電動工具の修理とメタスキル

この瞬間を生み出す前に、丸ノコが動かずに、どうしようかとおもった。

1。レンタルする。
2。丸ノコを修理する。
3。手ノコで切る。

など、どうしようかと考えた。

結局、まずは、修理してみようと言うことになった。
(山田さんも電動工具を修理しているという話を聞いていたので、僕もできるかなーって感じ)

もちろん、初めてですよ。
電動工具の修理なんてしたことありません笑

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まず、ネットで検索。

ふむ。。。

スイッチを押しても、回らないと言う状況。
たまに、不安定にぎゃんっ、、、と回ってすぐ止まる。

スイッチの回路は生きているか。確認。

ピンピンしている。

なんちゃらなんちゃらという部品が、摩耗していると動かなくなる、よくここが問題になる、というので、みてみることに。
引っ張って取れるらしいその部品が、とれない・・・

とっていいのか、わからない・・・・

ということで、さらに分解。

結局、長年の使用(不使用?)で、その部品がこびりついて、取れなくなっているだけだと判明。強く押して引っこ抜いて、ヤスリで少し削って動くようにした。で、動きました!丸ノコ!

こうして、アカシアの床は、完成しました。

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勉強する意味・何故勉強する・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?

テキストとは、本来、「問いかけるもの」である。
教科書とは、テキストブックである。

けれども日本は「再現させる内容」を一方的に「喋る」ものだ。

だから、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という問いかけは、「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」という問いだとおもっていい、と僕はおもっている。

ーーーーー

残念ながら、富山県、石川県の高校で「一方的なおしゃべりを聞く」以外の授業は受けられないと、僕はおもっている。

大人のつくった「しくみ」に君たちがどう答えるか、大人はそれにどう答えるか。

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学校で学ぶべき(「べき」という言葉を強く使いたい)ことは、メタスキル である。
一人一人の生きている世界が違う、価値観が違う、そんな世界で生きて行くことを学ぶためのスキル。
それがメタスキル だ。
メタスキル は学ぶために必要なスキルだ。

もしくは学んだことを使うスキルだ。

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学校で学んだメタスキルを使う、自分たちのフィールドが、どこか。
それがわからないまま、なんとなく、大学に流れてただただ、ベルトコンベアの終着地点でまた次の工場に向けて集荷されていく高校生がいる。

学んだメタスキル を生かす場所が、時間が、子どもたちの近くにあるか。
子供達は、定期テスト、外部模試以外で、自分の得たスキル、メタスキル を試す場所があるか。

「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」とう問いが起きる理由であると思う。
高校生たちがストレスを感じている状況を、こう説明したい。

自己と対話するメタスキル
他者と対話するメタスキル
世界と対話するメタスキル

このような対話を、学びのカリキュラムを発動させる学びの場が日本の公教育で(特に高等学校で)デザインされていない。

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簡単に申し上げると。
問い:勉強する意味とは・何故勉強するか・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?
答え:そんな問いがでてくる勉強なら、しなくていい。

これが僕の、答え。

もし、これが君がほしい答えではなかったとしたら、

別の聞き方をしてみてほしい。

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教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

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思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

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世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

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意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

ーーーーー


子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

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ドジョウを買うために必要なメタスキル

メタスキル 、それは、学ぶチカラ。
メタスキル 、それは、知識や技能を使うチカラ。
メタスキル 、それは、学校では教わらないチカラ。

昔々、おとのねさんは、スーパーでドジョウ をみつけましたとさ。おいしそうだったので、買って行きましたとさ。「なんて、チカラに溢れているんだ!」とさ。

そうして、飼うことになりました。

実は、この間にいろんなドラマがありました。

まず、大半のドジョウは、オトノネさんのために、命を燃やされてしまいました。

たまたま別の使命をもったドジョウが、別の容器に「避難」していたのです。
水槽を買うまで、そこで頑張ってね・・・

で、まさか、、、、と思ったことが。

ドジョウが、飛び出して、二匹、呼吸困難に陥っていたのです。
埃まみれになって。
救いはしたものの、一匹はその後、息を引き取りました。

残りの一匹は体が曲がってしまいながらも生き延びましたが、後で、死んでしまいました。

ーーー

大切にしようとおもっていたのに、大切にする方法がわからなくて、殺してしまうこと、傷つけてしまうことがある。
これは経験するしかない。

経験をしないで「あらかじめ与えられた手順を踏む」ことでこれは回避できる。
だが。

ーーーーーー

さて、その後、水槽がやって来た!

無事に五匹は水槽で泳ぐことができました。

だが。ドジョウなのに、土が入っていないその水槽。
ドジョウが安心して暮らせるようにと、土を探しに。。。田んぼへ。

そして、持って来た土を入れたら。。。。。
もちろんもくもくーと土埃が立って、水槽が汚れました。

ん???

ドジョウ君たちが、しきりに上に上がって来ます。

ん???

表情はないけど、苦しそう、何か、メッセージがありそう、。、

あ、コロイドだ。
田んぼの土の粘土質の細かいやつらが、ドジョウたちの呼吸を困難にしているようだった。
(墨汁に入れられている状態と、予想されます)

えー!!!!!!!!!

というわけで、また「避難」するドジョウたち。

水槽の水をかき混ぜて、上澄みを捨て、重たい粒子だけ残るように。。。
軽い粒子を流す。

ーーーーーーー

無事になんとか呼吸ができるようになった水槽。
息がしやすいようにと、なんとエアポンプを購入。
これでもう、大丈夫だべ!

水草でもいれるかー!

と思って浮き草も買った。

うんうん、ドジョウたちも浮き草の根っこで遊んだりしているし。。
いいのかな?

と思っていたら、浮き草が日に日に元気が無くなって行く。
また粒子のせいか?

理由が不明なまま、浮き草を撤去。
何かが、違っていたのか。その間、もう一匹が、死んでしまった。

残り、二匹。

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生き物を飼いながら、いろんなことを学ぶ。
好きだから、本気だから、一生懸命だから、得られるのが、メタスキル だ。

やらされていたのでは、全く、身につかない。
やらされていて身につくメタスキル は忍耐とか、従順心とか、そういうものだけだと、おもっている。

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子どもとうまくいかない!とおもったら?

子どもとあそんでみよう。
うまくいかなかった罰として!笑

「イヤ!」といわれたら?
泣いてせがんでみてもいい笑

気持ちがわからない、通じ合わない、感じられないなら、遊びはその壁を簡単に壊してくれる。
「悩んでいる新皮質」ではなく、「ありのままの辺縁系」が、表にてでくるからだ。

怒りを感じたら。
何かを伝えるときに、怒りをベースにしたら、多分うまくいかない。
ほとんどの場合は、真剣さだけで、凛とした言葉の響きで、言葉の強さで、ことたりるとおもう。

強く。強く。
言葉の力を。
それは、心の力なのだけれど。

言葉尻を強くする、ではありませんよ笑

こういう、やさしい人を見つけた。
僕だったら「学校というシステム」の問題にしてしまうのを、個人レベルで対応するように、手を差し伸べる人。やさしいな。

発達段階を理解することで、無用な怒りに触れなくてもすむかもしれない。

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ものを落とす1歳児に悪意はあるか。

「なんだこれ」とおもって、ひっぱっただけだ。
それが落ちて、それがどうなるか。
その重さは?落としたら壊れる?そもそも、落とす?
それをみた人が、どうおもうか。

見知らぬ「ものを落とす」ことに対しては、見当がついていなかっただろう。
それくらい、大人が見たら、「いや、それ、落とす?」というものを、落とした。
落としたのではなく、

ひっぱったら、落ちた。
というのが、彼の目線だろう。

子どもに悪意はあるか。
僕には「ない」と思っている。
全部、養育者を真似した結果か、防衛機構の一部として働いているとおもう。
「悪態をついて、欲しいものを得る」心
「悪態をつくことで、コミュニケーションをとる」心。

心で関わろうとするとき、どうか、怒りが、やさしさに包まれますように。

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中村天風の実践哲学における「笑い」で食卓を見直す

今、感情の本をいろいろと読みながら、「しあわせな出来事は、しあわせな気分の時により思い出すことができる」と書いてあった。逆に「悲しい気分の時は、悲しい出来事しか思い出せない」ということになるのだが。。。

かつて、中村天風の本を読んでいた時、「ご飯を食べる前に、思いっきり、笑うこと」が書かれていた。
これは科学的に、すぐれている。

感情があって表情が作られるだけでなく、表情が、感情をつくるという経路は存在する。
笑うことで、いいことを考えて、ポジティブに、しあわせになることを考えるような習慣が身につくという。

実際、僕はアホみたいに「いっただっきまーす!!!」と笑顔をつくって、一声、叫んでから食べるようにしている。
儀式みたいなものだが、まぁそれなりに効果をあげているのではないかとおもってます。

食卓で、テレビをみんなで見て呆然としていませんか。
お母さんがつくった、美味しい料理で幸せな気持ちになっている時に、楽しい話も、一緒にしてみると、「しあわせ」の種が育てられるのかもしれません。

僕が育てられなかったものです苦笑

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ポジティブな人に人は惹かれる。
笑っている人に、人は惹かれる。

ニコニコわらっている人が、どこか仏めいて見えるのも、そのせいだろう。
ニコニコ笑っている人は、ストレスフリーに見える。

笑っている人をみると、こっちも笑いたくなってくる。

子どもは、しあわせの源を知っている。
こっそり、教えてもらおう。

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学校で先生たちの言葉からストレスを受けながら、友達とのおしゃべりや部活動でしあわせを見つけようとしている子どもたちがいる。それはそれで、すばらしい「しあわせ」をみつけるスキルだとおもう。それはそれで、学びがいがある。

笑っている子どもたちをみていると、本当に、僕は心から尊敬してしまう。

だがしかし、「ストレス耐性」をつけることが学校の本意であっていいのだろうか。
これは「教育とは何か」という哲学の話であって、心の話であって、伝わらない人には、伝わらないのだけれど。。

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最近、おとのねさんは疲れてきていて、悪い考えが浮かぶことが多かったり、笑えていない気がしている。
そんな時には、休むのが一番だ。と、おとのねさんはおもっています。

こうした感情・心との付き合い方も、この年齢になって、少しは上手くなってきたきがする。

眠れおとのねさん!

中村天風が気になる方は、スタイルに応じてこの3冊の中から選んでみてはいかがでしょうか。

「まえがき」だけでも、みる価値があります。内容は濃いですが、その分、じっくり読める一冊。
運命を拓く

エッセンスだけ、かいつまんで、読めます。
中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない

「格言」っぽい感じで言葉が選ばれています。
ほんとうの心の力

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ちなみにですが。

人は、音楽を聞く時も、その時の気分moodで選曲を変えますね。
気分を高めるときの曲があったり、悲しいときに聞く曲があったり。

けどその経験が、誰かと共有されることほど、人間らしいことはないと、僕はおもっています。
それが、ライブコンサート(祭り)だったりするのですが。

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蛇足ですが。幸福な気分にさせて(いい話をして)、人を思考停止させる(気分moodで人を動かす)ことは、日常茶飯事に行われています。「うちの学校からは優秀な生徒が」とか「うちの塾からはこんな合格者が」とか。もしくは、TVショッピングでも。イイコトだらけの世の中で、情報リテラシーをメタスキルとして学ぶことは、イコール、心を守ることだと、僕はおもっています。

情動に流されず。
だが、
情動を観察して、情動に委ね、情動に導かれることも大切。
情動・感情のチカラとEQ

うん、人間っぽい!

幸福な気分になって、思考を停止して、自己暗示的に「自信」をもった状態、また、「自己肯定感」というmoodを持った状態を作り出すことで、人はもっている能力を発揮できる、というのも事実だ。この「情動」の操作も、うまく利用すれば、人はしあわせになれるし、悪用されればされたで、騙されてしまう。新興宗教でもよく「奇跡」「自分に秘められたチカラ」を体験させるようなしかけが施されている。進研模試には、要注意である。

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佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

先日、富山大学附属特別支援学校でたまたま佐藤学という有名な先生の話を聞く機会に恵まれた。
いるんだね!こういう人!というか、友達になりたいとおもった。
「学びの共同体」という言葉で、理想の教育の姿を説明してくれた。

むかーしっから、やっているようです。
学びの共同体研究会

石川県金沢市立紫錦台中学校も参加しているらしい。
こちらが金沢市立紫錦台中学校のHPです!
富山県で「学びの共同体」を実施している場所は、みつからなかった…

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メモにとったもの。

学ぶことは、しあわせなことだ。
一人で学ぶことはできない。学びは、社会的なものであって、孤立していたらできない。
人間の大脳新皮質は他者との協同により発達する。

ペア、グループ、コの字型で向かい合うのが基本。

小学3年生にならないと、内言ができない。考えることができない。(経験的な法則)
だから小学1、2年生はペア。それ以降は、3人、4人にする。

学びは既知の世界から未知の世界への旅であり、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
学びは個人的活動ではなく社会的活動であり、自然的過程(能力や技術の形式)ではなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。

人間の学びはコピー(模倣)ではなく、再創造
人間の学びはコミュニケーションによる意味の再構成(社会的文化的実践)

学びを対象世界(テキスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践。
学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。

人間の学びは、ほとんど短期記憶にしかならない。
人間は学び続けないといけない。
動物は生まれてからすぐ、立ち上がる。模倣のプロ。
人間は、模倣する力が動物より弱い。短期記憶にしかならない。

一歳になるまでに、一度シナプスが削ぎ落とされる。軸索を残して、消える。
1歳になったら、シナプスがズバーと出てくる。そうすると、言語が生まれる。

シナプスのつながり、すなわち関係の構築。

1”5”20
意味を、共同で見つける時、それが長期的な記憶、知恵になる。

東京オリンピックのときには、空港が無人化する。
35%が人工知能で賄われるらしいよ。

創造・探究・共同
今のところできないこと。。

もう、今までの教育は役に立たない。
理解中心から探究中心へ

「わからないこと」を恥じるのでなく、「探そうという気がないこと」を恥じ得る時代。

140年前に成立した一斉授業

世界からは30年前に消えている一斉授業
安い単純労働者をつくるシステム。単純労働をする?

エリートはコの字のテーブルで育つ。ハーバード大学の講義室(黒板に全ての机が向かっている教室)は一つだけ。

コピーで済むような授業はいらない。

経済が発達している国はアクティブラーニングをやっている。30年前に

30年前、TOP30のうち21社が日本
今、TOP30のうちで、ゼロ。

この30年間で変わった。

学ぶということが、即幸福である。

人間は7つの領域に分かれている。
Howard Gardner
あらゆる能力を持った人はいない。
なんの能力ももたない人もいない。
孤立して生きてはいけない。
一人で生きようとしてはいけない。

人との関係の中で、多元的に見なくてはいけない。
抜群の能力がある。

デザインはビジョンによって
プランは目標によって生まれるもの。

建築家はビジョンを見る。
デザインは生かそうとする。

目標思考の仕事workと労働labor
創造的な時間。activityはビジョン、デザインの世界。
文化的な意味と、社会的な関係を想像する。

学ぶ権利の実現。

「待つこと」「見守ること」(谷川俊太郎、すきすき、きゅっ、好き好き、ちゅっ)子どもを受け入れられるか。
「させること」ではない。ここもおとのねだ。
おkどもへの信頼、子どもを尊敬する。これもオトノネだ。オトノネはこれを「自立している」と表現している。
学びの共同体は、リスペクトの共同体だ。そして、ケアの共同体

特別支援学校っで主流になっている「行動療法」は研究者が論文を書きやすいから。
「させる」ことで条件付けをする。それは「発達(心)」ではない。
行動レベルの導きだ。

思考、学習、内言。
外言が先。だから内言ができない子がたくさんいる。
対話の相手がいることで、モデルを得ることで、内言できる。
経験的に小学3年生。4人組で(人の話がきける?)
小学1、2年生は「考えることができない」まだ内言が使えない。無理無理!ペア。

「待てない」手を出す口を出す。がダメだ。
教師の仕事〈聴く・(子どもと子どもを)つなぐ・もどす(もう一回)〉
「だれだれくんの言ったこと、どうおもう?」

子どもが、学びの主人公だというのが基本。
いい教師は〈目と耳〉で仕事をする。
子どものテンポはゆっくり。教師が先に行かないで、待つこと。

ある意味で、戦国時代、三国志時代の武将のようである。

共有の学び:ほぼ全ての子どもたちが達成できるレベル
挑戦的な学び:三分の一の子どもたちの達成を期待する、つまり三分の2の生徒が「できない」課題を与える。
難しい問題だからこそ、子どもたちは大好き。飛びついてくる。
基礎を丁寧、丁寧に、積み上げるというやり方ではない。積み上げずに、引き上げる。
(そんなん無理無理!というものを出してみると、一生懸命に挑戦する子がいる)

——-

オトノネではメタスキルと呼ぶ「コミュニケーション能力」
創造的な仕事。
多様な人間が、それぞれの持分を出すことでしあわせがうまれる。
オトノネが求めている「先生像」

まことに同感できる、こういうことをきちんと言ってくれる人がいる。

昔の昔から、活動していて、少しずつ、広がっている。
こうした時代の流れの中に、オトノネはいる。
富山県に、オトノネは、いる笑

オトノネは「学校」をつくるにしたら、どうしたらいいかなと思っていたところで、いいモデルを見つけられた。
少しずつ。少しずつ。時に、大胆に。

オトノネひろげるシェアぼたん

「混み合い」理論とあそびと月月火水木金金。まだ誰かが「非国民!」と叫ぶ声がコダマする日本。

えっと確かこの本だったな。
うん、そうそう。
子どもの「遊び」は魔法の授業

どういうことかと言ったら、小さいうちからなんでもやらせすぎると、頭がパンクして整理ができなくて結局何にもならないという考えかた。実際の研究データを見つけることはできなかったが。

簡単なことで、子どもがあれもこれもやりすぎて「課題でパンクしている」のと同じ状態になっていないか!?という話。
子どもの睡眠時間が減っている。
睡眠時間が減ると何が起きるか。
目に見えないところでがんばっている脳みそが疲れる。
無意識に働いている神経細胞くんたちが絡まる、シナプスくんたちが「え?俺どこに何送ったらいいの?」みたいな状況。

かつて雇われていた塾では、小学生が英語をならっていた。たまたまその日僕がその子をみることになって、静かに話をしていたら、その子の目がトロンとしてきた。はじめはただ「僕の話がつまらないだけなのかな」とおもったが、そのうち、寝た。その子の担当の先生は明るい、喋り捲る、楽しませる先生だ。だからその子はその先生のリズムについていっていたわけで。本当は、その子はとても疲れていたのだ。座ったまま眠る子どもって…幼児ならわかるけどさ。そりゃ分刻みでお稽古事をしていく毎日、疲れるに決まっている。小学生からすでに神経をすり減らすほど、全体的にブラックになった(お金のために子供の神経をすりへらすのが塾か?研ぎ澄ますならいいんだけどね。すり減らしちゃ、だめでしょ笑)。

まさにこれ、でしょう。。。

ーーーーー

大人になってから「その道のプロ」になる人がいるように、子ども時代はメタスキルを学ぶことが大切だ。と僕はおもう。
メタスキル さえあれば、大人になってからの可能性が広がる。
逆にただのスキルだけを身につけようとして企業戦士よろしく、「習い事戦士」モードに入った子どもは、大人になったらどうなるのか?
因果関係はわからないが、それが虐待であったり犯罪につながっていると言ってもおかしくはない。
子どもには子どもの発達の課題がある。

笑って!

「できる」ことを誇るまえに。

褒められることに依存している子は、大人になってから、潰れてしまわないだろうか。

潰れてしまった時に、助けてくれる人と出会える子は、しあわせだ。
じっくりと潰れていられる時間がある子は、しあわせだ。

多くの人は、立ち直る時間もないほど、「無理!」を無理だと思えなくなるほど、働く。
貯金ができたら、定期的に、潰れてみるのもいいのかもしれない(バリ島では、文化的に、年に一度、バリ島の全員が、潰れる日がある)。

けど、大人も子供も、休日がない。
休んだら「非国民!」と言われるのが、今でも怖いのだ。

それが日本であって、日本らしい、近代性である。
で、そろそろ次の時代にいこうかなという人のためのオトノネです。

海軍のポスターで取り上げられた「月月火水木金金」
月月火水木金金
子どもも大人も月月火水木金金月月火水木金金

習い事を「させている」お母さん、大丈夫?何か勘違いしていないですか?
「稽古」と「習い事」

賢いお母さんの「習い事」作戦。

習い事を「させられ続けた」子どもの心

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学校の「課題」ではない「本当の課題」をお手伝いするオトノネです。

教育の現場の方と最近話す機会があり、こういう話題になった。
Teachers do not teach. Students learn by themselves.

子どもは大人の背中をみて育つ。

という言葉がある。

たとえば今の世の中、「好きなことをしなさい」「やりたいことをやりなさい」という言葉が溢れている。
けど学校の先生は好きで学校にいるわけではないし、やりたいことをやっているわけではない。
(そのなかで生徒をちゃんとみてくれる先生と出会えたなら、しあわせだ)

思春期に教わるべきなにかを学校の先生から学ぶことはできない。いや、そんなもの教わるものでもないのだろうか。
高校卒業までにしておきたい発達の課題、は、大学まで先延ばしか。学校は学校で、自分たちの課題で忙しい。高校生の課題に付き合っている余裕はない。
何しろ、お金がないのだ。「大学進学実績」を出さなければ、予算が入らない、潰される、統合される、先生が職と名誉を失うかもしれない(自己保身)。。。。そういう恐怖と戦っている。もう教師という仕事に魅力がない。公務員試験に合格し教員になった人が、やめていく。そんなことは、かつて、絶対になかった時代は終わったらしい。試験を受けたら入れる、そんな時代になった。人材が入ってこない。人材を選べない。。。。(素晴らしい先生もいますよ、もちろん!)

大学に入ったら、大学に入ったで、みな「就活」をするという。まぁ、そりゃそうか。
生き方、世の中について教えてくれる人はいない。そんなもの教わるものでもないのだろうが。

結局、自分で気づく、自分で学ぶ、自分で道を作っていくというメタスキル をもっていないと、どこかでこの課題をやり直すことになるだろう。自立するということだ。学校からも。親からも。
親が80になってもこの課題に取り組み続ける人もいる。
そしてこういった人たちの福祉のために国は予算を削る。負の連鎖ですね。

僕も含めて、人間はそういう生き物なのだろうけれど。。

もう時代は変わって、やるべき「本当の課題」が変わったと僕には思える。
(今の僕の課題は大企業に勤めてお金を稼いで結婚して家や車を買うことではない。)

お母さんがそれを知っている場合が多い。
なぜか、オトノネにきてくれるお母さんは、それを知っている。。。
けど、「じゃぁ、実際どうしたら?」がわからないことが多い。
それを手伝うのがオトノネだ。

子どもは、だから、自分でこの道を開こうとして、友達関係を広げたり、ネット社会に溶け込んだりする。その他色々。つまるところ、社会化したり、特殊化する。個別化する。わかりやすくいえば、役割を探す。自分が溶け込むべき風景を探す。と僕には思えるのだが。

子どもは子どもで、自分でなんとかしようとしている。彼らの本当の課題に取り組もうとしている。僕は僕なりに一緒になんとかまぁできることというか見守るくらいしかできないかもだけど(やるのは本人だ)、それでも言葉をかけ、想いをかけることはできる。オトノネは、「本当の課題」に取り組もうとしている高校生を応援しています。

発達段階として適切な課題に取り組めず、「課題」に心をすり減らされているだけだとしたら、なんと苦しい高校生活だろう。

教育の現場に長く勤めていた方と最近話す機会があり、そういう話題になった。
Teachers do not teach. Students learn by themselves.

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すぐ忘れる?そこで役立つ記憶の研究成果とあそび

当たり前だけど・・・
当たり前のことしかいえないけど。

その当たり前を当たり前にいうのがオトノネです。

ひとりひとりのペースが違う。
レディネス(当然、学習者が取り組もうとしていることに対する準備)があるのはもちろんですが。

1:処理水準効果
表面的な浅い処理よりも意味的・概念的な深い処理をした方が記憶に定着しやすい。

2:既知知識の活性
新しい情報を古い情報と結びつけていくと記憶に定着しやすい。(英単語で、古い情報と結びつかない単語はほとんどない)

3:分散効果
何度も反復する。何回か反復する。短期集中で繰り返すより、時間を開けて繰り返すと記憶に定着しやすい。

発達心理学の本に書いてあって、いやぁ、当たり前と思えることだけど、よくよく心に止めておきたいこと。
これは実は子供達があそびのなかで鍛えている、学びのメタスキルだ!

けど。。。記憶したものを「使う」意識がないと解けないのが、難関大。
記憶だけでなんとかいけるのは中堅大学まで。と、いう見方もできる。

その違いもきっちり押さえておきたい。

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