【お金って何?】ニュージーランドの答え

お金シリーズで昔記事を書いた。
【お金って何?】ダイゴの答え。

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ニュージーランドの記事を書いている四角大輔さんは「自分のどまんなか」を大事にするためにニュージーランドに行った。

そこで気づいたことをこうして記事にしてくれているわけだが。

【Are you Abe?】「安倍晋三」というありふれた人間性について
【仕事と家庭】西野亮廣さんと安冨歩さんの共通点と相違点
前澤友作さんという一人の人間から学んだこと。

こうしてみていると、お金の使い方が、その人の生き方と繋がっている気がする。
お金の稼ぎ方、使い方。

ドロップアウトして、「堕落」したのちに逝き方を変えた人もいれば、ただただ同じ生き方ができている人もいる。
「堕落」した後では、お金の使い方が変わっている。

と僕は思う。

「どうして仕事をしているの?
「お金がないと、生きられないでしょ」
「どうして生きるの?」
「生きるって、何なの?」

という問いを向けられたら、大人は何と答えよう。

命を売って、お金を買っていないか。

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ニュージーランドは、歴史のどこかで、「堕落」をきちんと経験したのだろう。きちんと感じたのだろう。

日本はまだ、これからもっと、堕ちて行くのだろう。
日本は、これからもっと、堕ちて行くのだろう。

そんな日本で、笑っている人を僕はうらやましくおもう。

自分が全然はっきりしない。

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さて、ここでニュージーランドのメンタルヘルス事情を調べようとしている僕は、きっとどの国に行っても、相変わらず、なんだろうか。
と、自分に呆れている。

オトノネひろげるシェアぼたん

【知の個別性・主観性】フルーツバスケットより

世界で一番バカな旅人

たった一人になっても。
たった一人でも。

誰かにとっての真実は
誰かにとっての真実ではない。

自分の感じていることは
他の誰かは感じていない。

それを、愛しいと感じるか。
それを、憂いと感じるか。

心が大事。
【言葉を超えたもの】『僕の青春ラブコメはまちがっている』と「欺瞞」

オトノネひろげるシェアぼたん

【インディアンの教え】ドリームタイム

夜、夜更かしをする。
ということが、よく思春期の子にはある。

大人でもよくある。

夜の時間は、ネイティブインディアンの言葉で「ドリームタイム」と呼ばれている。

神聖な時間。

不思議な時間。

神秘の時間。

つながる時間。

この時間に、現実の世界からちょっと離れて、
アニメを見る。

youtubeを見る。

そういう子どもたちは、まさに、「夢の時間」で、本当の気持ちを感じようとしているのかもしれない。

バリ島、夜、この時間まで儀式を続けていた。
夜の時間。

社会的にドリームタイムが、人の心のインフラとして整備されていた。

夜の時間が、何か大切なものを、教えてくれる。

オトノネひろげるシェアぼたん

【魔法の使い方】『ふらいんぐうぃっち』

『ふらいんぐうぃっち』

日常。
暮らし。

魔法は?

魔法使いって、どんなひと?

物語を見ていくうちに、このアニメから伝わってくるものが、はっきり感じられるようになってくる。

魔法が使える人がでてくる物語で、ドンパチやるアニメもある。
魔法が使える人がでてきて、こんなにも、日常を見せてくれると、魔法の部分が、鮮やかに、彩られる。

魔法って、なんだろう。

リッチネス。

オトノネひろげるシェアぼたん

富山県で家を買ってローンという借金をして得たものは何か【大人の宿題】も完全個別×子別

このブログを書いた後で、「ああ、僕は今、怒っているな」と感じました。
どうにもできない、自分への怒りです。

あまりにも大きな、一足飛びに解決できない歯がゆさ、無力な自分への怒りです。

そこのところを了解してもらった上で、読んでいただけたらいいかともいます。

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家を買って、、仕事をして借金を返して暮らす多くの富山県の人たち。

富山県で共働きが多い理由を考える。
【ある古老の語る仮説】富山県で共働きが多い理由。

そして、子どもが・・・家に、閉じこもる。(いやべつに、いいんだけどね)
ひきこもるとは。不登校の機能。

家を守っているんですか?
子どもを守っているんですか?

何を、買ったんですか?
あなたの買った家の、価値は、なんですか。

家のリッチネスを、使っていますか。
家が、牢獄になっていませんか。

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こんな質問をされたら、「うっ!」となるだろうか。

困っているけど声を出せないお母さんなう
言いたいことが言えない。

大人の宿題、大人の学びを、オトノネは大切にしています。
学ぶための、考えるための、いろいろな知識というものがあります。
考えるにせよ、学ぶにせよ、「知る」ことは大切です。

ただ、「知る」ということ一つも、「学び」の一部であって、ほとんどのお母さんたちがやりのこしている【大人の宿題】だということを、多くの人が知らないのが現実です。
↓下の記事は難しいと思うので簡単にいうと、「現実の世界をみようとしても、感じようとしても、心がブロックされていたら、学べない、見えない、感じられない」ということです。
【暗黙の次元って何?】安冨歩さんの『複雑さを生きる』『合理的な神秘主義』のメモ

「学び」が始まるには、、、「堕落」が一番だと、今はそうおもいます。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

もしくは、「言い訳」をしている自分に気がついて、「飛び降りる」こと。

変わるというのは、そういうものなのだ。
だから、富山県は変わらない。
日本は変わらない。

変わるのは、人間しかない。

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富山ブラックにはいろいろなしかけがある。

家を買うことになっている。
「ローンを組むことになっている(この言い方は、経済界の作った呪いであり、正確に言うと「借金を背負うことになっている」)」。
共働きすることになっている。
「内申点」で学校から脅しを受けるようになっている。
お母さんが、不安になるように、作られている。

富山県の「どうしようもない」文化が、制度が、子どもを「どうしようもない」状況に追いやる。

たぶん、子どもは保育園で不当な扱いを受けているだろう。(残念ながら、僕の目から言わせれば、、、、社会福祉法人という組織自体が狂っている。そこで働いている人で、狂っていない人がいたら、奇跡的だ)
それでも、何が起きても、子供をお母さん自身が守ることができない、らしい。
なぜなら、借金を返すために、仕事をしなくちゃいけないから??????????????????

「どうしようもない」

「どうしようもない」

どうしようもない?

ということで、悪口を言ったり、愚痴を言ったり、息抜きに励むようになる。

「どうしようもない」

その無気力、無力感で富山県は、というか日本という場所は満ち溢れている。
学習性無力感・学習性無気力とは?
【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。高岡高校の生徒はなぜ自殺したのか。
富山のメンタルヘルスと「怪獣」
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
ブラックはラーメンだけでいい。学校はホワイトであってほしい。

そんななかで、独自の進化笑を遂げる人もいる。
ひとりひとり違う。

だが、富山という文化で育った心が「自然」と向かう先は、他者に付合することだ。(富山に限ったことではないが)
自立する、選択する、積極的自己責任を負う、といったメタスキルが弱いから、自然と生きる知恵として「決められたことをする」生き方になるしかない。
教育衰退国、富山で生きる知恵だ。(日本が全体、そうなっているが、富山はまたかなりヒドイ。そのデータ、根拠は随所で出しているので探されたし)
「育英」に入れる、というのも、知恵の一つだ。だって、判断する力が、行動する力が、弱いのだから、与えられた情報だけでやっていくしかない。

だがその「知恵」が、子どもの「命」を輝かせるかは、また別の話だ。

「宿題はやらなくちゃいけないものだ」という「知恵」が、多くの子どもたちの心をすり減らしている。
「家を買って借金を背負う」という「知恵」が、多くのお母さんの心をすり減らしている。

これは、事実だと、僕は思う。(そう見える人には、そう見えている)

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人は皆、誰もが、投資をしている。
借金をして家に投資したなら、家からいいものをたくさんもらったらいい。
もらえるだけの投資をしたらいい。
そうして「安心」のために塾に行かせるお母さんがやたら多いのだけれど。

家に投資をした。
それだけ大きな額を投じた。
であれば、投資をした分だけ、そこから得たらいい。

得られないとわかったなら、、、借金返済を長引かせて子育てが終わってから「宿題」として返していくのはどうだろう?

人は皆、投資家。
「自分」という資産の価値を理解した人間が、別の価値と出会い、自分の価値を上げていくプロセス。

たとえ、それが「お金」でなかったとしても。

「もの」に価値を感じる人がいる。
そういう人はブランドとか、見た目、にこだわる。

「もの」ではないものに価値を感じる人もいる。
そういう人は、旅行とか、食事とか(「もの」か?)、そういうものにこだわる。

あなたにとっての「家」の価値はなんでしょうか
投資した分だけ、その価値を享受しているでしょうか。
(僕だったらその家が子どもの心を豊かにするために、そして僕自身が研究するのに勝手がいいようにつかわれるだろう。「家」だって「組織」だって、生かすのも殺すのも人間次第)

もしかしたら、それだけ大きな投資をした「家」をきちんと使ってあげたら、うまくいくことがあるのかもしれない。

==========

一人では愚痴もいえない人がいる。
(そもそも愚痴は一人でいうものではないが。。。)

「なんか違うんだよなぁ」と思いながら、その感情を、情を、どうしたらいいかわからない人がいる。

答えはない。
答えは人からもらうものではない。
ただ、ひとりでは「自分の答え」がなかなか出せないのも事実。

そのプロセスが、ひとりひとり違う。(だからオトノネは完全個別×個別)

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ある人は、「いいもの」を感じることもできない。
ある人は「わるいもの」を感じることしかできない。

「いいもの」を感じる心が、潰されてしまっている大人がたくさんいる。
誰かから与えられた「いいもの」に合わせて心を潰している大人がたくさんいる。
(「学校の宿題はやらなきゃいけないもの」だとおもっている人がたくさんいる)

子どもはもちろん、その影響を受ける。
不登校やら、ひきこもりやら、ネット依存やら、なにやら、大人たちが「わるい」とおもっていることは、たいてい「いいもの」を潰されている子どもたちから出た、心をまもるしくみであって、まったく「わるい」ものではない。

僕は逆に、「いいもの」だとおもっている。
それをきっかけにして、大人がどう感じるのか。
感じ直すのか。

これが大人の宿題だ。

どんな生き方をしたいですか?
どんな声をあげたいですか?

日本国富山県ではこういう問いを発すること自体が「不自然」に感じられてしまう文化がある。

お母さん自身が、「ああしなきゃ」「こうしなきゃ」「しかたがない」でいっぱいになっていて、「いいもの」を受け付けられない文化がある。

お子さんと一緒に最後に笑ったのはいつですか。
お子さんの表情をみて、はっとしたのはいつですか。
お子さんの成長を感じられたエピソードはなんですか。
お子さんの話を聞いて、感動したことはありますか。

これが大人の宿題の、基礎の部分だ。

カリキュラムつくろうかな笑

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大人の宿題は、なかなか大変だ。

家を買ってしまった。
借金をしてしまった。
借金を返さないといけない。
お母さんもあくせく働かないといけない。
子どもは・・

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お金でなんとかしてください。
仕事をしているんでしょう?
お金を稼いでいるんでしょう?
なんのために?
家を買うために?
じゃぁ、その家をつかって、ちゃんと満足して子育てをしてください。

こうやって、突き放すこともできる。
(相手が気づく速度、感じる速度を無視して、殴りつけること、暴力)

「家に価値がある」から買ったんでしょ?
それで子どもが困ってる?お母さんが困っている?
自業自得だ。

こうやって、頭で考えることもできる。(言葉で殴りつけることもできる)

「家」のせいにすることができる。
「学校」のせいにすることができる。
「富山」のせいにすることができる。
「日本」のせいにすることができる。

で、「自分」は?
今ここで、この記事を読んでいる「自分」は?

自分自身の大人の宿題を放り出しておいて、「自分」を棚に上げておいて、何かのせいにしたい気持ちもわかる。
それだけお母さんは、アウシュビッツ状態だ。
アウシュビッツは自由・平等・平和の象徴か。

だがしかし。

お金を払って買った、借金を作って買った家に、子どもを閉じ込めて、お母さん自身を閉じ込めてしまっていないか。

それも、現実かもしれないということを、感じられるだろうか。

現実だと認めて、ではどうするか。

これが大人の宿題です。

踏み出したお母さんを、オトノネは応援します。


ーーーーーー

ぼくたちはたびたび、「外」に解決策を求める。

まぁ、一人で心は変わらないとおもうからしょうがないのだが。

だが「外」に原因を求め、「外」に解決策を求めているだけでは、足りない。
悪口ばかりいって、誰かのせいにする何かのせいにすることで何かにすがることで自己欺瞞を続ける人は成長しない。

いやまぁたしかに、「外」に向かうことで解決することはあるかもしれない。
けどそれは正確に行って、解決ではない。

「外」で心を大事にすることを学んで、再び「内」に行けるかどうか。

場所を変えたら、例えば日本を出たら、「沈黙の文化」を使わなくていい、とかそういうものはある。
子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??
大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

僕自身が、日本では感じられないことを、日本の外でたくさん感じてきた。
それは、僕の場合。

学びのプロセスは、ひとりひとり違う。
だからオトノネは完全個別×子別です。

ーーーーーー

学ぶか学ばないか。
自分ごとにするか、他人事にするか。

頼ってもいい。
けどそれが学びにならなければ、ただお互いに、人間性を、心をすり減らしていくだけだ。

それでは塾や学校と変わらない。
【ビジネスの原理】情を売る。

頼ってもいい。
ただその中で、学び取らなければ、ただただ、「命」を消耗するだけだ。

メタスキル という言葉は、「学びのための能力」と僕は簡単に説明している。
「学び」の回路を閉ざしている何かを、取り払うことで、この回路は動き出す。

だが富山の文化は「学び」の回路を閉ざすようにできている。
(「内申点」の異常な高さは、富山ブラックの象徴だと僕はおもっている)
富山県立高校入試の内申点の配点が異常に高いことを知っておくと後悔しないかも。

「責任」とか「義務」という言葉が呪いの言葉になっていることが、言葉の文化が、「学び」のプロセスをズタズタにしていることも否めない。
学校の責任と義務(責任について・・・いくつめ?)
「責任」という言葉について
責任
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

「命」がよろこぶ言葉、「命」が「生きる」言葉を使おう。
そして「命」がちゃんと輝けるように、「命」を守ろう。

ーーーーー

そのための、「学び」を始めるきっかけにオトノネがなれたらいいとはおもうのだが。

頭の中が借金でいっぱいのお母さんに、なんと声をかけたらいいのか、僕にはわからない。
僕は伝わらない言葉は使いたくないし、何を感じてくれたら伝わるのかを、一瞬一瞬、感じようとしている。
どんな声をかけたらいいのか、レッスンを通じて、僕自身が、感じていく、そしてそれを伝える。それがオトノネです。

頭の中が課題でいっぱいのお子さんに、なんと声をかけたらいいのか、僕にはわからない。

僕からしてみれば、子どもも大人も、同じ状況にいる。
それなのに、大人は高みの見物をして、子どもを「塾」や「学校」でどうにかしようとしていることが多いから、やるせない。

自分の宿題をしてほしい。

ーーーーーー

子どもと暮らしていて、感動するエピソード、成長したと感じるエピソードを、心から話すことができるだろうか。
子どもの「いいもの」を「いいもの」としてみられない状況では、「命」の輝きを感じられない状態では、お母さんは、子育てをなんでしているのか、わからないのではないだろうか。

これが大人の宿題です。

子育てが「仕事」になっていませんか。
【子育てを仕事にしてしまったお母さんへ】大人が子どものときにやりのこした宿題『「自分の働き方」に気づく心理学』加藤 諦三

お母さんが家のローンを払う「暮らし」をする傍ら、子育てという「仕事」をしていたら、子どもは一体どこで、心を大事にしたらいいのか、僕にはわからない。


というわけで、少なくとも「学校の宿題はやらなくてもいい」というお母さんに問い合わせをしてほしいおとのねさんです。
「学校の宿題はやらなくてもいい」とおもっていないお母さんの「学び」のプロセスを動かせる自信は、オトノネにはありません。

愛を学ぶ、といってもいい。
「は?」
と思った人!
いますね笑
こちらをご覧ください。
愛とは何か?

借金地獄に子どもを巻き込んでいるなら、子どもは傍迷惑だ。
家を守る?
家に、子供を守ってもらう?
子どもを犠牲にして、家を守る??????
(いうても子どもは別にそんなこと感じちゃいないくらい生きているからまぁ大丈夫なんだろうけど。いくらでも人柱になりますよ。それがしあわせかはわかりませんが)


お金の使い方、時間の使い方、お母さん自身の「命」の燃やし方を、オトノネは、お母さんに問いかけます。

お母さんが「子どものために」買ったピアノが呪物になってしまうように、
お父さんがお母さんが買った家に縛り付けられてしまっているなら、やっぱり変だ、と感じるだろう。

心が大事。

【アタッチメント(愛着)の深い意味】幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、しあわせの種をまける。学童期のくもんとそろばんにお金をかけるまえに。
【お母さんもお父さんも必読】『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』
【こどもの「遊び」は魔法の授業】8歳、9歳から思春期までの子どもの発達課題(=お母さんの宿題)。
意味不明な世界。不確実な世界で生きる「合格実績病」のお母さんに送る言葉。
「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと
教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】
子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。
好きなことをするお母さん!Hug*smile
お母さん、子どもを守るために、参政しよう。
子供の自立とお母さんのライフサイクル
勉強ができない理由はお母さんのしつけと習い事?
句読点が書けない?お母さん、心配しすぎ!
お父さん、お母さん、お子さんのビジネスに投資しませんか?
教育と福祉の架け橋がない。お母さんが学ぶべき子どもの発達のこと、現代の社会のこと、現代の育児本に書かれていないこと。
まだまだ小学生。思春期はいつ来るのかな?来るのかな?笑
成績が伸びない勉強しない簡単な理由。勉強より大切なこと。
保育士、お母さんたち必読の書。平井信義さんの「意欲」と「思いやり」の子育て。

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ところで、借家と、家を買うことの違いはいろあるけど、僕は「自分なりにカスタマイズしたい」なら家を買うのがいいとおもう。
それも、「自分の創造性を高めるために」という理由だ。
家の構造、家の雰囲気一つで心は変わってしまう。
自分が「創造的に」なるために家を立てるのはいいことだとおもう。

別の人は「見栄」のために立てるかもしれない。

家を買うといことは、その土地に自分を固定する、ということでもある。
それでいいのか。富山でいいのか。もっと、冒険してみたくないのか。考えてみてもいい。
誰かが言っていた。とあるお金持ちの人だ。「僕は家を買わない。子どもがいじめられたら、引っ越すことしか、僕にはしてやれないから」だそうだ。

お金の話をしたら、借りるのも買うのも、一世代だけが住むなら同じだと僕はおもっている。
手に入れた「家」が一代で終わるなら(子どもと富山にしばらないなら)、買う価値はない。

要するに家を買うという文化によって、富山人は富山で生まれた人を富山に縛り付け富山化させる。

これが、魔王の世界だ。

古い世代と新しい世代の関係性が、問題だ。
なぜこんなに新しい人たちは弱いのか?言いなりになるのか?
2つの文化【自己疎外・人間疎外】と境界を侵害するナルシシズム

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉の遅れ?言語遅滞?専門家・プロがいない日本でどうしたらいいか。

言葉の遅れ?言語遅滞?専門家・プロがいない日本でどうしたらいいか。

みんなね、子供が生まれたらね、まずオトノネに来たらいいよ。
と思う。

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日本には、専門家がほとんどいない。

ということは知っておいたほうがいい。

子どもの自閉症と日本の療育
言葉の遅れに関しても、いやいやどうやって関わったらいいのか、マニュアルは伝わっているが、心が伝わっていない。
本質が伝わっていない。手順だけ伝わっている。

そんなマニュアル大国の日本で、こういう情報をみんな知っているんだろうか?
言葉の遅れを、一週間に一回、数時間の定期テスト対策じゃどうしようもない。
というかすべてのお母さんたちが、知っていたらいいのにとおもうことだ。

言葉は心。
伝わっているのか。
大人の工夫でだいぶ子供も楽に学べるようになる。
コミュニケーションのための『経済学の船出-創発の海へ-』安冨歩【伝わらないのは自分のせいか?】

学校も塾も医者も、専門家がまるでいない。
専門家がいないのだから、プロという言葉、本物という言葉の意味もみんな知らない、というのが現状だから、どうしようもない。
経験値だけ高いアマチュアが、プロと名乗っているのだから、どうしようもない。

いないものはしょうがないから、諦めるしかない。

ーーーー

この記事を書こうとおもったきっかけはコレです。

で、さらに、youtubeでの実演。

2語をちゃんと、伝える、大人の、子供への、言葉の離乳食。
本来なら「自然と」子供の反応をみて、こういう選択をする賢いお母さんの子が、知的に育ち、言葉と心を鍛えていたのだろうが。
今は、それがどうやら、「自然」にはできない事情ができたのかもしれない。

ーーーー

子育てをアプリに頼る時代、人間のマニュアル化の最先端であり伝統でもある学校の現場だけでは済まされなくなった人間疎外社会をどう生きるか。

もしかしたら、人間を諦めて、ロボットになったほうが、楽に死ねるんじゃないかとおもう。

言葉を覚えるのはいつだろう。
勝手に「自然に」覚える、その「自然」が、試される。
家庭、保育園、学校、地域、言葉を学ぶ、「自然」のリッチネスが、試される。

アメリカの古い、昔からある研究だが、「言葉」の発達は、上流階級の子供の方がいいそうだ。
親が抽象語を使うから、論理的に話すから、だという。

50%は遺伝、50%は環境と言う。
だが「言葉」はもっと高い割合で、環境だと、ぼくは思う。

オトノネひろげるシェアぼたん

善悪の彼岸

心のある記事が、心のない記事にされてしまっている現場を発見。

もともとはこのツイートをみて、ん?とおもって調べていた。

心のない記事
不平不満を言いまくると「脳が物理的に変わる」と科学的に判明! 愚痴を言うだけで「深刻なリスク」

今、金沢の西南部中もショッカーや魔王に叩かれている。
心ある行いが、心のない行いに責められている。

心あるもとの記事

In fact, our brain possesses something that is called the negativity bias, meaning that the brain has a tendency to focus more on what’s wrong via our perception, not what’s going right or the positive events in our life. These negative thoughts can actually drown out the lighter experiences over time so that you aren’t able to even see the good events that are taking place in your life.

Neuroscientist, Dr. Rick Hanson sums up the negativity bias quite nicely,

“Negative Stimuli produce more neural activity than do equally intensive positive ones. They are also perceived more easily and quickly.”

What Happens To Someone’s Brain When They Complain Too Much

不平不満を言うこと、だけでなく、不安や心配、ネガティブな世界に生きていたら、「よろこび」に「気がつく」ことができなくなる。
「しあわせ」が入ってくる窓がどんどん小さくなってしまう。

外向性と神経質傾向の二つの因子の説明を見ていたので、ああ、と思うところがあった。
『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』のメモ

ネガティブだからこそ、小さなしあわせに気が付けるかもしれない。
ポジティブだからこそ、小さなしあわせに気が付けないかもしれない。

ポジティウブでもネガティブでもいいから、小さなしあわせに、気が付けるようになりたいなぁとおもう。
小さな「なにか」を感じていようとおもう。

息を吸ったり吐いたりしている、霞を食べるしあわせを感じるには、まだまだ遠い笑

オトノネひろげるシェアぼたん

【花火大会】お餅を食べて、学んだこと。学ぶよろこび。食べるよろこび。

もちを初めて、食べた。
今度オトノネで餅つきをするというので実験をすることになって、作って食べた。

もち米を入れたら、機会が最後まで作ってくれる笑

で、最後に、、食べる、、、、

DSC_1050

なんだこれは!?

丸い塊になった餅を人差し指と親指の間でひねってとる。
なんだこの感触は。
柔らかさ、温かさ、そしてこれまでに体験しない餅と重力との対話。
それから口に持って行く前に、きな粉をつける。
なんだこの感触は。(硬い餅にきな粉をかけて食べたことしかない。)
口に入れるまでの経路は例えばおにぎりをたべるときとは違う。
なんだこの感覚は。
それから歯を噛み合わせる。
なんだこの感触は。
なんだこのあたたかさは。
やわらかさは。
そしてこの味は。

これはもう、神経細胞の花火大会だ。

「もちとはなんぞや」と問いかけるわけでもない。
ただ「もち」を経験するところに喜びを感じる。
喜びを学習する。

よろこびを、学ぶ。

オトノネで、学ぶ。

オトノネは、人間の価値を、大切にしたいとおもっています。

——

新しい言葉、あたらしい世界観、新しい「知」、新しい体験の価値はなんだろうか。
テストで点数をとることであろうか。
まさか。

ただ、この「価値」の問いの答えによって、その人の心がわかるように、僕は思う。

毎日世界がキラキラ輝いて見えていたときのことを、僕たちは思い出せるだろうか。

かつて僕らは歩くことそれ自体に喜びを感じていた。
地面から「やわらかさ」や「あたたかさ」「かたさ」や「つめたさ」を感じて花火大会をしていた。
地面から受けるその感触を受けて、対話をしていた。

それがいつのまにか、対話をやめて、ただただ、地面を歩くための場所、モノ、目的のための手段にしてしまった。
地面の気持ちなど、「今日の地面」などどうでもよくなってしまった。
地面との楽しいおしゃべりをやめてしまった、

のだろうか。

心次第では、歩くだけでも、人はしあわせになれるのかもしれない。
ただただ明けて暮らすだけでも、人はしあわせになれるのかもしれない。

たぶん、そうなんだろう。

と、できたてのおもちを食べておもった。

硬くなって、焼くだけのインスタントなお餅しか食べられない子どもは、今日も穴埋め問題プリントをやったり、ノートの穴を埋めたりしているんだろう。
本当のお餅、生きているお餅、重力と対話するお餅笑の喜びを知らずに。本当の学びの、喜びをしらずに。

なんてまぁ、貧しい国なんだろう。

ーーーーーー

グーグル社が作り上げたマインドフルネスは「ストレス社会」で「ストレス」を少なくするために開発されたスキルだ。

「ストレス社会」の中で、マインドフルネスをメタスキルとして使えば、心のあり方として使うならば、「ストレス社会」自体が、消えてなくなるのかもしれない。

「ストレス社会」は実在しない。
ただ心のあり方が、「ストレス社会」を作り出しているとおもえば、本当に、、、心が大事なのだとおもう。

ーーーーーーーー

それにしても、餅コメを入れたらつくところまでやってくれる機械をつくるのは、日本人らしいというのか。
機械をつくって、機会を使う時間を失ったのも、日本人らしいというか。

機械を使おう!
機会をつくろう!

というわけで、月一回はモチフェスをしたいなとおもっています^^

オトノネひろげるシェアぼたん

【子育てを仕事にしてしまったお母さんへ】大人が子どものときにやりのこした宿題『「自分の働き方」に気づく心理学』加藤 諦三

「自分の働き方」に気づく心理学

『「自分の働き方」に気づく心理学』加藤 諦三

この本は、おそらくリストラされた、失業した人に向かって書かれている。
とおもいきや!子育てをしているお父さんお母さんに「本当のこと」を伝えてくれているいい本だとおもう。

仕事を辞めた人には、仕事を喪失した人には、「やめたの?いいんじゃない?よかったね。幸せを掴むチャンスができて」と話してくれている。
そんなメッセージを、僕は読み取った。

僕も学校はとっととやめたらいいとおもっている。
少なからず、子どもの心を守る工夫は、必要だとおもっている。

加藤諦三さんも大人が子供時代にやり残した宿題を次の子供に背負わせる、と言う考えをしているし、それは事実だからそうなのだ。

事実を受け入れられないお父さんお母さんが、世の中に多すぎる。
だからオトノネで学んでもいいんじゃない??笑

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

人間というのは、これくらい周囲から幸せだと思われても心の底では不幸な人がいる、周囲の人が、彼を「幸せだ」と言ったのは、単に彼が世の中の形式を満たしているということにすぎない。そして、周囲の人間の望むような人間になった、といことにすぎない。

周囲の人が望むもの、つまりそれは商品である、

フロムはパーソナリティ市場という言葉を使っている。そして「人はその生活と幸福には関心をもたz、売り物となることに関心をもつのである」と述べている。他人を見る時、人はコオ頃の底を見ようとするよりも、形式を見ようとする。そして形式が整っていれば、それで幸せだというフロムの言葉を使えば「自分はいかに見事に『包装されているうか』である」(p.17)

高校卒業、大学卒業、学校というラッピング、お母さんというラッピング、長男というラッピング、本当にその人がそのひとらしく、そのままの姿でいることができない時間が、多すぎる。家の中ですら、子どもがラッピングされていることが多々ある。

大人も子どもも、中身が大切にされない。
中身で商品が選ばれることが、ないからだろうか。

まだ大和信仰が盛んな富山。(高岡の大和が潰れたのはいいことだとおもう)
形式優先の時代、価値観が画一的な時代を引きずっている。
学校信仰も強い。金沢は富山よりも強い。と僕は感じている。

他人のつくった幸せの基準でしか生きられないのはなんと息苦しいことだろう。
ラッピングで飾られ縛られた生活。

それが「ふつう」の世の中だ。
オトノネは、「ふつう」を問う。

幸せになりたければ、自分を市場に売り込むな。自分の独自性を発展させよ。(p.23)

独自性のない人はただ市場で機械のように働くしかない。
独自性を自分で見つけている人は、やりがいをもって、仕事ができる可能性がある。
その人も、組織の中で「独自性」を殺されるかもしれない。
「画一性」、商品を生み出す機械として雇用者を集める組織にいたら、独自性は成長しない。

大人も子どもも同じだ。

の人のパーソナリティーとか心の姿勢とかいうものを抜きに生きがいは考えられない。もともと生きがいを持てないパーソナリティーでありながら、「仕事に生きがいを持てない」といってもしょうがない。もともとエンジンがついていない車を運転しようとして、ガソリンが満タンなのに動かないと文句を言っているようなものである。

もともとケーキがうまく作れない人がいる。だが確かにケーキを作る小麦粉もバターも卵も十分にはない。そのケーキが美味しくできないという問題を「これはケーキを作る在z量が十分日本にはないからだ、これはアメリカとの貿易の不均等の問題だ」と叫んだりする。そしてそれが違憲として正しいとする。しかしその人に幸運は来ない。このときにケーキを作る材料がないなら「おはぎを作ろうか」と思う人がいたとする。そこで生きがいが生まれる。そこで幸運が訪れる。その人は幸せになれるだろう。(p.24)

心の問題を仕事で埋め合わせる、子どもで埋め合わせる、なるほど、自然と心は「定期テスト対策」的に目の前にすぐに手に入る資源を使おうとするかもしれない。

それで慢性的に、心の本当に大切な場所にスポットがあたらない。
病む。
学業にしても、本当に大切なことにスポットが当てられず、みんな新研究で「定期テスト対策」だけして、終わる。
病む。

劣等感、満たされなさを満たすために、暴力が生まれる。
塾に「行かせる」のも、学校に「行かせる」のも暴力かどうか。

我々は、自分が本当にやりたい仕事、つまりは生きがいを感じる仕事ということにおって職業を選択する動機の他に、もうひとつ、社会的評価を得たいという仕事を考える。そして幸せになれない人は、その間違った目標の達成に固執する。違った道があるのに、その間違った目標達成のために頑張る。不幸になるためにものすごいエネルギーを浪費する。老いた動物の介護で幸せになれるのに、競争に勝つことに全ての生きるエネルギーを浪費してしまう。深刻な劣等感のある人には幸せになるためのエネルギーは残っていない。復讐のためのエネルギーは残っているが、成長のためのエネルギーは残っていない。自分に失望した者には幸せになるためのエネルギーは残っていない。今よりさらに不幸になるための行動にしかエネルギーは残っていない。自分の深刻な劣等感と直面し、それを自分の中で乗り越える人が、生きがいのある仕事を見つけられる。(p.38)

こうして読んでみると、ずばっと表現していて爽快だが、まさに「幸せになれない人」にこの言葉は届かないとおもう。
だがこれは何にでもいることだ。

誤った目標達成のために、頑張って、不幸になる。
目標が違うのだ。
心が違うのだ。
そのことに気がつかないで、みんな「お勉強」をしている。
「小さなブッダ」はその中でなんとかバランスを取ろうとする。
学校の宿題は?親から受けるプレッシャーは?
「小さなブッダ」は、「小さなガンジー」になって、勉強をやらないかもしれない。

だって、親や学校が与えて聞いた目標は、「私の幸せ」にならないのだから。
魂まで植民地化されてたまるか。

毎日くたびれて働きお金を得て商品を購入し癒しを求めながらまた戦場に繰り出す人がいるう。
暮らしのささやかな喜びを感じながら、限られた時間を働き、生きる人がいる。

心が大事。

僕自身が、最近、違和感を感じていることでもある。

会社員として働くのではない、社会人として働く、生きる、暮らしを模索している。
模索しながら、「どうせなにをやっても」と感じることもある。
それは学習性無気力というもので、多くの子どもたち、大人たちが学ぶことであり、学校や社会全体がその構成員に教えていることでもある。
学習性無力感・学習性無気力とは?
「絶対無理!」症候群!無気力の原因は?
学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

無気力になってしまったら、しばらく休むといいだろう。
休むというチャンスを、自分でつくるのだ。
ひきこもりは、チャンスである。
次のチャンスを得るために、外からの刺激を受けない環境をつくるという、チャンスをつくったのだ。

チャンスはある。
けどチャンスは用意されていない。
チャンスは奪われる。
チャンスを奪い取ろうとする人たちが溢れている。
だからチャンスはつくらなくてはいけない。
チャンスは自分から取りに行かなくてはいけない。

チャンスは隠されている。
チャンスは埋もれている。
多くのチャンスは、社会的に殺されてしまう。
生き残ったわずかなチャンスをつかみとるには、取りに行くしかない笑

意欲を喪失した時に能力まで失ってしまう。
仕事の能力と生きる能力とは違う。このことが理解できるか理解できないかは、意味のある人生を送るためには決定的なことである。(p.43)

意欲とはなんだろうか?
英語でいえばMotivationらしい。

モチーフという言葉がある。
例えば画家や作曲家が作品の「題材」にするものだ。
花瓶であったり、あるメロディーだったり、夕焼けであったり・・・

人生のモチーフとは、なんだろうか。
何を描こうとしているのだろうか。

描こうとしているものが見えている状態、それを意欲がある、といってもいい。

世間は表面的なことを教えている。その結果成功した人は人に見せないことをしている。だから社会的に認められない仕事に怯える。80歳になったら四畳半でよい。二階屋は大きすぎる。ある高齢者である。オニギリにノリを巻かないで、水を入れるコップもない。ペットボトルもない。佃煮のビンに水を入れて、ビルの屋上で食べた。「これで楽しいかな」とやってみた。これで幸せなら、今の生き方を間違っていない。そう思ってやってみた。「楽しかった」そこでその高齢者は「お金がなくても80歳で生きられる」と思った。

「人が見たときにどう思うか」ではなく、「私がどう感じるか」である。これが生きる能力のある人である。生きる力のある人である。(p.47)

ラッピングではなく、中身。表面的なことではなく、中身。
この高齢者も、もともとはお金持ちだったのが、お金持たないになったかもしれない。だから、「これで楽しいかな」と実験できたのかもしれない。お金持ちになってからでないと、失ってからでないと、わからないことなのかもしれない。
ラッピングではなく、中身。表面的なことではなく、中身。

僕自身の生き方も、もっとちゃんと感じてみないと、ただあくせく息をしているだけで死んでしまう。
そうおもった。

あらゆる絶望というものは結局、一なのであるということを知らねばならないのである。つまりある唯一の価値観の偶像化、絶対化である。(p.49)

価値観を、喪失してみよう。
身について離れないその価値観を、喪失してみよう。

手放してみよう。

「え?不安?」

そうして不安なまま死んでいく人がいる。
不安なまま子どもに不安を押し付ける人がいる。
僕自身がそうかもしれない。

なぜ不安なのか。
何が不安なのか。

それこそ、不安とどう付き合うかという物語を描くモチーフを用意するといいのかもしれない。
「あなたの人生のモチーフはなんですか」

自分自身を学畜と称ぶ子どもたちはどう答えるだろうか。
まだまだ答えられないだろうか。子どもだから???

いやいや、「今」のモチーフがあればいい。
オトノネを響かせよう。

ーーーーー

エリートコースで自分が精神を患うか、かわりに子どもを精神病に追いやる人がいる。
子どもは大人を救う。
「代わりに僕が、私が、大人のやりのこした宿題をやるんだからね!」
大人は、宿題を子どもに背負わせていることに気づいていないことがおおい。
学校の先生すら、気づいていないのだから。
『アダルト・チャイルドが自分と向き合う本』
8歳、9歳から思春期までの子どもの発達課題(=お母さんの宿題)。
教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】
「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)
コドモとして未成熟なオトナ

働きだおして、死ぬまで子どもから離れられず、「親子」という仕事に子どもを巻き込む人がいる。
「真面目」という褒め言葉の裏には、闇がある。
現実の世界を観察する子どものコメント

ーーーーーーー

人と人が関係できない仕事がおおい。
人と人が暴力で結びつく仕事がおおい。

喜び合える仕事がすくない。
ハートワークが大切なのに、ハードワークのための組織がおおい。

親子関係すらハードワーク、ビジネスの原理にさらされている。
心がない親子関係が多い。お母さんも迫られている。魔王に追われているから仕方がない。。
といったら終わりだが。

ハートワーク、子育ての原理を強められないものだろうか。

ハートワークとは、、、、
自分の心を大事にできる働き方であり、暴力ではなくしあわせを生み出す仕事のことだ。
同じ職種であっても、ハートワークをしているところがあれば、アウシュビッツみたいにハードワークしている人もいる。
同じ組織の中にいても、ハートワークをする人もいれば、ハードワークをする人もいる。

子育ての原理とは?
心と行い、言葉と心が一致する生き方を指し示す。
ホンネの世界だ。ホントウの世界だ。

ハードワーク、ビジネスの原理とは?
お客さんを騙したり脅したり、無知を利用して陥れたり、買ったり、負けたりする仕事、生き方。

「学ぶ」という仕事は、ハートワークだろうか?ハードワークだろうか?
勉強する気になれない子??????

お子さんが正しい生き方をしています。
と僕は言い切りたい。

ーーーーーー

「社員のために」働くという経営者がいる。
なぜ社員がここにいるのかわかっていない。
お金のために??
そうして彼のしたことは工場の規模を大きくし、「外国人労働者」を大量に採用することだった。

会社を維持するために、他の会社を潰す。
これがビジネスの原理である。

「学び」がハードワークにしかならない学校は、学校という名に値しない。

—–

その仕事は、天職ですか。
あなたの個性値が、天の才が、どれだけ生かされていますか。
どれだけの喜びですか。

体を動かすのが得意なら、体を動かす仕事でいいでしょう。
神経質なら神経質でもできる仕事(神経質でなかったらできない仕事があります)でもいいでしょう。

あなたの個性値が、天の才が、どれだけ生かされていますか。

ふらふらと歩いていたら(ふらふら歩くというチャンスを生かしていたら)、生きがいを感じられる仕事がみつかった、という人もいるでしょう。

自覚なく、やってみて、感じていくのでもいいでしょう。

多くの心ある人が、心のない組織の一部になっていることを、僕は悲しくおもうのだけれど。

そこで本当に自分が生かされているのか。
組織は、個性を潰すのか、生かすのか。

そうやって、しあわせの在り処を探して行くことが、学び、というものなのかもしれないとおもう。

ーーーーーー

生活、は明治以降にできた近代的な用語。(だよね?)
暮らし、はもっと昔からあった。

生活という言葉には、いろいろな近代の魔王の呪いがかかっているかもしれない。
暮らし、という言葉を大切にしていきたい。

ーーーー

自分に目線を向けているときに、狂った人間が、魔王が、暴力を振るってくることは多々ある。
強さとは何か。大切なものを、しあわせの種を、守るチカラのことかもしれない。
大切なものがない人間に、強さはない。
大切なものがない人間は、虚しく暴力を振るい悲しみを世界に撒き散らすだけだ。

強さは得るものではなく、そこにあるもので、ただ「モチーフ」を目の前に多くだけでいい。
大切なものが、きちんと感じられているだろうか。

他人の評価に怯えていないか。
他人の暴力を恐れていないか。

世の中にいる多くの批判者から、お母さんは、お子さんを守れていますか?
お母さん自身が、お子さんを苦しめていることが多々あるから悲しいのだが。

多くの人間が、足を引っ張ってくる。
大人は子どもの足を引っ張っていないか。

大人の恐れが、子どもを傷つけることがある。
僕たちは、恐れていないか。

誰かを妬んでいないか。

そのごちゃごちゃした感情を、なんとかしてみませんか。

チカラになる

「弱くてもいいよ」という言葉があるが、そのうち強くなるから大丈夫。
弱くても弱いなりに暮らせるんだよ(強さはあるんだよ)ということだろう。
強くなるために、学ぼう。暮らそう。休もう。そして、話そう。
オトノネに来よう!笑

ーーーーーーー

運命とはなんだろうか。

運命とは、命が運ばれて行く道すじのこと。
歌って踊るしかない笑

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もし、本当に自分が好きなもの、やりたいものに巡り合った時、それは救いの時である。その仕事が、どんなに過酷でも、あるいは社会的に評価の低いものであっても、決してその人の自我が崩壊したりすることはない。不安になったり、無気力、あるいは異様の喪失などということは起こらない。ある意味では、そうした社会的評価とか、結婚式という形式とかは、真実は得られることがなかったことの代償にしか過ぎないかもしれない。本当のものに巡り会えない人間が、せめてそうした形式だけによって、ある種の満足感を得ているだけに過ぎないこともある。社会的に権威ある仕事に執着して、若くして燃える着る人は結構いる。

好きで始まった恋愛では、別れる時にしがみつかない。不安や寂しさが動機で始まった恋愛は、別れる時には相手にしがみつく。そしていろいろなトラブルを起こす。恋愛が始まって相手の言動に対する要求が多くなってきた時には、それは不安や寂しさが同期で始まった恋愛である。

仕事も同じことである。好きで始めた仕事なら、やめたほうがいい時期が来れば、つまり適切な時期が来れば、やめられる。部長の立場が、体にきつければ、やめられる。部長の地位にしがみつかない。しかし権威が欲しい場合には健康を害するまでする。好きなことではなく、名誉とか何かの心の葛藤から始めた仕事は、やめるべき時期が来てもやめられない。(p.135)

親と子の関係も同じだと思う。
子育てが「好き」かどうかを問うてみる。
いや、子育ては「好き」とか「嫌い」じゃないだろう、というかもしれない。
では、子育てを「やめる適切な時」はいつですか。
「お母さん」という立場によって満たされる感情はありますか。
子育てをしながらしていく判断の動機が、お母さん自身の不安や寂しさではないのですか。

42歳、病院の院長、有名医科大学を疎通業、大学病院に勤めた後、開業したくて開業し、今は病院の院長になった。全部夢が叶ったにもかかわらず、どうしよもない無力感に苦しんでいる。全てそろっている。形の上では満たされている。納得もしている。でも満たされないし、納得もしていない。

それが実存的欲求不満である。

「すべての努力に目標も目的もないというこの体験を私は実存的欲求不満と名付けました」それは本当の自分に出会ったことのない人である。自分の真実に出会った人間の強さを体験したことのない人である。

「生活のすさみと虚しさ、内容の空虚と無意味さの感情がそれです」である。
自分自身を裏切ってしまったら、社会的にどんなに成功してもそこに残るのは空虚感である。

ところで先の病院の院長の話に戻る。この恵まれた人が生きがいを持てないのはなぜか。それは現実に対処してこなかったからである。青年期の心理的課題である「興味の覚醒」を怠ってきた、自分を知る努力をしてこなかった。親の意思に従うことで、42歳になるmで生きてきてしまった。

自分に正直であることと、自分を知ることは同じことである。self-awarenessが重要だということは、自分に正直であることの大切さを言っているのと同じである。自分の実際の感情を偽っていたら、自分はどんな人間であるかがわからない。(p.138)

与えられるものは与えられた。
手に入れられるものは手に入れた。
それでも虚しい。

そんなお父さんお母さんがたくさんいる。
もしお父さんお母さんが満たされているならば、子どもも満たされて育つはずだ。
青年期の心理的課題をやってこなかったツケを払うことは、、、

大人になって、家を買ったり、なんだりして身動きが取れなくなってしまった後では、すこしばかり大変なことに感じるかもしれない。発達段階を無視した「定期テスト対策」をすると、人として学ぶべき大切な心が育たない。

ーーーー

「手離すタイミング」というものがある。
それは自然にやってくる、わけではない。
多くの人が子供を手放せずにいつまでも心理的に一体化したままである。
小学生のときが児童虐待のピークなのは、「9歳」を通過するからだと僕は思う。
この9歳で子どもは親を離れることを試みる。その時に「一体化」しているままだと勘違いしている親が、コントロールを続けていると、子どもが死ぬ。中学生、高校生になって虐待が減るのは、子どもが逃げられるようになるからだ。もしくは順応して完全に母子カプセルの中でしか生きていけなくなり、「ありのままの自分」を捨てる選択をしたからだと僕はおもう。

そして思春期を迎えられず、自立できない。
親の人生を歩む。
自分の人生を歩めない。
もしそういう人が結婚して子供を産んだら。
その子どもも自分の人生を歩めない可能性が高い。
世代間連鎖という。

僕はそれを強めて「世代間の宿題なすりつけ現象」とでもいおうか。

大人が子ども時代にやらなかった宿題を、子どもに背負わせるのだ。
子どもはもちろん、宿題をどうやったらいいか教わらない。
さてさて、、どうしたものかな?

ーーー

あるテレビ局の有名な司会者がいた。その人の名前がついた○○ショーという番組が長く続いた。そしてその○○ショーが終わって彼はうつ病になった。おそらく本当に司会が好きではなかったのだろう。もし本当に視界がs気なら、そこまで夢位になれば、司会の仕事はいくらでもあるはずである。

彼は自分の生きている基準を変更できないでうつ病になった。彼の毎日は、スケジュールをこなしている毎日だったのである。彼は感情で「行きたくない」「出席したくない」がない。調子が悪くてもいく。とにかくスケジュールをこなすことで安心する生活をしていた。

彼は全部やるべきことをしていた。疲れるという意識なしにやるべきことをやる。限界を超えて、そしてうつ病。我慢をしてスケジュールをこなしてきた。目的が外から与えられている。

うつ病には目的地についても達成感がない。うつ病になった彼は、視界が好きでなくても人の注目があったうちはいい。決められた通りに動いている自分が見えていない。スケジュールをこなしているだけ。この道も、あの道も、その道もなくて、やり直す知恵もない。そういうときに「あそこに行きたい」という気持ちになったら、自分が見えてきた。自分の意思で動き始めた。(p.140)

スケジュールだらけのこどもの環境。
小さい頃から「ひま」がない。やりたいからやったというのが本当かどうかもわからないくらい「お稽古」をさせられる。

「遊び」というものがあることを、知らない。

どこかで時間つぶしのサービスを受けること、与えられることを人生の醍醐味だと勘違いしている人がいる。
暇つぶしに塾に行く。暇つぶしに学校に行く。別に行きたくもないけど、何もないと何をしていいかわからない。
そういう人がたくさんいる。

暇を埋めようとする人がいる。
遊びの時間などもってのほか。
本当にやりたいことなんてわからない。
自分がしたいことをしたことなんてない。
なにそれ意味がわからないからとりあえずイオンモールに行こう、そこにはブラブラ虚ろげに歩き回る人がいるという考え方。

うつ病になるまで、「世代間の宿題なすりつけ現象」を続けるしかない。
立ち止まれるまで、エンジンが壊れるまで、飛び続けるしかない。
走り続けるしかない。

人の心とは、そういうものだとおもう。
体からのメッセージを拒み続けて、そのまま死んで行く人がいる。
本当の自分の心に出会えずに、人として生まれた喜びを感じられずに、死んで行く人がいる。

人として成長できずに、自分がやらなかった宿題を子どもに押し付ける親がいる。

ーーー

うつ病の規範意識の背後には恐怖がある。うつ病者は恐怖感から気は錦が強いだけである。
やるべきことをしなかったときの恐怖感。それが規範意識。

「これをしないとすごいことが起きる」という小さい頃の恐怖感を再体験している。
ある女性である。

小さい頃母親が「ちょっと、そこの物をとって」と言った時に、すぐにとらないと殴られた。それが彼女の大人になってからの焦りの原因だった。別の女性であるいつも「なぜこの問題を解けないの」と怒られていた。しかし解き方を教えてくれない。「私はやる気がなかった」という。泣いている時に母親は無理やり勉強を教えようとした。私は勉強が嫌いだった。学校が嫌いだった。それは周りが敵だから。

この女性は大人になって、仕事は「倒れるまでやる」と言う。燃え尽きた後にはうつ病になった。彼女は今までの自分の決意で道を選んでいない。

嫌なことを我慢するのが限界にきている成功者もいる。企業を興して成功する人がいる。自家用ジェットを持つ。お金を使うことが幸せと思う。でも何をやっても何かつまらない。心の中で楽しむ能力がないと、合コンでシャンパンになってしまう。毎日コミュニケーションして築いていくものを、ある講演を聞いて、済ませようとしている。(p.141)

多くのお父さんお母さんは規範意識に縛られている。
そこから外れたらどうなるかわからないという恐怖がある。
お父さんお母さん自身が規範意識から外れたことがないからだ。
規範の中で動いてきた。
規範から外れるのが怖い。
いい子ちゃんにしてきた。
言いたいことをいわないできた。
本当にやりたいことを我慢してきた。

自分が経験してこなかった世界が怖い。
自分が安心できないことは子どもにもやらせない。
という考え方なのだろう。

いやいや、あなたと子どもは違う人間ですからね笑
という事実一つがわからない。

世の中からのプレッシャー「子育て」という規範意識も絡んでくる。
がんじがらめだ。

子どもが、親を超えて成長することができない。
親が、子どもを自分以上の人に育てようとしない。
親の想像力、親の価値観の中でしか、子供が育たない。
人間性は、どんどん縮小していく。
子どもは自分がもっている命のチカラを使えない。

自分を失った子供は考えることがない。
ありのままの自分を見てもらえなかった子どもは自分の命を感じることがない。
ただただ、与えられたシステムに流されながら、合コンでシャンパンをやったりアルコールやら仕事中毒になって潰れていく。そこまでいかないで質素に暮らしているとしても、規範意識のなかで狭苦しく鬱積したエネルギーははけ口を求める。

子どもが犠牲者になる。

精神的な虐待である。
あまりにも多くの大人が子どもをいじめたり、虐待しているので、みんな逮捕したら日本は潰れるだろう。

ーーー

自分自身の目的を持つ。
何になりたいかではなく、自分は何者であるか、それが「青年よ、大志を抱け!」の前提である。
それがわかれば宝くじ以上。宝くじに当たった人は不幸。自分の力を用いた人は幸せ。愛されることではなく愛すること。認められることではなく、認めること。理解されることではなく、理解すること。人の顔色を伺うのではなく、自分で決心をし、自分で責任を取る訓練をすること。これが他人に重心があるのではなく、自分に重心があるということである。

自分に嘘をつくな。自分を好きになれ。手抜きしないことは何か辛く感じないでできたことは何か。疲れていてもしたことは何か。人が期待したことをするのではない。自分がしたいことをする。同じことをしているの鬼、他人は続くが自分は続かない。楽しくない。(p.143)

オトノネの座右の名である。

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基本的依存心と自由への渇望の葛藤を解決しようとする。その試みが本質的に失敗したのが神経症である。

毛に主義的親の場合には、子どもは親を深く内面化してしまう。その内面化された親から抜け出すことが難しい。どうしても親の期待した人間になろうとする力が働く。親に喜んでもらうことが生きている意味になってしまう。親の期待した人間になるこどが大きなプレッシャーになる。

子どもにとって失敗が大きな打撃となるのは、親が子どもの失敗を望まないからである。大企業に就職してうつ病になる。あるいはエリート官僚になって自殺するなどの人たちは、おそらく彼らの性質としてはそのようなコースが適していなかったのだろう。

しかしどんな自分の適正に反しているとはいえ、それが親の期待するコースであり、そのコースを進むことが彼らの人生の意味であり喜びになってしまった。この二つの矛盾をカイケルできないままに、最終的に挫折していったに違いない。(略)

カレン・ホルナイの言うように、基本的不安感を持つ人は、優越することが「緊急の必要性」である。それなのに、優越できない。そこで神経症的自尊心を持った人は自分の独自性の強調を始める。(p.148)

「子育て」を失ったら、子どもに対する自分のコントロール権を失ったら、、、何をしたらいいんだろう?
子どもが「ちゃんと」「立派」になったことを周りの人に見てもらうために情熱を注がずに、何をしたらいいんだろう?

お父さんお母さんのもつ人生の虚しさを埋めるために、子供を利用しているお父さんお母さんが多い。
本当に充実している、満たされている、「生きている」親を持つ子どもは、しあわせだ。

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答えをほしがる世の中です。
何が正しいのか、正しいことを、安易に求めようとする世の中です。
その答えを他人に求める規範意識が強いお父さんお母さんがたくさんいます。

けれども人生はその人のものです。
世の中に一人として同じ人間はいないという事実を認めていますか。

いろいろなことをするから、自分にはこれが向いていないとか、これには向いているとかがわかってくる。(略)そういったことを体験するから、自分は政治家には向いていないなとか、作家に向いているかなとかわかってくる。詩人がよいわけでもなく、政治家がよいわけでもない。どちらが自分に適しているかと言うことだけである。その適性は体験からしかわからない。自分んは気が小さいとわかるから、自分の人生の洗濯ができてくる。政治家にでもなれば鈍感なことがものを言うであろう。しかし鈍感なことがよいわけでもない、繊細なことがよいわけでもない。

自分が繊細であるか、鈍感であるかは、何もしなければわかるはずがない。自分は何に向いているかなど体験からしかわからないであろう。(略)

自分の弱点を受け入れると自分の長所が見えてくる。自分の弱点を受け入れると頑張り方がわかってくる。自分の弱点を受け入れないと、頑張って努力しても最後にはノイローゼになることが多い。

「競争がよいか悪か」という議論は的を得ていない。

詩人の適性をもった人が政治家になり、偉くなろうと権力闘争をしてはならない。またビジネスパーソンになり、出世競争をしてはならない。しかし、詩人同士で良い詩を残そうと競争するのは結構な話であろう。お互いに同じ適性を持った人たちが競争するのは望ましいことであるが、自分の適性をまげて頑張るのは望ましいことではない。繊細な人が、鈍感な人と競争して頑張ってはならない。(略)

自分に適した仕事がある。しかしそれでは自分が満足できない。自分の傷ついた自尊心が湯うるさない。自分の能力に適した仕事では、小さい頃、受けた心の傷が癒されないのである。人にはそれぞれ天職といわれるものがある。心に葛藤のある人はそれを無視する。(p.159)

====

こういうことが、感じられないから、みんな子どもの天の才を潰していく。
そうして今の日本ができた。
不安だらけの、人間の世界。
まぁどの時代でもそんなことは多々あった。
人間とはそういう存在なのだと割り切るといいかもしれない。
だとしたら、オトノネは何をしたらいいのか?
それこそ、自分のしたいことを、やりたいようにする「今」この過程を通じて、実験しているところ。

====

私的な生活を需実させることと自分の神経症的な野心を達成することとは、全く違った価値観の世界のエネルギーの使い方である。仕事の能力はあるが生きる能力のない人は、自分の名誉を求めるためには惜しみなくエネルギーを使うが、自分の子どものしあわせのことにはエネルギーを使わない。(p.165)

多くのお母さんには、なんのことかわからないことだとおもいます。

「子どものしあわせのために」なんでもやっていると、勘違いしているのです。

難しい漢字で書くと、自己欺瞞です。


「子どものしあわせのために」ではなく、「私自身の不安や不満、自尊心や神経症のために」子どもを利用しているだけだと気がつかないのです。
子どもが、お母さんのために、心も体も捧げて、お母さんの不安や不満、自尊心や神経症の犠牲になっていることに、気づかない。

子どももそのうち、無感覚になってくる。
犠牲になるのが当たり前になってしまう。
あまりにも慢性的な「心の喪失」状態に、子どもの心が耐えられなくなり、閉ざす。

命をお母さんに渡してしまう。
お母さんはそれで輝けるのかといえば、輝けない。
ただ、子どもの命を浪費するだけ。
子どもの輝きをお母さんの心の中に閉じ込めて鈍い光に変えているだけ。

そういう状況にいる親子が多すぎる。

オトノネどころではない!??

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引用しまくって長くなっているけど続けます。

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生きがいを持って生きるうということは耐えず成長していくということである。それは成長に伴う不安との戦いでもある。
不安と不満の選択で不満を選べば、生きがいは無理である不満で文句を言っているのが心理的には楽であるが、生きがいはない。人間は矛盾した存在だから、どうしても不安と不満の選択を迫られることが多い。成長欲求と退行欲求の葛藤は人間の宿命である。生きがいとは葛藤の中で成長欲求に従うことである。ということは退行欲求を乗り越えることである。(p.169)

生きがいのある人生を選ぶか、虚しい人生を選ぶか。
時として体が決断することがある。
体が、主張することがある。

それが精神病であり神経症であり、うつ病であったりする。
それを薬でとめて、心のメッセージを読み取らずに虚しい人生を送るか。
それを子どもにふっかけて、子どもの命を喰らうか。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

私たち世俗に生きる者にとって経済的利益があると言うことは大変な魅力である、そこでお金が入ることいなるとついつち浮かれ出す。バブルの時代の日本の企業のようなものである、しかしそうして大切なものを失ってしまう。生きがいと経済的利益が両立すれば問題はないしかし残念ながら両立はなかなかしない。少なくとも両立はしないと覚悟を決めた方が良い。

結果として両立すれば良いが、それは目標とすべきことではない。

ちょうど好きな人と恋愛結婚をして、快適な生活を望むようなものである。たまたまそうなるのならよいが、はじめからそんなことを望んでいれば、両方を失う。まさに「二兎を追うものは一兎をも得ず」である。ジブ運に適した仕事で経済的条件の良い会社などあるはずがない。(p.176)

世の中不安だ、だから子供には・・・・というお母さんがいる。
世の中の不安をより強くしていることに、気がついていない。
不安な社会をお母さん自身が助長していることに気づいていない。

お母さん自身が自分らしく生きられなくて、子どもに「やりなおし」をさせていることが多すぎる。
「私の時はこうだったから、この子をこうさせたら、こうなるのではないか」という、子どもをつかった「自分の人生の再実験」をしているお母さんが多いのです。

その願いは、あってもいいでしょう。
「私はまだ不満だ。だから子どもは満足できるように、もっと、もっと。。。。
もっと不満を拡大しますか?笑

自分の宿題は自分でやりましょう。
一人では難しいのはわかっています。
なのでオトノネで一緒にはじめませんか。
お母さん自身が自分の生き方を見直すことが、お子さんのしあわせになります。

長いこと「あることだけ」をしていると、脳のその分野だけが活動し、その分野だけが発達して全体としてバランスがとれていないことがある。スポーツばかりではない。勉強でも同じである。有名大学にはものすごく勉強しないと入学できない。その勉強も、ほとんどがいろいろなことを覚えているだけである。受験勉強をどんなに頑張っても、それで生きる能力が高まるわけでも何でもない生きる能力というう視点だけから考えると勉強の仕方によっては「その勉強は無駄」としか言いようがない場合がある。生きる能力とは、脳のいろいろな部分が正常に働くことである。(略)生きる能力とは運動も勉強も全体として脳が正常に働くことであるう。長い人生で、どうしても不得意領域に拘らないではいられないという時期もある。そういう時は、今自分は仕事の能力を高めているのではない、生きると言う能力を高めているのだというように、仕事を自分の人生の中で位置付ける。「仕事と私的なこととどちらかを重視する」という問題ではない。(p.205)

勉強は、成績を上げるためにするのではない。
自分の生き方を見つけるプロセスだ。
自分の全体を見る経験だ。

自分の個性、特性を知ること。
自分の限界を知ること。
自分の本当の気持ちを知ること。
自己決定すること。
自己選択すること。
積極的自己責任を負うこと。
責任
「責任」という言葉について
学校の責任と義務(責任について・・・いくつめ?)

オトノネがやっていることだ。

学校では学べない。

学校で何を学ぶのか?
無気力を学ぶ。
作業を学ぶ。

学び方は学ばない。

学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら『よくわかる情動発達』
学習性無力感・学習性無気力とは?
「絶対無理!」症候群!無気力の原因は?

定期テスト対策だけしかしない。
その子の全体をみない。
すべてが数値化される。
点数化される。

そして「あの子は何点だ」という世界。

劣等感
見栄
愛情飢餓

自己阻害され、他人とのつながりをつくれない人にとって、最後の砦は自己栄光化である。それによって自分の安全を守ろうとする。これが包括雨滴神経症的解決「a comprehensive neurotic solution」である。これに失敗すれば自殺するだろう。霞ヶ関のエリート官僚の自殺がこれではないか。日常生活のいろいろな悩みを一気に解決するのが包括的神経症的解決である。神経症的傾向の強い人にとって、それが仕事である。仕事で自分を栄光化することで、心の葛藤を一挙に解決しようとしている人がいる。そういう人にとって、心の葛藤を解決する手段が仕事である。(p.213)

子育てというものを、仕事として作業しているお母さんがいる。
「いや、そんなことはない!」というかもしれない。

心が大事。

子育ては仕事ではない。生きるという本質そのものだ。
生まれてきた子どもの子育てを、与えられた仕事だと勘違いしていないか。
子育てが、本当は嫌なんじゃないか。

しゃーなしでやっている。
他の誰もやらないし。
私がやるしかない!

と感じていないか。
子育てがストレスになっていないか。
あれも「しなくちゃいけない」
これも「しなくちゃいけない」

心が病んだ人の自己栄光化の特徴はあくまでも動機である。なぜ自己栄光化を求めるかと言うことである。神経症的自己栄光化の特徴は行動特性であって、性格特性ではない。神経症者が自己栄光化にエネルギーを注ぐ時には、日常生活が疎かにされる。(p.214)

日常生活ってなんだろう。
「生きるに値する暮らし」のことではないかと僕は思う。

お母さんの暮らしは、生きるに値しますか。
子供がいなければ、生きている意味がないですか。
それは病気なので今すぐ休んでください。

「ちゃんと」子育てをしたという証明がほしい。みんなに「子育て」で認められなかったら不安になる弱い心がある。
だから高校にも「ちゃんと」行って、大学にも「ちゃんと」行って、いい会社にも「ちゃんと」いって。。
規範意識の中で、「ちゃんと子育てした」という承認がなければ自分が傷つけられてしまう。
こどもを「ちゃんと」育てなかったら・・・

そこに子どもの意思はない。
子どもの意思を「ちゃんと」尊重しているようで、「ちゃんと」コントロールしている。
子どもは自分で考えられない。意欲も持てない。何をしていいかわからない。
スケジュールは管理されて、選択権がない。

劣等感で生きているお母さんに育てられた子はもっと深い劣等感の中で生きる。
自分でやらなかった宿題を押し付ける大人が、多い。

包括的神経症的解決としての子育ては、まさに「仕事」であって、よろこびでも生きがいでも幸せでもない。

発表会で自分の子を自慢することで自分の劣等感を埋め合わせる。
テストで点数が取れないと自分が評価されていないようで腹をたてる。
(もちろん先生からは、暴力的な言葉を言われるだろうが、劣等感をもっているから甘んじて受けるしかない。それを子どもにさらに押し付ける。)

子どもを塾に連れていき、親が自分自身の劣等感から解放されたい、解決したいとおもう。
そういう親を、世の中では毒親といいます。

悩んでいるときににはことに小さなことをきちんとすることが大切である。さらに「小さな仕事をうまくこなす人間を見つけたら、大きな仕事を与えて見ること」というのも先の本の中にある。小さなことが大切ということがわかるようにならないと充実した人生をおくることはできないし、もちろん仕事もできない。「することが見つからない」と悩んで相談に来る人がいる。なぜすることが見つからないかというと、自分を偉大に見せることばかりをしようと考えているからである。「することが見つからない」と悩んで相談に来る人は自分のできることをしようとしないで、自分の威信を高めることばかりをしようとする。そしてそう悩む人は小さなことを一つ一つ地道にしていく努力ができない。楽をして偉人になろうとしている。

カレン・ホルナイの言葉を借りれば、登山を望まないが、山の山頂に行きたい

生きがいとは、何かを求めて何かをしようと思う心なのだが、神経症者は何かを求めるのだが、何かをしようとしない。(p.217)

心の渇きを癒すものは日々の努力によってしか得られないある日突然自信を持てるなどとはおもわないこと。(略)カレン・ホルナイが言うように神経症者は自己栄光化の家庭で現実に対する感覚を失っている。小さいことをすることで神経症から普通の人の感覚を取り戻す。あなたの位置は「ここですよ」と言うことも教えてくれる。神経症者は想像の世界に行ってしまい、現実とは関係なく自分をすごいものと想像してしまう。カルト集団がその典型である。(p.218)

目の前の現実、子どもの心がみえていますか。

人間関係を始め、悩んでいる人は身近なことをきちんとすると言うことから出発していけば、かなりの部分、解決することが多い。親の愛情を感じられないままで学生時代になる。そこでも人間関係の訓練ができていない。さらになんの準備もないままで会社の人間関係に入っていく。会社に入る前にいろいろ体験していて、うまく生きていけるようになっていない。要するに心理的にまともな人間に成長しないままで、いきなり社会的に仕事を始めている。(p.227)

そこで自分の子ども時代に違和感を感じて、振り返って、自分で人生をやり直せる人がいる。
そうでない人もいる。

オトノネに関わってくれた人の中でも、紆余曲折で、今まさに、大人になってから、自分はこれからどうしようか、自分の人生を見つけ出した人がいる。その人は、長い長い時間、休んでいた。休みながら、いろんな人と関わっていた。その中で、問いかけていた。問いかける心を大事にした。感じる心を大事にした。

そういう時間も、新しい人間関係もなく、ただ同じところで窮屈な価値観の中で過ごしていたら、出て来るものもでてこない。
一生を、棒にふる。

僕自身、「やばい」とおもったら逃げてきた。
自分の能力の限界、環境の中で最大限生きる限界を引いて、マズイとおもったら、別の環境に移ってきた。
それが自分を守る自分の方法だった。
変えていく中で、学んで行った。
決して日本では学べなかったであろうことも、海外で学んだ。
決して日本では感じられなかったであろう生きる感触を、海外で学んだ。

大人になってから、親の選択、親の意思から離れて自分で生き直すのには、長い長い時間がかかる。
だって、子どものころにやれなかった宿題を、親の分まで、やらなくちゃいけないのだから。

子どもは、たくましい。。。

人々の心の中で、野球がイコール人生になったり、会社がイコール人生になったりしていることが問題なのである。野球の能力と生きる能力とは違う。会社で活躍する能力と生きる能力とは違う。仕事で挫折した時には生きる原点に戻ることである。(p.231)

挫折してから、堕落して落ちきってから、オトノネにきてください。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)
義務教育学校の本当の意味とエリート社会と堕落と、子育ての2つの考え方。残酷な考え方。

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