【ずっと小学生その2】学校に魔王がたくさんいるのはなぜか。

熱中する授業は「授業の原則」に貫かれている (教え方のプロ・向山洋一全集 31)
『熱中する授業は「授業の原則」に貫かれている (教え方のプロ・向山洋一全集 31)』

振り返っていままでに買った本を読んでいる。
この本は大学時代か、教員時代かに買ったもの。

当時、その意味というか、現場でどれくらい役立てられていたか・・・(書かれていることの重みが、わかっていなかっただろう)

僕は高校の教員免許だけしかもっていないので、小学生・中学生のクラスは持ったことがないのだが。
疑問はただひとつ。

なぜ、小学生中学生で習っているはずの事柄を、高校生が知らないのか。

これは現実であって、教師としての仕事を全うできていない教師が多いという何よりの証拠だ。
これは事実だ。

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人間に対する不信感を抱いている子もいる。
それこそ、教師、学校に対する不信感を、敵意を抱いてくる子もいる。

小学校・中学校で何を学んだのか。

お母さんたちは、ご存知だろう。先生には当たり外れがあると。
当たりの先生は、人がいい、かもしれない。
それは知恵と技術を持った、愛ある先生なのか、それとも、ただ慈しみのある情ある先生なのか。
愛とはなにか

情のある先生に出会えただけでも救いだろう。


けれども、愛がなければ、教師としての知恵と技術がなければ、子どもは「先生から何も教われない」

だから、たまたま「できる」子が先生からかってに学んで、「できない」子は置いていかれる。

その結果が、中学、高校になって出てくる。
高校受験・大学受験のレベルも落ちて来ている。

これは、事実だ。
(ノートがかけずに、プリントの穴を埋める作業する高校生たち)
(食べ物を自分で食べれず、流動食を流され続ける人とイメージを重ねない人はいないだろう)

人間の質は学ぶか否かにかかっていると僕は思う。
それはつまり、学び方を学ぶ、または「教えるべきこと」を教える教師の質にかかっている。

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子どものためを思うなら、教師をやめるのも手だ。
自分が病気だ、ただ作業として授業をしている、喜びを感じない、子どもの成長を感じないとおもうなら、教師をやめたほうがいい。
給料のために子どもを食いつぶしていないか。

ひどいものだ。

テストの後、グループにして、点数を見せ合う。
そんな魔王が、学校という場所に存在しているという。

恐れ憎しみ悲しみを育てて、どうするつもりなのか。
(もちろん、できる子に優越感を持たせてもっと勉強させるためである。貧困を助長している)

え?それで、励ましているつもりだって!?


身を落とすことを教えて、それを教師と言えるこの国がおかしい。
先生がいけないのではない。
先生という存在を生み出す仕組みが壊れているのだ。

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犯罪者は罰せられる。
犯罪者を生み出した社会は罰せられない。
この論理をとれば、多くの先生は犯罪者として罰されなくてはいけない。
だが、僕は先生を擁護したい。
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学ぶという仕組みが、壊れている。
「生き残れれば、それでいい」レベルまで教師のレベルが落ちている。
それは、学校という組織のレベルが落ちたことが原因だ(昔から低かったから今こうなったといってもいい)。

そのしくみも、この国独自のものだ。
教員免許は、「いい子」にしていたら誰でも取れる。
西欧なら大学院、もっと研鑽を積んでからでないと、教師の資格はとれない。
また現場に立つまでに定期テスト対策的な「教育実習」では終わらない修行期間がある。
その間、きちんとメンター、担当がついてくれる。

雑務で忙殺されている先生に、教師を育てる時間も、子どもを育てる時間も、期待できない。

だから、お母さんたちは困っているのだ。

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そうか!この学校の暴力を隠蔽するために、全国学力テスト対策をがんばっているんだ!
「いやいや、お母さん、学力はほら、富山県は全国トップレベルなんですよ!」とのたまう魔王の姿が目に浮かぶ。

そんな教師には、こういったらいい。
「最近、○○さん(先生と呼ぶ必要はない)は何を学ばれて、どんな実践を教室でされているんですか?」

教師という虎の皮をかぶった、魔王かどうか、ただの狐か、それとも本物の虎か、わかるかもしれない。

「どんな結果がでたか、報告もしてくださいね」と一言入れてあげよう。
お母さん、お父さんが、教師を育てなくてはいけないのか・・・・・全部、、、、家庭負担かよ。。

子どもを育てるために、お父さんお母さんが学校の先生をそだてなくてはいけない。
そんな世の中になってしまった。

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小説と論説の違い。悪文とは何か。

小説と論説の違いは何か。

小説は、物語だ。
論説は、意見だ。

小説は具象を顕し、抽象を隠す。
論説は抽象を顕し、具象を隠す。
(荒々しく表現すると、そうなるとおもう)

小説を読むには、具象の中に抽象を見ること、
論説を読むには、抽象の中に具象をみることが大切だ。

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物語は論理を隠すことがある。
論理、というものも抽象の一部だろう。
物語は心情を隠すことがある。
心情、といううのも抽象の一部だろう。

文章には書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していく。
言葉を自分のなかに生み出していく。

意見は論理を隠さない。
一方で、その論理を生み出した数々の血肉が伝わらないことがある。
論説は、抽象語で書かれている。どれだけその言葉に血肉を与えられるのか。

文章には書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していく。
言葉を自分のなかに生み出していく。

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これは人間の社会でも同じこと。
ある人がいう言葉、ある人が起こす行動、そういうもの一つ一つには書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していくことで、人を理解する。

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悪文、というものがある。
物語にしても、悪文があり、論説にしても、悪文があるのだろうけれど、とくに論説で悪文が多い。

今でも記憶に残っているのは、大学受験の現代文でみた文章。
「悪文がでてきたら、君はどうするのか」と問われているかのような、わけのわからない文章だった。

読み手がわかるかわからないか、その限界を狙うかのような、「ご意見」。。。。
抽象語の嵐。「何言っているのか」意味がわからない。

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これは人間の社会でも同じこと。
わけのわからない現象や出来事、人間がいる。
そんな文章と出会ったら、どうするのか?

これはお父さんやお母さんにもいえること。
「悪文」を「悪文」とおもえない状況が、この日本ではまかりとおっているのだが。
文章を批判できる人が少ない。
(おかげさまで、合格実績とか雰囲気とかブランドとかいろんなイメージだけで売れる教育業界である)

経済対策?
無償化?
外国人労働者?
消費税?

言葉自体が抽象の海をただよって、目の前で起こっている現象を具象としてみることができない。

これは、とてつもなく、「悪文」だ。
だれか、本当のことを、僕らにもわかるように、「説明」してくれないのだろうか?
いやいや、自分で「学べ」ということらしい。

今、日本はどうなっているの?
僕はまだその情報にアクセスできていない。
論理立てて、「経済」と「歴史」を語れない。
高度経済成長は、どのように引き起こされたのか?
この国の体質は、どのように生まれたのか?
ただただ、貧しい暮らしの中で、楽しみを見つけるだけ・・・が日本人に残された唯一の救いなのか。

パンとサーカス。

安冨さんの本読まなきゃかな・・

「お金」という抽象語の実態を、まだ僕はお金の気持ちで理解できていない。
「名詞」の抽象性
「蛇」は抽象語か
抽象の効果

うーん。

お金について、学ぶ時期かな。
日本という場所を知る時が、来たのか・・・
(多くのお母さんたちはこの貧しい国の現状を直感で察知して、子供を戦争に送り出して勲章をもらおうとしたり、それこそ東大話法というやつか)

逆にこの戦争から遠ざかって生きるように、子どもを励ますお母さんもいる。
それは「勉強できないから」ではなく、それが新しい時代に適応する最適解だと直感しているからだろう。

日本が子どもに戦争を続けさせるのは、教育産業で特需景気になるから。
対話ができない政治家。令和時代の戦争とピクニック。
戦争をさせられる子どもたち(学校という経験・受験という経験)
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

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僕の書く文章も「わかりにくい」だろうか。
わかりやすく伝えるための修行が、僕にも必要なのかもしれない。

多くの人は、もしかしたら僕の文章を理解できないかもしれない。
その場合は、ブログではなくHPの印象だけで電話してくれてもいい。
話した方がいい。

読むのが苦手なら、話をしたらいい。

得手不得手は誰にでもある。

言葉では語られていない言葉を、紡ぎ出していく。
自分のなかに言葉を生み出していく。
その言葉を、出してみる。

そのプロセスが、お父さんやお母さんにも必要なのかもしれない。

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