躾(しつけ)ではなく気締め(ケジメ)が大切。『アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ』

躾と気締めである。

しつけは身の美しさであって、けじめは気を締めること。だということにしておこう。

けじめをつけることの大切さを感じる。

自由、自由というが、そこで自分の気をコントロールできるかどうか。

たくさんあそんだ!それから次の行動に移っていく。

解放させた気を締めること。


それがケジメ。

もしくは如何にコントロールしながら、解放するか。


それがケジメ

「じぶんひとりなら」ダダ漏れしていた気を、その状況に応じて、調節すること。
それもケジメだ。
(家の外では出せない気を家の中で出していて、お母さんが怒る、という笑い話もある。外では出せないから、家の中で出しているのだ。例えばそれが「怠け癖」だとしたら・・・家の外でケジメをつけすぎていて、疲れているのかもしれない。)

気分が暗い時、暗い気持ちにけじめをつけて楽しいことをしてみること。楽しい気分でいるときに「あ、けどこれもやらなくちゃいけなかった」とか。当然といえば当然のこと。

しつけといって仕舞えば、「いい子」になることのように聞こえるが、けじめといえば「自律した子」のように聞こえる。しつけという言葉には、支配的な、文化的な響きがある。

ーーーーーー

ケジメは、感情をコントロールすることだ。
感情をうまく使っていくことだ。

0歳の時から、このケジメは始まる。
泣いている赤ちゃんに「声をかけてから」ミルクの準備をする。
それを続けただけでも、「声をかける」ことで赤ちゃんは安心して、泣くのをやめるようになるかもしれない。
気を締める。

心は、0歳のときから、作られる。

少なくとも、感情を押しとどめる、「いい子」でいることはケジメではない。
それは気詰まりであり、息苦しさだ。(破裂するまで、しばらく辛いだろう)

ーーーーー

少し大きくなって、「褒める」ことばかりをしていると、何も考えない、できないと癇癪を起こす子になる。
「褒める」といいという定期テスト対策的子育てが流行っているらしいが、僕は全くオススメしない。
「与える」にしても同じだ。「なんだこんなもの」と大人が思い買って与えるだけでも、子どもにとっては「もの」ではなく、泣いたら、駄々をこねたら与えられるのだという現象を学ぶことになる。

ケジメは、いいこと、わるいことを教えることではない。
感情をコントロールできる、大丈夫だ、僕は一人でも大丈夫だ、という自立心と自信をもつこと。

これが、ケジメの目標だとおもう。

ケジメができていないと、将来どんなに生きづらくなるか。

ケジメは、押さえつけることではない。
自由を、使いこなすことだ。
自由を使いこなし、大切な人、大切なものを守るためのものだ。

ーーーーーー

しつけという言葉は、子供をペットにしかねない。
ケジメ、という言葉をつかってほしい。

子供の気持ちを、どんなエネルギーに変えたらいいのか?
それもケジメのひとつ。

「学校でこんなことがあったの・・・」
こんなことを質問されたら、どう答えるだろうか?

まだ気が締まらない(どうやって気を整えたらいいかわからない)状況を、心が処理するしくみをつくること。
これもケジメをつけることだ。
ただただ押さえつけることではない。

「気にしなくて大丈夫だよ」というか。
「それは先生にいわないとね!」というか。
そのお母さんの言葉の感情が、その子にも伝わるだろう。

「どうしたかったの?」
「何を感じたの?」と、問いかけて、子供の頭の中で、心で、もう一度整理する時間をつくってあげることを、僕はオススメするけれど。

一人では難しい、心のプロセスを、手伝ってくれる人に出会った子どもは、しあわせだ。

ーーーーーーーーー

子供の未成熟さが、弱い子供、弱い大人をつくりだす。過保護が、子供を未熟にする。引きこもり、いじめ、8050問題、DVや暴力、ストーカーなどの社会現象の根源は、親の過保護にあり、親が過保護にならざるをえない社会の不安にある。人を愛せない、共感できない、相手のことを考えられないなど、多くの政治的社会的に高い地位にある大人たちも未熟な状態であるために、日本は混乱している。児童虐待もDVも不登校も、政治的な混乱もなくならないのは、過保護を引き起こす社会不安によるものだ。恥や罪の意識は子供にも伝わります。

子育ては、親育てでもあります。
子どもからたくさん学んでください。
お母さんが子供時代にやれなかった宿題を、子供にやらせずに、自分でやってみてください。
お子さんと同時に、お母さんの宿題のお手伝いも、オトノネはしたいとおもっています。
わかっているお母さんもいるとおもいます。
でもどうしていいかわからない・・・
お子さんに、お母さんやお父さんの心の未熟な部分を押し付けないですむ方法を、一緒に考えましょう。というか実践していきましょう。
怒りや不満、不安や悲しみを子供に押し付けてしまっていませんか。
僕もまだまだ未熟さをかかえたまま、前にすすんでいます。

大丈夫です。

「知る」ということだけでも変わるかもしれません。
お子さんの成長をみながら、「感じる」ことで変わるかもしれません。
そのプロセスはわかりません。
だから一緒に、はじめてみませんか。

いつまでも誰かにえらいえらいと言われていなければ心を保てない子、実力がないのに偽りの賞賛を与えられてきた子、本当の自分を隠してきた子。思春期に、悩まなかった子。悩むことを許されなかった子。自立した人間として向かい合ってくれる大人に出会えなかった子。「ノー」と言えない子。挫折・失敗に弱い子。病んだエネルギーは、誰に向かうのか?自分の心身症になる人もいれば、他者に対する暴力というかたちをとる人もいる。DVに気づかないお母さん、児童虐待に気づかないお母さんもいる。アルコール依存症、セックス依存症は、「もう自分ではどうしようもない」無気力、無力感の叫びだと、僕は思っています。

===========

オウム真理教を覚えていますか。
知っていますか。

「娘を教団に取られた」というお母さんが記者会見をしたときに、その娘さんが「お前たちは帰れ!私たちの邪魔をするな!」みたいなこと(すみません正確にセリフは覚えておらず、ただ自分のことを「私たち」と呼び、母を「お前たち」と呼んだということです)を言ったという。

よくある話で、教団に入って洗脳されてしまうような子に、子どもが育ったことに、お母さんが気がついていないのだ。

お母さんのせい、ではない。
といえるかもしれない。
この社会が悪いのだと。

では、子育てとはなんだろうか????

心から笑いあえる時間を大切にすること、といってもいいかもしれない。

ーーーーーーーー

過保護とか、虐待とか、小さな暴力が当たり前の世の中になっている。
大人の世界がそうだから、子供の世界もそうなる。

大きくなってからの「治療法」をみると、、、やっぱり、鏡になって、向かい合ってくれるもう一人の自分との出会いなのだとおもう。(その関係が、医者とかカウンセラーでなかったのなら、一方的な関係は、続かないだろうが。。。)

アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ

この本には「生まれる前から」「生まれた後も」妊娠・出産・子育ての段階でそれぞれ親の宿題に親が取り組む実践(ということは、親以外の人も取り組むということ)を書いている。
基本、話す、心から話すような状況をつくる、、ということなのだが(だいたいオトノネも同じことをしている)、話すだけに限らない。行動しながら、変わっていく。

この本は過保護だめよーというやつ。治療法とかは抽象的すぎてわかりにくい。

「怪獣」は、悪か。善か。子どもの「問題行動」とは?
富山のメンタルヘルスと怪獣。
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
本当に不思議な【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。
高岡高校の自殺は、政治が根本的な原因?

オトノネひろげるシェアぼたん

批判とは何か。その3(日本の遺伝子・伝統との闘い)

パーソナリティ特性の科学、とか、スイッチ!とかを読みながら、人間の生物くさい側面を大切にしたほうがいいなとおもった。
限りなく動物になったら、もっと楽になるような気がする。
人間らしく、動物らしく。

命。

SNSでいろんな「悪口」が飛び交っていることに疲れてしまってとりあえず考えたことをまとめました。

ーーーーーー

日本には日本の遺伝子がある。伝統がある。この伝統を変えるには、いろいろな実験をしたらいいとおもう。山本太郎を総理大臣にするのが一番手っ取り早い。そこまでたどり着くために、現政権の悪口をいうのではなく、大人同士がコミュニケーションをし、教養を高め、「明確な目標」をもって子どもを育てることが大切だとおもう。それは、利己的な、自分の能力を高めることに必死にさせるのではなく、共感能力をもった子どもを育てることになる。それはつまり、競争から子どもを外すことにつながる。多くの親がここで、古い時代に、日本の伝統に、科挙制度の歴史に、足を引っ張られているのだろう。

子どもは伝統と、日本の遺伝子と戦っている。歴史と戦っている。
大人がどうして、子どもの先頭に立って戦わないのか。戦場に送り出す司令官になっていないか。

国民の安全を守れない現政権を批判するのと同時に、子どもの育ちの環境を守れていないかどうか、自分自身を批判していかなくては、ただの悪口になってしまう。それをみた子どもは、悪口ばかりを言って、何も行動しない大人になるだろう。それが日本の伝統であり、精神文化であり、遺伝子のように、僕はおもう。どうしたらいいか?とりあえず、僕はオトノネをつくりました。これも実験。誰もやったことないんだから。

伝統と言うなの、遺伝子プールと言う名のアウシュビッツから、僕らはまだまだ自由になれそうにない?

オトノネひろげるシェアぼたん

子供の自立とお母さんのライフサイクル

子どもとともに、お母さんも変わっていく。
子どもが自立すると、お母さんの暮らしが変わっていく。

というような話を聞いたことがある。
実際、そうらしい。
「あの幼稚園にいくために」野を超え山を越え、引っ越しをするお父さんお母さんもいる。

子どもが生まれて、保育所入って、習い事初めて、帰ってくる時間が変わっていって、云々。
だから適した仕事も変わる。
仕事を変えないために誰かに預ける。
(5歳くらいになったら「おりん」みたいに丁稚奉公に出されることもあったくらいだから、いいのだけれど。。僕は僕なりに思うところがあって、母乳で育てて、3歳くらいまでは一緒にいてほしいとおもう)

子どもとお母さんの結びつきは大きい。

だからこそ自立の時にしっかり自立を見守ってほしい。
でないとお母さんと子供で心中することになりかねない。
で、離乳のときから、もう自立が始まっていると考えていい。
最終的な自立は15歳でいいとおもう。
それ以降、何歳までも、引き伸ばせる。

お子さんは自立します。
お母さんは、その後の人生、どう生きますか?
その後の人生に希望を持てないお父さんお母さんが、躍起になって子どものお世話をしていると、誰も幸せにはなりません。

ーーーーーーーーー

インドネシアの児童養護施設の視察に行った時、唖然としたのが。
所狭しと寝ている状況で、みんな笑顔だということ。
先生も笑顔だ。

日本では個別化、個室化、家庭に近づけようとしているけど、予算が回らず結局、路線変更をしている。
日本は何を守っているのだろう?誰を守っているのだろう?誰から、何から守っているのだろう?

オトノネひろげるシェアぼたん

殴る蹴るの身体的なメッセージ

僕が遊んでいる最中に蹴りを入れる子がいる。
他の子には蹴りを入れないのはオトナだから大丈夫だと判断している子。
今思えば、遊んで欲しくて、蹴りを入れていたと僕はおもう。
僕は痛い、痛いからやめてよねというばかりだった。
だから何度も蹴り続けた!「なにいってんだよ!遊びたいっていってるのに!」と叫び続けていたんだろう。

情動を、エネルギーを、情を収束させて、利用できるカタチにする知恵が、まだその子にはないのだ。
愛とは?
誰かに解釈してもらう、情動を調整してもらう必要がある。
一緒に、調節の仕方を、学ぶのだ。

「一緒にあそぼう」なんて言葉にしたことがなかったんだろう。
言葉にならないで、どうしていいかわからなくて出てくる振る舞いもある。
一つ一つの振る舞いに隠されている心を感じるようにしていきたい。

今度、同じことがあったら、短い言葉で伝えよう。
けど、ヒットアンドアウェイを続けるその子にどうやって言葉をかけられるだろうか?

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉の心ーオトノネー

生徒がやってきた。
(生徒っていうのもなんだな・・・人がやってきた)

先週出していた「やってくること」の話はさておき、いろんな話をしてくれる。
喋りたい様子。

聞く。

適性診断をやってみた!「占いを研究し尽くした人がいるらしいんですけど、当たる確率は1%くらいらしいですね!」と。
よく情報を集めているではないか。

「この間、おとのねさんが言っていた女の人の記事みたんですけど、私は・・・・」
なるほど、調べてくれたのね。

「冷房の設定温度、環境省のオフィスが20度だってどういうことですか!しろくまが困っているから節電節電っていうのに!」
しばらく、動物の話題になった。

で、んー、どうしようかな、と考えながら・・・

「君は、言っていることとやっていることが違うのが、気になるの?それとも、動物が苦しんでいるのが嫌なの?」

こういう問答をしているうちに、ああ、この子が今もっているのは、怒りなんだなっと感じた。
聞いてみた。

「今喋っているとき、感じている感情って、何?」

怒り、だという。
うん、伝わっているよ。

そうか、怒りの感情はそれ自体、悪くない。
何かの理由があって、怒りも怒りの事情があって出てきているのだから。

「その怒りって、いつ頃から感じてるの?」
20年前だという。

生まれる前からかー

けど、それが、怒りが外に、言葉になって出てきたのは、1ヶ月前、その子が不登校になってかららしい。
お母さんの証言でも、そうだという。
「こんなに喋る子じゃなかった」と。

ーーーーー

不登校を認めてくれたお母さんは賢明だ。
そうしてオトノネを訪ねてきたのも、何か、お母さんの素敵な直感だろう。

その子は、ヒトカゲからリザードに進化したのだ。

一人でカラオケに行ったり、料理をしたり、今までやっていなかったことも急に、やりはじめた。
そう、今は、今まで溜めてきた怒りと向き合う時期なんだろう。
宿題どころではない。

といいながら、そのエネルギーを、いずれ、掌握することになるだろう。
怒りのエネルギーを、どう使ったらいいか。怒りとお付き合いを上手にして、怒りに助けてもらうことができるようになるだろう。

そのためには、、、、いろんな人との出会いが、経験が、場所が、大切になるのだろう。
今は、宿題どころではないのだ。

が、現在、発散しているエネルギーを、収束させることで、その子が次のステップに行く力を得ることにもなる。
その子は今、生まれたばかり。リザードになってから、まだ1ヶ月。
新しい自分と付き合う時間が、必要だとおもった。

ーーーーーー

けどお母さんは不安。
将来のことを考えると、計画的に勉強をしてほしい、、、

お母さんは、不安と付き合っている。

リザードに進化して、思春期を華々しく迎えた子と、どう付き合って行くか。
不安なのは、お母さん。
子どもは、進化して、今、ドキドキ中。

目には見えないけど、その子は、土の中で芽を出そうとしているタネのごとく、エネルギーに渦巻いている。
大丈夫。
自分で職業適性診断を探してやるくらい、将来のことを考えているから。
その子に、その子の時間をください。
と、僕は、伝えた。

といっても、お母さんは、不安!

だから、お母さんも、いろんな人に出会うといいかもしれない。
新しいことを始めるといいかもしれない。
新しい場所、新しい人、新しい気持ちで、不安と付き合うバランスを取れるように。
一人で心をなんとかするのは、とても大変だ。(無理無理!)
大丈夫ですよ。

人は、自立するチカラをもって、生まれてきます。

ーーーーーー

大人も子どもも、それぞれの段階で、別々の課題をもっている。
おとのねさんも、思春期真っ只中です。

帰り際に、お母さんの一言。
「オトノネは、はっきりものを言うから、ふつうのお母さんたちは、怖くてこれないですよー」

生徒が増えないわけだ!

ーーーーーーー

音が聞こえていても、その根、音色が聞こえていないことがある。
言葉には心がある。
オトノネに、耳を傾けて、みませんか?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

———–

思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

ーーーーーー

世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

ーーーーーーー

意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

ーーーーー


子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
ーーーーーーー

例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

ーーーーーー

学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

ーーーーーー

こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の放課後児童クラブ・学童保育

ーーーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

オトノネひろげるシェアぼたん

そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

——-

日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

ーーーーーーー

PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

人を笑顔にする人のチカラ

生徒が帰って、別の生徒がやってくる時、生徒同士が鉢合わせる。

小学生の子が終わって、お母さんと話をしていた。
次にきた高校生が、小学生と鉢合わせた。

小学生は、ホワイトボードに絵を描いていた。

あとで、高校生の話を聞くと。

「子どもが嫌いだったけど、かわいいなっておもえた」という。
変わったというか、改めて、子どもに出会った。

感じ方が変わっていたことに驚いたという。

ーーーーーーー

人が人と出会って変わることは大切だとおもう。
人が新しい人と出会うことで、成長した自分を感じることもある。

他者は大切だ。

僕自身、音楽家としての才能を韓国でたまたま「見つけてもらった」。
自分一人で自分の意味を見つけることは難しい。

「自分はこれだ!」とかおもっていても、誰かが「それでいいよ」と言ってくれたり、一緒にやってくれる人がいないと、自分に「なれない」ことがある。
そういう仲間探しをしていくのが、人生の意味のように感じることもある。

人と人が出会って生まれるもの。
富山県でも、石川県でも、居場所になる場所、人が出会える場所がたくさんできてきた。
ひとそれぞれが、「自然」になって、多くの人と出会えることが自然になったらいいなぁ。

小さな小さな小学生が、高校生をはっとさせるチカラをもっている。

ーーーーーーーーー

ただそこに「自然」にいるだけで、誰かをしあわせにするチカラを、だれもが持っている。
あれもしないと、これもしないと、不安になる世の中で、大切な「自然」を忘れていないだろうか。

ひとりひとりが「自然さ」を大切にすることで、世界はもっとおもしろくなるし、笑顔がもっとふえるとおもうんだけど。
高校生である、中学生である、小学生である、お父さんである、お母さんである、先生である、生徒であることを超えて、「私」として自立できる心を(病理的なナルシシズムに陥らず)大切にしたい。

歩きながら、人と出会いながら、しあわせを育てていこう。

ーーーーーーーーー

ゲームにはまっている高校生。
ゲームの世界で、2000人のファンが彼と対戦するために待っている状況もあるという。
そういう「自然」だって、ありうる笑
(彼はニートで一生を過ごすようだが、それはそれで、「自然」なのだろう)

お父さん、お母さんに一生、守られなくてはならない「自然」すら、大切にすれば、誰かを幸せにできるだろうか?
(ピアニストのグールドは、完全に、守られて「自然」を育てた。そして、世界中の人の心を動かした)

自分の中にある豊かさ、リッチネスを大切にしていけばいいだけかもしれない。
忘れてしまったものを、思い出すだけでいいのかもしれない。
大事にしていた自分が袖を引っ張るのを無視して「こっちにいかなくちゃいけないんだから!」といって、その子を置き去りにした瞬間があるかもしれない。

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

うーん、たまたま拾ったこの英文、好きになりました。

ーーーー

こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

ーーーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん