「老後」で30年生きる時代。『ライフシフト』を読んで。

life shift
『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』
この本が世界中で読まれていること自体、もう100年時代がきていることを告げている。

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100年生きることが普通の時代。
今までの福祉制度ではやっていけないのは確か。
そのための準備ができていない日本。
今までの仕組み(既得利権)を手放したくない政治家に任せてたら、本当にやばい。
どう考えても電車に乗る人なら気がつく、(あ、だから富山人は気がつかない?)外国人労働者が増え続けていること。
日本人って何?って感じ。

とっとと「子どもの子どもは国外へ」という戦略を立てるお母さんすらいるとおもう。
いやもう今の子どもたちはすでに100歳生きる、とおもっていい。
日本では、2007年生まれの半数の子どもが107歳になると、この本には書いてある。

そんな長い時間を生きるという、人類初めての「課題」に、どう応えるか。

そんなことを、この本の1ページ目を見ておもった。

100年人が生きる。
年金?は?
退職?は?

/wa/ではない、/h?a/である。

老後、会社から出て、死ぬまで、気楽に過ごす、退職金をつかってのんびりと。。。30年間。。。。

そりゃボケるわ!

年老いてからの生活、車を使って大丈夫なのか?

そりゃ事故増えるわ!

そうなったら、新しいビジネスが生まれるだろう。
新しい社会ができるだろう。

レクリエーション、ゲートボールをして楽しむ、消費するのではなく、
リ・クリエーション、新しい価値を生み出すステージを楽しんでほしい。
60年、70年生きた人だけにできることが、あるはずだ。


会社を離れて、消費を離れて、生産する側として、自立した個人として、社会人として、どうやって生きていこう。

今のお父さんお母さんの世代にもいえること、なおさら、お子さんの時代なら。。。。

今、大学に入る子どもに借金を負わせていいのか。
今、家を買って借金を背負っていいのか。(富山人は妙な意地があるらしいが。土地と家に、背負う価値があるか、僕にはわからない。借りても高いけどさ。。。高岡、高い!)
今、車を新しくしてウハウハしていいのか。
戦争に備えて、子どもの「生きるチカラ」を育てるのもいいとおもう。

というか次の選挙で政権交代する前提で話しましょう。
じゃないと本当に、不安だらけで何も、進まない笑!

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子どもが大きくなって、巣立った後の、自分の新しい生き方があるとおもったら、お母さんは、なんども生まれ変わる、超人のように、僕にはおもえてしまう。

お母さん自身の、新しいステージのために、お金の使い方を、今から考えておくのも、よいのでは????

と、おとのねさんは、おもうのです。

お母さんの宿題、たくさんありますね笑

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人間がつくったテクノロジー(理系)が生み出したもろもろの「現象」に、まだ倫理も、価値観も、制度も、文化も(これら全て文系)追いついていません。日本では、大学の文系の研究室に予算がおりにくくなり、大合併がなされています。本当に、やばい。

政治はテクノロジーの責任をどうとる?
金だけとる?笑

医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

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この本の結論は、経験が積み重なる中で新しくなっていく「ポートフォリオ」「自己像」を描き続け、数値化されない無形の資産(健康・知識・経験・能力・人間関係)に投資し、スキルを磨き続け、「自分」を能動主体的積極的に「環境」の中で生かしていくことである。

新しい時代の価値を最大限、高め、古い時代の組織で振るうことで、「お金」を手に入れる。
古い時代の組織の中でも、新しい時代の価値を必要としている場所を選び、選び抜き、そこに行く。

「終身雇用」という不文法は、存在しないと考えていい。
自己犠牲的な「骨を埋める覚悟で」という会社には行かなくていい。
だって、それは、毒親と同じ、毒会社。
自立や成長の限界を決めてくる組織を選ばなければいい。
親は選べないが、会社は選べる。

職業選択の自由がある。

こうした戦略を、この本は僕に教えてくれた。

おとのねさんは、80才になったとき、誰と一緒に、笑っているだろうか。
「長寿」が「恐怖」になるか、「しあわせ」になるか。

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あ、ちなみに、スーパーサラリーマン山田さんの「会社人」でなく「社会人」に!という話は、この本では「レクイエーション余暇活動」でなく「リ・クリエーション再創造」を!という言葉に変わっていますが、同じことを言っていました。山田さん、最先端いってますね・・・

オトノネひろげるシェアぼたん

【思春期】の課題は【幼少期】とは違うというお話。

何を学ぶか。

お母さんの役割と先生の役割をわけるなら、こういうことだろう。

「ふつうはチェスの問題といったら本を読むの。楽しいし、知的なおもしろさもあるから。でもそれはスキルに直結しない。ほんとうにうまくなりたいなら、自分の試合をみてどこが悪いのか考えなければ」心理療法と少し似ている、とスピーゲルはいう。自分がした間違い、しつづけているまちがい、を見直し、その根本にある理由を探る。そして最良のセラピストのように、スピーゲルも生徒がせまく困難な道をなんとか通り抜けるのを助けようとする。まちがいに対する責任を自覚させ、気に病んだり打ちのめされたりすることなくまちがいから学べるように仕向ける。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.179)

これは、いわゆる「最貧困地域」の学校の生徒たちを「最富裕層」の学校の生徒たちを打ち負かすほどのチャスのプレーヤーに育てたアメリカの先生、スピーゲルさんの言葉。

メンターであり、具体的に牙を鍛える方法を教えてくれる人であり、一緒にやってくれる人である。
もう一人の自分として、向き合ってくれる人。

オトノネが求めているのは、「自己対話」の経験を、子供との対話に応用できる先生だ。

そしてそのレベルが、辺縁系レベルではなく、認知が深く関わる前頭葉、新皮質の働きとつながっている先生だ。
(新皮質だけの先生もいる。辺縁系だけの先生もいる。両方備えている先生が子供にはありがたい)

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思春期までで大切なことと、思春期以降で、中学生以降で大切なことは少し違ってくる。

思春期に到達するこのころの子どもたちに有効な動機付けは毛づくろいに似たスタイルのケアではなく、全く別の気遣いである。おそらくミドル・スクールの年頃の生徒をスピーゲルのチェスチームの選手と同じくらい熱狂的に集中させ、練習させるには、誰かが意外なほど自分のことを真剣に受け止めてくれるというー自分の能力を信じてくれて、もっと改善できるからして見なさいと持ちかけてくれるというー体験が必要なのだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.186)

部活の先生が、この役割を担えるか。
担任の先生が、この役割を担えるか。

人的資源に困っているなら、オトノネにきてくれてもいい。

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「できないんだね、大丈夫!」というのが、お母さんで、
「できないんだね、どこが悪かった?」と聞くのがお父さんとすっぱり分けてしまったら不都合だが。

使っている脳のバランスはとても大事。
それを二人で分担してもいい。

教えることに真剣に取り組み、生徒たちを心から気遣っているのは明らかだが、例えば生徒が試合に負けて落ち込んでいても、そばに寄っていって慰めたりはしない。それはジョン・カルヴィンの役割だ。がる便はIS318の副校長で、やはり監督としてよくトーナメントに同行するのだが、スピーゲルにいわせると彼のほうが「心の知能指数」が高いから、そういうことに向いているらしい。「暖かい関係を築いた子供だってたくさんいるんだから」。あるトーナメントのとき、スピーゲルは私に言った。「だけど教師としてのわたしの仕事は、鏡になることだと思う。盤上での行動について話し合い、考える手助けをすること。子どもにとっては大事なことなの。大変な力を注いで何かをしようとするとき、大人が上からでなく、一緒になって真剣に見つめる。そういう機会は決して多くないけれど、私の経験からすうrと、子供たちはほんとうにそれを必要としている。でもそれは愛しているとか、母親のように育てるのとは違う。わたしはそういうタイプの人間ではないから」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.185)

お母さんにはお母さんの、オトノネにはオトノネの役割がある。

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思春期以降、中学生、高校生がプロと出会うことは大切だとおもう。
その道の、進んでいく道の、プロのことだ。

「こんな先生になりたい」「こんな大人になりたい」「この人はすごい」と思える大人と出会うことが思春期には大切なようにおもえる。

「イヤ、俺が一番すごいぜ!」という人もいるだろうけど笑

子どもたちは、モデルを探している。
(実のところ、彼ら自身が自分の人生で実験するしかないのだが)
自分の可能性を極限まで高めてくれる人を求めている。

言葉ひとつひとつにチカラがやどっている「大人」が必要だ。

対数関数がわかるよりも大きな感動を生み出す言葉を生み出せるような。
そんな「大人」がどこにいるだろう?

奴隷のように働く大人が、子どもに何を教えられるだろうか?
学ぶべき人がいない、学ぶべき人に出会うことが難しくなった世の中。
スーパーサラリーマンが、たくさんいてくれていい。

夢や希望、ヴィジョンが見られるような仕組みが、教育の中にない、と僕は感じる。
対話、伝え合い、本音の付き合いが、子どもと大人の間で、どれだけ交わされているだろうか。


語り合いのない一方的な言語環境で育つ子どもの心が心配だ。

「テストの点数」に動機付けされた子どもと、
「自分がこれから関わる、つくっていく、社会のイメージ」に動機付けされた子どもがいたら、
どっちの子がより魅力的に、輝いて見えるだろう。

今目の前で、高岡高校の生徒がタピオカを飲みながらインスタをいじりながら、青春している。
笑顔が一番、高岡高校!
ストレスマネージメントに明け暮れる毎日なんだろうか(ただ青春しているだけだろうけど)。

何を学ぶか。

今、何に投資をするべきか。

人は皆、投資家であり、株主であり、資本家だ。

学歴のために投資する?
それも、人生。

心さえあれば、大丈夫。

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仕事の種類が増えた。
選択肢がたくさんある。
自分の心に従って、いろんな大人に出会ってみてほしい。

大人と出会って、その時に動いた自分の心を感じてほしい。ちゃんと。

心を大事に。

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この不安な暗い世の中を進むための、ともし火を分けてあげられるようなオトナを、オトノネは求めています。

心をもった大人をオトノネは求めています。

ハードワーク「させられている」大人はではなく
ハートワーク「している」大人を求めています。

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この記事長いなーと思った人、すみません。もう少し書きます。
思春期には思春期(つまり抽象概念の理解、メタ認知「自己対話」が十分にできるようになった時期)の課題があって、それ以前に幼少期の課題を終わらせていくのが大切だということ。

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アメリカでチェスの「チャンピョン」になったジェームズという中学生が「じゃぁ、その非認知能力をつかってお勉強したら、お勉強の成績もよくなるんじゃない?」ということで、半年後のテストに向けて猛勉強を始めた話。

やり抜く力はある。だって、富裕層の「お勉強超できる」子どもを抜いてチャンピョンになるくらいだから。
「半年もあるんだから、彼がのめりこんで勉強するならなんだって教えられる、でしょ?」と、スピーゲルは言った。が

地図上でアフリカはアジアがどこにあるかわからない。ヨーロッパの国名をひとつも挙げることができない。読解のドリルをやっていると、「幼児」や「公共の」や「有益な」といった単語を見たこともないという。九月になることには放課後や週末を使って一度に何時間も勉強したが、スピーゲルは望みを失いかけていた。しかし自分の気持ちは沈む一方でも、ジェームズのやる気が削がないように努めた。ジェームズが落胆して掃除や三角法は自分には無理だというと、それだってチェスみたいなものよ、とスピーゲルは明るく答えた。(略)SHSATは、詰め込みの勉強では対処できないように作られている。SATとおなじように、受験者が何年もかけて積み重ねてきた知識やスキルが反映される。そのうちの多くは子ども時代を通じて家族や周囲の文化から気づかぬうちに吸収されたものだ。だが、もしジェームズが7年生ではなく3年生のころから試験勉強を始めていたらどうだっただろう?数学や読解や一般的な知識を取得するのに、チェスに費やしてきたのと同じだけのエネルギーを注ぎ、おなじだけの助けを得られていたら?全ての強化を、スピーゲルやプリレルテンスキーとおなじくらい創意と熱意にあふれる教師に教わっていたら?ジェームズはまちがいなくSHSATを制しただろう。全国中学選手権を制したのと同じように。もちろん、ジェームズについて過去形で語るのは間違っている。だいたい、彼はまだたったの12歳なのだ。結局、スタイヴェサント高校には入らなかったが、これから4年間の高校生活が待っている。6ヶ月でスピーゲルが望んだような優等生に変わるのは無理だったかもしれない。だが、4年あればどうだろう?ジェームズのように並外れた才能のある生徒ならなんだってできるのではないかー学業での成功を、盤上での成功とおなじくらい魅力あるものに見せてくれる教師さえいれば。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.224)

富裕層の中でも乳児期、幼少期の課題(例えば自己コントロール)を抑圧や依存によってとりあえず保留した人もいる。
どのように進化していくか。ひとりひとり違うから、おもしろい。

塾選びは先生選び。
学校選びは、環境選び。

お互いにないものを補うために、社会がある。
オトノネはみなさんの一部になれるでしょうか?

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんは生徒が卒業する時を待っている。

カウンセリングも同じで、人との付き合いも同じで、お互いの役割を終えたら、別れるようになっている気がする。

通い続ける塾に意味はない。

一人でできるようになればいい。

自分のことがわかって、ああこうしたら、こう考えたらということが、お母さんがわかれば、小学生は大丈夫だ。
高校生では、進路さえはっきりしていれば、やり方まで身につければ、あとはぐんぐん進んでいくだけでいい。

僕の数学の講義(開成高校の生徒と一緒に受けていたあの塾の4時間講義のアレンジ短縮受験特化バージョン)を必要とする人は、富山にはほとんどいないだろう。
(みんな大手のなんちゃらセンターに流れるらしい)

ある子なら、オトノネにいるよりも、別のプロ、その道の仲間に出会った方が有意義かもしれない。
ある子なら、もう悠々と一人で黙々と勉強をしていったらいいかもしれない。
ある子なら、、、、

そのときは、突然、やってくるものだから僕が考えてもどうしようもないけれど。

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大切なお金を、その子のために、ナニに使っていったらいいか。
その子のことをおもったら、個別化することを考えたら、、、、

そんなクソ真面目だから、頭おかしくなるんでしょうか。

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