遅れは取り戻せるのか?発達の可逆性について。

うーん。

そうだよ。

遺伝か環境か。

遅れた発達は「取り返せるものなのか」どうか。

あのとき抑圧していたものは、解放され、自由になり、成長を始めるか。

子どもの時に、芽をだせなかったチカラを、大人になったときに感じることはよくある。
逆に子どもの時に芽を出していたチカラが大人になったときにも役に立つこともある。

デキナイこと、デキていないことに芽を向けてばかりで、できること、今持っているチカラをお世話するおとがおろそかになっては、何か本末転倒だろうか。

今、できること。

今。
今、その子の中にあるチカラは何か。

その子が持っている神秘的な力の計り知れない満ち満ちた未知に大人が向き合うとは?

人生の中で、別のイベントが発生したときに、その能力は、埋もれていたチカラは、「伸びなかった」チカラは、開花するかもしれない。
僕もそういうところがあるし、僕の友達にもそういう子がいる。

何がいつでてくるか。
其のチカラが誰かと結びつくことで、発揮される、意味を持つようになるかもしれない。
僕が子どもと出会って何かの意味をみつけたように。

ーーー

発達には個人差がある。
環境も、遺伝も関係する。
それを全て検査し、診断し、処方を与えられるわけではない。
事前に防いだり、とってつけたりすることもできないだろう。

で、大きくなって、いろんな大人と出会っていくと、なんだかんだ、デキナイことよりも、デキることを大切にした人が、笑っているような気がしている。

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思春期と中学校と高校の違いと子どもの可能性と個別化と。

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「内向的な人が秘めている力」

Facebookを徘徊しながらこんな記事を見つける。

ふむ。

TEDって、価値の多様性、言葉のチカラを教えてくれる。

オトノネがやろうとしている児童発達支援、放課後学童保育も、「埋もれている内向性」、学校の中で、社会の中で興奮してしまった心を落ち着ける場所になるのではないかとおもっている。

人との出会いで、結びつきで、意味が生まれる。
まるで、真空中を飛び回るとある原子が、何かの原子と出会うように。

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すぐ忘れる?そこで役立つ記憶の研究成果とあそび

当たり前だけど・・・
当たり前のことしかいえないけど。

その当たり前を当たり前にいうのがオトノネです。

ひとりひとりのペースが違う。
レディネス(当然、学習者が取り組もうとしていることに対する準備)があるのはもちろんですが。

1:処理水準効果
表面的な浅い処理よりも意味的・概念的な深い処理をした方が記憶に定着しやすい。

2:既知知識の活性
新しい情報を古い情報と結びつけていくと記憶に定着しやすい。(英単語で、古い情報と結びつかない単語はほとんどない)

3:分散効果
何度も反復する。何回か反復する。短期集中で繰り返すより、時間を開けて繰り返すと記憶に定着しやすい。

発達心理学の本に書いてあって、いやぁ、当たり前と思えることだけど、よくよく心に止めておきたいこと。
これは実は子供達があそびのなかで鍛えている、学びのメタスキルだ!

けど。。。記憶したものを「使う」意識がないと解けないのが、難関大。
記憶だけでなんとかいけるのは中堅大学まで。と、いう見方もできる。

その違いもきっちり押さえておきたい。

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ワーキングメモリ容量の個人差があまりにも大きすぎる件。

問いからはじめる発達心理学

ワーキングメモリ(短期記憶)とは、パソコンでいうと「メモリー」にあたり、その場その場でいろんな作業をこなす際につかう場所だとおもったらいい。
ワーキングメモリが大きいと、一度にいろんな作業ができる。途中で手順を忘れたりしないで、あれこれと組み合わせたり、「あ、そういえば」とかいうこともある。

ワーキングメモリが小さいと、「ん?今、何してたっけ?」という状態になったりする。いくつもの指示をだすと頭が混乱するタイプだ。
だからワーキングメモリは「作業記憶」とも呼ばれている。

ワーキングメモリが小さいと、考えを深めることが難しい。といえるのかもしれない。

僕はそういうことだと理解している。

で、ワーキングメモリを統計的にデータ化した表、個人差の大きいことを知った。

この表を見てください。
ワーキングメモリー
何が読み取れるだろうか?

7歳児の上位10%は10歳児の平均と一致する一方で、7歳児の下位10%は4歳児の平均を下回っている。
つまり7歳児のクラス全体をみれば、ワーキングメモリだけをみれば、4歳から10歳の子がいる、ということになる。

別の見方をすれば。

16歳の子でも、下位10%なら、10歳の平均レベルのワーキングメモリしかないということになる。
また10歳でも、上位10%なら、16歳の平均レベルのワーキングメモリをもっていることになる。

また別の見方をすれば。

4歳児でも、6歳児の平均並みの子がいる。つまり、データにはないが、おそらく(恐らくは)4歳児で2歳児の平均なみの子がいるのではないか。

うーん。

まずは、芸術をはじめましょうか。

ところでAD/HDの子とワーキングメモリの相関関係が気になる。
因果はあるだろうか。

言語遅滞とワーキングメモリの関係が気になる。
因果があるんだろうか。

うん。相手の心を読むのとワーキングメモリの関係はあるんだろうか?
仮説を立てて、検証して、仮説を立てなのして、検証して、前提を疑って、とか、そういうデータ処理は、ワーキングメモリと関係しているんだろうか?

うーん。

研究したい。

大学行こうかな。
いや、行きませんが。

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愛とは何か?

たまたまおとのねさんの頭に浮かんだ言葉

ーー

愛とは

大切なものを大切にする知恵と、
知恵を身体化した振る舞いと言葉づかいの総称である。

情とは

心のエネルギーである。

愛なき愛情は、レバーなきニラレバのように、何かが足りていない。

大切にするとは、どういうことだろうか?

大切にするとは、尊敬するということだ。
一人の自立した、自発的な、意欲ある、創造的な、天の才を持って生まれた一人の人間であることを、認めることだ。

誤った知恵によって、大切なものを大切にできない人がいる。

それはニラだ。レバニラではない。

ーーーーー

愛とは

学び、身につけなければいけない他者への敬意である。

愛とは

ゆえに困難なものであるように、僕にはおもえる。

愛とは

直接、経験しなければ、学べないものである。

愛とは

ゆえに困難なものであるように、僕にはおもえる。

支配・暴力・管理・干渉が愛という名の下に公然と行われることがある。
ゆえに愛とは、困難なものであるように、僕にはおもえる。

ーーーーーーー

体が大きくなるほどに、自由が大きくならないなら、それは、愛ではない。
生まれ落ちて、ずっとへその緒で胎盤に繋がれたまま、死んでいく人もいる。

それは愛ではない。

へその緒が切れた瞬間から、その人は、あなたから、自由なのだ。

誤った知恵による愛を与えられた人は、へその緒がなくなった瞬間、エネルギー不足で、死んでしまうだろう。

へその緒を持ち歩くといいかもしれない。
その人は、もう、私とは、切れているのだと、いつでも感じられるように。

ーーーーーーーー

最近、おとのねさんが生徒のお母さんに教えてもらった記事。
子どもが自分の思い通りにならないといって、感情的になっているお父さん、お母さんに出会うことがある。

全く新しく在りなさい。自分の母親から学んだことは全て忘れなさい。

オトノネは、お子さんだけでなく、お母さんが学ぶ場所でもあります。

ーーーー

こちらはオトノネの宣伝です!

富山市の民間学童保育

ーーーーーー

どっかで拾った言葉

いつかは永遠に来ない!
大切にしたい人がいるなら
今すぐ思いを伝えよう!
失ってから後悔しないために…
 
大切にしたい人がいるなら、
大切にできる間に
大切にした方がいい。
 
仲良くしたい人がいるなら
仲良く出来る間に
仲良くしておいた方がいい。
 
人間なんて、
本当にふとしたきっかけで
二度と会えなくなったり
してしまうものだから。
 
驚くほど簡単にどこかへ
行ってしまったりするものだから

ーーーー

ここからは文体が変わります。

愛する能力は環境の産物であって、遺伝のせいではない。(先天的な「特性」「器質的欠如」はありうるとして)
愛する能力は、学ぶもの。

愛する習慣は伝わる。

なめられたり毛づくろいをしたりする頻度は母親から子どもに受け継がれる遺伝的な特性のようなものだろうか、とミーニーは考えた。おそらく神経質な母ラットはおなじ気質の子ラットを産み、そういう母ラットはなめたり毛づくろいをしたりする頻度も低いのだろうと思った。この仮説を検証するために、ミーニーと研究者たちは親をこう悪寒する実験を行った。高LGの母ラットから生まれた子ラットを生後すぐに引き離し、低LGの母ラットのケージに移した。その反対も行った。あらゆる組み合わせで実験をした。しかしどう入れ替えてどんな実験をしても結果は同じだった。問題は生物学上の母親の習慣ではなく、育てた母親の習慣だった。生まれてすぐのころになめられたり毛づくろいをされたりした心地よい経験を持つ子ラットは、そういう経験のない子ラットよりも勇敢で大胆に育ち、環境にもうまく適応した。生物学上の母ラットのLGの高低は関係がなかった。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.67)

愛を知らずに育った人は、人生をかけて、愛を学ぶしかない。

オトノネひろげるシェアぼたん

子供のポテンシャルエネルギーを感じる

というか子供は姿勢がいい。
あれだけ自然に、ちょんとして凛として座っていられる。
またしゃんとして立っていられる。

何者だ???

大人だったら、崩れていたり、ブレていたり、力なく弱々しかったりすることもあるのだが。
(もちろん逆に歩き方がぎこちなかったり、ぐにゃっとしてしまう子もいる)

立ち方、振る舞い方、そこにいることで生まれるエネルギーが、その人のポテンシャルだ。
ポテンシャルを顕在化させようとして、大人は習い事をさせたり、いろいろとやらせる。

子どもは一流の学習者だからなんでもできるようになる。

あるとき、ある状況のなかで目を見開いて、「え?いつもの君はどこにいった?」という子もいる。
何をしているかというより、ポテンシャルが上がっている状況、そして落ち着いてそのエネルギーをコントロールできる環境を作っていくことを大切にしたい。(蛍光灯バチバチの環境でポテンシャルが下がる子もいる)

エネルギーを何に使うかなどは、二の次に考えようとおもう。
謎の輝き、神秘のチカラ、心のはたらき。可能性。どんな言い方もできる。
ただそのエネルギーの使い方をあまりにも限定されてしまい、気が滅入っている子が多いのではないか。

ということだ。

ーーーー

ポテンシャルエネルギーとは、簡単にいうと隠されたエネルギーで、地面からの鉛直方向の距離が長ければ大きくなる。
姿勢がいい、シャンとしているとは、このエネルギーが高い状況をいう。

アーノルド・ミンデルは量子力学と心理学を結びつけていますよ。
不確定な、挙動不審な、確率的な、決定論とは別の次元で動いている世界に、科学者も目を向けてはじめています。というか、もうバシバシ向けています。

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人はどこまで遺伝に左右されるか。

問いからはじめる発達心理学
『問いからはじめる発達心理学』坂上 裕子 さんが書いた本。発達心理学の本をいろいろ読んだが、僕いんはこれがよかった。

ーーー

生まれつきのものと、生まれてから育っていくこと。
遺伝と環境の二つで悩むことがある。

「これは、環境を変えれば、良くなるものなのだろうか?」
「これは、もうその子らしさとして、認めたらいいのだろうか?」

僕は環境が与える影響が大きいと思っている。
生まれつきのものを、どう生かすかという視点に立っている。

もし◯◯だからといって子供の環境を限定・制限してしまって他の可能性がなくならないだろうか。
そういう心配をしてしまう。

で、ーーーー

最近読んだ本で、初めて見るデータを見たのでふむふむと頷く。

グラフの色のついた部分は「環境」であって、白い部分は「遺伝」であるという研究データだ。
これをみると。。。

論理的推論能力と空間性知識の二つは有意に遺伝の影響が大きい。
言語性知識はほとんど環境だ。

(もちろんこのデータの中にはいわゆる発達障害と呼ばれている人はおそらくいないであろうが)

「性格」と呼ばれているものも大体、環境だ。と僕は思っている。
デフォルトもあるだろうが、結局、育ちながら磨かれていく「性格」は環境に応じて変わる。と僕はおもっている。
(3歳までに関わった大人の価値観に左右されると考えたらいい。もちろん、それ以後の経験、特に思春期前後の経験も、性格を形成する大切な要因になるだろう)

で、ーーーーー

もし論理的推論能力が遺伝による影響を大きく受けるというのであれば、その割合が気になるところ。
論理的推論能力が高い子と、低い子の割合は一定なのか。

まぁそんなこといっても、結局はその子その子の暮らしには条件がある。
限られた条件の中で、資源をどう使うか。
結局、大人の振る舞いというのは、ほとんど、祈りのようなものだともおもえる。
遺伝であろうが、環境であろうが。

子育ては、物語を紡ぐことだと、今、ふとおもった。

どんな物語を、誰と繋いでいくのだろう。

血縁関係よりも、村という単位とは違った価値観が生まれた新しい時代で。

関連した記事も是非お読みください^^
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人はどこまで遺伝に左右されるか。
「内向的な人が秘めている力」
遅れは取り戻せるのか?発達の可逆性について。
子供のポテンシャルエネルギーを感じる

オトノネひろげるシェアぼたん