環境と遺伝と自己(もしくは意志・人格)

意志(人格)は遺伝子にとっては環境と同じみたいだ。

とふとおもう。

意志(自己)が遺伝子のお世話をする、とおもったら、人は誰でも、自分という子どもを育てているのかもしれない。

遺伝とか、エピジェネティクスとか、人体のしくみを学ぶと、「私」というものは「遺伝子」にとっては他者のようなものだと、おもえた。

遺伝子が僕らの人格(意思決定装置)をつくる反面、私たちも民主的に、遺伝子と関わることができる。

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こういうファンタジー、虚構、物語の世界を書き下したらおもしろいかも。

「生きるための生物」
「生きるための数学」

生きるためシリーズ。

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神経細胞の発火の仕方は遺伝子レベルで決まっているんだろうか。
神経細胞もDNAをもっているのだから、脳のはたらきを遺伝子で説明することだってできるだろう(まだ詳しく分かっていないらしい)。
脳は情報を記憶するのと同様に、環境に応答するやり方も記憶している。

脳に対して、遺伝子と意志は対等だろうか。

人間づきあいを変えるのも大変かもしれないが、遺伝子づきあいを変えていくこと、再構成していくことも、大変だとおもう。

遺伝子にも自分にも「OK!」を出したら、もうすこし生きやすくなるんだろうか。

とふとおもう。

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そんなことを考えたりしないでも生きられるのだろうに。

ねぇ、デオキシリボ核酸くん。

オトノネひろげるシェアぼたん

とある魔術の禁書目録【ファンタジーのリアル】敵がみえない世界。敵を殴って倒せない世界。

生徒から教わることがたくさんある。

日本という国の歴史を「未解決事件」を通じてまとめようとしている子がいる。
事件の裏には、「不都合な真実」がある。誰にとって不都合かといえば、「上級国民」と言われている人たち(魔王)。

僕が衝撃を受けたのが、プチエンジェル事件。
「上級国民」に虐げられた少女が口封じのために殺される、犯人もそれを取り巻く魔界の人たちもうやむやにされて未解決になった事件。
もちろん、警察も魔界に属しているため、追求はしない。

アメリカのトランプさんが発信している、といわれている(よくわからない)「Q」情報など、未解決も含め、僕らの手の届かない(ようにみえる)ところで大きなチカラが動いている。

僕は諦観をもつ。
「しょうがない」と。

おもいながら、心のどこかで、、、、

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最近、夜なべをしながら見たアニメがある。

「とある魔術の禁書目録」というライトノベルをアニメ化したものであるらしい。
日本のアニメ、漫画の哲学というか、深さを感じるものが多い。こっちの世界が、リアルに近い気がする。

で、

主人公の男の子は「魔術を無効にする」チカラをもっている。
おかげで、幸運すら無効にしてしまい自分は「不幸」なのだが。、、、

自分を不幸にするが、他の人にふりかかる悪い「魔術」を無効化していく物語。

チカラというものは、使い方、関わり方なのだ。。。
そのチカラが自分には不幸に働くかもしれないが、他の人の助けになる。

主人公が、戦っている相手に対して「説教」をする場面をつくってくれている。
それが結構、僕自身にも響くことがある。

アクセラレータとの2回目の戦いが、僕には印象的だった。

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と同時に、大切な人がいて、敵がいて、その人のために戦えるということは、どれほど頭がすっきりするのだろうかとおもう。
(勇気を出さずに弱いものいじめをする人もちょくちょくでてくる。大切な「別の誰か」ではなく「自分の欺瞞を守る」ために人を傷つける人たちだ)
(ちなみに主人公の決め台詞の一つに「お前の幻想をぶち壊してやる!」というのがある。彼の右腕のチカラはイマジンブレーカーと呼ばれている。誰もが幻想を持って生きるもので、闇の中のかすかな光の暖かさを求める人と、闇のなかで落ち着く人がいる、どちらも、反対側の人間からすれば幻想と呼ばれてしまうものを求めているとしたら、、、結局、善悪もないし、戦いも終わらない。。???)

大切な人がいる、けど、敵が目の前にいない、というのが、現代を生きる人たちの状況だとおもう。
殴る相手が、目の前にいない???

組織、文化、、得体の知れない敵の「所在」のなさ。
未解決事件にしても、児童虐待にしても、「敵」は空の上にいて、対峙することができない。

とおもうと、諦めてしまう。
そういう気持ちもわかる。
振り上げた腕を、どこにふるえばいいのかわからない。。。。


わからないで鬱積してしまう。

が、

「とある魔術の禁書目録」の主人公は、とにかく目の前の「相手」を殴る。
殴って、魔力を無効化する。

とにかく目の前で泣いている、悲しんでいる、助けを求めている仲間、大切な人のために、戦う。殴る。思いをぶつける。
(この主人公は、思いをぶつけて、ちゃんと向き合って戦う、だから後で仲間になったりするからまた気持ちいい)

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アニメの世界、ゲームの世界では「相手」がはっきりしている。
はっきりしていたら、攻撃できる。

「相手」がはっきりしないことに、みんな困る。
だから西洋医学は「相手」を見つけようとして心も体もバラバラにしてしまったし、
「悪口」をSNSで呟きまくる人たちも「相手」をみつけて攻撃する。

ゲームは「敵」がきちんと出てくる。
ちゃんと自分のチカラを使える。
(ただし、誰かがそれで笑顔になるとか、助かるとかいうものがないのだが)

自分のチカラをどう使ったらいいのか、どう試したらいいのか、どう高めたらいいのか。
大人も子供もわからずに、ただただ働いていないか。

働きながら、大切なものの感覚を失っていないか。

オトノネは、誰もが「チカラ」をもっていて、そのチカラを理解する、使い方を知るということを大切にしている気がする。
「成績を上げる」という目標でもいいが、それで「大切な「別の誰か」ではなく「自分の欺瞞を守る」ために人を傷つける人たち」を増やそうとは思わない。

大切にしたい人が少なくなった。
大切にしたい人がいない。
大切にするために魔王と戦うチカラがない。
魔王と戦うチカラの使い方がわからない。

そういう世の中なのだとおもう。

おとのねさんも、オトノネで学んでいる。

僕がオトノネをつくったのは、「選択」ではない。
ただ、大切にしたい心を、大切にしただけだ。

「選択」をしようとしている間は、どうにも、心は落ち着かないものなのだろうとおもう。
ただただ、心を大事にしたらいいのだと、おもう。

自分を、自分を、、、自分を。自分。

そうだ、この主人公に、僕は説教されている感じ。

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生徒が「20万人が闇に飲まれている」と言った。
え?どういうこと?と質問した。

「幸せ」ってなんだと思う?それはね、お風呂でおしっこをぶちまけることだよ
とのたまうyoutuberのチャンネルに20万人登録している。というお話。

(こういう会話を夜なべして耳にしている子どもがいるんじゃないかとおもうとさみしくなる)

このyoutuberがおもいっきり「自分」を出すのと同じぐらい、僕も「自分」を出したらいいんだろう。。。。
心を大事に、その最大限の努力の僕自身の限界を、創造性を、僕はオトノネで試しているのだとおもう。

お風呂でおしっこをぶちまけるのもなかなか「しあわせ」だとはおもうが。
僕はもっとべつの「しあわせ」を探している。

painful world と名付けた楽曲があったのを思い出した。

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子どもがいじめられていたとしよう。
いじめはとても「自然」なものなのだが。お母さんは「怒」ってもいいとおもう。そうでなければ、「悪いことをしている」「もっといい方法がある」という学びのきっかけをその先生から奪ってしまうかもしれないから。
魔王は学校にはいない。だけど、目の前にいる、魔界の呪文で心を失っている先生を「殴る」ことはできるだろう。

正気に戻れよと。

怒っていい。

僕もこれから、オトノネに狂ったお母さんが来たら、怒る(怒りを伝える)ことにした(怒鳴るわけではない)。
(学校の場合は真剣に受け止めないと後先があるからだけどオトノネ は嫌だったら来なければいいから、ダメかな、、、伝わらないかな。いやいや、感じるはず。心に留めて置いて欲しいから。こんどから怒る徳はちゃんと怒ろうとおもおう。そのやり方は、カウンセリングではない。そもそも僕が怒りを感じる人は「学ぶ」構えがない人間だから、びっくりしてもらって構えを変えてもらうのがいいんだろう。「学ぶ」のが嫌な人がいるが、嫌なら帰ってもらえばいい。もうお人好しになるのは、やめようと思った。)

お母さんは、先生も育てなくてはいけないような。
人間というのは、誰もがそうやって手のかかる、世話を誰かに焼かれないと学べないものなのだろう。

全部お母さん、お母さん、、、お母さん、、、、ねぇ
【学びのプロセス】先生によるいじめとは何か『生きる技法』『経済学の船出』安冨歩

オトノネひろげるシェアぼたん

富山県で家を買ってローンという借金をして得たものは何か【大人の宿題】も完全個別×子別

このブログを書いた後で、「ああ、僕は今、怒っているな」と感じました。
どうにもできない、自分への怒りです。

あまりにも大きな、一足飛びに解決できない歯がゆさ、無力な自分への怒りです。

そこのところを了解してもらった上で、読んでいただけたらいいかともいます。

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家を買って、、仕事をして借金を返して暮らす多くの富山県の人たち。

富山県で共働きが多い理由を考える。
【ある古老の語る仮説】富山県で共働きが多い理由。

そして、子どもが・・・家に、閉じこもる。(いやべつに、いいんだけどね)
ひきこもるとは。不登校の機能。

家を守っているんですか?
子どもを守っているんですか?

何を、買ったんですか?
あなたの買った家の、価値は、なんですか。

家のリッチネスを、使っていますか。
家が、牢獄になっていませんか。

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こんな質問をされたら、「うっ!」となるだろうか。

困っているけど声を出せないお母さんなう
言いたいことが言えない。

大人の宿題、大人の学びを、オトノネは大切にしています。
学ぶための、考えるための、いろいろな知識というものがあります。
考えるにせよ、学ぶにせよ、「知る」ことは大切です。

ただ、「知る」ということ一つも、「学び」の一部であって、ほとんどのお母さんたちがやりのこしている【大人の宿題】だということを、多くの人が知らないのが現実です。
↓下の記事は難しいと思うので簡単にいうと、「現実の世界をみようとしても、感じようとしても、心がブロックされていたら、学べない、見えない、感じられない」ということです。
【暗黙の次元って何?】安冨歩さんの『複雑さを生きる』『合理的な神秘主義』のメモ

「学び」が始まるには、、、「堕落」が一番だと、今はそうおもいます。
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

もしくは、「言い訳」をしている自分に気がついて、「飛び降りる」こと。

変わるというのは、そういうものなのだ。
だから、富山県は変わらない。
日本は変わらない。

変わるのは、人間しかない。

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富山ブラックにはいろいろなしかけがある。

家を買うことになっている。
「ローンを組むことになっている(この言い方は、経済界の作った呪いであり、正確に言うと「借金を背負うことになっている」)」。
共働きすることになっている。
「内申点」で学校から脅しを受けるようになっている。
お母さんが、不安になるように、作られている。

富山県の「どうしようもない」文化が、制度が、子どもを「どうしようもない」状況に追いやる。

たぶん、子どもは保育園で不当な扱いを受けているだろう。(残念ながら、僕の目から言わせれば、、、、社会福祉法人という組織自体が狂っている。そこで働いている人で、狂っていない人がいたら、奇跡的だ)
それでも、何が起きても、子供をお母さん自身が守ることができない、らしい。
なぜなら、借金を返すために、仕事をしなくちゃいけないから??????????????????

「どうしようもない」

「どうしようもない」

どうしようもない?

ということで、悪口を言ったり、愚痴を言ったり、息抜きに励むようになる。

「どうしようもない」

その無気力、無力感で富山県は、というか日本という場所は満ち溢れている。
学習性無力感・学習性無気力とは?
【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。高岡高校の生徒はなぜ自殺したのか。
富山のメンタルヘルスと「怪獣」
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
ブラックはラーメンだけでいい。学校はホワイトであってほしい。

そんななかで、独自の進化笑を遂げる人もいる。
ひとりひとり違う。

だが、富山という文化で育った心が「自然」と向かう先は、他者に付合することだ。(富山に限ったことではないが)
自立する、選択する、積極的自己責任を負う、といったメタスキルが弱いから、自然と生きる知恵として「決められたことをする」生き方になるしかない。
教育衰退国、富山で生きる知恵だ。(日本が全体、そうなっているが、富山はまたかなりヒドイ。そのデータ、根拠は随所で出しているので探されたし)
「育英」に入れる、というのも、知恵の一つだ。だって、判断する力が、行動する力が、弱いのだから、与えられた情報だけでやっていくしかない。

だがその「知恵」が、子どもの「命」を輝かせるかは、また別の話だ。

「宿題はやらなくちゃいけないものだ」という「知恵」が、多くの子どもたちの心をすり減らしている。
「家を買って借金を背負う」という「知恵」が、多くのお母さんの心をすり減らしている。

これは、事実だと、僕は思う。(そう見える人には、そう見えている)

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人は皆、誰もが、投資をしている。
借金をして家に投資したなら、家からいいものをたくさんもらったらいい。
もらえるだけの投資をしたらいい。
そうして「安心」のために塾に行かせるお母さんがやたら多いのだけれど。

家に投資をした。
それだけ大きな額を投じた。
であれば、投資をした分だけ、そこから得たらいい。

得られないとわかったなら、、、借金返済を長引かせて子育てが終わってから「宿題」として返していくのはどうだろう?

人は皆、投資家。
「自分」という資産の価値を理解した人間が、別の価値と出会い、自分の価値を上げていくプロセス。

たとえ、それが「お金」でなかったとしても。

「もの」に価値を感じる人がいる。
そういう人はブランドとか、見た目、にこだわる。

「もの」ではないものに価値を感じる人もいる。
そういう人は、旅行とか、食事とか(「もの」か?)、そういうものにこだわる。

あなたにとっての「家」の価値はなんでしょうか
投資した分だけ、その価値を享受しているでしょうか。
(僕だったらその家が子どもの心を豊かにするために、そして僕自身が研究するのに勝手がいいようにつかわれるだろう。「家」だって「組織」だって、生かすのも殺すのも人間次第)

もしかしたら、それだけ大きな投資をした「家」をきちんと使ってあげたら、うまくいくことがあるのかもしれない。

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一人では愚痴もいえない人がいる。
(そもそも愚痴は一人でいうものではないが。。。)

「なんか違うんだよなぁ」と思いながら、その感情を、情を、どうしたらいいかわからない人がいる。

答えはない。
答えは人からもらうものではない。
ただ、ひとりでは「自分の答え」がなかなか出せないのも事実。

そのプロセスが、ひとりひとり違う。(だからオトノネは完全個別×個別)

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ある人は、「いいもの」を感じることもできない。
ある人は「わるいもの」を感じることしかできない。

「いいもの」を感じる心が、潰されてしまっている大人がたくさんいる。
誰かから与えられた「いいもの」に合わせて心を潰している大人がたくさんいる。
(「学校の宿題はやらなきゃいけないもの」だとおもっている人がたくさんいる)

子どもはもちろん、その影響を受ける。
不登校やら、ひきこもりやら、ネット依存やら、なにやら、大人たちが「わるい」とおもっていることは、たいてい「いいもの」を潰されている子どもたちから出た、心をまもるしくみであって、まったく「わるい」ものではない。

僕は逆に、「いいもの」だとおもっている。
それをきっかけにして、大人がどう感じるのか。
感じ直すのか。

これが大人の宿題だ。

どんな生き方をしたいですか?
どんな声をあげたいですか?

日本国富山県ではこういう問いを発すること自体が「不自然」に感じられてしまう文化がある。

お母さん自身が、「ああしなきゃ」「こうしなきゃ」「しかたがない」でいっぱいになっていて、「いいもの」を受け付けられない文化がある。

お子さんと一緒に最後に笑ったのはいつですか。
お子さんの表情をみて、はっとしたのはいつですか。
お子さんの成長を感じられたエピソードはなんですか。
お子さんの話を聞いて、感動したことはありますか。

これが大人の宿題の、基礎の部分だ。

カリキュラムつくろうかな笑

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大人の宿題は、なかなか大変だ。

家を買ってしまった。
借金をしてしまった。
借金を返さないといけない。
お母さんもあくせく働かないといけない。
子どもは・・

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お金でなんとかしてください。
仕事をしているんでしょう?
お金を稼いでいるんでしょう?
なんのために?
家を買うために?
じゃぁ、その家をつかって、ちゃんと満足して子育てをしてください。

こうやって、突き放すこともできる。
(相手が気づく速度、感じる速度を無視して、殴りつけること、暴力)

「家に価値がある」から買ったんでしょ?
それで子どもが困ってる?お母さんが困っている?
自業自得だ。

こうやって、頭で考えることもできる。(言葉で殴りつけることもできる)

「家」のせいにすることができる。
「学校」のせいにすることができる。
「富山」のせいにすることができる。
「日本」のせいにすることができる。

で、「自分」は?
今ここで、この記事を読んでいる「自分」は?

自分自身の大人の宿題を放り出しておいて、「自分」を棚に上げておいて、何かのせいにしたい気持ちもわかる。
それだけお母さんは、アウシュビッツ状態だ。
アウシュビッツは自由・平等・平和の象徴か。

だがしかし。

お金を払って買った、借金を作って買った家に、子どもを閉じ込めて、お母さん自身を閉じ込めてしまっていないか。

それも、現実かもしれないということを、感じられるだろうか。

現実だと認めて、ではどうするか。

これが大人の宿題です。

踏み出したお母さんを、オトノネは応援します。


ーーーーーー

ぼくたちはたびたび、「外」に解決策を求める。

まぁ、一人で心は変わらないとおもうからしょうがないのだが。

だが「外」に原因を求め、「外」に解決策を求めているだけでは、足りない。
悪口ばかりいって、誰かのせいにする何かのせいにすることで何かにすがることで自己欺瞞を続ける人は成長しない。

いやまぁたしかに、「外」に向かうことで解決することはあるかもしれない。
けどそれは正確に行って、解決ではない。

「外」で心を大事にすることを学んで、再び「内」に行けるかどうか。

場所を変えたら、例えば日本を出たら、「沈黙の文化」を使わなくていい、とかそういうものはある。
子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??
大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

僕自身が、日本では感じられないことを、日本の外でたくさん感じてきた。
それは、僕の場合。

学びのプロセスは、ひとりひとり違う。
だからオトノネは完全個別×子別です。

ーーーーーー

学ぶか学ばないか。
自分ごとにするか、他人事にするか。

頼ってもいい。
けどそれが学びにならなければ、ただお互いに、人間性を、心をすり減らしていくだけだ。

それでは塾や学校と変わらない。
【ビジネスの原理】情を売る。

頼ってもいい。
ただその中で、学び取らなければ、ただただ、「命」を消耗するだけだ。

メタスキル という言葉は、「学びのための能力」と僕は簡単に説明している。
「学び」の回路を閉ざしている何かを、取り払うことで、この回路は動き出す。

だが富山の文化は「学び」の回路を閉ざすようにできている。
(「内申点」の異常な高さは、富山ブラックの象徴だと僕はおもっている)
富山県立高校入試の内申点の配点が異常に高いことを知っておくと後悔しないかも。

「責任」とか「義務」という言葉が呪いの言葉になっていることが、言葉の文化が、「学び」のプロセスをズタズタにしていることも否めない。
学校の責任と義務(責任について・・・いくつめ?)
「責任」という言葉について
責任
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

「命」がよろこぶ言葉、「命」が「生きる」言葉を使おう。
そして「命」がちゃんと輝けるように、「命」を守ろう。

ーーーーー

そのための、「学び」を始めるきっかけにオトノネがなれたらいいとはおもうのだが。

頭の中が借金でいっぱいのお母さんに、なんと声をかけたらいいのか、僕にはわからない。
僕は伝わらない言葉は使いたくないし、何を感じてくれたら伝わるのかを、一瞬一瞬、感じようとしている。
どんな声をかけたらいいのか、レッスンを通じて、僕自身が、感じていく、そしてそれを伝える。それがオトノネです。

頭の中が課題でいっぱいのお子さんに、なんと声をかけたらいいのか、僕にはわからない。

僕からしてみれば、子どもも大人も、同じ状況にいる。
それなのに、大人は高みの見物をして、子どもを「塾」や「学校」でどうにかしようとしていることが多いから、やるせない。

自分の宿題をしてほしい。

ーーーーーー

子どもと暮らしていて、感動するエピソード、成長したと感じるエピソードを、心から話すことができるだろうか。
子どもの「いいもの」を「いいもの」としてみられない状況では、「命」の輝きを感じられない状態では、お母さんは、子育てをなんでしているのか、わからないのではないだろうか。

これが大人の宿題です。

子育てが「仕事」になっていませんか。
【子育てを仕事にしてしまったお母さんへ】大人が子どものときにやりのこした宿題『「自分の働き方」に気づく心理学』加藤 諦三

お母さんが家のローンを払う「暮らし」をする傍ら、子育てという「仕事」をしていたら、子どもは一体どこで、心を大事にしたらいいのか、僕にはわからない。


というわけで、少なくとも「学校の宿題はやらなくてもいい」というお母さんに問い合わせをしてほしいおとのねさんです。
「学校の宿題はやらなくてもいい」とおもっていないお母さんの「学び」のプロセスを動かせる自信は、オトノネにはありません。

愛を学ぶ、といってもいい。
「は?」
と思った人!
いますね笑
こちらをご覧ください。
愛とは何か?

借金地獄に子どもを巻き込んでいるなら、子どもは傍迷惑だ。
家を守る?
家に、子供を守ってもらう?
子どもを犠牲にして、家を守る??????
(いうても子どもは別にそんなこと感じちゃいないくらい生きているからまぁ大丈夫なんだろうけど。いくらでも人柱になりますよ。それがしあわせかはわかりませんが)


お金の使い方、時間の使い方、お母さん自身の「命」の燃やし方を、オトノネは、お母さんに問いかけます。

お母さんが「子どものために」買ったピアノが呪物になってしまうように、
お父さんがお母さんが買った家に縛り付けられてしまっているなら、やっぱり変だ、と感じるだろう。

心が大事。

【アタッチメント(愛着)の深い意味】幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、しあわせの種をまける。学童期のくもんとそろばんにお金をかけるまえに。
【お母さんもお父さんも必読】『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』
【こどもの「遊び」は魔法の授業】8歳、9歳から思春期までの子どもの発達課題(=お母さんの宿題)。
意味不明な世界。不確実な世界で生きる「合格実績病」のお母さんに送る言葉。
「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと
教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】
子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。
好きなことをするお母さん!Hug*smile
お母さん、子どもを守るために、参政しよう。
子供の自立とお母さんのライフサイクル
勉強ができない理由はお母さんのしつけと習い事?
句読点が書けない?お母さん、心配しすぎ!
お父さん、お母さん、お子さんのビジネスに投資しませんか?
教育と福祉の架け橋がない。お母さんが学ぶべき子どもの発達のこと、現代の社会のこと、現代の育児本に書かれていないこと。
まだまだ小学生。思春期はいつ来るのかな?来るのかな?笑
成績が伸びない勉強しない簡単な理由。勉強より大切なこと。
保育士、お母さんたち必読の書。平井信義さんの「意欲」と「思いやり」の子育て。

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ところで、借家と、家を買うことの違いはいろあるけど、僕は「自分なりにカスタマイズしたい」なら家を買うのがいいとおもう。
それも、「自分の創造性を高めるために」という理由だ。
家の構造、家の雰囲気一つで心は変わってしまう。
自分が「創造的に」なるために家を立てるのはいいことだとおもう。

別の人は「見栄」のために立てるかもしれない。

家を買うといことは、その土地に自分を固定する、ということでもある。
それでいいのか。富山でいいのか。もっと、冒険してみたくないのか。考えてみてもいい。
誰かが言っていた。とあるお金持ちの人だ。「僕は家を買わない。子どもがいじめられたら、引っ越すことしか、僕にはしてやれないから」だそうだ。

お金の話をしたら、借りるのも買うのも、一世代だけが住むなら同じだと僕はおもっている。
手に入れた「家」が一代で終わるなら(子どもと富山にしばらないなら)、買う価値はない。

要するに家を買うという文化によって、富山人は富山で生まれた人を富山に縛り付け富山化させる。

これが、魔王の世界だ。

古い世代と新しい世代の関係性が、問題だ。
なぜこんなに新しい人たちは弱いのか?言いなりになるのか?
2つの文化【自己疎外・人間疎外】と境界を侵害するナルシシズム

オトノネひろげるシェアぼたん

悲劇の舞台の上で踊る子どもたち

「学」という言葉が今の僕のテーマになっている。
人はなぜ学べないのか。
なぜ学ぼうとしないのか。
何が学びを阻害しているのか。
学べぬ人は、一生学べぬのか。

悪意と、どう関わればい良いのか。
悪意に満ちたこの世の中で。

「学び」が抑圧され、無視され、奪われ、殺されていくこの日本で。
「学び」が閉じ込められ、轡をはめられ、縛られている、この日本で。

ただただ、みんな、呑み込まれるのを、待っているのだ。
(飲み込まれるまで、踊るしかないのだろうか?せめて、この悲劇の中で与えられた、小さな小さな自分の場面だけは、自分を生きようと。

なぜ大川小学校だけが大惨事となったのか
大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻
多くの児童らが犠牲に…大川小・遺族と卒業生が語る「失われた命の意味」

隠蔽、欺瞞、立場、ドロドロ。闇。別に悲観することでもない、これが事実。悪意。ショッカー。魔王。
そして会社によくあるパターン。
忙しく働いて、お金を稼いで、子供の魂を守れるかどうか。
習い事にいかせて、テスト勉強をさせて、子供の魂を守れるのか。


これは、学校だけの話ではない。
家庭でも同じだ。
会社でも同じだ。

「なぜ、18年間、逃げなかったのか」
「なぜ、過労死するまでやめられなかったのか」
「学校に行きたくない」という声
児童虐待・家庭内暴力・モラハラ・アル中の悲劇。あまりにも複層的な物語

「なぜ50分間逃げなかったのか」は明らかにならず 遺族が憤る大川小検証委・中間報告の内容
「山へ逃げよう」の大川小児童証言は“精査中”!? 教員の会話は「検証委とりまとめ案」に盛り込まれず
『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』大川小学校の悲劇。あまりにも複層的な物語

大川小訴訟 「なぜ我が子が死ななくてはいけなかったのか」 その一点を求めて

オトノネひろげるシェアぼたん

【メタスキル 】すべてをこなすことはできない。

今、この時代を生きる人にとって大切なことはなんだろか。

自分のものとして、自分の人生を生きること。

だと思う。

与えられるものではなく、自分が感じて、自分が意欲して、自分が欲して得るもの。
たとえそれが「欲しない」ということだとしても。
それ自体、欲しなくては得られない心のしくみなのだから。

そのためのメタスキル (感情知性といってもいい)には、「自分の痛みを自分のものとして認めて、自分で処理する。対処法を生み出して行く」ことがあるだろう。

ーーーーー

学校ではあれもこれも教わる。
というか、目の前にチラチラ入ってくる。
それこそテストは「全教科」やらなきゃいけない。
「やらなきゃいけないの?????」

それを「やること」として当たり前のように「自然」にやってきてダメになる子がおおい。
ひとりひとりの能力、関心、適性が違うにも関わらず、中学校になっても、高校になっても、同じやり方をする。

アホか、とおもう。
事実、学校は、アホなのだ。
狂っている。

「いやいやそうではないですよ」といっても、救いにならない。
データをだそうか???
その一言で終わる。
何が終わるかって、、、、話が通じない「魔王」だということがわかって、話が、終わる笑

AIだから、話ができないのだ。

ーーーーー

で、オトノネは「お勉強」を「心を守る」練習としてとらえている。
自分で選ぶ。
自分で責任を持つ。

その練習を、一人では難しいから、おとのねさんと一緒にやる。

「自分の気持ちを大切にする」ことが大切だとおもう。
勉強したくないならしなくていいと僕はいう。
「ただこのスピードだとあれだね、間に合わないねーどうするー???」という。

あせらない。
あせらせない。

あせらせていいことない笑
作業だったら焦っていいけど笑

ーーーー

高校入試は全教科まんべんなく出る。

それで塾ならば「全教科やらなきゃですね」とかいってお金を巻き上げて結局なんにもならずに終わる。

そんなビジネスであり「魔王」が塾には住んでいる。

そもそもが全部やろうとするからダメなのだ。

ーーーーーーー

点数が伸びない、成績が伸びない。。。

なんで????

いやいや好きな教科ひとつ伸びないんだったら何ものびないでしょう。
ということで好きな教科ひとつを極める中で、他の教科にも使えるメタスキルを育てる。

目の前の定期テストに追われていたらそんなことはできない。
捨てるしかない。

手離すしかない。

不安で手離せないなら・・・まぁそのまま進んでみなよ。というしかない。
僕の人生ではないから。

ーーーーーーー

与えられた課題を全て処理しなくてはいけないとうAI化の呪いを解かなくては、始まらない。
それこそAIとして与えられる仕事を放棄しなければ、人間にはなれない。

では、いつ始まるのか?

無料面談と有料体験の間で「気づいた」人は、オトノネで初めてください。
気づけなかった人は、気づけるまではじめられません。気づいてから、オトノネに来てください。

もっというなら、勉強よりも大切なことに、気づいてほしいのだけれど。
最低限、「塾」を諦めてから、オトノネにくると、とてもスムーズです。

オトノネひろげるシェアぼたん

AI化する子どもたち

AI
『AIに負けない子どもを育てる』新井 紀子

こんな本が出ているようだが。

そもそも子どもがAI化している、という視点を、オトノネのお母さんから聞いた笑
なるほどおもしろい言葉のつながりだなとおもって、オトノネを広げてみる。

ーーーーーーーーーーーー

「この子はAIだろうか?」とおもう子がいる。
何を喋っても、心から言葉が生まれてこない。

ロボットみたいな子供がふえている。
コントロールされている。
上の子は見事なロボットになれたかもしれない。
けど下の子はロボットになることを拒絶した。ということもある。
お父さんお母さんはそれに気づいているのか。

オトノネは、ロボットをつくる場所ではない。
ロボットを作ろうとする人に、オトノネの価値はない。

「どんな子になってほしいですか?」
「どんな人間になってほしいですか?」

オトノネは、オトノネを大切にする。
オトは出せても、オトノネがだせなかったら。。。

「日本的な時間」で育まれた社会の「自然」、
その自然のなかで「適応」するには、AI化が必要だったのだろうか。

オトノネは、人間には出せても、AIには出せない。

ーーーーーーーーーー

こんなニュースが最近。
子どもは、逃げられなかったのか。
親は、逃がせなかったのか。
AIとして育てられたために、「生きる」チカラがなかったためか。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20200122-00000077-jnn-soci

AIに、生きるチカラはない。

たとえば、一番子どもたちに身近なAIは学校の先生だ。
学校で学べるのは、AIとしてどうふるまうか、ということだろう。

不登校になって休学していて、「登校したい」といって行ったら、学校で歩いているAIは「休学延長をしにきたとおもった」といった。そういう世界が、AIの世界であり、学校だ。

宿題をしてこなかったら「再提出」という音声を出力するAI。

ディープラーニングはどうした

なるほど、AIに、すでに負けている

大人が

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子どもが不登校になる、成績不振になるなど、お母さんの予測を超えた行動をとることがある。
というか別の人間なのでそんなことだらけだ。
(AIも予測不可能な「行動」をするだろうか?しないだろう。やっぱり人間は人間だからだ。)

だがそれが認められず、さらなるコントロールを受けた場合、子供は「AI」になる。
「AI」としての環境を与えられたのだから、「AI」になる。

環境というのは、そういうものだ。
「無能さ」しか与えられない環境では「無能な人間」になるのだ。
学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら『よくわかる情動発達』
学習性無力感・学習性無気力とは?
「絶対無理!」症候群!無気力の原因は?


そういう学校という劣悪な学習環境を許して、子どもを塾に通わせるなどはお笑いごとだ。

学校に使われている、AIではないのか。

ーーーーーーーーーーー

「不登校になってくれてありがとう!」といえるようになれるか笑
「勉強しないでくれてありがとう!」といえるようになれるか笑
勉強をしない分、楽しいことをたくさん運んでくれるかもしれない。

子供からのメッセージ、子どもの現実を理解することで、「生きる」ことを大人は学べる。
AIの大人に育てられた子供はAIになるかもしれない。

親が、決定的だ。

その中でも、サバイブする子がいる。
傷ついて、それでもなんとか、気づいて、心を取り戻そうと修行の道に入る子がいる笑

ーーーーー

依存性のものがある。
薬もそうだけど。。。

エネジードリンクを飲む小学生

薬漬けになる子どもたち。
睡眠薬、精神安定剤、子供にどんな薬でも処方される。

こういう子も、AI化している。
ディープウラーニングできないただのロボットかもしれない。
AIという言葉は適切ではないかもしれないが、まぁ簡単にいうと人間さのかけた人間のような形をした何か、である。

本当の自分の心に触れることなく、「カラダからのメッセージ」を無視して薬を飲んで頑張って学校に行ったり???

エネジードリンクを飲んで「成長を止めて」「脳を殺して」「慢性的なストレスに脳を晒して」自分からAI化する子供たち。心を守れない。暴力に支配された「自然」の中で、暴力から身を守ることを学べる「自然」は淘汰されてしまったのだろうか。
社会という「自然」、社会という「不自然」

学校は暴力の世界だ。
生き残っただけでも赤飯ものだが、生き残る過程でAI化されているかどうかわからない。
人間として生き残れない、子供達をAI化するシステムが学校という組織だからだ。
(学校という環境がそもそもAIのようだ。何をディープラーニングしているのかって?それは、生徒をAI化するためのいままでの取り組みの膨大な情報を使って学び直すしかない哀れなAIだ。自分で意思を持って、創造的に情報を選択して、学び直すことができない。)

家庭も暴力に加担してしまって、どうして子どもの心を「自然」に伸ばすことができるのか。

ーーーーーー

ひきこもりは、身の安全確保です。
子どもが、自分の体のメッセージに素直に従った、とても「自然」なことです。

AIの子にはできない、素晴らしいことだと僕は思っている。

オトノネひろげるシェアぼたん

『子どもを生きればおとなになれる』クラウディア ブラック

『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』クラウディア ブラック , 水澤 都加佐
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

内なるこども=インナーチャイルドの本来の姿は「周囲の世界と絆で結ばれた子」
直感、自発性、生命力の塊。

私たちアダルトチルドレンは、心の中に慢性的な喪失を抱えています。けれど、自分が何を失ったのか、はっきり気づいていません。そこにあるのは漠然としたむなしさ、何かが足りないという感じ、今の自分ではだめなのではないかという不安です。こおの漠然とした喪失感を何か別のものや人で埋めようとしたり、必死で大丈夫なふりをしてみても、むなしさは消えません。私たちに必要なのは、自分が何を失ったのか、その正体を明るい日の光の下で確認してみることです。そしてそれをきちんと言葉にすることです。(p.15)

悲しみや不安、喪失体験をすることをサポートする親。
愛、親のサポートを喪失した子ども。

サポートしない、だからこそ強く育つこともある。
手をかけずに、自然に育った。いやいや、ご飯を食べて寝るところがあった。
それだけでも、強い子はたくましく成長する。

そうでない子もいる。

ーーーーー

子供というのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。
・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる。
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる。
こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。私たちはときに否認の力を発揮して見捨てられた体験などなかったことにします。「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。(略)家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。(p.24)

この具体例として次のようなものがある。

親が自分の感情や考えや行動に責任を持たず、子どもにその責任を負わせようとすること。
親が自分のニーズを満たすために子供を利用すること。

例えば

子どもを自分がうぬぼれるために使う。
子供が親と違った考え方や行動をすると拒絶する。
自分が果たせなかった夢をかなえてほおしいと望む。

要するに子どももの権利、子どもの自治権、子どもの独立性。独自性を認めないこと。

あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる、というのは勘違いですね。
あなたより親の私の気持ちが優先だ、というのは、勘違いですね。

なんの勘違いかって、自分と他人の勘違いです。
子どもの問題を、自分の問題だとおもうことも、勘違いです。
親の問題を、子どもの問題だとおもうことも、よくありますが、勘違いです。

子どもを恥ずかしいと親が感じるのは勝手ですが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
子どもを心配する親の気持ちはわかりますが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
親が他人の目を気にしているのを、子どもに押し付けて、子どもに「命令・干渉・説得」をするのは人間としての分を超えています。

こうなって育ってしまったら、どうなるでしょうか。

自分の感情がわからなくなる、相手の基準に合わせたり、愛してもらうことに一生懸命になって、自分がいなくなってしまうかもしれません。人間関係への依存、愛の渇望、それから宗教や心身症、薬物、アルコール、ギャンブルへの道が続いています。また弱いものへの暴力、受け入れられない怒りを他者にぶつければ家庭内暴力、児童虐待、モラハラ・パワハラになります。恐れの感情が強ければ、創造的になれずに既得権を守ろうとして小さく生きていくことになります。(そういう人が政治家として日本を動かしているのですから、この国は病気です)それが例えば、夫婦、家族という既得権を離したくない、僅かでもその関係性にすがらなくては生きていけない状態になれば、家庭内の暴力を愛情表現、もしくは自分に落ち度があると考えることになります。そのような仕組みが、できてしまうのです。

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さぁ、統計を調べる時間だ(ああ、また魔王とこんにちわだ)

児童虐待(2018)15万9850件
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
アルコール依存症者の疑い(2019)292万人
職場でのモラハラや精神的なストレス(生きづらさ)を強く感じている人の数だろう。

調査・日本の飲酒実態


家庭内暴力(2018)7万7482件
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43011460Y9A320C1CR0000/

不登校・長期欠席者(2019)327901人
自殺 332人
3) 小・中学校における,長期欠席者数は,240,039人(前年度217,040人)である。 このうち,不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,不登校児童生徒の割合は 1.7%(前年度1.5%)である。 4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,752人(前年度80,313人)である。 このうち,不登校生徒数は52,723人(前年度49,643人)であり,不登校生徒の割合は1.6%(前年度1.5%)である。 5) 高等学校における,中途退学者数は48,594人(前年度46,802人)であり,中途退学者の割合は1.4%(前年度1.3%)である。 6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は332人(前年度250人)である
https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

自殺(全員)20598人
https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

家庭内暴力(2019)9,042件
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/kakushu/dv.html

犯罪認知件数(2018)
警察庁の統計によれば,平成29年における刑法犯の認知件数は,91万5,042件,検挙件数は,32万7,081件となりました。
http://www.kensatsu.go.jp/hanzai_gaiyou/keihou.htm

離婚件数
2018年の婚姻件数は59万件で、離婚件数は20万7000件です

日本人の離婚率はどれくらい?離婚統計から見る離婚率の推移とは?

精神疾患 419.3万人
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成26年は392万人、平成29年では400万人を超えています。(認知症が70.4万人含まれている)
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

概数でもとめましょう。

児童虐待16万
アルコール依存症者の疑い300万人
不登校・長期欠席者33万人
自殺 2万600人(内、児童350人)
家庭内暴力9000件
犯罪認知件数91万5000件
離婚20万7000件
精神疾患349万人
足し算してみましょう。
813万600件(人)

日本の人口は
  【令和元年12月1日現在(概算値)】
    <総人口> 1億2615万人で,前年同月に比べ減少 ▲28万人 (▲0.22%)
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

問題飲酒で児童虐待で不登校で家庭内暴力で犯罪者である人もいるだろうけれど、概算して6.4%となった。え?意外と少ない?
認知されていない虐待とか、いじめとかをふくめたらもっとおおくはなるだろうけれど。
会社のモラハラやアカハラなど、あげたらきりがないだろう。

10人に1人くらいかとおもってるんだけどなぁ。。

二次的な被害の件数(例えば家族や友達、いじめられる人やいじめ集団)を数えれば、数値にはでてこないものすごい人数になるだろう。

これ、30人のクラスにしたら・・・面白いかもね。1学年の方がいいかな。
子どもが何人で、何人が孤独死して、何人が犯罪者になって、、何人がアル中になって、、、、何人が児童虐待をして。。。。何人が、自殺して。。何人が離婚して。。。。

うわぁ、魔王だろ笑
そういうリアルな数字だからこそ感じられることもある。

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激怒は、表現することを決して許されなかった怒りが積み重なった結果として出てくる場合もあります、押さえ込んだ怒りは、心の中に根付きます。それは時とともに膨らんで、しつこく居座った恨みとして化膿するかもしれないし、もっとよくあるのは、慢性的なうつにおちいる場合です。こうして怒りのはけ口がない状態が続くと、あるときいきなり敵意に満ちた行動として爆発し、暴力行為や殺人に至ることさえあります。こうした行為は、痛みに耐えられず、葛藤を解決できず、他の選択肢に気づくことができずに、感情が蓄積された結果なのです。(p.53)

気が付いてほしいのは、こうした社会現象は、すべて心の問題であるということ。

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「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生懸命勉強しなければ」という観念に続くのは「…だから私は必ずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは愛しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。

生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度のお時間における、ある程度の秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活の全ての面や周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。

なにはコントロールできて、なにはできないかについて、アーネスト・カーツはこんな風に言っています。

ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
 眠りはコントロールできない。
本を読むことはコントロールできる。
 理解するかはコントロールできない。
遊びを始めることはコントロールできる。
 ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
知識を蓄えることはコントロールできる。
 知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。(略)コントロールを手放すのは、自分はすべての答えを知っているべきだという幻想を放棄し、あらゆることを管理しなければならないという思いを放棄することです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。(p.136)

オトノネひろげるシェアぼたん

躾(しつけ)ではなく気締め(ケジメ)が大切。『アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ』カール・ハインツ ブリッシュ

アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ
『アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ』カール・ハインツ ブリッシュ

躾と気締めである。

しつけは身の美しさであって、けじめは気を締めること。だということにしておこう。

けじめをつけることの大切さを感じる。

自由、自由というが、そこで自分の気をコントロールできるかどうか。

たくさんあそんだ!それから次の行動に移っていく。

解放させた気を締めること。


それがケジメ。

もしくは如何にコントロールしながら、解放するか。


それがケジメ

「じぶんひとりなら」ダダ漏れしていた気を、その状況に応じて、調節すること。
それもケジメだ。
(家の外では出せない気を家の中で出していて、お母さんが怒る、という笑い話もある。外では出せないから、家の中で出しているのだ。例えばそれが「怠け癖」だとしたら・・・家の外でケジメをつけすぎていて、疲れているのかもしれない。)

気分が暗い時、暗い気持ちにけじめをつけて楽しいことをしてみること。楽しい気分でいるときに「あ、けどこれもやらなくちゃいけなかった」とか。当然といえば当然のこと。

しつけといって仕舞えば、「いい子」になることのように聞こえるが、けじめといえば「自律した子」のように聞こえる。しつけという言葉には、支配的な、文化的な響きがある。

ーーーーーー

ケジメは、感情をコントロールすることだ。
感情をうまく使っていくことだ。

0歳の時から、このケジメは始まる。
泣いている赤ちゃんに「声をかけてから」ミルクの準備をする。
それを続けただけでも、「声をかける」ことで赤ちゃんは安心して、泣くのをやめるようになるかもしれない。
気を締める。

心は、0歳のときから、作られる。

少なくとも、感情を押しとどめる、「いい子」でいることはケジメではない。
それは気詰まりであり、息苦しさだ。(破裂するまで、しばらく辛いだろう)

ーーーーー

少し大きくなって、「褒める」ことばかりをしていると、何も考えない、できないと癇癪を起こす子になる。
「褒める」といいという定期テスト対策的子育てが流行っているらしいが、僕は全くオススメしない。
「与える」にしても同じだ。「なんだこんなもの」と大人が思い買って与えるだけでも、子どもにとっては「もの」ではなく、泣いたら、駄々をこねたら与えられるのだという現象を学ぶことになる。

ケジメは、いいこと、わるいことを教えることではない。
感情をコントロールできる、大丈夫だ、僕は一人でも大丈夫だ、という自立心と自信をもつこと。

これが、ケジメの目標だとおもう。

ケジメができていないと、将来どんなに生きづらくなるか。

ケジメは、押さえつけることではない。
自由を、使いこなすことだ。
自由を使いこなし、大切な人、大切なものを守るためのものだ。

ーーーーーー

しつけという言葉は、子供をペットにしかねない。
ケジメ、という言葉をつかってほしい。

子供の気持ちを、どんなエネルギーに変えたらいいのか?
それもケジメのひとつ。

「学校でこんなことがあったの・・・」
こんなことを質問されたら、どう答えるだろうか?

まだ気が締まらない(どうやって気を整えたらいいかわからない)状況を、心が処理するしくみをつくること。
これもケジメをつけることだ。
ただただ押さえつけることではない。

「気にしなくて大丈夫だよ」というか。
「それは先生にいわないとね!」というか。
そのお母さんの言葉の感情が、その子にも伝わるだろう。

「どうしたかったの?」
「何を感じたの?」と、問いかけて、子供の頭の中で、心で、もう一度整理する時間をつくってあげることを、僕はオススメするけれど。

一人では難しい、心のプロセスを、手伝ってくれる人に出会った子どもは、しあわせだ。

ーーーーーーーーー

子供の未成熟さが、弱い子供、弱い大人をつくりだす。過保護が、子供を未熟にする。引きこもり、いじめ、8050問題、DVや暴力、ストーカーなどの社会現象の根源は、親の過保護にあり、親が過保護にならざるをえない社会の不安にある。人を愛せない、共感できない、相手のことを考えられないなど、多くの政治的社会的に高い地位にある大人たちも未熟な状態であるために、日本は混乱している。児童虐待もDVも不登校も、政治的な混乱もなくならないのは、過保護を引き起こす社会不安によるものだ。恥や罪の意識は子供にも伝わります。

子育ては、親育てでもあります。
子どもからたくさん学んでください。
お母さんが子供時代にやれなかった宿題を、子供にやらせずに、自分でやってみてください。
お子さんと同時に、お母さんの宿題のお手伝いも、オトノネはしたいとおもっています。
わかっているお母さんもいるとおもいます。
でもどうしていいかわからない・・・
お子さんに、お母さんやお父さんの心の未熟な部分を押し付けないですむ方法を、一緒に考えましょう。というか実践していきましょう。
怒りや不満、不安や悲しみを子供に押し付けてしまっていませんか。
僕もまだまだ未熟さをかかえたまま、前にすすんでいます。

大丈夫です。

「知る」ということだけでも変わるかもしれません。
お子さんの成長をみながら、「感じる」ことで変わるかもしれません。
そのプロセスはわかりません。
だから一緒に、はじめてみませんか。

いつまでも誰かにえらいえらいと言われていなければ心を保てない子、実力がないのに偽りの賞賛を与えられてきた子、本当の自分を隠してきた子。思春期に、悩まなかった子。悩むことを許されなかった子。自立した人間として向かい合ってくれる大人に出会えなかった子。「ノー」と言えない子。挫折・失敗に弱い子。病んだエネルギーは、誰に向かうのか?自分の心身症になる人もいれば、他者に対する暴力というかたちをとる人もいる。DVに気づかないお母さん、児童虐待に気づかないお母さんもいる。アルコール依存症、セックス依存症は、「もう自分ではどうしようもない」無気力、無力感の叫びだと、僕は思っています。

===========

オウム真理教を覚えていますか。
知っていますか。

「娘を教団に取られた」というお母さんが記者会見をしたときに、その娘さんが「お前たちは帰れ!私たちの邪魔をするな!」みたいなこと(すみません正確にセリフは覚えておらず、ただ自分のことを「私たち」と呼び、母を「お前たち」と呼んだということです)を言ったという。

よくある話で、教団に入って洗脳されてしまうような子に、子どもが育ったことに、お母さんが気がついていないのだ。

お母さんのせい、ではない。
といえるかもしれない。
この社会が悪いのだと。

では、子育てとはなんだろうか????

心から笑いあえる時間を大切にすること、といってもいいかもしれない。

ーーーーーーーー

過保護とか、虐待とか、小さな暴力が当たり前の世の中になっている。
大人の世界がそうだから、子供の世界もそうなる。

大きくなってからの「治療法」をみると、、、やっぱり、鏡になって、向かい合ってくれるもう一人の自分との出会いなのだとおもう。(その関係が、医者とかカウンセラーでなかったのなら、一方的な関係は、続かないだろうが。。。)

アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ

この本には「生まれる前から」「生まれた後も」妊娠・出産・子育ての段階でそれぞれ親の宿題に親が取り組む実践(ということは、親以外の人も取り組むということ)を書いている。
基本、話す、心から話すような状況をつくる、、ということなのだが(だいたいオトノネも同じことをしている)、話すだけに限らない。行動しながら、変わっていく。

この本は過保護だめよーというやつ。治療法とかは抽象的すぎてわかりにくい。

「怪獣」は、悪か。善か。子どもの「問題行動」とは?
富山のメンタルヘルスと怪獣。
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
本当に不思議な【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。
高岡高校の自殺は、政治が根本的な原因?

オトノネひろげるシェアぼたん

心療内科に行く前に:医療の現場も【テスト対策】!?その薬、飲んで大丈夫?

こういう話を聞いて、怒りを感じてしまう。
けど怒っても、何もいいことがない。。。。
別のチカラにしよう。

だからぼくはオトノネをはじめたのかな。

ーーーーーーーー

ある子が。

ある子が。

心身症で困っている。

その子は、薬を飲んでいる。
医者にかかって、薬を処方してもらえる。

テスト対策のように、その場で、手軽に、症状をなんとかしようとしたい気持ちはわかる。

けどその副作用の甚大さと、「症状」がでてくる心のしくみの深さを考えれば。

心身症を薬でなんとかしようというのは、よほどの決断でなければできない、とぼくはおもう。

副作用によって、大切な心を自分で守っていくチカラが奪われる可能性がある。
副作用で「別の体調不良」になり、それをさらに調整する元気も心にないとしたら。。悪循環だ。
そのリスクを背負ってまで、薬を処方する、薬を飲む価値があるのか(もちろん、危機的状況を脱するために、飲むこともあるかもしれないが、常用するのは。。。)。

クスリで活かされる魂もあれば、クスリで殺される魂もある。

結局、心次第。

学校教員が宗教団体で救いを求める時代、クスリなしでは生きていけない日常だとしたら、どんなにそれが不健康な状態なのか。

どうしたらいいのか。

その答えとして「クスリ」を安易に選んではいないか。

ーーーーーーー

短期的な救いのために、必要な応急処置があります。
例えば発展途上国で食糧難に陥っている人にとって、とにかくすぐに食料を渡すことが必要です。
一方で、持続的に、自給的に食料を手に入れられるようになる仕組みは?時間がかかります。ですが、自立して、自分の力で
短期的な食料供給(定期テスト対策)に頼らずに自分で自分の身を守るライフライン(恒久的な自己管理システム)をつくることが、オトノネの仕事です。

ーーーーーーー

医者は心身症を、心を理解しているんだろうか?
医者も点数稼ぎで忙しくて、心をみる余裕がないんだろうか。

体が出している自然な痛み、問いかけを受け取らずに、薬で抑圧していいのか。
抑圧しなくては生きられない心と体。
生きるってそんなもんだっけ。
痛みは、身体からの、無意識からの、心からのメッセージであって、別に薬を飲むことが悪いことではない。
そのメッセージを受け取った上で、「じゃぁ、ちょっと今は、待って。準備ができたら、君を救いにゆくよ、準備ができたら」といえるか。

そのうち良くなるさ、と受け身になっていないか。
仕方がないんだ、と諦めていないか。

学校の先生は学校の先生という立場でやらなきゃいけない業務がある。
医者先生も医者という立場上、何かしないとその後クレームが来るかもという不安もある。
それぞれが、お互いの都合で関係し合っている。

お互いの都合でだ。
だから自分の都合を、自分の目線で考えられるように、学ばなくてはいけない。
積極的自己責任を負うために。

学ぶとは、他人の都合と折り合いをつけながら(尊重しながら)、自分の人生を自分の都合で自分が生きるということかもしれない。
「先生、お言葉ですが、私はコレコレこういう理由で、このようにします」と言えばいい。

ーーーー

知っている、知識としてもっていることの大切さを感じる。
と同時に、正しい知識を医者先生すらもっていないことに違和感を感じる。

アレルギーで苦しんでいる人がアレルギーに効く薬の副作用で悩んでいる。
ガンで苦しんでいる人が抗がん剤を飲んで悩んでいる。

薬をやめて食生活、運動、健康を総合的に見直すだけでアレルギーと付き合えるようになる。
薬を飲まずに、漢方にしただけで(お茶を飲んだだけで)ガンがよくなる。

そういう事実を、真実をしらずに、テスト対策でことを済ませてしまって、大丈夫だろうか。

あれ?これちがうんじゃない?と「違和感」を感じたら、学び始めよう。
大人も、子どもも、みな学ぶ過程にあるにんげんだとぼくは思う。

みんな生きるので精一杯。
医者先生も学校先生も、見る人の人数が多すぎて困っている。

だからオトノネは、完全個別にこだわっています。

医療に関する問題提起記事はこちら
医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

オトノネひろげるシェアぼたん

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

学校や保育園、子どもに関わる現場の大人たちは、大変なことになっている。

で、最近も、とある保育園にいって、素晴らしい園長先生、すばらしい保育士の先生の話が聞けた。
またその先生の実際の関わり合いは、まことに、多くを学べるものであった。僕個人として。

けれども、園全体として、他の保育士さんも含めて全体を眺めると、あからさまな改善点(違和感)がいくつもでてきてしまう。
いい先生がいても、その先生の影響は小さい。
いい影響よりも、悪い影響が目立ってしまう。

だから、いい先生が組織の中で埋もれてしまう。

だから、この保育園は、この学校は、素敵だなぁ、とおもえる保育園、学校は少ない。
(そんな中、金沢の桜丘高校の生徒たちの笑顔は、忘れられない。えーなんでだろ。桜丘の倍率が高くなって、偏差値が泉丘抜いたらいいのにとおもう。それはそれで、おもしろい現象だ。偏差値は「入りにくさ」であって、「テストの点数の高さ」ではない。そこのところ、みんな勘違いしている。「点数はそんな必要ないけど、入るのが難しい」とは、つまりどういう状況か、考えてみてください^^)はい、蛇足でしたすみません。

この保育園は、この学校は、素敵だなぁ、とおもえる保育園、学校は少ない。
なぜか。

この問いに簡単に答えられるキーワードを最近、覚えたので一言で答えられます。

「学び」を学んでこなかったからです。
佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

ーーーーーーーーーー

「学び」とは、協同的なものであって、一人で完結するものではない。
対話して、言葉にされて、初めて顕在化するものだ。(それを一人でやってのけるのが、研究者であると、佐藤学さんは言っておられました)
だからこそ、「学び」の成果が、多くの人が「学び」を通じて情動を共にすることで、実現する。

のだが。
「不平」「不満」「愚痴」「要求」「忍耐」が現場に溢れている。
情動を「学び」のチカラに変えることができていないのが、多くの教育・保育の現場。

なぜか。

情動の処理の仕方は社会的なものであった。
【学ぶチカラ】情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。
そして、社会的なものである以上、学んでいくものなのである。


そして、今の大人たちの多くが学校で学んだことが、情動を「不平」「不満」「愚痴」「要求」「忍耐」として処理することである。
情動を「学び」に変えることを学ばなかった。協同して「学ぶ」「対話する」ことを学ばなかった。

「ん?なんか変だぞ?なんだこの状況は?」ということにも気がつかない。
心が閉じてしまっている。
目の前で「飲めない牛乳」を片手に一人苦しんでいる保育園児の「心」がみえていない。
目の前で「できない宿題」をさせられている小学生の「心」が見えていない。
目の前で「死ぬか生きるか」を考えている高校生の「心」が見えていない。
「学び」の基本である「心」が、世界に向かって、他者に向かって、「心」に向かって開いていない。

だから、個人単位でいい先生がいても、組織としては、協同ができない、対話、本当のコミュニケーションができない。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。
という問いへの、僕なりの答えです。(大発見です)

これはもう負のスパイラルだ。教育の負の連鎖だ。
「学ぶ」ことを学んでいない先生から「学ぶ」ことをどうして学べるだろうか。
協同できない先生から協同を教わることがどうしてできるのだろうか。

もともと、日本の学校教育が戦後から高度経済成長時代にかけて「一部のエリートを選抜する」および「安価で指示をよく聞く労働者を大量に育てる」ために作った仕組みをそのまま今の今でも続けているという背景があります。

伝統との戦いですね。
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

はぁ・・・・

ーーーーーー

こちらは

富山市の個別×子別指導学習塾オトノネ堀川教室

の宣伝です!クリックするとHPがでてきます( ˶˙ᵕ˙˶ )

富山市の個別指導塾オトノネ堀川教室

ーーーーーー

だからこそ、使命感をもった人が、トップダウンで一気に仕組みを変えるのがいいとおもう。
ボトムアップをしても、変わらない(先生たちが「学ぶ」ことを学びなおす時間もお金もない)とおもう。
トップダウンで衝撃を与えながら、ちゃんと「労働」から解放してあげるだけでいい。

たったこれだけでいいと、僕は思っている。
麹町も、あれ、どこぞの学校も、トップダウンから始めている。(違っていたらごめんなさい)

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多くの先生が、「進学実績(もしくは退学者)」と「長時間労働」という(生徒に自分たちが与えているのと同じ)プレッシャーに苦しんでいる。

そんな学校では、先生という仕事は、職業というか、食業(食べるという生業)であって、教育という生業ではない。と思えてしまう。先生は、労働者ではなく、保育者だし、教育者だ。刑務所の監視員でも、遊園地の託児所のスタッフでもないはずだが。

やること、やってるの?
使命感、もってるの?

やることやってるよ!
課題も宿題もちゃんと出してるよ!
絶え間なく小テストと進研模試をやらせているよ!
やってこなかったら呼び出しもしているよ!という声が聞こえてきそうだ。

(僕は、公立学校での自分の能力の限界を感じて(公立学校で、教育者として自分が責任をとれないと判断して)、おとのねをはじめましたよ)

あー、ごめんなさい、表現がトゲトゲしいですね。
寝ます。ごめんなさい。

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結局、現場のいざこざ、先生たちの「学び」を保証することが、イコール、子どもたちの「学び」を保証することだとおもえる。
だからぎゃくに、子どもたちの「学び」を保証すれば、先生の「学び」も保証できる。

だから定期テストは廃止したらいいし、無駄な行事はやめたらいいし(生徒に任せるとか)、宿題も出さなければいい。

どうしてこんな簡単なことを、やらないのか。

論理的な武装なら、オトノネさんはいくらでも手伝いますよ。

どうしてこんな簡単なことを、やらないのか。

子どもたちと一緒です。
大人も怖いんです。せっかく今まで作り上げた自分の世界が崩れるのが。

人間ですから。

(だからこそ神話の世界ではトリックスター(世界を壊し、作り直す者)がでてきます。日本でも、何人かいますね。結構たくさんいますよ。校長先生、園長先生、いかがですか?そろそろ、子どもに習って、作り終わった城を、壊しませんか?大丈夫ですよ。新しい学校をつくるだけです)

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日本が国債を返済し終わることには、教育も負の遺産を返済できているだろうか。

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