学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

ーーーーーー

へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

オトノネひろげるシェアぼたん

遺伝か環境か、テクノロジーか


ディスレクシア

読み書き障害は完全に先天的だという。
文字が浮き上がったり消えたり、ゆがんだりする。
文字を書くにしても、線に沿ってかけなかったり、鏡文字になったりする。

タブレットによって、「できないこと」を補って暮らせるようになった。
努力した分だけ、報われる、こうして開かれて行った心がある。

テクノロジーをつかうのは支援になるだろう。
で、それで?子供が、何を学ぶか。

スマホを与える。
それで?
子供は、何を学ぶか。
子供は何が、学べなくなるのか。

年齢を重ねると、認知能力とともに、子ども自身が「作戦」をたてたり、実行しながら適応することができる。
個人レベルで、改善がないわけがない。
ただそれが、相対評価、WISCなどで測るとなると「争い」になるので、改善しないようにみえているだけである。
お友達が発達障害だったら?子どもに教えておきたい、発達障害のとらえ方と接し方

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉の心ーオトノネー

生徒がやってきた。
(生徒っていうのもなんだな・・・人がやってきた)

先週出していた「やってくること」の話はさておき、いろんな話をしてくれる。
喋りたい様子。

聞く。

適性診断をやってみた!「占いを研究し尽くした人がいるらしいんですけど、当たる確率は1%くらいらしいですね!」と。
よく情報を集めているではないか。

「この間、おとのねさんが言っていた女の人の記事みたんですけど、私は・・・・」
なるほど、調べてくれたのね。

「冷房の設定温度、環境省のオフィスが20度だってどういうことですか!しろくまが困っているから節電節電っていうのに!」
しばらく、動物の話題になった。

で、んー、どうしようかな、と考えながら・・・

「君は、言っていることとやっていることが違うのが、気になるの?それとも、動物が苦しんでいるのが嫌なの?」

こういう問答をしているうちに、ああ、この子が今もっているのは、怒りなんだなっと感じた。
聞いてみた。

「今喋っているとき、感じている感情って、何?」

怒り、だという。
うん、伝わっているよ。

そうか、怒りの感情はそれ自体、悪くない。
何かの理由があって、怒りも怒りの事情があって出てきているのだから。

「その怒りって、いつ頃から感じてるの?」
20年前だという。

生まれる前からかー

けど、それが、怒りが外に、言葉になって出てきたのは、1ヶ月前、その子が不登校になってかららしい。
お母さんの証言でも、そうだという。
「こんなに喋る子じゃなかった」と。

ーーーーー

不登校を認めてくれたお母さんは賢明だ。
そうしてオトノネを訪ねてきたのも、何か、お母さんの素敵な直感だろう。

その子は、ヒトカゲからリザードに進化したのだ。

一人でカラオケに行ったり、料理をしたり、今までやっていなかったことも急に、やりはじめた。
そう、今は、今まで溜めてきた怒りと向き合う時期なんだろう。
宿題どころではない。

といいながら、そのエネルギーを、いずれ、掌握することになるだろう。
怒りのエネルギーを、どう使ったらいいか。怒りとお付き合いを上手にして、怒りに助けてもらうことができるようになるだろう。

そのためには、、、、いろんな人との出会いが、経験が、場所が、大切になるのだろう。
今は、宿題どころではないのだ。

が、現在、発散しているエネルギーを、収束させることで、その子が次のステップに行く力を得ることにもなる。
その子は今、生まれたばかり。リザードになってから、まだ1ヶ月。
新しい自分と付き合う時間が、必要だとおもった。

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けどお母さんは不安。
将来のことを考えると、計画的に勉強をしてほしい、、、

お母さんは、不安と付き合っている。

リザードに進化して、思春期を華々しく迎えた子と、どう付き合って行くか。
不安なのは、お母さん。
子どもは、進化して、今、ドキドキ中。

目には見えないけど、その子は、土の中で芽を出そうとしているタネのごとく、エネルギーに渦巻いている。
大丈夫。
自分で職業適性診断を探してやるくらい、将来のことを考えているから。
その子に、その子の時間をください。
と、僕は、伝えた。

といっても、お母さんは、不安!

だから、お母さんも、いろんな人に出会うといいかもしれない。
新しいことを始めるといいかもしれない。
新しい場所、新しい人、新しい気持ちで、不安と付き合うバランスを取れるように。
一人で心をなんとかするのは、とても大変だ。(無理無理!)
大丈夫ですよ。

人は、自立するチカラをもって、生まれてきます。

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大人も子どもも、それぞれの段階で、別々の課題をもっている。
おとのねさんも、思春期真っ只中です。

帰り際に、お母さんの一言。
「オトノネは、はっきりものを言うから、ふつうのお母さんたちは、怖くてこれないですよー」

生徒が増えないわけだ!

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音が聞こえていても、その根、音色が聞こえていないことがある。
言葉には心がある。
オトノネに、耳を傾けて、みませんか?

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おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

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おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。
【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

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実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネひろげるシェアぼたん

数であそぶ

数学は真面目にやったら新皮質だけで頭でっかちになる。
数学であそんだら、辺縁系も一緒になって、「あはは!」となる。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

小学生、数を「実際に」数える、というだけでも、ものすごく数学的なことができる。
規則性、対称性、分析して、場合分けして。。。

内言を獲得した後に抽象的な割合とか分数をやる以前に、こういう「数を数える」ことでたくさん数学の「どっきり」を経験してほしい。

高校生になったら、こうなる。

ふしぎくん


どきどきちゃん

で、文科省の指定通りに勉強すると、「概念の勉強不足」により、「暗記数学」への道が、ひらけてしまう。

いや別に、逆関数って言葉を使わなくてもいいんだけどね。
対数がわからないっていう子、結構たくさんいるらしいね。

逆関数、数Ⅲにならないとでてこないんですけど。
数Ⅱで必要になると、僕はおもうんだけど。

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分数の前に、数を数えること。
対数の前に、逆関数をやっておくこと。

積み重ねないで、「わからん」という人は、順番さえしっかりすればいいのに。
たったそれだけのことを、多くの高校生が、教わらない。

数の数え方、数の扱い方に十分に慣れずに割合、分数にすすみ、算数嫌い、数学嫌いになる子がいる。
その子のペースでやりさえすればいいのに。
たったそれだけのことができずに、宿題を「させる」ことが、どれだけふしあわせのタネをその子に植えつけてしまうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

バリ島の「感情」

バリ島に行って、ダランという語り部の先生にお世話になった。
そこで話を聞いていると、感情は3種類あるという。

それは、平穏、悲しみ、怒り。
しあわせ、がなかったことに驚いた。

バリ島では、喜ぶという感情が、どう表現されているのかわからない。

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日本では喜怒哀楽という言葉がある。
怒りと哀しみはわかるが、喜と楽の違いがわかりにくい気がする。

こんなふうに区別してみた。

接近(ある状態) 
喜び・嫌悪

喪失(ない状態)
楽・悲しみ 

好ましいものが近くにあれば、喜び
好ましくないものが近くにあれば、嫌悪

好ましくないものが近くになければ、楽しみ?
好ましいものが近くになければ、哀しみ

平穏(インドネシア語でダマイ)とは、喜びと楽しみを合わせたものなのか。
怒りとは、嫌悪と哀しみを混ぜたものだろうか。

インドネシアの語り部のストーリーは、だいたい、決まっている。

出来事が起きる。

怒り10%

出来事が起きる。

怒り40%

また何かが起きる。

怒りが溜まっていく。

そして、戦いが起こる!

戦いが終わった後で、、、平穏が訪れる。

僕の言うしあわせとは、心が落ち着いた状態であって、何かが得られて嬉しいというものではない。
うれしいことをうれしいと感じるメタスキル かもしれない。

僕の言うしあわせとは、和やかさのことで、平穏のことで、自由に、のびのびと生きることだとおもった。
だとしたら、今の僕は、なかなか、穏やかではないなぁ笑

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保育雑誌を読んでいて、天野耕太さんの記事に出会う。

こういう、すごい人がいるんだな。
「平和」を心に抱いて、世界を巡業するサーカス団。

そういえば、作家のミヒャエル・エンデ(時間泥棒の『モモ』の話で有名)も、サーカスの人たちの社会的な役割、人間にとってのサーカスをよくよく考察した人だった。
演技団。

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愛でる、という言葉がある。
これは「目出る」がオリジナルの日本語であるようにおもえる。
目が飛び出るくらい、みつめる、ということだと、僕は思って言う。

しあわせには自然発生的なものと人工的なものがある。と言う記事は、前に書いた。
僕の言う幸せは人工的なものであって、「しあわせになる」心ひとつで手に入るものだ。
これは、「得られなければ、幸せではない」という辺縁系レベルの感情ではなく、「なくても、それで、しあわせ」をつくりだす、想像の世界を作り出す新皮質レベルの感情だ。

「美味しいものを食べて幸せ!」ももちろん、大切だろうけれど。
誰かと一緒に暮らしながら、学んでいく「しあわせ」も味わえるようになったほうが、どうやら、人間らしいと僕はおもっている。

そうおもったら、一人分のお金だけ稼いで、あとは、小さく、生きていくのがいいのかもしれない。
おとのねさんは、どうやら、焦りすぎている気がする。

《放課後の学校》、趣味で、始めようか?
無料にしたらいい???笑

そんな考えすら、浮かんでくる。

そうして、厚生労働省は、文科省に予算も、社会的影響力も、とられてしまいましたとさ。

おとのねさんは、いつも悩んでいます。

オトノネひろげるシェアぼたん

学童期に大切な「学び」を保障する場所。

0歳から1歳 子ども(体外胎児期
 0歳:感覚と感情の経験

1歳から4歳 子ども(幼児期
 1歳:ニューロンの再構築(一度出来上がったシステムが、全く新しくなる)
    社会的所作の獲得開始(食べる・排泄する・)
 2歳:みえない友達
 3歳:
 4歳:サリートアン課題ができる

5歳から8歳 子ども(学童期
 指先の細かい動き
 5歳:
 6歳:
 7歳:
 8歳:

9歳から12歳 子ども(思春期
  9歳:数学的抽象概念の理解・言語的な社会化(内言の発露)
 10歳:
 11歳:
 12歳:

13歳から18歳 大人(思春期

感情にまだ名前がない、未分化な状況がある。
人間らしいシナプスが作られるようになるという1歳児から、子どもは、少しずつ、「名もなき感情」が生まれた時の「対処法」、感情との「対話法」を学んでいく。あこがれ、うらやみ、とまどい、怒り、、、少しずつ、少しずつ、、、、それがある程度、その子のデフォルトは、3歳になるまでに固まるという(保育士さんの経験則)。

高次認知的情緒とよばれるこうした「いろんな名前のついた感情」に、子ども自身が、子どもの内部で、心で対処していけるようになる。

友達を脅す子
友達に媚びる子
誰にでも対等に関わる子
ひとりで遊ぶ子

そしてどの子が持っている力も、社会化することで、「天の才」として、伸ばすことができる。(個別化)
それを子ども時代の大脳辺縁系の発達のままにしてしまうのではなく、人間として、大脳新皮質を育てることが大切だと、オトノネさんは思っています。

それは全て、人との関わり合いの中で、遊びの中で育つ。
プリントをたくさん解くことで育つのではない。

ーーーーーー

3歳までの遊び方・学び方で、その子のその後の育ちがだいぶ、決まるらしい(保育士さんの経験則)。
実際、脳はいくら臨機応変だといっても、その時その時「育てたい部分」がある。
ある部分が、適した時期にある程度でき、そしてその次に、「基礎」をもとにして、新しい部分を作っていく。
人間の脳が、辺縁系の上に、新皮質がプラスされているように。

同時に全部、ではなく、やはり優先順序が、そのときどき、発達の段階で異なるということ。

乳幼児には、呼吸器や筋肉など、とにかく生きるために発達する。
幼児期には、人間として生活する所作を学ぶ(甘える・怒る・駄々をこねる・一人で静かにあそぶ・誰かにいつもひっついてあそぶ)。【自主性】
学童期には、鍛えられた探究心、身体性を最大限に使って、あそぶ。ルールを理解できる。(知識・技能・関心の個別化・深化)【自主性・創造性】
思春期(子ども)には、すでに独立して、他者から自立して内言をつかい、話し合うことができる。協同して学べる。ルールをつくれる。(自立・協同)【自主性・創造性・(小さな)社会性】
思春期(大人)には、子どものときに培った「天の才」を極めて、社会化するような学びを深める。多様性に接する。【自主性・創造性・(大きな)社会性】

18歳になったら、「職場」で学ぶ。
(大学は、もともと、研究者を要請する場所だった。大学という「職場」で学ぶことだった。それが今は、教育基本法改正(改悪)によって、高校と同じ「学校」になってしまった。今は「幼稚園」だけが学校に含まれているが、これから「認定こども園」を学校に入れようという動きが見られるだろう。それは、日本がアルイミで終わる瞬間だ)

それからは、組織を選んだり、自分にあった場所を探したり、、、いろんな生き方がある。
学び直すのもあり、、、外国にいくのも。旅をするのも。

次の発達段階、発達課題を見越した関わり合いが大切。
一つ前の段階から、次の段階のタネを育てていく。

例えば、学童期に創造的に「粘土」とか変わるために、「砂場」でたくさんあそぶこと。とか!
それは思春期になって、自分の「天の才」として、「土」の仕事を目指すきっかけになるかもしれない。

学童期の最初の段階、5歳で象徴的な「創造」「集中」「深化」の例として、他にKAPLAが挙げられる。
時間をかけて、ひとつのイメージに向かって、作り上げていく。

身体的な発達については、「検診」で診断される。
身体的な発達が遅れて入れば、その分だけ、精神的な発達にも影響があると考えるのが道理だが、そうとも限らないこともある。
アームストロング博士は有名だし、オトノネはクシュラを例として挙げたい。

1歳児半検診で「両手で叩ける」ことが検査項目にある。
身体的な機能、発達していく心を見越して、環境を与えること。

そんな当たり前を、おとのねはあたりまえにやろうとしています。

オトノネひろげるシェアぼたん

野性のチカラと企業戦士の矛の先と戦闘ゲームと虫取りとあそび

最近、保育園で子どもが「虫取り」をするのを見た。

というか、園内に昆虫が増えた笑

で、この虫取り、、、、、
すごい。

何が凄いかって。

まず目が鍛えられる。
「獲物を見つける」視野。

で、神経も鍛えられる
「獲物を捕まえる」俊敏さ。

で、指先も鍛えられる。
「殺さず、生かす」やわらかさ。

で、頭も鍛えられる。
「逃げられた!次はどうしたらいいか?」

捕まえた虫を観察したり。
飼ってみようとするなら、もっといろんなことを学ぶだろう。

あれだけ生き生きとしていた虫が、死ぬかもしれない。
そんなかんだで、心も鍛えられる。

ーーーーー

サッカーなどは、ゲルマン民族の「戦闘」能力をスポーツ化したものだという記憶が僕にはある。
テニスは「貴族の暇つぶし」。野球の起源はなんだったか。(ネットで調べて見たけど、不明らしい。あんな複雑な、バットを使ってボールをうんたらなんていうものがどうやってできたのか。場外に出す動作、打つ動作。走るどうさ。取る動作。うーん、想像できない。。。)

とにかく、体を使って奪いあったり、捕まえたり、物を放り投げたりする能力は、なかなか爽快だ。
的(獲物)に当たったら、めちゃくちゃ嬉しい笑笑

それこそ自分で「修行」をしたくなる。
そうして、強くなる。

宮本武蔵になれる笑

ーーーーーー

スポーツも、ある程度のレベルまでいくと、相手との「心理戦」になる。
どれだけ相手の呼吸を狂わせるか。。。。

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

剣を通じて、拳を通じて、語り合う人がいるらしい。
北斗の拳とか??

ーーーーーーー

現代、この狩猟感覚はゲームの中で体験されている場合がおおい。
オトノネさん、実は生徒に教わって「戦闘ゲーム」を、最近、やってみた。
戦場に降りて、武器を見つけて、相手を狙って撃つ。
相手の足音、打たれた方角、現在地、向かっている先は全て画面に表示される。
けど肝心な情報は、「目視」するしかない。
20分くらい、逃げて、狙って、隠れて、戦い続けた。(結局3位になったが、銃は一回も使わなかった笑ビビりなのね)
オンラインで、世界中の人がやってくる。
時間が来ると、居場所が狭まっていき、敵との遭遇率も高くなる。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れた。

身体感覚が伴っていたら、大変なことになっていただろうが・・・
おとのねさんには、違和感、違和感・・・

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。

脳は野性を、ある意味で求めているかもしれない。「男の子」はなおさらそうかもしれない。

それで高度経済成長期に、「男の子」は、企業戦士になって、戦ってきた。
今、その矛を置いて、さて、どうしたものか。
矛を下ろす先が、わからないのかもしれない。

矛を持ったままでもいいから、その矛で、子どもとあそんだらいいのに。
たったそれだけで、世界はたぶん、変わるから。
(それで少年野球に精を出すお父さんがいるという話もある。スポーツじゃなくて、「させる」んじゃなくて、あそんでほしいんだけどな)

そもそも、狩りは、昔の子どもにとって、純粋に遊びであり、本物の狩りの練習だった。
そうおもうと、昔の「狩り」は今の「宿題・課題・お勉強」なのかもしれない。あそぶように、当たり前のように、「学習習慣」を身につける世の中。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れている子どもが、どれだけいるだろうか

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

「テスト、どうだった?」
「赤点じゃなかった!」

テストの答案用紙を通じて、模試の結果を通じて、語り合う人がいるらしい。

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。
「やった!今回も、平均以上だ!」次も頑張ろう!とか。

心が大事。

ーーーーーーー

ちなみに、オトノネでこの野性の要素を出せる環境は限られています。
走り回るスペースは、ありません笑

けど
お手玉とか、折り紙の手裏剣ごっことか、(山田さんの)吹き矢とか。
あ、この前、庭にトカゲが歩いてたな。。。

あれ?そうおもうと、あそびって、結構野性味があるな・・・

オトノネひろげるシェアぼたん