『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

幼児教育の経済学
『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン

ペリー・プロジェクトで有名な人。

知識を得る前の彼らは「理解できない」赤ん坊に語りかけをしようなどとは思って揉まなかった。だが、彼らは、赤ん坊に話しかけたり、絵本を読んでやったり、歌を歌ったりすることが脳の発達を促進するのだと学ぶ。(『幼児教育の経済学』p.97)

貧困層の子供を救うための「秘訣」は、成功している公立学校の周囲にある中流階級のコミュウニティーに目をやれば、全国どこだろうとごく当たり前に見られる光景に隠されている。そうしたコミュニティでは、親が毎晩眠る前に幼い子供に好きな本を読んでやる。黒板の文字が見えなければ、親は子供に眼鏡を買ってやる。今晩は食事にありつけるだろうかとか、学校帰りに銃で打たれないかなどと心配する必要はめったにない。そうした一連の、あたりまえの事実が学校を成功させるのだ。(『幼児教育の経済学』p.99)

ベティ・ハートとトッド・リスレーは1995年に42の家族を対象にした研究で、専門職の艇で育つ子供は平均して1時間に2153語の言葉を耳にするが、労働者の家庭では1251語、生活保護受給世帯では616語だとした。これに対応して、三歳児の語彙は専門職の過程では1100語、労働者の家庭では750語、生活保護受給世帯では500語だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.27)

ペリー就学前プロジェクト:低所得でアフリカ系の子供を対象に、30週間のプログラムを就学前まで午前中に毎日2時間半ずつ集団で。週に一回は家庭教師が90分の指導を個別に。
アベセダリアンプロジェクト:リスク指数の高い家庭の恵まれない子供を対象に4.4ヶ月から8歳までの全日
家庭学習の進め方を教えて、親の子育て能力を向上させると、どうなるか。

ペリー就学前プロジェクトでも、アベセダリアンプロジェクトでも、実験グループの子どもが対象グループの子供と比較して良い結果をエルというのが一貫したパターンだった。ペリー就学前プロジェクトの被験者になった子供は当初はIQが高くなったが
、その効果は次第に薄れて、介入が終了して4年経つとすっかり消えた。IQを高める効果が小さいことについては、他の研究でも認められtら。だが、IQ以外の主要な効果は継続し、非認知能力の向上もその一つだった。IQテストの結果は代わりなかったものの、14歳の時点で学力検査をしたところ、就学前教育を受けた子供は受けなかった子供よりも学校へ行っている率が高く、より多くを学んでいたことから成績が良かった。さまざまな社会行動についても良い影響が見られた。最終的な追跡調査(ペリー就学前プロジェクトでは40歳、アベセダリアンプロジェクトでは30歳)では、就学前教育を受けた子供は、受けなかった子供よりも学力検査の成績が良く、学歴が高く、特別支援教育の対象者が少なく、収入が多く、持ち家率が高く、生活保護受給率や逮捕者率が低かった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.32)

幼少期の環境を豊かにするという恩恵を受けられずに思春期に達した恵まれない子供のためには、どんな方針が効果的か?
幼いころに介入を開始すれば一層効果的だが、思春期に達した子供に対して効果的な策略もある、認知的スキルは幼少期に確立
され、重大になってから子供のIQや問題解決能力を高めることははるかに難しいことが、数々の証拠からシエされている。だが、社会的スキルや性格的スキルは別問題だ。これらのスキルは20台のはじめまで発達可能だが、学習を向上させることから、幼少期に形成しておくのが最善策だ。思春期お子供に対する戦略は、メンターによる指導や職場での教育を通じて、意欲や性格的スキルや社会的スキルを強化するべきだ。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.39)

研究対象となった子供のIQはいずれも70から85のあいだであり、これは当時のミシガン州の分類では「教育可能と精神的欠落とのボーダーライン上にある」とされる値だった。(『幼児教育の経済学』ジェームズ・J・ヘックマン p.69)

いや、これらのプロジェクトは、「対照群」と比べたらいいかもしれないけど、平均からするとやはり「成果は全く、イマイチ」であるし、コストがかかりすぎた。集中的で、小規模で、高費用だった。もっと、効率的なプログラムが必要なのだ。

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【お母さんもお父さんも必読】『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』

ライフシフト

『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』

今までと時代が違いすぎているけど、今若い人たちが「あー」とか「うー」とか言っていることは、時代を敏感に感じているからだと思えた。
急いで仕事を始める、ずっと仕事を続ける時代ではないと。
昔のままに生きていたら?

・・・

おとのねさんの生き方は完全に、いやぁもう立派に100年時代のスタイルらしい笑

あそび経験という無形資産

人間がロボットや人工知能と違うのは、イノベーション精神と創造性があり、遊んだり、即興で行動したりできることだ。(略)前章で論じたジミーとジェーンのシナリオにも、それが見て取れる。ジミーのポートフォリオ型のシナリオの特筆すべき点は、自分が心底楽しめる活動へ移行することで高揚感を味わえることだ。やりがいを感じられる活動をたくさん実践できるのだ。ジェーンの場合は、若い時にアルゼンチンとチリを旅して青空市場を散策したり、ビジネスパートナーと一緒に本当にやりたい事業に挑戦したりする。その後、45歳のときに短い移行期間を経験して、子どもや両親と過ごす時間を取り戻し、70歳を過ぎてから若々しさと円熟を組み合わせ自分が興味を抱けるアイデアと活動で構成するポートフォリオを組み立てる。これらの時期に、ジミーとジェーンは遊びと即興を実践する。フルタイムの仕事における休みなき労働という足かせから解き放たれて、精神を自由に羽ばたかせるのだ。遊びとは、なにをするかではなく、どのように行動するかに関わる概念だ。例えば、人類学者たちの魅力的な表現を借りれば「はしゃいで跳ね回る」ことにも時間を費やす。「一見すると無意味なことにこだわったり、行動に無駄に思える装飾を加えたりする」のである。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.227)

選択肢を狭める決断は、先送りする。

長寿というお贈り物を手にする世代は、もっと選択肢が多く、もっと多様な人生を送ることができ、もっと多くの選択をする必要がある。そのため、正しい道を選び取るために時間を費やすことの重要性が高まる。未来を見据えて、自分の関心と情熱に沿った教育を受けること。自分の価値観ん胃適合し、やりがいを感じられ、自分のスキルと関心を反映していて、しかも袋路地にはまり込まないような仕事を見つけること。自分の価値観を尊重してくれ、スキルと知識を伸ばせる環境がある就職先を探すこと。長く一緒に過ごせて相性のいいパートナーを見つけること。一緒に仕事ができて、自分のスキルおよび働き方との相性が良く、できれば自分を補完してくれるビジネスパートナーと出会うこと。具体的には、こうしたことが必要になる。長く生きる時代には、自分と相性のいいものを見出す資質がきわめて重要になる。長寿化に伴い、それによって影響を受ける期間が長くなることに加えて、アンソニー・ギデンズのいう「ポスト伝統社会」である今日、相性のいいものと巡り合うための仕組みの多くが弱体化しているからだ。私たちが行う選択は良い結果を生むこともあれば、悪い結果を生むこともあるが、人生が長くなると、悪い選択や判断ミスの弊害が大きくなる。だから、100年生きるジェーンが選択肢の探索に多くの時間を割くのは当然のことだ。長寿化時代には、ライフスタイルにせよ、キャリアにせよ、結婚相手にせよ、自分にあったものをみつけることがとりわけ大きな意味を持つ。自分と相性の悪いものを選択したり、早い段階で不適切な道に針路を定めたりした場合に失うものは多い。「あわてて決断、ゆっくり後悔」ということわざは、100年ライフにはひときわ重要な金言なのだ。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.236)

実験と選択

チャンスに気づいた人は、実験と再度プロジェクトを通じて、自分がもっている選択肢について理解を深めていく。その家庭で人的ネットワークの中身が変わるケースも多い。最後に待っているのは、確認の段階だ。進むべき道をもっと絞り込み、未来に向けてさらに多くの計画を立てる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.258)

一斉行進から脱落すれば、踏み殺されかねない

教育への投資

時間の構成だけでなく、時間の使い方、とくに余暇時間の使い方も変わる。100年ライフでは、家族と友人、スキルと知識、健康と活力などの無形の資産を充実させることの重要性が高まり、そのための投資が必要になる。家族や友人と過ごす時間、教育とスキルの再取得にかける時間、エクササイズをする時間に投資しなくてはならない。長い人生の生きる人には、これらの資産への投資、とりわけ教育への投資が不可欠だ。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.310)

計画と実践

100年以上にわたって生産的に生きる人生を設計する上では、計画と実験が重要になる。長い人生で経験する多くの変化によって金銭的資産と無形の資産を破壊されないためには、計画して準備することが欠かせないし、ありうる自己像について検討するためには、実験を行う必要がある。計画と実験は、人生に目的と個性を生み出し、アイデンティティを形作る心理的連結性をもたらすものだ。計画と準備の重要性が増すのは、個人の選択の幅が広がるからだ。一貫性をもたせなくてはならない人生のステージの数が増え、悲惨な結果につながりかねない選択をしてしまう機会も増える。しかも、万人向けのロールモデルを模倣することも難しくなる。100年ライフの計画をたてるためには、自分がなにをしたいのか、どのようにそれを達成したいのかという重要な決断をしなくてはならない。問題は、正しい決断ができる場合ばかりではないことだ。行動経済学者のダニエル・カーネマンが指摘するように、私たちはおうおうにして誤った楽観主義に流される。私たちが適切な準備や行動をしないのは、それがもたらす結果を恐れるからではなく、未来について愚かなほど楽観的な考えをもっているからなのだ。(略)実験が重要な理由もここにある。昔のように特定のロールモデルに従っていればいい時代ではなくなり、ありうる自己像の選択肢が大きく広がる時代には、実験を通じて、何が自分にとってうまく行くのか、自分がなにを楽しく感じ、なにに価値をみいだすのか、なにが自分という人間と共鳴するのかを知る必要があるからだ。実験は、若者だけのものではない。それは、あらゆる年連想の人にとってきわめて大きな意味をもつ。私たちを次の地点に導き、どのおうに意向を成し遂げればいいかを明らかにするのは、実験なのだ。実験と探求は、一人の人間の人生を貫く要素の一部をなすものである。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.360)

辛抱して続けることがいいか、別の道を探した方がいいか、という話は『残酷すぎる成功法則』の本にも書いてあった通り。
その選択に責任をもてる人間になることが大切。

無形資産を、有形(お金)に、どこかで変えなくちゃ、オトノネさん本当にやばいということがわかりました!

マシュマロ実験

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

誰かに評価されるのではない、死ぬ前に、自分が振り返ってみる、自分の人生。

教育をイイ学校で「受ける」「与えられる」よりも大切なことを、学んでいってほしいとおもう。

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【第一思春期】子どものゴールデンタイム2歳のイヤイヤ期(ウハウハ期)の心の状態は高校生が溺れている「課題の海」と似ているような気がした。【性格の強み】

いやー、保育士すごい。

休日だけ働いている保育所、二人の兄弟がいる。
一人は2才、一人は4才、あ、もう5歳か。

で、春から一緒にいるのだけれど、、2歳の子が、なんと、お盆に入ってからイヤイヤ期に入ったらいい。
実際、「イヤ」とか「ジブンデ」というレパートリーを使う。

この時期は高次認知的情動、くやしとか、悲しいとか、嫉妬とか、見栄とか、複雑な感情と付き合い始めるとき。
新皮質と辺縁系が合わさって社会的に有効な感情と、その調整法学んでいく時期。
【学ぶチカラ】情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。高次認知的情動とは?

今までと違った行動パタンになりお母さんは「!?」となるらしいが。
保育中に僕がみた姿は、まさに、意欲の塊だった。

けど今までのすなおーな感じとは違っているところで、戸惑う僕。
そんな僕の目の前で、保育士さんはふつーに、自然に関わり合いをもっている。

関わり合う中で、「いや、これはやってほしい」ということをちゃんと伝えてそれを受け取ってもらえるのは、信頼関係というか、保育士がその子の心を尊重しているからだと。
子どもとうまくいかない!とおもったら?

伝えることは伝えるという凛とした態度は変わることがない。
ただ、その子が「いろいろと頭の中があっぷあっぷ状態!」であることを理解して、一つずつ、気落ちを抱きしめている。

という感じ。

ーーーーーーー

「ジブンデ」といって、今までやったことのなかった「ぞうきんがけ」をやった!
(モンテッソーリ教育の本で「お手伝いをしてもらう」というのがあったが、これはまさに、2歳の意欲を日常生活で発揮してもらうということだろう。よくできているなぁ)
笑顔で、どこで覚えたか、ちゃんと足を踏ん張って、ぞうきんをかけていく。くねりながら!

こんな意欲あるイヤイヤ期!
イヤイヤ期じゃなくて、ウハウハ期だぜ!
「おれっちったらあれもできるぜ!これもできるぜ!こんなに、感じてるんだぜ!」

ウハウハヾ(*´∀`*)ノ

思えば、はいはいができるようになったり、両手が自由になった時も、ウハウハしながらいろんな挑戦をした。
この時期はこの時期なりの身体能力、言語能力を駆使して、意欲的に、学んでいくんだろう。
(今まで貯めて来た、日常生活の所作を大人に混じってやることが、よいのかも?しれない。ある意味で、ままごとは、最強の拡散的あそびのようにおもう)
収束的あそびと拡散的あそび。

「イヤ」というとき、何か他のものに心が奪われているような。
「イヤ」という言葉は、「今頭の中それどころじゃないんだけどどうしたらいい?」みたいな響きに、僕は感じた。

ーーーーーーー

自称進学高校で課題に潰されている子がいる。それを、とある子が「課題の海で溺れている」と表現してくれた。
毎日毎日押し寄せる、頭がいっぱいになって身動きがとれなくなる「課題の海」で溺れている高校生は「イヤ」ともいえず、「今それどころじゃないんだけどどうしたらいい?」という気持ちでいるかもしれない。

その心を理解して、一つ一つ、気持ちを抱きしめてあげるだけでも、その子は落ち着いて、持ち前の意欲を発揮できるようになるかもしれない。

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寝起きが悪い、2歳児。お昼寝の後に、おやつを食べることになっている(食べることになっている)。

だがしかし、
布団から出ても座り込んで、ぼけーっとしている。
どうしたものかな。。。と思っていると、保育士さんが「お散歩する?」と聞く。

その子は、頷いた!

大人になっても、いろんな気持ちがあるけど、体が付いていかないこともある。
そういう時に、どうしたらいいか、この子は今、学んでいるのかもしれない。

最後に。
ウハウハ期は、1年くらいしたら終わるそうだ。
高次認知的情動との付き合いができるようになり、次は、抽象語を学ぶ、内言を鍛えると同時に他者の心に近づいていく怒涛の時期に入る。
ウハウハ期に入ってから、彼の言葉の使い方がはっきり変わった。
どしどし、言葉を使ってくる。

けど「ドウシテ」
とか「ナニ」とは聞かない。

今は、それどころではないのだ!

それは、3歳以降、次の段階の課題であるようです。

あせらず、たゆまず、心ゆくまで。
自分にあった発達段階、自分にあった発達の道を、ひとりひとりが鼻歌を歌いながら進んでいってほしいとおもいます。

そんなおとのねさんでした。

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追記:『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.127に書かれていた、人生をより幸せなものにする7つの気質

「性格の強み」ともいわれているもの。

やりぬく力
自制心
意欲
社会的知性
感謝の気持ち
オプティミズム
好奇心

こうした一つ一つの心を、幼児期に、ちゃんとみてあげたいと思う。
そして思春期まで!ずっと!笑

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ちなみにその子は全然おやつを食べなかった。今日、朝マックをしてきたというから、全然、お腹が空いていないのだ。
散漫なあそび、散漫な食事

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ツイッターで、2歳のウハウハ期のツイートをみつけて、この記事を共有させてもらいました。
(おとのねさんがコメントにリンクを貼ったのを、みていただきました)
返事をいただけて、なんだか、とてもうれしくなりました。

SNSの使い方、研究中です!

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砂場での出来事(拡散的あそび)

1歳(もうそろそろ2歳)と4歳の兄弟が砂場で遊んでいた。
部屋の中で、はさみをつかって「ふたこぶの山」をつくったあとだったから「山、つくろう!」といって作り始めた。ケッキョックヤマハ3つになり、そのうち、大きな一つの山になった。

もうひとりの保育さんが「穴、掘ろうよ!」と誘い、穴を掘ることになった。
で、穴を掘ると。。。4歳児は、穴を「掘れる」のだが、1歳児は、穴を掘ろうとすると、山を「崩す」ことになる。いやいや、掘るんだよ、と教えることもできるだろうが、4歳児がやっていることを真似るよりも、とにかく崩すことをしたいようだった。(ここで、穴の掘り方を教える保育士もいる)

1歳のころ、2歳の頃に、崩して、壊して遊び、飽きるまで崩し、「飽きて来たなーもう僕もレベルアップしたしなー」とおもったときに、「穴掘り」をしてみるといいかもしれない。

砂場に行くとその子の「今」がわかる。

掘る、道具を握る。
手首がしっかりする。
湿り気、乾燥、色の変化を感じる。
ファンタジーを使って形をつくる。
山が崩れないように工夫する。
山を作るための役割分担をする。
カチコチの泥の玉をつくる。。。

などなど。

山は、砂は、砂を口にいれなくなったら、どんな年齢の子どもにも、意味のある学びを提供する。
どの年齢にでも、その年齢なりに遊べる環境がいい。
(ゲームの世界も、そのようにできている。自分の興味、レベルに合わせて、ゲームソフトを決められる)

保育所にある「あそび」道具
砂場での出来事(拡散的あそび)
収束的あそびと拡散的あそび。

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現在のゲーム社会について生徒と話す。

昔は、僕の生きていた時代は、ポケモンで「対戦ができる」ことがまず新しかった。
もちろん「線で繋げて」目の前の相手とポケモンを交換したり、バトルした。

今はどうか?
インターネットでも、無線でも、いろんな人と繋がれる。
もう時代が変わりすぎた。テクノロジーによって変わったものがある。
時代を超えても変わらないものもある。

ただ、これから生きる若い人たちの心を大人が理解していくには、今と昔とでは、状況が全く違う、(ポケベルの時代を僕は知らない)、ということを知って置いたらいいのかもしれない。家の固定電話でなければ友達の家に連絡ができなかった時代に、僕は育った。家に電話などなかった時代も、もちろんあったのだ。

で、技術は進歩していくけれど、文化は変わっていっただろうか?

僕ら大人は、新しい時代と、きちんと関わっているだろうか。

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ミアティブというゲームの配信アプリがある。

このアプリを使うと「配信」ができる。
「配信」すると、全世界の人と一緒にゲームが楽しめる。
で、今日、配信をしていて授業に遅れた子がいる。

「2000人以上、見にきてて、やめられなかったんです」という。
一度にプレイするわけではなく、4人づつ招待できる。一回負けたら一旦交代、というルールを彼が作って、、、「次俺!次俺!」ということになり、なかんだかんだして、遅れた。という。

実際に彼の配信を見たことはないが、これが、彼の暮らしている「ゲーム世界」だぁぁぁ!

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殴る蹴るの身体的なメッセージ

僕が遊んでいる最中に蹴りを入れる子がいる。
他の子には蹴りを入れないのはオトナだから大丈夫だと判断している子。
今思えば、遊んで欲しくて、蹴りを入れていたと僕はおもう。
僕は痛い、痛いからやめてよねというばかりだった。
だから何度も蹴り続けた!「なにいってんだよ!遊びたいっていってるのに!」と叫び続けていたんだろう。

情動を、エネルギーを、情を収束させて、利用できるカタチにする知恵が、まだその子にはないのだ。
愛とは?
誰かに解釈してもらう、情動を調整してもらう必要がある。
一緒に、調節の仕方を、学ぶのだ。

「一緒にあそぼう」なんて言葉にしたことがなかったんだろう。
言葉にならないで、どうしていいかわからなくて出てくる振る舞いもある。
一つ一つの振る舞いに隠されている心を感じるようにしていきたい。

今度、同じことがあったら、短い言葉で伝えよう。
けど、ヒットアンドアウェイを続けるその子にどうやって言葉をかけられるだろうか?

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意欲ある遊びの中で子供が学ぶ数学的推理力・機能的推理

架空の仲間と彼らを生み出す子どもたち

あかちゃんは自分の体がどれだけの大きさを持ち、音がする世界、見える世界、触れる世界がどんなしくみで動いているのか実験を繰り返す。なんどもなんども同じことをしながら、物理法則を発見していく。

小さな子はブロックを積み重ねながら「つけたす」「ひく」を学んでいく。探求、操作、分離、分割、組み立てを通じて数学的推理力を伸ばす。長さと高さ、大きさと数の違いを学んでいく。「足りない」という経験をすることで、マイナスという概念を学ぶ。「ブロックを同じ数だけ分ける」操作は割り算だ。こうした数概念への親しみが、こどもが数をあつかうチカラを育てる基礎であることはいうまでもない。

子どもは立派に科学者なのだ。

オレゴン大学のデア・ボールドウィン教授がスタンフォード大学のエレン・マークやリッカ・メラルティンらと行ったある研究では、生後9ヶ月から26ヶ月の赤ん坊がおもちゃのラッパを与えられた。バルブを強く握り潰すと、音が出るものだ。しばらく子どもたちにそれで遊ばせた後、初めてラッパは取り上げられた。そして形は同じだが、色も大きさも違う別のラッパが与えられた。果たして赤ん坊は新しいラッパも音が出て当然というような振る舞いをするだろうか?もしするようであれば、似たようなものは似たような機能をもっているはずだという「帰納的推理」をしたことを示している。(「『子どもの遊びは魔法の授業』p.354)

もし知能テストの成績、学校の成績がふるわない、といって心配をしているなら、子どもを遊ばせるといい。「きちんと」遊ばなければ、成績は伸びない???(「きちんと」遊ぶことを学んでいない子どもは、どうしたらいいんだろう?習い事のスケジュールに追われて、あそぶ時間が、ぼーっとしたり、おもいついたり、試してみたり、発見する時間がない。だから隙間時間に、すぐにつけてやめられるスマホゲームをするんだろうか???スマホは、時代によく合っている。知育ゲームをスマホで子どもにやらせて安心する大人もいる)

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収束的あそびと拡散的あそび。

アマラはとてもかわいい3歳半の子だが、年齢以上にしっかりして見える。マイケルはたくましい小さな男の子で、何にでも熱中するタイプである。友だちといっしょのグループに入っているアマラは、収束的な思考を要する遊び道具(たとえばパズルのような正しいやりかたが一つしかないおもちゃ)をたくさんあたえられる。一方、マイケルのグループは拡散的な遊び道具(ブロックのようなもの)を与えられる。どちらの子どももそれぞれのグループで仲間と楽しく遊んでいる。やがて、実験が始まり、両者のグループにいくつかの拡散的問題が出される。たとえば、45個のブロックを使って村を作るという課題である。研究者たちはおsれぞれのグループを詳しく観察し、子どもたちがどうするかをみている。そして、それぞれに組み立てた構造物の数と、それらの構造物を名付ける時に用いられる、独創的な名前の数を集計する。マイケルのぐる0ぷは拡散的な遊び道具で遊んでいたせいか、よりたくさんの構造物と独特の名称を思いついた。彼らは作業に集中し、行き詰っても諦めることはなく、試行錯誤を何度も繰り返した。アマラのグループは全く違っていた。一つの生活を持つ収束的なおもちゃで遊んでいたせいか、行き詰まると、そこで立ち止まり、何度も同じことを繰り返した。マイケルのグループよりあきらめるのも早かった。独創性は明らかにマイケルのグループの方にあふれていた。では、今、市場に出回っている高価な知育玩具はどうだろう?そのほとんどは収束的な性質を持っている。それらが主眼としているのはいろいろなスキルを教え込むことなので、一つの問題に対して一つの答えを探させようとするのが普通なのだ。しかし、ここで述べたばかりの研究は、マイケルのグループが問題解決において創造的であるだけでなく、忍耐力や熱意においても優っていることを示している。(『子どもの遊びは魔法の授業』p.358)

どちらの遊びも大切だろう。だが考えてみてほしい。学校では収束的な、答えが一つしかない問題で溢れている。一体いつ、拡散的な、答えのない、創造的なあそびを子どもたちはできるんだろうか?偏りすぎる富、貧困はお金の問題だけではない。心を使うあそびのバランスの悪さ、学校と学校の外の世界のバランスの悪さが、心のバランスの悪さを生み出す。

保育所にある「あそび」道具
砂場での出来事(拡散的あそび)
収束的あそびと拡散的あそび。

オトノネひろげるシェアぼたん

精一杯、かるたであそぶ。それでもたくさん、学べる。

ざんねんな生き物図鑑、が、大好きだという子に、持ってきてもらった。

へー

すごい。進化の話まで書いてある。
おもしろいなー。
学校の進化の勉強するよりもおもしろそうだなー

とおもいつつ。

「これ、どこまで読んでるんですか?(全部は読めていないだろう)」とお母さんに聞くと
「ざんねんなことに、この文字の大きいところだけなんです笑」
なるほど笑
「暗記するくらい、読んでるんです笑」
なるほど笑

ということで、やって見ました。

ざんねんな生き物図鑑

おとのねさん「長い舌で鼻くそをほじるのは、なんて動物?」

即答。

「キリン❤️」

この子は天才だとおもった。

そのあと、家庭教育のサポートをする。
気づいたことの共有、言語化と、いろんな相談など。

で、最後に、オトノネに入ってきた瞬間から手に持っていた「かるた」をすることに。

なぜか、その子は「よむー!」といった。

お母さんと僕で対決。

最後、二人で取ったカルタの数を数える。

いーち、にーい、さーん、、、、
お母さんが19まい。
おとのねさんが25まい。

はいそこで質問。
「おとのねさんは、お母さんより何枚多くとったでしょうか?」

「引き算でしょ!」
正解!
いや別に足し算でもいいけど。

「じゃぁ、答えは?」

「。。。。16!」

「よし、じゃぁ、数えてみよう!」

いーち、にーい、さーん、、、、19まで数えてストップ。
「じゃぁ、残ってる札の数を数えるよ」

あれ?
16じゃなかったね。残念!
どっかに消えちゃったのかなー。
不思議だね!

ーーーーー

肝心なことは、その子が自分で「私は読む」といったこと。
読み札はすべてひらがなで書かれている。

それを、ゆっくり、読む。
ゆっくりなのだ。

ときどき、間違える。

札を読むことは、その子にとっての挑戦であったし、

もしかしたら、僕とお母さんを戦わせて見たいという願いがあったのかもしれない。
けどとにかく、一生懸命、読んだ。

お母さんも、僕も、読み終えるまで敢えてまっていたり。。。。

たまに痺れを切らせてバシッととったり。

ーーーーー

今日、どうしてカルタをしたくなったかわからないが、その気持ちひとつを大切にすることで、今日もひとつ、その子を理解できたようにおもう。

一生懸命、学んでいるのだ。

子どもを、心から、僕は尊敬している。

オトノネひろげるシェアぼたん