『子どもを生きればおとなになれる』クラウディア ブラック

『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』クラウディア ブラック , 水澤 都加佐
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

内なるこども=インナーチャイルドの本来の姿は「周囲の世界と絆で結ばれた子」
直感、自発性、生命力の塊。

私たちアダルトチルドレンは、心の中に慢性的な喪失を抱えています。けれど、自分が何を失ったのか、はっきり気づいていません。そこにあるのは漠然としたむなしさ、何かが足りないという感じ、今の自分ではだめなのではないかという不安です。こおの漠然とした喪失感を何か別のものや人で埋めようとしたり、必死で大丈夫なふりをしてみても、むなしさは消えません。私たちに必要なのは、自分が何を失ったのか、その正体を明るい日の光の下で確認してみることです。そしてそれをきちんと言葉にすることです。(p.15)

悲しみや不安、喪失体験をすることをサポートする親。
愛、親のサポートを喪失した子ども。

サポートしない、だからこそ強く育つこともある。
手をかけずに、自然に育った。いやいや、ご飯を食べて寝るところがあった。
それだけでも、強い子はたくましく成長する。

そうでない子もいる。

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子供というのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。
・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる。
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる。
こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。私たちはときに否認の力を発揮して見捨てられた体験などなかったことにします。「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。(略)家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。(p.24)

この具体例として次のようなものがある。

親が自分の感情や考えや行動に責任を持たず、子どもにその責任を負わせようとすること。
親が自分のニーズを満たすために子供を利用すること。

例えば

子どもを自分がうぬぼれるために使う。
子供が親と違った考え方や行動をすると拒絶する。
自分が果たせなかった夢をかなえてほおしいと望む。

要するに子どももの権利、子どもの自治権、子どもの独立性。独自性を認めないこと。

あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる、というのは勘違いですね。
あなたより親の私の気持ちが優先だ、というのは、勘違いですね。

なんの勘違いかって、自分と他人の勘違いです。
子どもの問題を、自分の問題だとおもうことも、勘違いです。
親の問題を、子どもの問題だとおもうことも、よくありますが、勘違いです。

子どもを恥ずかしいと親が感じるのは勝手ですが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
子どもを心配する親の気持ちはわかりますが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
親が他人の目を気にしているのを、子どもに押し付けて、子どもに「命令・干渉・説得」をするのは人間としての分を超えています。

こうなって育ってしまったら、どうなるでしょうか。

自分の感情がわからなくなる、相手の基準に合わせたり、愛してもらうことに一生懸命になって、自分がいなくなってしまうかもしれません。人間関係への依存、愛の渇望、それから宗教や心身症、薬物、アルコール、ギャンブルへの道が続いています。また弱いものへの暴力、受け入れられない怒りを他者にぶつければ家庭内暴力、児童虐待、モラハラ・パワハラになります。恐れの感情が強ければ、創造的になれずに既得権を守ろうとして小さく生きていくことになります。(そういう人が政治家として日本を動かしているのですから、この国は病気です)それが例えば、夫婦、家族という既得権を離したくない、僅かでもその関係性にすがらなくては生きていけない状態になれば、家庭内の暴力を愛情表現、もしくは自分に落ち度があると考えることになります。そのような仕組みが、できてしまうのです。

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さぁ、統計を調べる時間だ(ああ、また魔王とこんにちわだ)

児童虐待(2018)15万9850件
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
アルコール依存症者の疑い(2019)292万人
職場でのモラハラや精神的なストレス(生きづらさ)を強く感じている人の数だろう。

調査・日本の飲酒実態


家庭内暴力(2018)7万7482件
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43011460Y9A320C1CR0000/

不登校・長期欠席者(2019)327901人
自殺 332人
3) 小・中学校における,長期欠席者数は,240,039人(前年度217,040人)である。 このうち,不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,不登校児童生徒の割合は 1.7%(前年度1.5%)である。 4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,752人(前年度80,313人)である。 このうち,不登校生徒数は52,723人(前年度49,643人)であり,不登校生徒の割合は1.6%(前年度1.5%)である。 5) 高等学校における,中途退学者数は48,594人(前年度46,802人)であり,中途退学者の割合は1.4%(前年度1.3%)である。 6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は332人(前年度250人)である
https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

自殺(全員)20598人
https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

家庭内暴力(2019)9,042件
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/kakushu/dv.html

犯罪認知件数(2018)
警察庁の統計によれば,平成29年における刑法犯の認知件数は,91万5,042件,検挙件数は,32万7,081件となりました。
http://www.kensatsu.go.jp/hanzai_gaiyou/keihou.htm

離婚件数
2018年の婚姻件数は59万件で、離婚件数は20万7000件です

日本人の離婚率はどれくらい?離婚統計から見る離婚率の推移とは?

精神疾患 419.3万人
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成26年は392万人、平成29年では400万人を超えています。(認知症が70.4万人含まれている)
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

概数でもとめましょう。

児童虐待16万
アルコール依存症者の疑い300万人
不登校・長期欠席者33万人
自殺 2万600人(内、児童350人)
家庭内暴力9000件
犯罪認知件数91万5000件
離婚20万7000件
精神疾患349万人
足し算してみましょう。
813万600件(人)

日本の人口は
  【令和元年12月1日現在(概算値)】
    <総人口> 1億2615万人で,前年同月に比べ減少 ▲28万人 (▲0.22%)
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

問題飲酒で児童虐待で不登校で家庭内暴力で犯罪者である人もいるだろうけれど、概算して6.4%となった。え?意外と少ない?
認知されていない虐待とか、いじめとかをふくめたらもっとおおくはなるだろうけれど。
会社のモラハラやアカハラなど、あげたらきりがないだろう。

10人に1人くらいかとおもってるんだけどなぁ。。

二次的な被害の件数(例えば家族や友達、いじめられる人やいじめ集団)を数えれば、数値にはでてこないものすごい人数になるだろう。

これ、30人のクラスにしたら・・・面白いかもね。1学年の方がいいかな。
子どもが何人で、何人が孤独死して、何人が犯罪者になって、、何人がアル中になって、、、、何人が児童虐待をして。。。。何人が、自殺して。。何人が離婚して。。。。

うわぁ、魔王だろ笑
そういうリアルな数字だからこそ感じられることもある。

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激怒は、表現することを決して許されなかった怒りが積み重なった結果として出てくる場合もあります、押さえ込んだ怒りは、心の中に根付きます。それは時とともに膨らんで、しつこく居座った恨みとして化膿するかもしれないし、もっとよくあるのは、慢性的なうつにおちいる場合です。こうして怒りのはけ口がない状態が続くと、あるときいきなり敵意に満ちた行動として爆発し、暴力行為や殺人に至ることさえあります。こうした行為は、痛みに耐えられず、葛藤を解決できず、他の選択肢に気づくことができずに、感情が蓄積された結果なのです。(p.53)

気が付いてほしいのは、こうした社会現象は、すべて心の問題であるということ。

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「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生懸命勉強しなければ」という観念に続くのは「…だから私は必ずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは愛しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。

生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度のお時間における、ある程度の秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活の全ての面や周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。

なにはコントロールできて、なにはできないかについて、アーネスト・カーツはこんな風に言っています。

ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
 眠りはコントロールできない。
本を読むことはコントロールできる。
 理解するかはコントロールできない。
遊びを始めることはコントロールできる。
 ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
知識を蓄えることはコントロールできる。
 知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。(略)コントロールを手放すのは、自分はすべての答えを知っているべきだという幻想を放棄し、あらゆることを管理しなければならないという思いを放棄することです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。(p.136)

オトノネひろげるシェアぼたん

『忘れる技術』岡野 憲一郎

『忘れる技術』岡野 憲一郎
忘れる技術

不安になったら振り向いて安心してまた探索を始めるとか、お母さんから安心をもらって内在化するといった言葉がよくわからなかった。

それは、意識しなく打てもキーボードが叩けるようになる、意識しなくても歩けるようになるのと同じように、記憶の中に、仕組みができるということだ、とわかった。(そんなことは書いてないが、それで説明できるからよし)

例えばキーボード。
「う」を打ちたい。
「う」ってどこだっけ?
ああこれこれ、どの指で押そうか?
人差し指にしよう。
押す。
を、

「う」を打ちたい。押す。
に省略できる。
間の記憶は、もう意識せずに、体が覚えていてくれる。

例えばお母さんからの安心。
嫌なことがあった。
不安になつた。
お母さんに離してみた。
眼差しをくれる。聞いてくれる。言葉をかけてくれる。
大丈夫だと思える。
を、

嫌なことがあった。けど大丈夫だと思える。
に短縮すること。
手続きを、省略できること。
無意識の中で、シミュレートしてしまうこと?

意識しているときは新皮質、無意識に落とされた部分は辺縁系で処理されるという。
お守りは、辺縁系にあるわけだ。

脳の中に、記憶に、しかるべき居場所をつくること。

これが忘れるということらしい。
決して消えるわけではない。もしかしたら、深く、刻まれるといっていいかもしれない。
ただその記憶に(怒りや悲しみに)居場所が与えられるということ。

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次の話題。

記憶には「頭の記憶」と「体の記憶」がある。
「体の記憶」は感情に関するもの。怖い、うれしい、ほがらか、悲しい、たのしい、そう感覚になるとき、身体はしらずと反応しています。動向が開いたり、汗がでたり、筋肉がほぐれたり、ひきつったり。
一方の「頭の記憶」はいつどこでなにが起こったか。どこになにがあったとか、どんな風景だったかとか、どんなことを話したとか、「体の記憶」にはならなかった記憶、情報だといえばわかりやすいでしょうか。
ちなみに「体の記憶」は扁桃核、「頭の記憶」は海馬で処理されるそうです。
扁桃体は好き嫌い、快不快を判断する場所ですね。

で、「体の記憶」と「頭の記憶」が一緒にならないで、どちらかになってしまうと、忘れられない記憶になってしまうという話。

え!!????

忘れられない記憶は、扁桃核と海馬の強調が崩れたとき、だと書かれています。

え!!!!????

ーーーー

感動した出来事はよく記憶に残ります。(感情を伴って学ばないと、すぐ忘れる。暗記が不毛だという話)
それは扁桃体が強く反応する出来事に対して、扁桃体が海馬に「ちょっとこれ、大切だから覚えておいてよ!」と信号を送るそうです。

が!!!!!!

扁桃体があまりに強く反応してしまう場合、
あまりにも感情が揺れ動いた場合、海馬は、止まってしまう。

らしいのです。

信号が強すぎて、神経回路が壊れてしまうイメージでしょうか。

最後にこの本では忘れる技術が11くらい書かれている。
怒りは殴ると治るとか。
水を浴びると治るとか。
薬を飲むとか。
思考停止術を使うとか。
相手について知るとか。
話すとか。

これはひとつ、いいなぁとおもったのは、
与える人生を歩むこと。
何かを欲するのではなく、与えてみること。

あともう一つ。

訴えなくても、指摘はするべき。

法雨的手段に訴えるほど深刻な状況でなくても、相手から被った被害や不当さをなんらかの形で告発したくなる場面は、日常にいくらでもあります。たとえば職場で、皆の前で上司は軽い気持ちでも、受ける側にとってはかなりつらいものです。もしそれが限度を超えて、我慢できないときは、それをはっきりと相手に指摘するのも一つの方法です。

例えば某右舷を吐かれたら、「私がいたらなかったことは申し訳なく思っていますが、今の言い方はひじょうに不適切だと思います。その気持ちだけはお伝えしておきます」というのです。たとえ言っても、何も具体的に変わらないかもしれません。

しかしそれをはっきり言ったということで、あなたの気持ちはかなりしずまるでしょうし、上司への恨み、憎しみが忘れられないという悶々とした状態からは脱出できます。

これをしたら、あとで仕返しをされるのではないか、という不安が先立つとおもう。
日本ではいじめなど日常の一部だし、上司部下の関係ははっきり言って暴力の関係で成り立っているようなもの。

日本なら、影で愚痴ることで解消する文化があるかもしれない。
それだけ日本の歴史は暴力で支配されてきたということだろう。

ーーー

経済行動学の何かの本で、「しっぺがえし作戦」が有効だという話がある。
要するに、最初は「協調」する。相手が「裏切」ったらこちらも「裏切」る相手が「協調」したら、こちらも「協調」するというもの。

舐められない、きちんと威嚇する。
そういう姿勢が、ゲームの中では、有効だという。
現実の世界は、、、、どうなのだろう。

先にやったもん勝ち、というのが、一つの答えとして返ってくる。

「仕返し」はチームワークに有効とは言えない 「フリーライダー」を更生させる戦略はある?

これが競争(ビジネス)の原理である。
子育ての原理ではない。

オトノネひろげるシェアぼたん

【思春期】は2歳のウハウハ期(イヤイヤ期)と似ている気がする。

2歳のウハウハ期(イヤイヤ期)は高次認知的情動がぶわっと現れて「いやもう、ほんと、困ってるんだぜ!いろんなこと感じてるんだぜ!あれもこれもやりたいんだぜ!」という時期だった。
子どものゴールデンタイム2歳のイヤイヤ期(ウハウハ期)の心の状態は高校生が溺れている「課題の海」と似ているような気がした。

2歳のウハウハ期は第一次反抗期と呼ばれる。

で、思春期は、第二次反抗期と呼ばれる。
第二回、ウハウハ期!

どちらも、「大きく成長する時期」だ!!!

キャッキャ(*´∀`) (´∀`*)ウフフ
ヤンチャしゃうんじゃない???w大草原wwwwww卍

思春期の脳を科学すると次のようになる。

テンプル大学の心理学者ローレンス・スタインバーグの分析によると、思春期の頃の生活に強い影響を与える神経系はふたつあるのだが、このふたつの発達がきちんと連動していないところに問題がある。一方は刺激処理システムと呼ばれるもので、これによって人はより興奮を求め、感情的に反応し、周囲の情報に敏感になる(ティーンエイジャーだったことのある人なら見に覚えがあるはずだ)。もう一方は認知制御システムと呼ばれるもので、あらゆる衝動を規制する。十代が危険な時期であると言われてきたのは、刺激処理システムが思春期の早い段階で最大まで発達するのに対し、認知制御システムの方が二十代になるまで成熟しきらないためだ、とスタインバーグはいう。このため数年の間は行動を抑えてくれる制御システムが不備なままで狂ったように刺激を処理していくしかない。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.55)

この状態を、第二の「ウハウハ期」(世にいうイヤイヤ期)と言ってもいいだろう。
思春期のは性ホルモンが盛大に出てくる。性ホルモンはいわば心を体ごと変化させる「感情の嵐」とおもったらいい。
攻撃的になったり、ビクビクしたり、もちろん、性に目覚めたり。
その子の気質、それまでの情動調整能力が試される時期、新しく生まれ変わる時期といえる。

一方で、

実行機能が他の認知的スキルよりもはるかに柔軟であり、「前頭前皮質は脳の他の部位よりも外からの刺激に敏感で、思春期や成人早期になっても柔軟性を保っている。だからもし環境を改善して実行機能を高めることができれば、その子どもの将来は劇的に改善される可能性がある」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.55)

前頭前皮質が柔軟性をもっているというのは、まだ脳の回路を成熟させていない、という意味で、行ってしまえば「まだまだ試行錯誤していいよー」という状態だ。

ーーーー

実行機能とは?
この不安な時代を臨機応変に、しなやかに生きやすくする機能のことらしい。

実行機能のうち最も重要なのは、認知における柔軟性と自制の二つだ。認知の柔軟性は、ある問題に対しこれまでとはべつの解決をみつける能力、既存の枠組みにとらわれずに考える能力、なじみのない状況に対処する能力である認知の自制は本能あるいは習慣による反応を抑制し、代わりにもっと効果の高い行動をとる能力である。スピゲールが生徒にさせているのは、このふたつのスキルを高める訓練だ。(略)もう一つスピゲールは目先の利益を追いたい誘惑に抗うことも教える。なぜならそうした指し手は往往にして後のトラブルにつながるからだ。「チェスを教えるのは、施行に伴う習慣を身につけさせるのとおなじことよ」。ある朝私が教室に行くと、スピーゲルはそう説明した。「自分の間違いをどうr買いするか、思考の過程をもっとよく自覚するにはどうしたらいか。それを教えるってこと」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.177)

ーーーーー
前頭葉は、情動のラスボスである扁桃体を制御する場所。
性ホルモンでウハウハの扁桃体。
やる気バッチリ、もしくは興奮状態。
いろんな刺激に反応しちゃうぜ!敏感に感じちゃうぜ!
<丶`∀´>ウェーハッハッハ
これがひきこもるなどの陰の感情を働かせることもあれば、怒りのような陽の感情を出すこともある。

この時、前頭葉は、、、「え?あ、ちょっとまって。え?扁桃体が最近ウハウハなんだって?」って感じ。

ウハウハ期(イヤイヤ期)と同様に、新しい自我が生まれるこの時は、大変な時期です。
本人も大変です。こうした状況を『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』では「こうした若者は恐るべきシステムに捕らえられており、堪え難い事態の中でさまざまな決断を強いられている(p.63)」とか「強烈な神経システムの働きに打ちのめされている(p.63)」と表現されている箇所がある。

かつて、共同体がこの困難を乗り越える仕組みを共有していた。
受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。
それが今は、ない。というか、弱い。

高校生活で多くの子供が、ウハウハを抑圧され、イヤイヤだけが残るような感じ、ではないか。
(多くの高校では、部活や体育祭・文化祭でウハウハを解放してあげているようだ、が)
子どもが「堪え難い事態」にあることを理解して、受け止めてあげることは、2歳の時と変わりがない。

とおもうのは、僕だけだろうか。
(だから、思春期になると睡眠時間が増えるんだね!そういえば二歳児でウハウハ期のあの子も、なんだかんだすぐ寝るようになったのは気のせいだろうか)

2歳の時は、今まで甘えていたお母さんから大きく自立する時期だった。
思春期のこれは、小さなコミュニティーの価値観を抜け出して、別の世界に飛び出す、さらに大きな自立の時期になる。

2歳、そして思春期のキーワードは「挑戦」。

挑戦。

挑戦!
(大人になると「え?ちょっとそれ、大丈夫?」と不安要素を計算したがる前頭葉が弱腰になこの時期だからこそ!大風呂敷ひろげようぜ!)

こんなキラキラした、輝ける時期にいる若者時代に、僕は輝けていただろうか。
きっと、この時代に輝いた人は、大人になってもちゃんと輝けるんだろうな。
僕はまだ、思春期!笑

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で、この時期が、今、危険らしい。
どういうことかというと、、、スマホでのコミュニケーションが「染み付いてしまう」みたいな。
まだ研究中らしいけどね!

人間関係に苦しむ時期、ここで大人は、スマホというテクノロジーと、子どもをどう関わらせるか。
そんなケースの子を見たことがある(いわゆるスマホにどっぷり浸かっている子)。

スマホと発達するか、人間と発達していくのを選ぶか、という感じだろうか。

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子どもの気質を変わるポイントは、思春期が始まる前、メタ認知ができてからだというお話。

中学生の大切さ

『オプティミストはなぜ成功するのか』を読んでデイヴィッド・レヴィンが最初に目を惹かれたのは、効果的な時期についてのセリグマンの主張だった。悲観主義の子供を楽観主義者に変えるのに最適な時期は「思春期よりまえ、しかしメタ認知ができる(思考についての思考ができる)程度には成長したころ」であるという。いいかえれば、ちょうど子供たちがKIPPのミドル・スクールにやってくるころだ。性格について話すこと、性格について考えること、性格を評価すること。これらは全てメタ認知のプロセスである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.148)

思春期になってから、自分を語り直すこともある、
だけど思春期は思春期で、子ども(の脳)は忙しいからね笑

気質(性格の強み)を大きく分けて次の7つにまとめた人がいる。

  1. やりぬく力(グリッド)
  2. 自制心
  3. 意欲
  4. 社会的知性
  5. 感謝の気持ち 
  6. オプティミズム
  7. 好奇心

これはもちろん幼少期から育っていく気質だけど、メタ認知ができてきた中学生(女の子なら小学校高学年あたりから?)なら、メタ認知を使ったアプローチができる。発達段階が変われば、違ったコミュニケーション方法ができる。

ルールを決める

ケスラーによれば、ルールをつくると前頭前皮質を味方につけることができる。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できる。ルールは意志力と同じものではない、とケスラーは指摘する。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品である。ルールを作ることによって、揚げ物を食べたいという欲求とその欲求に抵抗する堅い決意とのあいだに起こる厄介な葛藤を回避できる。ケスラーの説明によれば、ルールとは「構造であり、魅力的な刺激との対決に向けた準備となるもの、わたしたちの関心をほかへ逸らすものである」。ルールはやがて欲求と同じくらい反射的に働くようになる。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.151)

認知行動療法
ネガティブだったり自滅的だったりする思考や解釈を自覚して、あえてよりよい見方を口に出す。
自分で自分に認知行動療法を適用する。

「この年齢の子供たちはみんな、毎日のように小さな爆発を起こしています。ミドル・スクールの年ごろっていうのは人生で最悪の時期です。それを乗り切れるのは、自分に向かってこういえる子供たちなんですよ。”こんなちいさなことは乗り越えられる。私は大丈夫。あしたは新しい1日なのだから”」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.148)

メタ認知、自己意識の強化の時代。中学生。

大人になってからの収入の差を生む変数は十代のころの身長の高さであった。16歳という形成期の年齢において比較的背が高かった少年は、社交的で運動の得意な若者になり、これが恒久的に彼らをやり手になるように調整したようである。この時点を過ぎると、たとえ後期の急成長気ごろまでに背が高くなっても、何の違いもうまなかった。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.244)

思春期は、社会に出て自分を作り始めるデフォルトをつくる。
この時代にどれだけの人と出会い、どのような言葉を聞き、どのような学びをしてきたか。
どのように自分と関わったかが、大切であるようだ。

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思春期のあなたへ
いろんな人との出会いが、素敵な出会いが、自分をもっと大きく成長させてくれる出会いが、これから君を待っている。

オトノネひろげるシェアぼたん

【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えーストレス『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』


『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

逆境によるストレスが、発達段階の体や脳にダメージを与えるのである。(略)人間の整理システムは急を要する身体的な非常事態に反応するように進化してきたものである。しかし、私たちは住宅ローンや人間関係や昇進について心配することでそのシステムを何ヶ月者あいだ使い続ける。こうした整理システムの使い方は効率が悪いだけでなく、きわめて有害でもある。その証拠はここ15年以上の間に多く発見されている。HPA軸に、とくに幼少期に負荷を与ええすぎると、長期にわたる深刻な悪影響が体にも、精神にも、神経にもさまざまに出てくるのである。しかしこのプロセスがややこしいのは、わたしたちをかき乱す原因がストレスそのものではないてんだ。原因は、ストレスに対する反応にある。(略)マキューエンによると、ストレスを管理するプロセスこそがー彼はこれを「アロスタシス」と名づけたー体を損なう要因なのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』ポール・タフp.44)

アロスタティック負荷を表す数値は厳然たる医療データを反映したものー子ども時代の逆境が実際に体に及ぼした影響、つまりは皮膚の下、体の奥底に刻み込まれたものーなのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.49)

どういうことかといったら。

小さいとき、お母さんはー赤ちゃんが泣いた時に抱きしめてあげるように、ぬれたおしめを取り替えてあげるようにーストレスを処理するプロセス通じて、子どもにストレス対処法を伝えているということ。

それは「大丈夫だよ」という一言かもしれない。

毛づくろいすること。
抱きしめてあげること。

やさしくあたたかく
日に日に成長していく子どもの心を尊重する心をこめて

環境による影響の中で子供の発達を最も左右するのは、ストレスなのだ。子供たちは、いくつかの環境要因によって、
長気にわたり不健全な圧迫を受け続けることがある。こうしたストレス要因が子供の心を体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きい。
逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワークー脳と免疫システムと内分泌システム(コルチゾールなどのストレスホルモンを作り、放出する内分泌腺)を結ぶネットワークーの発達に強い影響を及ぼす、特にこの時期にネットワークが環境からの信号に敏感に反応するのは、これからの先の長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号を常に探しているからだ。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をする。血圧を上げ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高める。
短期的に見れば、特に危険な環境では利点もある。「闘争・逃走反応」とも呼ばれる脅威検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状態なので、すぐに反応できる。このように、危険な環境への適応の発達には確固たる理由があるのだ。しかしこの適応が長期にわたってつづくと、かずかずの生理的な問題の引き金ともなる。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病までさまざまな病気を引き起こす。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ぼす可能性がある。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能を司る最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力が育つのを妨げる。
感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子供はーいまでは大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶがー失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになる。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんのすこし軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥る。月皇生活では、つねに脅威を警戒し続ける強度に敏感なストレス反応尻手むは、自滅的な行動パターンを引き起こす。けんか、口答え、教室内でのわがままなふるまい。もうすこし目立たないものとしては、クラスメートとのつながりをつねに警戒し、教師や大人から差し伸べられた手を拒むようになる。
認知面でみると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害される。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに例えられることのある高次の認知的能力ー作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むものーで、これが発達のための神経系の基盤となり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなる。不慣れな状況を切り抜けたり、新しい情報を処理したりする際に非常に役立つ、まさに日々の学校生活で求められる能力である。この実行機能がきちんと発達していないと、複雑な指示に集中できず、学校生活にいつも不満を抱くようになってしまう。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.28)

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ストレスが、子どもの天の才を潰してしまう。

お母さんが子どものストレスを、癒し続ける。それが自然な子育てだ。
子どもはもう、世の中から十分なほどに、ストレスを与えられているから。(もちろん、成長しながら、自分で自分をストレスから守れるようにならないとダメだけど。その方略は人それぞれ)

たまに、お母さんが子供にストレスを与えていることがある。
子供は別のところで、ストレスを自分で、何かしらの方法で、癒すしかない。もしくは、溜め込むか。

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実行機能の働きを試すテストとして有名なものにストループ・テストがある。緑色の文字で書かれた「赤」という単語を見せられ、単語は何色で書かれていましたかと尋ねられる。赤、と答えないためにはいくらか努力が必要で、とっさに赤といいそうになる衝動に抵抗する時に使っているのがこの実行機能なのだ。これはとくに学校で大事なスキルであるといえる。子供たちはつねに矛盾した情報に対処することを求められるからだ。Cという文字はKとおなじように発音されるーSのように発音されない限りは。taleとtailは、発音は同じだが意味が違う。「ゼロ」という概念にはそれ自体にひとつの意味があるが、「1」と並べると全く別の意味を持つ。こうした多種多様なトリックや例外を飲み込むには、物事を認知する際の衝動の抑制がある程度求められる。これは神経学的には感情面の衝動の抑制ーお気に入りのおもちゃの車をほかの子にとられるときに、叩くのを我慢する能力ーと関連のあるスキルだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.51)

これはいわば、ルールを飲み込むチカラ。
あそんでいる時に気に入らなくなって「ルールだから!」といわれて、「じゃぁもうやめる!」といって抜けるのと同じかもしれない。
ただ、学校で教わる内容(753システムに基づいた画一的学習内容)が、その子の発達にあっていないだけかもしれないけれども。

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はい、また重要なところです。

実行機能のスキルの中に、短期記憶(ワーキングメモリ)というものがある。今日スーパーマーケットで何をするか、メモをせずに覚えているような記憶だ。学校のお勉強をする上では欠かせないスキルである。で、サイモンという人が実験して手に入れたワーキングメモリの働きを測定した結果を「サイモンのスコア」として次の文を読んでほしい。

エヴァンズトシャンベルクの発見によれば、貧困層の少年が受ける不利益としてはアロスタティック負荷が大きいということの方が重要である。もし別の貧困層の少年がやってきて、その少年の方がアロスタティック負荷が小さかったらー理由はどうであれ、貧しくともストレスの少ない子供時代を送っているとしたらーサイモンの競争で裕福な家の子供と同程度のスコアを出す可能性は十分にある。そしてなぜサイモンのスコアが大事なのかといえば、高校にも大学にも職場にも、ワーキングメモリが成功の鍵となる作業が山ほどあるからだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.54)

つまるところ、貧しいから学業成績がでるのではなく、貧しいからストレスがかかり学業が下がるのである。貧しくてもストレスがかかっていなければ、適切な環境次第で、裕福な人と同等の学業成績を残すことができる。

ストレスから子どもを解放する。
これがまず、大切だということ。

お母さんが子どものストレスを、癒し続ける。それが自然な子育てだ。

そして自然な子育てをするための知恵と振る舞いを、僕は、愛と呼んでいる。
愛とは何か?


今年の四月に出たばかりの本。
翻訳されることになるだろう。
その前に僕は読んで、「お母さんと子どもの交換日記」をつくろう。
Coaching Parents of Vulnerable Infants: The Attachment and Biobehavioral Catch-Up Approach

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学校ではなく、お母さんから学ぶことの大切さ

『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』ポール・タフ

生後1ヶ月ほどの間、泣いた時に親からすぐにしっかりとした反応を受けた乳児は、一歳になるころには、泣いても無視された子供よりも自立心が強く積極的になった。就学前の時期には同様の傾向がつづいた。つまり、幼児期に感情面での要求に対して親が敏感に応えた子供は自立心旺盛に育った。エインズワースとボウルビイの主張によれば、親からの暖かく敏感なケアは子供が外の世界に出てゆけるための「安全基地」となるのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.68)

子どもたちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業するかを予測する際に、知能検査や学力テストの得点よりも、幼少期の親のケアにかんするデータの方が精度が高かった。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.75)

どちらのケースでも、子供が生後まもないうちに親として特定の役割を果たした母親が一定の割合で存在した。そしてその行動ーラットの場合にはなめたり毛づくろいをしたりすること、人間の場合には幼児のサインに敏感に反応することーが子供たちのあげる成果に対して永続する効果を及ぼしている点が共通している。人間でもラットでも乳児のうちに適切な世話を受けた者は、のちにより好奇心や自立心や自制心を持ち、障害にもうまく対処できた。幼少期の育児における母親からの注意深いケアが、ストレスから身を守るためのレジリエンスを育んだ。人生においてふつうに起こりうる困難な事態に直面したとき、何年も後になってからもーオープンフィールドテストや、幼稚園での我の強い子供とのけんかなどからわかるように、人間もラットも同様にー自分なりの主張を行動に移し、自信を持ってまえに進むことができたのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.76)

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貯められたストレスが、前頭葉の成長を阻害する。
それはセルフコントロール、ストレスマネージメント能力の発達の阻害要因になる。
『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

ストレス心理学者たちも、この現象を生物的な側面から説明している。脳の中で幼少期のストレスから最も強く影響を受けるのが前頭前皮質、つまり自分をコントロールする活動ー感情面や認知面におけるあらゆる自己調節機能ーにおいて寿湯代な役割を果たす部位である。このため、ストレスに満ちた環境で育った子供の多くが、集中することやじっと座っていること、失望から立ち直ること、指示に従うことなどに困難を覚える。そしてそれが学校の成績に直接影響する。抑えることのできない衝動に圧倒されたり、ネガティブな感情に悩まされたりしていれば、アルファベットを覚えるのもむずかしい。(略)多くの場合、ストレスの影響はおもに思考を制御する能力を弱めるかたちで出る。これは「実行機能」として知られる、認知をつかさどる特定の機能が前頭前皮質にあるからだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.49)

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ストレスに対して、弱い人がいる。
ストレスを感じた時に、どうしたらいいのか、どんな心構えをして生きて行ったらいいのか。
それは、「お勉強」では学べない。

心が大事。

思い出、インドネシアを旅していた時に。。。
「日本はストレス社会だ」と話したら、「ストレスって何?」と言われたこと。

そういう社会も、ある。
ストレスが「自然」になってしまった日本で、どうやって子供を「自然」に育てられるだろうか?

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

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有料です。知的好奇心をお金で買いたい方、どうぞ!

おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもとうまくいかない!とおもったら?

子どもとあそんでみよう。
うまくいかなかった罰として!笑

「イヤ!」といわれたら?
泣いてせがんでみてもいい笑

気持ちがわからない、通じ合わない、感じられないなら、遊びはその壁を簡単に壊してくれる。
「悩んでいる新皮質」ではなく、「ありのままの辺縁系」が、表にてでくるからだ。

怒りを感じたら。
何かを伝えるときに、怒りをベースにしたら、多分うまくいかない。
ほとんどの場合は、真剣さだけで、凛とした言葉の響きで、言葉の強さで、ことたりるとおもう。

強く。強く。
言葉の力を。
それは、心の力なのだけれど。

言葉尻を強くする、ではありませんよ笑

こういう、やさしい人を見つけた。
僕だったら「学校というシステム」の問題にしてしまうのを、個人レベルで対応するように、手を差し伸べる人。やさしいな。

発達段階を理解することで、無用な怒りに触れなくてもすむかもしれない。

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ものを落とす1歳児に悪意はあるか。

「なんだこれ」とおもって、ひっぱっただけだ。
それが落ちて、それがどうなるか。
その重さは?落としたら壊れる?そもそも、落とす?
それをみた人が、どうおもうか。

見知らぬ「ものを落とす」ことに対しては、見当がついていなかっただろう。
それくらい、大人が見たら、「いや、それ、落とす?」というものを、落とした。
落としたのではなく、

ひっぱったら、落ちた。
というのが、彼の目線だろう。

子どもに悪意はあるか。
僕には「ない」と思っている。
全部、養育者を真似した結果か、防衛機構の一部として働いているとおもう。
「悪態をついて、欲しいものを得る」心
「悪態をつくことで、コミュニケーションをとる」心。

心で関わろうとするとき、どうか、怒りが、やさしさに包まれますように。

オトノネひろげるシェアぼたん

2種類の幸福

The surprising science of happiness

高校の授業のゲストで、岩井伸太郎さんがきてくれた。
世界一周をした経験から瞑想、マインドフルネスを加賀市で実践している。
子どもたちが生き方を学ぶ、勉強も教える塾をやっているそうだ。
塾生が増えているということで、いやぁ、おとのねも見習いたい。

そんなかんだで、僕も「夏休み前だし!」とおもって、英語の授業で「しあわせ」についてみんなとなんかやろうとおもった。
そこで見つけたのが、このTEDの映像。

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幸福には2種類がある。
自然発生的幸福と、人工的幸福。

自然発生的幸福は、「欲しいものを手に入れる」時に得られるしあわせ。
人工的幸福は、「自分でつくりだす」しあわせ。

「え?不幸じゃないの?」と一見、思える状況でも「しあわせです」と言える人は、人工的幸福を作り出せる人だ。
僕はこういうとき、いつもDVの被害者の状況を重ねてしまう。
一見、はたからみると「それって幸せ?」とおもえることでも、「しあわせ」にしてしまう、脳の働きがある。

(この脳の働きを利用してみんなで幸せになろう!というのが、ブッダのオリジナルの仏教かもしれない)

けど、この人工的幸福の価値は、世間では一般的ではないという。
みんな、「ほしい」未来に向かっている。
子どもたちに「こうなってほしい」未来に向かわせているお父さん、お母さんがいる。

今、この時に、この場所で、しあわせを感じられているだろうか。
「今ここ」でしあわせを感じるチカラも、大切にできているだろうか。

僕自身、よくよく思い返したい。。。。

ーーーーーー

自然発生的幸福とは、「得られるよろこび」である。
「こうなったらいいな。ああなったらいいな」とおもったものが、得られたとき、しあわせになる。

自由、選択、意志、といった近代的な価値観は、自然発生的幸福観の土壌になっているという。

マーケットの原理だ。

もし僧侶のように人々が「そのままでしあわせ」になったら、イオンも、ファボーレも成り立たない。
経済が動かない。行政に税金が入らない。だから「もうこれで、いい」ではなく、「もっと、もっと!」しあわせになれるように、行政も働きかける。

(よく、子どもの数が少なくなった、ヤバイ!日本の未来が!というが、それは「しくみ」を変えれば済む話で、別の「しあわせ」の形を探せばいいだけの話で、子どもを増やして昔のままの価値観を維持しようとすることが、また働き続けて昔のままの価値観を維持しようとすることが、果たして「政策」として本当に民意にあっていることか。そもそも「しくみ」の話を学校でも教わらないから、旧来の「しあわせ」に誘導されているとおもっていい。)

ーーーーーーー

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
自立する、という意味で。

けど実際、自由、選択、意志が及ばない「天の才」、「宿命」を受け入れることでたどり着ける境地があるとも思っている。

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
「世の中の思惑」から、自立する、という意味で。

「天の才」、「宿命」を受け入れるために。
自分らしく、命を尊ぶために。

要するに、使い方なのだ。

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自然発生的幸福は、いってしまえば狩猟時代に「獲物が捕れた幸せ」に相当するだろう。
次の狩りへの動機付けにもなる。
これは大脳辺縁系、扁桃体とかそこらへんが絡んでいるしあわせのようにおもえる。(勉強したい)
ある意味で、動物的なしあわせだ。

人工的幸福は、これは「つくられたしあわせ」であって、ファンタジーの世界だ
そこにないものを、作り出す前頭葉(大脳新皮質の一部分)の働きだろう。(勉強したい)
これは、人間的なしあわせである。

どれだけ、人工的に、しあわせをつくれるか。
人工的にしあわせをつくりだすための「インフラ」をつくるか。

これが人生の楽しみであり、ワクワクであるようにおもう。

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どこかに辿りつくまでの道すがら、しあわせを集めること。
「我慢我慢。この労働(課題)の果てに、しあわせになる!」といいながら、不確定な世界で、「得られなかった」時の幻滅、失望は計り知れないかもしれない(給料は必ずやってくるからまだいい。課題は最悪)。やってみるといい。そのあとで、しあわせへの道をさがしたらいい。僕も長い間「求めよ、さらば、与えられん」の道を歩いてきた。ある意味でそれも真実だが、「求めなければ、得られるもの」もある。

カスカネダが記述したインディアンの教えでは、これを「心ある道」と呼んでいる。
これは実は、道教のタオ(道)でもある。

入り口を探すまでもない、道。
僕は今、入り口を探しているような気がしている。
そんなものないのに笑

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.
しあわせへの道すがら、あなたはあなたがなりたいあなた、あなたしたいこと、あなたがほしいこと、全てに出会えるだろう。

ーーーーー

完全個別指導の学習塾、少人数の《放課後の学校》のレッスン料は高い。
それは「求める」ことでしか得られないものだろう。
どこかで矛盾していることが、わかっているから、僕はいつも、困っている。


けど、家でなにがしかの節約をして、「しあわせ」のやりくりをすることで、払えない金額ではない、ともおもっている。

お母さんのハートワークを増やしたい、と願うオトノネさん。
そのためにお金を稼がないといけないと思うオトノネさん。

この心を大切にするために、やっぱり、お金が、必要なのです。
この心を大切にするために、やっぱり、個別、少人数にしたいのです。

わがままですか?
僕のわがままに付き合ってくれる方に、オトノネを応援してもらえたら、うれしいです。

オトノネひろげるシェアぼたん

野性のチカラと企業戦士の矛の先と戦闘ゲームと虫取りとあそび

最近、保育園で子どもが「虫取り」をするのを見た。

というか、園内に昆虫が増えた笑

で、この虫取り、、、、、
すごい。

何が凄いかって。

まず目が鍛えられる。
「獲物を見つける」視野。

で、神経も鍛えられる
「獲物を捕まえる」俊敏さ。

で、指先も鍛えられる。
「殺さず、生かす」やわらかさ。

で、頭も鍛えられる。
「逃げられた!次はどうしたらいいか?」

捕まえた虫を観察したり。
飼ってみようとするなら、もっといろんなことを学ぶだろう。

あれだけ生き生きとしていた虫が、死ぬかもしれない。
そんなかんだで、心も鍛えられる。

ーーーーー

サッカーなどは、ゲルマン民族の「戦闘」能力をスポーツ化したものだという記憶が僕にはある。
テニスは「貴族の暇つぶし」。野球の起源はなんだったか。(ネットで調べて見たけど、不明らしい。あんな複雑な、バットを使ってボールをうんたらなんていうものがどうやってできたのか。場外に出す動作、打つ動作。走るどうさ。取る動作。うーん、想像できない。。。)

とにかく、体を使って奪いあったり、捕まえたり、物を放り投げたりする能力は、なかなか爽快だ。
的(獲物)に当たったら、めちゃくちゃ嬉しい笑笑

それこそ自分で「修行」をしたくなる。
そうして、強くなる。

宮本武蔵になれる笑

ーーーーーー

スポーツも、ある程度のレベルまでいくと、相手との「心理戦」になる。
どれだけ相手の呼吸を狂わせるか。。。。

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

剣を通じて、拳を通じて、語り合う人がいるらしい。
北斗の拳とか??

ーーーーーーー

現代、この狩猟感覚はゲームの中で体験されている場合がおおい。
オトノネさん、実は生徒に教わって「戦闘ゲーム」を、最近、やってみた。
戦場に降りて、武器を見つけて、相手を狙って撃つ。
相手の足音、打たれた方角、現在地、向かっている先は全て画面に表示される。
けど肝心な情報は、「目視」するしかない。
20分くらい、逃げて、狙って、隠れて、戦い続けた。(結局3位になったが、銃は一回も使わなかった笑ビビりなのね)
オンラインで、世界中の人がやってくる。
時間が来ると、居場所が狭まっていき、敵との遭遇率も高くなる。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れた。

身体感覚が伴っていたら、大変なことになっていただろうが・・・
おとのねさんには、違和感、違和感・・・

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。

脳は野性を、ある意味で求めているかもしれない。「男の子」はなおさらそうかもしれない。

それで高度経済成長期に、「男の子」は、企業戦士になって、戦ってきた。
今、その矛を置いて、さて、どうしたものか。
矛を下ろす先が、わからないのかもしれない。

矛を持ったままでもいいから、その矛で、子どもとあそんだらいいのに。
たったそれだけで、世界はたぶん、変わるから。
(それで少年野球に精を出すお父さんがいるという話もある。スポーツじゃなくて、「させる」んじゃなくて、あそんでほしいんだけどな)

そもそも、狩りは、昔の子どもにとって、純粋に遊びであり、本物の狩りの練習だった。
そうおもうと、昔の「狩り」は今の「宿題・課題・お勉強」なのかもしれない。あそぶように、当たり前のように、「学習習慣」を身につける世の中。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れている子どもが、どれだけいるだろうか

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

「テスト、どうだった?」
「赤点じゃなかった!」

テストの答案用紙を通じて、模試の結果を通じて、語り合う人がいるらしい。

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。
「やった!今回も、平均以上だ!」次も頑張ろう!とか。

心が大事。

ーーーーーーー

ちなみに、オトノネでこの野性の要素を出せる環境は限られています。
走り回るスペースは、ありません笑

けど
お手玉とか、折り紙の手裏剣ごっことか、(山田さんの)吹き矢とか。
あ、この前、庭にトカゲが歩いてたな。。。

あれ?そうおもうと、あそびって、結構野性味があるな・・・

オトノネひろげるシェアぼたん

佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。

佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。

先日、富山大学附属特別支援学校でたまたま佐藤学という有名な先生の話を聞く機会に恵まれた。
いるんだね!こういう人!というか、友達になりたいとおもった。
「学びの共同体」という言葉で、理想の教育の姿を説明してくれた。

むかーしっから、やっているようです。
学びの共同体研究会

石川県金沢市立紫錦台中学校も参加しているらしい。
こちらが金沢市立紫錦台中学校のHPです!
富山県で「学びの共同体」を実施している場所は、みつからなかった…

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メモにとったもの。

学ぶことは、しあわせなことだ。
一人で学ぶことはできない。学びは、社会的なものであって、孤立していたらできない。
人間の大脳新皮質は他者との協同により発達する。

ペア、グループ、コの字型で向かい合うのが基本。

小学3年生にならないと、内言ができない。考えることができない。(経験的な法則)
だから小学1、2年生はペア。それ以降は、3人、4人にする。

学びは既知の世界から未知の世界への旅であり、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
学びは個人的活動ではなく社会的活動であり、自然的過程(能力や技術の形式)ではなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。

人間の学びはコピー(模倣)ではなく、再創造
人間の学びはコミュニケーションによる意味の再構成(社会的文化的実践)

学びを対象世界(テキスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践。
学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。

人間の学びは、ほとんど短期記憶にしかならない。
人間は学び続けないといけない。
動物は生まれてからすぐ、立ち上がる。模倣のプロ。
人間は、模倣する力が動物より弱い。短期記憶にしかならない。

一歳になるまでに、一度シナプスが削ぎ落とされる。軸索を残して、消える。
1歳になったら、シナプスがズバーと出てくる。そうすると、言語が生まれる。

シナプスのつながり、すなわち関係の構築。

1”5”20
意味を、共同で見つける時、それが長期的な記憶、知恵になる。

東京オリンピックのときには、空港が無人化する。
35%が人工知能で賄われるらしいよ。

創造・探究・共同
今のところできないこと。。

もう、今までの教育は役に立たない。
理解中心から探究中心へ

「わからないこと」を恥じるのでなく、「探そうという気がないこと」を恥じ得る時代。

140年前に成立した一斉授業

世界からは30年前に消えている一斉授業
安い単純労働者をつくるシステム。単純労働をする?

エリートはコの字のテーブルで育つ。ハーバード大学の講義室(黒板に全ての机が向かっている教室)は一つだけ。

コピーで済むような授業はいらない。

経済が発達している国はアクティブラーニングをやっている。30年前に

30年前、TOP30のうち21社が日本
今、TOP30のうちで、ゼロ。

この30年間で変わった。

学ぶということが、即幸福である。

人間は7つの領域に分かれている。
Howard Gardner
あらゆる能力を持った人はいない。
なんの能力ももたない人もいない。
孤立して生きてはいけない。
一人で生きようとしてはいけない。

人との関係の中で、多元的に見なくてはいけない。
抜群の能力がある。

デザインはビジョンによって
プランは目標によって生まれるもの。

建築家はビジョンを見る。
デザインは生かそうとする。

目標思考の仕事workと労働labor
創造的な時間。activityはビジョン、デザインの世界。
文化的な意味と、社会的な関係を想像する。

学ぶ権利の実現。

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こちらは

富山市の個別×子別指導学習塾オトノネ堀川教室

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富山市の個別指導塾オトノネ堀川教室

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「待つこと」「見守ること」(谷川俊太郎、すきすき、きゅっ、好き好き、ちゅっ)子どもを受け入れられるか。
「させること」ではない。ここもおとのねだ。
おkどもへの信頼、子どもを尊敬する。これもオトノネだ。オトノネはこれを「自立している」と表現している。
学びの共同体は、リスペクトの共同体だ。そして、ケアの共同体

特別支援学校っで主流になっている「行動療法」は研究者が論文を書きやすいから。
「させる」ことで条件付けをする。それは「発達(心)」ではない。
行動レベルの導きだ。

思考、学習、内言。
外言が先。だから内言ができない子がたくさんいる。
対話の相手がいることで、モデルを得ることで、内言できる。
経験的に小学3年生。4人組で(人の話がきける?)
小学1、2年生は「考えることができない」まだ内言が使えない。無理無理!ペア。

「待てない」手を出す口を出す。がダメだ。
教師の仕事〈聴く・(子どもと子どもを)つなぐ・もどす(もう一回)〉
「だれだれくんの言ったこと、どうおもう?」

子どもが、学びの主人公だというのが基本。
いい教師は〈目と耳〉で仕事をする。
子どものテンポはゆっくり。教師が先に行かないで、待つこと。

ある意味で、戦国時代、三国志時代の武将のようである。

共有の学び:ほぼ全ての子どもたちが達成できるレベル
挑戦的な学び:三分の一の子どもたちの達成を期待する、つまり三分の2の生徒が「できない」課題を与える。
難しい問題だからこそ、子どもたちは大好き。飛びついてくる。
基礎を丁寧、丁寧に、積み上げるというやり方ではない。積み上げずに、引き上げる。
(そんなん無理無理!というものを出してみると、一生懸命に挑戦する子がいる)

——-

オトノネではメタスキルと呼ぶ「コミュニケーション能力」
創造的な仕事。
多様な人間が、それぞれの持分を出すことでしあわせがうまれる。
オトノネが求めている「先生像」

まことに同感できる、こういうことをきちんと言ってくれる人がいる。

昔の昔から、活動していて、少しずつ、広がっている。
こうした時代の流れの中に、オトノネはいる。
富山県に、オトノネは、いる笑

オトノネは「学校」をつくるにしたら、どうしたらいいかなと思っていたところで、いいモデルを見つけられた。
少しずつ。少しずつ。時に、大胆に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

どうして9歳の子供にできて、大人にできないのだろう。
マッカーサーが言ったように、日本人は精神的に、10歳だということを、素直に受け入れてもいいのかもしれない。(といってしまえば、多くの国が、10歳レベル、ということになる?)

「教える」といった表現自体は、4歳になった頃にはあまりみられないが、年中も5歳頃には見られるようになり、年長にはより一般的なものになってくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.168)

◆年長児のA子は編み物がとてもじょうずで、器用に長く編むことができる。同じ組のI子は、じぶんも編みたいのだが、どうしてもA子のようにはうまくできず、どのように編んだらよいのかをA子に聞いている。A子はI子の様子を見ながらI子に編み方を順序立てて教えている。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.174)

5歳:共同作業ースキルを知っている人が知らない人に教える。
9歳:異質さを繋げる。気づく、認める。

共同経験の効果が混合ペアの初心者のみに見られた。熟達者と共同で組み立てた経験が、事後テストでのレゴブロック課題の遂行に顕著な促進効果をもたらしたのである。そのやりとり過程を分析すると、初心者同士に比べ金剛ペアの初心者は相手(熟達者)の行動をより頻繁に観察することがみられ、熟達者も、熟達者同士の場合よりも説明やデモンストレーションを与えることが見られる。つぎはどこにレゴを置くべきか、なぜここにブロックを置くかなどを初心者に話すことが観察されたのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.175)

5歳であることを終わらせたらいけない。
大人も、5歳児のようにあるといい。

年長も6歳頃になってくると、子供同士が対等にアイデアや考えを出し合い、話し合いながらの協同的な課題解決がより巧くできるようになる。その表れが、「こうしたらどうや」「こうしたらいいやん」と、子どもたちがアイデアや工夫を持ち寄りながら協同でじぶんたちの遊びをつくりあげたり、問題解決的な場面において子どもたちがそれぞれの意見や工夫を第愛、もちよりながら解決していこうとする姿にも見られる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.177)

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いまではいじめは小学校からはじまっている。中学校になるといじめの強さも規模も大きくなって取りざたされるようになるが、小学校の中学年で不穏な雰囲気ただよう学校の雰囲気が強まるようだ。どういうことか。いろいろなお母さんがいるから一概には言えないが、9歳頃になると内言が発達し、4人でグループ学習をしてもみんな対等に関わり合える、異質な人としてコミュニケーションができるようになる、というようなことを佐藤学が講演会で言っていた(経験則らしい)。9歳からの発達課題はなにか。「どうしたらこの世界で、うまくやっていけるのか」をみつけることだと、今僕はおもう。それは異質な他者との「人間関係」を学ぶことである。感情だけではなく、内面性、深い場所にある自己、他者にとっての他者にとっての自己を含めた複雑な人間関係の中でホンネとタテマエのバランスをとる生活、人間関係をデザインしていくこと。虚構の世界へ向かっていたファンタジーが、「わたしという一人の人間は一方でこうであり、他方でこうである」という同時にいくつもの面をもっていることを認識する。それは心地の良いものではないかもしれない。大人たちが、何を「よし」とするか。そして子ども自身が、何を「よし」とするかという対立構造も生まれるだろう。

ワタシと友達の間ではOKだけど、その友達にとってはNGなことがあったらどうするか。部活でみんなと一緒にいるのは楽しけど、たまにいじめがあっていやだ。とか。ワタシがどう考え、どう行動したらいいか。

うれしいけどかなしい、といった2次感情が同時に生まれてくるのが何歳か忘れたが、それを基盤として今度は感情を超えて、「ひとりのわたし」の行為や振る舞いが多面化するのを手伝うことだ。日本の文化としては、オモテを闇に葬る、愚痴を言う、影でいじめをするという抑圧を子どもが学ぶ傾向がある(いまでは3歳からもう抑圧が始まっているようだが)。心の理論の二次、三次の能力もここで試される。自分から離れている関係の人に与えるワタシの行為、言葉の影響を考えることができる。考えてしまう。「われわれ」のなかに「われ」をどう位置づけるか。「われわれ」

オトノネひろげるシェアぼたん