「世の中」と向かい合う前に。

世の中、って誰のことだろう。

世の中は、甘くない。
世の中は、学歴、
世の中は、、、

結局、選ぶ、決断するというスキルがないために、
自分が決断して、世の中を選ぶことができないために、
世の中の仕組みを知らないために、漠然とした世の中と対峙することになる。

それはとてつもない不安だ。

世の中で心がすり潰される子どもたちがいる。
どんどん、世の中に染まって行くのだ。
心がすり潰されて行くのが、世の中だ。
くらいどんよりとした、たった一箇所、か細い光の先にしか出口がないような世の中だ。
「もうそんな世の中、うんざりだよ」という子どもの言い分がある。
学業不振?やる気がない?あそびほうける?それが、世の中の標準であることを、お父さんお母さんは認めているだろうか。

そう考えたら、世の中というものは、勝手に作り出した幻想にすぎないとわかるだろうか。
世の中は、目の前にあるものではなく、
お父さんお母さんの瞳の中に写っているものだ。

「成績が伸びないしくみ」になっている学校の成績を上げようとすることは、世の中に逆らうことだ。
だったら、子どもが世の中に逆らっても、大人は何も言えない。

世の中ってなんだろう?

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お父さんお母さんのファンタジー(世の中物語)のなかに子どもを閉じ込めて、子どもが滅入っていることもある。
「それは、あなたたちの生き方でしょう?私の生き方ではないでしょう?」と、子どもは心におもっているかもしれない。
「もっと別の世の中を、みせてくれない?僕はまだ、子どもなんだ」と、子どもは心におもっているかもしれない。

いろんな生き方がある。

いろんなオトノネがある。

その子の見ている世界と、僕らの見ている世界が同じなわけがない。
大人が勝手に「世の中」を語るとき、子どもはそれを「ファンタジー」だとおもっているかもしれない。
8歳、9歳でその区別がつき始める。
「いやいや、目の前の現実が大人には見えていないんだね」と子どもは冷静に思っているかもしれない。

子ども曰く。
「どうして大人は、わけわかんないことを言っているんだろう?」

世の中を語る前に、心を語りたい。
その子の瞳に映ってる世の中を教えてもらうのはどうだろう。

その子の人生の舞台に上がっているのは、その子なのだから。

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