SNSの情報は生きている。どう使うか。

SNSのおかげで、マスメディアや権力者によって消されてしまうような、もしくは「話題性」がないような、でも大切ないろんな物語を知ることができる。本も、SNSの後追いででてくるケースがたくさんあるくらいだ。

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勉強と同じで、人生と同じで、学校と同じで、SNSも、ひとそれぞれに使い方がある。
ゲーム一つにしても、スマホ一つにしても。

独自の進化の道をたどる。

道具を使うための人間性を、人は大切にしてきただろうか。
僕は大切にしてきただろうか。

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心療内科に行く前に:医療の現場も【テスト対策】!?その薬、飲んで大丈夫?

こういう話を聞いて、怒りを感じてしまう。
けど怒っても、何もいいことがない。。。。
別のチカラにしよう。

だからぼくはオトノネをはじめたのかな。

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ある子が。

ある子が。

心身症で困っている。

その子は、薬を飲んでいる。
医者にかかって、薬を処方してもらえる。

テスト対策のように、その場で、手軽に、症状をなんとかしようとしたい気持ちはわかる。

けどその副作用の甚大さと、「症状」がでてくる心のしくみの深さを考えれば。

心身症を薬でなんとかしようというのは、よほどの決断でなければできない、とぼくはおもう。

副作用によって、大切な心を自分で守っていくチカラが奪われる可能性がある。
副作用で「別の体調不良」になり、それをさらに調整する元気も心にないとしたら。。悪循環だ。
そのリスクを背負ってまで、薬を処方する、薬を飲む価値があるのか(もちろん、危機的状況を脱するために、飲むこともあるかもしれないが、常用するのは。。。)。

クスリで活かされる魂もあれば、クスリで殺される魂もある。

結局、心次第。

学校教員が宗教団体で救いを求める時代、クスリなしでは生きていけない日常だとしたら、どんなにそれが不健康な状態なのか。

どうしたらいいのか。

その答えとして「クスリ」を安易に選んではいないか。

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短期的な救いのために、必要な応急処置があります。
例えば発展途上国で食糧難に陥っている人にとって、とにかくすぐに食料を渡すことが必要です。
一方で、持続的に、自給的に食料を手に入れられるようになる仕組みは?時間がかかります。ですが、自立して、自分の力で
短期的な食料供給(定期テスト対策)に頼らずに自分で自分の身を守るライフライン(恒久的な自己管理システム)をつくることが、オトノネの仕事です。

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医者は心身症を、心を理解しているんだろうか?
医者も点数稼ぎで忙しくて、心をみる余裕がないんだろうか。

体が出している自然な痛み、問いかけを受け取らずに、薬で抑圧していいのか。
抑圧しなくては生きられない心と体。
生きるってそんなもんだっけ。
痛みは、身体からの、無意識からの、心からのメッセージであって、別に薬を飲むことが悪いことではない。
そのメッセージを受け取った上で、「じゃぁ、ちょっと今は、待って。準備ができたら、君を救いにゆくよ、準備ができたら」といえるか。

そのうち良くなるさ、と受け身になっていないか。
仕方がないんだ、と諦めていないか。

学校の先生は学校の先生という立場でやらなきゃいけない業務がある。
医者先生も医者という立場上、何かしないとその後クレームが来るかもという不安もある。
それぞれが、お互いの都合で関係し合っている。

お互いの都合でだ。
だから自分の都合を、自分の目線で考えられるように、学ばなくてはいけない。
積極的自己責任を負うために。

学ぶとは、他人の都合と折り合いをつけながら(尊重しながら)、自分の人生を自分の都合で自分が生きるということかもしれない。
「先生、お言葉ですが、私はコレコレこういう理由で、このようにします」と言えばいい。

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知っている、知識としてもっていることの大切さを感じる。
と同時に、正しい知識を医者先生すらもっていないことに違和感を感じる。

アレルギーで苦しんでいる人がアレルギーに効く薬の副作用で悩んでいる。
ガンで苦しんでいる人が抗がん剤を飲んで悩んでいる。

薬をやめて食生活、運動、健康を総合的に見直すだけでアレルギーと付き合えるようになる。
薬を飲まずに、漢方にしただけで(お茶を飲んだだけで)ガンがよくなる。

そういう事実を、真実をしらずに、テスト対策でことを済ませてしまって、大丈夫だろうか。

あれ?これちがうんじゃない?と「違和感」を感じたら、学び始めよう。
大人も、子どもも、みな学ぶ過程にあるにんげんだとぼくは思う。

みんな生きるので精一杯。
医者先生も学校先生も、見る人の人数が多すぎて困っている。

だからオトノネは、完全個別にこだわっています。

医療に関する問題提起記事はこちら
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

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現在のゲーム社会について生徒と話す。

昔は、僕の生きていた時代は、ポケモンで「対戦ができる」ことがまず新しかった。
もちろん「線で繋げて」目の前の相手とポケモンを交換したり、バトルした。

今はどうか?
インターネットでも、無線でも、いろんな人と繋がれる。
もう時代が変わりすぎた。テクノロジーによって変わったものがある。
時代を超えても変わらないものもある。

ただ、これから生きる若い人たちの心を大人が理解していくには、今と昔とでは、状況が全く違う、(ポケベルの時代を僕は知らない)、ということを知って置いたらいいのかもしれない。家の固定電話でなければ友達の家に連絡ができなかった時代に、僕は育った。家に電話などなかった時代も、もちろんあったのだ。

で、技術は進歩していくけれど、文化は変わっていっただろうか?

僕ら大人は、新しい時代と、きちんと関わっているだろうか。

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ミアティブというゲームの配信アプリがある。

このアプリを使うと「配信」ができる。
「配信」すると、全世界の人と一緒にゲームが楽しめる。
で、今日、配信をしていて授業に遅れた子がいる。

「2000人以上、見にきてて、やめられなかったんです」という。
一度にプレイするわけではなく、4人づつ招待できる。一回負けたら一旦交代、というルールを彼が作って、、、「次俺!次俺!」ということになり、なかんだかんだして、遅れた。という。

実際に彼の配信を見たことはないが、これが、彼の暮らしている「ゲーム世界」だぁぁぁ!

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収束的あそびと拡散的あそび。

アマラはとてもかわいい3歳半の子だが、年齢以上にしっかりして見える。マイケルはたくましい小さな男の子で、何にでも熱中するタイプである。友だちといっしょのグループに入っているアマラは、収束的な思考を要する遊び道具(たとえばパズルのような正しいやりかたが一つしかないおもちゃ)をたくさんあたえられる。一方、マイケルのグループは拡散的な遊び道具(ブロックのようなもの)を与えられる。どちらの子どももそれぞれのグループで仲間と楽しく遊んでいる。やがて、実験が始まり、両者のグループにいくつかの拡散的問題が出される。たとえば、45個のブロックを使って村を作るという課題である。研究者たちはおsれぞれのグループを詳しく観察し、子どもたちがどうするかをみている。そして、それぞれに組み立てた構造物の数と、それらの構造物を名付ける時に用いられる、独創的な名前の数を集計する。マイケルのぐる0ぷは拡散的な遊び道具で遊んでいたせいか、よりたくさんの構造物と独特の名称を思いついた。彼らは作業に集中し、行き詰っても諦めることはなく、試行錯誤を何度も繰り返した。アマラのグループは全く違っていた。一つの生活を持つ収束的なおもちゃで遊んでいたせいか、行き詰まると、そこで立ち止まり、何度も同じことを繰り返した。マイケルのグループよりあきらめるのも早かった。独創性は明らかにマイケルのグループの方にあふれていた。では、今、市場に出回っている高価な知育玩具はどうだろう?そのほとんどは収束的な性質を持っている。それらが主眼としているのはいろいろなスキルを教え込むことなので、一つの問題に対して一つの答えを探させようとするのが普通なのだ。しかし、ここで述べたばかりの研究は、マイケルのグループが問題解決において創造的であるだけでなく、忍耐力や熱意においても優っていることを示している。(『子どもの遊びは魔法の授業』p.358)

どちらの遊びも大切だろう。だが考えてみてほしい。学校では収束的な、答えが一つしかない問題で溢れている。一体いつ、拡散的な、答えのない、創造的なあそびを子どもたちはできるんだろうか?偏りすぎる富、貧困はお金の問題だけではない。心を使うあそびのバランスの悪さ、学校と学校の外の世界のバランスの悪さが、心のバランスの悪さを生み出す。

保育所にある「あそび」道具
砂場での出来事(拡散的あそび)
収束的あそびと拡散的あそび。

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富山県の不思議!県民所得と教育費が不釣り合い。

教育費

県民所得

富山県、不思議がいっぱい!

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山田さんと話しながら、「富山県は自動車の保有数がすごい。あと、持ち家信仰がある」ということで、教育費にはいかず、自動車と不動産にお金が流れているようです。ますます、オトノネは苦しくなりそうです。

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おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

こちらのリンクからどうぞー!
有料です。知的好奇心をお金で買いたい方、どうぞ!

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

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子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

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そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

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日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

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PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

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定期テスト・発達検査を受ける前に(定期テストや発達検査結果で子どもを殺さないために)

進研模試の結果が(難関大を目指す人にとっては)「無意味」だと話すおとのねさん。

いやいや、別に、その子をちゃんとみたら、どこで困っているかわかるし・・・・

同じように、発達検査も「無意味」だとおもっている。
なぜなら、発達障害検査の結果も「偏差値」で計算されるからだ。
(計算方法の詳細を知ろうとしたが、問い合わせたところ、「秘密」であるとのこと)

数に、心を読み取ったり、数の「メッセージ」をどう受け取るか、そのリテラシーがなかったら、本当に「無意味」だと、おとのねさんはおもっています。公的な支援を受けるための「手形」としての意味は、あります。もちろん!

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偏差値とは、全体からみて、どの位置にあるか、を数値で表したもの。
だから絶対に、ほとんど絶対、偏差値40がいるし、30もいる。(所得を計算すれば、偏差値が100ちかくある人がいる!!!)

全員が走るのが早く慣れば、「ふつう」の子が「遅い子」になる。
走れないわけでもない、楽しく走る「遅い」子もいる。

そもそも発達検査を受けようと思った時点で「困っている」のだから、それを数値化して「資格」を得てどうなるのか。
それが「手形」になってお金をもらえたり、特別学級に入れるようになる。ただ、それだけのために診断を受ける、とおもったらいい。
診断名は、検査結果は、ただただ、子どもが有利になる環境をつくるために、利用するものである。

それで、その子の障害が決まる。生涯が決まる。
もし、その子に関わる人が「診断名」をみて「その子」を見ていなかったなら。
もし、その子に関わる人が「数値」をみて「その子」を見ていなかったなら。

「あ、この子は軽度知的ですねー多動ですねー自閉症ですねー学習障害ですねー(診断名の原理を理解している先生はほとんどいない)」
「じゃぁこっちにいってねー(その子は学校という社会で障害を「負わされている」とおもっていない)」

正しい診断、ただしい治療、などというものはない。
発達はもともと、個別的なものだ。それを学校の価値観、できるできない、みんな一緒にすることで障害が生まれる。

「発達障害」という言葉が動かす「安心」を売るマーケットがある。
学校の先生、関係機関の専門家、メディアがつくりだす戦場がある。
「不安」という市場で買い物をするお母さんたちが、たくさんいる。

発達検査のテスト対策を、療育センターでやっていることを知っている人が、どれだけいるだろうか。
塾も、学校も、療育も、テスト対策。

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偏差値とは何か。
IQ、発達障害のWISCの計算結果と、進研模試などの偏差値の出し方は変わらない。
その相関を研究する人がいてほしい。

中学生の発達検査の結果と中学生の学力テストの結果に相関があるか。
こういう研究ができない蒙昧な状況が、日本にはある。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

真面目にやらない子が、本来よりも

1960年代に北カリフォルニアで行われたカルヴィン・エドランド氏の実験によると、

知能検査の問題のご褒美としてチョコレートをあげながら検査を実施すると、ご褒美を使わなかったときよりIQが平均12ポイント上がったそうです。

このように、IQはその人の集中力や工夫である程度変化が見られることがわかりますね。

一方、教育学において有名な取り組みである「ペリー就学前プロジェクト」によると、

教育面に介入して上がった子供達のIQは、その介入をやめてから4年経つと介入前のIQに戻ったそうです。

これを踏まえると、

IQは一旦上がったとしてもそれが一生続くかと言えばそうとは限らないことがわかります。

そのテストは、何を検査しているのか????
全国学力テストは?
定期テストは?
大学入試問題は?
知能発達検査は?

「課題ノート提出」というテストは?

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キーワードを手に入れたら、どんどん出てくる新しい世界の人たち!

平川理恵
広島

と検索して、このページをみつけた。
広島県が目指す「主体的な学び」とは

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「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらない
親の言うことばかり聞く子どもには危機感を持ったほうがいい
教育委員会の都合は最後に考えよう
社会に出たら、何もかも指示されるなんてことはない
「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている

変わってきている。
それでも変わらない学校もある。

今まで沈黙していた人が動き始めている。
きっかけをくれた人がいる。

お父さん、お母さん、自信を持って、新しい時代に子どもを送ってあげても大丈夫ですよ。
助けてくれる人が、たくさんいますよ。

ホリエモン、藤原和弘、その他(ごめんなさいたくさんいるから…)

新しい世界、新しい時代。
そこで思い出したこの本。
新世界

この本は、西野 亮廣という特殊な人間の目線で書かれているので自分の世界観と摩擦を起こすくらい度肝を抜かれる。
けど今までは想像もできないことが、世の中では起きている。起こりうるということを知るには、役に立つ本だとおもう。

FBやツイッターをみるだけでも、新しい世界観をもった人の記事に出会える時代になりました。
情報はあります!

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