創造力とは何か。『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

子どもの心的世界のゆらぎと発達: 表象発達をめぐる不思議
『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

ファンタジー、創造性とは何か。
創造性のない個性は、切れない包丁だ。

ーーーーー

何も芸術家という職業につくために必要なことではない。
「ここにはない姿」「ここにはない何か」を思い描き、そこに向かっていく、つくっていくという人間の自然な姿だ。
インドネシアでは多くの創造的な人たち、芸術家に出会った。
ある人は、かつて栄えていた「帆船」の文化を省みて、海を移動する移動図書館を作った。
ある人は、コーヒー屋を営み、「僕はコーヒーを気にしてはいない。コーヒーを飲みに来る人のことを気にしているんだ」という言葉を僕に送ってくれた。今までにない、コーヒーを売らないコーヒー屋さんだ。

誰も決めてはくれない、自分一人の命の燃やし方。
一人で燃やすものでもない。
それをビジネスにする人もいれば、お金にはならなくても毎日が輝き続ける生活を送る人もいる。

誰も自分の人生を決めてはくれない。
流れていったら、流れ着く人生もある。
けどやっぱり人間は一人一人がオリジナリティを発揮するしかない。
「わたし」というものがあるからだ。
ひとりひとりに天の才が備わっているからだ。

ファンタジー、創造性という言葉を私が使う時、それは「自分の人生を自分でつくる」チカラを意味している。
不安定な社会で、これほど大切なチカラがあるだろうか?
このチカラはどうやって身につくのだろうか。
大人はどうやって子どもたちにこのチカラをつけていってもらったらいいのか?

それはオトノネのテーマでもある。
創造性は、教育の、子育ての、大きな指針であると思う。
個性という言葉の内実は、創造性にある。

創造性は、この現実世界の正しい知識、認識、経験の深さがあってはじめて生まれてくるように僕はおもう。
目の前にあるもの、(自分の中で起こっていることを含めて)目の前で起きていることを正しくみれなければ、感じていなければ、ファンタジーのチカラは現実世界に創造されず、虚構の世界にとどまってしまう。(そして多くの若者が御三家から中堅大学を経て若者サポートセンターへと向かうことをご存知だろうか。もちろんデータは非公開なので数値が言えないところが日本らしい)

創造性のない個性は、切れない包丁だ。
創造性を使うには????
自己選択能力、自己調整能力、メタスキル だ。

麻生は神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の犯人である少年に関する新聞記事の解釈に、次のような見解を述べています。

私が危惧するのは、この種の一般に流布しがちな見解が、ファンタジーと現実の関係について謝ったイメージを生み出してしまう危険性である、少年Aの問題は、ファンタジーが肥大し、現実が侵食されたことにあるのでは決してない。むしろ、彼の問題は、ファンタジーを生み出す力が十分に育っていなかったことにあるように思われる。堪え難い過酷な現実が目の前に聳え立つとき、私たち人間にはその現実に対抗するもう1つのリアリティを生み出す力が備わっている、それが物語やファンタジーを生み出す力である、少年Aの問題は、決してファンタジーの過剰にあるのではない。むしろ逆に、ファンタジーの希薄さにあるように感じられる。

麻生はその証拠として、少年Aのファンタジーにはオリジナリティが少なく、コピーが目立つことも指摘しています。用事が魔法のステッキやブレスレット、ヒーローベルトを手に入れて、そのまねをすることで今とは違う自分になろうとすることは他社のアイディアのコピーです。しかし、まねをしてみても返信できなかった時、どのようにすれば実現可能なのかを考え、自分なりに繰り返し修正を加えながらその実現可能性を試そうとする姿は、子どものオリジナリティが成せるものだと言えるでしょう。これは、これまで紹介してきた実験での用事の姿とも共通するものです。(略)他者の生み出したものにあこがれ、それを超えたものにするためには、自らの知識や経験をつなぎ合わせ、あれやこれや試行錯誤することが欠かせません。ヴィゴツキーは「創造物は経験(既有知識)の諸要素を様々に組み合わせることによって生み出されるものである」とし、「想像と経験は相互に依存する関係である」と述べています。経験や既有知識の量が多いほど、そのダンンペン同士の組み合わせが奥生じて想像力は広がりを見せ、その結果生まれた創造物はより豊かなものになるといううのです。このことからも言えるように、非現実的で魔術的な想像そのものが危険なわけではないのです。毎日の生活を思い切り生きているなかで獲得された知識をもとにした現実世界に根ざしたものであれば、非現実的で魔術的な想像も人間の生活をより豊かにするものとなり得るのです。4〜5歳頃の幼児はまさにこの現実と創造の世界を豊かに生きる住人になり始めているのだとおもいます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.154)

ーーーーーー

蛇足になるが、この本ではファンタジーという概念を共同幻想まで広げている。筆者の言葉によれば、「公的虚構」というものだ。個性、一人の人間が「自己」の天の才を発現するものを「私的虚構」だとすれば、サンタクロースは「公的虚構」だ。

作られている世界観、価値観が「ウソッコ」だったということに気づくのは9歳前後だという。
「いい子にしていれば」とか「一番になれば」とか「我慢していたら」という価値観、「どうしようもないんだ」「自分はこうなんだ」という気持ち、今まで感じたこと、経験してきたことが再構成される。
9歳。小学3、4年生。

これは2歳、15歳とはまた別様の思春期ではないか。
と僕は今思った。

ーーーーー

数列的には(これは僕のあそびです)
1+7×0=2
1+7×1=8(9にはならなかった・・・7でなく8にしたらよかったか)
1+7×2=15
生物の現象は指数的だというが、局地的にみればここは線型的、本当に長い人生のごくごく一部、ということだろうか。
この計算を続けると、
1+7×3=22(大学卒業?)
7、8年刻みのライフイベント笑
7、8年ごとに、自己は大きく揺れ動くのか!???

1というのは、いわゆる初語がでてくる一歳のことです。

8は無限の意味をもっている。∞
八百屋は野菜ならなんでも売ってるから8。
八百万の神はたくさんの神様。
八方美人は全方位に対応している。(この考えをつきつめると数秘主義とかいわれてしまう)

繰り返される成長。
子ども時代は、なんとまぁ輝いてみえることか。
大人だって、輝けるはずだ。と、僕は思う。

思春期、とは違うかもしれないけど発達のポイント、節目として5歳をいれたら。。。
そうやって思索にふけってしまうのが僕のいいところか、悪いところか。

ーーーーーー

こちらは

富山市の個別×子別指導学習塾オトノネ堀川教室

の宣伝です!クリックするとHPがでてきます( ˶˙ᵕ˙˶ )

富山市の個別指導塾オトノネ堀川教室

ーーーーーー
初潮が早まっているこの時代、思春期の定義を拡張するのもいいかもしれない。
教育制度が、時代についていっていない。

だからオトノネ!!!笑

小学3、4年生が、otonone-オトノネ-に来るのに、ちょうどいい時期、だということだろうか?
ファンタジーは、創造力は子どもたちの助けになる。
現実の世界、今ある世界を俯瞰的に眺められる、もう一つの視点をつくれる、世界は塞がれてはいない、窓があって、扉があって、外の世界と繋がっているということを知っていることは、現実世界を生きることの役に立つからだ。

ドキドキワクワクの源泉となる思いは、いったいどこでつくられていくのでしょう。筆者は、その鍵は幼児後期から児童前期(4歳半〜8歳)にかけての多元的世界の形成、すなわち、「リアル」世界でも「アリエナイ」世界でもない「第3の世界」の形成にあると思います。私たちは児童後期以降、表面的にはリアリティを基準に世界を大きく二分割していきていきますが、実際には、潜在意識に刻み込まれた多元的世界を胸に潜め、それに励まされて生きていくのです。児童文学研究家の松岡は、これと似た事柄を「サンタクロースの部屋」という巧みな言葉で表しています。「心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることができる」。これとまさに同じことが、多元的世界の形成にも言えるように思います。(略)幼児後期から児童前期にかけての多元的世界の形成こそが、その後、多様な価値を受け入れたり、新たな価値を作り出したり、新しいことに対して常に新鮮な気持ちで接していけたりする、そうした豊かな人間生活を私たちに可能にさせてくれるのではないかとおもいます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.188)

ドキドキワクワクの人生。

心が大事。

オトノネひろげるシェアぼたん

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

「世の中」と向かい合う前に。

世の中、って誰のことだろう。

世の中は、甘くない。
世の中は、学歴、
世の中は、、、

結局、選ぶ、決断するというスキルがないために、
自分が決断して、世の中を選ぶことができないために、
世の中の仕組みを知らないために、漠然とした世の中と対峙することになる。

それはとてつもない不安だ。

世の中で心がすり潰される子どもたちがいる。
どんどん、世の中に染まって行くのだ。
心がすり潰されて行くのが、世の中だ。
くらいどんよりとした、たった一箇所、か細い光の先にしか出口がないような世の中だ。
「もうそんな世の中、うんざりだよ」という子どもの言い分がある。
学業不振?やる気がない?あそびほうける?それが、世の中の標準であることを、お父さんお母さんは認めているだろうか。

そう考えたら、世の中というものは、勝手に作り出した幻想にすぎないとわかるだろうか。
世の中は、目の前にあるものではなく、
お父さんお母さんの瞳の中に写っているものだ。

「成績が伸びないしくみ」になっている学校の成績を上げようとすることは、世の中に逆らうことだ。
だったら、子どもが世の中に逆らっても、大人は何も言えない。

世の中ってなんだろう?

==========

お父さんお母さんのファンタジー(世の中物語)のなかに子どもを閉じ込めて、子どもが滅入っていることもある。
「それは、あなたたちの生き方でしょう?私の生き方ではないでしょう?」と、子どもは心におもっているかもしれない。
「もっと別の世の中を、みせてくれない?僕はまだ、子どもなんだ」と、子どもは心におもっているかもしれない。

いろんな生き方がある。

いろんなオトノネがある。

その子の見ている世界と、僕らの見ている世界が同じなわけがない。
大人が勝手に「世の中」を語るとき、子どもはそれを「ファンタジー」だとおもっているかもしれない。
8歳、9歳でその区別がつき始める。
「いやいや、目の前の現実が大人には見えていないんだね」と子どもは冷静に思っているかもしれない。

子ども曰く。
「どうして大人は、わけわかんないことを言っているんだろう?」

世の中を語る前に、心を語りたい。
その子の瞳に映ってる世の中を教えてもらうのはどうだろう。

その子の人生の舞台に上がっているのは、その子なのだから。

オトノネひろげるシェアぼたん

動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

ーーーーーーーー

野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

ーーーーー

僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

ーーーーーーーー

失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

ーーーーーーーーー

冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

ーーーーーーーー

子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

ーーーーー

適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

オトノネひろげるシェアぼたん

マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。
【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

ーーーー

こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

ーーーーーー
ーーーーーー

実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネひろげるシェアぼたん

実際に、数を数える

算数で困っている子。

頭の中でなくて、実際に数える経験がないから無理やりつくる。
本当は、大人の仕事の手伝いをしながら、数を覚えるのが、自然なのだろうけれど。。。

「大人」になるまで仕事ができない世の中。
生活の中でどんどん、数と関わるような家庭教育が大切。

だけどお母さんが、お父さんが、仕事で目一杯になっていたら、しんどい。。。。

ーーーーー

おはじきを使って、数を数えながら。この子は勝手にあそびで「みっきー!」をつくった。
あ、これ、割り算だな。

とおもって、話をそっちにもっていくことに。

こういう偶然がどんどんでてきたらいい。
子どもは、実際、遊びながら、こういう経験を積む。
こういう経験が、「数の操作」として抽象化される段階になって、スローラーンであったり、不得手な部分を持った子が、置いてきぼりになる。
じっくりと、その子のペースで、学ぶだけでいいのに。

当たり前のことを、当たり前にやるおとのねです。


クラゲ、だそうです。
すごい感性!

宿題、宿題で終わらせないで、その子の心が向かっている先を、歩けるような、ちょっとしたお手伝いをしたい。
絵の具だけじゃなくて、パステル、切り絵なんか、この子には向いてるんじゃないかな。。。

とか。


別の日には、お花になりました。

ファンタジーは、生きるチカラです。

オトノネひろげるシェアぼたん

夢見る時間を大切にする。

日常の動作がはじまってしまえば、消えてしまう。
きっと大切なものを見せてくれている。
けど、日常の中で、すぐに消えてしまう大切な時間がある。

記憶に残そうとしても、意識しようとしても、残らない。。。。

「夢見ている」状態でペンを握って、記録しよう、という考えが浮かんでも、夢見ている状態で、手を動かすことができない。
(自動書記ができる人がいるらしいが、僕にはまだ、まだ!できない)

いろんなものが詰まっている僕の頭が、話しかけてくる断片的な物語。
つじつまがない、子どものおしゃべりのような、物語。

意味がよくわからない話でも、子どもにとっては、何かしらの心の働きがあって、言葉になってでてきているものだ。
そうおもうと、子どもの「今日ね!◯◯ちゃんがね!」という話ひとつが、愛おしく感じられる。

ーーーーーーーー

インディアンの人たちは伝統的に、黄昏の時間、夜の時間をdream timeと呼んで、特別な時間にしている。
夢を見ているような状態をdreamingという。

心を大事にしたいなら、眠りを、休息を、そして仲間を大事にしないとなぁ。
やっぱり、《放課後の学校》は無料にするか。

学習塾で、お金稼ぐ?
オトノネさんの単価は、どんどん低くなります。
そのうち空気みたいに、無料で、大切なものになるのでしょうか。

それでも、いい生き方だと、思えてしまうくらい、僕は今空気に憧れています。

そうしたファンタジーを大切にして、現実の壁を乗り越えて、プロセスを進めていこう。
というわけで、無料でいいですね?

1万6千円とか、普通の値段にするのは、いやです。
それよりも、無料にして、何が起こるか、みてみたい。

そっちのドキドキの方が、僕にとっては大切な事のように思える。

あれ?またコンビニのバイト始めないとムリじゃない?笑

誰か、影分身の術を教えてください。

ーーーーーーーー

夢にいろいろ、教えてもらおう。

意識の世界ができることなんて、ほんとうに、小さなことなんだ。
それは不可解かもしれない。偶然かもしれない。
そんなものが今の僕をつくってきた。

だから、寝ます笑

ーーーーーー

ファウストは、いろいろなことを知っていました。
ですが、大切なことがわからず、メフィストフェレスという悪魔と手を組むことになりました。

悪魔はファウストに、夢を見させたのです。

悪魔という名前でなかったとしたら、メフィストフェレスは、立派に、ファウストの「止まってしまった」思考、もう意識の世界では動かすことのできないプロセスを、動かしたのでした。そのように解釈することができる。

悪魔の名前を、感情知性と言うこともできる。

だから、寝ます笑

ーーーーーーーー

僕が最後に、死ぬまでに曲をつけたいという戯曲が、実は、ファウストだったりするのです。
友達だもん。

すごく普遍性がある物語。
今の高校生たちにも、見てほしいな。
高校生バージョン、つくるよ笑

そういう芸術家としての僕を、まだ日本でちゃんと見てあげれていない、気がしている。
いつも、いつも、後回しになっちゃうね。ごめんねー。

夢で会えるかな

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんなう

どこにいっても「うまくいかない」ことはある。
どこにいっても「ああ、この問題には、ぶち当たるな」
とおもって、だったら、好きなことをして、苦労しようとおもった。

楽をしないで、楽しもうとおもった。
僕は、僕のやりたいことをする。

そうしてオトノネははじまりましたとさ。

最近、少し、肩に力が入りすぎている気がする。
もう少し、楽しいことだけしてみようかな。
《放課後の学校》無料でいいですか?

いやですか?
みなさん、無料には慣れているでしょう?

どうしますか?
値段を考えるの難しすぎてですね。

願わくば、ご意見、おきかせください。
僕は大丈夫ですよ。一人分なら、副業でなんとかしますから。

そもそも、ムリをしてしまう、やっていて疲れてしまうことが、本当に、好きなことなんだろうか?
そんなことを考えてしまうくらいだから、今、僕は、ご飯を食べて寝たほうがいいとおもっています笑

少し、ギアを下げたいのですが。
家賃が発生しているため、ギアを下げられないのです。

もっと、残酷な心を持てばよかったと、おもいます。
だから僕が生きるフィールドは、ココではないのかもしれません。
と、思ってしまうほど、今僕は、寝たほうがいいのです笑

夢の中で、いろいろと、学べることもあるでしょう。

明日は、《放課後の学校》のフローリングを受け取ります。
無垢のアカシアです。
みんな、裸足になって、喜んでくれるかな。
わからなくてもいいんだよ。
きっと体は、感じてくれるから。

なかなかわからないものだよ。
大切なものがなんなのか。

ここに、あるんだけどね。

オトノネひろげるシェアぼたん

2種類の幸福

The surprising science of happiness

高校の授業のゲストで、岩井伸太郎さんがきてくれた。
世界一周をした経験から瞑想、マインドフルネスを加賀市で実践している。
子どもたちが生き方を学ぶ、勉強も教える塾をやっているそうだ。
塾生が増えているということで、いやぁ、おとのねも見習いたい。

そんなかんだで、僕も「夏休み前だし!」とおもって、英語の授業で「しあわせ」についてみんなとなんかやろうとおもった。
そこで見つけたのが、このTEDの映像。

ーーーーー

幸福には2種類がある。
自然発生的幸福と、人工的幸福。

自然発生的幸福は、「欲しいものを手に入れる」時に得られるしあわせ。
人工的幸福は、「自分でつくりだす」しあわせ。

「え?不幸じゃないの?」と一見、思える状況でも「しあわせです」と言える人は、人工的幸福を作り出せる人だ。
僕はこういうとき、いつもDVの被害者の状況を重ねてしまう。
一見、はたからみると「それって幸せ?」とおもえることでも、「しあわせ」にしてしまう、脳の働きがある。

(この脳の働きを利用してみんなで幸せになろう!というのが、ブッダのオリジナルの仏教かもしれない)

けど、この人工的幸福の価値は、世間では一般的ではないという。
みんな、「ほしい」未来に向かっている。
子どもたちに「こうなってほしい」未来に向かわせているお父さん、お母さんがいる。

今、この時に、この場所で、しあわせを感じられているだろうか。
「今ここ」でしあわせを感じるチカラも、大切にできているだろうか。

僕自身、よくよく思い返したい。。。。

ーーーーーー

自然発生的幸福とは、「得られるよろこび」である。
「こうなったらいいな。ああなったらいいな」とおもったものが、得られたとき、しあわせになる。

自由、選択、意志、といった近代的な価値観は、自然発生的幸福観の土壌になっているという。

マーケットの原理だ。

もし僧侶のように人々が「そのままでしあわせ」になったら、イオンも、ファボーレも成り立たない。
経済が動かない。行政に税金が入らない。だから「もうこれで、いい」ではなく、「もっと、もっと!」しあわせになれるように、行政も働きかける。

(よく、子どもの数が少なくなった、ヤバイ!日本の未来が!というが、それは「しくみ」を変えれば済む話で、別の「しあわせ」の形を探せばいいだけの話で、子どもを増やして昔のままの価値観を維持しようとすることが、また働き続けて昔のままの価値観を維持しようとすることが、果たして「政策」として本当に民意にあっていることか。そもそも「しくみ」の話を学校でも教わらないから、旧来の「しあわせ」に誘導されているとおもっていい。)

ーーーーーーー

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
自立する、という意味で。

けど実際、自由、選択、意志が及ばない「天の才」、「宿命」を受け入れることでたどり着ける境地があるとも思っている。

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
「世の中の思惑」から、自立する、という意味で。

「天の才」、「宿命」を受け入れるために。
自分らしく、命を尊ぶために。

要するに、使い方なのだ。

ーーーーーーーー

自然発生的幸福は、いってしまえば狩猟時代に「獲物が捕れた幸せ」に相当するだろう。
次の狩りへの動機付けにもなる。
これは大脳辺縁系、扁桃体とかそこらへんが絡んでいるしあわせのようにおもえる。(勉強したい)
ある意味で、動物的なしあわせだ。

人工的幸福は、これは「つくられたしあわせ」であって、ファンタジーの世界だ
そこにないものを、作り出す前頭葉(大脳新皮質の一部分)の働きだろう。(勉強したい)
これは、人間的なしあわせである。

どれだけ、人工的に、しあわせをつくれるか。
人工的にしあわせをつくりだすための「インフラ」をつくるか。

これが人生の楽しみであり、ワクワクであるようにおもう。

ーーーーーーーー

どこかに辿りつくまでの道すがら、しあわせを集めること。
「我慢我慢。この労働(課題)の果てに、しあわせになる!」といいながら、不確定な世界で、「得られなかった」時の幻滅、失望は計り知れないかもしれない(給料は必ずやってくるからまだいい。課題は最悪)。やってみるといい。そのあとで、しあわせへの道をさがしたらいい。僕も長い間「求めよ、さらば、与えられん」の道を歩いてきた。ある意味でそれも真実だが、「求めなければ、得られるもの」もある。

カスカネダが記述したインディアンの教えでは、これを「心ある道」と呼んでいる。
これは実は、道教のタオ(道)でもある。

入り口を探すまでもない、道。
僕は今、入り口を探しているような気がしている。
そんなものないのに笑

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.
しあわせへの道すがら、あなたはあなたがなりたいあなた、あなたしたいこと、あなたがほしいこと、全てに出会えるだろう。

ーーーーー

完全個別指導の学習塾、少人数の《放課後の学校》のレッスン料は高い。
それは「求める」ことでしか得られないものだろう。
どこかで矛盾していることが、わかっているから、僕はいつも、困っている。


けど、家でなにがしかの節約をして、「しあわせ」のやりくりをすることで、払えない金額ではない、ともおもっている。

お母さんのハートワークを増やしたい、と願うオトノネさん。
そのためにお金を稼がないといけないと思うオトノネさん。

この心を大切にするために、やっぱり、お金が、必要なのです。
この心を大切にするために、やっぱり、個別、少人数にしたいのです。

わがままですか?
僕のわがままに付き合ってくれる方に、オトノネを応援してもらえたら、うれしいです。

オトノネひろげるシェアぼたん