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富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
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例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

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定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

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学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

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富山市の放課後児童クラブ・学童保育

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オトノネひろげるシェアぼたん

動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

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野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

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僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

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失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

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冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

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子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

ーーーーー

適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

オトノネひろげるシェアぼたん

富山市にできるヒノキとアカシアの家、学童保育と言う名の《放課後の学校》の学費

ついに決まりました。

オトノネは、お金のある人からたくさんもらう世帯所得制です。
オトノネはお金のない人とある人のバランスでやっていきたいとおもいます。

制度上の学童ではないので、小学生に限っていません。
年中、年長でも、小学生とあそべます。

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1日の利用も可能です。
5才から小学6年生(場合によっては中学生・高校生)を受け入れます。

学童オトノネ学費

仮入学の1ヶ月の間は、この半分の額です。

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結論、小学生の時が、大事です。

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

結論、小学3年生から中学生に入るまでが「お勉強」に適した時期です。これを個別指導で塾に任せるのもいいですが、「効率的」ではありません。小学生は、お母さんお父さんの家庭教育が大切だとおもっています。オトノネではお父さんお母さんの家庭教育のサポートもします。

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

オトノネひろげるシェアぼたん

そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

——-

日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

ーーーーーーー

PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

定期テスト・発達検査を受ける前に(定期テストや発達検査結果で子どもを殺さないために)

進研模試の結果が(難関大を目指す人にとっては)「無意味」だと話すおとのねさん。

いやいや、別に、その子をちゃんとみたら、どこで困っているかわかるし・・・・

同じように、発達検査も「無意味」だとおもっている。
なぜなら、発達障害検査の結果も「偏差値」で計算されるからだ。
(計算方法の詳細を知ろうとしたが、問い合わせたところ、「秘密」であるとのこと)

数に、心を読み取ったり、数の「メッセージ」をどう受け取るか、そのリテラシーがなかったら、本当に「無意味」だと、おとのねさんはおもっています。公的な支援を受けるための「手形」としての意味は、あります。もちろん!

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偏差値とは、全体からみて、どの位置にあるか、を数値で表したもの。
だから絶対に、ほとんど絶対、偏差値40がいるし、30もいる。(所得を計算すれば、偏差値が100ちかくある人がいる!!!)

全員が走るのが早く慣れば、「ふつう」の子が「遅い子」になる。
走れないわけでもない、楽しく走る「遅い」子もいる。

そもそも発達検査を受けようと思った時点で「困っている」のだから、それを数値化して「資格」を得てどうなるのか。
それが「手形」になってお金をもらえたり、特別学級に入れるようになる。ただ、それだけのために診断を受ける、とおもったらいい。
診断名は、検査結果は、ただただ、子どもが有利になる環境をつくるために、利用するものである。

それで、その子の障害が決まる。生涯が決まる。
もし、その子に関わる人が「診断名」をみて「その子」を見ていなかったなら。
もし、その子に関わる人が「数値」をみて「その子」を見ていなかったなら。

「あ、この子は軽度知的ですねー多動ですねー自閉症ですねー学習障害ですねー(診断名の原理を理解している先生はほとんどいない)」
「じゃぁこっちにいってねー(その子は学校という社会で障害を「負わされている」とおもっていない)」

正しい診断、ただしい治療、などというものはない。
発達はもともと、個別的なものだ。それを学校の価値観、できるできない、みんな一緒にすることで障害が生まれる。

「発達障害」という言葉が動かす「安心」を売るマーケットがある。
学校の先生、関係機関の専門家、メディアがつくりだす戦場がある。
「不安」という市場で買い物をするお母さんたちが、たくさんいる。

発達検査のテスト対策を、療育センターでやっていることを知っている人が、どれだけいるだろうか。
塾も、学校も、療育も、テスト対策。

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偏差値とは何か。
IQ、発達障害のWISCの計算結果と、進研模試などの偏差値の出し方は変わらない。
その相関を研究する人がいてほしい。

中学生の発達検査の結果と中学生の学力テストの結果に相関があるか。
こういう研究ができない蒙昧な状況が、日本にはある。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

真面目にやらない子が、本来よりも

1960年代に北カリフォルニアで行われたカルヴィン・エドランド氏の実験によると、

知能検査の問題のご褒美としてチョコレートをあげながら検査を実施すると、ご褒美を使わなかったときよりIQが平均12ポイント上がったそうです。

このように、IQはその人の集中力や工夫である程度変化が見られることがわかりますね。

一方、教育学において有名な取り組みである「ペリー就学前プロジェクト」によると、

教育面に介入して上がった子供達のIQは、その介入をやめてから4年経つと介入前のIQに戻ったそうです。

これを踏まえると、

IQは一旦上がったとしてもそれが一生続くかと言えばそうとは限らないことがわかります。

そのテストは、何を検査しているのか????
全国学力テストは?
定期テストは?
大学入試問題は?
知能発達検査は?

「課題ノート提出」というテストは?

オトノネひろげるシェアぼたん

暑い時に熱いものを食べる

バリ島。

まぁ暑い。カラッとしていて風が吹いていて日本のように体力は奪われないが。

で、辛いものを食べる。

韓国。

夏バテ料理がある。

熱々だ。

日本にいると、香辛料を忘れることがある。

今日、たまたま、小松の保育園に行った帰りに小松のスーパーに寄ると豚肉が安く売っていた。
富山に比べて、安い。

富山、都会ばりに物価たかい。

労働者虐げられている感じ。。。

で、卵を買いに富山のスーパーに行くと、新生姜が売っていた。

食べた。

汗がだらだらでた。

昔の人は、夏が来る前に、何を食べていたんだろうか。

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岡本太郎という芸術家が「自分の中に毒をもて」という本を書いた。
中身はてっきり忘れたが、推測するに「他人は何かしらの毒を使って来る。知らず識らずのうちに、毒を入れられている。それを解毒するのは、毒しかない」という意味ではないか。

暑い時に熱いものを食べる。
冷麺もいいけど。

バランスが、大事なんだろう。

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インドネシアに初めて行った夜、友達のAbdiが、オレンジジュース、温かいのと、冷たいの、どっちがいい?と僕に聞いた。
温かい、オレンジをもちろん、頼む。

新鮮な、おいしいオレンジと、天候そのままの温度。生きている、生暖かい温度。
生きている、orangeが生きているとおもった。

オトノネひろげるシェアぼたん

人を笑顔にする人のチカラ

生徒が帰って、別の生徒がやってくる時、生徒同士が鉢合わせる。

小学生の子が終わって、お母さんと話をしていた。
次にきた高校生が、小学生と鉢合わせた。

小学生は、ホワイトボードに絵を描いていた。

あとで、高校生の話を聞くと。

「子どもが嫌いだったけど、かわいいなっておもえた」という。
変わったというか、改めて、子どもに出会った。

感じ方が変わっていたことに驚いたという。

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人が人と出会って変わることは大切だとおもう。
人が新しい人と出会うことで、成長した自分を感じることもある。

他者は大切だ。

僕自身、音楽家としての才能を韓国でたまたま「見つけてもらった」。
自分一人で自分の意味を見つけることは難しい。

「自分はこれだ!」とかおもっていても、誰かが「それでいいよ」と言ってくれたり、一緒にやってくれる人がいないと、自分に「なれない」ことがある。
そういう仲間探しをしていくのが、人生の意味のように感じることもある。

人と人が出会って生まれるもの。
富山県でも、石川県でも、居場所になる場所、人が出会える場所がたくさんできてきた。
ひとそれぞれが、「自然」になって、多くの人と出会えることが自然になったらいいなぁ。

小さな小さな小学生が、高校生をはっとさせるチカラをもっている。

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ただそこに「自然」にいるだけで、誰かをしあわせにするチカラを、だれもが持っている。
あれもしないと、これもしないと、不安になる世の中で、大切な「自然」を忘れていないだろうか。

ひとりひとりが「自然さ」を大切にすることで、世界はもっとおもしろくなるし、笑顔がもっとふえるとおもうんだけど。
高校生である、中学生である、小学生である、お父さんである、お母さんである、先生である、生徒であることを超えて、「私」として自立できる心を(病理的なナルシシズムに陥らず)大切にしたい。

歩きながら、人と出会いながら、しあわせを育てていこう。

ーーーーーーーーー

ゲームにはまっている高校生。
ゲームの世界で、2000人のファンが彼と対戦するために待っている状況もあるという。
そういう「自然」だって、ありうる笑
(彼はニートで一生を過ごすようだが、それはそれで、「自然」なのだろう)

お父さん、お母さんに一生、守られなくてはならない「自然」すら、大切にすれば、誰かを幸せにできるだろうか?
(ピアニストのグールドは、完全に、守られて「自然」を育てた。そして、世界中の人の心を動かした)

自分の中にある豊かさ、リッチネスを大切にしていけばいいだけかもしれない。
忘れてしまったものを、思い出すだけでいいのかもしれない。
大事にしていた自分が袖を引っ張るのを無視して「こっちにいかなくちゃいけないんだから!」といって、その子を置き去りにした瞬間があるかもしれない。

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

うーん、たまたま拾ったこの英文、好きになりました。

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個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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富山市の民間学童保育

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

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本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

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小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

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正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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