しあわせとは
あるがままの自分、大切な他者と居合わせることであり、
あるがままの自分、大切な他者と何がしかを仕合わせることである。
自由のない幸せは執着である。
しあわせとは
求め得られるよろこびではない。
しあわせは感情ではない。
しあわせは、そこに居合わせた自分や他者の命を燃やし輝かせる炎に似ている。
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しあわせを感じたのは、いつだろう。
ああ、この人は、この人のありのままの姿で、今、目の前にいる。
ああ、この人は、この人のありのままの姿で、一緒に、僕と一緒に何かをしている。
と感じたのは、いつだろう。
いつだって誰かが僕を利用してくるように思えてしまう、不安と恐怖でいっぱいの世の中で、僕が僕らしくいられたのはどんなときだろう。
しあわせは「たのしい」とか「うれしい」とは違う。
と、僕はおもう。
おいしいものを食べた「よろこび」とも違うように、僕はおもう。
悲しみですら、共に居合わせ、何がしかの振る舞いや言葉で仕合わせることで、それはしあわせになる。
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しあわせとは「仕合わせ」
仕え合わせる、何かを、「し合う」こと。
しあわせとは「居合わせ」
ありのままの姿で、出会うこと。
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情動知性は語りかける。
「これが、あなたの命だよ。今燃えている、目の前のこれが、あなただよ」
そのほむらの中に、誰かの面影が映っているだろうか。
誰かと、何かと、「居合わせた」「仕合わせた」記憶が、映っているだろうか。
自分の顔が、炎の中で、他者と合わさって、重なり合って、燃えている。
形なく、自由に、燃え尽きるまで、燃え続ける命という現象の本質が、しあわせだと、僕は思う。
しあわせを見つめる時間を、大切にしたいと、僕はおもう。