難しいを簡単にするチカラ

複雑を単純にするチカラ。
ほとんどの教科で必須スキル。

世界史の教科書に難しい言葉が書いていた。
三国同盟って何?と聞く。
わからないという。
教科書に書いてあるよという、
それが、意味不明だという。

で、僕は翻訳した。
「ドイツがロシアにビビってイタリアとオーストリアと仲良くした」

三国協商を翻訳するとこうなる。
「イギリスはドイツといつも喧嘩していて、これを機にロシアとフランスを仲間にした」

世界史で、人間関係を学べる。

言葉を変えるだけで、理解ができる。
頭に残る。

だったら、その翻訳機をつくろうぜ!

ーーーー

日常生活にあるいろんな複雑そうにみえる問題も、こうして「大人が翻訳」していくことで、どう対処していいか、どう理解していいかを子供は学んでいく。

情動知性、感情知性、社会的非認知スキルというものも、こうした大人の世界観、大人の暮らしから、子供は学んでいくものだとおもう。

「今日学校でこういうことがあってへこんでるんです。お母さんならどうしますか」とおとのねさんはあるお母さんに聞いた。
「忙しすぎて、凹んでられないですね。次の仕事します笑」と、“笑って”答えてくれた。

言葉よりも、この笑いとその響きから、多くを学んだ。

しっかりして!おとのねさん!

オトノネひろげるシェアぼたん

学校でズルすることを学んでもいい。中退してもいい。それでも学び続けよう。

子どもは学校でたくさんのことを学べる。

学ぶスキルさえあれば。

めいいっぱい、学ぶことができる。
与えられた宿題をズルすること。

アウシュビッツでも、学ぶことができる。
与えられた労働をズルすること。

学ぶスキルさえあれば。

ズルも、美徳だ笑

大人もたくさんズルをしている。
社長だけお金を稼いで、雇用者は生活保護レベルの福祉業界。
これは、ズルじゃないのか?

ズルは、戦略だ。

オトノネは、学びのスキルを重視しています。

学びのスキルを使って、学校をやめることもできる。
学ぶことは、生きることだから。
学びを実践するために、学校をやめてもいい。
生きるために、学校に行かなくてもいい。

その積極的自己責任を負えるならば。

大丈夫、実験し、失敗や間違いだったとしても、本気でやることのすべては、君のチカラになる。

ーーーー

『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』の著者は、大学を中退した。
著書を書きながら、ふと振り返って、当時大学を辞めることを決意しながら書いた手紙を見つけ出したという。

人生を変える決意をしている18歳の人間はこの世で最も昂ぶった生き物だ。しかし手紙が見つかってよかったことは嬉しかった。一瞬、この青春真っ只中の書き振りには耐えられないとおもったが、葛藤に満ちた若い日の自分におおいに同情を覚えたことも確かだった。(p.263)

そうして、文字通りの、アメリカを半分くらい横断する自転車の旅に出た。

「教育ゲーム」をやめて、最初ー今の自分ーからやり直した。

それから転々とキャリアを変えてゆきながら、「今回わたしがはじめた奇妙な冒険は、国の半分を横断する自転車旅行ではなかった。本を書くことだった。それがこの本だ」と、この本で書いている。

逆境はチカラになる。
転んでも一人で起きられる。
失敗は、なんとかできる。

失敗から学ぶ方法を教える先生が、自分自身のなかにできた子は、一流の学習者だと、僕はおもう。

失敗していい。
じゃぁ次どうするか、オトノネで考えてもいい。

オトノネひろげるシェアぼたん

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

電動工具の修理とメタスキル

この瞬間を生み出す前に、丸ノコが動かずに、どうしようかとおもった。

1。レンタルする。
2。丸ノコを修理する。
3。手ノコで切る。

など、どうしようかと考えた。

結局、まずは、修理してみようと言うことになった。
(山田さんも電動工具を修理しているという話を聞いていたので、僕もできるかなーって感じ)

もちろん、初めてですよ。
電動工具の修理なんてしたことありません笑

ーーーーーー

まず、ネットで検索。

ふむ。。。

スイッチを押しても、回らないと言う状況。
たまに、不安定にぎゃんっ、、、と回ってすぐ止まる。

スイッチの回路は生きているか。確認。

ピンピンしている。

なんちゃらなんちゃらという部品が、摩耗していると動かなくなる、よくここが問題になる、というので、みてみることに。
引っ張って取れるらしいその部品が、とれない・・・

とっていいのか、わからない・・・・

ということで、さらに分解。

結局、長年の使用(不使用?)で、その部品がこびりついて、取れなくなっているだけだと判明。強く押して引っこ抜いて、ヤスリで少し削って動くようにした。で、動きました!丸ノコ!

こうして、アカシアの床は、完成しました。

オトノネひろげるシェアぼたん

勉強する意味・何故勉強する・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?

テキストとは、本来、「問いかけるもの」である。
教科書とは、テキストブックである。

けれども日本は「再現させる内容」を一方的に「喋る」ものだ。

だから、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という問いかけは、「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」という問いだとおもっていい、と僕はおもっている。

ーーーーー

残念ながら、富山県、石川県の高校で「一方的なおしゃべりを聞く」以外の授業は受けられないと、僕はおもっている。

大人のつくった「しくみ」に君たちがどう答えるか、大人はそれにどう答えるか。

ーーーーーーー

学校で学ぶべき(「べき」という言葉を強く使いたい)ことは、メタスキル である。
一人一人の生きている世界が違う、価値観が違う、そんな世界で生きて行くことを学ぶためのスキル。
それがメタスキル だ。
メタスキル は学ぶために必要なスキルだ。

もしくは学んだことを使うスキルだ。

ーーーーーーーーー

学校で学んだメタスキルを使う、自分たちのフィールドが、どこか。
それがわからないまま、なんとなく、大学に流れてただただ、ベルトコンベアの終着地点でまた次の工場に向けて集荷されていく高校生がいる。

学んだメタスキル を生かす場所が、時間が、子どもたちの近くにあるか。
子供達は、定期テスト、外部模試以外で、自分の得たスキル、メタスキル を試す場所があるか。

「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」とう問いが起きる理由であると思う。
高校生たちがストレスを感じている状況を、こう説明したい。

自己と対話するメタスキル
他者と対話するメタスキル
世界と対話するメタスキル

このような対話を、学びのカリキュラムを発動させる学びの場が日本の公教育で(特に高等学校で)デザインされていない。

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簡単に申し上げると。
問い:勉強する意味とは・何故勉強するか・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?
答え:そんな問いがでてくる勉強なら、しなくていい。

これが僕の、答え。

もし、これが君がほしい答えではなかったとしたら、

別の聞き方をしてみてほしい。

オトノネひろげるシェアぼたん

教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

———–

思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

ーーーーーー

世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

ーーーーーーー

意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

ーーーーー


子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

オトノネひろげるシェアぼたん

ドジョウを買うために必要なメタスキル

メタスキル 、それは、学ぶチカラ。
メタスキル 、それは、知識や技能を使うチカラ。
メタスキル 、それは、学校では教わらないチカラ。

昔々、おとのねさんは、スーパーでドジョウ をみつけましたとさ。おいしそうだったので、買って行きましたとさ。「なんて、チカラに溢れているんだ!」とさ。

そうして、飼うことになりました。

実は、この間にいろんなドラマがありました。

まず、大半のドジョウは、オトノネさんのために、命を燃やされてしまいました。

たまたま別の使命をもったドジョウが、別の容器に「避難」していたのです。
水槽を買うまで、そこで頑張ってね・・・

で、まさか、、、、と思ったことが。

ドジョウが、飛び出して、二匹、呼吸困難に陥っていたのです。
埃まみれになって。
救いはしたものの、一匹はその後、息を引き取りました。

残りの一匹は体が曲がってしまいながらも生き延びましたが、後で、死んでしまいました。

ーーー

大切にしようとおもっていたのに、大切にする方法がわからなくて、殺してしまうこと、傷つけてしまうことがある。
これは経験するしかない。

経験をしないで「あらかじめ与えられた手順を踏む」ことでこれは回避できる。
だが。

ーーーーーー

さて、その後、水槽がやって来た!

無事に五匹は水槽で泳ぐことができました。

だが。ドジョウなのに、土が入っていないその水槽。
ドジョウが安心して暮らせるようにと、土を探しに。。。田んぼへ。

そして、持って来た土を入れたら。。。。。
もちろんもくもくーと土埃が立って、水槽が汚れました。

ん???

ドジョウ君たちが、しきりに上に上がって来ます。

ん???

表情はないけど、苦しそう、何か、メッセージがありそう、。、

あ、コロイドだ。
田んぼの土の粘土質の細かいやつらが、ドジョウたちの呼吸を困難にしているようだった。
(墨汁に入れられている状態と、予想されます)

えー!!!!!!!!!

というわけで、また「避難」するドジョウたち。

水槽の水をかき混ぜて、上澄みを捨て、重たい粒子だけ残るように。。。
軽い粒子を流す。

ーーーーーーー

無事になんとか呼吸ができるようになった水槽。
息がしやすいようにと、なんとエアポンプを購入。
これでもう、大丈夫だべ!

水草でもいれるかー!

と思って浮き草も買った。

うんうん、ドジョウたちも浮き草の根っこで遊んだりしているし。。
いいのかな?

と思っていたら、浮き草が日に日に元気が無くなって行く。
また粒子のせいか?

理由が不明なまま、浮き草を撤去。
何かが、違っていたのか。その間、もう一匹が、死んでしまった。

残り、二匹。

ーーーーーーー

生き物を飼いながら、いろんなことを学ぶ。
好きだから、本気だから、一生懸命だから、得られるのが、メタスキル だ。

やらされていたのでは、全く、身につかない。
やらされていて身につくメタスキル は忍耐とか、従順心とか、そういうものだけだと、おもっている。

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもとうまくいかない!とおもったら?

子どもとあそんでみよう。
うまくいかなかった罰として!笑

「イヤ!」といわれたら?
泣いてせがんでみてもいい笑

気持ちがわからない、通じ合わない、感じられないなら、遊びはその壁を簡単に壊してくれる。
「悩んでいる新皮質」ではなく、「ありのままの辺縁系」が、表にてでくるからだ。

怒りを感じたら。
何かを伝えるときに、怒りをベースにしたら、多分うまくいかない。
ほとんどの場合は、真剣さだけで、凛とした言葉の響きで、言葉の強さで、ことたりるとおもう。

強く。強く。
言葉の力を。
それは、心の力なのだけれど。

言葉尻を強くする、ではありませんよ笑

こういう、やさしい人を見つけた。
僕だったら「学校というシステム」の問題にしてしまうのを、個人レベルで対応するように、手を差し伸べる人。やさしいな。

発達段階を理解することで、無用な怒りに触れなくてもすむかもしれない。

ーーーーーーー

ものを落とす1歳児に悪意はあるか。

「なんだこれ」とおもって、ひっぱっただけだ。
それが落ちて、それがどうなるか。
その重さは?落としたら壊れる?そもそも、落とす?
それをみた人が、どうおもうか。

見知らぬ「ものを落とす」ことに対しては、見当がついていなかっただろう。
それくらい、大人が見たら、「いや、それ、落とす?」というものを、落とした。
落としたのではなく、

ひっぱったら、落ちた。
というのが、彼の目線だろう。

子どもに悪意はあるか。
僕には「ない」と思っている。
全部、養育者を真似した結果か、防衛機構の一部として働いているとおもう。
「悪態をついて、欲しいものを得る」心
「悪態をつくことで、コミュニケーションをとる」心。

心で関わろうとするとき、どうか、怒りが、やさしさに包まれますように。

オトノネひろげるシェアぼたん

中村天風の実践哲学における「笑い」で食卓を見直す

今、感情の本をいろいろと読みながら、「しあわせな出来事は、しあわせな気分の時により思い出すことができる」と書いてあった。逆に「悲しい気分の時は、悲しい出来事しか思い出せない」ということになるのだが。。。

かつて、中村天風の本を読んでいた時、「ご飯を食べる前に、思いっきり、笑うこと」が書かれていた。
これは科学的に、すぐれている。

感情があって表情が作られるだけでなく、表情が、感情をつくるという経路は存在する。
笑うことで、いいことを考えて、ポジティブに、しあわせになることを考えるような習慣が身につくという。

実際、僕はアホみたいに「いっただっきまーす!!!」と笑顔をつくって、一声、叫んでから食べるようにしている。
儀式みたいなものだが、まぁそれなりに効果をあげているのではないかとおもってます。

食卓で、テレビをみんなで見て呆然としていませんか。
お母さんがつくった、美味しい料理で幸せな気持ちになっている時に、楽しい話も、一緒にしてみると、「しあわせ」の種が育てられるのかもしれません。

僕が育てられなかったものです苦笑

ーーーーーーーー

ポジティブな人に人は惹かれる。
笑っている人に、人は惹かれる。

ニコニコわらっている人が、どこか仏めいて見えるのも、そのせいだろう。
ニコニコ笑っている人は、ストレスフリーに見える。

笑っている人をみると、こっちも笑いたくなってくる。

子どもは、しあわせの源を知っている。
こっそり、教えてもらおう。

ーーーーーーーーー

学校で先生たちの言葉からストレスを受けながら、友達とのおしゃべりや部活動でしあわせを見つけようとしている子どもたちがいる。それはそれで、すばらしい「しあわせ」をみつけるスキルだとおもう。それはそれで、学びがいがある。

笑っている子どもたちをみていると、本当に、僕は心から尊敬してしまう。

だがしかし、「ストレス耐性」をつけることが学校の本意であっていいのだろうか。
これは「教育とは何か」という哲学の話であって、心の話であって、伝わらない人には、伝わらないのだけれど。。

ーーーーーーー

最近、おとのねさんは疲れてきていて、悪い考えが浮かぶことが多かったり、笑えていない気がしている。
そんな時には、休むのが一番だ。と、おとのねさんはおもっています。

こうした感情・心との付き合い方も、この年齢になって、少しは上手くなってきたきがする。

眠れおとのねさん!

中村天風が気になる方は、スタイルに応じてこの3冊の中から選んでみてはいかがでしょうか。

「まえがき」だけでも、みる価値があります。内容は濃いですが、その分、じっくり読める一冊。
運命を拓く

エッセンスだけ、かいつまんで、読めます。
中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない

「格言」っぽい感じで言葉が選ばれています。
ほんとうの心の力

ーーーーーー

ちなみにですが。

人は、音楽を聞く時も、その時の気分moodで選曲を変えますね。
気分を高めるときの曲があったり、悲しいときに聞く曲があったり。

けどその経験が、誰かと共有されることほど、人間らしいことはないと、僕はおもっています。
それが、ライブコンサート(祭り)だったりするのですが。

ーーーーーーー

蛇足ですが。幸福な気分にさせて(いい話をして)、人を思考停止させる(気分moodで人を動かす)ことは、日常茶飯事に行われています。「うちの学校からは優秀な生徒が」とか「うちの塾からはこんな合格者が」とか。もしくは、TVショッピングでも。イイコトだらけの世の中で、情報リテラシーをメタスキルとして学ぶことは、イコール、心を守ることだと、僕はおもっています。

情動に流されず。
だが、
情動を観察して、情動に委ね、情動に導かれることも大切。
情動・感情のチカラとEQ

うん、人間っぽい!

幸福な気分になって、思考を停止して、自己暗示的に「自信」をもった状態、また、「自己肯定感」というmoodを持った状態を作り出すことで、人はもっている能力を発揮できる、というのも事実だ。この「情動」の操作も、うまく利用すれば、人はしあわせになれるし、悪用されればされたで、騙されてしまう。新興宗教でもよく「奇跡」「自分に秘められたチカラ」を体験させるようなしかけが施されている。進研模試には、要注意である。

オトノネひろげるシェアぼたん

佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

先日、富山大学附属特別支援学校でたまたま佐藤学という有名な先生の話を聞く機会に恵まれた。
いるんだね!こういう人!というか、友達になりたいとおもった。
「学びの共同体」という言葉で、理想の教育の姿を説明してくれた。

むかーしっから、やっているようです。
学びの共同体研究会

石川県金沢市立紫錦台中学校も参加しているらしい。
こちらが金沢市立紫錦台中学校のHPです!
富山県で「学びの共同体」を実施している場所は、みつからなかった…

ーーーーーーーーーーー
メモにとったもの。

学ぶことは、しあわせなことだ。
一人で学ぶことはできない。学びは、社会的なものであって、孤立していたらできない。
人間の大脳新皮質は他者との協同により発達する。

ペア、グループ、コの字型で向かい合うのが基本。

小学3年生にならないと、内言ができない。考えることができない。(経験的な法則)
だから小学1、2年生はペア。それ以降は、3人、4人にする。

学びは既知の世界から未知の世界への旅であり、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
学びは個人的活動ではなく社会的活動であり、自然的過程(能力や技術の形式)ではなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。

人間の学びはコピー(模倣)ではなく、再創造
人間の学びはコミュニケーションによる意味の再構成(社会的文化的実践)

学びを対象世界(テキスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践。
学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。

人間の学びは、ほとんど短期記憶にしかならない。
人間は学び続けないといけない。
動物は生まれてからすぐ、立ち上がる。模倣のプロ。
人間は、模倣する力が動物より弱い。短期記憶にしかならない。

一歳になるまでに、一度シナプスが削ぎ落とされる。軸索を残して、消える。
1歳になったら、シナプスがズバーと出てくる。そうすると、言語が生まれる。

シナプスのつながり、すなわち関係の構築。

1”5”20
意味を、共同で見つける時、それが長期的な記憶、知恵になる。

東京オリンピックのときには、空港が無人化する。
35%が人工知能で賄われるらしいよ。

創造・探究・共同
今のところできないこと。。

もう、今までの教育は役に立たない。
理解中心から探究中心へ

「わからないこと」を恥じるのでなく、「探そうという気がないこと」を恥じ得る時代。

140年前に成立した一斉授業

世界からは30年前に消えている一斉授業
安い単純労働者をつくるシステム。単純労働をする?

エリートはコの字のテーブルで育つ。ハーバード大学の講義室(黒板に全ての机が向かっている教室)は一つだけ。

コピーで済むような授業はいらない。

経済が発達している国はアクティブラーニングをやっている。30年前に

30年前、TOP30のうち21社が日本
今、TOP30のうちで、ゼロ。

この30年間で変わった。

学ぶということが、即幸福である。

人間は7つの領域に分かれている。
Howard Gardner
あらゆる能力を持った人はいない。
なんの能力ももたない人もいない。
孤立して生きてはいけない。
一人で生きようとしてはいけない。

人との関係の中で、多元的に見なくてはいけない。
抜群の能力がある。

デザインはビジョンによって
プランは目標によって生まれるもの。

建築家はビジョンを見る。
デザインは生かそうとする。

目標思考の仕事workと労働labor
創造的な時間。activityはビジョン、デザインの世界。
文化的な意味と、社会的な関係を想像する。

学ぶ権利の実現。

「待つこと」「見守ること」(谷川俊太郎、すきすき、きゅっ、好き好き、ちゅっ)子どもを受け入れられるか。
「させること」ではない。ここもおとのねだ。
おkどもへの信頼、子どもを尊敬する。これもオトノネだ。オトノネはこれを「自立している」と表現している。
学びの共同体は、リスペクトの共同体だ。そして、ケアの共同体

特別支援学校っで主流になっている「行動療法」は研究者が論文を書きやすいから。
「させる」ことで条件付けをする。それは「発達(心)」ではない。
行動レベルの導きだ。

思考、学習、内言。
外言が先。だから内言ができない子がたくさんいる。
対話の相手がいることで、モデルを得ることで、内言できる。
経験的に小学3年生。4人組で(人の話がきける?)
小学1、2年生は「考えることができない」まだ内言が使えない。無理無理!ペア。

「待てない」手を出す口を出す。がダメだ。
教師の仕事〈聴く・(子どもと子どもを)つなぐ・もどす(もう一回)〉
「だれだれくんの言ったこと、どうおもう?」

子どもが、学びの主人公だというのが基本。
いい教師は〈目と耳〉で仕事をする。
子どものテンポはゆっくり。教師が先に行かないで、待つこと。

ある意味で、戦国時代、三国志時代の武将のようである。

共有の学び:ほぼ全ての子どもたちが達成できるレベル
挑戦的な学び:三分の一の子どもたちの達成を期待する、つまり三分の2の生徒が「できない」課題を与える。
難しい問題だからこそ、子どもたちは大好き。飛びついてくる。
基礎を丁寧、丁寧に、積み上げるというやり方ではない。積み上げずに、引き上げる。
(そんなん無理無理!というものを出してみると、一生懸命に挑戦する子がいる)

——-

オトノネではメタスキルと呼ぶ「コミュニケーション能力」
創造的な仕事。
多様な人間が、それぞれの持分を出すことでしあわせがうまれる。
オトノネが求めている「先生像」

まことに同感できる、こういうことをきちんと言ってくれる人がいる。

昔の昔から、活動していて、少しずつ、広がっている。
こうした時代の流れの中に、オトノネはいる。
富山県に、オトノネは、いる笑

オトノネは「学校」をつくるにしたら、どうしたらいいかなと思っていたところで、いいモデルを見つけられた。
少しずつ。少しずつ。時に、大胆に。

オトノネひろげるシェアぼたん