答えを出していた件
    1. 「ドーパミン発火 =幸福」という致命的な誤解
    2. ドーパミンは「報酬」の記憶を残す。
    3. コカインと同じ「幸福」でいいですか?
    4. 「興奮」と「幸福」を取り違えると、苦しみが待っている
    5. 報酬を引き出すためのレバーを押し続ける人生、それでいいのか問う
    6. ドーパミンが悪いのではない、ドーパミンに翻弄されていることが問題
  6. 誰もが持っている主観的バイアス(脳の思い込み)を正しく知る
    1. シミュレーションには「脳の思い込み」が紛れ込むー学歴・合格実績信仰
  7. 変われない。学習性無気力【なぜDVの被害者はDVに気づかないのか】
    1. なぜ「自分がない人」ほど依存に陥るのか? ードーパミン依存
    2. 「不健全に他人にのめり込む人」に対処する方法ー過保護な親から心を守る
    3. 「快感そのもの」よりも「快感を予期させるもの」に反応する脳 
    4. 「期待させるくすぐり」に脳はめっぽう弱い ードーパミンに頼りがちな脳
  8. 速すぎる時代で大切になる「遅い」回路
    1. 頭の中の「天使と悪魔」を脳科学的に説明すると…… ホット/クールな回路、像/象使い
    2. 主体性を発揮できない課題は「煩悩」
    3. 「煩悩」は「自己関連づけ」
    4. 瞑想は「自分語り」をやめること
    5. 瞑想は、対象をバイアスなしに観察すること
    6. 瞑想は「私の思考」と「私」とを切り離す。練習である 
  9. 未熟な愛、成熟した愛ー見返りを渇望するかしないか
    1. 自分への報酬のために人を利用するのは愛ではない
    2. 「自分語り」の回路は、バイアスをかけるー現実を歪める興奮状態
    3. 恋愛は「自分」への没入である可能性
    4. 依存症的な愛と「成熟した」愛
    5. 「成熟した」愛は「自分語り(シミュレーション)」をしない
    6. 「喜び」に至るための寛容の心
    7. 愛着(執着)なき思いやり
  10. 自己イメージを変えるための『マインドセット』
    1. 変えられない、を変えるためには、人を信頼すること。
    2. 硬直マインドセットだと、認知療法も効かない?
  11. 自己イメージを偽る習慣が、自己欺瞞を生み、自己が抑圧される『残酷すぎる成功法則』

『あなたの脳は変えられる』自己イメージをリセットするマインドフルネス

 

 

あなたの脳は変えられる 「やめられない! 」の神経ループから抜け出す方法

 

課題の森で迷うこと、課題の海で足掻くことをやめるとき

依存症的行動はどれもそうだが、反応は反復によって強化される。反復により抵抗のため のトレーニングをしているのだ。フェイスブックで「いいね!」を確認するたびに「私は良 い」というバーベルを持ち上げ、刺激に反応してタバコを1本吸うたび、「私は吸う」という 腕立て伏せをする。最近思いついた最高のアイデアを同僚にまくし立てるたびに、「私は賢 い」という腹筋運動をしている。かなりのエクササイズである。

そしてあるとき、私たちは自分の正の強化や負の強化の(永続的な)ループを持続させて いる輪の中を走り回るのをやめる。それはたいてい、疲れ切ったときだ。あらゆる条件反応 に食傷したとき、それでは何も得られないという事実に気づきはじめる。 

立ち止まって人生を見つめ直すと、一歩下がったところから、自分が迷子になっていて、ど こにもたどり着けない状況が見えてくる。コンパスを取り出して、間違った方向に向かって いたと気づくのである。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.304)

人は動物である。

あなたが人間の進化についてどのような考えを持っているにせよ、人間による学習のしか たは、ニューロン(神経細胞)を2000個しか持たない軟体動物とさほど違わない。もっ と言えば、原生生物のような単細胞生物の学習パターンとも大差はないのだ。

もう少し詳しく説明しよう。単細胞生物は、生きていくうえで2つのシンプルなパターン すなわち、「食物に近づく/毒物から遠ざかる」の2つに従っている。ごく単純な神経系しか持たない軟体動物も、単細胞生物と同様の二値的な原理で記憶を形成している。神経学者の エリック・カンデルは、アメフラシという軟体動物を使ってそのことを発見し、2000年 ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

では、人間はどうなのか? 先に断っておくと、人間のすべてを「アメフラシ」レベルで説明するつもりはない。しか し、進化を遂げてきた祖先の片鱗が私たちの中に残っていて、実際、多くの面で「低次の」 生物と同じ行動をしている可能性はあるのではないか。私たちの行動の一部(あるいは多く) は、「魅力的と思えるものや快いと思えるものに近づき、嫌だ、不快だと思うものを避ける」 という、脳の奥深くに組み込まれたパターンに従っているのではないか。

もしそうだとしたら、その知見を活用し、単純な癖であれ、抜き差しならぬ根深い依存症 であれ、暮らしの中の習慣的なパターンを変えられるはずだ。それができれば、自分自身や 他人との関わり方を変える方法さえ見つかるかもしれない。それは、生物としてのこの基本 的な特性をも超越する方法となる。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.33)

人は報酬学習により主観的バイアスをつくる

小説中の架空の共同体の住人は、生まれたときから「行動工学」(報酬学習)により行動の かたちを身につけている。たとえば、幼いころから競争ではなく協調を報酬として学習して いるため、どちらかを選ぶ状況になったときは、習慣的に競争よりも協調を優先する。この ようにして、共同体の中で分かちがたく結びついた全員が、個人と社会の善のために最も能率的かつ調和的に振る舞うよう条件付けられているのである。

『ウォールデン2』は、社会の調和を成り立たせる条件を考察している。その考察の中に、社 会規範と主観的なバイアスー報酬学習を通じて個々に形成される条件付けーについて科 学的に探究する部分がある。

主観的なバイアスの問題は、本書『あなたの脳は変えられる』の中心テーマの1つである。 それゆえ、ここで少し立ち止まってこの問題を解きほぐしておこう。

ごく単純に言うなら、私たちは、1つの行動を繰り返せば繰り返すほど、世界について1 つの決まった見方をするようになる。繰り返してきた行為がもたらす報酬と罰に基づいて、バ イアスのかかった眼鏡を通して世の中を見はじめるのだ。私たちは生活の中でさまざまな習 慣を身につけていくが、身につけた習慣的なものの見方が、ここで言う眼鏡である。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.41)

脊椎反射で生きていると、機能不全に陥る(状況が硬直化する)

この腱反射反応と同じように、私たちは生活の中のほとんどの時間を、頭を使うことなく 反射的に、主観的バイアスに沿った反応をしながら過ごしている。その中で、自分自身や環境が変化したために習慣的行動がもはや適切ではなくなったとしても、それに気づかない。こ れがときに問題を引き起こす。逆に、主観的バイアスがどのように作られ、どのように働い ているかを理解できれば、その仕組みを最大限に利用して、悪影響を最低限に抑えられるか もしれない。

スキナーが描いた共同体「ウォールデン2」は、女性が伝統的な主婦の役割や小学校の教 師以外の仕事をこなせるかどうかを探究した(この小説が書かれたのは1948年である)。作 品中の男女は、自分たちが持つ「女性は社会の中で “A”や”B”といった役割を果たすも の」という主観的バイアスを見直し、実際女性も男性と同じ役割を果たす能力があることに

気づく。そして、女性も労働力に加えるのだ(男性も子育ての役割を増やす)。 – スキナーは、主観的バイアスが行きすぎると、社会構造が固定化して機能不全に陥ったり、 政策が教条主義的に硬直化したりしかねないとし、これに対し、行動工学を応用すれば主観的バイアスが行きすぎるのを抑えられるだろうと論じた。何も考えずに報酬学習の原理を自 由に働かせたり、制度の中枢に座る少数の人間がこの原理を利用して大衆を操作したりする と、社会は自然にそうした適応不全を起こすとスキナーは指摘する。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.44)

立ち止まると、走り出したくなる、依存症。

「ジャックは診察室のドアの前に立ったまま、見たところ途方に暮れている。本当に頭が爆発しそうな様子だ。どう声をかけたらいいのだろう。どうすればいいのか。まずはジョ からはじめた。正直、ジョークは得意ではないので、あまり良い考えではなかったかもしれ ない。けれども、つい口から出てしまった。 「もし頭が爆発したらですね、ええと、破片を拾い集めてお電話ください。渇望で頭が爆発 した最初の事例として記録しますから」

口ごもりながらこう言うと、ジャックはしかたがなさそうに笑ってくれた(少なくとも、私 が診た退役軍人病院の患者たちは、優しい人ばかりだった。彼らがくぐりぬけてきた経験にもかか わらず、あるいはおそらくその経験ゆえに)。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.66)

止まらない報酬回路

科学の世界で生きる者にも報酬学習は働く。まず、学説を組み立てたり新たな発見をした りする(刺激)。それについての論文を最初に発表する(行動)。その論文がほかの研究者に引 用されたり昇進したりする(報酬)という具合だ。論文発表で人に先を越されることもある。 そんなとき私たちは、一種の業界用語で「スクープされた」と言う。つまり言ってみれば、ブ ッダは紙が発明されるずっと前にスキナーをスクープしていたわけだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.92)

 

ソレは、報酬として受け取る価値があるものだろうか

ここまで、人には、タバコやアルコール、麻薬、さらには自分のイメージといったものまで、ありとあらゆるものに依存する可能性があるのを見てきた。これについてはどうするこ ともできない。行動と結果、刺激と報酬を結びつけようとするのは私たちのDNAの仕業で あり、生存のためでもある。

スキナーらによる行動の研究は、このような学習プロセスの働き方を理解すれば、そのプ ロセスを良い方向に変える助けになるだろうということを明らかにした。 スキナーはこの発見が非常に大きな意味を持つことを理解し、そこから一歩進めて、その学習プロセスはセックスや政治など、あらゆる事柄に適用できると提案した。 スキナーが書いた唯一の小説『ウォールデン2』(1948年)は、第2次世界大戦直後の アメリカ中西部の架空の町を舞台にしている。描かれているのは意図的に設計されたユート ピア社会だ。動物を相手に研究してきたスキナーとしては、その研究結果を純粋に発展させ、 それを社会的に表現したかったのだろう。

この小説の中でスキナーは、ユートピア的理想を実現する方法として自己コントロールを工学的に行うことを強調している。崇高な理念の提唱だが、脳の進化の現状を考えると、限 界が伴うのではないか。

|興味深いことに、仏教に帰依した古代の心理学者たちもスキナーと同じプロセスを吟味し、 ある解決策に行き当たったようだ。彼らは、苦しみのプロセスの核にあるものとして、自己 と、報酬学習により発展する主観的バイアスとに注目した結果、そのプロセスの鍵を握る要 素(渇望と反応)を突き止め、さらには素晴らしく単純な解決策をも見出した。「自分の行為への報酬と思えるものに注意を払う」という方法である。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.310)

課題の森・課題の海・課題の嵐から逃れる方法ーやめる。

課題の森で生き残るには、立ち止まり、気づかなくてはいけない。

マインドフルネスとは、世界を今よりもはっきりと見ることだ。主観的バイアスのせいで道に迷い、同じ場所をぐるぐると回っているとき、マインドフルネスのバイアス自体に気づかせてくれる。その結果、自分がどうやって迷ったかが見えてく るのである。どこにもたどり着かない道を歩いていることにいったん気がつけば、そこで立 ち止まり、不要な荷物を捨て、違う方角に歩きだせる。たとえて言うなら、マインドフルネ スは、人生を歩む際に役立つ地形図となりうるのだ。

では、「判断を加えず」や「反応しない気づき」という言葉は何を意味するのだろうか。 本書ではまず、報酬学習がどのように主観的バイアスを導くか、そして、そのバイアスが 私たちの世界観をいかに歪めているかという問題を解きほぐしながら見ていく。主観的バイ アスは、現象の本質を見極めることを妨げ、習慣的な反応へと私たちを追い立てる。習慣的 というのはつまり、過去の反応に基づいて「栄養分」に近づき、毒素を避けることで、自動 操縦に沿って行動することである。

さらに本書では、そのバイアスのかかった見方のせいで多くの混乱が生じ、「これは嫌な感 じだ。何かしなければ」という反応が引き起こされることについても探究する。こうした混 乱した反応は、問題を悪化させるだけだ。森で迷い、パニックに陥りはじめると、本能的に速く歩こうとしてしまう。当然、ますます道がわからなくなる

森の中で迷ったときは、立ち止まり、深呼吸をして、地図とコンパスを取り出せと私は教 わった。位置関係がわかり、方角がはっきりした時点で、初めて歩きはじめるべきなのだ。本 能に反するやり方だが、私は実際、これで命拾いをしてきた(今でもこのやり方を守っている)。 同じように、物事をはっきりと見極めつつ、それに反応せずにいることで、自分が不―快を どのように悪化させているか、また、どうすればもっとうまく取り組んでそこから離れられ るのかを学んでいけるだろう。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.52)

 

変わろうと思えば、変わることは「できる」。するか、しないか。

壁のホワイトボードのところに行き、ジャックに習慣のループについて説 明した。並んでボードの前に立ち、引き金となる刺激からタバコを吸う行為に向かう線を描 き、吸うたびにどのようにこのループが強化されるかを図示して見せたのだ。ようやくジャ ックは頷き、椅子に腰をかけた。一歩前進だ。

私も席に戻り、吸わないと頭が爆発しそうだというジャックの感覚を詳しく探りはじめた。 まず、それはどんな感じなのかと尋ねると、「さあ、頭が爆発するような感じなんです」との 答えが返ってきた。重ねて、実際どんな感じか、ゆっくりと細かく描写してほしいと求めた。

こうして私とジャックは、強い渇望を感じたときに頭に浮かぶ考えや身体的な感覚を少し ずつすくい上げていった。さらに私はホワイトボードに太い上向きの矢印を描き、ジャック の身体的感覚を書き込んだ。

矢印の一番下に引き金となる刺激。そこから上に向かって、しだいに強く明確になる渇望 の感覚を書き加えていく。矢印の先端には「頭が爆発」が来るはずだが、実際にはそこには、 「タバコを吸う」が入る。なぜなら、そこまで来るとジャックは必ずタバコに手を伸ばしたか らだ。

私はここで、「タバコを吸えないとき、たとえば飛行機やバスに乗っているときに吸いたい 衝動を感じたことはありませんか?」と尋ねた。ジャックは「ありますよ」と答えた。「どう なりました?」と私。ジャックはしばらく考えて、「そのうち消えたような気がします」と曖 味な答えを返した。 「確認させてくださいね。タバコを吸わなければ、吸いたい衝動は勝手にどこかへ消えてい くのですね?」

これは一種の誘導尋問である。けれども、念のために言うと、こちらが正しく理解してい るか確認したいという真意もある。治療を進めるには、患者と同じ場所に立っていなければならない。私の質問にジャックは頷いた。

私はホワイトボードの矢印に戻り、先端(「タバコを吸う」と書いてある)のすぐ下のところ から水平に線を引きはじめ、それを下のほうに延ばしていった。全体のかたちはタバコに向 かう真っ直ぐな矢印ではなく、ひっくり返ったUの字、というか、丘のようになった。 「こういうことでしょうか。刺激を受けると吸いたい衝動が高まり、ピークに達して、そし てどこかへ消えていく」

ジャックの頭の上で電球が灯ったのが見えるようだった。 「あれ、待てよ。実は吸わなくても大丈夫だったんだ。それに気がついてなかった。吸いた くてたまらない気持ちはすぐに消えることもあれば長く続くこともあったけど、結局は必ず 消えた。たぶん、要するに、タバコをやめることはできるんだ」 それから何分かかけて、私はジャックが本当に理解しているかを確かめた。タバコを吸う たびに、いかにその習慣を強化しているかを明確にしたのだ。

私はジャックに、渇望と共にやって来る身体感覚の1つひとつを、単純に自分に対して指 摘する(声に出しても出さなくてもかまわない)方法を教えた。そのとき使ったたとえが、サ ーフィンだった。吸いたいという渇望は波のようなもの。そして「指摘する練習」がサー ボードだ。このボードで波に乗り、波が行ってしまうまで乗り切るのだ。吸いたい気持 高まり、ピークに達し、消えていく間、この逆U字型の波に乗っていけばいい。波を乗り越 えるたびに、喫煙習慣の強化を止められることを私は説明した。ジャックは最終的に、タバコへの渇望を感じるたびに使える現実的なツールーマイ・サーフボードを手に入れた のである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.66)

どれだけ「嫌」なものかに気づく。

3日後、2回目のセッションで、退屈からタバコを何度も吸ってしまったことに気づいた と話す人が出てくる。ある男性は、1日30本吸っていたのに、この2日で10本にまで減った と報告した。タバコに手を伸ばすのはほとんどが習慣的なものか、ほかの問題の「解決」の ためだと気づいたからだという。たとえば、コーヒーが苦かったから、それをごまかすため に吸ったりする。それに気づいたこの男性は、代わりに歯を磨くことにした。 ・タバコを吸ったときにどんな気持ちになるのか――。参加者たちから寄せられた感想は、も っと興味深かった。それまで何も考えていなかった人が多く、タバコの味がひどいことにも気づいていなかったようだ。中でも「臭いは腐ったチーズみたいだし、味は化学薬品みたい だった。気持ち悪っ」という報告は私のお気に入りだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.75)

 

渇望を見つめるブッダの科学的な方法ー瞑想

ここで私は好奇心を覚えた。それまで、瞑想について個人的に探究する中で数々の初期仏 教の教えに触れてきていた。それらは、自分の渇愛(渇望)に取り組むことを強調していた。 渇愛を標的にすれば耽溺を克服できる。標的にするとは、力で押し切ることではない。直感 には反するが、それに向き合い、そこに近づくことを通じて取り組むのである。それを直に 観察することで、「中毒」(intoxicated)を軽くできる (intoxicated はパーリ語のAS 悩〉の英訳である)。私の患者たちの中にもこの効果は認められた。衝動に基づく行為から得られる報酬を直に観察していると、たしかに彼らは中毒から解き放たれていった。しかしこ のプロセスは、本当のところはどう働いているのか。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.86)

「知る」ことから始まる「変わる」プロセス

ひとたびそれがわかれば、向きを変えて違う方向に歩きだすことは極めて容易だ。それは 習慣の形成の基本原理に従っている。ストレスの原因となる行為をやめれば、気分は即刻改 善する。要するに、行為と報酬、原因と結果を結びつけてやればいいのだ。重要なのは、逆 説的に思うかもしれないが、ストレスのもととなっている行為は、単に自分自身がそれをし ていると気づけばおそらくやめられるということだ。状況を変えよう、修正しようと努力を する必要はない。生活の中でもつれた混沌を解きほぐそうと手を出す(そうするとますますもつれていく)のではなく、一歩引いて、自然にほぐれさせればいい。そのとき私たちは「何かをすること」から「そこにあること」に移行していく。

私は先に引用したようなパーリ語仏典の言葉を読んだとき、「なるほど」と思った。これら は大切な洞察だと。 「なぜそう思ったのか。それは、自分の経験上、このようなサイクルを何度も目にしてきた からだ。ストレスを生む行為を、それが(何らかの)幸福をもたらすと誤解して何度も繰り 返してしまうというサイクルである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.226)

「感じる」ことから始まる「変わる」プロセス

私は瞑想ホールに座り、さまざまな考え(原因)が浮かんでくるのを眺めつつ、身体に生 じる影響に注意を向けていた。そのとき私は、それほどやる気がなかったに違いない。なぜ なら、私の心は性的な空想やら日々の心配事やらの間を行ったり来たりしていたからだ。快 感を伴う空想は切迫感をもたらしたが、それはまた身体の内部、鳩尾のあたりの収縮や落ち 着かなさとして感じられた。

だが、ふいに私は、不快な心配事も快い空想と同じ効果をもたらしていると気づいた。そ の瞬間、人生で初めて、考えにとらわれるというのがどのようなことか、心の底から理解できた。良い考えであろうと悪い考えであろうと関係なかったのだ。どちらの考えでも行き着く先は同じだった。それは、満足を求める渇望だった。修養会の指導者たちにこの「驚くべき発見」について伝えたときのことはいまだに覚えている。上品に微笑む彼らの表情は、こ う語っていた。

「ようこそ私たちのクラブへ。ここがスタートラインですよ」

これが私の「スタート」だった。 その修養会の残りの日々、私は機会のあるごとに自分の悦楽を最後まで追いかけた。考え が起こり、もっと考えたいという衝動が生まれるのを見つめた。食べ物がおいしいという快 感が生じ、それをもっと食べたいという衝動につながるのを見つめた。長時間座り続けて落 ち着かない感じが生まれ、それが立ち上がりたいという衝動に至るのを見つめた。できるか ぎり、悦楽を最後まで追いかけた。そして、迷いから覚めるという感じがわかりはじめた。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.229)

今の自分をリアルに「感じる」ためのアドバイス

マインドフルネス・ストレス低減法のコースであれ何であれ、自分を変えるために抵抗をしないトレーニング、あるいは抵抗に抵抗するトレーニングといったものを始めるときには、 このジムのトレーニングと同じようなプロセスを日々の反応に適用してみるといい。まず、自分はどのくらいの頻度で、物事が自分に向けられたと思って反応するかを見るのだ。

これを確認する一番簡単な方法は、身体の中に衝動や愛着を示すような力み、縮こまりが ないか探してみることだ。この体感は、快い経験でも不快な経験でも起こるので、それを忘れないように。 次に、重さはどのくらいかを見る。つまり縮こまりの程度を測ってみる。最後に、それをどのくらい長く抱えているのかをチェックする。これができるようになれば、私たちは自然と反対の方向に向かい、重荷を手放せるのである。

進歩も同じ目安で測れる。以前のように習慣的に反応せず、どのくらいの頻度で重荷を手放せたかに目を向けるのだ。また、何かを抱え上げたとき、それは以前より軽くなっている だろうか。つまり、それにとらわれていないか。そして、それをどのくらい長く抱えている かを確認してみる。重荷を抱えて歩き回っていることに気づいたら、すぐにそれを下ろせる だろうか(そして、再び取り上げずにいられるか)。

抵抗に抵抗するトレーニングは、結果を達成しなければならないものと考えるのではなく 探究の過程と考えるとよい。ストレスの方向とその反対の方向を知っても、何か特定のもの が得られるわけではない。注意を払っていれば、いかなるときでも特定の方向に歩きだせる というだけだ。

コンパスの読み方に慣れれば慣れるほど、「単にある」というこのモードに入るのがいかに 容易か必ずわかってくる。特別なことをする必要はないし、どこかへ行って何かを手に入れ る必要もない。ただ、自分の邪魔をするとどう感じられるかを学ぶだけでいい。そうすれば、 その後のことは自然に進んでいく。目を見開いてよく見てさえいれば、その方向に歩き続け られるのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.306)

2種類の報酬(危険を避けるか、食べ物を得るか)

私たちはみな、ストレスの引き金になる何らかのボタンを持っている。そのボタンがどん なものであるかは、報酬による学習で身につけてきた人生への取り組み方(あるいは取り組ま ないやり方)でほぼ決まってくる。また、そのストレス因子が自分の生活や周囲の人間にど の程度影響するかで、問題の重症度が決まってくる。

最も重症な側に依存症、つまり悪影響があるにもかかわらずやめられない学習がある。靴 のひもを結ぶのは問題のない習慣だが、運転中のスマホは悪い習慣だ。ここで重要なのは、ど のような行動を身につけるか、どのくらいのペースでそれを学習するか、どのくらい根深い 習慣になるかは、報酬の中身次第という点だ。

スキナーは、行動は2つのあり方で形成されるとした。 「強化される事柄には2つの種類がある。まず、状況に何かを付け加える刺激――たとえば 食べ物や水や性的接触―――を提示するかたちの強化だ。これらの刺激を正の強化子と呼ぼう。 もう1つは、騒音や、まぶしすぎる光、極端な寒さや暑さ、電気ショックなどを状況から取 り除くことからなる強化である。こちらの刺激は負の強化子だ。どちらの強化も効果は同じ で、反応率が上昇する」

単純に言えば、私たち生物は、望ましい結果につながる行動を学び、悪い結果につながる 行動は避ける。行動と報酬のつながりがはっきりしていればいるほど、強化は強まっていく。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.98)

主観的バイアスにかかっている自分をみつめるー瞑想

人の注意を引こうとしたり、何らかのかたちで褒められようとすることで、こうしたさま ざまな依存症的な態度にはまり込み、主観的バイアスによって深みにはまり、それがまた主 観的バイアスを強化する。私たちの世界観を歪めている眼鏡を外すには、まず、バイア ある場所を素直に見つめる必要がある。主観的バイアスがいつどのように道を外れるかを理 解するのが、主観的バイアスを修正する第一歩となる。

すでに指摘したように、主観的バイアスについての情報を利用して生活改善を始めるには、 まず自分のストレスを知るためのコンパス(方位磁石)を取り出すことだ。そして、自分の 行動の結果を真っ直ぐに見つめられるようになるといい。

(略)

一歩下がって自分の思い込みやバイアスのせいでコンパスを正しく読めていないのではな いかと慎重に眺めてみれば、その認識の助けを借りて、よりよい道を見つけられるのではないだろうか。その道は、自我を肥大させずにすむ道かもしれない。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.142)

「成果」がでないなら、ただのストレスなら、課題(報酬回路)から離れる。

私が頭の中の空想にふけることでそうしていたのと同じように、たいていの人は日々の暮 らしの中で幸福と苦を取り違えている。

なぜそう言えるのか。私たちが自ら苦しみ続けることをやめられずにいるからだ。自分が 1日のうちに何度人を罵っているか、何度心を癒す食べ物を口にしているか、何度ストレス 発散の買い物をしているか、振り返ってみるといい。あらゆる場所で目にする広告は、「これ を買えば幸せになれる」という観念をまき散らし、消費による幸福を宣伝する。実際、この 誘いはうまく機能しているようだ。なぜならその広告は、私たちが本来持っている報酬学習 のプロセスを利用しているからだ。行動が報酬につながれば、それが将来の行動を形成し、強 化する。 「私たちはストレスに対処する際に、ストレスから自分を解放するのではなく、結局ストレ スを維持する方向に自分を条件付けている。ブッダは、このストレスと幸福の取り違えを強 調した。

「過去の快感が痛みの感触と灼熱と焦熱を持つのと同じように、未来の快感も痛みの感触と 灼熱と焦熱を持ち、現在の快感も痛みの感触と灼熱と焦熱を持つ。しかし生ける者が快感へ の執着から離れられず、感覚的渇愛の餌食となり、感覚的な熱に焼かれていると、感覚器官 が破壊される。それゆえ、快感が実際には痛みの感触を持とうとも、『快い』という歪んだ知 覚を持つのである」

この取り違えこそ、私の患者たちが日々取り組んでいる問題なのである。彼らは自分のス トレス・コンパスの読み方を知らない。タバコを吸ったりドラッグをやったりして一時的な 報酬を得ても、間違った方向に進んでいくだけである。それは私たちも同じで、満腹で食べ るのをやめるべきときにストレス食いをしたり、のんびりすべきときにネットフリックスで ドラマシリーズを一気に見てしまったりする。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.230)

背負うという習慣を見直す

本書で私が強調しているのは、私たちの習慣がどのようにできているかをよく見れば、それを打ち破れるということだ。

ぼんやりと空想にふけっているときも、こっそりとドラッグを買いに行くときも、自分の行動にとらわれているときは、私たちはそのつど人生の重荷を増やしている。この重荷は、「仕事を片付けなければいけないのに時間を無駄遣いしてしまった」あるいは「家族に負担を かけているとわかっているのにまたドラッグに手を出してしまった」と自分を責めることで さらに膨れ上がる。

まるで自分がシーシュポスになったように感じることもあるだろう。ギリシャ神話に登場 するシーシュポス王は神の罰を受け、冥界の山の上まで岩を押し上げるよう命じられた。し かし山頂まで来ると岩は麓まで転がり落ち、シーシュポスは、また最初から押し上げはじめ なければならなかった。この苦役が永遠に繰り返されるのである。

私たちの人生も同じようなものだ。山の上まで何の意味もなく岩を押し上げるだけ。しか もその岩は耐えがたいほど重くなっていく。しかし人生はシーシュポス的な苦闘である必要はない。習慣という重荷を汗だくで担ぎ続け、山の上まで何度も何度も押し上げなくてもい いのだ。よけいな荷物が積み上がっていると気づいたら、それを下ろせばいい。身軽な旅は 楽しいものだ。気づくたびに下ろす。それを繰り返せば、よけいな荷物がなくなり、足取り も軽くなっていく。旅を続けるうちに、いつかフローに入り込めるのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.285)

期待している?期待されている?自己イメージを満たす快楽

側坐核が活性化する「自分語り」

結果は予想どおりだった。被験者は自分について考えたり話したりするために、最も多く 得られたはずの額よりも平均して7%少ない金額しか受けとっていなかった。これに関して は、少し考える必要がある。人はなぜそんなことのために、相当額のお金をあきらめられる のだろう。

被験者たちの脳を見ると、この選択を行っている間、側坐核という領域が活性化していた。 これは、薬物依存のせいで仕事も家族への責任も放棄してしまう人の脳に比較的近い。しか し、コカインその他の薬物を乱用するときに活発になる脳領域が、自分について話すときに も活性化するなどということが、果たしてありうるのだろうか。

実際、側坐核は依存症の発生と非常に密接に関係する場所だ。ということは、自己と報酬 はつながっていると考えられる。自分について話すことは報酬なのだ。自分の話にこだわる のは、薬物にはまるのと似たところがあるのかもしれない。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.101)

要するに、この研究が明らかにしたのは、SNSを通じて明確に定量化できる他人のフィ ードバックが青年期の脳にどう影響するかということだ。結果は最初の2つの研究と同様で 被験者の脳の側坐核および、「自己関連づけ」(自己へのとらわれ)に結びつく脳領域の活動が 有意に高まるのがわかった(この点については後に詳述する)。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.103)

承認欲求が満たされない「いい子」がハマる仕掛けー定期テスト・小テスト・そして課題

ロゼリン・リーウォンらは「フェイスブック中毒」と題した論文の中で、自己呈示(他人 に対して自分のポジティブな印象を与え、それを維持すること)への欲求が、「オンライン・メデ ィアの問題含みの使用を理解する鍵である」と論じている。

彼らは、社会的に承認されることへの欲求と、過剰で制御不能なフェイスブック使用との 間に相関関係があることを立証した。とくに、自分の社会的スキルが不十分だと感じている人にその傾向が強かった。私たちは不安や退屈や孤独を感じているときにフェイスブックに 投稿する。それはいわば、フェイスブック上の「友だち」全員に向けた呼び出しなのである。 そして彼らが「いいね!」や短いコメントで反応する。そのフィードバックが、私たちがつながっていること、自分に注意が向けられていることを再確認させてくれる。言い換えれば、 私たちがネットにアクセスしたりSNSに投稿したりするのは、自分が「イケて」いて、意 味のある存在だということを示す報酬を受けとるためなのである。承認を受けるたびに強化 が進み、孤独感が消え、つながりの感覚が心地よく感じられる。そしていつしかこれを繰り 返す習慣を身につけていく。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.109)

 

「自分らしさ」に脳の快楽が潜んでいる 

第2章で見たように、頭の中で自分の物語を語ることは報酬をもたらす。ときには自分の 姿を見る依存症になってしまう。自分が映画の主役になり、宇宙の中心にいるような気持ち に慣れると、頭が固くなり、新しい情報を受け入れられなくなったり、周囲の変化に適応で きなくなったりするものだ。

このような自己中心的状態は、結果として悪いほうに流れることが多い。私はアームスト ロングの夢が破れたあと、ずいぶんと屈辱的な目にあった。しかしそんなことは全体像から 見ればたいしたことではない。もっと大変な影響を受けた人々もいた(たとえばプロの自転車 選手はみな、評判を傷つけられた)。

個人や集団が、社会に影響を及ぼす力を持つ人間についての見方を固定化しはじめた場合 はどうだろう。たとえば政治家に対する見方だ。歴史を振り返ると、カリスマ的指導者が出 現するときにはそうした現象が起きている。アドルフ・ヒトラーもそうだった。現代の政治 家が、私にとってのランス・アームストロングのように、素晴らしいアメリカン・ドリーム を成し遂げた物語で現実を見えなくしてしまうことも起こりうる。

では、自分を宇宙の中心に立たせるプロセスは、どのように作られるのだろう。それを知 る手がかりは、イギリス生まれのアメリカ人東洋哲学者、アラン・ワッツが自我について語 った言葉から得られるかもしれない。

「自分がそうであると信じてきた自我」

彼の表現が示唆しているのは、主観的バイアスが作られ、強化されていく様である。私た ちはある決まった光のもとで自分を繰り返し見ることを学ぶ。その自己イメージは、ついに は固定した見方、つまり信念になる。信念は何もないところから魔法のように出現するわけ ではない。それは反復を通じて形成される。そしてしだいに強化される。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.127)

病的な「自分語り」と満たされない「承認欲求」

彼のような性格の極端なケースが、自己愛性パーソナリティー障害(NPD)と呼ばれる。

この人の特徴は、他人からの承認を目標設定の基本とすることや、他人の反応に過剰に 調子を合わせること(ただし自分に関係していると思ったことのみ)、注意を向けられようとし すぎること、人からの賞賛を求めることが挙げられる。 _ NPDの原因は不明だが、ある程度は遺伝的要因があると考えられる。報酬学習の観点か ら単純に考えれば(単純化しすぎているだろうが)、「私は頭が良い」というパラダイムがねじ まがったものと想像できる。子育てが偏りすぎて、必要以上に褒めたり(「誰にだっていいと ころはあるけど、あなたは特別!」)、矯正的な罰を一切与えなかったりして(「うちの子は我が 道を行っているから」)、報酬学習のプロセスが過剰に刺激され、社会規範から外れるレベルで 固まってしまったのかもしれない。アルコール依存に陥りやすい遺伝的素因を持つ人がいる が、こうした偏った育ち方をした子どもの場合も、簡単には満たされない賞賛への嗜好(と いうよりも欲求だろうか)が身についてしまっている。彼らはアルコールを欲しがる代わりに、 「『いいね!』を付けてほしい。すごいと言ってほしい。もう1回」と、正の強化をつねに求めるのだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.132)

「セルフイメージが不安定な人」に見られる特徴 

ボーダーライン・スペクトラムの反対の端に目を向けよう。普通でも過剰でもなく、ともかく安定した自意 識を発達させられないとどうなるか。この極端なかたちは、境界性パーソナリティー障害 (B PD)だろう。『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』の最新版が挙げるBPDの特徴 は、「発達が不良な、または不安定な自己像」「慢性的な空虚感」「不信、困窮、および現実の または想像の中で見捨てられるという不安に満ちたとらわれによって特徴づけられる、激し く、不安定で、かつ葛藤を抱えた親密な関係」「重要な他者からの拒絶および/または別離に ついての恐怖」「低い自尊心」などである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.133)

進学校で生きるための知恵ー課題との関係を改める

パーソナリティー障害というのは、慢性的で治療が難しい。医学生時代、BPDには「ソ フトな兆候」(診断の参考にはなるがカルテに記載されることのない古くからの言い伝えのような もの)があると言われていた。「病院にテディベアを持ってきていたらBPD患者だ」という のだ。彼らはある意味で成長しきっておらず、安定した自己像やアイデンティティーを確立 していないという理解である。このようなBPD患者を、どう治療すればいいのだろうか。

我が師は、まるでベテランの将軍が新兵を戦場に送り出すかのように「幸運を祈るよ」と 訳知り顔でウインクしつつ、臨床の知恵を授けてくれた。BPD患者に対しては「アポは毎 週決まった時間にすること」「診察室の中はつねに同じにしておくこと」「電話で追加のアポ を求められたら、礼儀正しく対応すること。ただし、絶対に要求に応えてはいけない」「彼ら は徹底的に限界を超えて要求をしてくる」といったものだ。「好き勝手にさせてはいけない」 と師は警告した。

何人かのBPD患者を診たあと、師が言いたかったことがわかりはじめた。興奮した患者 からの電話を受けると、さらに多くの電話がかかってきたからだ(それはどんどん増えていっ た)。セッションの時間を一度延長すると、次のセッションの終わりにまた延長を懇願された。

BPD患者はほかの患者よりもはるかに多くの時間とエネルギーを必要とする。言葉を交 わすたびに弾丸を撃ち込まれているかのように思えてきた。それは実際、戦いだった。それ も劣勢の戦いに思えた。私は身構え、戦線を死守すべく全力を尽くした。延長はしない。追 加のセッションはしない。一線を守るのだ。自分にそう言い聞かせた。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.134)

依存、報酬回路のループの強化と馴化、単なる習慣化(隷属化)

信念がどのように作られていくか、理解の助けになるようなたとえ話を1つしよう。新し いセーターかコートを買いに出かける際に、アドバイスをしてもらえる友人を1人連れて行 くとする。ブティックかデパートで試着し、いよいよ服を選ぶ段になって、どうするだろう か。鏡を見て、身体にフィットし、似合うかどうかを確かめるはずだ。それから友人に、ど う思うか尋ねる。自分ではそのセーターが似合っていると思うが、品質はどうか、高すぎは しないかと迷うかもしれない。5分ほど思い悩んでも決められず、友人に助けを求め、「そう、 それよ。それは買わなきゃ」と背中を押してもらう。そこであなたはレジに向かうのだ。

私たちが、服ではなく自分自身を見てどう捉えるかも、やはり報酬学習の眼鏡を通して形 成されるのだろうか。

たとえば、6年生のテストでAの評価を取った。たいしたことではないと思ったが、家に 帰って親に見せると、「すごいわね。なんて頭がいいんでしょう」と褒められた。親の賞賛は 報酬だ。気分が良くなる。次のテストでもAだった。前回のヒントがあったため、褒められ ることを期待して親に見せ、予想どおりに褒められる。

こうした強化がモチベーションになり、その学期を通して一生懸命に勉強して通知表がオ ールAになるかもしれない。こうして、成績や友だちや親から繰り返し自分は賢いと言われ ていると、それを信じはじめるだろう。なぜなら、そうではないと示唆するものは何もない のだから。

これは買い物の例と同じだ。セーターを着た自分を三面鏡でじっくり眺め、友だちに承認 されて、自分に似合っているという十分な確認を得る。実際に何度も着てみると、脳のシミ ュレーションが働いて結果を予想しはじめる。 格好良く見えるに違いない。そう、知的に見えるはずだ。褒められるはずだー。 こうして同じ結果を得続けると私たちはその強化に慣れていく。これを馴化という

ウォルフラム・シュルツは1990年代に一連の実験を行い、この種の強化学習と馴化が ドーパミンと結びついていることを確認した。サルの脳の報酬中枢をモニターしながら学習課題の報酬としてジュースを与えると、学習の初期段階ではドーパミン・ニューロンの発火 率が増加するが、しだいに減少し、通常の発火率に落ち着くというのである。

つまり、褒められると、ドーパミンの噴出で気分が良くなって「自分は頭が良い」と学習 するが、100回目に「またAなんてすごいわね」と言われたときにはすっかり慣れっこに なり、目をくるりと回してみせるだけになる。「あなたは賢い」という親の言葉を信じてはい るが、報酬の甘さはもはや消えているのだ。 「ワッツが指摘するように、「自分は頭が良い」という見方はおそらくしだいに「純然たる習慣のパターン」へと変化する。こうした自己観の形成も、喫煙やフェイスブックへの投稿の 習慣化とまったく同じように報酬を受け、強化されている可能性がある。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.128)

 

「褒められたくて仕方がない」人たち―のさばる自我

ほかの主観的バイアス、たとえばパーソナリティー特性や性格のもとでも、これと同じプ ロセスが働いているかどうか考えてみよう。私たちは自己観に基づいて日々自分のパー リティーを背負っている。そして、そのパーソナリティーが私たちの世界観を色づけている のだ。これは、自己という習慣と言っていいだろう。 – パーソナリティーに報酬学習の考え方を適用できるかどうか、まずは極端な例から見ていこう。

パーソナリティー障害という疾患はしばしば、普通のパーソナリティーとして記述される 性格特性が極端化し、不適応の範囲に至ったものと説明される。それゆえ、パーソナリティ ー障害を見ていけば、人間のあり方について洞察する助けになるだろう。ここではある性格 が10倍に強まっていると考えればいい。拡大すればするほど、そこで何が起こっているか見 て取りやすいという理屈だ。そこで起こっているのは依存症と同じで、行動が何度も繰り返 され、ネガティブな結果を招くほどになり、「正常な社会」からはみ出してしまった状況である。

端から端まであるパーソナリティーのスペクトラムの中で、真ん中あたりに普通の自己観 があるとしよう。このような普通の自己観の発達は、ある程度の安定的な育ち方をしてきた ことを示唆する。報酬学習の観点からすると、親が予測可能な報酬の与え方をしてくれたと 言える。良い点数を取れば褒められる。嘘をついたりものを盗んだりすると罰を受ける。そ ればかりでなく、そのような人は人格形成期を通じて注意と愛情を注がれ続けてきた。ころ んだり怪我をしたりすれば助けてもらえ、学校で仲間はずれにされたときも、あなたはでき る子よと言ってもらえたはずだ(第2章の少女たちの言葉で言えば、「イケてる」となる)。こう して、時と共に私たちは安定した自意識を発達させる。

こうしたスペクトラムの一方の端に、自我を増長させる経験を多くしすぎたと思われる人 がいる。傲慢で、過度に自己中心的な人だ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.130)

「喜び」「怒り」のドーパミンや「悲しみ」「憂鬱」の自己イメージも報酬回路を刺激する

うつ病の人は「暗い気持ち」にハマっている? 

ヤェル・ミルグラムらは、「選ばれた悲しみ? 抑うつにおける感情調整の目的」という最 近の論文の中で、ある実験を報告している。うつ病の被験者とそうでない被験者に、楽しい 写真と悲しい写真、中立的な写真を見てもらい、その後で同じ写真をもう一度見るか、それ とも空白の画面を見るか選ばせたうえで、最後にそのときの気分を評価させたのだ。どちら の被験者も、楽しい写真を見れば楽しくなり、悲しい写真を見れば悲しくなった。ごく自然 な結果だ。 だが、興味深いのはここからだ。うつ病の人は、楽しい写真の選択の頻度についてはそう

でない人と変わらなかったが、悲しみを引き出す画像をあえて選択する頻度が明らかに高か ったのだ。ミルグラムらは優れた科学者であるから、別の被験者を集め、今度は写真ではな く、楽しい音楽と悲しい音楽で同じような実験を繰り返した。すると、結果はやはり同じだ った。悲しい音楽を選ぶ率はうつ病の人のほうが高かったのだ。

(略)

うつを経験したことのない人には奇妙なことに思えるかもしれない。しかし、うつ病の人 にはこれがよくわかる、あるいは馴染みの感覚でさえあるかもしれない。単純な話、うつ病 患者はそのように感じるのに慣れているのだ。身体に馴染んだセーターのようなもので、 年着慣れて、自分の身体のかたちになってしまっている。その習慣の一部として、反芻的な 思考も、うつ病の人が自ら強化して、ある意味で自分のアイデンティティーを証明するもの になっているのかもしれない。そう、これは実は私自身のことだ。私はまさにうつ病なのだから。ミルグラムらの言葉を借りるなら、うつ病の人は「感情面で自己を確認するために悲 しみを経験しようとする」となる

(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.178)

依存するほど、脳は「抑うつ状態」に陥っていく

心地よさを感じるためにフェイスブックから離れられなくなるとき、私たちに何が 起こっているのだろう。ザック・リーらは2012年に発表した研究でこの問題を追究した。 「彼らが調べたのは、気分を調整するためのフェイスブックの利用が自己制御欠陥(つまり フェイスブック依存障害)をもたらしているかどうかだった。要するに、フェイスブックには まるのは、コカイン依存症と同じようなものかを調べていった。依存症患者がハイになろう とするのと同じように、彼らも気分を上げようと努力する中でフェイスブックに取り込まれ ていくのだろうか。

私の患者でコカインを使用している人たちは、コカインを摂取しても気分が良くなるわけ ではなく、使用後は確実に気分を悪化させている。これと同様に、リーの研究チームが確認 したところでは、ソーシャルメディアへの嗜好は、気分調整欠陥や、さらには自己価値観 低下、社会的引きこもりの増加など、ネガティブな結果と相関していた。繰り返すが、ソ シャルメディアへの参加は、社会的引きこもりを増加させたのである。気分を良くするた に強迫的にフェイスブックにアクセスしたのに、あとで気分が落ち込むのだ。なぜか。それ は、悲しいときにチョコレートを食べるようになる場合と同じで、習慣的にSNSを利用し ても、そもそも悲しみの原因である根本問題が解決するわけではないからだ。私たちは単に、 気分を良くすることとチョコレートやフェイスブックを連合させることを学習したにすぎない。

さらに悪いことがある。写真やコメントを投稿した本人にとっては、最新の素敵な写真や 要を得たコメントの投稿自体が報酬となりうる。しかし、その投稿がほかの人には悲しみの 種となることがあるのだ。

マイリー・スティアーズらは、「他人のハイライト映像を見る―フェイスブックの利用が いかに抑うつ症状と結びつくか」という研究の中で、フェイスブック利用者が自分と他人を 比較して落ち込むのを確認した。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.110)

怒りそのものが「報酬」になってしまっている脳 ー 自他を巻き込む暴力

修養会の3日目のことだ。いろいろなことにとらわれて穴に落ちそうになり、早急にバラ ンスを取り戻す必要があった私は、そのことを思い出すきっかけとして自分に言い聞かせる 1つの言葉を考えついた。それは「大きく」という言葉だ。大きく、大きく、大きく。私に とって「大きく」とは、心が怒りで閉じはじめたときに、大きく、広く開くことを思い出す ための言葉だった。

その後、歩きながらの瞑想の時間に、私はまた怒りの空想のせいで我を忘れた。その心の 状態はとても引力が強かった。『ダンマパダ(発句経)』という仏典に、怒りの「根は毒であ り、その先端は蜜である」とある。私はこれから何を得ているのか。そう自問した。 「穴にずっとはまり続けているが、それでどんな報酬を得てきたのか?

答えは炎のように立ち現れた。 「何もない! 『根が毒で先端が蜜』の怒りを手にしているだけではないか!」

このとき初めて、私は、独善的な自己関連づけ思考にとらわれること自体が報酬になりう るときに理解したように思う。私の講習コースで禁煙をする人々が、タバコは本当はおいし くないと気づくように、怒りをもって大物ぶることから得られる縮こまった「熱狂」が続く のは、それ自体がその状態を維持しているにすぎないとようやく理解したのだ。私に必要だ ったのは、「復讐の旅に出る前に墓穴を2つ掘れ」という孔子の助言に耳を傾けることだった。

(略)

自分が集中の瞑想をするという目標に近づくどころか、怒りで堂々巡りをしていただけだ ったとはっきりと理解すると、視界が開けてきた。喫煙の魔力から覚めはじめた患者たちと 同じように、私も怒りの魔力から覚めはじめた。怒りが生じるのに気づくたび、それをやり 過ごすのがどんどん楽になっていった。すぐに怒りの毒を味わえるようになったからである。 誰かに棒で叩いてもらって「怒るのをやめよ!」と叱られる必要などなかった。ただ、自分 の怒りに気づけば、やり過ごせたのだ。

この修養会に参加してから怒りを抱かなくなったというつもりはない。今でも怒ることは ある。ただ、怒っても前ほど興奮しなくなり、怒りから報酬的な性質が消え去った。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.250)

幸せを科学するー仏陀はもう答えを出していた件

「ドーパミン発火 =幸福」という致命的な誤解

ミャンマーの瞑想の師、サヤドー・ウ・パンディタは著書『まさにこの生の中で』の中で、 「人は幸福を追い求めるとき、心を沸き立たせることを真の幸福と取り違えている」と書いている。

私たちはうれしい知らせを聞いたり、新しい出会いを得たり、ジェットコースターに乗っ たりすると興奮する。人類は、歴史上のどの時点かで、脳内でドーパミンによる発火が起こ ったときの感覚が幸福であると考えるよう条件付けられたのである。

忘れてはならないのは、この条件付けがおそらく、本来はどこで食べ物を見つけられるか を記憶できるように備わった力であって、「今、満ち足りている」という感覚を与えるための ものではなかったということだ。充足感(幸福)を定義する作業が、極めて主観的できわど いものなのは確かである。その科学的な定義をめぐっては、今後も激しい議論が続くだろう。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.113)

ドーパミンは「報酬」の記憶を残す。

研究室に入ると教授は私を机のところまで呼び寄せ、机の上のものを見るようにと手振り で示した。私はどうすればいいのか、戸惑っていた。机の上には何かをプリントした紙があ り、その上に別の紙が載っていた。

教授はゆっくりと上の紙片をずらし、下のプリントの一番上の行が見えるようにした。そ れは、私たちのクラスの成績表だった。私は混乱した。どうしてこのようなものを私に見せ

ようとしているのか?それから教授はまた紙片をずらし、次の行を見せた。そこには「1. ジャドソン・ブルワーA+」とあった。 「おめでとう。きみがトップだ。きみの力だよ」

教授はにこやかに言った。私は有機化学が好きだったが、一番になれるとは予想していな かった。その瞬間、私の側坐核はあふれ出るドーパミンでクリスマスツリーのように輝きだ したはずだ。まるでジェットコースターだ。興奮で震え、言葉が出なかった。

なぜ私は、このときの出来事をこれほど詳細に語れるのだろうか。それこそがドーパミン のなせる業だ。ドーパミンは、文脈依存記憶の形成に作用する。先が見えないときはとくに 顕著に働く。脳にとってそれは、ドーンと打ち上がる花火のようなものだ。

たいていの人は、このような人生のハイライトの瞬間を驚くほど鮮明に思い出せる。配偶 者がプロポーズに応えてくれたときの顔。最初の子どもが生まれたときの病院の部屋の細部。 私たちはこうした瞬間に生じた感覚を再体験しさえする。そのとき覚えた感情の高ぶりまで。 その感覚を思い出せるのは、脳の見事な働きのおかげなのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.172)

コカインと同じ「幸福」でいいですか?

私たちは、自分が何からストレスを受けているのか、よくわからなくなっているのかもし れない。私たちは日々、「あなたは幸福ではない。けれどもこの車を買えば、この腕時計を買 えば、すぐに幸せになれる」といった広告を浴び続けている。美容整形を受ければいつ 素晴らしい自撮り写真が撮れて、あたかもそこに幸せが待っているかのようだ。ストレスが たまったときに服の広告を見て(刺激)、ショッピングモールに行って服を買い(行動)、家に 帰って鏡の前で着てみると気分が良くなったりする(報酬)。このとき私たちはおそらく、繰 り返しのトレーニングをしているのだ。

では、その報酬を、私たちはどう感じているのだろう。その感覚はどのくらい続くのだろ う。最初に不-快を引き起こしたものが何であれ、その感覚は原因を解決して、私たちをよ り幸せにしているだろうか。 コカイン依存症の患者はハイになったときの感覚を「イラつく」「落ち着かない」「興奮し ている」、さらには「うろたえる」とさえ表現する。これらはとても幸福の表現とは思えない (実際、彼らは幸福そうには見えない)。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.114)

「興奮」と「幸福」を取り違えると、苦しみが待っている

ブッダは、人間のそのあり方を見据えてい たがゆえに、苦と幸福について次のような根源的な発言をしたのだろう。 「ほかの者が幸福と呼ぶものを聖者は苦と断じる。ほかの者が苦と呼ぶものを聖者は幸福と 考える」 ・ミャンマーのウ・パンディタ長老が、「私たちは興奮と幸福を取り違えている」と説くのも 同じ考えに基づいてのことだろう。彼によれば、興奮は私たちを迷わせ、苦から遠ざけるど ころか、そこに近づけていくという。

では、ブッダはどのようにして真正な幸福と苦との違いを見極めたのか。まず彼は、強化学習が働く基本的プロセスを次のように綿密に観察している。

人は感覚的快楽に溺れれば溺れるほどその快楽への渇愛が高まり、その快楽の熱に焼かれ るようになるが、それでもその快楽によって、ある程度の満足と愉楽を見出す

つまり、行動(快楽に溺れること)が報酬(愉楽)につながり、それが反復のプロセス(渇 愛、渇望)を生むというわけだ。ロマンチックな空想を次から次へと1時間も続けていると、 その興奮は渇望を強める。同じことは、私の患者たちがアルコールや薬物依存に陥ったとき にも起こっている。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.225)

報酬を引き出すためのレバーを押し続ける人生、それでいいのか問う

そろそろ、そのような自分に注意を向けてみたらどうだろうか。不安や強化学習の報酬が、 自分の身体と心の中でどう感じられているのかに注意を向けるのだ。一歩後ろに下がり、本当の報酬について顧みる余裕ができる程度にしばらくの間 レバーを押すことをやめてみれば、 どの行動がストレスを呼び寄せるのかが見えはじめてくる。そして、自分を本当に幸せにす るものが何なのかも(再)発見できる。すなわち、自分のコンパスの読み方を真に学べるの である。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.115)

ドーパミンが悪いのではない、ドーパミンに翻弄されていることが問題

この能力は1つの生存メカニズムだ。食べ物を得られる場所を思い出しやすくする ( 太古の祖先の場合)ことであれ、大学院でつらい時期を乗り切るための記憶であれ、それを可能 にするメカニズムなのだ。また、考えることそれ自体は悪ではない。学校で数学の問題を解 いたり、職場で新しい仕事のやり方を考え出したりすることは、人生を前に進める役に立つ。 休暇の計画を立てるから旅行ができるのであって、飛行機の予約なしではパリに行くのも難 しい。

しかし、そうして役立っているドーパミンが、ときに自分の足を引っ張ることにも、私た ちはそろそろ気づいていい。とくに自分”に関係することでは、インスタグラムやフェイ スブックにあまりに多くの時間を注ぎ込んでしまう。主観的バイアスに目隠しをされると、間 違ったシミュレーションに時間と心的エネルギーを奪われる。落ち着かないときや退屈なと きに空想にのめり込み、結婚式を思い出したり、将来の楽しい計画を思い浮かべたりするわけだ。

つまり問題は、思考とそれに伴うもろもろ(シミュレーション、計画、想起)ではなく、そ こにとらわれてしまうことなのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.174)

誰もが持っている主観的バイアス(脳の思い込み)を正しく知る

シミュレーションには「脳の思い込み」が紛れ込むー学歴・合格実績信仰

私たちの計画は、大学を卒業して、キャリアを築き、引退する――そして火星に移住する ―といったものだ。また、座って自分のことを考える時間もたっぷりある。これはいわば、 人生の次の段階をシミュレーションしているようなものだ。

頭の中でシミュレーションする場合、その成否を決めるいくつかの要因がある。時間的な 幅や、データの解釈などである。遠い将来のシミュレーションは、未知の変数が多くなりす ぎて精度が低下する。小学校6年生が、自分がどの大学に行くかを予測するのは、高校3年 生が同様のシミュレーションをするよりもずっと難しい。高校3年生のときには、自分の学 校の成績も大学進学適性試験の点数も、どの大学に願書を出したかもわかっている。けれど も小学生のころには、どんな種類の大学に行きたいかさえわからないのが普通だ。

しかし、おそらくそれよりも重要なのは、データの質とデータをどう解釈するかだろう。そ れ次第でシミュレーションから生まれる予測は大きく歪められてしまう。ここで主観的バイ アスが働く。世界をありのままの姿ではなく、自分の眼鏡を通して自分が見たいように見る からだ。

私が高校2年生のとき、学校でプリンストン大学の募集説明会があった。説明を聞いたあ と、私たちは俄然やる気になり、その日は1日中、プリンストンに入ってゴシック建築の丸 天井のチャペルでコンサートを聴いたり、ボート競技チームのトライアルを受けたりしてい る自分の姿を想像して過ごしたものだ。

だが、プリンストンに合格する人の適性試験の平均が1450点で、自分の点数が120 0点だったとしたら、いくら私たち自身や友人や親たちが私たちを有能だと考えていたとし ても、どうにもならない。現実には、オリンピックに出場できそうだったり、親が施設をま るごと1つ(か2つ)大学に寄付していたりしないかぎり、頭の中でどれほどシミュレーシ ョンを繰り返そうとも、プリンストンに入れる可能性は限りなく低い。主観的バイアスは、現 実の世界を私たちの見方に合わせてはくれない。仮にそうなると思い込んで行動したりすれ ば、間違った方向に進んでしまうことだってある。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.123)

変われない。学習性無気力【なぜDVの被害者はDVに気づかないのか】

なぜ「自分がない人」ほど依存に陥るのか? ードーパミン依存

患者とのやり取りについてさんざん思い悩んだ末(そのときはわからなかったが、実はまっ たく周りが見えなくなっていた)、ある日、頭の上で電球がパッと灯ったように突然ひらめいた。 こう考えたのだ。人は安定した子育てが受けられなかった場合にどうなるのだろうと。

私はオペラント条件付けの観点からBPD患者を見はじめた。BPDの人が、子ども時代 に予測可能なフィードバックを安定して受け続けることなく、スロットマシンのような育て られ方をされていたらどうなのだろう。安定した強化ではなく、間欠強化を余儀なくされて いたら……。

そこで私はちょっとした調査をはじめた。BPDの人の子ども時代に最もよく見られる特 徴は、母親の愛情が薄いことと、性的、身体的虐待とされる。私の患者たちもこれを裏づけ ていた。育児放棄と虐待の話は頻繁に耳にした。問題は育児放棄のタイプだ。突っ込んで尋 ねてみると、親はときどきは温かく愛情を注いでくれたという。そしてときには、正反対に なる。子どもは、ママやパパが帰ってきて自分を抱きしめてくれるか、それとも殴られるか、予測がつかなかったのだ。

答えが見えはじめた。そして、ある患者の最近の行動について考えながらホワイトボード の前に立っているときに、突然すべてがあるべき場所に収まった。

患者たちの症状。そして師のアドバイス。それらが結びついて意味を持ちはじめた。BP D患者は人との関わりの中で予測可 なルールを持てなかったために、安定した自意識を発 達させられなかったのだろう。彼らの脳は、どうすれば愛されていると感じ続けることがで きるか、少なくとも苦しまずにすむか、その方法を見出そうとずっとシミュレーションを繰 り返してきた。これに比べれば私のアームストロング依存などたいしたことはない(少なく とも本人が告白した段階で、シミュレーションは完全に消えた)。レバーを押し続けるラットのよ うに、あるいはフェイスブック に投稿し続ける人のように、彼らは無意識のうちにもう一度 ドーパミンを得られる方法を探していたのだ。

私がセッションを延長すれば、彼らはそれを特別と感じる。行動と報酬だ。「本当に必要」 という理由で追加のセッションの予定を入れれば、彼らはやはり特別と感じる。行動と報酬。 うぶだった私は、彼らが「危機的状況」にあるかどうかがわからず、その場でどうすれば最 善かを決めなければならなかったのだ。つまり、患者だけでなく私も、自分の行動の予測が 付かなかったわけだ。 患者たちは、最も基本的な意味で愛してくれる人、安定した愛着と予測可能な案内図を示 してくれる人(この場合、私)を求めていた。彼らは無意識のうちに、私がそういう人である ことを示唆する行動を私に取らせようとしていた。そして、私が何らかの一貫しない行動を 取ると、彼らは最たる強化である間欠強化を受けるはめになる。私は知らないうちに彼らの行動を強化していたのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.135)

「不健全に他人にのめり込む人」に対処する方法ー過保護な親から心を守る

報酬学習というこの新しい レンズを通して見ると、患者の考え方がよくわかり、彼 感さえできるようになった。たとえばBPD患者独特の特徴として、人間関係を極端に理想 化していたかと思うと、急に貶めたりする(以前の私はこの特徴に混乱させられていた)。矛盾 しているではないか。具体的に言うと、ある日、新しい友人や恋人がいかに素晴らしいかを 力説していたかと思うと、数週間後にはその相手は「クソったれリスト」入りしているのだ。

新しい関係が始まると、彼らは暮らしを安定させようと、すべてをその関係に注ぎ込む。誰 だって注意を向けられると悪い気はしないわけで、この努力は双方のためになるように思える。しかし、慣れていくに従い、相手のいい気分は薄れていく状況が生じる。

BPDの人による過剰に献身的な振る舞いを経験すると、「これはいったいどうしたのだ」 と、ある時点で懸念に変わることがある。息苦しさを感じはじめ、こののめり込み方は少し 不健康なのではと感じた相手は、一歩身を引くようになる。すると患者はそこに不安定さの影を感じ、さらにアクセルを踏み込んでいく。 「いけない、また大事な人を失いそう。私のすべてを投げ出すのよ」 

ところが、これが逆効果となる。こうして相手との関係は壊れ、またしても患者は特別セ ッションを求めて私に電話をしてくるのだ。

ある患者などは、父親に見捨てられそうだという感覚が引き金となり、職場を変えたり付 き合う相手を変えたりということを100回近く繰り返した。安心を得ようと懸命になるあまりの結果である。

これに気づいた私は、単に患者からの攻撃を避けながらそのたびごとのセッションを乗り 切っていく姿勢をやめ、意味のある質問を投げかけられるようになった。改訂のたびに内容 が変わる不可解な治療マニュアルを読み解こうと努力する代わりに、自らBPD患者の気持ちになり、一時的な救いになりそうな次のドーパミンのもとを、つねにイライラしながら探 し求めている状況を自分で想像したのだ。

こうすれば問題の核心を直接つかめる。私はもはや、BPD患者に「特別」セッションを 行わないことに悩んだり、罪悪感を抱いたりしなくなった。なぜなら、特別セッションが彼 らにとって助けになるどころか、有害であることがはっきりと見えたからだ。私は医師とし て「まずは害をなさない」というヒポクラテスの誓いを立てている。なすべきことは明らか だった。 BPD患者をこのように見て、その枠組みから学ぶことで治療は前よりも容易になった。患者が自己と世界についての安定した感覚を発達させる手助けができるようになったのだ。ま ずは、セッションをつねに決まった時間にはじめ、決まった時間に終えるというごく単純な ルールを固定化し、間欠強化を与えないようにする。こうすることで、安定した学習と馴化をもたらせた。信じられないほど単純に見えるかもしれないが、驚くほど効果的だった。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.137)

 

「快感そのもの」よりも「快感を予期させるもの」に反応する脳 

報酬学習は人間が生き延びるための特別な恩恵をもたらした。おかげで、私たちはどこで 食べ物を見つけ、どこで危険を避けるべきかを記憶できるようになった。

ではなぜテクノロジーはそれと正反対の、私たちを危険にさらすような真似をするのだろ うか。第2章で、テクノロジーのある種の因子が自分自身に関わる報酬学習の機会を与えて くれることを概説した(簡単なアクセスや手っとり早い報酬など)。 第3章では、サルがある行動に対して報酬(ジュースをひと口)を得ると、側坐核のドーパ ミン・ニューロンが活性化したというウォルフラム・シュルツの画期的な実験を簡単に紹介した。

ドーパミンに対するこのニューロンの反応は長時間持続しないため、「一過性(相動性)発 火」と呼ばれる。ドーパミン作動性ニューロンはしだいに、報酬を得てもこの種の発火をし なくなり、低レベルの「持続性」の活動に戻っていく。現代の神経科学は、この一過性発火 が行動と報酬の結びつきを学ぶ手助けをしていると考えている。

そして、魔法が起きる。行動と報酬がいったん結びつくと、ドーパミン・ニューロンの一 過性発火のパターンが変化し、報酬の発生が予測できる刺激に対して、脳が反応するようになるのだ。ここで、報酬学習の舞台に「引き金(刺激)」が登場する。 「誰かがタバコを吸っているのを見ると、突然タバコへの渇望を感じる。焼きたてのクッキ ーの匂いを嗅ぐと、その味を予想して口の中につばがたまる。最近怒鳴られた相手がやって くるのを見ると、すぐに逃げ道を探しはじめる。これらは単純な外的な手がかりで、私たち は学習によりその手がかりと報酬行動とを結びつけている。実際にクッキーを食べたり相手 とけんかをしたりするわけではない。脳が次の事態を予測するのだ。

私の患者たちもそうだ。依存の対象が何であれ、それを予期してうずうずしている。とき には私の診察室の中で、ただ単に前にやってしまったことを思い出すだけで、それが軽い引 き金になったりする。記憶だけでも十分ドーパミンを引き出すわけだ。映画でドラッグのシ ーンを見るだけでもドラッグが欲しくなることもある。そのうずうず感は、その渇望の波を 乗り切る心のツールを持ちあわせていなければ、実際に薬物でなだめるしかないー。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.150)

「期待させるくすぐり」に脳はめっぽう弱い ードーパミンに頼りがちな脳

少し紛らわしいかもしれないが、興味深いのは、このドーパミン・ニューロンは引き金を 目にしたときに予測モードに入るだけではなく、予期せぬ報酬を受けたときにも活性化する ことだ。 では、報酬を予測するときも、予想外の報酬があったときにも脳が活性化するのはなぜだろうか。第3章で見た「お前は賢い」と親に言われ続けた例を振り返ってみよう。テストで 初めてAを取って学校から帰ったとき、過去に経験がないと親がどう反応するかわからない。 そっとテスト用紙を手渡し、親の様子をうかがうだろう。そこは未知の世界であり、脳は何 も予測できないのだ。そして親に初めて褒められたとき、脳には一過性のドーパミンがあふ れ、それが出発点となって、以後、これまで説明してきたような報酬学習と馴化のプロセス が始まる。初めてC評価をもらって帰ってきたときも同じだ(親はどう思うだろう?)。この ようにして、私たちは日常世界の地図を作り上げていく。

子どものころ、友だちのスージーと遊ぶ約束をしていた。約束の時間に彼女がやってきた とき、私は楽しい時間を予期していた。ところが彼女は入ってくるなり、私がなんてひどい 友だちかをまくし立てはじめた。そんなことを予想していなかった私のドーパミン系は荒れ 狂った。次にスージーと会うときには、どんな会話ができるかわからず、少し用心深く彼女 の顔色をうかがうことになった。

今では、これが生存上の利点となるのがわかる。誰を信頼できるか、信頼できないかを予 測できれば、生存のために有利に働く。一般的に言うなら、信頼の貯蔵庫,を作る道具を持 っていることが大事なのだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.151)

速すぎる時代で大切になる「遅い」回路

頭の中の「天使と悪魔」を脳科学的に説明すると…… ホット/クールな回路、像/象使い

神経科学者は、私たちの脳の中に、ミスター・スポック(合理的な心)とカーク船長(情熱 的で、ときに不合理になる心)に相当するバランスの仕組みがあることを明らかにしはじめて いる。実際、『ファスト&スロー』(邦訳 村井章子訳、早川書房刊)の著者であるダニエル・ カーネマンは、この分野の業績で2002年のノーベル経済学賞を受賞した。カーネマンら はこの2種類の考え方(心)をシステム1、システム2と名付けた。 システム1はより原始的かつ感情的なシステムで、カーク船長のように衝動と感情に基づいて迅速に反応する。このシステムに関連する脳領域は、内側前頭前皮質と後帯状皮質な ど正中線に近い部分である。これらの領域は 何か自分に関連したことが起きたときにつね に活性化する。たとえば自分について考 り、空想にふけったり、渇望が生じたりした ときだ。システム1は「私は~したい」とい う衝動と、直感(瞬間的な印象)に対応する。 カーネマンはこれを「速い(ファスト)」思考 と呼んだ。 システム2は脳が最後に進化した部分で、 人間を人間たらしめている高次の能力を発揮 する。機能としては、計画、論理的推論、そ してセルフコントロールなどに対応する。こ のシステムの脳領域としては、背外側前頭皮質がある。もしバルカン人の脳が人間と同 様だとしたら、ミスター・スポックの背外側 前頭前皮質は、貨物列車のようにゆっくり着実に絶対に脱線しないように働いていること だろう。「スローな」システム2は、「自分はどうでもいい。なすべきことをなせ」という タイプの思考を表していると考えられる。

(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.161)

 

主体性を発揮できない課題は「煩悩」

マリア・メイソンらは、心がさまよっているときに実際に脳で何が起きているかについて 研究をはじめた。彼らは被験者を募ると、いくつかの課題に習熟してもらった。それらはあ まりにも退屈で否応なしに「心がさまよいだして」しまうような課題だった。そして、これ らの課題をしているときの脳の活動と、新しい課題をしている間の脳の活動とを比較した。そ の結果、習熟した退屈な課題をしているときは、新しい課題よりも内側前頭前皮質と後帯状 皮質の活動が高いことがわかったのだ。

(略)

内側前頭前皮質と後帯状皮質は、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれ る脳内ネットワークの中軸だ。DMNがいかなる機能を果たしているか、正確なところはい まだ議論の真っただ中にあるが、「自己関連づけ」処理の際に活動が顕著に高まることから これは「ミー」ネットワーク、つまり自己を内的世界や外的世界に結びつけるものとして機 能していると考えられる。

たとえば、過去の自分についての記憶を思い出したり、2つの車種のどちらを買うか選ん だり、ある形容詞が自分に当てはまるかを判断したりするときに、DMNの活動は高まる。こ れらの思考はみな「自分」という特徴を共有しているからだと考えられる。「私は覚えてい る」「私は判断する」というように。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.180)

「煩悩」は「自己関連づけ」

先述のメイソンやワイスマンのような論文が次々と発表され、DM Nと自己関連づけ(自己へのとらわれ)的プロセスと心がさまようこととの相関関係が示され、 それらの間のつながりがわかってきた。また、キリングスワースの、私たちの心は1日のう ちの半分はさまよっているとする研究(157ページ)も、この図式にうまく当てはまる―私たちがもともと夢想しがちにできているとしたら、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)という名称は実にうまくネーミングできている。

レイクルの先駆的な研究が発表されてから10年後、MITの神経科学者、スー・ホイット フィールド=ガブリエリが疑いの最後の一片を吹き払った。 彼女が設計した実験はエレガントなほど単純だった。被験者に、明らかに自己関連づけ課 題(形容詞を見て、それが自分に当てはまるかどうかを言う)と、安静状態の課題(とくに何もし ない)をしてもらったのである。ベースラインとして安静状態を使うのではなく、この2つの課題を直接比べた結果、どちらの課題でも内側前頭前皮質と後帯状皮質が活性化すること を確認した。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.183)

瞑想は「自分語り」をやめること

私たちはデータを分析しながら、瞑想の熟練者の脳には何かしらの活動の増加が見られる ものと予想していた。彼らは瞑想中、結局のところ何かをしているからだ。瞑想は休憩では ない。それとは掛け離れたものだ――私たちはそう考えていた。ところが、彼らの脳全体を 見てみると、初心者以上に活動している領域は1つも見当たらなかった。私たちは頭をかき むしり、もう一度見直してみたが、やはり何も見つからなかった。

そこで私たちは反対に、熟練者の脳で初心者よりも活動が低下している領域はないかと探 してみた。これが大当たりだった。4つの領域で活動低下が見られたが、そのうち2つはD MNの中核である内側前頭前皮質と後帯状皮質だった。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.186)

瞑想は、対象をバイアスなしに観察すること

驚くべきは第2の結果だ。サントヨは、「コントロール」という分類を作っていた。自分の 経験をコントロールしようと努める活動を集めたものだ。この活動は、PCCの活動の上昇 と一致していた。一方、「努力なしの行為」という分類は、PCC活動の低下と相関した。こ れらのデータを合わせて見ると、PCCの活動と同期するのは、主観的経験の「モード」であることが明らかになった。つまり、対象の知覚ではなく、対象にどう関わるかが問題なの である。

私たちが状況(人生)をコントロールしようとするなら、望ましい結果を得るために懸命に何かをする必要がある。これに対し、リラックスして、対象とダンスをするような態度がとれれば、状況の展開に合わせて、ただそれと共にあることができる。そこには努力も、苦闘もない。自分で自分の邪魔をするのをやめ、その一瞬一瞬に起きていることにただ気づい ているだけでいいのだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.196)

瞑想は「私の思考」と「私」とを切り離す。練習である 

瞑想は、こうした思考や感情の経験に気づきながら、それらから距離を置くための自己訓 練である。その経験が何であるかをただ見て、それを自分に関係するものと考えないように する。PCCはおそらく、報酬学習を通じて私たちを経験に結びつけているのだろう。私た ちは、精神的、身体的に力んで縮こまることを通して、それを、「私が」考えている、「私が」 欲しがっていると学習してしまうのかもしれない。これにより、思考と感情が強固に結びつ いていく。 「私たちは特殊な眼鏡を通して繰り返し世界を見ているため、ついにはその見方をそのまま、 自分のあり方であると受けとるようになりがちだ。自己像があること自体は問題ではない。朝起きたときに自分が何者であるかを覚えているというのは、非常にありがたいことだ。しか し問題は、自分の生活の物語にからめとられてしまったとき、それを(良くも悪くも)どの程 度自分に関係するものとして受けとるかだ。

空想に溺れたり、反芻思考に巻き込まれたり、渇望に襲われたりするとき、私たちは身体 の中で、そして心の中で少し固くなり、狭くなり、縮み、閉じこもるように感じる。興奮で あれ、恐怖であれ、罠はいつでも待ち構えているのだ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.200)

 

未熟な愛、成熟した愛ー見返りを渇望するかしないか

自分への報酬のために人を利用するのは愛ではない

仮に自分の基本的な考え方の枠組みが愛(気遣い)を求めることだったとしたら、相手も 自分と同じものを求めていると考えてしまうだろう。そのため、一歩引いて相手の視点から 正しい現実を見つめようとしない。ましてや、相手が息苦しく感じているとは想像もできず、 よりいっそう相手に愛情を注いでいく。

別の言い方をするなら、BPDの人は過去の報酬学習に問題があり、人間関係における出 来事の結果を予測するのが困難なのだ。薬物依存者が大半の時間、薬をどうやって手に入れ るかで頭がいっぱいなのと同じように、BPDの診断を受けている人も、心の深い空しさを 埋める方法として知らず知らずのうちに人の注意を引こうとしているのかもしれない。人の 注意を引けば、一時でもドーパミンがハイな気分をもたらしてくれる

すでに見たように、このようなタイプの学習の失敗は良い結果を生まない。エネルギーを 無駄に使ったあげくに、求めた安定した人間関係は得られず、人生全体も思うようにいかな くなる。こうした傾向を10倍に強めると、病的と呼ばれるパーソナリティー特性になる。B PDに特徴的な情緒的な不安定さもその1つだ(患者にとっては本当にこの世が終わるかのよう に感じられる危機が頻繁に訪れる)。BPDの人は混乱し、激しく何かを求め続け、そのことに 疲れ果ててしまう。これはすべて、単純な学習プロセスのねじれから生じているのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.141)

「自分語り」の回路は、バイアスをかけるー現実を歪める興奮状態

私の昔の恋愛話を報酬学習の観点から見てみよう。すると、あの宝探しの騒ぎが何だった のか見えてくる。この場合もやはり、私は知らず知らずのうちに「彼女が唯一絶対の相手で ある」という主観的バイアスを強化する方向に自分を誘い込んでいた。

(略)

私の感情は燃え上がっていて、いわば無敵の状態にあったため、操縦席の計器盤に現れる 指示をすべて無視した。私が操縦するこの飛行機は、燃料が切れかかっているわけでも、墜 落しそうになっているわけでもない。燃料は恋愛から補給している――そう思っていた。

実際のところ私は、恋愛という麻薬を吸っていたのだ。薬が切れて甘んじて批判を受け入 れられるようになるまで6カ月かかったが、あのプロポーズの日は私の最後のドラッグパー ティーだったと言っていい。あの日の準備をしている自分の姿を思い出せばわかる。興奮と 期待の波が次々と押し寄せて来ていた。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.206)

驚きに値しないと思うが、ドーパミンを生む脳領域(腹側被蓋野)の活動は恋愛感情に反応 して高まることがわかった。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.209)

恋愛は「自分」への没入である可能性

アーロンとフィッシャーらの研究に話を戻そう。彼らは脳の報酬中枢だけでなく、後帯状 皮質(PCC)の活動にも目を向けた。思い出してほしいのだが、PCCは自己関連づけ(自 己へのとらわれ)と最も強く結びついている領域なのだ。前章では、PCCの活動上昇がいか に「自分」を示唆するかを見た――物事を自分に向けられているものと捉え、それにとらわ れてしまうパターンだ。 「アーロンらの研究チームは、恋愛がはじまってからの期間が短いほどPCCの活動が大きいことを確認した。言い換えれば、新しい恋ほどPCCは燃え上がる。その後、恋愛関係が 落ち着くにつれ(大ざっぱに言って時間が経てば落ち着くとして)、PCCの活動も落ちていく。

この事実は、私たちが新しい人間関係や、物事が始まったばかりで先の展開が見えない状 態で相手を追いかけるスリルにどれほど没入しているかについて、手がかりを与えてくれる のではないだろうか。新しい相手と付き合いはじめるとき、私たちは相手の気を引こうと、あ らゆることをするだろう。けれども、そこで本当に念頭に置いているのは誰なのか? 自分 だ。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.210)

依存症的な愛と「成熟した」愛

フィッシャーはTEDトークの中で、恋愛は依存症だと述べている。 「あなたはその人に注意を集中する。あなたはその人のことばかりを考える。あなたはその 人が欲しくてたまらない。あなたは現実を歪めている」 あなた、あなた、あなた。それは実は「私」と言っているようなものだ。私、私、私――。 誰にとっても、多かれ少なかれこうした経験があるだろう。付き合いはじめのころは、そ の相手が「自分」にとって良い相手かどうかを確かめようとする。2人のどちらか、あるい は両方がこうした自己中心的な部分を持ち続けると、いずれ関係がぎくしゃくしはじめるか もしれない。私」を軸に物事を捉え、これでなければ、あれでなければと言っていると、そ の関係はしだいに壊れていく。

子どもを大切に思ったり世界を救おうとしたりするのは依存症ではない。依存症とは、欲望を満たす渦に巻き込まれることだ。それも、何度も何度も

では、強迫的で依存症的な恋愛と、ケント氏が見せたような「成熟した」愛の違いは、そ のほかのタイプの愛にも特徴的な脳の活動があることを示唆しているのだろうか。

古代ギリシャ語には、愛を表す言葉が少なくとも4つあった。エロースは性的な、あるい は情熱的な愛。ストルゲーは親子の情愛。ピリアは友愛。アガペーはあまねく行き渡る無私の愛である。

最初の3つは極めてはっきりしている。だが、アガペーはやや謎めいた言葉だ。たとえば、 キリスト教徒は神が神の子(信者)たちに与える無条件の愛をアガペーという言葉で表す。こ の感覚は双方向で、人間に対する神の愛にも、神に対する人間の愛にも使われる。この言葉が持つ無条件で無私の愛の本質を表そうとする努力の中で、ラテン語では caritas (カリタス) と訳された。これが英語の「charity(慈悲、慈善)」の語源である

では、これらの愛の概念はそれぞれどのような意味を持つのか。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.212)

「成熟した」愛は「自分語り(シミュレーション)」をしない

慈悲の瞑想を行った熟練者 は一様に、力んだ興奮とは真逆の、温かさや広い気持ちを感じたと報告した。

この研究結果はさらに、愛についての謎に少しばかり光を投げかけてくれた。それまでの 研究で、被験者が母親や(恋愛自体に夢中になりすぎていない)恋人同士の場合、PCCの活 動が低くなることはわかっていたが、私たちのデータも、愛が必ずしも自己中心性と関連す る脳領域を活性化させるわけではないことを裏づけた。愛は何でもかんでも自分に関わるも のとはかぎらない。実際、愛をつねに自分中心に考えようとすると、愛が持つ広大で深い意 味に満ちた次元を見落とす危険性がある。

この結果は、アーロンとフィッシャーの考えとも一致する。彼らはPCCの活動の増大で、 人を愛しているのか、愛に「依存」しているのかを見分けられると考えていた。興味深いこ とに、私たちの研究から、恋愛中(コカイン依存症でも)に活動することがわかっている報酬回路が、慈悲の瞑想中ははっきりと鎮まっているのがわかった。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.218)

「喜び」に至るための寛容の心

前章で触れたが、「喜び」は集中に欠かせない要素である。改めて繰り返すが、落ち着きの ない乱れた興奮ではなく、おおらかで、落ち着きを感じられる喜びが不可欠なのだ。怒りや 未来を先取りした興奮は、私たちを集中から遠ざける。だからこそ、どのような活動が喜び の状態を育むかを知っておく必要がある。

瞑想の訓練中に、私は上座部仏教の教えの1つである3つの「段階」の教えを学んだ。そ れは寛容から始まり、次に徳行に進み、これらを実践したあとで初めて瞑想で行うような心 的な開発へと至る。結局のところ、「1日中嫌なヤツになって動き回ったあとでは、座って瞑 想するのは難しい」というのが、伝統からも実体験からも得られる大切な洞察なのだ。 なぜかというと、私たちが何かに集中しようとするとすぐに、その日にあった感情的な事柄が次々と頭に浮かんできて集中どころではなくなるからだ。1日の間に嘘をつかれたり、騙されたり、何かを盗まれたりすることなく瞑想の場に来れば、それだけ「捨てるがらくたが 少なくなる」。これは、集中法を専門に訓練する瞑想教師、リー・ブラシントンがよく言うこ とだ。では、この種の徳行が第二段階だとしたら、第一段階の寛容とはどういうことだろうか。

寛容になっているとき、どう感じるだろうか。気分が良く、おおらかで、喜ばしい気持ち になるだろう。寛容の実践を続ければ、手放すことがどんな感じかわかってくるはずだ。誰 かに贈り物をするとき、私たちは文字どおりものを手放す。だが、寛容にもいろいろある。

見返りを期待して贈り物をするとどうなるか。人に認めてもらうことを期待して巨額の寄 付をした場合、喜びを感じるだろうか。上司やデートの相手に好印象を与えようとドアを押 さえているとき、どんな満足が得られるだろうか。タニッサロ・ビックーは「条件なしー 仏教文化の寛容」というエッセイの中で理想の贈り物を表す3つの要素を示すパーリ語仏典 の一節を取り上げている。 「贈り主は、贈る前は嬉々として、贈っているときは心が浮き立ち、贈ったあとは満足する」 この流れは報酬学習を思わせる。贈り主が嬉々として(刺激)、贈っているときは心が浮き立ち(行動)、贈ったあとは満足する(報酬)というわけだ。 「ドアを押さえておく場面を2つの方向から眺めてみよう。最初のデートで相手に好印象を 与えたい。そこでドアを開けて相手のために押さえておく。このとき、自分がよくやってい るという何らかの信号(報酬)を相手に期待していると、「ありがとう」とか「気が利くね」 といった言葉や、少なくとも感謝の会釈くらいはもらえるものと考えるかもしれない。仮に そうした反応が得られなければ、期待外れで気分が悪くなる。

このような「人に認められない」状況は、つねに他人を助けている人が感じがちな「燃え 尽き体験」の原因になっていたりする。他人のために行動しているにもかかわらず、相手の 感謝の気持ちを感じられず、疲れ切って帰宅するのだ。彼らはいわば、現代の殉教者なのか もしれない。

では、何の見返りも望まずにドアを押さえておくとどうだろう。期待するものは何もない 場合だ。デートの相手が感謝を表そうと表すまいと関係ない。それでも、ドアを押さえてあ げるのは気分の良いものだ。理由は、その行為そのものの中に報酬があるからである。 「与えることは快い。とくに、裏の期待で汚されていないときには。そこには何の条件もな い。パーリ語仏典の一節が示しているのは、そういうことだろう。無私の施しをするときは、 別に何も支払っていないのだから、あとで後悔する心配はない。内在的な報酬が満足感をも たらすのみであり、その記憶が次も同じ行動を繰り返させる。 

寛容が健康にも好影響を及ぼすことは、多くの科学的研究が立証している。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.259)

愛着(執着)なき思いやり

ここで登場するのが「思いやり」(compassion)という概念である。compassion という英語 は、ラテン語の compatiに由来する。これは「共に苦しむ」という意味である(患者 patient – pati=苦しむ = の派生語)。では、思いやりを持つ練習をすれば、呑み込まれることなく苦痛を 共有できる(つまり「彼らの痛みを感じる」)のだろうか。実は、そうかもしれない。 「呑み込まれる」としたら、そこには呑み込まれる「自分」がいる。だが、本書を通じて語 ってきたように、自意識を維持する方法は1つではない。物事を自分に向けられていると受 けとらないようにすること、つまり、物事を「自分にどう影響するか」という視点で見ない ようにする方法を学べば、多くの可能性が開けてくる。

仏教的な枠組みで言えば、習慣と主観的反応を捨てれば苦しみも消える。チベットの精神 的指導者、ダライ・ラマは著書『思いやりのある生活』(邦訳 沼尻由起子訳、光文社刊)の中 でこう語っている。 「愛着を持たずに思いやりを持つことはできる。それゆえ、思いやりと愛着の区別は明確に しなければならない。真の思いやりは感情的反応であるばかりでなく、理性に基づく揺るぎ のない献身でもある。この強固な基盤があるがゆえに、他者に対する真の思いやりの態度は、 たとえ相手が否定的に振る舞ったとしても変わることはない。真の思いやりはこちらからの 予想や期待に基づくのではなく、相手側の要求に基づいている。相手が友人であろうと敵で あろうと関係ない。これが真の思いやりである」

傷つけられまいと自分を守るために縮こまる感覚は、自己防衛に基づかない反応とはまる で異なる。距離を置いて苦しみに立ち会うことで引き起こされるこの別の種類の反応をはっ きりと理解できれば、報酬学習に基づく反応(自衛的)と真の思いやり(無私)とを区別でき るようになるだろう。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.293)

 

自己イメージを変えるための『マインドセット』

マインドセット

変えられない、を変えるためには、人を信頼すること。

頭の中にあるチェックシートの枠組みを形作っているのがマインドセットである。それが解 釈全体を一定の方向に導いてゆく。マインドセットが硬直していると、内なる声は自分や他人 の品定めばかりするようになる。「これは私が敗北者だということだ」「これは私がみんなより も優れているということだ」「これはぼくが悪い夫だということだ」「これはパートナーが身勝 手な人間だということだ」といったぐあいに。

硬直マインドセットの人が、受けとった情報をどのように解釈するかを調べてみたところ、 どんな情報に対しても逐一、極端な評価を下していることが明らかになった。良いことが起こると、過度にポジティブなレッテルを貼ってしまうし、逆に、悪いことが起こると、過度にネガティブなレッテルを貼ってしまうのである。

しなやかマインドセットの人も、身に起こることを絶えずモニタリングしている点に変わり はないのだが、内なる対話で問題にするのは、そのような自分や他人の評価ではない。情報がポジティブなものか、ネガティブなものかということも敏感にとらえてはいるが、関心の中心 はあくまでも学習や建設的行動に向けられている。この体験から何を学びとることができるか。 どうすれば自分を向上させることができるか。どんなふうに手助けしたらパートナーがもっと 良くなってくれるか、など。 (『マインドセット』キャロル・S・ドゥエック p.305)

硬直マインドセットだと、認知療法も効かない?

ところで、認知療法の基本は、極端な判断をしないで、穏当な考え方ができるように導いて いくことにある。たとえば、試験の出来が悪かったアラナが、「私は頭が悪いんだ」と結論を 下したとする。認知療法では、もっと事実に即した見方をするように教える。つまり、その結 論に合うような出来事や、結論に反するような出来事を1つひとつ探していくのである。以前 に私はこんなこともしたっけ、あんなこともしたっけと、自分の優れた面をたくさん思い出したアラナは、「私はそれほど無能ではないのかもしれない」と思うようになるだろう。

頭が悪いわけではないのに、なぜ試験の出来が悪かったのかについても考えるように仕向け ていけば、ますます前向きな考え方ができるようになる。そして、今述べたようなことを自分 でできるように指導すれば、今後、ネガティブな判断を下しそうになったとき、自分でそれを 修正して、落ちこまずにすむようになる。

このように、事実に即した穏当な判断ができるように援助するのが認知療法である。しかし、 硬直マインドセットと品定めの世界に陥っているかぎり、その人を認知療法で救いだすことは できない。なぜかと言うと、その人の根底にある大前提―――人間の資質は変えようがないー が変わらないからである。言いかえると、人を品定めの世界から連れだして、成長をめざす世 界へと導いてゆく力は、認知療法そのものには存在しないのである。 (『マインドセット』キャロル・S・ドゥエック p.305)

 

自己イメージを偽る習慣が、自己欺瞞を生み、自己が抑圧される『残酷すぎる成功法則』

残酷すぎる成功法則

さて、自分のストーリーがありながら、それが効果を発揮しなかった らどうすべきか? あなたは自分がどんな人間か、自分にとって何が重 要かわかっているつもりだが、なぜかうまくいかず、目指しているとこ ろへ行けない。そんなことはないだろうか?

自分の人生の脚本家として、そろそろ別ルートを探る時期かもしれな い。じつはセラピストたちも「物語の編集」と呼ばれる過程で、患者がこの作業をできるように助ける。 

バージニア大学教授のティモシー・ウィルソンの研究では、セラピス トたちが成績の振るわない学生を対象に、学業問題に対する認識を「私 はこれができない」から「コツを習いさえすれば大丈夫」に再解釈させ た。すると、翌年彼らの成績は上がり、中退率が下がったという。「物

語の編集」はしばしば抑うつ剤並みの、あるいはそれ以上の効果を発揮することが研究で示されている。

では、自分のストーリーを編集したら、次にどうするべきか? 役を 演じ切ることだ。数多くの心理学的調査によると、行動が私たちの信念 に従うかわりに、私たちの信念が行動によって形作られることが少なくない。昔からのことわざにあるように、「行動は言葉より雄弁」なの だ。まず行動を変えることから始めるこのやり方を、ウィルソンは「いい人になる前に、良い行いをする」方法と呼んだ。たとえばある人がボ ランティア活動を始めれば、自己認識が変わる。自分自身を、他者のために良いことをする人間だと見なすようになる。

カート・ヴォネガットの小説、『母なる夜』(早川書房)で、主人公 ハワード・キャンベルは第二次世界大戦中、アメリカのスパイでありながら、ナチスの宣伝活動員を装っている。ナチス・ドイツのラジオ番組 の声となり、表向きは第三帝国を礼賛しながら、じつはアメリカ向けに 暗号メッセージを送信していた。たしかに意図は正しかったものの、 キャンベルはある事実に気づく。自分が送る機密諜報が同盟国を援ける 効果より、偽のラジオ・メッセージが敵の士気を鼓舞する効果のほうが 大きいということに。この小説の教訓は、「我々は、表向き装う者に なっていく。だから何者を装うかに慎重を期する必要がある」というこ とだ。

そんなわけで、意図を重視するだけでなく、自分が日々の行いを通し て、理想のストーリーの主人公になりきっているかどうかに気を配るべ きだ。そうすれば、ハワード・キャンベルのような末路をたどることなく、別の架空のキャラクター、〝ドン・キホーテ〟の道を歩むことがで きる。セルバンテスの物語の教訓も、「騎士になりたければ、騎士のように振る舞え」だった。

ヴィクトール・フランクルは、アウシュビッツ収容所で生き残った。 煙草も吸わず、有刺鉄線へも飛び込まなかった。九二歳という高齢まで 生き抜き、のちに世界に広がった新しい精神療法(ロゴテラピー)を創始した。強制収容所で自らが生き続ける原動力となったストーリーのこ とを広く伝え、やがてそれが人びとに生き続ける力を与えた。 

どのみち私たちは、ストーリーを語らずにいられない。問題は、どん なストーリーを自分に語っているかだ。それは、あなたが行きたいところへ連れていってくれるものだろうか?

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