『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

幼児教育の経済学
『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

ペリー・プロジェクトで有名な人。

知識を得る前の彼らは「理解できない」赤ん坊に語りかけをしようなどとは思って揉まなかった。だが、彼らは、赤ん坊に話しかけたり、絵本を読んでやったり、歌を歌ったりすることが脳の発達を促進するのだと学ぶ。(『幼児教育の経済学』p.97)

貧困層の子供を救うための「秘訣」は、成功している公立学校の周囲にある中流階級のコミュウニティーに目をやれば、全国どこだろうとごく当たり前に見られる光景に隠されている。そうしたコミュニティでは、親が毎晩眠る前に幼い子供に好きな本を読んでやる。黒板の文字が見えなければ、親は子供に眼鏡を買ってやる。今晩は食事にありつけるだろうかとか、学校帰りに銃で打たれないかなどと心配する必要はめったにない。そうした一連の、あたりまえの事実が学校を成功させるのだ。(『幼児教育の経済学』p.99)

ベティ・ハートとトッド・リスレーは1995年に42の家族を対象にした研究で、専門職の艇で育つ子供は平均して1時間に2153語の言葉を耳にするが、労働者の家庭では1251語、生活保護受給世帯では616語だとした。これに対応して、三歳児の語彙は専門職の過程では1100語、労働者の家庭では750語、生活保護受給世帯では500語だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.27)

ペリー就学前プロジェクト:低所得でアフリカ系の子供を対象に、30週間のプログラムを就学前まで午前中に毎日2時間半ずつ集団で。週に一回は家庭教師が90分の指導を個別に。
アベセダリアンプロジェクト:リスク指数の高い家庭の恵まれない子供を対象に4.4ヶ月から8歳までの全日
家庭学習の進め方を教えて、親の子育て能力を向上させると、どうなるか。

ペリー就学前プロジェクトでも、アベセダリアンプロジェクトでも、実験グループの子どもが対象グループの子供と比較して良い結果をエルというのが一貫したパターンだった。ペリー就学前プロジェクトの被験者になった子供は当初はIQが高くなったが
、その効果は次第に薄れて、介入が終了して4年経つとすっかり消えた。IQを高める効果が小さいことについては、他の研究でも認められtら。だが、IQ以外の主要な効果は継続し、非認知能力の向上もその一つだった。IQテストの結果は代わりなかったものの、14歳の時点で学力検査をしたところ、就学前教育を受けた子供は受けなかった子供よりも学校へ行っている率が高く、より多くを学んでいたことから成績が良かった。さまざまな社会行動についても良い影響が見られた。最終的な追跡調査(ペリー就学前プロジェクトでは40歳、アベセダリアンプロジェクトでは30歳)では、就学前教育を受けた子供は、受けなかった子供よりも学力検査の成績が良く、学歴が高く、特別支援教育の対象者が少なく、収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や逮捕者率が低かった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.32)

幼少期の環境を豊かにするという恩恵を受けられずに思春期に達した恵まれない子供のためには、どんな方針が効果的か?
幼いころに介入を開始すれば一層効果的だが、思春期に達した子供に対して効果的な策略もある、認知的スキルは幼少期に確立
され、重大になってから子供のIQや問題解決能力を高めることははるかに難しいことが、数々の証拠からシエされている。だが、社会的スキルや性格的スキルは別問題だ。これらのスキルは20台のはじめまで発達可能だが、学習を向上させることから、幼少期に形成しておくのが最善策だ。思春期お子供に対する戦略は、メンターによる指導や職場での教育を通じて、意欲や性格的スキルや社会的スキルを強化するべきだ。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.39)

研究対象となった子供のIQはいずれも70から85のあいだであり、これは当時のミシガン州の分類では「教育可能と精神的欠落とのボーダーライン上にある」とされる値だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.69)

いや、これらのプロジェクトは、「対照群」と比べたらいいかもしれないけど、平均からするとやはり「成果は全く、イマイチ」であるし、コストがかかりすぎた。集中的で、小規模で、高費用だった。もっと、効率的なプログラムが必要なのだ。

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『「学力」の経済学』中室牧子

「学力」の経済学
『「学力」の経済学』中室牧子
全てが、科学的な証拠に基づいた主張である。

メモ

ご褒美はテストの点数ではなく、インプットしたもの、本を読む・宿題をすることに対して与える。
ご褒美が子どもの「勉強するのが楽しい」という気持ちを失わせてはいけない
お金も、ご褒美として悪いものではない。
学力が高いという原因が自尊心が高いという結果をもたらしているだけで、その逆ではない。
「あなたはやればできるのよ」とむやみやたらに子どもをほめると、実行の伴わないナルシストを育てるかもしれない。
「頭がいいのね」と能力を褒めるのではなく、「よく頑張ったわね」と努力を褒める。
能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む。
親だけでなく、塾の先生が勉強のマネージメントをしてもよい。

学力の高い優秀な友人から影響を受けるのは、そのクラスでもともと学力の高かった子どものみ。
スウェーデンの高校生のデータを用いた研究は、学力の高い同級生の存在が、学力の低い生徒の自信を喪失させ、大学への進学意欲を失わせたことを明らかにしました。この意味では、学力の高い友達と一緒に胃さえすれば、自分の子どもにもプラスの影響があるだろうと考えるのは間違っています。むしろ、レベルの高すぎるグループに子どもを無理に入れることは、逆効果になる可能性すらあるのです。(p.66)

問題児の存在が、学級全体の学力に負の因果効果を与える。
ルームメイトから「成績」に対して受ける因果効果はほとんどない一方で、「行動」に対して受ける因果効果は大変大きい。

習熟度別学級は、ぴあ・エフェクトの効果を高め、特定の学力層の子どもたちだけでなく、全体の学力を押し上げるのに有効な政策である。とくに大きな学力上昇が見られたのは、もともと学力が低い子どもたち。

なぜ、習熟度別学級は子供達の学力をあげるのでしょうか。それは、子ども同士も、自分と同程度の学力の子どもたちと一緒になることで、他者と比較して意欲を失うことなく、互いに助け合うことができるためだと考えられます。(p.70)

日本政策金融公庫の調査では、子供がいる家庭は年収の約40%を教育費に使っている。
教育を経済活動として捉えると、将来に向けた「投資」として解釈でき、もっとも収益率が高いのhあ、子供が小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)である。人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき。

教育をすると社会全体への好影響がある。(雇用、生活保護、逮捕率などに関係し、行政の支出を省くことがえきる)。ペリー幼稚園プログラムの社会収益率はヘックマンの研究では年率7〜10%、他の研究ではさらに高い13%や17%という数字がでている。社会収益率が7〜10%ということは、4歳の時に投資した100円が、65歳の時に6000円から3万円ほどになって社会に還元されているということです。(p.82)

児童手当は学力を上げるという政策目標について、費用対効果が低いか、効果がない。

1980年代にコロラド大学のグラス教授とスミス教授が、1学級あたりの生徒数と学力の間には負の相関関係があり、とくに1学級あたりの人数は20人以下となるのが望ましいという研究を発表したが、教育政策の費用対効果としては、相対的に低い。つまり学力という点では、もっと別の方法によって、向上させることができる。

クラスの人数が40人を超えるとクラスを2つに分けることを「マイモニデスの法則」という。中世ユダヤ人の哲学者マイモニデスが「クラスあたりの生徒数の上限を40人とするように」と提案したのがもとになっている。

日本の赤字は、月収30万の世帯が毎月53万円を支出し、借金している状態。(この本は2015年6月に出版)
国の文科省への予算は15年前と比べて20%以上現象した。
2020年前にすべての小中学校の生徒一人に一台のタブレット端末を配布するという政策目標が掲げら得ており、手段であるはずのものが政策目的になっている。なんのために配布するのかが示されていない。

四谷大塚全国統一小学生テスト

学力テストの結果だけをみても、政策的に有用な情報はほとんど得られない。

学力は学校だけでは決まらない。
平等に扱うと不公平になる。

学校で平等を重視した教育「手を繋いでゴールしましょう」という方針の運動会などの影響を受けた人は、他人を思いやり、親切にし合おうという気持ちに「欠ける」大人になってしまう。(神戸大学の伊藤准教授らの研究)

全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではなく、「意見・意識など、事実に該当しない項目を調査する世論調査など」という扱いになっており、研究者がデータを学術研究に用いることができない。多額の税金をかけて行う価値がない。

教員研修は教員の質に影響しない。

貧困アクションラボ

オトノネひろげるシェアぼたん

学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

ーーーーーー

へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

オトノネひろげるシェアぼたん

ノートをとらせない先生。ノートが取れない、教科書が読めない子。

高校生が、ノートをもっていない!?
穴埋め式になっている。もちろんこれは「できない子向けだ」
(教科書を変えるのではなくシステムを変えればいいのだが)
指示が通らない、できない、けど卒業「させなきゃいけない」から穴埋め式にする。
やっているつもりにさせる。
なんとか、授業に参加、「させる」。
けど、できない子は、できないままだという現実がある。
だって、発達の課題、スピードは、ひとそれぞれだから。

できる子が潰れていく。
できない子も、潰れていく。

いやいや、そもそも、穴を埋める気持ちすらない生徒がほとんどなのだから。
生徒のことをちゃんとみていたら、そんな方法にはならないはず。
けど、仕方がない。先生すら、すぐに移動させられて、落ち着いてその学校で教育ができないしくみだから。

教科書を読めない子供が増えても仕方がない。
読ませてもらえないのだから。

家庭教育が大切。

オトノネひろげるシェアぼたん

精一杯、かるたであそぶ。それでもたくさん、学べる。

ざんねんな生き物図鑑、が、大好きだという子に、持ってきてもらった。

へー

すごい。進化の話まで書いてある。
おもしろいなー。
学校の進化の勉強するよりもおもしろそうだなー

とおもいつつ。

「これ、どこまで読んでるんですか?(全部は読めていないだろう)」とお母さんに聞くと
「ざんねんなことに、この文字の大きいところだけなんです笑」
なるほど笑
「暗記するくらい、読んでるんです笑」
なるほど笑

ということで、やって見ました。

ざんねんな生き物図鑑

おとのねさん「長い舌で鼻くそをほじるのは、なんて動物?」

即答。

「キリン❤️」

この子は天才だとおもった。

そのあと、家庭教育のサポートをする。
気づいたことの共有、言語化と、いろんな相談など。

で、最後に、オトノネに入ってきた瞬間から手に持っていた「かるた」をすることに。

なぜか、その子は「よむー!」といった。

お母さんと僕で対決。

最後、二人で取ったカルタの数を数える。

いーち、にーい、さーん、、、、
お母さんが19まい。
おとのねさんが25まい。

はいそこで質問。
「おとのねさんは、お母さんより何枚多くとったでしょうか?」

「引き算でしょ!」
正解!
いや別に足し算でもいいけど。

「じゃぁ、答えは?」

「。。。。16!」

「よし、じゃぁ、数えてみよう!」

いーち、にーい、さーん、、、、19まで数えてストップ。
「じゃぁ、残ってる札の数を数えるよ」

あれ?
16じゃなかったね。残念!
どっかに消えちゃったのかなー。
不思議だね!

ーーーーー

肝心なことは、その子が自分で「私は読む」といったこと。
読み札はすべてひらがなで書かれている。

それを、ゆっくり、読む。
ゆっくりなのだ。

ときどき、間違える。

札を読むことは、その子にとっての挑戦であったし、

もしかしたら、僕とお母さんを戦わせて見たいという願いがあったのかもしれない。
けどとにかく、一生懸命、読んだ。

お母さんも、僕も、読み終えるまで敢えてまっていたり。。。。

たまに痺れを切らせてバシッととったり。

ーーーーー

今日、どうしてカルタをしたくなったかわからないが、その気持ちひとつを大切にすることで、今日もひとつ、その子を理解できたようにおもう。

一生懸命、学んでいるのだ。

子どもを、心から、僕は尊敬している。

オトノネひろげるシェアぼたん

しあわせって何?ーICF国際生活分類の答えー学校についていけなくなった子のためにできること

ICFはWHOが定めた「人間の生活機能と障害に関する状況を記述することを目的とした分類」だ。
ICFの構成要素間の相互作用

各要素の定義
心身機能 :身体系の生理的機能(心理的機能を含む)
身体構造 :器官、肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分
活動 :課題や行為の個人による遂行
参加 : 生活・人生場面への関わり
環境因子 : 人々が生活し,人生を送っている物的・社会的・態度的環境
個人因子 : 個人の人生や生活の特別な背景

簡単に見てみよう。

大切なのは、「健康状態」である。
「健康状態」は「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」が影響する。
「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」は「環境因子」と「個人因子」が影響する。

well being(よい存在・健全な存在)でいるためには、
自己の充実「活動」
他者との関わり「参加」が大切だということだ。

これが、学校の授業の中で、どれだけ保証されているのか。

ーーーーーー

この分類は「障害者の生活状況」を理解する枠組みとしてつくられた。
学校で「障害」に阻まれて進んでいないが、学年だけは進んでいく子どもたちにも使える枠組みだ。

障害は、人が作り出すもの。

学校の中でつくられる障害、お父さんお母さんが、正しく「学校の仕組み」を理解して、お父さんお母さんが、環境因子を変えてあげてください。
お子さんの「個人因子」を変えようとするのは、間違いです。

はっきり言います。
環境を変えましょう。

ちなみに、
お父さんお母さんも、環境の一部です。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校のしくみ【753教育】とは何か。学校って何?

「教育七五三」の現場から-高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ

ゆとり教育は難しすぎ? 高校生3割が小学校レベルの勉強わからず

簡単にいうと、エリート選抜システムだ。
学校の授業、課題は平均以上の子のためにデザインされている。
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

変な表現で言うと、「おちこぼれをおとす」システム。
(もちろんいい先生もいますよ)
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

別の言い方をすれば


学校は、大切なことを学ぶための「試練」は提供するが、「試練を乗り越える」ところまで手伝ってはくれない

と思ったらいい。

統計的な事実を物語にすると、そうなります。

では、「試練を乗り越える」プロセスで学べる大切なこととは?
非認知能力だ。
情動知性といってもいい。
【ヘックマンのペリープロジェクト】テストでは計測できない“非”認知的能力が大切すぎる件

ーーーーー

多くの子どもにとって

学校は、受刑期間が過ぎるまで、耐える場所。
受刑が終われば、出なくてはならない場所。

だから、これがお母さんの大切な役割だとおとのねさんは思っています。
【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー

オトノネひろげるシェアぼたん

好きなことをして学ぶ。遊びながら学ぶ。子どもの自然な姿。

子どもの「天の才」を、大人が台無しにしてしまわないか。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。
学習塾を名乗りながら、オトノネはいつも悩んでいる。

高校生なら、本気で受検に挑むことがその子の発達段階、課題として適切な場合が多い。
(社会的に決められている、そして本当に自分に向き合って将来を考え、出した答えに向かっていくという意味で)

けれども小学生で。。

ーーーー

小学3年生、8歳が、とても大切な境目の時期だということはなんども書いている。
おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。
個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)
自立心と感情のコントロールと思春期と8才からの内言
「稽古」と「習い事」の違いと「労働」

そういえば、僕が家出をしようとおもったのは、小学4年生だった。
何事かに悩み出したり、本当に自分の姿が自分に映るようになる時期、かもしれない。

何度か、一緒に絵を描いたこともあるこの子は、筆ペンを持つとまた集中力が上がったり、描くことになにやら何かがある子。

おとのねさんが「この子にパステルはどうか」とおもって、使ってもらったら、筆を使って描く時とは様子が少し違って、シックリきているようだった。
体の皮膚感覚、体幹がしっかりしているこの子には、今のこの子には、筆を使うよりも、指先を直接使ったパステルの使い方の方が、無理なく、楽しめるんだろう。

「ブラックホール描く!」といって、「え?ブラックホールって、見えるの?」と僕。
光吸い込むから取れないんじゃないの?いやでもお母さんの話だと、要するにブラックホールの周りのまだ映る場所を写した影の部分がブラックホールだっていう写真があると。なるほど。

「惑星を描きたい!」というからネットで惑星を出した。
「輪っかが描きたい!」というから、木星か土星かどっちかと聞いた。(木星って、あれ、輪っかありましたよね?ないですか?)
土星の方がいいらしい。

ーーーーー

その子は踊りも歌もよくやる。

あまりにも綺麗に踊るものだから、「もういっかい!」とかいいながら遊んでいてしばらくすると。

歌詞を描き始めた。
漢字でもかけるらしいのだが。平仮名。(まぁいいけど)
歌詞を書きながら「わ」と「は」が間違っているけど。。

別に書かなくてもいい歌詞を、自分で、ひらがなで書き始める心がある。
オトノネにある大きな、自由に使えるホワイトボードがあるせいかもしれない。
そこで、踊りを踊って、歌詞が思い出せなくて、ネットで検索しながら、、、そういう遊びの物語の中から、ひらがなでホワイトボードに歌詞をかくという次なる遊びを発見。

思い出しながら、、、、、

「わ」と「は」が間違っているけど。。

ーーーーーーー

学校で「わ」と「は」を学ぶ時、今どき、穴埋めをやる。
高校生ですら穴埋めをしている。

これ、おとのねさん、はっきりいって、間違っているとおもう。
わかる人にはわかるでしょう。。。大人都合の、空所補充。
「は」というひらがな一文字の不思議を、伝えれば、子どもは勝手に学んでいくのに。。。。

まぁいいや。

ーーーーーーーーー

算数も、国語も、できない!のは経験不足なだけかもしれない。
けど算数や国語以外の、その子が本当に輝く、一生懸命に、本気になれることがある。

能力主義、能力主義の時代で、「ついつい後回しになる」大切な子どもの「天の才」を大人が勝手に摘み取らないように、と、僕は自分にいつも注意している。

僕だって「天の才」を自分で今、育て直しているようなもの。
オトノネは、そんな「自然」な学びを、追求していきたいと思っています。

ーーーーーーーーー

学校でできないのは、当たり前とおもってください笑
家庭教育、個別対応、自分にあったスピード。

小学生の時には、小学生にあった学び方、小学生だからこそできる心の育て方がある。
それが実践できる、オトノネでありたい。

ヒノキとアカシアの家、みんな遊びに来てくれるかな!?

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

こちらのリンクからどうぞー!
有料です。知的好奇心をお金で買いたい方、どうぞ!

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
ーーーーーーー

例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

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定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

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学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の放課後児童クラブ・学童保育

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オトノネひろげるシェアぼたん