これからこの国で幸せになるには。

この国で、幸せとは何か、もう一度考えてみたい。

考えなくていいか。
感じてみたい。

この国で、この国のシステムのなかで、僕はもう少し強くなろうとおもった。

日本は日本仏教の国。
この国でしか使えない、この国の宗教。

この国ならではのしあわせが、あるような気がした。
しあわせをつくりだす社会的装置が故障している。
たまにボロボロになってでてくる心がある。

僕はその「たまにでてくる」ものに目を向けすぎなんだろうか。

昔みたいに、みんなで長屋に住むとか、寺に行くとか。

もう現実に、日本の孤児院、ぱんぱんだからね?
もう現実になりかけています。

こんなにも貧しい国で、しあわせになるには?
日々の暮らしに満足すること、なのでしょうか。

念仏を唱える代わりに、みんなテレビをみていますね。
念仏を唱える代わりに、みんなスマホをみていますね。

念仏が、必要なのでしょうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもがもっている無限の余剰を僕たちが受け取ること。

オトノネのお母さんたちはたまに、僕にご飯を持ってきてくれる。

僕はもう泣きながら手を合わせて食べる。
美味しい。

おいしい。

このご飯、もちろん、家族のためにつくったしあわせを、僕がおすそ分けをもらっているだけ。
それが、うれしい。

余剰、というものがある。

お金でなくてもいい。
ただただ、溢れ出たもの。

しあわせって、そういうものだとおもう。

ーーー

リッチネス、という言葉をインドネシアで聞いた時に、ああ、リッチってそういうことなんだなと感じた。
青森で漁師をしながら、親方が趣味で、好きで釣った魚を知っている人に分ける。

しあわせの溢れた部分を、数珠つなぎにする。
しあわせのわ。

僕も取れたホタテを知っている人に送って、おいしいといってくれたことを今でもよく覚えている。
ホタテを送るお金で給料がなくなったけど笑

ーーーー

子どもはしあわせの塊だ。

溢れ出ている。

僕は少しだけ、おこぼれをもらう。

家でご飯をつくるお母さんは、しあわせをつくっている。

ご飯を食べるしあわせ。

ご飯の場所を一緒に楽しむ。

しあわせの数珠つなぎ。

ーーーー

余剰が、ないのだろうか。

お金も時間も、大人たちには足りない。
あってもあっても足りない。
どんどんなくなっていく。

子どもは?
子どもはしあわせの達人だ。

子どもに教えてもらおう。

僕は、いつも教えてもらっている。

ーーーー

最近、オトノネの子と公園で、放課後に遊んだ。
校門前で知り合った男の子も遊ぶ!とうので、待ち合わせて遊んだ。
その子がいうに、いつもなら、家でスマホと宿題をしているだけだという。

リッチネス。

もっと子どもから分けてもらおう。
たったそれだけなのに。

と思ったりする。

また、遊ぼう。

ーーーー

自分がしあわせになったときに、そのしあわせを渡したら、みんなしあわせになる。
保育園が無償化しても、それでしあわせが増えるかどうか。

そういう話を大人たちがしているようにはおもえない。

オトノネひろげるシェアぼたん

『ヨーガ療法ダルシャナ』メモ

ヨーガ療法ダルシャナ (伝統的ヨーガにもとづくヨーガ療法標準テキスト)
『ヨーガ療法ダルシャナ (伝統的ヨーガにもとづくヨーガ療法標準テキスト)』

だいたいが、僕が今まで学んできた臨床心理の知識で言い換えができる概念。
卓見は、ヨーガには二種類あるということ。

ハタ・ヨーガ 身体的・容姿・健康
ラージャ・ヨーガ 心の修行

フィットネスクラブでやっているのは、ハタ・ヨーガ。
それが基礎になって、心と体のバランスをとるために、ラージャ・ヨーガがある。
いわゆるマインドフルネスは、呼吸法、観察といった静観の姿勢という点で、ハタ・ヨーガに近い気がする。
現代心理学では、マインドフルネスの次の段階として認知行動療法がある。
いわゆるスキーマの修正だ。

悪循環を断つ、神経回路を変えるために、ラージャヨーガがある。
いわゆるマッサージはその場だけの癒し、定期テスト対策。
もちろんそれは心を守るために大切なことかもしれない。
けど、自分で自分をコントロールして「健康な状態」になるためには、心が学ぶといいんだろう。

「こういう効果があるよー」というメソッドではなく、知恵の部分だ。
学びのヨーガ。ラージャ・ヨーガ

ーーーーーー

メモ

無知さ、理智の誤り、無常なるものを常なるものと錯覚

意識髄 顕在的に「今ここ」に「わたし」がいるところ。
理智髄 理智の修正 愛着・憎悪・善悪などのこだわり、執着。認知(スキーマ)の歪み(文化的・社会的につくられる)。不安が生み出される場所。

観喜髄 記憶の修正

理智との対話・客観視
未来は憶測・過去の繰り返し。ファンタジーは創造的・わくわく・未知。

①無智
②自我意識
③欲しがる心
④避ける心

問題の共有
ニーズ把握
インフォームドコンセント(目標の一致)
 自分のチカラ・強みを知る。新しい自己像をつくる。ストレスマネージメント。暴走する思考・意識のスローダウン・身体と心のバランス。セルフコントロール力。自立する。個別化する。関係性の修正(家庭・学校・地域)人生の意味づけは自分でする。自分の人生をつくる。(本当の「宿題」)

理智の修正プロセス
 やってみる(結果が出る)→結果の客観的解釈(言語的介入)→自己洞察(自覚)→代替案形成〈シュミレート〉
 本人が扱える課題に微小化する。積み重ねる。
 自分との、他者(学校・家族・地域など)との関係の結び直し。

 知識としての理智のしくみ
  怒りは与えられるのではなく、心の仕組みが作り出すもの。状況に対する反応であり、無意識の解釈。
  「こだわり」が喜びになるか、苦しみになるか。

 知識→体験(知識の修正)→知恵(体験の言語化・知識の身体化)

ハタ・ヨーガ 身体的・容姿・健康
ラージャ・ヨーガ 心の修行

不安を一人でなんとかするのは、きつい。

解決構成モデル
 問題には直接取り組まない。望ましい未来をつくることに、心的エネルギーを注ぐ。そのプロセスで、癒し・発見・洞察がある。流れていく川を遡らず、先に先に進みながら、オールの漕ぎ方をうまくしていく。

ブリーフセラピー
 うまくいったら?・一度でもうまくいった?・うまくいかなかった?

==

善性優位7種
制感・凝念・禅那

オトノネひろげるシェアぼたん

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

【アタッチメント(愛着)の深い意味】幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、しあわせの種をまける。学童期のくもんとそろばんにお金をかけるまえに。


『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

https://otonone.com/wp/neuro/junioristhebest/

という記事を書いたことがあるが。
このデータは「子育てに意識ある親(所得が低い高いに限らず)」は、小中高のなかで、小学校を一番大事にしているという現象を教えてくれた。

けどその中身が、学習塾とか、スキルアップのための習い事になっていないかどうか、わからない。
非認知能力が学びのメタスキルとなるために、「泳げるようになるために」水泳に行かせるとか「ピアノが弾けるようになるために」ピアノ教室に行くのであっては本末転倒だ。

話がそれましたゴメンナサイ

本当は、小学校に入る前の関わり合いが、非認知能力、生きる力、「しあわせ」になるためには大切だ!というお話。
こちらは非認知能力を情動知性という言葉で説明したものです。トレンドが変わっただけで、意味は同じだとおもってください。

youtubeの再生リストから0から8歳までの詳細の解説がみられます。

このダラダラした記事の結論は『アタッチメントと言われているものは、親と子の信頼関係であり、守ってくれる人がいるから子どもは頑張ろうとおもえるという、ごくごく当たり前のことを意味する』ということです。人から学ぶ。それが人間らしさをつくるとしたら。アタッチメントは、人生で最初の先生としてお母さんを選ぶ、という事実を述べているにすぎない。

お母さんは、何を教えますか?
何を伝えたいですか?

ーーーーーーー

肝心の話は、ここからです。

ある見積もりによれば、アメリカでは幼い子供のための公的資金のうち、3歳児未満の子供向けのプログラムに費やされるのはたったの6%であるという。残りの94%は三歳児向け、、4歳児向け、5歳児向けのプログラムに使われる。この配分の偏りは問題だ。いまや、のちの成功に影響を及ぼす脳の発達は、人生の最初の3年間に起こるとはっきりわかっているのだから。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.47)


これはアメリカの話ですが。日本ではどうでしょうか。

ーーーーーー

アメリカではなく、日本の話はこちらから。

出典:OECD Child well-being module(IN2.1: Public spending by age of the child)

The three age groups concerned are: early childhood (ages 0-5 years), middle childhood (ages 6-11 years) and late childhood (ages 12-17 years).
で分けられている。つまり未就学児、小学生、中高生。

public expenditureとは、公的な支出、行政がどれだけの予算を、それぞれの年齢にかけているか。
グラフは、0歳から17歳までに使う公的な予算を100として、各段階に使うお金を%で表している。(つまり3つ全部足したら100になる)

5歳以前が・・・低い!
15%くらいだろうか。
18年間のうちの6年間、ということは、もし均一に割り振られたとしたら33%になるところが。

15%かいなー
けどそれが、今の「教育」のあり方。
テスト、テストの認知能力を追求した古い時代の「教育」の方針。

その内約は詳細不明だが、
これをみると、5際以前はeducationに使われていないことがわかる。

そもそも、childcareとeducationって何が違うか、定義が乗っていなかった。educationって何だろう。。
childcareには、医療費などが含まれているのだろうか・・・だとしたら、「しあわせ」のスキルを学ぶ(これが教育の定義だと僕はおもう)一番大切な時期に、国は予算を使っていない!ことになる。

あ、そうか、教育って、「しあわせのスキルを学ぶこと」なのかもね。
それはまさに、非認知能力。

で、自治体はまだこの研究成果に気が付いていないかもしれないし、気が付いていても「しがらみ」のせいで実行にはうつせないだろう。
どうしましょう。

ーーーーーーーーー

どうしましょう、といいつつも。
非認知能力、「しあわせ」のスキルは、教わるものでなく、環境から学ぶもの。
お母さんが作り出す言語環境、知的な、そして論理的で刺激的で、ファンタジーに富んだ会話、そして安心感。
そういったものが大切です。

結論、
小学校になってからの習い事、中学校になってからの学習塾など、「子ども」にお金をかけるような世の中の傾向がありますが、それは間違いです。
幼児期の「お母さん」の豊かな生活(「子どもの言語環境」)に、お金をかけた方が、のちのちその子は、しあわせになるという、お話でした。

就学以前から「どこそこにいれる」とかいう話ではありませんよ〜

子供の語句や読み書きのスキルをターゲットとした介入には、それほど確かなエビデンスはない。この種の介入は、子供が幼い頃に接する話し言葉・書き言葉は親の階級に大きく左右されているという現実を前提としている。裕福な家の子供たちはたいてい、より多くの本屋印刷物に接している。また、裕福な親は低所得層の親よりも子供に多くーいくつかの概算によれば、はるかに多くー話しかける。使う言葉そのものもより複雑である。こうした傾向は、入園時に低所得者層の子どもたちに言語面での大幅な遅れがあることの説明になる。(略)乳幼児は、親が言葉を教えることに専念している瞬間だけでなく、つねに親から言葉を吸収している。だからもしあなたが親であり、限られた語彙しかもっていなければー多くの低所得層の親はそうなのだがー子どもの語彙を豊富にするのはむずかしい(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.52)

アタッチメント(愛着)とは、「この人からは、安心して言葉・しあわせになるメタスキルをたくさん学べるんだ!」という子どもと養育者の信頼関係(教育協定)のことである。

と僕はおもう。

もちろん、安心感からくる、探究心、意欲なども、しあわせになる大切な、メタスキルだ。
そうして得られる自信、自立心は、とっても大切な、しあわせのメタスキルだ。

ストレスでドキドキしていたらちゃんとした遊びはできない。

ネガティブな感情が思考を狭めるのとは対照的に、ポジティブな感情には思考や行動の幅を「広げて養う」効果があるとフレデリク村は主要する。たとえば、喜びを抱いている時は、遊びたくなる。遊びには台本があるわけではなく、しようと思うものごとの幅を広げる。あれこれと考えて、新たな活動を探したり発明したりしたくなる。さらに、喜びは遊びを促すため、資質やスキルを養うことにつながる。たとえば、子供は混沌とした遊びを通じて身体能力を養う。おもちゃ、ブロック、クレヨンを使って遊ぶことで、モノの使い方を覚える。動物や英雄になりきることで、他人とのつきあい方を学ぶ。「興味」というポジティブな感情は、好奇心の幅を広げる。興味を持つと、それにかかわったり、新たな物事を学んだり、新たな体験をしたりしたくなる。そして、新しい考え方に心を開くようになる。個人的な目標を実現した時に湧き上がる「自信」というポジティブな感情は、将来の活動の幅を広げ、さらに大きな目標を追い求めるきっかけになる。私たちが組織や社会で目にする大きな問題のほとんどは、あいまいで変化し続けている。人々に困難な計画を理解させて本気で取り組んでもらわなければならない「燃える足場」のような状況ばかりではない。より大規模であいまいな問題を解決するには、柔軟な心、創造性、希望をはぐくむ必要があるのだ。(『スイッチ!ー「変われない」を変える方法』p.168)

ーーーーーーー

小学校になって、子どもが意味不明な宿題に手を拱いているのを「なんでできないの!?」とキリキリするお母さんは、大いに、間違っているかもしれない。
子どもはいうだろう。「なんで、お母さんは、小学校に入るまでの間に、僕の非認知能力を育ててくれなかったの?もっとたくさんの言葉をかけてくれなかったの?」

いやいや、それだけでない、発達特性があることも、あります。

そういうお子さんの現状をちゃんとみて、それからじゃぁ、どうしようかと、一緒に考えていきましょう。
正しい認識の上で、改めて、お子さんと向き合ってみませんか?

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費を概算して気が付いたこと1
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない)
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと3

【高次認知的情動】とは?情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。
【8才からの内言】自立心と感情のコントロールと思春期
個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

=======

アタッチメント(愛着)の意味は、もう一つある。
ストレスマネジメントを手伝い、前頭葉の発達を助けることだ。

環境による影響の中で子供の発達を最も左右するのは、ストレスなのだ。子供たちは、いくつかの環境要因によって、
長気にわたり不健全な圧迫を受け続けることがある。こうしたストレス要因が子供の心を体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きい。
逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワークー脳と免疫システムと内分泌システム(コルチゾールなどのストレスホルモンを作り、放出する内分泌腺)を結ぶネットワークーの発達に強い影響を及ぼす、特にこの時期にネットワークが環境からの信号に敏感に反応するのは、これからの先の長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号を常に探しているからだ。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をする。血圧を上げ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高める。
短期的に見れば、特に危険な環境では利点もある。「闘争・逃走反応」とも呼ばれる脅威検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状態なので、すぐに反応できる。このように、危険な環境への適応の発達には確固たる理由があるのだ。しかしこの適応が長期にわたってつづくと、かずかずの生理的な問題の引き金ともなる。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病までさまざまな病気を引き起こす。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ぼす可能性がある。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能を司る最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力が育つのを妨げる。
感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子供はーいまでは大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶがー失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになる。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんのすこし軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥る。月皇生活では、つねに脅威を警戒し続ける強度に敏感なストレス反応尻手むは、自滅的な行動パターンを引き起こす。けんか、口答え、教室内でのわがままなふるまい。もうすこし目立たないものとしては、クラスメートとのつながりをつねに警戒し、教師や大人から差し伸べられた手を拒むようになる。
認知面でみると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害される。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに例えられることのある高次の認知的能力ー作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むものーで、これが発達のための神経系の基盤となり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなる。不慣れな状況を切り抜けたり、新しい情報を処理したりする際に非常に役立つ、まさに日々の学校生活で求められる能力である。この実行機能がきちんと発達していないと、複雑な指示に集中できず、学校生活にいつも不満を抱くようになってしまう。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.28)

マギル大学の研究者らは、母ラットの特定の行動が、子ラットのDNAの配列に起こるメチル化に影響を与えることを明らかにした。子ラットがストレスを受けた時に母ラットが示す温かく繊細な対応、とくにリッキング・アンド・グルーミングと呼ばれるなだめるような行動が、DNA上で海馬を制御する部位のメチル化を抑制するのだ。海馬は、成長した時にストレスホルモンを処理する部位だ。まだ検証段階だが、人間の場合にも同様の効果があるとみられている。マギル大学の研究は、多くの親の(そして子ども時代を振り返ることのできる人々の)直感を裏づけている、。親のほんの小さな配慮が、非常に深いところからーきわめて重要な遺伝情報に関わる部分まで掘り下げるようにしてー子供の発達を助けるのだ。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.33)

もし不利な条件下にある子供がよりよい人生を送れるように手助けがしたいなら、プラスに働く介入の機会を連続体の中でできるだけ多く探す必要がある。しかしそれでもなお、6歳児未満の幼い時期、もっといえば3歳未満の時期こそが、子供のは発達を促す絶好のチャンスでもあり、危機が潜む期間でもあるのだ。これには確固たるエビデンスがある。ごく幼い時期の子供の脳は最も柔らかく、ほかのどの時期よりも環境からの影響を受けやすい。のちに様々な能力を支えることになる神経系の基盤が形成の途上にあるからだ。この基盤が関わる能力には、読み書き計算や比較、推測を扱う知的能力だけでなく、学校の内外で生きていくためのっ頃の習慣や力、ものの味方まで含まれる。幼い頃に環境から受けた影響は増幅される。よい環境にいれば先々の発達にとって非常によく、悪い環境にいれば非常に悪い影響が出る。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.45)

ーーーーーーー

アタッチメントといえば、幼い子どもと母親の関係だが、ラポールという言葉が昔流行ったように、学童期、青年期になってからも信頼できる大人と出合い、関わることの大切さも忘れられている。

未来のイノベーターはどう育つか

学びのイノベーション
「この子たちは本当に偉い」と、ローゼンバーグはいう。「私だったら彼らの多くが経験してきたことに耐えられたかどうかわかりません。彼らは他人との結びつきや、まじめに受け止めてもらうことや、生きる目的を渇望しています。だから人お人を結ぶ糸を見つけて、タネを巻き、目的意識を育む手段や枠組みを与えてやるのが私たちの仕事です。目的意識がある人間は、多くのことに耐えられる。この部分が現在の教育システムにはすっぽりかけています。目的もわからずにあんな暗記作業をやりたい人間なんてどこにいるでしょうか」ローゼンバーグの問いは的を得ている。彼は生徒たちの情熱を目的意識を育てて、勉強する理由を持たせた。そして学校の玄関で子どもたちが「遊ぶ」様子を観察して、自分たちの遊びをもっと本格的にやってみろと挑発した。子どもたちが好奇心を持って学ぶ出発点として、音楽と若者文化を利用したのだ。ローゼンバーグの助けで子どもたちの「遊び」は情熱になり、その情熱が時間をかけて強烈な目的意識に発展し、子どもたちは成功に欠かせない自制心を養って言った。シリータの高校にローゼンバーグのような先生がいたら、つまり若者文化を真剣に受け止め、その活力とメイナス面の両方を子どもたちが理解できるよう助けてくれる人がいたら、シリータにとって大きな助けになっただろう。ローゼンバーグは子どもたちに、自分の経験や考えをもとに、自分の文化を作るよう教えていたのだ。本書で紹介してきた創造力豊かな教師たちと同じように、ローゼンバーグは実践的で、分野横断的で、グループベースの学習環境を創った。それはローゼンバーグ自身が子どもたちの内的な学習意欲を発見し、伸ばしてやれる環境でもある。そして彼もまた、学校では例外的な存在で、重要な活動の一部を学校の外に出さなければならなかった。ローゼンバーグの成功は、子供たちに深い敬意を払いながら信頼関係を築く重要性を指名sている。彼は子供たちの「目を見つめた」だけではない。カレッラの話に長い時間真剣に耳を傾け、子どもたちが自分のアイデアや夢を声に出すのを手伝った。若者たちがいうことの中には、挑戦的だったり破壊的なこともあるだろう。だが私たちが本当に「ひとりも落ちこぼれを作らず」に、すべての若者をイノベーターにしたいなら、そうした意見が出てくるリスクも受け止める必要がある。(『未来のイノベーターはどう育つか』トニー・ワグナー p.189)

これはアタッチメントの本当の意味に通じると思う。約束ができる人。言葉を信じてくれる人。

かつて韓国で演劇をしていた時に、ある舞台俳優はこう言った。「自分の言葉を、セリフを信じてもらえるように舞台の上で努力をするんだ。自分が本当に観客に伝えたい言葉に注いだ魂を観客に伝えるためには、そのセリフを出すまで一生懸命演じて、観客に、僕という存在を信じてもらわなくちゃいけない。」

親であれ、教師であれ、「この人の言葉を信じよう」「この人がいうならやってみよう」と思ってもらうこと。
そうした大人の存在が、子どもの「遊び」を「情熱」にして、さらには「目的意識」へと変化させるために大切だ。

子どもがそれを自然に、誰の手も借りずに「遊び」を「目的意識」つまり社会的に価値のある活動にすることは困難だ。日本ではそれがスポーツや学習発表会、大会の中に閉じ込められている。スポーツ・音楽は「遊び」であり、「情熱」を注ぐように大人は促す。そして大会という「目的意識」が準備されている。これが遊びではなく仕事となり、情熱ではなく忍耐になっていく子どもの姿をみると、どうも大人たちは本当にスポーツや音楽を理解しているとは思えない。強制参加、罰。こうしたものはどれも創造性には結びつかない。その先にあるものは、管理社会。(といってもケジメ、教えるべきことはきちんと教えること。教えるべきことはなんなのか、きちんと大人が見定めること)

教えるべきことはなにか。
教えてはいけないことは何か。

「宿題を毎日こなすこと」を教えるべきなのか。
もっと大切な、「教えるべきこと」はないだろうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

朝、校庭で走り回る小学生。

小学校って、朝の会が始まる前に校庭でみんな走ったりしていますか?

体育の先生がいて、陸上の指導をしているようであった。体操服を着ている子もいれば、私服で走っている子もいる。

小学校って朝、走っていたっけ?

子どもは走るのが好きだ、ということはよくわかる。
勉強どころではない。走らなくては!というくらい。
だから、朝、走る、文化が、自由の中で生まれたなら、素晴らしいことだとおもう。

みていると、みんなおもいおもいに、走っている??ように思えた。
こういう場所もあるんだなぁ。

運動会前だから???

こういう文化をつくるエネルギーが、一体どこからでてくるのだろう。
一体、誰が、はじめたのだろう。

まさか、ここは、中学校じゃぁ、ないよね?

オトノネひろげるシェアぼたん

暑い時に熱いものを食べる

バリ島。

まぁ暑い。カラッとしていて風が吹いていて日本のように体力は奪われないが。

で、辛いものを食べる。

韓国。

夏バテ料理がある。

熱々だ。

日本にいると、香辛料を忘れることがある。

今日、たまたま、小松の保育園に行った帰りに小松のスーパーに寄ると豚肉が安く売っていた。
富山に比べて、安い。

富山、都会ばりに物価たかい。

労働者虐げられている感じ。。。

で、卵を買いに富山のスーパーに行くと、新生姜が売っていた。

食べた。

汗がだらだらでた。

昔の人は、夏が来る前に、何を食べていたんだろうか。

ーーーーーー

岡本太郎という芸術家が「自分の中に毒をもて」という本を書いた。
中身はてっきり忘れたが、推測するに「他人は何かしらの毒を使って来る。知らず識らずのうちに、毒を入れられている。それを解毒するのは、毒しかない」という意味ではないか。

暑い時に熱いものを食べる。
冷麺もいいけど。

バランスが、大事なんだろう。

ーーーーーーー

インドネシアに初めて行った夜、友達のAbdiが、オレンジジュース、温かいのと、冷たいの、どっちがいい?と僕に聞いた。
温かい、オレンジをもちろん、頼む。

新鮮な、おいしいオレンジと、天候そのままの温度。生きている、生暖かい温度。
生きている、orangeが生きているとおもった。

オトノネひろげるシェアぼたん

人を笑顔にする人のチカラ

生徒が帰って、別の生徒がやってくる時、生徒同士が鉢合わせる。

小学生の子が終わって、お母さんと話をしていた。
次にきた高校生が、小学生と鉢合わせた。

小学生は、ホワイトボードに絵を描いていた。

あとで、高校生の話を聞くと。

「子どもが嫌いだったけど、かわいいなっておもえた」という。
変わったというか、改めて、子どもに出会った。

感じ方が変わっていたことに驚いたという。

ーーーーーーー

人が人と出会って変わることは大切だとおもう。
人が新しい人と出会うことで、成長した自分を感じることもある。

他者は大切だ。

僕自身、音楽家としての才能を韓国でたまたま「見つけてもらった」。
自分一人で自分の意味を見つけることは難しい。

「自分はこれだ!」とかおもっていても、誰かが「それでいいよ」と言ってくれたり、一緒にやってくれる人がいないと、自分に「なれない」ことがある。
そういう仲間探しをしていくのが、人生の意味のように感じることもある。

人と人が出会って生まれるもの。
富山県でも、石川県でも、居場所になる場所、人が出会える場所がたくさんできてきた。
ひとそれぞれが、「自然」になって、多くの人と出会えることが自然になったらいいなぁ。

小さな小さな小学生が、高校生をはっとさせるチカラをもっている。

ーーーーーーーーー

ただそこに「自然」にいるだけで、誰かをしあわせにするチカラを、だれもが持っている。
あれもしないと、これもしないと、不安になる世の中で、大切な「自然」を忘れていないだろうか。

ひとりひとりが「自然さ」を大切にすることで、世界はもっとおもしろくなるし、笑顔がもっとふえるとおもうんだけど。
高校生である、中学生である、小学生である、お父さんである、お母さんである、先生である、生徒であることを超えて、「私」として自立できる心を(病理的なナルシシズムに陥らず)大切にしたい。

歩きながら、人と出会いながら、しあわせを育てていこう。

ーーーーーーーーー

ゲームにはまっている高校生。
ゲームの世界で、2000人のファンが彼と対戦するために待っている状況もあるという。
そういう「自然」だって、ありうる笑
(彼はニートで一生を過ごすようだが、それはそれで、「自然」なのだろう)

お父さん、お母さんに一生、守られなくてはならない「自然」すら、大切にすれば、誰かを幸せにできるだろうか?
(ピアニストのグールドは、完全に、守られて「自然」を育てた。そして、世界中の人の心を動かした)

自分の中にある豊かさ、リッチネスを大切にしていけばいいだけかもしれない。
忘れてしまったものを、思い出すだけでいいのかもしれない。
大事にしていた自分が袖を引っ張るのを無視して「こっちにいかなくちゃいけないんだから!」といって、その子を置き去りにした瞬間があるかもしれない。

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

うーん、たまたま拾ったこの英文、好きになりました。

ーーーー

こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

ーーーーーー

オトノネひろげるシェアぼたん

オトノネさんがインスタをやっている件

SNSの使い方をまだまだわかっていないオトノネさん。

インスタでオトノネさんの食生活が見られます笑
https://www.instagram.com/otonone/

食事は大事。
イイものを食べたら、イイよ笑

豪華なものじゃなくて、贅沢なもの、豊かなもの、リッチなものを食べよう。

ある日、「本気で食べないとヤバイ」とおもったオトノネさん。
まだまだ食生活が乱れていますが。。。

この食材、どう使うんでしょうか?

こうなりました。

材料の味をどう生かすか。
素材の味をどう生かすか。

安い納豆を、安い納豆についている「タレ」をつけないで食べたら、めちゃくちゃまずかった。
世の中に出回っている「凄」そうなもの
安い!すごい!

安いものに手を出す人が増えたら、そのうち、おいしい納豆、ふつうの納豆が、なくなりはしないかと、おもう。
ファンが、支えてくれるんだろう。

オトノネひろげるシェアぼたん

学童:厚労省:非認知能力 v.s. 学校:文科省:認知能力

おとのねさんと同じじゃないですか。

ーーーーーー

これは、放課後児童クラブの研修で来てくれた講師の植木先生の話。
被災地で、いろんな遊びを展開した。
あそびの可能性、子どもがキラキラする話。

子どもの多様性と、創造性の話。

−ーーーーーー

竹笛
男子は、小3が、なんと、ホーホケキョとやり、それから、音階を奏でた。ドラミファソラシド・・・できるんだ・・・・
女子は、竹笛の紐を「3色」に増やして、三つ編みにして、デザインを変えた。

創造性とは、その場で、その時に、その人が、その時の心でいなければ起こらない出来事をそのまま現実化すること。

皿回しの皿を作る。
髪の皿を2枚重ねて、紙コップで回す場所を作る。それを割り箸で、回せる。
そこからも創造性が、どんどん働いていくかもしれない。

ーーーーーーーー

作ったもので、自分があそべる。できないことが、想定外に、できた。
想定外を楽しむこと。
わくわくを増幅することが、多様性のよさだ。

出来合いのものを与えることでは、創造性もその分弱くなるだろう。
自由さが、創造性を支える。
自発性が、創造性を支える。

そして、創造性が、「天の才」を個別化し、社会化させる基礎になる。
(さて、オトノネさんは、おとのねを社会化できているか)

植木さんの話の中で、「被災地の子供達が創造的なあそびをする」話をした。
受け取る人間ではない、作り出す人間だ。
「今日は何を食べましたか?」と、ボランティアの人にインタビューしてつくった新聞を体育館にはるとか。

そう、子どもから、たくさんのものを、大人が受け取る時代なのだ。
おとのねさんが、一番おいしいところを、うけとりたい笑

日本は災害王国だ。
(原発をぼかぼか日本につくるのは、やっぱりちょっと頭がおかしい。どのプレートの上に乗ってるかくらい、中学生でも知っている)

創造するチカラがあると、いろいろと世の中おもしろいとおもうのだが。
壊れた後に、同じものを、古いものを焼きまししても、おもしろくない。

ーーーーーーーー

家が遠い、みんな習い事・・・
あそぶ友達がいなくなった。

だからこそオトノネは《放課後の学校》を「宿題をやるばしょ」にしたくない。しない。別にしてもいいけど。勝手にどうぞと言う感じ。
《放課後の学校》は子どもにとって「仲間を見つけられる」「やらされから解放される」「ちゃんとあそべる」場所になってほしい。
ほんとに、宿題みないからね笑

できる子は勝手にどうぞ。
やるなら、わからないなら、教えあってください。
大人にたよらず、大人にやらせず、大人にやらされず、自立した人間として、オトノネに来てください。

「やることが決まっている」習い事では、育たない協同心、自立心が育つ。

で、これは学校と真逆じゃないか。
学童保育は、保育所か、幼稚園かで戦ってきた文科省と厚生省の、新しいバトルフィールドに思えた。

とおもって、講師としてきてくれた新潟県立大学の植木先生に聞いてみた。
実際、そうだった!植木先生の顔つきも変わって、熱を帯びた言葉で、返事をしてくれた。

そんな《放課後の学校》オトノネに関心がある方は、お気軽にお問い合わせください。

オトノネひろげるシェアぼたん