いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

学校や保育園、子どもに関わる現場の大人たちは、大変なことになっている。

で、最近も、とある保育園にいって、素晴らしい園長先生、すばらしい保育士の先生の話が聞けた。
またその先生の実際の関わり合いは、まことに、多くを学べるものであった。僕個人として。

けれども、園全体として、他の保育士さんも含めて全体を眺めると、あからさまな改善点(違和感)がいくつもでてきてしまう。
いい先生がいても、その先生の影響は小さい。
いい影響よりも、悪い影響が目立ってしまう。

だから、いい先生が組織の中で埋もれてしまう。

だから、この保育園は、この学校は、素敵だなぁ、とおもえる保育園、学校は少ない。
(そんな中、金沢の桜丘高校の生徒たちの笑顔は、忘れられない。えーなんでだろ。桜丘の倍率が高くなって、偏差値が泉丘抜いたらいいのにとおもう。それはそれで、おもしろい現象だ。偏差値は「入りにくさ」であって、「テストの点数の高さ」ではない。そこのところ、みんな勘違いしている。「点数はそんな必要ないけど、入るのが難しい」とは、つまりどういう状況か、考えてみてください^^)はい、蛇足でしたすみません。

この保育園は、この学校は、素敵だなぁ、とおもえる保育園、学校は少ない。
なぜか。

この問いに簡単に答えられるキーワードを最近、覚えたので一言で答えられます。

「学び」を学んでこなかったからです。
佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

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「学び」とは、協同的なものであって、一人で完結するものではない。
対話して、言葉にされて、初めて顕在化するものだ。(それを一人でやってのけるのが、研究者であると、佐藤学さんは言っておられました)
だからこそ、「学び」の成果が、多くの人が「学び」を通じて情動を共にすることで、実現する。

のだが。
「不平」「不満」「愚痴」「要求」「忍耐」が現場に溢れている。
情動を「学び」のチカラに変えることができていないのが、多くの教育・保育の現場。

なぜか。

情動の処理の仕方は社会的なものであった。
【学ぶチカラ】情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。
そして、社会的なものである以上、学んでいくものなのである。


そして、今の大人たちの多くが学校で学んだことが、情動を「不平」「不満」「愚痴」「要求」「忍耐」として処理することである。
情動を「学び」に変えることを学ばなかった。協同して「学ぶ」「対話する」ことを学ばなかった。

「ん?なんか変だぞ?なんだこの状況は?」ということにも気がつかない。
心が閉じてしまっている。
目の前で「飲めない牛乳」を片手に一人苦しんでいる保育園児の「心」がみえていない。
目の前で「できない宿題」をさせられている小学生の「心」が見えていない。
目の前で「死ぬか生きるか」を考えている高校生の「心」が見えていない。
「学び」の基本である「心」が、世界に向かって、他者に向かって、「心」に向かって開いていない。

だから、個人単位でいい先生がいても、組織としては、協同ができない、対話、本当のコミュニケーションができない。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。
という問いへの、僕なりの答えです。(大発見です)

これはもう負のスパイラルだ。教育の負の連鎖だ。
「学ぶ」ことを学んでいない先生から「学ぶ」ことをどうして学べるだろうか。
協同できない先生から協同を教わることがどうしてできるのだろうか。

もともと、日本の学校教育が戦後から高度経済成長時代にかけて「一部のエリートを選抜する」および「安価で指示をよく聞く労働者を大量に育てる」ために作った仕組みをそのまま今の今でも続けているという背景があります。

伝統との戦いですね。
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

はぁ・・・・

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こちらは

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だからこそ、使命感をもった人が、トップダウンで一気に仕組みを変えるのがいいとおもう。
ボトムアップをしても、変わらない(先生たちが「学ぶ」ことを学びなおす時間もお金もない)とおもう。
トップダウンで衝撃を与えながら、ちゃんと「労働」から解放してあげるだけでいい。

たったこれだけでいいと、僕は思っている。
麹町も、あれ、どこぞの学校も、トップダウンから始めている。(違っていたらごめんなさい)

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多くの先生が、「進学実績(もしくは退学者)」と「長時間労働」という(生徒に自分たちが与えているのと同じ)プレッシャーに苦しんでいる。

そんな学校では、先生という仕事は、職業というか、食業(食べるという生業)であって、教育という生業ではない。と思えてしまう。先生は、労働者ではなく、保育者だし、教育者だ。刑務所の監視員でも、遊園地の託児所のスタッフでもないはずだが。

やること、やってるの?
使命感、もってるの?

やることやってるよ!
課題も宿題もちゃんと出してるよ!
絶え間なく小テストと進研模試をやらせているよ!
やってこなかったら呼び出しもしているよ!という声が聞こえてきそうだ。

(僕は、公立学校での自分の能力の限界を感じて(公立学校で、教育者として自分が責任をとれないと判断して)、おとのねをはじめましたよ)

あー、ごめんなさい、表現がトゲトゲしいですね。
寝ます。ごめんなさい。

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結局、現場のいざこざ、先生たちの「学び」を保証することが、イコール、子どもたちの「学び」を保証することだとおもえる。
だからぎゃくに、子どもたちの「学び」を保証すれば、先生の「学び」も保証できる。

だから定期テストは廃止したらいいし、無駄な行事はやめたらいいし(生徒に任せるとか)、宿題も出さなければいい。

どうしてこんな簡単なことを、やらないのか。

論理的な武装なら、オトノネさんはいくらでも手伝いますよ。

どうしてこんな簡単なことを、やらないのか。

子どもたちと一緒です。
大人も怖いんです。せっかく今まで作り上げた自分の世界が崩れるのが。

人間ですから。

(だからこそ神話の世界ではトリックスター(世界を壊し、作り直す者)がでてきます。日本でも、何人かいますね。結構たくさんいますよ。校長先生、園長先生、いかがですか?そろそろ、子どもに習って、作り終わった城を、壊しませんか?大丈夫ですよ。新しい学校をつくるだけです)

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日本が国債を返済し終わることには、教育も負の遺産を返済できているだろうか。

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中村天風の実践哲学における「笑い」で食卓を見直す

今、感情の本をいろいろと読みながら、「しあわせな出来事は、しあわせな気分の時により思い出すことができる」と書いてあった。逆に「悲しい気分の時は、悲しい出来事しか思い出せない」ということになるのだが。。。

かつて、中村天風の本を読んでいた時、「ご飯を食べる前に、思いっきり、笑うこと」が書かれていた。
これは科学的に、すぐれている。

感情があって表情が作られるだけでなく、表情が、感情をつくるという経路は存在する。
笑うことで、いいことを考えて、ポジティブに、しあわせになることを考えるような習慣が身につくという。

実際、僕はアホみたいに「いっただっきまーす!!!」と笑顔をつくって、一声、叫んでから食べるようにしている。
儀式みたいなものだが、まぁそれなりに効果をあげているのではないかとおもってます。

食卓で、テレビをみんなで見て呆然としていませんか。
お母さんがつくった、美味しい料理で幸せな気持ちになっている時に、楽しい話も、一緒にしてみると、「しあわせ」の種が育てられるのかもしれません。

僕が育てられなかったものです苦笑

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ポジティブな人に人は惹かれる。
笑っている人に、人は惹かれる。

ニコニコわらっている人が、どこか仏めいて見えるのも、そのせいだろう。
ニコニコ笑っている人は、ストレスフリーに見える。

笑っている人をみると、こっちも笑いたくなってくる。

子どもは、しあわせの源を知っている。
こっそり、教えてもらおう。

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学校で先生たちの言葉からストレスを受けながら、友達とのおしゃべりや部活動でしあわせを見つけようとしている子どもたちがいる。それはそれで、すばらしい「しあわせ」をみつけるスキルだとおもう。それはそれで、学びがいがある。

笑っている子どもたちをみていると、本当に、僕は心から尊敬してしまう。

だがしかし、「ストレス耐性」をつけることが学校の本意であっていいのだろうか。
これは「教育とは何か」という哲学の話であって、心の話であって、伝わらない人には、伝わらないのだけれど。。

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最近、おとのねさんは疲れてきていて、悪い考えが浮かぶことが多かったり、笑えていない気がしている。
そんな時には、休むのが一番だ。と、おとのねさんはおもっています。

こうした感情・心との付き合い方も、この年齢になって、少しは上手くなってきたきがする。

眠れおとのねさん!

中村天風が気になる方は、スタイルに応じてこの3冊の中から選んでみてはいかがでしょうか。

「まえがき」だけでも、みる価値があります。内容は濃いですが、その分、じっくり読める一冊。
運命を拓く

エッセンスだけ、かいつまんで、読めます。
中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない

「格言」っぽい感じで言葉が選ばれています。
ほんとうの心の力

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ちなみにですが。

人は、音楽を聞く時も、その時の気分moodで選曲を変えますね。
気分を高めるときの曲があったり、悲しいときに聞く曲があったり。

けどその経験が、誰かと共有されることほど、人間らしいことはないと、僕はおもっています。
それが、ライブコンサート(祭り)だったりするのですが。

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蛇足ですが。幸福な気分にさせて(いい話をして)、人を思考停止させる(気分moodで人を動かす)ことは、日常茶飯事に行われています。「うちの学校からは優秀な生徒が」とか「うちの塾からはこんな合格者が」とか。もしくは、TVショッピングでも。イイコトだらけの世の中で、情報リテラシーをメタスキルとして学ぶことは、イコール、心を守ることだと、僕はおもっています。

情動に流されず。
だが、
情動を観察して、情動に委ね、情動に導かれることも大切。
情動・感情のチカラとEQ

うん、人間っぽい!

幸福な気分になって、思考を停止して、自己暗示的に「自信」をもった状態、また、「自己肯定感」というmoodを持った状態を作り出すことで、人はもっている能力を発揮できる、というのも事実だ。この「情動」の操作も、うまく利用すれば、人はしあわせになれるし、悪用されればされたで、騙されてしまう。新興宗教でもよく「奇跡」「自分に秘められたチカラ」を体験させるようなしかけが施されている。進研模試には、要注意である。

語るとはどういうことか。『悲しみに言葉を』

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【8才からの内言】自立心と感情のコントロールと思春期

感情

私たちは、多くの時間を、あるいは大半の時間を、恐怖に囚われたり恋愛に夢中になったりすることなく過ごしている。このような特に情動の介在のない中立的な心の状態でいる時、私たちは、通常、きわめて論理的に思考することができる。私たちは頭が冴えており、他人のいいかげんな主張を比較的簡単に見抜くことができる。しかし、強い情動が私たちの中に沸き起こったり、強力な気分が私たちをのっとったりすると、事情は全く異なってくる。このようなとき、頭(理性)は心(情動)の奴隷となるのだ。(『感情』ディラン・エヴァンズ p.107)

「だけど!だけど!」頭ではわかっているけれど、不安、恐怖で心が動けなくなっていることがある。
当たり前にやってきたこと、今までにつくった「価値観」、もしくは、発達の段階で「その時は役に立ってくれたけど、成長した今となっては、足を引っ張っているもの」がある。

「やらされ」続けた経験は神経回路に組み込まれてしまう。
せっかく発達した「内言(思考に使われる心的言語)」の語りかけに対して、心が反応できなくなってしまう。
課題をしないと、意味不明な進研模試をうけないと呼び出されてねちねちやられる経験を続けていると、学校の奴隷になってしまう。
自分の本当のチカラを、フルに使えているだろうか。

神経は記憶する。
体は記憶する。

自立心とは、このような心の拘束状態から自由になることで育てられるのであって、「させられる」ことに埋め尽くされた言語環境では育たない。

佐藤学という有名な先生の話を聞いた時に「経験的に、内言が発露するのは小学3年生から」ということを学んだ。
年齢でいうと8才から9才であり、オトノネ的な「思春期」の始まりと被っている。


『学力では測れない非認知能力が子どもをのばす』中山芳一 p71より

思春期は、生理的な生殖機能の発達だけではなく、言語的な、精神的な自立の時期だと、おとのねさんはおもっています。
思春期は、自立のために、内言を育て、個別化にむけて選択してゆく、他の動物にはない、人間的なプロセスである。

小学生の高学年になるころには「させて」いた習い事を全部やめてみて、本人の気持ちを確認することをオススメするおとのねさんにとって、この時期が「自己対話」が可能になる時期だという話は、ありがたかった。

(蛇足ではあるが、とある保育園の保育士の先生から「9才までは、もっとお母さんに、子どもを抱っこしてほしい」という話を聞いた。9歳はギャングエイジが始まる時期であり、まだ自立以前、お母さんとのふれあいが必要だ、という意味だとおもいます)

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感情のコントロール、育ちの中で得られた感情の癖、心の癖は、いたしかたなく生まれる。
だが、そのせいで内言が育たない、自己対話ができない、自分の力で自分を守る意志が働かないのでは、ずっとコドモのままになってしまうかもしれない。「通過儀礼」がなくなった現代で、これに変わる「儀式」が「受験」であるようだが、一人で乗り切るには辛すぎることもあるだろう。やっぱり助けてもらわないとなかなか乗り越えられない困難がある。
8050問題の解釈と学歴、マスコミ、景気の関係

受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。

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自立した一人の人間として、助けてくれる人と出会えた人は、しあわせだ。

そして、「記憶された感情」が消えた時に、準備ができたときに、「忘れた時」に、新しい人との出会いがある、というのも、不思議と、また事実であるようにも思える。時間を、悠々と燃えている命を、プロセスに任せるという態度も、大切かもしれない。

それは、新しい「ファンタジー」、新しい「物語」を語り始める時だと、僕はおもっている。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

IQは人によって異なります。

IQが高い人もいれば低い人もいます。

ではIQの違いは遺伝なのか環境なのか?
答えは両方と言われています。

生まれ持ったものと育ってきた環境の両方が人のIQに影響します。

また、時期によってIQの意味合いは異なってきます。

一般的に、幼児期のIQというのは変動しやすいものです。

TOEICなど様々なテストを開発しているアメリカの機関、エデュケーショナル・テスティング・サービスに所属しているロナルド・ロック氏によると、

IQをより正確に出したいなら小学校3年生、早くても2年生以降と述べています。

つまり個人のIQの値が安定してくるのは9歳前後であることが予想できます。

ここでも、8歳がひとつの区切りになっています。

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

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