1歳児の【社会的参照】は大人でも有効な件。情動調整のためのリラックス。励まし。

マシュマロ

第16章 麻痺した意志
ホットシステムを冷却するためにクールシステムを使える。が、ホットシステムに働きかけることで、ネガティブな感情に対処できるようになる。

ジョン・チーヴァーの1961年の短編「橋の上の天使」は、自制のスキルに優れ、心理的な免疫系が最善を尽くしており、自制心と石の力を働かせようという動機付けがこれ以上ないほど強くてもなお、クールシステムが容易に損なわれるることを教えてくれる。物語の主人公は、マンハッタンに住む羽振りの良いビジネスマンだ。アルバン彼が家に帰るためにジョージ・ワシントン・ブリッジに近づくと、突然、猛烈な雷雨に襲われる。風が吹き荒れ、この大きな橋が揺れているように感じられて、主人公(名前は出てこないので、「ブリッジマン」と呼ぼう)は、橋が崩壊するのではないかという恐ろしい考えが頭に浮かび、パニックになる。彼はなんとか家まで帰り着くが、自分がジョージ・ワシントン・ブリッジだけでなくほかの橋に対しても、身動きが取れなくなるような恐れを抱いてしまったことに間も無く気づく。ブリッジマンは仕事のために橋をしばしば渡らなければならないので、意志の力で恐怖心を克服しようと必死になるが、どんなに懸命に努力してもうまくいかず、しだいに落ち込み、自分はどうしようもない泥沼にはまってくくだけなのだと思われてならなくなる。(略)幸いなことにチーヴァーの物語の中では、「天使」がブリッジマンを助けてくれた。それはある晴れた日のことだった。彼は橋を渡らないで目的地に着く道筋を見つけることができずに、渡らなければならない橋に近づいていくと、再び恐怖に襲われた。彼はそれ以上進むことができなかったので、しかたなく車を道路脇に止めた。そのとき、一人の愛らしい天使のような若い娘が小さなハープを持って近づいてくると、車に乗せてくれるように頼んだ。その長い橋を渡る間ずっと、娘が耳に心地よいフォークソングを歌って聞かせてくれたので、彼の恐怖心は消えていった。ブリッジマンは、ジョージ・ワシントン・ブリッジを私のはやはり用心して避け続けたが、ほどなく、他の橋を渡る行為は日常生活の一部に戻った。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.231)

これは何かと言えば、赤ちゃんが1歳くらいで「社会的参照」をするのと似ている。怖い、どうしたらいいかわからない、そういう時、励ましてくれる、安心させてくれる、そういう「お母さん」がいることで、恐ろしさに慣れ、ついには一人でも渡れるようになるというもの。恐ろしい原因は何か?といわれたら、ない。恐怖は感情であって、焦燥と同じように勝手に出てきてしまうものだ。石橋を叩いて渡る気持ちは、合理的に「この橋は石でできており構造計算が云々」だと理解して渡るのではない。みんな渡っているから安心だ。というので渡る。最愛の「お母さん」が一緒だからわたる。渡ってみたら平気なものだ。よし、今度は橋の上から川でも一緒に眺めてみよう。といって、世界を広げていく。世界を信頼していく。

ブリッジマンの話は、精神や心理の先生方にいわせればトラウマということになる。トラウマをどう克服するか?そのための手法も数多く研究された。有名なのが、EMDRという手法。ひと昔ではその方法が「極秘」だったが、今はどうかしらん。図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法

例えば昔話で怪物が現れる。そこにとある琵琶法師がやってきて、琵琶を奏でる。すると、怪物(その物語では蛇であった)がいろいろと喋り始めて、とりあえずいい方向に物語が進んだ。怪物は理性を超えた情動、人間の手に負えぬ自然を表していることが多い。神秘的であって合理性では太刀打ちできぬものに関わりあう一つの方法が、身体的感覚的なアプローチである。

これは人間恐怖症、人の中に入るのが怖いとか、家の外に出るのが怖いとか、意志や心が麻痺している人たちが世界を広げるための助けになる考えだ。

少しずつ、慣らしていく。恐怖を飼いならしていく。そのうち、恐怖と付き合えるというより、恐怖の人相が変わってくる。そんなアプローチだ。怖い顔をしていると思っていたのに、付き合ってみたら、まぁなんだ。笑えるではないか。という。

ウォルピは、筋肉をすっかり弛緩させて深呼吸をするリラクゼーションのエクササイズをすれば、患者が必要とする、不安と相反する反応が生じやすくなるだろうし、そうすればリラクゼーション反応が次第に恐怖刺激と結びつき、ついには恐怖心が消えるだろうと考えた。この種のセラピーでは、リラクゼーション反応はまず、トラウマとなっている刺激位とほんの少しだけ関係している刺激(たとえば日差しを浴びた穏やかな浅い池に架かる小さな橋の絵など)に結びつけラエッル。そして、こうした穏やかな恐れの元に対する不安が克服されると、患者は次のもう少し恐ろしい刺激を呈示され、それを段階的に繰り返すことで、ついにリラクゼーション反応は恐怖刺激について考えることに、そして最終的には恐怖刺激そのものに実際に近づくことに結び付けられる。この時点で、もしその刺激がジョージ・ワシントン・ブリッジなら、患者はリラックスした状態でその橋を渡ることができる。(略)短編では、いかにもフィクションらしく、橋を渡っているあいだ、愛らしい天使が歌ってくれるという、これ以上ないかたちでそれが実現した。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.234)

愛らしい天使の姿を子どもに見立てることはできないだろうか。

いろんな恐怖心・不安感を煽る世の中で、扁桃体は熱くなっている。
それを毎日、子どもの笑顔でリラックスをしていく。子どもから、橋を渡る(会社に出勤する)ためのリラックスした状態になるためのお守りをもらうかんじ。子どもからたくさんもらっているお母さんは、しあわせだ。

この心の機能の根底にあるものは「模倣」だ。
信頼できるだれか、憧れるだれかを真似たいとおもう。
踏み入れたことのない、不安と恐怖の世界に入ってみようとおもう。
情動によって情動を乗り越える。

よりポジティブな情動によって、「感情の習慣」を変えていく。
たとえばそれが「褒める」ということなのかもしれない(煽てるオダテルのではない)。

このシステムがまだ作り途中の幼少期にさまざまな感情と出会い、それと関わっていくことの大切さをおもう。大人になると、扁桃体の深く深くに、ある種の神経は埋没していくものだから。その配線を変えるための努力を要する。誰かの助けが必要になるのは、小さいときでも、大きくなってからも、かわらない。

時間をかけて、目の前で起こっている小さな出来事を感じて、噛み締めながら、記憶の奥底で眠っている子どもの心を呼び起こして育てなおす。いつだってやり直せる。大人なら、閉じ込めてしまった子どもが心のどこかに幽閉されていると感じる瞬間が、あるかもしれない。

子育てとは、大人が自分の中にいる子どもを、橋を渡るときに現れた天使を、大切にすることなのかもしれない。

子どものおかげで、いろんな人と出会えたり、世界が広がる。
それがよろこびにならないで、一体何になるだろう。

僕が昔、大切な人から教わったことがある。
「嫌な気分になったらどうするの?」僕は聞いた。
「寝る!」と、その人は答えた。

「失敗してくよくよしちゃったらどうするの?」僕は聞いた。
「ヘラヘラしてたらいいんだよ」と、その人は答えた。

寝たり、笑ったり。
大切なことは、どうやら、子どもが全部、教えてくれそうだ。

がんじがらめになった自分の心を解きほぐして、リラックス!!!!!!リラッX!!!!

大人になってからも、大切なことを、学び続ける。

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第17章 疲労した意志

ニューヨークのアッパーイーストサイドにある上品なハンガリー領事館でのレセプションで、疲れ切った聴衆がプログラムの開始を待っていた。長い1日の仕事が終わった夕方遅くだった。40歳ぐらいからずっと年上までの、ほとんどはグレイか黒のビジネススーツを着た「芸術に造詣が深い」人たちが、ロレックスの腕時計やiPhoneを再び見やり、目を閉じ始める。散々待たされた後で、突然、スピーカー0から大音量の音楽がどっと溢れ出した。

今、悪いことをしたいんだ!あとで苦しんだってかまうものか!

寄せ集めのようなバンドがステージ上でその歌詞をいかにも楽しそうにがなり立て、バイオリンやギターを荒々しく演奏し、ドラムやメタル缶を叩き、カスタネットを打ち合わせ、ラトルを振り鳴らした。小さな古びた中折れ帽を被り、ヒッピーのような服装をしたバンドのメンバーは、お互いに呆れるほどふざけあい、いかにもまじめそうなx聴衆にも誘いをかけてきた。ハンガリーに旅行に行きたいという気持ちを掻き立てるために。居眠りをしていた聴衆は度肝を抜かれて、ロックコンサートで若者があげるような興奮した感性と唸り声を思わずあげた。もしそうでなく、プログラムが型通り、ブタペストのすばらしさについてのビデオと講演ではじまっていたとしたら、咳が止まらなくなったふりをしながら出口に向かう人たちがたちまち続出していたことだろう。バンドが興奮を引き起こすまで、聴衆はおのおの自制心の発揮し過ぎで疲れ、そろって深刻な意志の疲労状態にあったように見えた。毎日意志の力を使った努力を続け、ストレスの多い長い1日の仕事をやり通すだけでも、人は披露しうる。聴衆は内なるキリギリスを今すぐ喜ばせてやりたくてうずうずしていたので、羽目を外せ、陽気にやれ、ホットシステムを楽しませろというバンドの誘いを嬉々として受け入れ、そのあいだ、働き過ぎたクールシステムは一休みしていた。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.239)

疲労感、意志が消耗した、ホットシステムがうずうずしているという感覚が次にどんな反応を引き出すか。

ある人は寝る。
ある人はゲームをする。
ある人は散歩をする。
ある人は修行を始める。
ある人は無茶食いをする。
ある人は麻薬に手をつける。
ある人は人を殴る。
ある人は人を捕まえて喋りまくる。
ある人は音楽を聴く。
ある人はスマホを手に取る。
ある人は・・・

意志の力は消耗する、ということは実験で証明されているし、それは実際、現実に僕たちのみに起こっている。
僕たちにはご褒美が必要だ。

そのご褒美があまりにも頻繁だと、「自制心がない」とされる。

どうしよう・・・

で、人はこうした自制心をどのように学ぶか。というものだ。

この本では、やはり親を真似る。という研究結果がでているという。
親が厳しい基準で自分にご褒美を出すなら子どもはそれを真似る(子どもに厳しい条件を出して、自分へのご褒美は甘いと、子どもは甘い条件を採用する)。

ご褒美が遠く、遠くにあるときでも、ある一定の条件があれば、それに向かうことができる。
この本では、SEALという特殊任務集団のメンバーになるための訓練は「懸垂が100回できたら、それは次の30回を意味するようになる」といった、永遠とも思える意志の力を必要とするものだ。ご褒美は遠く、輝いている。それに向かって意志の力を働かせ続けられる人もいる。

マークの体験や成功が浮き彫りにしているのは、意志の力について人が暗黙のうちに持っている理論の重要性だ。努力や我慢強さを守り立てて持続させるような、熱烈に達成を望む目標と、人を奮い立たせてくれる手本とさまざまな支援を与えてくれる社会環境とがあれば、意志の力は事実上無限の発達を遂げられる。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.252)

赤ちゃんが必死に立ち上がろうとしたり、はいはいをしようとしたとき、向こうでお母さんが笑顔で励ましてくれる。
何かを喋ろうとしたら、お母さんが反応してくれる。
指をさしたら、そっちのほうを向いて、興味を示してくれる。

そうした関わり合いが、赤ちゃんの発達を、成長する意志を、自立する意志を支えている。
人は一人では、なかなか成長できない。

無尽蔵の支援をする。
子どもは自立しようとしている。
(ところで、子どもにとっての1番のご褒美ってなんだろう?たぶん、抱きしめてもらうことだと僕はおもう。高校生になっても、大人になっても、大切なことかもしれない。肌が触れ合う距離で言葉を交わせる人がいることほどのご褒美はないんじゃないか。思春期の女の子にはよくあること。男の子は日本の文化的にそれがなかなかできなくて、うーん。。。。。)

お母さんが一人でできいないこともある。
「社会環境」が大切だ。

だから、僕はれいわ新鮮組の安冨さんに一票をいれます。

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8歳、9歳から思春期までの子どもの発達課題(=お母さんの宿題)。

バイリンガル環境で育った子供が、帰国して、「9歳のときに英語が喋れなくなる」のはよく聞く話。
これがどういうことかというと、脳が内言を強化する時期。
つまり今までに育ててきた言語能力が、前頭葉を刺激して「自己内対話」を行う時期。
この時期に、子どもは自分で考えて言葉を使って、自分の状況を説明したり、考えたりする。
その言葉を「口に出して」話し、応えてくれるだれかがいて、世界を理解するための、大人の言葉かけを前頭葉のなかに刻み込んでいく。
だから日々日常の中で使わない言葉を脳内に止めるコストよりも、脳は、日々日常にある言葉を使って自己対話能力を大きくしていこうとする。

「8歳、9歳で英語を忘れる」のはそのためだと僕はおもっている。

この時期に「宿題を全部終えてから」と言ってしまえば、好きなことをする前に嫌いなことをやらなきゃダメという価値観をつくるし
発達に合っていない理不尽なできない宿題でも「やらなきゃダメよ」といわれれば、人生そんなもんかとおもってしまう。

怒られてばっかりいたら、「どうせ僕は」という回路をつくるかもしれない。

逆に、感謝の気持ち、人間関係、オシッコやうんこのように怒りや悲しみを排出すること、
羨ましい!が妬みにならず尊敬の念になるような変換装置をつくること。
他人の気持ちについて話す機会をもつこと。
落胆した時、がっかりした時に、自分を励ませるようになること。
自分の使う言葉を、しっかりと噛みしめること。
世の中の仕組みを理解すること(感情はつくられるもの。それをどう使うかは、自由。とか。学校だけにこだわらなくてもいいんだよ。ほら、こういう人もいる。とか。)

そうした「心の言葉」が脳に刻まれるといい。
こうした心を渡せるのは、本当に、一番身近なのは、お母さんだ。
これはもう、そうなのだ。

お母さん!

そういう大切な時期、子供はなんだってできるようになる。
なんだってやらせるのはいいが、会話、対話によってこのような非認知能力、情動知性、社会的情動スキルの黄金期をやり過ごしてしまっていないか。子供は常に、学ぼうとしている。学ぼうとしていることを学ぶことを励ますだけでいい。

今、お母さんたちの不安の声が聞こえましたが。
その不安をマネージメントするのは、お母さんの宿題。
お母さんができない(やりたくない)宿題を子どもに押し付けないように。

例えば、「◯◯したくない」と子どもが言ったとしよう。
どうしたの?何があったの?もう少しお話してくれる?といって、まず感情が整理できるように。

「したくないことでもさせなきゃ忍耐力がつかないのではないか」と考えたら、アウトです。

それは、病気の学校の先生の考え方に近いような、、、

幼年期の刺激で発達しやすいのは、高度な精神的能力や人格というよりむしろ基本的な感覚運動能力である。しかも、そうした能力を培う力は成長するにつれ非常にゆっくりと衰えていく。(『子どもの「遊び」は魔法の授業』p.61)

「そのようなとても早い時期に、概念やいろいろなスキルを教えるのは、まったくの時間の浪費である。たとえ、丸暗記をさせてもそうだ。なぜなら、体験を伴わない理解は、学習にならないからだ。(『子どもの「遊び」は魔法の授業』p.61)

どうして多くの日本人は、しあわせになろうとしないんだろう。
子どもがいつでも教えてくれるのに。

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【中学生】思春期前か、思春期中か。とにかく最後の子ども時代。何をして過ごすか。

中学生時代は、思春期前の、最後の黄金期。
思春期でいろいろなイベントが発生するまえ、
こういう大切な時期でもある。

『オプティミストはなぜ成功するのか』を読んでデイヴィッド・レヴィンが最初に目を惹かれたのは、効果的な時期についてのセリグマンの主張だった。悲観主義の子供を楽観主義者に変えるのに最適な時期は「思春期よりまえ、しかしメタ認知ができる(思考についての思考ができる)程度には成長したころ」であるという。いいかえれば、ちょうど子供たちがKIPPのミドル・スクールにやってくるころだ。性格について話すこと、性格について考えること、性格を評価すること。これらは全てメタ認知のプロセスである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.148)

思春期と言っていいのか、どうか。
中学生。
思春期と被っている場合が多い気がする。
僕は思春期らしい思春期がなんなのかよくわからない。

ただ、2歳か3才の第一次ウハウハ期がすぎてから、15歳くらいの第二次ウハウハ期(思春期)までに、子供がどれだけ成長するか。
1歳、2歳、4歳、8歳、という規則的な数字の増加が次に目指す数は16だ。
これを目安にしていいかもしれない。(僕は16才のときにイベントが発生した)

2歳をすぎてから4才ころまでに他者の状況を理解できるまで認知能力が育つ。
4歳から8歳にかけては、内言(思考)のためにたくさんの時間をかける。
8歳からはルールとか複雑なことがわかるようになったり、もうプロの人間。

で、思春期を迎えるまでに、自己認識、メタ認知、自分を見つめる自分、自己対話の能力が育っていること。
これが、16歳までに終わらせておく課題だ。

自己対話能力を使って、思春期を乗り越える。

自己対話能力がない子どもが、まだベビーカーにいれられて運ばれ続ける子どもが、高校生になってもたくさんいる。

高校受験をする時期、もしくは中学生活とは、自己対話能力、自己認識能力を高める時期であるといえる。
受験ばかりを目にかけてこっちに目をかけてやれているか。

まぁ、子供は勝手に育つのだけれど。

メタ認知、自己意識の強化の時代。中学生。

大人になってからの収入の差を生む変数は十代のころの身長の高さであった。16歳という形成期の年齢において比較的背が高かった少年は、社交的で運動の得意な若者になり、これが恒久的に彼らをやり手になるように調整したようである。この時点を過ぎると、たとえ後期の急成長気ごろまでに背が高くなっても、何の違いもうまなかった。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.244)

中学校時代はこちこちマインドセットの子供にとっては、ターニングポイントだ。ドゥエックは、小学校ではこひこちのマインドセットの子供としなやかマインドセットの子どもにそれほど能力差はないものの、中学校に入るとこちこちマインドセットの子供の成績がすぐに落ちはじめ、それから数年で下がり続けることを発見した。ドゥエックの研究対象になった子供たちは、「僕はバカだから」とか「私は数学がダメだから」というように、成績の低下についてこちこちマインドセット特有の言い訳をすることが多かった。注目すべきは、子どもたちが自分の能力を普遍の性質のように語っている点だ。まるで、「私の目は茶色い」と言っているようなものだ(他にも、「先生の教え方がへたくそだから」とか「数学の教師はデブでいやなやつ」など、人のせいにする子どももいた)。(略)しなやかなマインドセットを教えた生徒には、脳は筋肉と同じで練習すれば鍛えられると伝えた。(略)なかには劇的な変化を遂げた生徒もいた。『「やればできる!」の研究』のなかで、ドゥエックはこう述べている。「ある日、研究に参加してくれる生徒たちにしなやかマインドセットについて説明していると、突如、ジミーという、どうにも無気力で投げやりな生徒が目に涙を浮かべてこう言ったのだ。”ぼくはバカだと決まったわけじゃないんだね”。その日を境にしてジミーはがらりと変わった。夜遅くまで宿題と格闘するなんて、生まれて初めてのことだった。そうやってきちんと早めに宿題を提出するようになったので、返されてから間違いを見直すこともできるようになり、ジミーはめざましい進歩を遂げていった。(『スイッチ!ー「変われない」を変える方法』p.224)

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中学生は、子ども時代の最後の時期。

やり残したことはないだろうか?

これまでに関わってきた人にはどんな人がいるだろうか?
これまでどんな言葉をかけてもらいながら大きくなっただろうか?
どれだけ人の心、自分の心を感じられるようになっただろうか?

高校入試で大変な時期かもしれない。
が、中学3年生の夏、一度家族みんなで旅にでたり、ゆっくり今を感じてみたり、そうやって中3の夏という時期を大切にしてみたらどうなるだろうか。
高校入試が終わって、高校にいってから、その日のことを思い出して、元気になれたりしないだろうか。

自分は、大丈夫だと。

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6ヶ月、1歳、2才、4才、8歳、16歳、どの時期にも終わりはある。
この時期が来るまでに、心置きなく、心ゆくまで、その時に大切な関わり合いがある、と僕は思っている。

自然さが失われていくこの時代、子育てのあるがままの姿、「自然」を求めることが大変な時代になってしまった。

なぁ。

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学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

ーーーーーー

へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

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遺伝か環境か、テクノロジーか


ディスレクシア

読み書き障害は完全に先天的だという。
文字が浮き上がったり消えたり、ゆがんだりする。
文字を書くにしても、線に沿ってかけなかったり、鏡文字になったりする。

タブレットによって、「できないこと」を補って暮らせるようになった。
努力した分だけ、報われる、こうして開かれて行った心がある。

テクノロジーをつかうのは支援になるだろう。
で、それで?子供が、何を学ぶか。

スマホを与える。
それで?
子供は、何を学ぶか。
子供は何が、学べなくなるのか。

年齢を重ねると、認知能力とともに、子ども自身が「作戦」をたてたり、実行しながら適応することができる。
個人レベルで、改善がないわけがない。
ただそれが、相対評価、WISCなどで測るとなると「争い」になるので、改善しないようにみえているだけである。
お友達が発達障害だったら?子どもに教えておきたい、発達障害のとらえ方と接し方

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言葉の心ーオトノネー

生徒がやってきた。
(生徒っていうのもなんだな・・・人がやってきた)

先週出していた「やってくること」の話はさておき、いろんな話をしてくれる。
喋りたい様子。

聞く。

適性診断をやってみた!「占いを研究し尽くした人がいるらしいんですけど、当たる確率は1%くらいらしいですね!」と。
よく情報を集めているではないか。

「この間、おとのねさんが言っていた女の人の記事みたんですけど、私は・・・・」
なるほど、調べてくれたのね。

「冷房の設定温度、環境省のオフィスが20度だってどういうことですか!しろくまが困っているから節電節電っていうのに!」
しばらく、動物の話題になった。

で、んー、どうしようかな、と考えながら・・・

「君は、言っていることとやっていることが違うのが、気になるの?それとも、動物が苦しんでいるのが嫌なの?」

こういう問答をしているうちに、ああ、この子が今もっているのは、怒りなんだなっと感じた。
聞いてみた。

「今喋っているとき、感じている感情って、何?」

怒り、だという。
うん、伝わっているよ。

そうか、怒りの感情はそれ自体、悪くない。
何かの理由があって、怒りも怒りの事情があって出てきているのだから。

「その怒りって、いつ頃から感じてるの?」
20年前だという。

生まれる前からかー

けど、それが、怒りが外に、言葉になって出てきたのは、1ヶ月前、その子が不登校になってかららしい。
お母さんの証言でも、そうだという。
「こんなに喋る子じゃなかった」と。

ーーーーー

不登校を認めてくれたお母さんは賢明だ。
そうしてオトノネを訪ねてきたのも、何か、お母さんの素敵な直感だろう。

その子は、ヒトカゲからリザードに進化したのだ。

一人でカラオケに行ったり、料理をしたり、今までやっていなかったことも急に、やりはじめた。
そう、今は、今まで溜めてきた怒りと向き合う時期なんだろう。
宿題どころではない。

といいながら、そのエネルギーを、いずれ、掌握することになるだろう。
怒りのエネルギーを、どう使ったらいいか。怒りとお付き合いを上手にして、怒りに助けてもらうことができるようになるだろう。

そのためには、、、、いろんな人との出会いが、経験が、場所が、大切になるのだろう。
今は、宿題どころではないのだ。

が、現在、発散しているエネルギーを、収束させることで、その子が次のステップに行く力を得ることにもなる。
その子は今、生まれたばかり。リザードになってから、まだ1ヶ月。
新しい自分と付き合う時間が、必要だとおもった。

ーーーーーー

けどお母さんは不安。
将来のことを考えると、計画的に勉強をしてほしい、、、

お母さんは、不安と付き合っている。

リザードに進化して、思春期を華々しく迎えた子と、どう付き合って行くか。
不安なのは、お母さん。
子どもは、進化して、今、ドキドキ中。

目には見えないけど、その子は、土の中で芽を出そうとしているタネのごとく、エネルギーに渦巻いている。
大丈夫。
自分で職業適性診断を探してやるくらい、将来のことを考えているから。
その子に、その子の時間をください。
と、僕は、伝えた。

といっても、お母さんは、不安!

だから、お母さんも、いろんな人に出会うといいかもしれない。
新しいことを始めるといいかもしれない。
新しい場所、新しい人、新しい気持ちで、不安と付き合うバランスを取れるように。
一人で心をなんとかするのは、とても大変だ。(無理無理!)
大丈夫ですよ。

人は、自立するチカラをもって、生まれてきます。

ーーーーーー

大人も子どもも、それぞれの段階で、別々の課題をもっている。
おとのねさんも、思春期真っ只中です。

帰り際に、お母さんの一言。
「オトノネは、はっきりものを言うから、ふつうのお母さんたちは、怖くてこれないですよー」

生徒が増えないわけだ!

ーーーーーーー

音が聞こえていても、その根、音色が聞こえていないことがある。
言葉には心がある。
オトノネに、耳を傾けて、みませんか?

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

こちらのリンクからどうぞー!
有料です。知的好奇心をお金で買いたい方、どうぞ!

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。
【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

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実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

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数であそぶ

数学は真面目にやったら新皮質だけで頭でっかちになる。
数学であそんだら、辺縁系も一緒になって、「あはは!」となる。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

小学生、数を「実際に」数える、というだけでも、ものすごく数学的なことができる。
規則性、対称性、分析して、場合分けして。。。

内言を獲得した後に抽象的な割合とか分数をやる以前に、こういう「数を数える」ことでたくさん数学の「どっきり」を経験してほしい。

高校生になったら、こうなる。

ふしぎくん


どきどきちゃん

で、文科省の指定通りに勉強すると、「概念の勉強不足」により、「暗記数学」への道が、ひらけてしまう。

いや別に、逆関数って言葉を使わなくてもいいんだけどね。
対数がわからないっていう子、結構たくさんいるらしいね。

逆関数、数Ⅲにならないとでてこないんですけど。
数Ⅱで必要になると、僕はおもうんだけど。

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分数の前に、数を数えること。
対数の前に、逆関数をやっておくこと。

積み重ねないで、「わからん」という人は、順番さえしっかりすればいいのに。
たったそれだけのことを、多くの高校生が、教わらない。

数の数え方、数の扱い方に十分に慣れずに割合、分数にすすみ、算数嫌い、数学嫌いになる子がいる。
その子のペースでやりさえすればいいのに。
たったそれだけのことができずに、宿題を「させる」ことが、どれだけふしあわせのタネをその子に植えつけてしまうか。

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