子供の自立とお母さんのライフサイクル

子どもとともに、お母さんも変わっていく。
子どもが自立すると、お母さんの暮らしが変わっていく。

というような話を聞いたことがある。
実際、そうらしい。
「あの幼稚園にいくために」野を超え山を越え、引っ越しをするお父さんお母さんもいる。

子どもが生まれて、保育所入って、習い事初めて、帰ってくる時間が変わっていって、云々。
だから適した仕事も変わる。
仕事を変えないために誰かに預ける。
(5歳くらいになったら「おりん」みたいに丁稚奉公に出されることもあったくらいだから、いいのだけれど。。僕は僕なりに思うところがあって、母乳で育てて、3歳くらいまでは一緒にいてほしいとおもう)

子どもとお母さんの結びつきは大きい。

だからこそ自立の時にしっかり自立を見守ってほしい。
でないとお母さんと子供で心中することになりかねない。
で、離乳のときから、もう自立が始まっていると考えていい。
最終的な自立は15歳でいいとおもう。
それ以降、何歳までも、引き伸ばせる。

お子さんは自立します。
お母さんは、その後の人生、どう生きますか?
その後の人生に希望を持てないお父さんお母さんが、躍起になって子どものお世話をしていると、誰も幸せにはなりません。

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インドネシアの児童養護施設の視察に行った時、唖然としたのが。
所狭しと寝ている状況で、みんな笑顔だということ。
先生も笑顔だ。

日本では個別化、個室化、家庭に近づけようとしているけど、予算が回らず結局、路線変更をしている。
日本は何を守っているのだろう?誰を守っているのだろう?誰から、何から守っているのだろう?

オトノネひろげるシェアぼたん

殴る蹴るの身体的なメッセージ

僕が遊んでいる最中に蹴りを入れる子がいる。
他の子には蹴りを入れないのはオトナだから大丈夫だと判断している子。
今思えば、遊んで欲しくて、蹴りを入れていたと僕はおもう。
僕は痛い、痛いからやめてよねというばかりだった。
だから何度も蹴り続けた!「なにいってんだよ!遊びたいっていってるのに!」と叫び続けていたんだろう。

情動を、エネルギーを、情を収束させて、利用できるカタチにする知恵が、まだその子にはないのだ。
愛とは?
誰かに解釈してもらう、情動を調整してもらう必要がある。
一緒に、調節の仕方を、学ぶのだ。

「一緒にあそぼう」なんて言葉にしたことがなかったんだろう。
言葉にならないで、どうしていいかわからなくて出てくる振る舞いもある。
一つ一つの振る舞いに隠されている心を感じるようにしていきたい。

今度、同じことがあったら、短い言葉で伝えよう。
けど、ヒットアンドアウェイを続けるその子にどうやって言葉をかけられるだろうか?

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉の心ーオトノネー

生徒がやってきた。
(生徒っていうのもなんだな・・・人がやってきた)

先週出していた「やってくること」の話はさておき、いろんな話をしてくれる。
喋りたい様子。

聞く。

適性診断をやってみた!「占いを研究し尽くした人がいるらしいんですけど、当たる確率は1%くらいらしいですね!」と。
よく情報を集めているではないか。

「この間、おとのねさんが言っていた女の人の記事みたんですけど、私は・・・・」
なるほど、調べてくれたのね。

「冷房の設定温度、環境省のオフィスが20度だってどういうことですか!しろくまが困っているから節電節電っていうのに!」
しばらく、動物の話題になった。

で、んー、どうしようかな、と考えながら・・・

「君は、言っていることとやっていることが違うのが、気になるの?それとも、動物が苦しんでいるのが嫌なの?」

こういう問答をしているうちに、ああ、この子が今もっているのは、怒りなんだなっと感じた。
聞いてみた。

「今喋っているとき、感じている感情って、何?」

怒り、だという。
うん、伝わっているよ。

そうか、怒りの感情はそれ自体、悪くない。
何かの理由があって、怒りも怒りの事情があって出てきているのだから。

「その怒りって、いつ頃から感じてるの?」
20年前だという。

生まれる前からかー

けど、それが、怒りが外に、言葉になって出てきたのは、1ヶ月前、その子が不登校になってかららしい。
お母さんの証言でも、そうだという。
「こんなに喋る子じゃなかった」と。

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不登校を認めてくれたお母さんは賢明だ。
そうしてオトノネを訪ねてきたのも、何か、お母さんの素敵な直感だろう。

その子は、ヒトカゲからリザードに進化したのだ。

一人でカラオケに行ったり、料理をしたり、今までやっていなかったことも急に、やりはじめた。
そう、今は、今まで溜めてきた怒りと向き合う時期なんだろう。
宿題どころではない。

といいながら、そのエネルギーを、いずれ、掌握することになるだろう。
怒りのエネルギーを、どう使ったらいいか。怒りとお付き合いを上手にして、怒りに助けてもらうことができるようになるだろう。

そのためには、、、、いろんな人との出会いが、経験が、場所が、大切になるのだろう。
今は、宿題どころではないのだ。

が、現在、発散しているエネルギーを、収束させることで、その子が次のステップに行く力を得ることにもなる。
その子は今、生まれたばかり。リザードになってから、まだ1ヶ月。
新しい自分と付き合う時間が、必要だとおもった。

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けどお母さんは不安。
将来のことを考えると、計画的に勉強をしてほしい、、、

お母さんは、不安と付き合っている。

リザードに進化して、思春期を華々しく迎えた子と、どう付き合って行くか。
不安なのは、お母さん。
子どもは、進化して、今、ドキドキ中。

目には見えないけど、その子は、土の中で芽を出そうとしているタネのごとく、エネルギーに渦巻いている。
大丈夫。
自分で職業適性診断を探してやるくらい、将来のことを考えているから。
その子に、その子の時間をください。
と、僕は、伝えた。

といっても、お母さんは、不安!

だから、お母さんも、いろんな人に出会うといいかもしれない。
新しいことを始めるといいかもしれない。
新しい場所、新しい人、新しい気持ちで、不安と付き合うバランスを取れるように。
一人で心をなんとかするのは、とても大変だ。(無理無理!)
大丈夫ですよ。

人は、自立するチカラをもって、生まれてきます。

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大人も子どもも、それぞれの段階で、別々の課題をもっている。
おとのねさんも、思春期真っ只中です。

帰り際に、お母さんの一言。
「オトノネは、はっきりものを言うから、ふつうのお母さんたちは、怖くてこれないですよー」

生徒が増えないわけだ!

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音が聞こえていても、その根、音色が聞こえていないことがある。
言葉には心がある。
オトノネに、耳を傾けて、みませんか?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

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思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

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世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

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意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

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子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
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例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

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定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

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学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

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富山市の放課後児童クラブ・学童保育

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オトノネひろげるシェアぼたん

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

オトノネひろげるシェアぼたん

そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

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日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

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PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

人を笑顔にする人のチカラ

生徒が帰って、別の生徒がやってくる時、生徒同士が鉢合わせる。

小学生の子が終わって、お母さんと話をしていた。
次にきた高校生が、小学生と鉢合わせた。

小学生は、ホワイトボードに絵を描いていた。

あとで、高校生の話を聞くと。

「子どもが嫌いだったけど、かわいいなっておもえた」という。
変わったというか、改めて、子どもに出会った。

感じ方が変わっていたことに驚いたという。

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人が人と出会って変わることは大切だとおもう。
人が新しい人と出会うことで、成長した自分を感じることもある。

他者は大切だ。

僕自身、音楽家としての才能を韓国でたまたま「見つけてもらった」。
自分一人で自分の意味を見つけることは難しい。

「自分はこれだ!」とかおもっていても、誰かが「それでいいよ」と言ってくれたり、一緒にやってくれる人がいないと、自分に「なれない」ことがある。
そういう仲間探しをしていくのが、人生の意味のように感じることもある。

人と人が出会って生まれるもの。
富山県でも、石川県でも、居場所になる場所、人が出会える場所がたくさんできてきた。
ひとそれぞれが、「自然」になって、多くの人と出会えることが自然になったらいいなぁ。

小さな小さな小学生が、高校生をはっとさせるチカラをもっている。

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ただそこに「自然」にいるだけで、誰かをしあわせにするチカラを、だれもが持っている。
あれもしないと、これもしないと、不安になる世の中で、大切な「自然」を忘れていないだろうか。

ひとりひとりが「自然さ」を大切にすることで、世界はもっとおもしろくなるし、笑顔がもっとふえるとおもうんだけど。
高校生である、中学生である、小学生である、お父さんである、お母さんである、先生である、生徒であることを超えて、「私」として自立できる心を(病理的なナルシシズムに陥らず)大切にしたい。

歩きながら、人と出会いながら、しあわせを育てていこう。

ーーーーーーーーー

ゲームにはまっている高校生。
ゲームの世界で、2000人のファンが彼と対戦するために待っている状況もあるという。
そういう「自然」だって、ありうる笑
(彼はニートで一生を過ごすようだが、それはそれで、「自然」なのだろう)

お父さん、お母さんに一生、守られなくてはならない「自然」すら、大切にすれば、誰かを幸せにできるだろうか?
(ピアニストのグールドは、完全に、守られて「自然」を育てた。そして、世界中の人の心を動かした)

自分の中にある豊かさ、リッチネスを大切にしていけばいいだけかもしれない。
忘れてしまったものを、思い出すだけでいいのかもしれない。
大事にしていた自分が袖を引っ張るのを無視して「こっちにいかなくちゃいけないんだから!」といって、その子を置き去りにした瞬間があるかもしれない。

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

うーん、たまたま拾ったこの英文、好きになりました。

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オトノネひろげるシェアぼたん

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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富山市の民間学童保育

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

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本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

ーーーーーーー

小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

ーーーーーーー

正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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大学に行く意味。大学受験の意味とスーパーサラリーマン山田さん

「なんで大学に行くんだろう?」

はて。

なぜでしょう。

「なんで高校に行くんだろう?」

ては。

なぜでそう。

「なんで会社で働くんだろう」

どうしてでしょうね。

などなど。

どれも同じ問いのように、僕には聞こえる。

思春期が来る前は、特に何も感じず当たり前に言っていた学校だが、思春期をすぎると「選択肢」としてでてくる様々なライフイベント。

「なぜ◯◯するのか」

その答え方、その問いへの、振る舞いによる返答が、その人自身を表している。

こうした問いを頭の中に思い描いてしまうのは、それがまだ価値観として、意味として、心でつかめていないからだと僕は思う。

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「なんで大学に行くの?」
という問いは、「どうして大学生になるの?」という言葉に言い換えられるだろう。

で?

おとのねさんのブログのタイトルは
富山・高岡・金沢で暮らしている保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー/芸術家のブログ。

だ。
(この記事を書くにあたり、書き換えました)

保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー

芸術家

である。

/より上は職業名、と言っていいかもしれない。
/より下は?

これは僕自身。

自分は何者か?に対する今の所のぼくの答え。

芸術家、という分母(おかあさん)から生まれた子ども(分子)が、保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラーだと表現してもいい。

ある人にとっては、分子が「女性」であったり、「お母さん」であったり。
ある人にとっては、分子が「男性」であったり、「お父さん」であったり。

つまるところ社会的に便利な「名前」だ。
「名詞」の抽象性

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大学に行こうとする人にとっては、こういう問いになる。

「大学生」である私の意味はなんだろう?
「大学生」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるだろう?

大学に行かずに働こうとする人にとっては、

「会社員」である私の意味はなんだろう?
「会社員」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるのだろう?

「生きる意味」はなんなんだろう?
という問いと同じくらい、曖昧で、漠然としていて、わからないときは、わからない問いのように、僕には聞こえる。

実際に、「大学生」「会社員」になってから、後から意味付けされる場合がほとんどだ。

人間にとっての意味とは、そんな不思議なものだ。

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「お母さん」である以前に、あなた。
「お父さん」である以前に、あなた。
「高校生」である以前に、あなた。

もしそんな「あなた」が自分の生き方を名詞で表せるようになったら、それほど、心強いことはないかもしれない。
誰かから与えられた意味ではなく、自分でつくりだした意味を、心の頼りにすることができるのだから。

そんな「あなた」もどんどん変わって行く。
サルトルの実存主義はまさに「未来に向かって、自分を投げ続けることでしか、人間は実存できない(意味を見出せない)」というような言葉で、それを表した。

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こうした問いを立てるというとてつもない「課題」に立たされるのが、思春期かもしれない。
とっても、とっても、大切な時期だし、一人で乗り越えるには、大変なことだとおもう。

お父さん、お母さん自身が「どうして子どもを大学に行かせたいんだろう?」と悩んでいるかもしれない。
なぜか、心は自然と「大学に行く子ども」を想像してしまうかもしれない。。。

それは、社会的な圧力であって、共同幻想というやつで、社会現象であって、「ああ、世の中では、大学に行くのが、ブームなのね」と思うだけで、少しは心が軽くならないだろうか。

お父さん、お母さんが、子どもが大学に行く意味を見つけようとして、目の前の子どもの心を見失っては、元も子もない!笑

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山田さんの分母は、「スーパーサラリーマン」だそうだ。
昔なら企業戦士、働き続ける会社員を「スーパーサラリーマン」と呼んでいたようだが、山田さんはこういう。

「会社だけで役割を果たしているだけでは、”会社人”であって、”社会人”とはいえない。会社が終わった後で、社会の中で活動する会社員が増えたら、社会はもっとおもしろくなる。そういう人を、スーパーサラリーマン(サラリーマンを超えているサラリーマン)と僕は言っているんです」みたいな。

そうして、山田さんはあるときには「保育園のお手伝いさん」あるときは「お父さん」あるときは「遊び道具製作家」あるときは「おとのねさんとおもしろおかしくやってくれる人」だったりする。

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ちなみに、芸術家という言葉は、インドネシア語でsenimanスニマンという。
インドネシアでは、いろんな人が、芸術家だ。学校の先生も芸術をするし、創造的な仕事をしている全ての人をsenimanと呼ぶ。もちろん、音楽家や絵描き、物書きも。アーティストという日本の言葉は、どこか「キザ」な響きがする。高級感がでている気がする。僕はそうではない。

僕はsenimanとしての意味を、作り続けている。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

あ、ちなみに僕は「空が青かったっから」大学に行きました。

それは僕にとって、とても大きな意味が、そのとき、あったのです。

大学に向かう情動・感情もいろいろ。
その情動・感情が、その人自身を表している。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

行っても行かなくてもいいから、大学受験勉強するなら、ぜひ、楽しんでみてください。
数学であそぶ

僕は、「大学受験」は、日本の高校生にとっては、儀式だとおもっています。
受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。
その儀式を形式的に終わらせるか、実質をもって実らせるか(成長するか)。

ただ、それだけかもしれません。
別に、どっちもでいいけど笑

あなたが大学に行く意味はなんですか?

大学に行くか行かないか、どこに行くかよりも、今、感じている、あなたのもどかしさ、心の「もやもや」があるなら、それに向き合う大切な時間にしてみても、いいんじゃないかな。

その向き合い方が、「今の」あなた自身を表しています。

答えなんてありません。
答えを教えてもらって安心しようとしてもダメです笑
それは宗教です笑

答えに頼らず、あなたの心のまにまに、進んで行ってほしいとおもいます。
答えられなくてもどかしくても、うまくいかなくても、はっきりしなくても、そのままの自分を抱きかかえて、先に、先に、一歩だけでも、先に進んで行く経験は、きっと君のチカラになる。

もちろん、休んでもいい。
休むことも、ひきこもることも、うずくまる時間も、大切にしてほしい。

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この時代に、子どもが大学に行く意味が何か、悩んでいるお父さん、お母さんへ

他人にとっての「価値」を別の人が考えたり、作ろうとすると、徒労に終わらないだろうか。
だって、「価値」はその人、当の本人にとってしか、意味がないように、僕にはおもえるから。

この時代、この場所で生きている子どもたちに伝えられることはなんだろう。

「伝えるべきこと」と「伝えてはいけないこと」の区別を、僕は、よくよく注意しなくちゃなぁと、感じている。

そもそも、大学は歴史的に・・・・とウンチクを並べることも、もちろん、できますが笑
伝えるべきこと「ではない」と僕はおもっています。

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