【インディアンの教え】ドリームタイム

夜、夜更かしをする。
ということが、よく思春期の子にはある。

大人でもよくある。

夜の時間は、ネイティブインディアンの言葉で「ドリームタイム」と呼ばれている。

神聖な時間。

不思議な時間。

神秘の時間。

つながる時間。

この時間に、現実の世界からちょっと離れて、
アニメを見る。

youtubeを見る。

そういう子どもたちは、まさに、「夢の時間」で、本当の気持ちを感じようとしているのかもしれない。

バリ島、夜、この時間まで儀式を続けていた。
夜の時間。

社会的にドリームタイムが、人の心のインフラとして整備されていた。

夜の時間が、何か大切なものを、教えてくれる。

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【魔法の使い方】『ふらいんぐうぃっち』

『ふらいんぐうぃっち』

日常。
暮らし。

魔法は?

魔法使いって、どんなひと?

物語を見ていくうちに、このアニメから伝わってくるものが、はっきり感じられるようになってくる。

魔法が使える人がでてくる物語で、ドンパチやるアニメもある。
魔法が使える人がでてきて、こんなにも、日常を見せてくれると、魔法の部分が、鮮やかに、彩られる。

魔法って、なんだろう。

リッチネス。

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【仕事と家庭】西野亮廣さんと安冨歩さんの共通点と相違点

【仕事と家庭】西野亮廣さんと安冨歩さんの共通点と相違点

西野亮廣さんという人がどういう人なのか、掴みかねていた。
前よりはつかめた気がするから残しておく。

安倍さんと前澤さんに続き、人物紹介3人目。
(追記あります)前澤さんという一人の人間から学んだこと。
【Are you Abe?】「安倍晋三」というありふれた人間性について

相手が気持ちよくお金を出してくれるような言葉を使う(ストーリーをつくる)。(全国の子供達に「プレゼント」したい)

買ってもらえるようによくよく計算している(6分20秒くらいから

「僕は嘘をつかない」というが、口に出していない言葉がない、とはいっていない。

この人どんな人かいまいちわからない。。。。。
これが僕の第一印象。

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西野さんと比べてしまった人に、安冨さんがいる。
共通点がある。

どちらもアーティストだ。
世の中が変わるのではないか、新しい世の中ができるのではないかとワクワクして、それに参加したくなる。
人が入り込んで、のめり込んで、参加したくなるようなストーリーをつくる。

アーティストだ。
どちらも新しい価値観を、みんなに伝えようとしてくれている。

うん、いい感じ。

だが、しかし。ながら。二人は違う。

どんな違いがあるか。あえて言葉にしてみようとしてみる。

西野さんの言動は「目標」がはっきりしている。

「戦」が存在している。
成功という言葉が「戦」に勝つことだし、一つ一つの行いには、全てなにがしかの「成果」があると計算している。
そしてその成果を手に入れる。

それは西野さんの言葉で言えば「影響力」と「信頼」だろう。
お金集めのための技術。

野心を叶えるための方法。
「負け戦」をしない方法。(お金を得るための別のルートを探した結果、テレビ業界とは別の方向に向かって、今にたどり着いたといってもいいかもしれない)

ーーーーーー

一方で安冨さんは、「成果」をそもそも、求めていない。
選挙のときも「投票してくれとはいいません」「一緒に選挙をしてほしい」といいました。
どういうことかといったら、、、、、

「学ぶ」プロセスを重視している。
むしろ結果を出したり「成功」しようとする心が世の中を狂わせているといわんばかりに・・・

「成功」という前提がない。
言語体系が、ビジネスではない。
言語体系が、極めて人間学だ。

ビジネスと子育ての原理は違うと僕は思っている。
ビジネスの原理は、そうだな、、、やっぱり、、、、、子育ての原理とは違うとおもう。

こんなことをいうとこのご時世どかとおもうが。
ビジネスの原理は、父性的だと、僕は感じる。

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西野さんがyoutubeで話していることは、なるほど。なるほど。
といえること。

だけど「定期テスト対策」的なものと、「本質」的なものが、まざっている。
(西野さんの根本原理は「信頼」で生きていく。ことだと僕は思う。)
その区別ができていない、体系化されていない。多分本人は無自覚でやっている。

というのが、西野さん(情報を出し続けないといけない(結果を出さないといけない)から、しょうがないんだろうけど。。。)

西野さんは、前澤さんと同じように、「お金」の実験をしている。
そのやり方や考え方を参考に、いろいろとこれからも考えていきたい。何よりもまず、僕の場合は行動なのだろうけど・・・・

価値観を転倒させる、世界をひっくり返す、という意味では、前澤さんはトリックスターの資格はないかもしれない。(サプライズではあるだろうが)
「お金の価値」と「人の価値」のコントラストを逆転させたところに、西野さんのトリックスターたる資格がある、と僕はおもっている。

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西野さんのyoutube動画を要約すると以下のよう。

結果の出し方-西野亮廣
 ねばねばしながら、気持ちが乗らなくても、、作品を作る。
 挑戦する人をお応援する。(守る人を明確にする)

「お金持ち」の考え方と、「貧乏人」の考え方の決定的な違い-西野亮廣
 「ラッキー!もうけた!」という人(貧乏人)には近づかずかないで、無償で振る舞う。
 貧乏人は、与えられる回数が次第に減って行く。そうして、貨幣による冷たい関係しか残らない。これは絶望的だ。
 金持ちは、与えた者以上のものが帰ってくる人を、呼吸するように選んで、与えている。

価値の付け方-西野亮廣
 クオリティーをつけて価値をつける。か、売る場所を選んで価値をつける。どの市場でだすか。
 だれに買ってもらうか。どんな場所でみてもらうか。売り場を選ぶ。

は? キンコン西野が無料のコーヒーショップをオープン!-西野亮廣
 お金の価値を、実験する。(結局無料で提供するためのお金は西野さんの「信頼」と「影響力」でサロンのメンバーから出してもらう)

 敵は増やさない。
 戦に勝つというのは、敵を取り込むこと。

【なるほど】他人の力を使って夢を叶える方法-西野亮廣
 目指しているものを、作品に内蔵させる。「この人を、こう使ったら、いいんじゃない?」と誰かに思わせるようなデザインを、自分の作品に組み込む。何を目指しているのか?その上で、目の前の作品の発展過程を思い描くこと。

「守るべきファン」について~ファンとは何か?~ 西野亮廣
  変化を、学びを肯定してくれるひと、未来の自分を支持する人。

「昨日より進んでいればいい」というわけでもない-西野亮廣
 進んでいる!とおもったら、安心できる。が、自分のゴールから逆算して、制限時間までに、たどり着けるか?

「場」を作ろうとする人間が、「場」を作れない致命的な原因-西野亮廣
 作品が中心にあって、それを魅力に感じて、人がやってくる。
 
会社の方針と社員の考えが違う場合はどうすればいいのか?-西野亮廣
 会社を動かす方法。会社を徹底的に勝たせて、発言権を得る。

【西野亮廣】空気を読むことに何の意味もないですよ。過去の常識からいち早く脱却した奴が勝てる時代です。
 悩んだ時はお酒を飲んで決断しろ!決めてしまえ!
 
キンコン西野の「お金」の使い方-西野亮廣
 作業効率UPのための投資をする!家を買ってカスタマイズ!

挑戦できるサラリーマン、挑戦できないフリーランス-西野亮廣
 安定しているサラリーマンは挑戦を!

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西野さんはコーチングの人間だと僕には思える。(ビジネスとコーチングは相性がいい)
武器のない人に武器をあげる。戦える!とおもえるようにする。「成功」へと導く。

安冨さんは?
逆に「堕落」せよといっている爆と僕はおもっている。

西野さんはぐいぐい寄ってくる感じ。
安冨さんは風景の一部として僕を見ている感じ。(これは僕の感覚。)

二人の対談を期待します。

マジで。
二人には、共通する点がありながら、どこか、違うところがある。
その間にどんな言葉が生まれるのか。きになる。

コフートで対極的に扱われる(と同時に共に必要とされる)2つの自己と類似している。

人間関係(仕事)を見直した西野さん。(テレビ業界で頑張っても壊れるだけだと悟った)
人間関係(家庭)を見直した安冨さん。(今の夫婦関係で頑張っても壊れるだけだと悟った。)

ビジネスの原理と、子育ての原理の対比だ。
どちらも、抜け出した。
それは、それは、すごいことだと思う。
(いうて、藤原和博さんなんかも仕事を見直して、新しい生き方を伝えてくれているけれど。アーティスト、とは違う気がする)

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ぶろぐかいてばかりいないで、 うごかねばならぬ。
そうね。

そうですね。。。

ブログ書いていても、動きがないから、その結果を受け止めて、、、、、

すみません。。。。

追伸

西野さんはオンラインサロンで月、ひとつき、4千万円稼いでいる。
こういう人が「子供のために」っていってクラファンをしていることに違和感を感じる。
なぜ日本に学校を作らずに海外に学校をつくるのか。
なぜ最近ノートで子供の時の思い出を綴るようになったのか。
全部、計画のうちにはいっている。
西野さんの描いたストーリーのなかに、参加させられているこの感覚。

違和感。(まぁ人間そんなもんだといえないこともないが)
(そういってしまうと、西野さんは「人のお金の使い方にものをいうのは・・・」と返事してくれるだろう。そうね。ビジネスってそういうものですからね。

相手から、どう見えるか、どうしたら、自分のストーリーに入ってきてくれるか。
自分でお金を出したらそれで済むけど、それをしないで、あえて「子どものために」と呼びかける。信頼を増やすという作戦でどこまでいくのか。
作った信頼を政治の話にはもっていかないんだろう。敵を増やすからだ。
敵を増やさないという制約が西野さんにはある。
だから西野さんの口からは自民党だとか公明党だとか安倍とかという名前はでてこないのだろう。
そうやって自分のキャラをきちんとコントロールしている。

もうそれが自然な西野さんの姿になっている、そんな気がする。

それは僕の妬み(月4千万かぁ)も入りつつ、西野さんが自分を語る語り口に騙されてしまったのかもしれないとおもう。

人間の不思議さを、人間の不自然さを、人間の愚かさを、滑稽さを感じる。

信頼を作り上げた後で、西野さんは何をしようというのか。

結局信頼を、お金に替えることをしてきた。
結局は、お金なのか。そうね。そうかもね。

惑わされず、しっかりしなきゃとおもいます。

オトノネひろげるシェアぼたん

とある魔術の禁書目録【ファンタジーのリアル】敵がみえない世界。敵を殴って倒せない世界。

生徒から教わることがたくさんある。

日本という国の歴史を「未解決事件」を通じてまとめようとしている子がいる。
事件の裏には、「不都合な真実」がある。誰にとって不都合かといえば、「上級国民」と言われている人たち(魔王)。

僕が衝撃を受けたのが、プチエンジェル事件。
「上級国民」に虐げられた少女が口封じのために殺される、犯人もそれを取り巻く魔界の人たちもうやむやにされて未解決になった事件。
もちろん、警察も魔界に属しているため、追求はしない。

アメリカのトランプさんが発信している、といわれている(よくわからない)「Q」情報など、未解決も含め、僕らの手の届かない(ようにみえる)ところで大きなチカラが動いている。

僕は諦観をもつ。
「しょうがない」と。

おもいながら、心のどこかで、、、、

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最近、夜なべをしながら見たアニメがある。

「とある魔術の禁書目録」というライトノベルをアニメ化したものであるらしい。
日本のアニメ、漫画の哲学というか、深さを感じるものが多い。こっちの世界が、リアルに近い気がする。

で、

主人公の男の子は「魔術を無効にする」チカラをもっている。
おかげで、幸運すら無効にしてしまい自分は「不幸」なのだが。、、、

自分を不幸にするが、他の人にふりかかる悪い「魔術」を無効化していく物語。

チカラというものは、使い方、関わり方なのだ。。。
そのチカラが自分には不幸に働くかもしれないが、他の人の助けになる。

主人公が、戦っている相手に対して「説教」をする場面をつくってくれている。
それが結構、僕自身にも響くことがある。

アクセラレータとの2回目の戦いが、僕には印象的だった。

ーーーー

と同時に、大切な人がいて、敵がいて、その人のために戦えるということは、どれほど頭がすっきりするのだろうかとおもう。
(勇気を出さずに弱いものいじめをする人もちょくちょくでてくる。大切な「別の誰か」ではなく「自分の欺瞞を守る」ために人を傷つける人たちだ)
(ちなみに主人公の決め台詞の一つに「お前の幻想をぶち壊してやる!」というのがある。彼の右腕のチカラはイマジンブレーカーと呼ばれている。誰もが幻想を持って生きるもので、闇の中のかすかな光の暖かさを求める人と、闇のなかで落ち着く人がいる、どちらも、反対側の人間からすれば幻想と呼ばれてしまうものを求めているとしたら、、、結局、善悪もないし、戦いも終わらない。。???)

大切な人がいる、けど、敵が目の前にいない、というのが、現代を生きる人たちの状況だとおもう。
殴る相手が、目の前にいない???

組織、文化、、得体の知れない敵の「所在」のなさ。
未解決事件にしても、児童虐待にしても、「敵」は空の上にいて、対峙することができない。

とおもうと、諦めてしまう。
そういう気持ちもわかる。
振り上げた腕を、どこにふるえばいいのかわからない。。。。


わからないで鬱積してしまう。

が、

「とある魔術の禁書目録」の主人公は、とにかく目の前の「相手」を殴る。
殴って、魔力を無効化する。

とにかく目の前で泣いている、悲しんでいる、助けを求めている仲間、大切な人のために、戦う。殴る。思いをぶつける。
(この主人公は、思いをぶつけて、ちゃんと向き合って戦う、だから後で仲間になったりするからまた気持ちいい)

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アニメの世界、ゲームの世界では「相手」がはっきりしている。
はっきりしていたら、攻撃できる。

「相手」がはっきりしないことに、みんな困る。
だから西洋医学は「相手」を見つけようとして心も体もバラバラにしてしまったし、
「悪口」をSNSで呟きまくる人たちも「相手」をみつけて攻撃する。

ゲームは「敵」がきちんと出てくる。
ちゃんと自分のチカラを使える。
(ただし、誰かがそれで笑顔になるとか、助かるとかいうものがないのだが)

自分のチカラをどう使ったらいいのか、どう試したらいいのか、どう高めたらいいのか。
大人も子供もわからずに、ただただ働いていないか。

働きながら、大切なものの感覚を失っていないか。

オトノネは、誰もが「チカラ」をもっていて、そのチカラを理解する、使い方を知るということを大切にしている気がする。
「成績を上げる」という目標でもいいが、それで「大切な「別の誰か」ではなく「自分の欺瞞を守る」ために人を傷つける人たち」を増やそうとは思わない。

大切にしたい人が少なくなった。
大切にしたい人がいない。
大切にするために魔王と戦うチカラがない。
魔王と戦うチカラの使い方がわからない。

そういう世の中なのだとおもう。

おとのねさんも、オトノネで学んでいる。

僕がオトノネをつくったのは、「選択」ではない。
ただ、大切にしたい心を、大切にしただけだ。

「選択」をしようとしている間は、どうにも、心は落ち着かないものなのだろうとおもう。
ただただ、心を大事にしたらいいのだと、おもう。

自分を、自分を、、、自分を。自分。

そうだ、この主人公に、僕は説教されている感じ。

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生徒が「20万人が闇に飲まれている」と言った。
え?どういうこと?と質問した。

「幸せ」ってなんだと思う?それはね、お風呂でおしっこをぶちまけることだよ
とのたまうyoutuberのチャンネルに20万人登録している。というお話。

(こういう会話を夜なべして耳にしている子どもがいるんじゃないかとおもうとさみしくなる)

このyoutuberがおもいっきり「自分」を出すのと同じぐらい、僕も「自分」を出したらいいんだろう。。。。
心を大事に、その最大限の努力の僕自身の限界を、創造性を、僕はオトノネで試しているのだとおもう。

お風呂でおしっこをぶちまけるのもなかなか「しあわせ」だとはおもうが。
僕はもっとべつの「しあわせ」を探している。

painful world と名付けた楽曲があったのを思い出した。

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子どもがいじめられていたとしよう。
いじめはとても「自然」なものなのだが。お母さんは「怒」ってもいいとおもう。そうでなければ、「悪いことをしている」「もっといい方法がある」という学びのきっかけをその先生から奪ってしまうかもしれないから。
魔王は学校にはいない。だけど、目の前にいる、魔界の呪文で心を失っている先生を「殴る」ことはできるだろう。

正気に戻れよと。

怒っていい。

僕もこれから、オトノネに狂ったお母さんが来たら、怒る(怒りを伝える)ことにした(怒鳴るわけではない)。
(学校の場合は真剣に受け止めないと後先があるからだけどオトノネ は嫌だったら来なければいいから、ダメかな、、、伝わらないかな。いやいや、感じるはず。心に留めて置いて欲しいから。こんどから怒る徳はちゃんと怒ろうとおもおう。そのやり方は、カウンセリングではない。そもそも僕が怒りを感じる人は「学ぶ」構えがない人間だから、びっくりしてもらって構えを変えてもらうのがいいんだろう。「学ぶ」のが嫌な人がいるが、嫌なら帰ってもらえばいい。もうお人好しになるのは、やめようと思った。)

お母さんは、先生も育てなくてはいけないような。
人間というのは、誰もがそうやって手のかかる、世話を誰かに焼かれないと学べないものなのだろう。

全部お母さん、お母さん、、、お母さん、、、、ねぇ
【学びのプロセス】先生によるいじめとは何か『生きる技法』『経済学の船出』安冨歩

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創造力とは何か。『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

子どもの心的世界のゆらぎと発達: 表象発達をめぐる不思議
『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

ファンタジー、創造性とは何か。
創造性のない個性は、切れない包丁だ。

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何も芸術家という職業につくために必要なことではない。
「ここにはない姿」「ここにはない何か」を思い描き、そこに向かっていく、つくっていくという人間の自然な姿だ。
インドネシアでは多くの創造的な人たち、芸術家に出会った。
ある人は、かつて栄えていた「帆船」の文化を省みて、海を移動する移動図書館を作った。
ある人は、コーヒー屋を営み、「僕はコーヒーを気にしてはいない。コーヒーを飲みに来る人のことを気にしているんだ」という言葉を僕に送ってくれた。今までにない、コーヒーを売らないコーヒー屋さんだ。

誰も決めてはくれない、自分一人の命の燃やし方。
一人で燃やすものでもない。
それをビジネスにする人もいれば、お金にはならなくても毎日が輝き続ける生活を送る人もいる。

誰も自分の人生を決めてはくれない。
流れていったら、流れ着く人生もある。
けどやっぱり人間は一人一人がオリジナリティを発揮するしかない。
「わたし」というものがあるからだ。
ひとりひとりに天の才が備わっているからだ。

ファンタジー、創造性という言葉を私が使う時、それは「自分の人生を自分でつくる」チカラを意味している。
不安定な社会で、これほど大切なチカラがあるだろうか?
このチカラはどうやって身につくのだろうか。
大人はどうやって子どもたちにこのチカラをつけていってもらったらいいのか?

それはオトノネのテーマでもある。
創造性は、教育の、子育ての、大きな指針であると思う。
個性という言葉の内実は、創造性にある。

創造性は、この現実世界の正しい知識、認識、経験の深さがあってはじめて生まれてくるように僕はおもう。
目の前にあるもの、(自分の中で起こっていることを含めて)目の前で起きていることを正しくみれなければ、感じていなければ、ファンタジーのチカラは現実世界に創造されず、虚構の世界にとどまってしまう。(そして多くの若者が御三家から中堅大学を経て若者サポートセンターへと向かうことをご存知だろうか。もちろんデータは非公開なので数値が言えないところが日本らしい)

創造性のない個性は、切れない包丁だ。
創造性を使うには????
自己選択能力、自己調整能力、メタスキル だ。

麻生は神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の犯人である少年に関する新聞記事の解釈に、次のような見解を述べています。

私が危惧するのは、この種の一般に流布しがちな見解が、ファンタジーと現実の関係について謝ったイメージを生み出してしまう危険性である、少年Aの問題は、ファンタジーが肥大し、現実が侵食されたことにあるのでは決してない。むしろ、彼の問題は、ファンタジーを生み出す力が十分に育っていなかったことにあるように思われる。堪え難い過酷な現実が目の前に聳え立つとき、私たち人間にはその現実に対抗するもう1つのリアリティを生み出す力が備わっている、それが物語やファンタジーを生み出す力である、少年Aの問題は、決してファンタジーの過剰にあるのではない。むしろ逆に、ファンタジーの希薄さにあるように感じられる。

麻生はその証拠として、少年Aのファンタジーにはオリジナリティが少なく、コピーが目立つことも指摘しています。用事が魔法のステッキやブレスレット、ヒーローベルトを手に入れて、そのまねをすることで今とは違う自分になろうとすることは他社のアイディアのコピーです。しかし、まねをしてみても返信できなかった時、どのようにすれば実現可能なのかを考え、自分なりに繰り返し修正を加えながらその実現可能性を試そうとする姿は、子どものオリジナリティが成せるものだと言えるでしょう。これは、これまで紹介してきた実験での用事の姿とも共通するものです。(略)他者の生み出したものにあこがれ、それを超えたものにするためには、自らの知識や経験をつなぎ合わせ、あれやこれや試行錯誤することが欠かせません。ヴィゴツキーは「創造物は経験(既有知識)の諸要素を様々に組み合わせることによって生み出されるものである」とし、「想像と経験は相互に依存する関係である」と述べています。経験や既有知識の量が多いほど、そのダンンペン同士の組み合わせが奥生じて想像力は広がりを見せ、その結果生まれた創造物はより豊かなものになるといううのです。このことからも言えるように、非現実的で魔術的な想像そのものが危険なわけではないのです。毎日の生活を思い切り生きているなかで獲得された知識をもとにした現実世界に根ざしたものであれば、非現実的で魔術的な想像も人間の生活をより豊かにするものとなり得るのです。4〜5歳頃の幼児はまさにこの現実と創造の世界を豊かに生きる住人になり始めているのだとおもいます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.154)

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蛇足になるが、この本ではファンタジーという概念を共同幻想まで広げている。筆者の言葉によれば、「公的虚構」というものだ。個性、一人の人間が「自己」の天の才を発現するものを「私的虚構」だとすれば、サンタクロースは「公的虚構」だ。

作られている世界観、価値観が「ウソッコ」だったということに気づくのは9歳前後だという。
「いい子にしていれば」とか「一番になれば」とか「我慢していたら」という価値観、「どうしようもないんだ」「自分はこうなんだ」という気持ち、今まで感じたこと、経験してきたことが再構成される。
9歳。小学3、4年生。

これは2歳、15歳とはまた別様の思春期ではないか。
と僕は今思った。

ーーーーー

数列的には(これは僕のあそびです)
1+7×0=2
1+7×1=8(9にはならなかった・・・7でなく8にしたらよかったか)
1+7×2=15
生物の現象は指数的だというが、局地的にみればここは線型的、本当に長い人生のごくごく一部、ということだろうか。
この計算を続けると、
1+7×3=22(大学卒業?)
7、8年刻みのライフイベント笑
7、8年ごとに、自己は大きく揺れ動くのか!???

1というのは、いわゆる初語がでてくる一歳のことです。

8は無限の意味をもっている。∞
八百屋は野菜ならなんでも売ってるから8。
八百万の神はたくさんの神様。
八方美人は全方位に対応している。(この考えをつきつめると数秘主義とかいわれてしまう)

繰り返される成長。
子ども時代は、なんとまぁ輝いてみえることか。
大人だって、輝けるはずだ。と、僕は思う。

思春期、とは違うかもしれないけど発達のポイント、節目として5歳をいれたら。。。
そうやって思索にふけってしまうのが僕のいいところか、悪いところか。

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こちらは

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初潮が早まっているこの時代、思春期の定義を拡張するのもいいかもしれない。
教育制度が、時代についていっていない。

だからオトノネ!!!笑

小学3、4年生が、otonone-オトノネ-に来るのに、ちょうどいい時期、だということだろうか?
ファンタジーは、創造力は子どもたちの助けになる。
現実の世界、今ある世界を俯瞰的に眺められる、もう一つの視点をつくれる、世界は塞がれてはいない、窓があって、扉があって、外の世界と繋がっているということを知っていることは、現実世界を生きることの役に立つからだ。

ドキドキワクワクの源泉となる思いは、いったいどこでつくられていくのでしょう。筆者は、その鍵は幼児後期から児童前期(4歳半〜8歳)にかけての多元的世界の形成、すなわち、「リアル」世界でも「アリエナイ」世界でもない「第3の世界」の形成にあると思います。私たちは児童後期以降、表面的にはリアリティを基準に世界を大きく二分割していきていきますが、実際には、潜在意識に刻み込まれた多元的世界を胸に潜め、それに励まされて生きていくのです。児童文学研究家の松岡は、これと似た事柄を「サンタクロースの部屋」という巧みな言葉で表しています。「心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる」。これとまさに同じことが、多元的世界の形成にも言えるように思います。(略)幼児後期から児童前期にかけての多元的世界の形成こそが、その後、多様な価値を受け入れたり、新たな価値を作り出したり、新しいことに対して常に新鮮な気持ちで接していけたりする、そうした豊かな人間生活を私たちに可能にさせてくれるのではないかとおもいます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.188)

ドキドキワクワクの人生。

心が大事。

オトノネひろげるシェアぼたん

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

「世の中」と向かい合う前に。

世の中、って誰のことだろう。

世の中は、甘くない。
世の中は、学歴、
世の中は、、、

結局、選ぶ、決断するというスキルがないために、
自分が決断して、世の中を選ぶことができないために、
世の中の仕組みを知らないために、漠然とした世の中と対峙することになる。

それはとてつもない不安だ。

世の中で心がすり潰される子どもたちがいる。
どんどん、世の中に染まって行くのだ。
心がすり潰されて行くのが、世の中だ。
くらいどんよりとした、たった一箇所、か細い光の先にしか出口がないような世の中だ。
「もうそんな世の中、うんざりだよ」という子どもの言い分がある。
学業不振?やる気がない?あそびほうける?それが、世の中の標準であることを、お父さんお母さんは認めているだろうか。

そう考えたら、世の中というものは、勝手に作り出した幻想にすぎないとわかるだろうか。
世の中は、目の前にあるものではなく、
お父さんお母さんの瞳の中に写っているものだ。

「成績が伸びないしくみ」になっている学校の成績を上げようとすることは、世の中に逆らうことだ。
だったら、子どもが世の中に逆らっても、大人は何も言えない。

世の中ってなんだろう?

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お父さんお母さんのファンタジー(世の中物語)のなかに子どもを閉じ込めて、子どもが滅入っていることもある。
「それは、あなたたちの生き方でしょう?私の生き方ではないでしょう?」と、子どもは心におもっているかもしれない。
「もっと別の世の中を、みせてくれない?僕はまだ、子どもなんだ」と、子どもは心におもっているかもしれない。

いろんな生き方がある。

いろんなオトノネがある。

その子の見ている世界と、僕らの見ている世界が同じなわけがない。
大人が勝手に「世の中」を語るとき、子どもはそれを「ファンタジー」だとおもっているかもしれない。
8歳、9歳でその区別がつき始める。
「いやいや、目の前の現実が大人には見えていないんだね」と子どもは冷静に思っているかもしれない。

子ども曰く。
「どうして大人は、わけわかんないことを言っているんだろう?」

世の中を語る前に、心を語りたい。
その子の瞳に映ってる世の中を教えてもらうのはどうだろう。

その子の人生の舞台に上がっているのは、その子なのだから。

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動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

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野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

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僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

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失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

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冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

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子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

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適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

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マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。
【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

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実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

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