好きなことを仕事にする?できることを仕事にする?趣味?の意味。『三太郎の日記』

iPS細胞を自前でつくった山中伸弥教授は世の中のために研究をしていたか。

と聞かれたら、いやいや、ただ、楽しかった、やりたかった、つくってみたかった、という純粋な遊びごころで研究していたんだろう。

表向きは、社会貢献とか、いろんな飾りをつけられても。
人の役にたつこと?いやいや、自分が好きだからやったんだよ。

結局は、何かを成し遂げるときは、情熱、ロマン、遊び心、本気になれる純粋な何かに向き合うメタスキルが大切になってくる。

そういう話を、した。

かつて阿部次郎の『三太郎日記』を塾の先生から借りて読んで読みきれなかった。
けどそこにこんなことが書いてあったらしい。

生きるための職業は、魂の生活と一致するものを選ぶことを第一にする。

けど、そこでこう言われた。
「魂の生活ってのが何かわかりませんよ。私自身、魂が震えるような経験をしたことがないですからね!」

そうだ、雪をみたことがなければ、雪がどんなものかわからない。
自分の心を知らなければ、心がどんなものかわからない。

もちろん、ほんとうにわかるなど到底できない心であるが、それが震える経験を、一体私はいつしただろうか?
そう、阿部次郎は魂の生活と、肉体の生活を分けた。世の中で求められている肉体労働(ブラック!)とは別に、魂が喜ぶ生活を目指すのだと、言っている。魂がしあわせになる生活と、一致するように、できるだけ、仕事を選べと。もしそれができないなら、仕事とは別に、魂の世話をしなさいと。

心を大事に。

けど僕も、魂が震える経験、「これが僕の仕事だ」と、実はまだ言い切れていない。
いや、本当はわかっていて、それに向かっているけれども、まだ仕事にはなっていないだけかもしれない。

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できることを、仕事にする、という考えもある。

できることは、自分がポテンシャルを、タネを、しあわせを育てる扉。
できることをするのは、当たり前。

できることを進めて行くうちに、人と出会ううちに、自分のチカラを感じて、好きになって行くこともあるだろう。

多様化されてきた時代、自分の適性をみつけたり、自分の仲間をみつけるだけでも時間がかかるかもしれない。
「いい会社」を狙う作戦で、失敗してもいい。

「そんなもんだ」とおもって進んでみて、「あれれ?」と思った時に、もう一度、思春期の課題にもどってもいい。
オトノネは、大人の思春期、絶賛、応援中。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校の「課題」ではない「本当の課題」をお手伝いするオトノネです。

教育の現場の方と最近話す機会があり、こういう話題になった。
Teachers do not teach. Students learn by themselves.

子どもは大人の背中をみて育つ。

という言葉がある。

たとえば今の世の中、「好きなことをしなさい」「やりたいことをやりなさい」という言葉が溢れている。
けど学校の先生は好きで学校にいるわけではないし、やりたいことをやっているわけではない。
(そのなかで生徒をちゃんとみてくれる先生と出会えたなら、しあわせだ)

思春期に教わるべきなにかを学校の先生から学ぶことはできない。いや、そんなもの教わるものでもないのだろうか。
高校卒業までにしておきたい発達の課題、は、大学まで先延ばしか。学校は学校で、自分たちの課題で忙しい。高校生の課題に付き合っている余裕はない。
何しろ、お金がないのだ。「大学進学実績」を出さなければ、予算が入らない、潰される、統合される、先生が職と名誉を失うかもしれない(自己保身)。。。。そういう恐怖と戦っている。もう教師という仕事に魅力がない。公務員試験に合格し教員になった人が、やめていく。そんなことは、かつて、絶対になかった時代は終わったらしい。試験を受けたら入れる、そんな時代になった。人材が入ってこない。人材を選べない。。。。(素晴らしい先生もいますよ、もちろん!)

大学に入ったら、大学に入ったで、みな「就活」をするという。まぁ、そりゃそうか。
生き方、世の中について教えてくれる人はいない。そんなもの教わるものでもないのだろうが。

結局、自分で気づく、自分で学ぶ、自分で道を作っていくというメタスキル をもっていないと、どこかでこの課題をやり直すことになるだろう。自立するということだ。学校からも。親からも。
親が80になってもこの課題に取り組み続ける人もいる。
そしてこういった人たちの福祉のために国は予算を削る。負の連鎖ですね。

僕も含めて、人間はそういう生き物なのだろうけれど。。

もう時代は変わって、やるべき「本当の課題」が変わったと僕には思える。
(今の僕の課題は大企業に勤めてお金を稼いで結婚して家や車を買うことではない。)

お母さんがそれを知っている場合が多い。
なぜか、オトノネにきてくれるお母さんは、それを知っている。。。
けど、「じゃぁ、実際どうしたら?」がわからないことが多い。
それを手伝うのがオトノネだ。

子どもは、だから、自分でこの道を開こうとして、友達関係を広げたり、ネット社会に溶け込んだりする。その他色々。つまるところ、社会化したり、特殊化する。個別化する。わかりやすくいえば、役割を探す。自分が溶け込むべき風景を探す。と僕には思えるのだが。

子どもは子どもで、自分でなんとかしようとしている。彼らの本当の課題に取り組もうとしている。僕は僕なりに一緒になんとかまぁできることというか見守るくらいしかできないかもだけど(やるのは本人だ)、それでも言葉をかけ、想いをかけることはできる。オトノネは、「本当の課題」に取り組もうとしている高校生を応援しています。

発達段階として適切な課題に取り組めず、「課題」に心をすり減らされているだけだとしたら、なんと苦しい高校生活だろう。

教育の現場に長く勤めていた方と最近話す機会があり、そういう話題になった。
Teachers do not teach. Students learn by themselves.

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子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

怖い話ではありません。
よくある話です。

こういう記事を書くのも、実際に、子どもを追い詰めるお母さんと某フランチャイズ塾で出会っているからです。
石川県は、この傾向が特に強い。死ぬな高校生!と思ったくらいだった。

結論から言えば成績が伸びないケースには「お母さんに食べられて」いるケースがあるということです。

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バリ島のランダ、日本の山姥、伝説にでてくる鬼母神が、世の中にはある。
ばりのランダ

優しい母、育てる母、生み出す母。
一方で、食らう母、殺す母がいる。
ランダも山姥も母の二つの側面を物語っている。

「悪いおばあさん」の話がでてくるのは、その名残のようだ。
白雪姫だか、なんだか。西洋では、魔女のイメージになっているかもしれない。

魂の殺人

アリス・ミラーのこの本にもそういう大人たち、母親たちの姿が書かれている。
僕が某フランチャイズ塾で出会ったお母さんの中にも、「子どもを殺す母親」がいた。
もちろんお母さん自身は、気が付いていない。
成績は伸びるわけがないし、勉強も進まない。

成績が伸びないケースには「お母さんに食べられて」いるケースがあるということだ。

子どもによかれとおもっていろんなことを「やらせている」お母さん、子どもをちゃんとみてみたら、気がつけるかな・・・
お子さんのこと、ちゃんとみてあげていますか?みつめていますか?

これは学校の課題もそうかもしれないとおもうと、おもしろい。
「山で山姥におわれる」かのごとく課題の森に迷子になり、追いかけられる、職員室で捕まったら、食べられる!笑逃げ切ったと思っても、ついてくる笑

ここは笑えるところ!
イメージの普遍性について考察したいところ!

で、ここからこの記事に関連して来ます。
課題を真面目にやる無意味さに気がつくために、まずは堕落しよう!?

オトノネにはそういうお母さんが来てくれてもいい。
「どうしても、食べてしまうんです!」
オトノネには、そういう子が来てくれてもいい。
「どうしても、食べられちゃうんです!」

では、どうしたらいいのか。
どう考えたらいいのか。

これはもう、心と向き合うしかないことかも、しれません。

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最近、オトノネの生徒でついに進化して思春期を迎え、「小学校の時、わかんない宿題やらされて、私、心底怒っていたんだからね」と、お母さんに向かって言った子がいる。

子どもは、お母さんが大好きだから、小さいときには、何も言えずに、気持ちを抑圧してしまうことが、よくある。
まだ言葉にならない、どうしていかもわからない、だから、「お母さん」を学ぶ。

「一番信頼できる、一番頼りになる、一番助けてくれるお母さんが、僕を助けてくれるのに、どうして、怒りや悲しみが沸き起こってくるんだろう?」

その時、子どもには、わからないのだ。

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芸術で救われ、芸術で救う【富山ダルク】の海岸組

NPO法人 富山ダルクリカバリークルーズ

薬物依存症の大人が回復する取り組み。
で和太鼓のグループの名前は海岸組。

海岸組は、和太鼓グループだ。
薬物のない生活を目指している人たちが、太鼓を叩きながらいろんな人と出会う、介護施設や地域の納涼祭に出向き、太鼓を叩く。

自分自身を芸術との関わりで癒し、芸術の力で人と関わり、関わりながら、芸術の力をつかって人を元気にする。

感動した。

芸術は自分を救う。と同時に、誰かのチカラにもなる。
オトノネとして、心に留めておきたいとおもえた。

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3才から心が擦り切れている子どもたち。発達「障害」の意味を捉え直す。

堕ちる、堕ちないという話をした後でこの記事を書く。

NPO法人 富山ダルクリカバリークルーズ

薬物依存症の大人が回復する取り組み。

で、ふとおもった。

人間は、いつ何時でも、その時々の、発達課題をもっている。
お父さんも、お母さんも。
ただただ仕事をこなしてお金を稼ぐ以外で、何か、あるのではないか?
それは人と出会い、人と関わり、お互いにしあわせになるような活動をしてみたり。

最近出会った人に「おとのねは塾なんですけど、心が擦り切れている高校生のためにつくったんですが、お母さんたちの話を聞いていると小学生から心が削れているようなんです」と話したら「いえいえ、3才からですよ!」と返してくれた。実際、そうかもしれない。そういう子は、いる。

到底太刀打ちできない、どだい無理な「課題」を与えられて苦しんでいるのは、高校生だけではない。
小学生も、中学生も。3歳児ですら。

苦しみを紛らわすために、大人は娯楽に走り、子どもは部活に走る。
みんなゲームをしたり、ファンタジーに耽る。(大切な「逃げ」道です)

娯楽や部活に逃げてなんとか日々をやりすごしていても、どこか空虚なものとして、やりきれなかった「課題」として残るかもしれない。
いやいや、それはもちろん、人によりけりだからなんともいえない。
とにかく「課題」に苦しんでいるのは高校生だけではないということを僕は今日、はっきり気がつけた気がする。

あなたの「課題」は、一人では、どだい無理ですか?
それを見極めないといけない。
はいはいができない子が、二本足で歩き出すのは、困難の極みだから。

発達の「障害」になるものがあるなら、なんでも発達障害といえるし、先天的に、誰もが発達障害に出会う可能性をもっているし、発達障害をもっていない人間はいない。そうやって「発達障害」をとらえ直せば、発達障害という言葉を身近に感じることはできるだろうか。

別の「障害」と出会った時に、乗り越えられる、立ち向かえる、なんとか対処できるチカラを育てる。
「障害」が障害でなくなるように助けてくれる、一緒に笑ってくれる人と出会う。
「課題」にとりくむとは、そういうことではないかと僕は思う。

不登校、成績不振は「もう無理」のサインかもしれない。
学校のしくみのなかではやっていけない、という消極的な理由ではなく、「その子の能力、感性や性格」に合わせた積極的な教育をする、育ちを支えるきっかけとして、不登校や成績不振をとらえたらいいと僕は今、おもう。

海岸組のメンバーの人の話を聞いて、いろんなことを考えたのでまた別の記事で。

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「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

僕は昔、某自立学習型フランチャイズで働いていた。
家庭で、学校で、無理をしている子と出会ってきた。
そもそもが勉強以前、心が悲鳴をあげている。

が。

お父さんお母さんも、その子の現状に気が付いていない。
(だってもうその子は悲鳴をあげる元気もない)
本人は??気づいていない。
擦り切れている心が、普通の状態になってしまった。
(だってもう電気ショックで無気力になることを学習してしまっている状態だもの)
学習性無力感とは?

もうそれはその子の「正しい生き方」になってしまっていた。
「無意味だ」「これは違う」と頭ではわかっていても、続けてしまう。
頭と心が離れてしまうほど、「させられ続けてしまった」人がいる。
あまりにも理不尽な、ただただ唖然とさせられる状況に陥って、混乱している人もいるだろう。

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「なんか変だ」
「なにかがちがう」と思った時、
「違和感」を感じた時から、本当の学びが始まる。

この「違和感」を感じられるような言葉にも、時間にも、人にもなかなか出会えない不幸な世の中になってしまったようであるが。

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学びがはじめられる段階にない、ただただ状況に流されている人とたくさん出会ってきた。
僕自身、まだ始められていない学びもあるだろう。

そこで思い出したのが、坂口安吾の『堕落論』。
こちらの青空文庫から無料で見られます!

文章は、人間がある種の理想を掲げたあと、「自分はこうあるべき」という観念を守り抜こうとする努力の末、それで?という話。最後の部分を引用します。

戦時中に誰もが思い描いた大国「日本」、
明治維新によって失われた武士の世界を蘇らせるための「武士道」
純潔、貞操を守ろうとする未亡人の「処女性」

これらは全て「こうあるべき」と掲げられた観念であり、ファンタジーである。
捨てられない、という点で、子どものファンタジーとは別物のように僕は思う。

安吾はのたまう。
人間を人間として救うためには(自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには)、「堕ちる道を堕ちきること」をしなくてはならないと。

その根拠は「特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。」という箇所であろう。

人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

体が壊れてから、心が壊れてから、痛みに悶えてから、闇の中に心を閉ざしてから。
堕ちることでしか、次へ進めないことがある。(体を壊してからリクルートをやめて今に至る藤原和博さんとかが有名)

失敗しないように、しないように、、、とおもっていることがそもそも堕落の始まりだったりする。
(毎日部活、課題、親に与えられた夢を背負い「しなくちゃいけないこと」で潰れていく高校生)

正しいことを貫こうとすること自体、堕落である。人間は脆弱で愚かな生き物だ。
(もちろんこの安吾の言葉は人間の堕落性を説明するために使われているのであって、人間の強さは別にあるだろう)

「ちがう」ことを認めざるを得ないところまで、人は堕落を続ける。
堕ちるところまで堕ちたところで、気がつく。と安吾はいっている。

僕自身、身体的、精神的な痛みを伴う経験がなければ人は変わらないとおもっている。

堕ちきったあとに、自分を救おうとする人のために、おとのねをつくったのかもしれない。
自分を救おうとして、堕落ができない人たちと対極にいる人を、ニーチェは「超人」と呼んだと僕はおもうのだが。
不登校の子どもたちは、超人になる可能性を秘めている。
ひきこもりの子どもたちは、超人になる可能性を秘めている。
そういうこともできるだろう。

心をすり減らしながら暮らしている人が、多すぎる。
学校の先生とかね!けど学校の先生は堕ちるところまで堕ちない。堕ちないように、行政が守っているから(この言い方は正確ではないだろうが)。

健全に、堕落してみよう。
堕ちるところまで、堕ちてみよう。
そしたら気がつくかもしれない。
「課題、やっても意味ないんだ」と。

進学高校の6割以上の生徒にとっては、真実であることが、すでに科学的に統計的にデータ化されているわけですから。

まだ観ていない方はこちらもどうぞ。
富山中部高校、高岡高校、富山高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

金沢泉丘高校、二水高校、錦丘高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

学校の定期テストの成績と高校受験・大学受験の結果が関係ない話。

それから最近の発見ですが。
こちらも。

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2
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今まで頼りにしていた価値観を捨てることはとても難しいことだ。
本当に、難しいことだ。めったにあることではない。

「そのように」体も神経を整え、心も「そのように」なるように作られてしまった人たちがいる。
目の前の不幸が見えない。目の前の子どもが、自分の心が見えなくなっている人がいる。
習い事を無理やりさせるお父さんお母さんも、学校で平均点を取らせようとするお父さんお母さんも、同じ。

誰もがそんな状態になりうる。
(オトノネだって、オトノネの価値観の中にいる。捨てることは難しい!だから、日々つくりかえれるように、いろんな人に会い、いろんな勉強を続けている)

学校の先生も一人の弱い人間だ。
ストレスに耐え家庭を守らなければならないしくみ(ブラック)の中にいる犠牲者ということもできる。
馬の耳に念仏、というより、「あの時はわからなかった」経験を思い出すだけでいい。
そしたら学校の先生をかわいそうな人だと思い、許してあげることだってできるかもしれない。
そして、「じゃぁ自分は、どうするか」を考えたらいい。学校から自立したらいい。
もちろん、助け合えることは助け合ったらいい。

だからこそ、心を開く習慣、目の前にいる相手をそのまま見つめ、自分の心を「離し」て関わる瞬間が、大切になるのだとおもう。

堕ちることは悪いことではない。
堕ちきった後で、底を蹴って戻ってこれるだけのメタスキルと、誰かの助けがあるならば。

課題の憂さ晴らしにゲームをしたり、ショッピングセンターに行く、部活頑張る、という「ストラテジー」を確立する高校生もいる。
ブラックな仕事の後に居酒屋にいったりカラオケにいったり旅行したり、ゴルフするサラリーマンの姿が重なる。
今の高校生たちは、輝かしい未来を想像して大学に入り、社会に出て落胆しないだろうか。。。
そしたら8050問題再来!(心配事だらけでごめんなさいね)

けど彼らはそれはそれで、うまくやってるということもできる。
ストレスマネージメント!(けどそれで人生終わっていいの?大丈夫、トリックスターはこの世に存在する!と僕はおもっている)

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蛇足すぎるがこんなことを想像した。

学習性無気力の実験は、檻の中で行われた。
本当なら、本当の犬なら、こんな場所にはいない。
本当の場所にいる犬なら、試行錯誤できるし、実際にそれでなんとかなる。
なんとかならなければ、死ぬ。

学習性無気力というのは、「自然」でない状態から生まれる病かもしれない。

本当なら、本当の人間なら、こんな場所にはいない。
本当の場所にいる人間なら、試行錯誤できるし、実際にそれでなんとかなる。
なんとかならなければ、死ぬ。(いや、死にはしないだろう。人間なら、誰かが助けてくれるものだから!。。。)

学習性無気力というのは、「自然」でない状態から生まれる病かもしれない。
それが「ひきこもり」という症状であるとしたら、人間は檻の中に閉じ込められた「犬」と同じだと揶揄することもできる。

檻の中を出ればいい。
ただそれだけで、救われる命もある。

守ることによって、救われない心がある。
守るとはなんでしょうか。愛とは、なんでしょうか。

愛とはなにか?

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

落ち抜けず、守られ続けた人間が起こした事件が、コレでしょう。
堕ち抜くことを妨げられ、救われず、自分自身の処女を刺殺したり、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだしたりできなかった、誰か別の人間の生き方、観念の世界に宙づりにされてしまった人がいる。
8050問題の解釈と学歴、マスコミ、景気の関係

言葉って、難しいですね。
だけど大事じゃないですか。

わんわん!

心が大事。

この記事も見てほしいのですが。いかがでしょう。
生まれた時から、小学校のときから、中学校のときから、ずっと、その子はその子です。
塾や学校を選ぼうとするまえに、お子さんは、お父さんお母さんを選んで生まれてきたんです。

そう考えたら、、、、
お子さんを塾や学校に任せるなんて、ちょっと残酷に思えませんか?
塾に行かせる前に、学校に行かせる前に、大切なこと、ありませんか?
個別化とは何か『クシュラの奇跡ー140冊の絵本との日々』

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おとのねのレッスン料を決めるのが難しすぎる件

おとのねさんはいつも考えています。

お金がほしい!
本買いたい!
研究したい!
知りたいこと、やりたいことがたくさんある!
お金はチカラだ!

けどお金がない今だからこそいろんな人に出会えているのも、素敵なこと。

記事を全部書き終わって、大事なことを先に述べると
「人の価値は、お金ではない。お金に換算できない価値が人にはある。オトノネは、オトナもコドモももっている人としてのチカラを出してもらいたいとおもっている。だが、お金は必要だ。。。」です。

眠っているチカラ、使っていないチカラで人をしあわせにできませんか?

ーーーー

お金の強さを使っている大手の塾の姿を見ると、「生徒って何なんだろう?」と思える部分がある。
僕にとって生徒は「しあわせをひろげてくれる仲間」であるし、僕が僕らしくいられる、学びあえる大切な「人」である。
金づるではない。

けどお金がほしい。。。
小学1年生から英語で遊べるための調べ物したい(海外の本が必要)、発達障害という名の現代症を理解したい(海外の本が必要)
グランドピアノほしい(子どもたちには本当にいい音と関わってほしいから!)、新しい本を書く気持ちもある(オリジナルな実践がなかったら売れないから出版ムズかしいと言われてお蔵入りしたことがあるけど新しいアイデアが出て来た。実践、まずは実践だけど。。)

ーーーー

子どもたちが子どもらしく、命を燃やすこと、学ぶことは自然なことだ。
そこにお金のやりとりがあっていいのだろうか?とおもうこともある。
だって、空気は無料でしょ?
けれども。

食べることが自然だが、それにもお金が必要なこの時代。
「あなたはあっちで魚釣り。私はこっちで米作り」していた時代もあった。
けどれども。

それが「お金」というルールで動いている今の時代。

お金との付き合い方を僕は今学んでいる。

ーーーーー

無償という考え方がある。
人が、それぞれに持っているものを出し合う。
お互いにない何かを学び合う。
お金でないもので繋がる。
それは素敵なことだと感じる。

(世の中にある多くの「無料」は後でお金をとる布石である。オトノネの無料体験も、無料相談もそうだけど。。)

ーーーーー

オトノネさんのやっていることは他ではほとんどやっていない。
というかオトノネさんという人間を出し切っていることがレアだ。
僕が僕らしく全力で本気で人と関わるためのオトノネだ。
それが僕だけでなく、おとのねに関わる人たちにとってもそうなるようなオトノネになっていってほしい。

もしオトノネいいなとおもってくれたら、、、、
おとのねさんに会いに来てみてくっださい。

ーーーーー

人は皆、全員が、誰もが資本家で、投資家であり、株主だ。
コンビニでモノを買えば、コンビニは儲かる(フランャイズの代名詞のコンビニは「本部」が利益の半分をもっていく超ブラックだ)。
みんながブラック企業を支えている。

みんなのちょっとした行動を積み重ねていくと、社会ができる。

人は皆、全員が、誰もが資本家で、投資家であり、株主だ。
お金を渡された人が、チカラを得る。お金を出した人は、その見返りをもらう(チカラを与えた分、チカラをもらっていなかったら損だ)

例えば、海外旅行に行くとしよう。
儲かるのは旅行会社、航空会社、それから現地の人たち。
関わった人たちはお金というチカラをもらう。
旅行に行った人は、旅行に行ったことで何かしらのチカラをもらう。癒しとか、気分転換とか。

そういうしくみが「お金」にはある。

ーーーーー

高度経済成長時代に蓄えられた「お金」がある。(お金は貯められる!)
僕はそのお金を使いたい。
設備投資、見栄えの良さ、宣伝広告ではない、大切なものに使いたい。

一生懸命働いて稼いだお金、自由に使える!
その自由な気持ちで、オトノネにチカラをくれませんか?

年収の高い仕事をしている人がいる(「お金」の仕組みをしっていて稼いでいる組織のこと。見方を変えれば、誰かからお金をたくさん吸い上げている組織で働いている人。)そう、お金はゲームみたいに増やせる!
僕はお金を稼いでいる人たち(年間所得偏差値100を超えるとんでもない人たち)からもチカラをわけてほしい。

かつて、芸術が謳歌していた時代、芸術家たちにはスポンサーがいた。
教会や王宮のために宗教画を書いたり、曲をつくったり、自画像を描いたり。
世阿弥などは日本で有名だ。

おとのねに関わってくれるひとは、オトノネのスポンサーだ。

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でも「お金」以外が大切だということ、お金でないからこそ素敵な出来事が起きることも知っている。
僕は両方大切にしたい。

だからおとのねさんはいつも困っているのです。
絵本も買いたいね!お金が貯まったらね!

オトノネさんのチカラを使ってみたい人、オトノネさんを育てたい人、オトノネさんに元気になってほしい人、オトノネさんと一緒になにかやりたい人に、出会っていけたらなぁとおもっています。

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最近、とあるビジネスマンから「ビジネスは必要性をつくるところからはじめる」というような言葉を聞いた。

「必要とされていないけど必要とされるようなしくみをつくる」
「潜在的に必要とされていることを顕在化させる」という2つの言葉で、

試しに説明してみましょう・・(どちらも同じことを言っているかもしれない)

宗教という言葉は日本では誤解されがちであまり使いたくないが。。。
宗教はまず「潜在的に必要とされていることを顕在化させる」。
人が持つ「ん?どうしたものか」といった心の不安を解決するための方法を提供する。
宗教に出会って心が晴れる人がたくさんいる(仲間が欲しいだけの人もいる)

ダイエット商品も、まず「痩せているモデル」をみせるところからはじまり「痩せたい」とおもっている人たちにこうしたら痩せるよと言葉をかけることで潜在的な欲望を顕在化させる。

「今は必要とされていないけど必要とされるようなしくみをつくる」とは、
例えば文科省が小学英語を導入したことで英語産業が盛り上がる(ビジネスが始まる)ケース。
潜在意識(不安や欲望)をつくり、ビジネスをつくる。
文科省はビジネスマンだ。(政治というもの自体、ビジネスだと考えることもできる)リクルートがネット社会をいち早く雇用社会に取り入れて大学から「求人票」をなくしてしまったというやり方もある。お金が入ってくる「しくみ」をつくるタイプ。
フランチャイズの代表格、コンビニもうまく仕組みをつくりましたね。

ーーーー

ビジネスのまとめ

1。潜在的な必要性を作る段階
塾業界であれば、まず「難関大学に合格していい会社に入ってお金をかせいで。。。」という価値観が、根底にある(潜在的)。社会全体の雰囲気だ(保育園のときから英語やらなきゃ!とか)。なければ作る。(経済の雑誌で「難関大ベスト10!」とか特集すればいい。)

2。必要性を顕在化させる段階
それから「うちに入ったら、合格できますよ!」という言葉で「あ、そうか、難関大に合格させるために塾にいれなくちゃ!」ということになる。

3。あわよくばそれを「しくみ」化してゆるぎない地位を築く段階(そしてその地位を守るために、1に戻る。)
塾の雰囲気を出すためにお金を使ったり、宣伝に金を使ったり。。。肝心のことには使わない?(技術系の企業であれば新しいテクノロジーをつくるための研究費にしたり。競争に勝つために。コンビニも新商品を出し続ける。あたらしい便利さ、エンターテインメントを考える)

不安を募らせるか、欲望を刺激するのが、ビジネスの基本だ。

おとのねは??

「不安にさせられている」心(1の状態)
「必要性に迫られて逼迫している」心(2の状態)
「仕組み化されてがんじがらめになっている」心(3の状態)

に大きく深呼吸をしたもらう場所だ。
刺激で疲れた心が回復する場所だ。
不安に押しつぶされそうな心を大切にする場所だ。

メタビジネス!

そう、メタビジネス!!!!!!
おとのねはお金でない価値をつくろうとしている。
人がもっているチカラが、「お金以外」にもあることを知っているから。
人が人を幸せにするのが「お金」だけではないことを知っているから。

おとのねでは、僕が大切だとおもえることを大切にしたい。

ーーーーーー

オトノネは、ビジネスの世界との距離を学んでいるところです。
レッスン料決めないとなぁ。。。

計算式

レッスン料=h(レッスン時間,f(所得),g(お金以外の価値))
こんな感じだろうか。
年間所得の偏差値が40の人もいれば、50の人もいる。100の人もいる・・・

あなたはお金以外の価値を、もっていますか?
お金以外の価値を、オトノネで育てていきませんか?
あなたがお金以外に、人に与えられるものはなんですか?

きっとたくさん、もっているはずです。
お金以外の関わり合いだからこそ大切にできる何かを、僕は大切にしたいとおもっています。
けどお金ください!!(笑)

ーーーーー

行政の補助金について

補助金をもらえば利用者の負担は安くなる。
たしかにそうかもしれません。
が。

オトノネは現在、補助金をもらえるためのお金すらありません。
審査が、厳しい。。。。
条件が、厳しい。。。。

それに、補助金からも自立できるような(行政にたよらない)状況を、オトノネは目指しています。
そんなオトノネでありたいと思っています(補助がでて「安い」というだけでお金だけの価値でくる人もいるから)。

なので、補助金なしでやっていく方針です。いまのところ!いまのところ!

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