現在のゲーム社会について生徒と話す。

昔は、僕の生きていた時代は、ポケモンで「対戦ができる」ことがまず新しかった。
もちろん「線で繋げて」目の前の相手とポケモンを交換したり、バトルした。

今はどうか?
インターネットでも、無線でも、いろんな人と繋がれる。
もう時代が変わりすぎた。テクノロジーによって変わったものがある。
時代を超えても変わらないものもある。

ただ、これから生きる若い人たちの心を大人が理解していくには、今と昔とでは、状況が全く違う、(ポケベルの時代を僕は知らない)、ということを知って置いたらいいのかもしれない。家の固定電話でなければ友達の家に連絡ができなかった時代に、僕は育った。家に電話などなかった時代も、もちろんあったのだ。

で、技術は進歩していくけれど、文化は変わっていっただろうか?

僕ら大人は、新しい時代と、きちんと関わっているだろうか。

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ミアティブというゲームの配信アプリがある。

このアプリを使うと「配信」ができる。
「配信」すると、全世界の人と一緒にゲームが楽しめる。
で、今日、配信をしていて授業に遅れた子がいる。

「2000人以上、見にきてて、やめられなかったんです」という。
一度にプレイするわけではなく、4人づつ招待できる。一回負けたら一旦交代、というルールを彼が作って、、、「次俺!次俺!」ということになり、なかんだかんだして、遅れた。という。

実際に彼の配信を見たことはないが、これが、彼の暮らしている「ゲーム世界」だぁぁぁ!

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意欲ある遊びの中で子供が学ぶ数学的推理力・機能的推理

架空の仲間と彼らを生み出す子どもたち

あかちゃんは自分の体がどれだけの大きさを持ち、音がする世界、見える世界、触れる世界がどんなしくみで動いているのか実験を繰り返す。なんどもなんども同じことをしながら、物理法則を発見していく。

小さな子はブロックを積み重ねながら「つけたす」「ひく」を学んでいく。探求、操作、分離、分割、組み立てを通じて数学的推理力を伸ばす。長さと高さ、大きさと数の違いを学んでいく。「足りない」という経験をすることで、マイナスという概念を学ぶ。「ブロックを同じ数だけ分ける」操作は割り算だ。こうした数概念への親しみが、こどもが数をあつかうチカラを育てる基礎であることはいうまでもない。

子どもは立派に科学者なのだ。

オレゴン大学のデア・ボールドウィン教授がスタンフォード大学のエレン・マークやリッカ・メラルティンらと行ったある研究では、生後9ヶ月から26ヶ月の赤ん坊がおもちゃのラッパを与えられた。バルブを強く握り潰すと、音が出るものだ。しばらく子どもたちにそれで遊ばせた後、初めてラッパは取り上げられた。そして形は同じだが、色も大きさも違う別のラッパが与えられた。果たして赤ん坊は新しいラッパも音が出て当然というような振る舞いをするだろうか?もしするようであれば、似たようなものは似たような機能をもっているはずだという「帰納的推理」をしたことを示している。(「『子どもの遊びは魔法の授業』p.354)

もし知能テストの成績、学校の成績がふるわない、といって心配をしているなら、子どもを遊ばせるといい。「きちんと」遊ばなければ、成績は伸びない???(「きちんと」遊ぶことを学んでいない子どもは、どうしたらいいんだろう?習い事のスケジュールに追われて、あそぶ時間が、ぼーっとしたり、おもいついたり、試してみたり、発見する時間がない。だから隙間時間に、すぐにつけてやめられるスマホゲームをするんだろうか???スマホは、時代によく合っている。知育ゲームをスマホで子どもにやらせて安心する大人もいる)

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教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

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思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

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世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

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意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

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子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

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