学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

ーーーーーー

へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

オトノネひろげるシェアぼたん

ノートをとらせない先生。ノートが取れない、教科書が読めない子。

高校生が、ノートをもっていない!?
穴埋め式になっている。もちろんこれは「できない子向けだ」
(教科書を変えるのではなくシステムを変えればいいのだが)
指示が通らない、できない、けど卒業「させなきゃいけない」から穴埋め式にする。
やっているつもりにさせる。
なんとか、授業に参加、「させる」。
けど、できない子は、できないままだという現実がある。
だって、発達の課題、スピードは、ひとそれぞれだから。

できる子が潰れていく。
できない子も、潰れていく。

いやいや、そもそも、穴を埋める気持ちすらない生徒がほとんどなのだから。
生徒のことをちゃんとみていたら、そんな方法にはならないはず。
けど、仕方がない。先生すら、すぐに移動させられて、落ち着いてその学校で教育ができないしくみだから。

教科書を読めない子供が増えても仕方がない。
読ませてもらえないのだから。

家庭教育が大切。

オトノネひろげるシェアぼたん

精一杯、かるたであそぶ。それでもたくさん、学べる。

ざんねんな生き物図鑑、が、大好きだという子に、持ってきてもらった。

へー

すごい。進化の話まで書いてある。
おもしろいなー。
学校の進化の勉強するよりもおもしろそうだなー

とおもいつつ。

「これ、どこまで読んでるんですか?(全部は読めていないだろう)」とお母さんに聞くと
「ざんねんなことに、この文字の大きいところだけなんです笑」
なるほど笑
「暗記するくらい、読んでるんです笑」
なるほど笑

ということで、やって見ました。

ざんねんな生き物図鑑

おとのねさん「長い舌で鼻くそをほじるのは、なんて動物?」

即答。

「キリン❤️」

この子は天才だとおもった。

そのあと、家庭教育のサポートをする。
気づいたことの共有、言語化と、いろんな相談など。

で、最後に、オトノネに入ってきた瞬間から手に持っていた「かるた」をすることに。

なぜか、その子は「よむー!」といった。

お母さんと僕で対決。

最後、二人で取ったカルタの数を数える。

いーち、にーい、さーん、、、、
お母さんが19まい。
おとのねさんが25まい。

はいそこで質問。
「おとのねさんは、お母さんより何枚多くとったでしょうか?」

「引き算でしょ!」
正解!
いや別に足し算でもいいけど。

「じゃぁ、答えは?」

「。。。。16!」

「よし、じゃぁ、数えてみよう!」

いーち、にーい、さーん、、、、19まで数えてストップ。
「じゃぁ、残ってる札の数を数えるよ」

あれ?
16じゃなかったね。残念!
どっかに消えちゃったのかなー。
不思議だね!

ーーーーー

肝心なことは、その子が自分で「私は読む」といったこと。
読み札はすべてひらがなで書かれている。

それを、ゆっくり、読む。
ゆっくりなのだ。

ときどき、間違える。

札を読むことは、その子にとっての挑戦であったし、

もしかしたら、僕とお母さんを戦わせて見たいという願いがあったのかもしれない。
けどとにかく、一生懸命、読んだ。

お母さんも、僕も、読み終えるまで敢えてまっていたり。。。。

たまに痺れを切らせてバシッととったり。

ーーーーー

今日、どうしてカルタをしたくなったかわからないが、その気持ちひとつを大切にすることで、今日もひとつ、その子を理解できたようにおもう。

一生懸命、学んでいるのだ。

子どもを、心から、僕は尊敬している。

オトノネひろげるシェアぼたん

しあわせって何?ーICF国際生活分類の答えー学校についていけなくなった子のためにできること

ICFはWHOが定めた「人間の生活機能と障害に関する状況を記述することを目的とした分類」だ。
ICFの構成要素間の相互作用

各要素の定義
心身機能 :身体系の生理的機能(心理的機能を含む)
身体構造 :器官、肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分
活動 :課題や行為の個人による遂行
参加 : 生活・人生場面への関わり
環境因子 : 人々が生活し,人生を送っている物的・社会的・態度的環境
個人因子 : 個人の人生や生活の特別な背景

簡単に見てみよう。

大切なのは、「健康状態」である。
「健康状態」は「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」が影響する。
「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」は「環境因子」と「個人因子」が影響する。

well being(よい存在・健全な存在)でいるためには、
自己の充実「活動」
他者との関わり「参加」が大切だということだ。

これが、学校の授業の中で、どれだけ保証されているのか。

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この分類は「障害者の生活状況」を理解する枠組みとしてつくられた。
学校で「障害」に阻まれて進んでいないが、学年だけは進んでいく子どもたちにも使える枠組みだ。

障害は、人が作り出すもの。

学校の中でつくられる障害、お父さんお母さんが、正しく「学校の仕組み」を理解して、お父さんお母さんが、環境因子を変えてあげてください。
お子さんの「個人因子」を変えようとするのは、間違いです。

はっきり言います。
環境を変えましょう。

ちなみに、
お父さんお母さんも、環境の一部です。

オトノネひろげるシェアぼたん

好きなことをして学ぶ。遊びながら学ぶ。子どもの自然な姿。

子どもの「天の才」を、大人が台無しにしてしまわないか。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。
学習塾を名乗りながら、オトノネはいつも悩んでいる。

高校生なら、本気で受検に挑むことがその子の発達段階、課題として適切な場合が多い。
(社会的に決められている、そして本当に自分に向き合って将来を考え、出した答えに向かっていくという意味で)

けれども小学生で。。

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小学3年生、8歳が、とても大切な境目の時期だということはなんども書いている。
おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。
個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)
自立心と感情のコントロールと思春期と8才からの内言
「稽古」と「習い事」の違いと「労働」

そういえば、僕が家出をしようとおもったのは、小学4年生だった。
何事かに悩み出したり、本当に自分の姿が自分に映るようになる時期、かもしれない。

何度か、一緒に絵を描いたこともあるこの子は、筆ペンを持つとまた集中力が上がったり、描くことになにやら何かがある子。

おとのねさんが「この子にパステルはどうか」とおもって、使ってもらったら、筆を使って描く時とは様子が少し違って、シックリきているようだった。
体の皮膚感覚、体幹がしっかりしているこの子には、今のこの子には、筆を使うよりも、指先を直接使ったパステルの使い方の方が、無理なく、楽しめるんだろう。

「ブラックホール描く!」といって、「え?ブラックホールって、見えるの?」と僕。
光吸い込むから取れないんじゃないの?いやでもお母さんの話だと、要するにブラックホールの周りのまだ映る場所を写した影の部分がブラックホールだっていう写真があると。なるほど。

「惑星を描きたい!」というからネットで惑星を出した。
「輪っかが描きたい!」というから、木星か土星かどっちかと聞いた。(木星って、あれ、輪っかありましたよね?ないですか?)
土星の方がいいらしい。

ーーーーー

その子は踊りも歌もよくやる。

あまりにも綺麗に踊るものだから、「もういっかい!」とかいいながら遊んでいてしばらくすると。

歌詞を描き始めた。
漢字でもかけるらしいのだが。平仮名。(まぁいいけど)
歌詞を書きながら「わ」と「は」が間違っているけど。。

別に書かなくてもいい歌詞を、自分で、ひらがなで書き始める心がある。
オトノネにある大きな、自由に使えるホワイトボードがあるせいかもしれない。
そこで、踊りを踊って、歌詞が思い出せなくて、ネットで検索しながら、、、そういう遊びの物語の中から、ひらがなでホワイトボードに歌詞をかくという次なる遊びを発見。

思い出しながら、、、、、

「わ」と「は」が間違っているけど。。

ーーーーーーー

学校で「わ」と「は」を学ぶ時、今どき、穴埋めをやる。
高校生ですら穴埋めをしている。

これ、おとのねさん、はっきりいって、間違っているとおもう。
わかる人にはわかるでしょう。。。大人都合の、空所補充。
「は」というひらがな一文字の不思議を、伝えれば、子どもは勝手に学んでいくのに。。。。

まぁいいや。

ーーーーーーーーー

算数も、国語も、できない!のは経験不足なだけかもしれない。
けど算数や国語以外の、その子が本当に輝く、一生懸命に、本気になれることがある。

能力主義、能力主義の時代で、「ついつい後回しになる」大切な子どもの「天の才」を大人が勝手に摘み取らないように、と、僕は自分にいつも注意している。

僕だって「天の才」を自分で今、育て直しているようなもの。
オトノネは、そんな「自然」な学びを、追求していきたいと思っています。

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学校でできないのは、当たり前とおもってください笑
家庭教育、個別対応、自分にあったスピード。

小学生の時には、小学生にあった学び方、小学生だからこそできる心の育て方がある。
それが実践できる、オトノネでありたい。

ヒノキとアカシアの家、みんな遊びに来てくれるかな!?

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

こちらのリンクからどうぞー!
有料です。知的好奇心をお金で買いたい方、どうぞ!

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
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例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

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定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

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学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の放課後児童クラブ・学童保育

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オトノネひろげるシェアぼたん

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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こちらはオトノネの宣伝です!

富山市の民間学童保育

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

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本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

ーーーーーーー

小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

ーーーーーーー

正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

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実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

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