【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

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へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校のしくみ【753教育】とは何か。学校って何?

「教育七五三」の現場から-高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ

ゆとり教育は難しすぎ? 高校生3割が小学校レベルの勉強わからず

簡単にいうと、エリート選抜システムだ。
学校の授業、課題は平均以上の子のためにデザインされている。
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

変な表現で言うと、「おちこぼれをおとす」システム。
(もちろんいい先生もいますよ)
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

別の言い方をすれば


学校は、大切なことを学ぶための「試練」は提供するが、「試練を乗り越える」ところまで手伝ってはくれない

と思ったらいい。

統計的な事実を物語にすると、そうなります。

では、「試練を乗り越える」プロセスで学べる大切なこととは?
非認知能力だ。
情動知性といってもいい。
【ヘックマンのペリープロジェクト】テストでは計測できない“非”認知的能力が大切すぎる件

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多くの子どもにとって

学校は、受刑期間が過ぎるまで、耐える場所。
受刑が終われば、出なくてはならない場所。

だから、これがお母さんの大切な役割だとおとのねさんは思っています。
【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー

オトノネひろげるシェアぼたん

教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

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思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

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世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

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意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

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子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

オトノネひろげるシェアぼたん

動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

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野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

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僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

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失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

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冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

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子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

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適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

オトノネひろげるシェアぼたん

人を笑顔にする人のチカラ

生徒が帰って、別の生徒がやってくる時、生徒同士が鉢合わせる。

小学生の子が終わって、お母さんと話をしていた。
次にきた高校生が、小学生と鉢合わせた。

小学生は、ホワイトボードに絵を描いていた。

あとで、高校生の話を聞くと。

「子どもが嫌いだったけど、かわいいなっておもえた」という。
変わったというか、改めて、子どもに出会った。

感じ方が変わっていたことに驚いたという。

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人が人と出会って変わることは大切だとおもう。
人が新しい人と出会うことで、成長した自分を感じることもある。

他者は大切だ。

僕自身、音楽家としての才能を韓国でたまたま「見つけてもらった」。
自分一人で自分の意味を見つけることは難しい。

「自分はこれだ!」とかおもっていても、誰かが「それでいいよ」と言ってくれたり、一緒にやってくれる人がいないと、自分に「なれない」ことがある。
そういう仲間探しをしていくのが、人生の意味のように感じることもある。

人と人が出会って生まれるもの。
富山県でも、石川県でも、居場所になる場所、人が出会える場所がたくさんできてきた。
ひとそれぞれが、「自然」になって、多くの人と出会えることが自然になったらいいなぁ。

小さな小さな小学生が、高校生をはっとさせるチカラをもっている。

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ただそこに「自然」にいるだけで、誰かをしあわせにするチカラを、だれもが持っている。
あれもしないと、これもしないと、不安になる世の中で、大切な「自然」を忘れていないだろうか。

ひとりひとりが「自然さ」を大切にすることで、世界はもっとおもしろくなるし、笑顔がもっとふえるとおもうんだけど。
高校生である、中学生である、小学生である、お父さんである、お母さんである、先生である、生徒であることを超えて、「私」として自立できる心を(病理的なナルシシズムに陥らず)大切にしたい。

歩きながら、人と出会いながら、しあわせを育てていこう。

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ゲームにはまっている高校生。
ゲームの世界で、2000人のファンが彼と対戦するために待っている状況もあるという。
そういう「自然」だって、ありうる笑
(彼はニートで一生を過ごすようだが、それはそれで、「自然」なのだろう)

お父さん、お母さんに一生、守られなくてはならない「自然」すら、大切にすれば、誰かを幸せにできるだろうか?
(ピアニストのグールドは、完全に、守られて「自然」を育てた。そして、世界中の人の心を動かした)

自分の中にある豊かさ、リッチネスを大切にしていけばいいだけかもしれない。
忘れてしまったものを、思い出すだけでいいのかもしれない。
大事にしていた自分が袖を引っ張るのを無視して「こっちにいかなくちゃいけないんだから!」といって、その子を置き去りにした瞬間があるかもしれない。

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

うーん、たまたま拾ったこの英文、好きになりました。

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オトノネひろげるシェアぼたん

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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富山市の民間学童保育

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

ーーーーーーー
本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

ーーーーーーー

小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

ーーーーーーー

正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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実際に、数を数える

算数で困っている子。

頭の中でなくて、実際に数える経験がないから無理やりつくる。
本当は、大人の仕事の手伝いをしながら、数を覚えるのが、自然なのだろうけれど。。。

「大人」になるまで仕事ができない世の中。
生活の中でどんどん、数と関わるような家庭教育が大切。

だけどお母さんが、お父さんが、仕事で目一杯になっていたら、しんどい。。。。

ーーーーー

おはじきを使って、数を数えながら。この子は勝手にあそびで「みっきー!」をつくった。
あ、これ、割り算だな。

とおもって、話をそっちにもっていくことに。

こういう偶然がどんどんでてきたらいい。
子どもは、実際、遊びながら、こういう経験を積む。
こういう経験が、「数の操作」として抽象化される段階になって、スローラーンであったり、不得手な部分を持った子が、置いてきぼりになる。
じっくりと、その子のペースで、学ぶだけでいいのに。

当たり前のことを、当たり前にやるおとのねです。


クラゲ、だそうです。
すごい感性!

宿題、宿題で終わらせないで、その子の心が向かっている先を、歩けるような、ちょっとしたお手伝いをしたい。
絵の具だけじゃなくて、パステル、切り絵なんか、この子には向いてるんじゃないかな。。。

とか。


別の日には、お花になりました。

ファンタジーは、生きるチカラです。

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大学に行く意味。大学受験の意味とスーパーサラリーマン山田さん

「なんで大学に行くんだろう?」

はて。

なぜでしょう。

「なんで高校に行くんだろう?」

ては。

なぜでそう。

「なんで会社で働くんだろう」

どうしてでしょうね。

などなど。

どれも同じ問いのように、僕には聞こえる。

思春期が来る前は、特に何も感じず当たり前に言っていた学校だが、思春期をすぎると「選択肢」としてでてくる様々なライフイベント。

「なぜ◯◯するのか」

その答え方、その問いへの、振る舞いによる返答が、その人自身を表している。

こうした問いを頭の中に思い描いてしまうのは、それがまだ価値観として、意味として、心でつかめていないからだと僕は思う。

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「なんで大学に行くの?」
という問いは、「どうして大学生になるの?」という言葉に言い換えられるだろう。

で?

おとのねさんのブログのタイトルは
富山・高岡・金沢で暮らしている保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー/芸術家のブログ。

だ。
(この記事を書くにあたり、書き換えました)

保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー

芸術家

である。

/より上は職業名、と言っていいかもしれない。
/より下は?

これは僕自身。

自分は何者か?に対する今の所のぼくの答え。

芸術家、という分母(おかあさん)から生まれた子ども(分子)が、保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラーだと表現してもいい。

ある人にとっては、分子が「女性」であったり、「お母さん」であったり。
ある人にとっては、分子が「男性」であったり、「お父さん」であったり。

つまるところ社会的に便利な「名前」だ。
「名詞」の抽象性

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大学に行こうとする人にとっては、こういう問いになる。

「大学生」である私の意味はなんだろう?
「大学生」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるだろう?

大学に行かずに働こうとする人にとっては、

「会社員」である私の意味はなんだろう?
「会社員」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるのだろう?

「生きる意味」はなんなんだろう?
という問いと同じくらい、曖昧で、漠然としていて、わからないときは、わからない問いのように、僕には聞こえる。

実際に、「大学生」「会社員」になってから、後から意味付けされる場合がほとんどだ。

人間にとっての意味とは、そんな不思議なものだ。

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「お母さん」である以前に、あなた。
「お父さん」である以前に、あなた。
「高校生」である以前に、あなた。

もしそんな「あなた」が自分の生き方を名詞で表せるようになったら、それほど、心強いことはないかもしれない。
誰かから与えられた意味ではなく、自分でつくりだした意味を、心の頼りにすることができるのだから。

そんな「あなた」もどんどん変わって行く。
サルトルの実存主義はまさに「未来に向かって、自分を投げ続けることでしか、人間は実存できない(意味を見出せない)」というような言葉で、それを表した。

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こうした問いを立てるというとてつもない「課題」に立たされるのが、思春期かもしれない。
とっても、とっても、大切な時期だし、一人で乗り越えるには、大変なことだとおもう。

お父さん、お母さん自身が「どうして子どもを大学に行かせたいんだろう?」と悩んでいるかもしれない。
なぜか、心は自然と「大学に行く子ども」を想像してしまうかもしれない。。。

それは、社会的な圧力であって、共同幻想というやつで、社会現象であって、「ああ、世の中では、大学に行くのが、ブームなのね」と思うだけで、少しは心が軽くならないだろうか。

お父さん、お母さんが、子どもが大学に行く意味を見つけようとして、目の前の子どもの心を見失っては、元も子もない!笑

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山田さんの分母は、「スーパーサラリーマン」だそうだ。
昔なら企業戦士、働き続ける会社員を「スーパーサラリーマン」と呼んでいたようだが、山田さんはこういう。

「会社だけで役割を果たしているだけでは、”会社人”であって、”社会人”とはいえない。会社が終わった後で、社会の中で活動する会社員が増えたら、社会はもっとおもしろくなる。そういう人を、スーパーサラリーマン(サラリーマンを超えているサラリーマン)と僕は言っているんです」みたいな。

そうして、山田さんはあるときには「保育園のお手伝いさん」あるときは「お父さん」あるときは「遊び道具製作家」あるときは「おとのねさんとおもしろおかしくやってくれる人」だったりする。

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ちなみに、芸術家という言葉は、インドネシア語でsenimanスニマンという。
インドネシアでは、いろんな人が、芸術家だ。学校の先生も芸術をするし、創造的な仕事をしている全ての人をsenimanと呼ぶ。もちろん、音楽家や絵描き、物書きも。アーティストという日本の言葉は、どこか「キザ」な響きがする。高級感がでている気がする。僕はそうではない。

僕はsenimanとしての意味を、作り続けている。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

あ、ちなみに僕は「空が青かったっから」大学に行きました。

それは僕にとって、とても大きな意味が、そのとき、あったのです。

大学に向かう情動・感情もいろいろ。
その情動・感情が、その人自身を表している。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

行っても行かなくてもいいから、大学受験勉強するなら、ぜひ、楽しんでみてください。
数学であそぶ

僕は、「大学受験」は、日本の高校生にとっては、儀式だとおもっています。
受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。
その儀式を形式的に終わらせるか、実質をもって実らせるか(成長するか)。

ただ、それだけかもしれません。
別に、どっちもでいいけど笑

あなたが大学に行く意味はなんですか?

大学に行くか行かないか、どこに行くかよりも、今、感じている、あなたのもどかしさ、心の「もやもや」があるなら、それに向き合う大切な時間にしてみても、いいんじゃないかな。

その向き合い方が、「今の」あなた自身を表しています。

答えなんてありません。
答えを教えてもらって安心しようとしてもダメです笑
それは宗教です笑

答えに頼らず、あなたの心のまにまに、進んで行ってほしいとおもいます。
答えられなくてもどかしくても、うまくいかなくても、はっきりしなくても、そのままの自分を抱きかかえて、先に、先に、一歩だけでも、先に進んで行く経験は、きっと君のチカラになる。

もちろん、休んでもいい。
休むことも、ひきこもることも、うずくまる時間も、大切にしてほしい。

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この時代に、子どもが大学に行く意味が何か、悩んでいるお父さん、お母さんへ

他人にとっての「価値」を別の人が考えたり、作ろうとすると、徒労に終わらないだろうか。
だって、「価値」はその人、当の本人にとってしか、意味がないように、僕にはおもえるから。

この時代、この場所で生きている子どもたちに伝えられることはなんだろう。

「伝えるべきこと」と「伝えてはいけないこと」の区別を、僕は、よくよく注意しなくちゃなぁと、感じている。

そもそも、大学は歴史的に・・・・とウンチクを並べることも、もちろん、できますが笑
伝えるべきこと「ではない」と僕はおもっています。

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数であそぶ

数学は真面目にやったら新皮質だけで頭でっかちになる。
数学であそんだら、辺縁系も一緒になって、「あはは!」となる。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

小学生、数を「実際に」数える、というだけでも、ものすごく数学的なことができる。
規則性、対称性、分析して、場合分けして。。。

内言を獲得した後に抽象的な割合とか分数をやる以前に、こういう「数を数える」ことでたくさん数学の「どっきり」を経験してほしい。

高校生になったら、こうなる。

ふしぎくん


どきどきちゃん

で、文科省の指定通りに勉強すると、「概念の勉強不足」により、「暗記数学」への道が、ひらけてしまう。

いや別に、逆関数って言葉を使わなくてもいいんだけどね。
対数がわからないっていう子、結構たくさんいるらしいね。

逆関数、数Ⅲにならないとでてこないんですけど。
数Ⅱで必要になると、僕はおもうんだけど。

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分数の前に、数を数えること。
対数の前に、逆関数をやっておくこと。

積み重ねないで、「わからん」という人は、順番さえしっかりすればいいのに。
たったそれだけのことを、多くの高校生が、教わらない。

数の数え方、数の扱い方に十分に慣れずに割合、分数にすすみ、算数嫌い、数学嫌いになる子がいる。
その子のペースでやりさえすればいいのに。
たったそれだけのことができずに、宿題を「させる」ことが、どれだけふしあわせのタネをその子に植えつけてしまうか。

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