動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

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野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

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僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

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失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

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冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

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子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

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適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

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富山市にできるヒノキとアカシアの家、学童保育と言う名の《放課後の学校》の学費

ついに決まりました。

オトノネは、お金のある人からたくさんもらう世帯所得制です。
オトノネはお金のない人とある人のバランスでやっていきたいとおもいます。

制度上の学童ではないので、小学生に限っていません。
年中、年長でも、小学生とあそべます。

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1日の利用も可能です。
5才から小学6年生(場合によっては中学生・高校生)を受け入れます。

学童オトノネ学費

仮入学の1ヶ月の間は、この半分の額です。

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結論、小学生の時が、大事です。

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

結論、小学3年生から中学生に入るまでが「お勉強」に適した時期です。これを個別指導で塾に任せるのもいいですが、「効率的」ではありません。小学生は、お母さんお父さんの家庭教育が大切だとおもっています。オトノネではお父さんお母さんの家庭教育のサポートもします。

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

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子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

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そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

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日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

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PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

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定期テスト・発達検査を受ける前に(定期テストや発達検査結果で子どもを殺さないために)

進研模試の結果が(難関大を目指す人にとっては)「無意味」だと話すおとのねさん。

いやいや、別に、その子をちゃんとみたら、どこで困っているかわかるし・・・・

同じように、発達検査も「無意味」だとおもっている。
なぜなら、発達障害検査の結果も「偏差値」で計算されるからだ。
(計算方法の詳細を知ろうとしたが、問い合わせたところ、「秘密」であるとのこと)

数に、心を読み取ったり、数の「メッセージ」をどう受け取るか、そのリテラシーがなかったら、本当に「無意味」だと、おとのねさんはおもっています。公的な支援を受けるための「手形」としての意味は、あります。もちろん!

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偏差値とは、全体からみて、どの位置にあるか、を数値で表したもの。
だから絶対に、ほとんど絶対、偏差値40がいるし、30もいる。(所得を計算すれば、偏差値が100ちかくある人がいる!!!)

全員が走るのが早く慣れば、「ふつう」の子が「遅い子」になる。
走れないわけでもない、楽しく走る「遅い」子もいる。

そもそも発達検査を受けようと思った時点で「困っている」のだから、それを数値化して「資格」を得てどうなるのか。
それが「手形」になってお金をもらえたり、特別学級に入れるようになる。ただ、それだけのために診断を受ける、とおもったらいい。
診断名は、検査結果は、ただただ、子どもが有利になる環境をつくるために、利用するものである。

それで、その子の障害が決まる。生涯が決まる。
もし、その子に関わる人が「診断名」をみて「その子」を見ていなかったなら。
もし、その子に関わる人が「数値」をみて「その子」を見ていなかったなら。

「あ、この子は軽度知的ですねー多動ですねー自閉症ですねー学習障害ですねー(診断名の原理を理解している先生はほとんどいない)」
「じゃぁこっちにいってねー(その子は学校という社会で障害を「負わされている」とおもっていない)」

正しい診断、ただしい治療、などというものはない。
発達はもともと、個別的なものだ。それを学校の価値観、できるできない、みんな一緒にすることで障害が生まれる。

「発達障害」という言葉が動かす「安心」を売るマーケットがある。
学校の先生、関係機関の専門家、メディアがつくりだす戦場がある。
「不安」という市場で買い物をするお母さんたちが、たくさんいる。

発達検査のテスト対策を、療育センターでやっていることを知っている人が、どれだけいるだろうか。
塾も、学校も、療育も、テスト対策。

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偏差値とは何か。
IQ、発達障害のWISCの計算結果と、進研模試などの偏差値の出し方は変わらない。
その相関を研究する人がいてほしい。

中学生の発達検査の結果と中学生の学力テストの結果に相関があるか。
こういう研究ができない蒙昧な状況が、日本にはある。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

真面目にやらない子が、本来よりも

1960年代に北カリフォルニアで行われたカルヴィン・エドランド氏の実験によると、

知能検査の問題のご褒美としてチョコレートをあげながら検査を実施すると、ご褒美を使わなかったときよりIQが平均12ポイント上がったそうです。

このように、IQはその人の集中力や工夫である程度変化が見られることがわかりますね。

一方、教育学において有名な取り組みである「ペリー就学前プロジェクト」によると、

教育面に介入して上がった子供達のIQは、その介入をやめてから4年経つと介入前のIQに戻ったそうです。

これを踏まえると、

IQは一旦上がったとしてもそれが一生続くかと言えばそうとは限らないことがわかります。

そのテストは、何を検査しているのか????
全国学力テストは?
定期テストは?
大学入試問題は?
知能発達検査は?

「課題ノート提出」というテストは?

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