SNSの情報は生きている。どう使うか。

SNSのおかげで、マスメディアや権力者によって消されてしまうような、もしくは「話題性」がないような、でも大切ないろんな物語を知ることができる。本も、SNSの後追いででてくるケースがたくさんあるくらいだ。

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勉強と同じで、人生と同じで、学校と同じで、SNSも、ひとそれぞれに使い方がある。
ゲーム一つにしても、スマホ一つにしても。

独自の進化の道をたどる。

道具を使うための人間性を、人は大切にしてきただろうか。
僕は大切にしてきただろうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

不登校とは、学校を変えるとは、県外に逃げるとか海外に行くとは、「戦うか逃げるか」という選択なのか。

学校に行くかいかないか、というのは、塾に行くかいかないかと同じくらいのレベルだとおもう。
塾にいかないなら、家でやるといい。
家でできないなら、それは別の場所を探さなくてはいけないが。

肝心なのは、子どもが学校の環境で困難を感じているということであって、どんな声かけをするか。
どんな風に、その子の学びの機会を補償できるか。

強みを、強められるか。

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女性は男性よりもおたがいに強い友情を育て、一族の世話をする。心理学者のシェリー・てイラーは、すべての哺乳類において、脅威に対する「闘争もしくは逃走」反応は、実際にはオスだけに特有の反応だとさえ述べている。女性の場合、脅威に対する反応は「世話と友情」という方が適切であろう。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.194)

遺伝的にも、人格的にも不利な場所でも、環境の中で最適化をすることを選択する心がある。
遺伝的にも、人格的にも、不利な場所から抜け出しもっと有利な環境を目指す心もある。

それはひとりひとり違っている。
富山県はそもそも、選ぶための選択肢がないために、多くの人が「耐え忍ぶ」習慣をもっている。
動き出そうにも動き出せなくなるほど嫌味、悪口、脅しをかけられる感じ。

自称を含めた進学高校と同じだ。
学校全体にこういう傾向がある。

遺伝子が慣習として、文化として受け継がれ続けている。

女性にとっての脅威とは?
部落の女性の間のゴシップ、妬みやら恨みといったものだろうか。

わからない。
わからないのでとにかく逃げるということについて記事を書いてみる。

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環境が人間を作る。
もう遺伝子はもらっている。
残りは環境だ。

環境に合わせて、人間は「つくられる」。

環境の中で、環境との関わりで、子どもは学んでいく。
その環境の中で、よりよく「自分が」生き残る方法を学ぶ。

スラム街に生まれた子供は、それなりの生き方を覚える。
富山で生まれた子は富山で暮らすために最適化される。

でも、個性というものもある。
不登校、不適応は、「今の私はこの場所では最適化されません」というメッセージだ。
個性ある個人、尊重されるべき人間の叫びだ。

では、「最適化されません」と子供からメッセージをもらったら、どうするか?

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不登校の原因は、富山という文化、日本という文化だけではない。
その文化で育ち暮らす大人がつくりだす環境がすべて子どもに影響する。

おとのねさんがブログで書きまくっているように、日本という組織は子育てにやさしくない。
正しく言えば、子ども環境は「昔から比べて」別の有様になっている。
引きこもりは、それまで生きて来た子どもが出した「適応」「最適化」の答えだ。

子供が出した答えに、大人がどう応えるか。

不登校は「よく答えをだしたね」といって、褒めてもいいことだ。
と僕は思う。


学びというチカラをつける、その子の進化の道をたどる個別化の道の一つが、逃げる、ということである。

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逃げる。

強くなること。
自分を信じること。
逃げたい心に向き合うこと。
「大丈夫だよ。君は強くなる」と励ませること。

ぐちゃぐちゃになっている頭を、リセットすること。

逃げたっていいんだよ。

もう少し文字を大きくしてみよう。

逃げてもいいんだよ。

逃げたっていいんだよ。

逃げてもいいんだけどねぇ。。。。

それができないのが「学習性無気力」だが。

ちなみにこんな記事もあります。
学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

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こういう話もある。
小学校でいじめにあった。
不登校になった。
中学校でもいじめにあった。
不登校になった。
高校でもいじめになった。
不登校になった。

そこで「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
本当だろうか?

僕も人は環境で変わらないとおもう。
人が変わるというのは、そうとうのライフイベントだ。
そう簡単に変わらない笑

たとえば「他の子が自分の悪口を言っているようにおもう」という現象がある。
(これが不登校の理由の第一位のようにおもう最近)

なるほど。大人になっても、人の悪口は絶えない。
どこに行っても、環境を変えても?

保育の現場すらこうですから。

そう、環境は、選べないらしい。

結局、「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
(人は変わらないが、人間関係のしやすさは変わる。おかげで僕は今、学校と保育園で働けています。ありがたいことです。)

同時に「同じ環境の中にいても、結局変わらない」ということも、正しいように思える。


学校をサバイバルするための力をいつ、どういうきっかけで得るか。

学べることがないなら、学び方がわからないなら、それを学べる環境をつくる、見つけることだ。

選ぶとは、

別に日本にいても「学びのインフラ」があればよい。
「学びの資源」を手に入れられない人は、海外にいってもいい。

「転校しても変わらない」
「県外に行っても変わらない」

本当だろうか?

いじめられていたとしよう。
悪質ないじめだとしよう。
「環境を変えても人は変わらない」だろうか。

環境が変われば、周りの人が変わる。
いじめは無くならないかもしれないが、いじめに立ち向かっていける力をくれる友達と出会えるかもしれない。
学びの資源との出会いが大切。

もう資源が枯渇して、無理!という人は、逃げたらいい。
そこにいたら、死んでしまわないだろうか。

学習性無気力で。

学ぶことは、強くなること。

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こんな話を最近聞いた。

就学以前、保育所に行っていた子が「行きたくない」といった。
どうしてか、理由を聞かず「いいよ」とお母さんは言った。
そうして保育所を変えた。

大きくなってから、子どもは告白した。
「お昼寝のとき、さみしくて泣いていたら、先生が黙って毛布を頭の上にどさって被せてきたのがこわかったの」

もしそのままその保育園にいたら、その子の心は、死んでしまっていたかもしれない。
逃げることが懸命なことは、多々ある。

逃げることが「負け」のように思う人がいるかもしれない。
逃げることが「楽」のように思う人がいるかもしれない。

その人は、逃げたことがないのだ。

逃げるには、コストがかかる。
逃げることは、ほとんど戦うことと同じだと僕は思う。

新しい保育所を探さなくちゃいけない。
送り迎えに時間がかかるかもしれない。
探すのに手間も時間もかかる。
新しく人間関係をつくることもしなくちゃ。

逃げることに後ろめたさを感じている人もいるかもしれない。

そういう呪いを、富山県の人は、たくさん受けてきた。
日本人が全般的にその傾向がある。

逃げることは、新しい環境に身を置かなくてはならないということ。
用意されたレールの上を歩けなくなるということ。

ただそれだけのことだ。

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ーーーー

不登校の子は?
そう、逃げたのだ。
超重要なスキルを使った。
無気力どころではない。
逃げる気満々だ!
道無き道で闘いが始まるのだ!

では次は。
どこに向かうか!!!

逃げるために、学ぼう。
開かれた選択肢の中でもがこう。
直感と向き合おう。
よろこびをみつけよう。

逃げながら、管理されたシステムの外に自分を守るシステムをつくりあげよう。
不登校は、体のサインだ。

大丈夫、君にはそれができるから、君は不登校になった。
それは君の意思ではなく、体からの、心からのメッセージだ。

逃げるために、チカラをつけよう。
逃げ切って、たどり着こう。

自分が背負うしかない人生で自分が責任をもって正しい選択をしていくこと。

彷徨い続けてもいい。
さまよう中で、強くなれるなら、と僕は思う。
強くなるために。

僕も逃げて来た。
日本では得られなかった能力、価値観、チカラを、海外を旅することで得ることができた。
(もちろん、きっかけは日本にあったりするが)

そしてチカラをつけた。
そうして生き残った。

選んで来た。

必要最低限、必要なチカラ。
それは自分を個別化し、積極的な責任を自分で負うことであり、自分がリッチになれることをよろこぶことだ。

忍耐?自分が豊かになれない場所で忍耐力を発揮して、どうなるだろう?
それが、価値観だ。
「やらなきゃいけないことはやらなきゃ・・・」その判断は普遍的な事実ではない。
個人的な能力の限界に応じて、つくられる、ただの行動様式だ。

どうして、富山に、ここにある、過去に縛られる必要があるだろう?
不登校は、そのきっかけになる。

人生は、きっかけで溢れている。
新しく開けた窓からどんな風景がみえるだろうか。


窓の外をみて、わくわくして、飛び出したくなった子どもに、お母さんは、どんな眼差しと、声を、かけるだろうか。

ーーーー

今まで作って来た環境、家、学校、地域、すべてを含めて、壊すこと。
思春期の課題に向き合う子どもたちの挑戦を、大人はどうやって応援できるだろうか?
富山人、日本人であることを超えて、お母さんは、子どもとどう向き合えるだろうか?

「いや、家、建てちゃったし。」

子どもが生きるために、家にお金をかけるか。教育にお金をかけるか。まだ家を建てていないのなら考え直した方がいいかもしれない。

というのが僕の考えだが。
それも文化だから。
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

大人も子どもも、伝統・歴史・文化を見つめ直して、新しく作り上げていったら、もっとハッピーになれるとおもうんだけど?

もちろん、僕自身の伝統・歴史・文化も、見つめながら。。。(自己批判)

オトノネも、もう少しきちんと明示してみようかとおもった。
「そのためには?」オトノネはもう少し答えをだしたらいいかなとおもった。

商売とは、商品とは、サービスとは、そういうものだとおもった
さて、何を売ろうかな。どんな夢を、見てもらおうかな。

オトノネは、「道」をつくるつもりはなかった。
けど、「道」があるから、歩く勇気を出せる人も、いるんだろうとおもった。

ーーーーー

日本というシステムから。

逃げられなかった人たちが、特にお父さんたちがいる。(富山の長男は大変だ)
お父さんから逃げられなかったお母さんたちが、いる。

(逃げグセがつく、という言葉を聞いたことがある。こうした呪いが日本のブラック経済を支えている。部活で、学校で、勉強で、企業で、保育園で、こういう言葉を使う人がたくさんいる)

その家に生まれた子どもが、いる。

「自分のようにはなってほしくない」
そうおもったら、手放すのも一つの選択肢。

もうその土壌は、その子が育つには、不足しているものが多すぎると。

たんぽぽが、タネを飛ばすのは、どうしてだろう。と考えてみてもいい。

たったそれだけのことなんだから、外にでてみたらいい。
今その子には、そのチカラがあるのだから。

少し休んだら。
旅にいっておいで。

旅にでながら、君の足が、君を支えてくれることに、君の心が、前に向かっていることに、気が付けるから。
君の顔が、まだ笑えることに、君の笑顔が、誰かをしあわせにすることに、気が付けるから。

——

SICT-SUSに「お話しませんか?」と問い合わせをしたところ、「お話しません」という返事が返ってきました。
倫理的に問題ある発言がでてきたので記事にはかけませんが。

泣きそう。

泣かないけど。

いろんな人がいるから。

いいんだよ。

ーーーー

教育環境

その子にとっての最良の環境を目指すことが、どうして不道徳であったり、責められることなのだろう?なぜ「我慢」が美徳なのだろう?パーソナリティ特性の違い(遺伝が半分)が環境に適していないことはよくある。「適応する」能力がないのも個性の一つだ。ではどうやって生きる?

「分をわきまえろ!」という士農工商の時代から、日本は「わきまえる」文化を背負っている。(アニメは、テクノロジーで進化した浄瑠璃のことだ。)それぞれの環境にとって最良の生物がいるとすれば、それぞれの生物にとっても最良の環境がある。

環境が変わる。遷移する。
不登校は不適応であり、環境からの離脱の宣言。
環境を変える。遷移させる。
不登校は適応であり、環境の積極的な選択の宣言。

お母さんにとっては「現代」を学び、子どもを見つめ直す、関わり直すきっかけ。
アフリカ大陸からベーリング海を渡っていった「環境不適応人間」のおかげで、私たち日本人がいるとおもえば、喜ばしいことではないだろうか。

「でも」というお母さんの声が聞こえる。

それは、デモという、批判者の抗議活動のことだ。
その心は大切にして大丈夫です。
行動だけ、変えたらいいんです。
環境だけ、変えたらいいんです。

心は、ふと自然に、突然、気がついたら、変わるものです。
心というものは、変えるものではないと、僕は思っています。
変わっていくものです。

心とは、そういう不思議なものなのです。

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✳︎どうして僕は日本にいるのか。
これはただの解釈だけど。
日本に生まれたものとして、日本のことは知っておきたい。
日本で泣くとはどういうことか。
日本で笑うとはどういうことか。
日本人のことを、知りたいとおもったから。

日本人らしくはなれないかもしれないけど。
僕は変わらないかもしれないけど。
学べることはたくさんある。
その中で、強くもなれるとおもっている。

今までずっと日本に「負けて」きたから、少し強くなったか、試しているのかもしれない。

オトノネひろげるシェアぼたん

『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

幼児教育の経済学
『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

ペリー・プロジェクトで有名な人。

知識を得る前の彼らは「理解できない」赤ん坊に語りかけをしようなどとは思って揉まなかった。だが、彼らは、赤ん坊に話しかけたり、絵本を読んでやったり、歌を歌ったりすることが脳の発達を促進するのだと学ぶ。(『幼児教育の経済学』p.97)

貧困層の子供を救うための「秘訣」は、成功している公立学校の周囲にある中流階級のコミュウニティーに目をやれば、全国どこだろうとごく当たり前に見られる光景に隠されている。そうしたコミュニティでは、親が毎晩眠る前に幼い子供に好きな本を読んでやる。黒板の文字が見えなければ、親は子供に眼鏡を買ってやる。今晩は食事にありつけるだろうかとか、学校帰りに銃で打たれないかなどと心配する必要はめったにない。そうした一連の、あたりまえの事実が学校を成功させるのだ。(『幼児教育の経済学』p.99)

ベティ・ハートとトッド・リスレーは1995年に42の家族を対象にした研究で、専門職の艇で育つ子供は平均して1時間に2153語の言葉を耳にするが、労働者の家庭では1251語、生活保護受給世帯では616語だとした。これに対応して、三歳児の語彙は専門職の過程では1100語、労働者の家庭では750語、生活保護受給世帯では500語だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.27)

ペリー就学前プロジェクト:低所得でアフリカ系の子供を対象に、30週間のプログラムを就学前まで午前中に毎日2時間半ずつ集団で。週に一回は家庭教師が90分の指導を個別に。
アベセダリアンプロジェクト:リスク指数の高い家庭の恵まれない子供を対象に4.4ヶ月から8歳までの全日
家庭学習の進め方を教えて、親の子育て能力を向上させると、どうなるか。

ペリー就学前プロジェクトでも、アベセダリアンプロジェクトでも、実験グループの子どもが対象グループの子供と比較して良い結果をエルというのが一貫したパターンだった。ペリー就学前プロジェクトの被験者になった子供は当初はIQが高くなったが
、その効果は次第に薄れて、介入が終了して4年経つとすっかり消えた。IQを高める効果が小さいことについては、他の研究でも認められtら。だが、IQ以外の主要な効果は継続し、非認知能力の向上もその一つだった。IQテストの結果は代わりなかったものの、14歳の時点で学力検査をしたところ、就学前教育を受けた子供は受けなかった子供よりも学校へ行っている率が高く、より多くを学んでいたことから成績が良かった。さまざまな社会行動についても良い影響が見られた。最終的な追跡調査(ペリー就学前プロジェクトでは40歳、アベセダリアンプロジェクトでは30歳)では、就学前教育を受けた子供は、受けなかった子供よりも学力検査の成績が良く、学歴が高く、特別支援教育の対象者が少なく、収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や逮捕者率が低かった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.32)

幼少期の環境を豊かにするという恩恵を受けられずに思春期に達した恵まれない子供のためには、どんな方針が効果的か?
幼いころに介入を開始すれば一層効果的だが、思春期に達した子供に対して効果的な策略もある、認知的スキルは幼少期に確立
され、重大になってから子供のIQや問題解決能力を高めることははるかに難しいことが、数々の証拠からシエされている。だが、社会的スキルや性格的スキルは別問題だ。これらのスキルは20台のはじめまで発達可能だが、学習を向上させることから、幼少期に形成しておくのが最善策だ。思春期お子供に対する戦略は、メンターによる指導や職場での教育を通じて、意欲や性格的スキルや社会的スキルを強化するべきだ。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.39)

研究対象となった子供のIQはいずれも70から85のあいだであり、これは当時のミシガン州の分類では「教育可能と精神的欠落とのボーダーライン上にある」とされる値だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.69)

いや、これらのプロジェクトは、「対照群」と比べたらいいかもしれないけど、平均からするとやはり「成果は全く、イマイチ」であるし、コストがかかりすぎた。集中的で、小規模で、高費用だった。もっと、効率的なプログラムが必要なのだ。

オトノネひろげるシェアぼたん

『「学力」の経済学』中室牧子

「学力」の経済学
『「学力」の経済学』中室牧子
全てが、科学的な証拠に基づいた主張である。

メモ

ご褒美はテストの点数ではなく、インプットしたもの、本を読む・宿題をすることに対して与える。
ご褒美が子どもの「勉強するのが楽しい」という気持ちを失わせてはいけない
お金も、ご褒美として悪いものではない。
学力が高いという原因が自尊心が高いという結果をもたらしているだけで、その逆ではない。
「あなたはやればできるのよ」とむやみやたらに子どもをほめると、実行の伴わないナルシストを育てるかもしれない。
「頭がいいのね」と能力を褒めるのではなく、「よく頑張ったわね」と努力を褒める。
能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む。
親だけでなく、塾の先生が勉強のマネージメントをしてもよい。

学力の高い優秀な友人から影響を受けるのは、そのクラスでもともと学力の高かった子どものみ。
スウェーデンの高校生のデータを用いた研究は、学力の高い同級生の存在が、学力の低い生徒の自信を喪失させ、大学への進学意欲を失わせたことを明らかにしました。この意味では、学力の高い友達と一緒に胃さえすれば、自分の子どもにもプラスの影響があるだろうと考えるのは間違っています。むしろ、レベルの高すぎるグループに子どもを無理に入れることは、逆効果になる可能性すらあるのです。(p.66)

問題児の存在が、学級全体の学力に負の因果効果を与える。
ルームメイトから「成績」に対して受ける因果効果はほとんどない一方で、「行動」に対して受ける因果効果は大変大きい。

習熟度別学級は、ぴあ・エフェクトの効果を高め、特定の学力層の子どもたちだけでなく、全体の学力を押し上げるのに有効な政策である。とくに大きな学力上昇が見られたのは、もともと学力が低い子どもたち。

なぜ、習熟度別学級は子供達の学力をあげるのでしょうか。それは、子ども同士も、自分と同程度の学力の子どもたちと一緒になることで、他者と比較して意欲を失うことなく、互いに助け合うことができるためだと考えられます。(p.70)

日本政策金融公庫の調査では、子供がいる家庭は年収の約40%を教育費に使っている。
教育を経済活動として捉えると、将来に向けた「投資」として解釈でき、もっとも収益率が高いのhあ、子供が小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)である。人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき。

教育をすると社会全体への好影響がある。(雇用、生活保護、逮捕率などに関係し、行政の支出を省くことがえきる)。ペリー幼稚園プログラムの社会収益率はヘックマンの研究では年率7〜10%、他の研究ではさらに高い13%や17%という数字がでている。社会収益率が7〜10%ということは、4歳の時に投資した100円が、65歳の時に6000円から3万円ほどになって社会に還元されているということです。(p.82)

児童手当は学力を上げるという政策目標について、費用対効果が低いか、効果がない。

1980年代にコロラド大学のグラス教授とスミス教授が、1学級あたりの生徒数と学力の間には負の相関関係があり、とくに1学級あたりの人数は20人以下となるのが望ましいという研究を発表したが、教育政策の費用対効果としては、相対的に低い。つまり学力という点では、もっと別の方法によって、向上させることができる。

クラスの人数が40人を超えるとクラスを2つに分けることを「マイモニデスの法則」という。中世ユダヤ人の哲学者マイモニデスが「クラスあたりの生徒数の上限を40人とするように」と提案したのがもとになっている。

日本の赤字は、月収30万の世帯が毎月53万円を支出し、借金している状態。(この本は2015年6月に出版)
国の文科省への予算は15年前と比べて20%以上現象した。
2020年前にすべての小中学校の生徒一人に一台のタブレット端末を配布するという政策目標が掲げら得ており、手段であるはずのものが政策目的になっている。なんのために配布するのかが示されていない。

四谷大塚全国統一小学生テスト

学力テストの結果だけをみても、政策的に有用な情報はほとんど得られない。

学力は学校だけでは決まらない。
平等に扱うと不公平になる。

学校で平等を重視した教育「手を繋いでゴールしましょう」という方針の運動会などの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまう。(神戸大学の伊藤准教授らの研究)

全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではなく、「意見・意識など、事実に該当しない項目を調査する世論調査など」という扱いになっており、研究者がデータを学術研究に用いることができない。多額の税金をかけて行う価値がない。

教員研修は教員の質に影響しない。

貧困アクションラボ

オトノネひろげるシェアぼたん

学校でズルすることを学んでもいい。中退してもいい。それでも学び続けよう。

子どもは学校でたくさんのことを学べる。

学ぶスキルさえあれば。

めいいっぱい、学ぶことができる。
与えられた宿題をズルすること。

アウシュビッツでも、学ぶことができる。
与えられた労働をズルすること。

学ぶスキルさえあれば。

ズルも、美徳だ笑

大人もたくさんズルをしている。
社長だけお金を稼いで、雇用者は生活保護レベルの福祉業界。
これは、ズルじゃないのか?

ズルは、戦略だ。

オトノネは、学びのスキルを重視しています。

学びのスキルを使って、学校をやめることもできる。
学ぶことは、生きることだから。
学びを実践するために、学校をやめてもいい。
生きるために、学校に行かなくてもいい。

その積極的自己責任を負えるならば。

大丈夫、実験し、失敗や間違いだったとしても、本気でやることのすべては、君のチカラになる。

ーーーー

『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』の著者は、大学を中退した。
著書を書きながら、ふと振り返って、当時大学を辞めることを決意しながら書いた手紙を見つけ出したという。

人生を変える決意をしている18歳の人間はこの世で最も昂ぶった生き物だ。しかし手紙が見つかってよかったことは嬉しかった。一瞬、この青春真っ只中の書き振りには耐えられないとおもったが、葛藤に満ちた若い日の自分におおいに同情を覚えたことも確かだった。(p.263)

そうして、文字通りの、アメリカを半分くらい横断する自転車の旅に出た。

「教育ゲーム」をやめて、最初ー今の自分ーからやり直した。

それから転々とキャリアを変えてゆきながら、「今回わたしがはじめた奇妙な冒険は、国の半分を横断する自転車旅行ではなかった。本を書くことだった。それがこの本だ」と、この本で書いている。

逆境はチカラになる。
転んでも一人で起きられる。
失敗は、なんとかできる。

失敗から学ぶ方法を教える先生が、自分自身のなかにできた子は、一流の学習者だと、僕はおもう。

失敗していい。
じゃぁ次どうするか、オトノネで考えてもいい。

オトノネひろげるシェアぼたん

心療内科に行く前に:医療の現場も【テスト対策】!?その薬、飲んで大丈夫?

こういう話を聞いて、怒りを感じてしまう。
けど怒っても、何もいいことがない。。。。
別のチカラにしよう。

だからぼくはオトノネをはじめたのかな。

ーーーーーーーー

ある子が。

ある子が。

心身症で困っている。

その子は、薬を飲んでいる。
医者にかかって、薬を処方してもらえる。

テスト対策のように、その場で、手軽に、症状をなんとかしようとしたい気持ちはわかる。

けどその副作用の甚大さと、「症状」がでてくる心のしくみの深さを考えれば。

心身症を薬でなんとかしようというのは、よほどの決断でなければできない、とぼくはおもう。

副作用によって、大切な心を自分で守っていくチカラが奪われる可能性がある。
副作用で「別の体調不良」になり、それをさらに調整する元気も心にないとしたら。。悪循環だ。
そのリスクを背負ってまで、薬を処方する、薬を飲む価値があるのか(もちろん、危機的状況を脱するために、飲むこともあるかもしれないが、常用するのは。。。)。

クスリで活かされる魂もあれば、クスリで殺される魂もある。

結局、心次第。

学校教員が宗教団体で救いを求める時代、クスリなしでは生きていけない日常だとしたら、どんなにそれが不健康な状態なのか。

どうしたらいいのか。

その答えとして「クスリ」を安易に選んではいないか。

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短期的な救いのために、必要な応急処置があります。
例えば発展途上国で食糧難に陥っている人にとって、とにかくすぐに食料を渡すことが必要です。
一方で、持続的に、自給的に食料を手に入れられるようになる仕組みは?時間がかかります。ですが、自立して、自分の力で
短期的な食料供給(定期テスト対策)に頼らずに自分で自分の身を守るライフライン(恒久的な自己管理システム)をつくることが、オトノネの仕事です。

ーーーーーーー

医者は心身症を、心を理解しているんだろうか?
医者も点数稼ぎで忙しくて、心をみる余裕がないんだろうか。

体が出している自然な痛み、問いかけを受け取らずに、薬で抑圧していいのか。
抑圧しなくては生きられない心と体。
生きるってそんなもんだっけ。
痛みは、身体からの、無意識からの、心からのメッセージであって、別に薬を飲むことが悪いことではない。
そのメッセージを受け取った上で、「じゃぁ、ちょっと今は、待って。準備ができたら、君を救いにゆくよ、準備ができたら」といえるか。

そのうち良くなるさ、と受け身になっていないか。
仕方がないんだ、と諦めていないか。

学校の先生は学校の先生という立場でやらなきゃいけない業務がある。
医者先生も医者という立場上、何かしないとその後クレームが来るかもという不安もある。
それぞれが、お互いの都合で関係し合っている。

お互いの都合でだ。
だから自分の都合を、自分の目線で考えられるように、学ばなくてはいけない。
積極的自己責任を負うために。

学ぶとは、他人の都合と折り合いをつけながら(尊重しながら)、自分の人生を自分の都合で自分が生きるということかもしれない。
「先生、お言葉ですが、私はコレコレこういう理由で、このようにします」と言えばいい。

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知っている、知識としてもっていることの大切さを感じる。
と同時に、正しい知識を医者先生すらもっていないことに違和感を感じる。

アレルギーで苦しんでいる人がアレルギーに効く薬の副作用で悩んでいる。
ガンで苦しんでいる人が抗がん剤を飲んで悩んでいる。

薬をやめて食生活、運動、健康を総合的に見直すだけでアレルギーと付き合えるようになる。
薬を飲まずに、漢方にしただけで(お茶を飲んだだけで)ガンがよくなる。

そういう事実を、真実をしらずに、テスト対策でことを済ませてしまって、大丈夫だろうか。

あれ?これちがうんじゃない?と「違和感」を感じたら、学び始めよう。
大人も、子どもも、みな学ぶ過程にあるにんげんだとぼくは思う。

みんな生きるので精一杯。
医者先生も学校先生も、見る人の人数が多すぎて困っている。

だからオトノネは、完全個別にこだわっています。

医療に関する問題提起記事はこちら
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

オトノネひろげるシェアぼたん

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと

子育ては、社会をつくること。
お母さん一人でしているのではないですね。

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なことは、お母さんが社会に働きかける、社会をつくっていくことです。

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ひとつめ。

お母さんが笑っていると、子どももしあわせになるんです。

お母さんが「お母さん」という役割を超えて、「◯◯さん」として充実した生活を送ることはもちろんです。

「あ、こうしたら、しあわせになるんだな」という作法を、子供はお母さんからたくさん学びます。
お母さんがしあわせになることが、子どものしあわせになるチカラを伸ばします。

お母さんの今の暮らしを豊かにすること。
これがひとつめです。

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ふたつめ。

ふたつめは、お子さんの将来の暮らしを豊かにする「しくみ」をつくることです。
「お母さんが」!です!
子どもが!何かするではありません。

さぁ、どうしたらいいのでしょうか・・・

お母さんが不安を感じてしまう社会の「しくみ」を変えることでうs。

不安な世の中、「この子をどう育てたら、しあわせになれるんだろう?」と悩んでしまうかもしれません。
学歴社会?貧困?この子は勝ち組に・・・?

繰り返してしまいますが、高学歴の人でも、引きこもりになることがあります。
不安の中で暮らしている子どもは、しあわせになるチカラを発揮できないことが多いのです。

お母さんは、どんな世の中になってほしいですか?

「正規雇用が少なくなった、外国人労働者が入ってきた、子どもは仕事をちゃんとできるだろうか」
そういうしくみをつくっている政治を変えるチカラがおかあさんにはあります。

「もしうちの子の時代に戦争が起こったら?」と考えてもいいでしょう。

「いやいや、政治なんて・・・」とおもっていませんか。

有権者として、政権を変える努力ができます。
別の政党になっても同じ・・・かもしれません。
ただ、今の「不安な世の中」にブレーキはかけられます。
また最近、希望に満ち溢れた言動をしている政党もでてきました。

子どもの子どもを「安心できる」社会に送り出したいという気持ちを、祈りを込めて、投票に行くことは、子育ての一部です。
「安心できる」社会をつくるプロセスに参加することは、子育ての一部です。

絶望しないための貧困学: ルポ 自己責任と向き合う支援の現場
画像をクリックすると、amazonという通販サイトに行き、関連する図書のリストが見られます。

責任とは何か。
「貧困になったのは、その人の自己責任」か。
「学校についていけなくなった」のは、その子の自己責任か。

いえいえ。
学力、経済の格差が生まれる「システム」になっているのです。
「システム」を変えれば、ずっと、よくなる、よくならなくても、最悪の事態は免れるでしょう。

だって現政権はこれから戦争しようとしているんだから。。。
だって現政権は、お金をオリンピックにつかって「国際的な評判」を高めようとしているのですから。

貧困はどの国でもある。
埋まらない格差がある。
ではどう生きればいいのだろう?
とりあえず一票!で簡単に変えられるのだから、一票入れたらいいでしょう。
簡単じゃないですか?

責任についておとのねさんが考察した記事はこちらからまとめてみられます。

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選挙に関心がなかった僕が、はっ!とさせられたのは、安冨さんが出馬したこと!
安富歩『生きるための経済学』シジョウとイチバ

ある保育園の美術の時間と保育×美術×コーヒー

『誰が星の王子様を殺したか』というモラルハラスメントの本も書いている。おもしろかったですよ。星の王子様の、悲しい物語が、とても現実味を帯びて、さらに悲しく感じられるようになりました。

安冨さんがれいわ新撰組に入った後に書いた記事がこちら。
「組織」としてダメだから政治はダメだと思っていたところで、政党という「組織」を解体して選挙に挑んだ山本太郎。
その本意を汲み取って、文章化した安冨さん。

内側から見た「れいわ新選組」

「こどもを守り未来を開く」と訴えて参院選を戦ったれいわ新選組比例候補は、近現代史に精通し、社会生態学者でもある経済学・経済史の専門家!岩上安身による東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授インタビュー 2019.8.9

社会の現状、見えない貧困と、「いい会社」一人勝ちになる格差社会を「よし!」とするのが今の政治です。
塾業界、学校はこれをさらに加速させています。
受験戦争、「定期テスト対策」をさせることは、貧困を生み出すシステムを強化することになります。
塾に通わせること自体、この貧困システムを強くしていることになります(さらに競争を激化させるコマーシャルをするわけですから)

貧困は拡大します。
そんな社会から子どもを救うために、大人は今、「課題」をしなくちゃいけないとおとのねさんは考えています。

犯罪、競争、さまざまな不安を作り出している今の政治を変えるのが、「子どもの子ども」を守る今の大人がしなくてはいけない、親としての責任だと僕は思っています。

【そろそろみんな怒ろうや!】
このデータがどこからきているかわかりませんが、彼の言うことなので、まぁ正しいのではないかと、おもってしまいます。

自民党すげえ金額企業から献金もらってる!!
お母さんが思い描く「いい会社」はこういうところですか。

「救いようのない世界それでも救いたい人がいる」
crisis 公安機動捜査隊特捜班

随所にちりばめられた問題提起に感動
こちらのドラマで、とある「犯罪者」が語る「貧困者」の姿は、お母さん自身、お子さん自身かもしれません。

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今話題のキングダムで、武将の誰かが騙されて、「全て」を失う瞬間があった。たしか、えっと、「離眼」の話だ。
その時、騙された、殺される運命にある武将(王?)が、殺戮者にこう申し出た。
「女子供には手を出すな」みたいなセリフだった。

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現状、隠された貧困やらなんやらのデータはこちらのフェイスブックページで収集できます。
子どもを守るために、お母さんがやらなくてはいけないことが、あります。
山本太郎「れいわ新選組」を応援する会

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学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

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へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

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うなぎは絶滅危惧種らしい。

で、「うなぎを買うことでうなぎを絶滅させることに一票投じている」という話を推し進めれば、
「今、日本にいるということは、今の日本に賛成している」ことになるのだろうか。

こんなことを考えていても、いいことは起きないきがする。
正しさなんてこの世にはない。悪は消えないし善も消えない。
ただ好きなことをして、この世界の情動にまみれて、今日は星がきれいだなとふっと息をつける瞬間だけあればいいのだろうか。

定期テスト対策をする塾と同じように、僕は誰かの欲望を掻き立てて、苦しみのスパイラルに落としていないだろうか。
合格実績で欲望を掻き立てる塾のように、欲望に駆り立てられた親子を苦しみのスパイラルに落としていないだろうか。
(僕は本当に、語るべきことを、語っているのだろうか)

清き正しきオトノネという名の無記名票を、世の中に、投じられているだろうか。
選挙の話ではない。生き方、意思表示、自己開示の話だ。

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うなぎの代わりに
ドジョウはいかが?

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ノートをとらせない先生。ノートが取れない、教科書が読めない子。

高校生が、ノートをもっていない!?
穴埋め式になっている。もちろんこれは「できない子向けだ」
(教科書を変えるのではなくシステムを変えればいいのだが)
指示が通らない、できない、けど卒業「させなきゃいけない」から穴埋め式にする。
やっているつもりにさせる。
なんとか、授業に参加、「させる」。
けど、できない子は、できないままだという現実がある。
だって、発達の課題、スピードは、ひとそれぞれだから。

できる子が潰れていく。
できない子も、潰れていく。

いやいや、そもそも、穴を埋める気持ちすらない生徒がほとんどなのだから。
生徒のことをちゃんとみていたら、そんな方法にはならないはず。
けど、仕方がない。先生すら、すぐに移動させられて、落ち着いてその学校で教育ができないしくみだから。

教科書を読めない子供が増えても仕方がない。
読ませてもらえないのだから。

家庭教育が大切。

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