【思春期】は2歳のウハウハ期(イヤイヤ期)と似ている気がする。

2歳のウハウハ期(イヤイヤ期)は高次認知的情動がぶわっと現れて「いやもう、ほんと、困ってるんだぜ!いろんなこと感じてるんだぜ!あれもこれもやりたいんだぜ!」という時期だった。
子どものゴールデンタイム2歳のイヤイヤ期(ウハウハ期)の心の状態は高校生が溺れている「課題の海」と似ているような気がした。

2歳のウハウハ期は第一次反抗期と呼ばれる。

で、思春期は、第二次反抗期と呼ばれる。
第二回、ウハウハ期!

どちらも、「大きく成長する時期」だ!!!

キャッキャ(*´∀`) (´∀`*)ウフフ
ヤンチャしゃうんじゃない???w大草原wwwwww卍

思春期の脳を科学すると次のようになる。

テンプル大学の心理学者ローレンス・スタインバーグの分析によると、思春期の頃の生活に強い影響を与える神経系はふたつあるのだが、このふたつの発達がきちんと連動していないところに問題がある。一方は刺激処理システムと呼ばれるもので、これによって人はより興奮を求め、感情的に反応し、周囲の情報に敏感になる(ティーンエイジャーだったことのある人なら見に覚えがあるはずだ)。もう一方は認知制御システムと呼ばれるもので、あらゆる衝動を規制する。十代が危険な時期であると言われてきたのは、刺激処理システムが思春期の早い段階で最大まで発達するのに対し、認知制御システムの方が二十代になるまで成熟しきらないためだ、とスタインバーグはいう。このため数年の間は行動を抑えてくれる制御システムが不備なままで狂ったように刺激を処理していくしかない。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.55)

この状態を、第二の「ウハウハ期」(世にいうイヤイヤ期)と言ってもいいだろう。
思春期のは性ホルモンが盛大に出てくる。性ホルモンはいわば心を体ごと変化させる「感情の嵐」とおもったらいい。
攻撃的になったり、ビクビクしたり、もちろん、性に目覚めたり。
その子の気質、それまでの情動調整能力が試される時期、新しく生まれ変わる時期といえる。

一方で、

実行機能が他の認知的スキルよりもはるかに柔軟であり、「前頭前皮質は脳の他の部位よりも外からの刺激に敏感で、思春期や成人早期になっても柔軟性を保っている。だからもし環境を改善して実行機能を高めることができれば、その子どもの将来は劇的に改善される可能性がある」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.55)

前頭前皮質が柔軟性をもっているというのは、まだ脳の回路を成熟させていない、という意味で、行ってしまえば「まだまだ試行錯誤していいよー」という状態だ。

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実行機能とは?
この不安な時代を臨機応変に、しなやかに生きやすくする機能のことらしい。

実行機能のうち最も重要なのは、認知における柔軟性と自制の二つだ。認知の柔軟性は、ある問題に対しこれまでとはべつの解決をみつける能力、既存の枠組みにとらわれずに考える能力、なじみのない状況に対処する能力である認知の自制は本能あるいは習慣による反応を抑制し、代わりにもっと効果の高い行動をとる能力である。スピゲールが生徒にさせているのは、このふたつのスキルを高める訓練だ。(略)もう一つスピゲールは目先の利益を追いたい誘惑に抗うことも教える。なぜならそうした指し手は往往にして後のトラブルにつながるからだ。「チェスを教えるのは、施行に伴う習慣を身につけさせるのとおなじことよ」。ある朝私が教室に行くと、スピーゲルはそう説明した。「自分の間違いをどうr買いするか、思考の過程をもっとよく自覚するにはどうしたらいか。それを教えるってこと」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.177)

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前頭葉は、情動のラスボスである扁桃体を制御する場所。
性ホルモンでウハウハの扁桃体。
やる気バッチリ、もしくは興奮状態。
いろんな刺激に反応しちゃうぜ!敏感に感じちゃうぜ!
<丶`∀´>ウェーハッハッハ
これがひきこもるなどの陰の感情を働かせることもあれば、怒りのような陽の感情を出すこともある。

この時、前頭葉は、、、「え?あ、ちょっとまって。え?扁桃体が最近ウハウハなんだって?」って感じ。

ウハウハ期(イヤイヤ期)と同様に、新しい自我が生まれるこの時は、大変な時期です。
本人も大変です。こうした状況を『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』では「こうした若者は恐るべきシステムに捕らえられており、堪え難い事態の中でさまざまな決断を強いられている(p.63)」とか「強烈な神経システムの働きに打ちのめされている(p.63)」と表現されている箇所がある。

かつて、共同体がこの困難を乗り越える仕組みを共有していた。
受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。
それが今は、ない。というか、弱い。

高校生活で多くの子供が、ウハウハを抑圧され、イヤイヤだけが残るような感じ、ではないか。
(多くの高校では、部活や体育祭・文化祭でウハウハを解放してあげているようだ、が)
子どもが「堪え難い事態」にあることを理解して、受け止めてあげることは、2歳の時と変わりがない。

とおもうのは、僕だけだろうか。
(だから、思春期になると睡眠時間が増えるんだね!そういえば二歳児でウハウハ期のあの子も、なんだかんだすぐ寝るようになったのは気のせいだろうか)

2歳の時は、今まで甘えていたお母さんから大きく自立する時期だった。
思春期のこれは、小さなコミュニティーの価値観を抜け出して、別の世界に飛び出す、さらに大きな自立の時期になる。

2歳、そして思春期のキーワードは「挑戦」。

挑戦。

挑戦!
(大人になると「え?ちょっとそれ、大丈夫?」と不安要素を計算したがる前頭葉が弱腰になこの時期だからこそ!大風呂敷ひろげようぜ!)

こんなキラキラした、輝ける時期にいる若者時代に、僕は輝けていただろうか。
きっと、この時代に輝いた人は、大人になってもちゃんと輝けるんだろうな。
僕はまだ、思春期!笑

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で、この時期が、今、危険らしい。
どういうことかというと、、、スマホでのコミュニケーションが「染み付いてしまう」みたいな。
まだ研究中らしいけどね!

人間関係に苦しむ時期、ここで大人は、スマホというテクノロジーと、子どもをどう関わらせるか。
そんなケースの子を見たことがある(いわゆるスマホにどっぷり浸かっている子)。

スマホと発達するか、人間と発達していくのを選ぶか、という感じだろうか。

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子どもの気質を変わるポイントは、思春期が始まる前、メタ認知ができてからだというお話。

中学生の大切さ

『オプティミストはなぜ成功するのか』を読んでデイヴィッド・レヴィンが最初に目を惹かれたのは、効果的な時期についてのセリグマンの主張だった。悲観主義の子供を楽観主義者に変えるのに最適な時期は「思春期よりまえ、しかしメタ認知ができる(思考についての思考ができる)程度には成長したころ」であるという。いいかえれば、ちょうど子供たちがKIPPのミドル・スクールにやってくるころだ。性格について話すこと、性格について考えること、性格を評価すること。これらは全てメタ認知のプロセスである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.148)

思春期になってから、自分を語り直すこともある、
だけど思春期は思春期で、子ども(の脳)は忙しいからね笑

気質(性格の強み)を大きく分けて次の7つにまとめた人がいる。

  1. やりぬく力(グリッド)
  2. 自制心
  3. 意欲
  4. 社会的知性
  5. 感謝の気持ち 
  6. オプティミズム
  7. 好奇心

これはもちろん幼少期から育っていく気質だけど、メタ認知ができてきた中学生(女の子なら小学校高学年あたりから?)なら、メタ認知を使ったアプローチができる。発達段階が変われば、違ったコミュニケーション方法ができる。

ルールを決める

ケスラーによれば、ルールをつくると前頭前皮質を味方につけることができる。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できる。ルールは意志力と同じものではない、とケスラーは指摘する。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品である。ルールを作ることによって、揚げ物を食べたいという欲求とその欲求に抵抗する堅い決意とのあいだに起こる厄介な葛藤を回避できる。ケスラーの説明によれば、ルールとは「構造であり、魅力的な刺激との対決に向けた準備となるもの、わたしたちの関心をほかへ逸らすものである」。ルールはやがて欲求と同じくらい反射的に働くようになる。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.151)

認知行動療法
ネガティブだったり自滅的だったりする思考や解釈を自覚して、あえてよりよい見方を口に出す。
自分で自分に認知行動療法を適用する。

「この年齢の子供たちはみんな、毎日のように小さな爆発を起こしています。ミドル・スクールの年ごろっていうのは人生で最悪の時期です。それを乗り切れるのは、自分に向かってこういえる子供たちなんですよ。”こんなちいさなことは乗り越えられる。私は大丈夫。あしたは新しい1日なのだから”」(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.148)

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思春期のあなたへ
いろんな人との出会いが、素敵な出会いが、自分をもっと大きく成長させてくれる出会いが、これから君を待っている。

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【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー


『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

逆境によるストレスが、発達段階の体や脳にダメージを与えるのである。(略)人間の整理システムは急を要する身体的な非常事態に反応するように進化してきたものである。しかし、私たちは住宅ローンや人間関係や昇進について心配することでそのシステムを何ヶ月者あいだ使い続ける。こうした整理システムの使い方は効率が悪いだけでなく、きわめて有害でもある。その証拠はここ15年以上の間に多く発見されている。HPA軸に、とくに幼少期に負荷を与ええすぎると、長期にわたる深刻な悪影響が体にも、精神にも、神経にもさまざまに出てくるのである。しかしこのプロセスがややこしいのは、わたしたちをかき乱す原因がストレスそのものではないてんだ。原因は、ストレスに対する反応にある。(略)マキューエンによると、ストレスを管理するプロセスこそがー彼はこれを「アロスタシス」と名づけたー体を損なう要因なのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』ポール・タフp.44)

アロスタティック負荷を表す数値は厳然たる医療データを反映したものー子ども時代の逆境が実際に体に及ぼした影響、つまりは皮膚の下、体の奥底に刻み込まれたものーなのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.49)

どういうことかといったら。

小さいとき、お母さんはー赤ちゃんが泣いた時に抱きしめてあげるように、ぬれたおしめを取り替えてあげるようにーストレスを処理するプロセス通じて、子どもにストレス対処法を伝えているということ。

それは「大丈夫だよ」という一言かもしれない。

毛づくろいすること。
抱きしめてあげること。

やさしくあたたかく
日に日に成長していく子どもの心を尊重する心をこめて

環境による影響の中で子供の発達を最も左右するのは、ストレスなのだ。子供たちは、いくつかの環境要因によって、
長気にわたり不健全な圧迫を受け続けることがある。こうしたストレス要因が子供の心を体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きい。
逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワークー脳と免疫システムと内分泌システム(コルチゾールなどのストレスホルモンを作り、放出する内分泌腺)を結ぶネットワークーの発達に強い影響を及ぼす、特にこの時期にネットワークが環境からの信号に敏感に反応するのは、これからの先の長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号を常に探しているからだ。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をする。血圧を上げ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高める。
短期的に見れば、特に危険な環境では利点もある。「闘争・逃走反応」とも呼ばれる脅威検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状態なので、すぐに反応できる。このように、危険な環境への適応の発達には確固たる理由があるのだ。しかしこの適応が長期にわたってつづくと、かずかずの生理的な問題の引き金ともなる。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病までさまざまな病気を引き起こす。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ぼす可能性がある。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能を司る最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力が育つのを妨げる。
感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子供はーいまでは大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶがー失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになる。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんのすこし軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥る。月皇生活では、つねに脅威を警戒し続ける強度に敏感なストレス反応尻手むは、自滅的な行動パターンを引き起こす。けんか、口答え、教室内でのわがままなふるまい。もうすこし目立たないものとしては、クラスメートとのつながりをつねに警戒し、教師や大人から差し伸べられた手を拒むようになる。
認知面でみると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害される。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに例えられることのある高次の認知的能力ー作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むものーで、これが発達のための神経系の基盤となり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなる。不慣れな状況を切り抜けたり、新しい情報を処理したりする際に非常に役立つ、まさに日々の学校生活で求められる能力である。この実行機能がきちんと発達していないと、複雑な指示に集中できず、学校生活にいつも不満を抱くようになってしまう。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.28)

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ストレスが、子どもの天の才を潰してしまう。

お母さんが子どものストレスを、癒し続ける。それが自然な子育てだ。
子どもはもう、世の中から十分なほどに、ストレスを与えられているから。

たまに、お母さんが子供にストレスを与えていることがある。
子供は別のところで、ストレスを自分で、何かしらの方法で、癒すしかない。もしくは、溜め込むか。

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実行機能の働きを試すテストとして有名なものにストループ・テストがある。緑色の文字で書かれた「赤」という単語を見せられ、単語は何色で書かれていましたかと尋ねられる。赤、と答えないためにはいくらか努力が必要で、とっさに赤といいそうになる衝動に抵抗する時に使っているのがこの実行機能なのだ。これはとくに学校で大事なスキルであるといえる。子供たちはつねに矛盾した情報に対処することを求められるからだ。Cという文字はKとおなじように発音されるーSのように発音されない限りは。taleとtailは、発音は同じだが意味が違う。「ゼロ」という概念にはそれ自体にひとつの意味があるが、「1」と並べると全く別の意味を持つ。こうした多種多様なトリックや例外を飲み込むには、物事を認知する際の衝動の抑制がある程度求められる。これは神経学的には感情面の衝動の抑制ーお気に入りのおもちゃの車をほかの子にとられるときに、叩くのを我慢する能力ーと関連のあるスキルだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.51)

これはいわば、ルールを飲み込むチカラ。
あそんでいる時に気に入らなくなって「ルールだから!」といわれて、「じゃぁもうやめる!」といって抜けるのと同じかもしれない。
ただ、学校で教わる内容(753システムに基づいた画一的学習内容)が、その子の発達にあっていないだけかもしれないけれども。

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はい、また重要なところです。

実行機能のスキルの中に、短期記憶(ワーキングメモリ)というものがある。今日スーパーマーケットで何をするか、メモをせずに覚えているような記憶だ。学校のお勉強をする上では欠かせないスキルである。で、サイモンという人が実験して手に入れたワーキングメモリの働きを測定した結果を「サイモンのスコア」として次の文を読んでほしい。

エヴァンズトシャンベルクの発見によれば、貧困層の少年が受ける不利益としてはアロスタティック負荷が大きいということの方が重要である。もし別の貧困層の少年がやってきて、その少年の方がアロスタティック負荷が小さかったらー理由はどうであれ、貧しくともストレスの少ない子供時代を送っているとしたらーサイモンの競争で裕福な家の子供と同程度のスコアを出す可能性は十分にある。そしてなぜサイモンのスコアが大事なのかといえば、高校にも大学にも職場にも、ワーキングメモリが成功の鍵となる作業が山ほどあるからだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.54)

つまるところ、貧しいから学業成績がでるのではなく、貧しいからストレスがかかり学業が下がるのである。貧しくてもストレスがかかっていなければ、適切な環境次第で、裕福な人と同等の学業成績を残すことができる。

ストレスから子どもを解放する。
これがまず、大切だということ。

お母さんが子どものストレスを、癒し続ける。それが自然な子育てだ。

そして自然な子育てをするための知恵と振る舞いを、僕は、愛と呼んでいる。
愛とは何か?


今年の四月に出たばかりの本。
翻訳されることになるだろう。
その前に僕は読んで、「お母さんと子どもの交換日記」をつくろう。
Coaching Parents of Vulnerable Infants: The Attachment and Biobehavioral Catch-Up Approach

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学校ではなく、お母さんから学ぶことの大切さ

『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』ポール・タフ

生後1ヶ月ほどの間、泣いた時に親からすぐにしっかりとした反応を受けた乳児は、一歳になるころには、泣いても無視された子供よりも自立心が強く積極的になった。就学前の時期には同様の傾向がつづいた。つまり、幼児期に感情面での要求に対して親が敏感に応えた子供は自立心旺盛に育った。エインズワースとボウルビイの主張によれば、親からの暖かく敏感なケアは子供が外の世界に出てゆけるための「安全基地」となるのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.68)

子どもたちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業するかを予測する際に、知能検査や学力テストの得点よりも、幼少期の親のケアにかんするデータの方が精度が高かった。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.75)

どちらのケースでも、子供が生後まもないうちに親として特定の役割を果たした母親が一定の割合で存在した。そしてその行動ーラットの場合にはなめたり毛づくろいをしたりすること、人間の場合には幼児のサインに敏感に反応することーが子供たちのあげる成果に対して永続する効果を及ぼしている点が共通している。人間でもラットでも乳児のうちに適切な世話を受けた者は、のちにより好奇心や自立心や自制心を持ち、障害にもうまく対処できた。幼少期の育児における母親からの注意深いケアが、ストレスから身を守るためのレジリエンスを育んだ。人生においてふつうに起こりうる困難な事態に直面したとき、何年も後になってからもーオープンフィールドテストや、幼稚園での我の強い子供とのけんかなどからわかるように、人間もラットも同様にー自分なりの主張を行動に移し、自信を持ってまえに進むことができたのである。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.76)

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貯められたストレスが、前頭葉の成長を阻害する。
それはセルフコントロール、ストレスマネージメント能力の発達の阻害要因になる。
『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

ストレス心理学者たちも、この現象を生物的な側面から説明している。脳の中で幼少期のストレスから最も強く影響を受けるのが前頭前皮質、つまり自分をコントロールする活動ー感情面や認知面におけるあらゆる自己調節機能ーにおいて寿湯代な役割を果たす部位である。このため、ストレスに満ちた環境で育った子供の多くが、集中することやじっと座っていること、失望から立ち直ること、指示に従うことなどに困難を覚える。そしてそれが学校の成績に直接影響する。抑えることのできない衝動に圧倒されたり、ネガティブな感情に悩まされたりしていれば、アルファベットを覚えるのもむずかしい。(略)多くの場合、ストレスの影響はおもに思考を制御する能力を弱めるかたちで出る。これは「実行機能」として知られる、認知をつかさどる特定の機能が前頭前皮質にあるからだ。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.49)

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おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。

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富山市の民間学童保育

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

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子どもとうまくいかない!とおもったら?

子どもとあそんでみよう。
うまくいかなかった罰として!笑

「イヤ!」といわれたら?
泣いてせがんでみてもいい笑

気持ちがわからない、通じ合わない、感じられないなら、遊びはその壁を簡単に壊してくれる。
「悩んでいる新皮質」ではなく、「ありのままの辺縁系」が、表にてでくるからだ。

怒りを感じたら。
何かを伝えるときに、怒りをベースにしたら、多分うまくいかない。
ほとんどの場合は、真剣さだけで、凛とした言葉の響きで、言葉の強さで、ことたりるとおもう。

強く。強く。
言葉の力を。
それは、心の力なのだけれど。

言葉尻を強くする、ではありませんよ笑

こういう、やさしい人を見つけた。
僕だったら「学校というシステム」の問題にしてしまうのを、個人レベルで対応するように、手を差し伸べる人。やさしいな。

発達段階を理解することで、無用な怒りに触れなくてもすむかもしれない。

ーーーーーーー

ものを落とす1歳児に悪意はあるか。

「なんだこれ」とおもって、ひっぱっただけだ。
それが落ちて、それがどうなるか。
その重さは?落としたら壊れる?そもそも、落とす?
それをみた人が、どうおもうか。

見知らぬ「ものを落とす」ことに対しては、見当がついていなかっただろう。
それくらい、大人が見たら、「いや、それ、落とす?」というものを、落とした。
落としたのではなく、

ひっぱったら、落ちた。
というのが、彼の目線だろう。

子どもに悪意はあるか。
僕には「ない」と思っている。
全部、養育者を真似した結果か、防衛機構の一部として働いているとおもう。
「悪態をついて、欲しいものを得る」心
「悪態をつくことで、コミュニケーションをとる」心。

心で関わろうとするとき、どうか、怒りが、やさしさに包まれますように。

オトノネひろげるシェアぼたん

2種類の幸福

The surprising science of happiness

高校の授業のゲストで、岩井伸太郎さんがきてくれた。
世界一周をした経験から瞑想、マインドフルネスを加賀市で実践している。
子どもたちが生き方を学ぶ、勉強も教える塾をやっているそうだ。
塾生が増えているということで、いやぁ、おとのねも見習いたい。

そんなかんだで、僕も「夏休み前だし!」とおもって、英語の授業で「しあわせ」についてみんなとなんかやろうとおもった。
そこで見つけたのが、このTEDの映像。

ーーーーー

幸福には2種類がある。
自然発生的幸福と、人工的幸福。

自然発生的幸福は、「欲しいものを手に入れる」時に得られるしあわせ。
人工的幸福は、「自分でつくりだす」しあわせ。

「え?不幸じゃないの?」と一見、思える状況でも「しあわせです」と言える人は、人工的幸福を作り出せる人だ。
僕はこういうとき、いつもDVの被害者の状況を重ねてしまう。
一見、はたからみると「それって幸せ?」とおもえることでも、「しあわせ」にしてしまう、脳の働きがある。

(この脳の働きを利用してみんなで幸せになろう!というのが、ブッダのオリジナルの仏教かもしれない)

けど、この人工的幸福の価値は、世間では一般的ではないという。
みんな、「ほしい」未来に向かっている。
子どもたちに「こうなってほしい」未来に向かわせているお父さん、お母さんがいる。

今、この時に、この場所で、しあわせを感じられているだろうか。
「今ここ」でしあわせを感じるチカラも、大切にできているだろうか。

僕自身、よくよく思い返したい。。。。

ーーーーーー

自然発生的幸福とは、「得られるよろこび」である。
「こうなったらいいな。ああなったらいいな」とおもったものが、得られたとき、しあわせになる。

自由、選択、意志、といった近代的な価値観は、自然発生的幸福観の土壌になっているという。

マーケットの原理だ。

もし僧侶のように人々が「そのままでしあわせ」になったら、イオンも、ファボーレも成り立たない。
経済が動かない。行政に税金が入らない。だから「もうこれで、いい」ではなく、「もっと、もっと!」しあわせになれるように、行政も働きかける。

(よく、子どもの数が少なくなった、ヤバイ!日本の未来が!というが、それは「しくみ」を変えれば済む話で、別の「しあわせ」の形を探せばいいだけの話で、子どもを増やして昔のままの価値観を維持しようとすることが、また働き続けて昔のままの価値観を維持しようとすることが、果たして「政策」として本当に民意にあっていることか。そもそも「しくみ」の話を学校でも教わらないから、旧来の「しあわせ」に誘導されているとおもっていい。)

ーーーーーーー

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
自立する、という意味で。

けど実際、自由、選択、意志が及ばない「天の才」、「宿命」を受け入れることでたどり着ける境地があるとも思っている。

オトノネは、自由、選択、意志を肯定的に捉えている。
「世の中の思惑」から、自立する、という意味で。

「天の才」、「宿命」を受け入れるために。
自分らしく、命を尊ぶために。

要するに、使い方なのだ。

ーーーーーーーー

自然発生的幸福は、いってしまえば狩猟時代に「獲物が捕れた幸せ」に相当するだろう。
次の狩りへの動機付けにもなる。
これは大脳辺縁系、扁桃体とかそこらへんが絡んでいるしあわせのようにおもえる。(勉強したい)
ある意味で、動物的なしあわせだ。

人工的幸福は、これは「つくられたしあわせ」であって、ファンタジーの世界だ
そこにないものを、作り出す前頭葉(大脳新皮質の一部分)の働きだろう。(勉強したい)
これは、人間的なしあわせである。

どれだけ、人工的に、しあわせをつくれるか。
人工的にしあわせをつくりだすための「インフラ」をつくるか。

これが人生の楽しみであり、ワクワクであるようにおもう。

ーーーーーーーー

どこかに辿りつくまでの道すがら、しあわせを集めること。
「我慢我慢。この労働(課題)の果てに、しあわせになる!」といいながら、不確定な世界で、「得られなかった」時の幻滅、失望は計り知れないかもしれない(給料は必ずやってくるからまだいい。課題は最悪)。やってみるといい。そのあとで、しあわせへの道をさがしたらいい。僕も長い間「求めよ、さらば、与えられん」の道を歩いてきた。ある意味でそれも真実だが、「求めなければ、得られるもの」もある。

カスカネダが記述したインディアンの教えでは、これを「心ある道」と呼んでいる。
これは実は、道教のタオ(道)でもある。

入り口を探すまでもない、道。
僕は今、入り口を探しているような気がしている。
そんなものないのに笑

On the path to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.
しあわせへの道すがら、あなたはあなたがなりたいあなた、あなたしたいこと、あなたがほしいこと、全てに出会えるだろう。

ーーーーー

完全個別指導の学習塾、少人数の《放課後の学校》のレッスン料は高い。
それは「求める」ことでしか得られないものだろう。
どこかで矛盾していることが、わかっているから、僕はいつも、困っている。


けど、家でなにがしかの節約をして、「しあわせ」のやりくりをすることで、払えない金額ではない、ともおもっている。

お母さんのハートワークを増やしたい、と願うオトノネさん。
そのためにお金を稼がないといけないと思うオトノネさん。

この心を大切にするために、やっぱり、お金が、必要なのです。
この心を大切にするために、やっぱり、個別、少人数にしたいのです。

わがままですか?
僕のわがままに付き合ってくれる方に、オトノネを応援してもらえたら、うれしいです。

オトノネひろげるシェアぼたん

野性のチカラと企業戦士の矛の先と戦闘ゲームと虫取りとあそび

最近、保育園で子どもが「虫取り」をするのを見た。

というか、園内に昆虫が増えた笑

で、この虫取り、、、、、
すごい。

何が凄いかって。

まず目が鍛えられる。
「獲物を見つける」視野。

で、神経も鍛えられる
「獲物を捕まえる」俊敏さ。

で、指先も鍛えられる。
「殺さず、生かす」やわらかさ。

で、頭も鍛えられる。
「逃げられた!次はどうしたらいいか?」

捕まえた虫を観察したり。
飼ってみようとするなら、もっといろんなことを学ぶだろう。

あれだけ生き生きとしていた虫が、死ぬかもしれない。
そんなかんだで、心も鍛えられる。

ーーーーー

サッカーなどは、ゲルマン民族の「戦闘」能力をスポーツ化したものだという記憶が僕にはある。
テニスは「貴族の暇つぶし」。野球の起源はなんだったか。(ネットで調べて見たけど、不明らしい。あんな複雑な、バットを使ってボールをうんたらなんていうものがどうやってできたのか。場外に出す動作、打つ動作。走るどうさ。取る動作。うーん、想像できない。。。)

とにかく、体を使って奪いあったり、捕まえたり、物を放り投げたりする能力は、なかなか爽快だ。
的(獲物)に当たったら、めちゃくちゃ嬉しい笑笑

それこそ自分で「修行」をしたくなる。
そうして、強くなる。

宮本武蔵になれる笑

ーーーーーー

スポーツも、ある程度のレベルまでいくと、相手との「心理戦」になる。
どれだけ相手の呼吸を狂わせるか。。。。

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

剣を通じて、拳を通じて、語り合う人がいるらしい。
北斗の拳とか??

ーーーーーーー

現代、この狩猟感覚はゲームの中で体験されている場合がおおい。
オトノネさん、実は生徒に教わって「戦闘ゲーム」を、最近、やってみた。
戦場に降りて、武器を見つけて、相手を狙って撃つ。
相手の足音、打たれた方角、現在地、向かっている先は全て画面に表示される。
けど肝心な情報は、「目視」するしかない。
20分くらい、逃げて、狙って、隠れて、戦い続けた。(結局3位になったが、銃は一回も使わなかった笑ビビりなのね)
オンラインで、世界中の人がやってくる。
時間が来ると、居場所が狭まっていき、敵との遭遇率も高くなる。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れた。

身体感覚が伴っていたら、大変なことになっていただろうが・・・
おとのねさんには、違和感、違和感・・・

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。

脳は野性を、ある意味で求めているかもしれない。「男の子」はなおさらそうかもしれない。

それで高度経済成長期に、「男の子」は、企業戦士になって、戦ってきた。
今、その矛を置いて、さて、どうしたものか。
矛を下ろす先が、わからないのかもしれない。

矛を持ったままでもいいから、その矛で、子どもとあそんだらいいのに。
たったそれだけで、世界はたぶん、変わるから。
(それで少年野球に精を出すお父さんがいるという話もある。スポーツじゃなくて、「させる」んじゃなくて、あそんでほしいんだけどな)

そもそも、狩りは、昔の子どもにとって、純粋に遊びであり、本物の狩りの練習だった。
そうおもうと、昔の「狩り」は今の「宿題・課題・お勉強」なのかもしれない。あそぶように、当たり前のように、「学習習慣」を身につける世の中。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れている子どもが、どれだけいるだろうか

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

「テスト、どうだった?」
「赤点じゃなかった!」

テストの答案用紙を通じて、模試の結果を通じて、語り合う人がいるらしい。

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。
「やった!今回も、平均以上だ!」次も頑張ろう!とか。

心が大事。

ーーーーーーー

ちなみに、オトノネでこの野性の要素を出せる環境は限られています。
走り回るスペースは、ありません笑

けど
お手玉とか、折り紙の手裏剣ごっことか、(山田さんの)吹き矢とか。
あ、この前、庭にトカゲが歩いてたな。。。

あれ?そうおもうと、あそびって、結構野性味があるな・・・

オトノネひろげるシェアぼたん

佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

先日、富山大学附属特別支援学校でたまたま佐藤学という有名な先生の話を聞く機会に恵まれた。
いるんだね!こういう人!というか、友達になりたいとおもった。
「学びの共同体」という言葉で、理想の教育の姿を説明してくれた。

むかーしっから、やっているようです。
学びの共同体研究会

石川県金沢市立紫錦台中学校も参加しているらしい。
こちらが金沢市立紫錦台中学校のHPです!
富山県で「学びの共同体」を実施している場所は、みつからなかった…

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メモにとったもの。

学ぶことは、しあわせなことだ。
一人で学ぶことはできない。学びは、社会的なものであって、孤立していたらできない。
人間の大脳新皮質は他者との協同により発達する。

ペア、グループ、コの字型で向かい合うのが基本。

小学3年生にならないと、内言ができない。考えることができない。(経験的な法則)
だから小学1、2年生はペア。それ以降は、3人、4人にする。

学びは既知の世界から未知の世界への旅であり、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
学びは個人的活動ではなく社会的活動であり、自然的過程(能力や技術の形式)ではなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。

人間の学びはコピー(模倣)ではなく、再創造
人間の学びはコミュニケーションによる意味の再構成(社会的文化的実践)

学びを対象世界(テキスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践。
学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。

人間の学びは、ほとんど短期記憶にしかならない。
人間は学び続けないといけない。
動物は生まれてからすぐ、立ち上がる。模倣のプロ。
人間は、模倣する力が動物より弱い。短期記憶にしかならない。

一歳になるまでに、一度シナプスが削ぎ落とされる。軸索を残して、消える。
1歳になったら、シナプスがズバーと出てくる。そうすると、言語が生まれる。

シナプスのつながり、すなわち関係の構築。

1”5”20
意味を、共同で見つける時、それが長期的な記憶、知恵になる。

東京オリンピックのときには、空港が無人化する。
35%が人工知能で賄われるらしいよ。

創造・探究・共同
今のところできないこと。。

もう、今までの教育は役に立たない。
理解中心から探究中心へ

「わからないこと」を恥じるのでなく、「探そうという気がないこと」を恥じ得る時代。

140年前に成立した一斉授業

世界からは30年前に消えている一斉授業
安い単純労働者をつくるシステム。単純労働をする?

エリートはコの字のテーブルで育つ。ハーバード大学の講義室(黒板に全ての机が向かっている教室)は一つだけ。

コピーで済むような授業はいらない。

経済が発達している国はアクティブラーニングをやっている。30年前に

30年前、TOP30のうち21社が日本
今、TOP30のうちで、ゼロ。

この30年間で変わった。

学ぶということが、即幸福である。

人間は7つの領域に分かれている。
Howard Gardner
あらゆる能力を持った人はいない。
なんの能力ももたない人もいない。
孤立して生きてはいけない。
一人で生きようとしてはいけない。

人との関係の中で、多元的に見なくてはいけない。
抜群の能力がある。

デザインはビジョンによって
プランは目標によって生まれるもの。

建築家はビジョンを見る。
デザインは生かそうとする。

目標思考の仕事workと労働labor
創造的な時間。activityはビジョン、デザインの世界。
文化的な意味と、社会的な関係を想像する。

学ぶ権利の実現。

「待つこと」「見守ること」(谷川俊太郎、すきすき、きゅっ、好き好き、ちゅっ)子どもを受け入れられるか。
「させること」ではない。ここもおとのねだ。
おkどもへの信頼、子どもを尊敬する。これもオトノネだ。オトノネはこれを「自立している」と表現している。
学びの共同体は、リスペクトの共同体だ。そして、ケアの共同体

特別支援学校っで主流になっている「行動療法」は研究者が論文を書きやすいから。
「させる」ことで条件付けをする。それは「発達(心)」ではない。
行動レベルの導きだ。

思考、学習、内言。
外言が先。だから内言ができない子がたくさんいる。
対話の相手がいることで、モデルを得ることで、内言できる。
経験的に小学3年生。4人組で(人の話がきける?)
小学1、2年生は「考えることができない」まだ内言が使えない。無理無理!ペア。

「待てない」手を出す口を出す。がダメだ。
教師の仕事〈聴く・(子どもと子どもを)つなぐ・もどす(もう一回)〉
「だれだれくんの言ったこと、どうおもう?」

子どもが、学びの主人公だというのが基本。
いい教師は〈目と耳〉で仕事をする。
子どものテンポはゆっくり。教師が先に行かないで、待つこと。

ある意味で、戦国時代、三国志時代の武将のようである。

共有の学び:ほぼ全ての子どもたちが達成できるレベル
挑戦的な学び:三分の一の子どもたちの達成を期待する、つまり三分の2の生徒が「できない」課題を与える。
難しい問題だからこそ、子どもたちは大好き。飛びついてくる。
基礎を丁寧、丁寧に、積み上げるというやり方ではない。積み上げずに、引き上げる。
(そんなん無理無理!というものを出してみると、一生懸命に挑戦する子がいる)

——-

オトノネではメタスキルと呼ぶ「コミュニケーション能力」
創造的な仕事。
多様な人間が、それぞれの持分を出すことでしあわせがうまれる。
オトノネが求めている「先生像」

まことに同感できる、こういうことをきちんと言ってくれる人がいる。

昔の昔から、活動していて、少しずつ、広がっている。
こうした時代の流れの中に、オトノネはいる。
富山県に、オトノネは、いる笑

オトノネは「学校」をつくるにしたら、どうしたらいいかなと思っていたところで、いいモデルを見つけられた。
少しずつ。少しずつ。時に、大胆に。

オトノネひろげるシェアぼたん

【高次認知的情動】とは?情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。

感情 (〈1冊でわかる〉シリーズ)
感情 (〈1冊でわかる〉シリーズ)
喜怒哀楽の起源―情動の進化論・文化論
喜怒哀楽の起源―情動の進化論・文化論

情動には文化的な「表現様式」があるという話。
文化の中で、「望まれている」情動があるという話。いわゆる、県民性、国民性というやつだ。

日本人とアメリカ人に対してそれぞれ割礼儀式や吸引分娩、鼻の外科手術のような忌むべき内容を見せるという実験。この時、二つの条件で観察を行った。一つは、実験対象者が一人で見た場合。もう一つは、別の誰か(面接官)がいた場合。一人でいる場合は、日本人もアメリカ人も類似した表情が観察されたが、面接官が同席したときには、日本人はアメリカ人よりも多く微笑み、嫌悪感を表さなかったという。

この実験に関して最も面白いことは、その実験の様子を収めたビデオがスローモーションで再生され、検討されたときに、初めて明確になった。そうした再生においてのみ観察できたことであるが、面接官が同席する場合、日本人の実験協力者は、実際、市最初のうち、刹那、アメリカ人と同様に嫌悪の表情を浮かべるのだが、その後たちまち1秒にも満たないうちにその表情を隠してしまうのであった。(『感情』ディラン・エヴァンズp.13)

同じ「情動」を日本人もアメカジんも感じるものであり、それは不随意で、自動的で、制御が効かないものである。が、その一瞬あとに学習性の表示規則が押し当てられる。

文化によって情動を表す規則があるということ。

もう一つ。

高次認知的情動というものがあるという。
それは大脳辺縁系ではなく、大脳新皮質の影響、つまり意識的で論理的な影響をより多く受け、より計算的に、文化的に処理される情動であるという。その分、大脳辺縁系で処理されるような「基本情動」よりもゆっくりと立ち現れ、ゆっくりと消えて行く。

この高次認知的情動の例として、愛、罪悪感、恥、てれ・決まりの悪さ、誇り、羨み、嫉妬が含まれている。

「ヤバい、逃げろ!」みたいな臨戦体制に入るための情動はもちろんあるが、例えばこんな情動が、馬にもある。

象も子どもが死んだら悲しむとか、動物にだって「情」がある。
人間に特有の大脳新皮質の一つ下にある、より古くからあり、動物と人間が共通して持っている大脳辺縁系にも、同様の「情」が隠されているのかもしれない。そして不安や恐怖ではない、私たちが「あたたかみをかんじる」情の多くは、それが「子育て」に使われているような気がするのだが。

ーーーー

で、この高次認知的情動というものは、社会活動をするときに有効だという。罪悪感、誇り、嫉妬、妬み。例えばそれが「利己的」になりすぎることをいさめる機能を果たしたり、もっと「利己的」になることを促す機能を果たす。という。名詞にしてしまうと本質がつかめなくなってしまうが、情動とは、「心」の百面相に名前をつけていったものである。一人の人間の中には、社会的な生き方をするための様々な「自己」がいるとおもったらいい。

嘘をつくという社会的な行動がある。
それは「良心」からくるものもあれば「利己性」からくるものもあるだろう。

信頼、人と人の繋がりを円滑に、正常に、するための高次認知的情動がある。
一方で、利益を搾取するような、人を騙すような、利己的な情動もある。

利己性というものが、なんであるかはさておき。

例えば「復讐心(怒りの亜型)」というものがある。
もし理性的に考えて「結局、私は負けるのだから、戦うのはやめにしよう」とおもってしまえば、搾取され続ける、いじめられつづけるかもしれない。そこで、情動を解き放ってしかえしをすれば、結局は勝てなかったにしても、「あいつは根性あるやつだ。もっとひ弱なやつを探そう」ということになって困難を避けられるようになるかもしれない。不利益を与えた相手にも、不利益を与えようというのである。(ここのところは行動経済学の有名な「しっぺがえし」作戦と似ている。基本的に「利他的」な行動をしながら、「利己的」になった相手に「しっぺがえし」をすることで、双方よい関係を保つという作戦だ)

情動は、ときに、従うことで、閉塞的な状況を打破するチカラになってくれる。
情動は自分の身を守ってくれる。自分のあるべき姿を、支えてくれる。
感情が適切に働くことで、人間は上手に社会化してこれたといっていい。

適切に、働くことで!

ーーーーーー

社会的に身についた、もしくは経験的に「学習性無気力」に陥った人たちは、「恐怖」「不安」によって「無抵抗」による利益を得ているようにおもう。たしかに。そうしてみんな、平和に(そう、平和に!)課題・テスト地獄の中に身を置いている。「闘争」もしくは「逃走」という選択肢がでてこない。平和の形も人それぞれだ。

ある意味で、従順でいることで、身を守っている。

ある種の感情を出さないことが「良い」ことだという刷り込みがなされる場合がある。
「不思議に思う」→「不思議をつきつめていきたい」→「けど誰もおもしろがらないし、大人は宿題をやれという」→「そもそも宿題をするので精一杯だから、不思議なんて感じない方が、心に負担がなくなる」
といったプロセスを辿っていき、「本気」になれるものから遠ざかる子どもたちがいる。

そんな中でも、自立心がある子は、自分で勝手に不思議を探究するかもしれない。
それはほんの一部の人間だ(そういう天の才を与えられた、ほんの、一握りだ)。

小中学校は「普通教育」の場であり、ほんの一握りの人間を育てるためにあるのではない。

ちなみに、「るろうに剣心」というアニメで、幕末、育ての親にいじめぬかれた宗次郎という人物が書かれている。
打たれて、泣いていると、もっと打たれる。打たれても笑っていたら、気味悪がられて殴られないことを発見し、「笑顔」以外の表情ができなくなった人として書かれている。これも「刷り込み」の一種。

ーーーーー

情動は、ときに、従うことで、閉塞的な状況を打破するチカラになってくれる。
情動は自分の身を守ってくれる。自分のあるべき姿を、支えてくれる。

情動には情動なりの固有の理性がある。
(『感情』ディラン・エヴァンズ)

ディランのいう情動に固有の理性を、EI(Emotional Intelligence)、感情知性と呼ぶこともできるでしょう。
IQとEQ
EQとは、社会の中で自分のパフォーマンスを発揮する(天の才を生かす)ために必要な能力
新しい時代、IQよりもEQを大事にしたい件(感情知性は「知性」のメタスキル )

知性なき感情(闘争心?征服心?)を育てるのが軍隊であり、
知性を持った感情(信頼・共感、そして時として「しっぺ返し」のスキル)を育てるのが学校である、と二つを対比してもいいと、僕はおもう。
人間を社会化・組織化する二つの選択肢だ。

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情動は、ときに、従うことで、閉塞的な状況を打破するチカラになってくれる。
情動は自分の身を守ってくれる。自分のあるべき姿を、支えてくれる。
感情という知性が、いわゆる「息詰まった」合理的知性の助けになる。

僕が学んだプロセス指向心理学も似たようなことを言っている。
情動、というより、無意識のメッセージを体の変化から受け取る。その情動のプロセスを、大きくすることで、現在ぶち当たっているなにかしらの困難、繰り返されめぐりめぐる思考から抜け出すきっかけを得るというものだ。

考えてもしょうがない。
心に従ってみよう。心が、教えてくれる。
というものだ。

恋愛などもそうかもしれない。
夜なべしてラブレターを書く。
いやもう、書くしかない。
けど朝になってハッと読み返したら、というか恋文を書いたことを恥じたり、手紙を出すことを恥じらったりする。けれども情動として、もっと深いところにある心が、オモイが、やはり夜になると深まるのだろう。

そしてその手紙を出さなければ、前に進めないのが、恋愛である。
無用の苦しみに何年も耐えるより、さっぱりと愛を告白してみて、次のステップにいったらどう?と、心はのたまっているのである。

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だがしかし、情動のそうした働き(切羽詰まっている時の心の助け舟)が、裏目に出てしまうときがある。
結論だけ話すと、「良い気分状態で急かされた」時、人は騙されやすくなる。ということだ。
(『感情』ディラン・エヴァンズ p.123)

塾、教育業界で、種や仕掛けを用意しておいて、体験授業のとき、もしくは通常授業のとき、「これ、東大の問題だよ!」とか「ほら、できるようになったでしょ!」といって、褒めちぎったあとでその場で契約をさせられるとき、疑う方がいいかもしれない。(いや、できる「気」にさせて、モチベーションを高めて、本当に能力をあげてくれるのかもしれないけれど)

高次認知的情動をもった動物として扱われていると思ったらいい。実際、大部分、そうだし。
(保険会社の説明会の会場をたまたま見たことがある。路上パフォーマーを読んで、音楽を流して、楽しませて、契約をさせていた)

「正しい選択」のための合理的な判断など、到底できるものではない。
だからこそ、こうしたビジネスが成り立つ。
サブリミナルな(潜在的な無意識に働きかける)効果とまではいかないが、情動に訴えるこの手法に、みんなやられている。

買わなくてもいいものを、イメージで、「欲望をかりたてられ」買わされていることが、たくさんある。
偏差値、買いたい人、いませんか?進学高校や塾というファンタジーの世界で、たくさん売っていますよ。

ナチスの手法は、日本でもよく使われています。
無償化!教育県!学力一位!には要注意。
お子さんを、心のアウシュビッツに入れてしまっていませんか?

ある意味で、新しい時代を生きる力を削いでいく学校教育は、社会的な犯罪ということもできる。(実際、法律を犯しているから、教育に関するいろんな法律がどんどん追加されていっている)
「集団心理」を利用した、(学力テストうんぬんで情報リテラシーのない人たちを騙す)マスコミを巻き込んだ、社会的な犯罪だ。(最近、ようやく「新しい時代」のための教育がマスコミに取り上げられるようになった)

と、強く言ってしまったら、反感を買うかもしれない。
これは「教育とは何か」という哲学の話であるから。
そもそも、主張でもなんでもなく、僕一人のタワゴトだとおもってくれたらいい。

だって、自由経済だもの!言論の自由があるもの!
けど、悪徳商法にはクーリングオフとかあっても、教育業界には、、、、ない!
時間と、お金が、もどってこないんです。

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ーーーーーーー

ある種の情動には「脅迫」「暴力」「支配」という行為が伴うかもしれない。
僕には「怒り」「嫉妬」という情動がその根底にあるように思える。
このような心に満ち溢れた場所があれば、戦うか、逃げるのが一番だとおもうのだが。そうだろう。

組織への「しっぺがえし」などなかなかできたものではない。。。

攻撃と報復の果てに、平和をみつけるのは、なかなか大変だろう。(復讐の連鎖が、どこかの国でまだ続いている)
だから、そこに生きる個人は、逃げるという方法も、生きる場所を選ぶという方法も、自分の身を守る、大切なものを守るためには、とびきり上等な選択肢であるとおもうのだが。

ちなみに、最近読んだ本の中では、「怒り」を感じた時点で、バリ人は「眠る」という行動をとるという話があった。

が、インドネシアに滞在していたとき、どうみても、インドネシアの人たちが「怒り」という感情を持たないような気がして聞いて見た。答えはこうだ「僕らはね、怒ったらね、隣の村に戦争をしかけるんだよ」だそうだ。
冗談かもしれないが、そうらしい。

「眠る」か「武器をとるか」。
なるほど。

ーーーーーーーー

イスラム教の人たちは、常にコーランを読みながら、感情をマネージメントしている。
日本人も、ヨガやヒーリング、外食、ゲームなどで、感情をマネージメントしている。
けどどれも「感情と距離をとる」ことはできても、「感情と積極的に関わる」ことはしていない。

ブッダの仏教、瞑想、座禅は前者であり、
カウンセリング、演劇、対話は後者である。

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恐れというものが、とても強い人がいる。
恐れから派生するいろんな感情がある。嫉妬、妬み、不安、、、、
怖くなって、身が竦んでしまっている人がいる。

「今は無理だ。僕の中に恐れがある」ならそれを大切にしたらいい。
けど同時に、恐れとは別の情動がみつかるかもしれない。
どちらも平等に、対等に、感じてあげるといいだろう。


情動は心の百面相だ。
ひとつひとつに、言い分がある。

自分の持っている感情、情動のひとつひとつの言い分を、聞いてみるのもいいだろう。
僕が学んだプロセス指向心理学も似たようなことを言っている。

ーーーーーーー

こういう先生が学校にはいる。
生徒4人を不登校にした先生が担任になったらどうするか。

「怒り」で生きている人間だ。
些細なことでクラクションを盛大に鳴らすイライラを募らせたドライバーと同じくらい、ストレスを抱えてしまっている先生がいる。
こうした理不尽な「怒り」に気がついて「ああ、私は疲れているのだな」とフィードバックが自分でできない人ほど、哀れな人はいない。もしこういった人に出会ったら、全くの他人でなく、少しでも情が湧いたなら、「疲れているでしょう?休んだらどうですか」と言ってあげてもいい。休めないのが、学校の先生であるのだが。

「良心」が届かない人もいる。
愛せないなら、立ち去るのもいい。

徳のある人間とは、情動を感じない人間ではなく、どの情動にも押し流されず、すべての中庸をいく人であるとおもえた。
情動が出てきた瞬間に、フィードバックをする人間。怒りに対して怒りで返さない。怒りに対して怯えで返さない。怒りに対して、笑いで返すことすらできる人。ある一つの感情だけを増幅させず、一度にあらゆる情動を感じられる人。ある意味で、宇宙的な広さを、心の中に感じている人。なんだか、気持ちがよさそうだ。

ちょうどいいバランスを、さがしていこう。

ーーーーーーーー

ところで、感情の学習、というものが、とても大切だと僕はおもっている。
保育士の先生は「怒り」の感情を伝えることがあるだろうか。「喜び」だけを伝えていないだろうか。
学校の先生は「喜び」を伝えているだろうか。「怒り」だけを伝えていないだろうか。

直接経験しなくてもいい。
ただ、映画とかではなく、現実に、こうした怒りや喜びを学ぶ機会があるともっといい。
それが、実は、芸能、芸術・演劇と呼ばれるものなのだが。

ーーーーーーー

怒りの感情を加えられた時、怒りや恐れで返すことなく、哀れみの情をもって、笑顔で返す、という神業を使う人に出会ったことがある。怒りを怒りで返したり、怒りを恐れで回避すれば、相手の怒りは回収されない。またいずれ、怒りを加えられることになるだろう。

完全に逃げるか。
そうでなければ、笑いながら、その人の悪霊に飴玉をあげよう。

愛せぬ者からは、立ち去るがいい。
と、ツァラツストラが言っていた気がするのだが。気のせいだろうか。

ーーーーーーー

感情と向き合う経験。
感情がでてきた後で、きちんと大人がフィードバックを返すこと。
「気締め」が必要なこともあるだろう。

そう考えると、子どもが関わる大人たちがみんな均一になってきているのも、末恐ろしいように感じる。
他者が感じている情動を見抜くチカラ、そしてそれに対してどんな情動で返すかという作戦をたてるチカラ。
それが、実は、EQと呼ばれているものである。(IQではない)

ーーーーーーー

コツコツと積み上げれば、、、とか、長時間やれば、、とか、一生懸命やれば、、、
という「美徳」というものもある。

忍耐、耐え忍べばいいことがある、という美徳もある(日本はまだ戦時である)。

これもある種の情動といえるし、文化的な、歴史的な「心の作戦」といえるかもしれない。(心理学用語でスキーマといってもいい)

新しい時代、昔から使われてきた作戦を社会的にプログラミングされてしまった心を、アップデートしてみたら、楽に生きられる時代になるとおもうのだが。

いかがだろうか。

結局、今、誰かが向かい合おうとしている課題は、きっと、日本の歴史、日本という場所からの自立を意味するのではないか。
日本という場所、日本という歴史がつくってきた「感情様式」が、うまくいかなくなって、体がヒーヒーいっているとしたら。

今が、自立の時なのかもしれない。

ーーーーーーー

アニメで「サイコパス」というものがある。youtubeでもみられます。是非是非。
シキソウというものをリモートでいつもチェックされていて、「汚れてくる」と、「クリニック」へ行くように通告される。「犯罪者」を世の中に出さないようにするシステムで成り立っている社会を描いている。ぜひ、学校に取り入れてみてほしい(「サイコパス」映画版か特別版かなにかで、国家的な詐欺をして、「心の汚れた人たち」がそのシステムを悪用するという設定もあった。要するに、どんなシステムも、どんな道具も、人間次第。)

感情・情動が動く場所には、ドラマがある。

がんばれ!がんばれ!
という言葉に、心がこもっていなければ、ドラマは生まれない。
多くの受験生は、心なき言葉に、亡霊に、呪いに、悩まされているような気がするのは、僕だけでしょうか。

幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?

オトノネひろげるシェアぼたん

ゲームは子どもの発達によいのか悪いのか(知育ゲームってどうなの)

ゲームは、悪いのか。
悪くないのか。買って与えるべきか。
買わざるべきか。

それが問題だ。

電車の中にいれば過半数がゲームをしているこの世の中。
ゲームは生活の中に溶け込んでいる。

人生これすなわちRPGとある業界(自己啓発・セミナー・企業などなど)では言われているほどだ。

ーーーーーーーーーーーーー

ゲームは悪いものではない。
と僕は思う。

ものすごい哲学が隠されているゲームもある。

疲れた心を現実から逃避させる、ゆとりをつくる効果もあるだろう。

昔と違って、今はゲームを通して世界中、日本中のプレイヤーとコミュニケーションが取れるようになった。
(有線でケーブル繋がないと対戦できなかったあの時代は、どこにいった?)

ゲームの良いと思われる側面をとらえるとそうなる。

ーーーーーーーーーーーーーー

ゲームは、ゲームの世界がある。
この世界とどう関わるかだ。

ーーーーーーーーーーーーーー

あるゲームづくしの毎日を過ごしている子はこう言った。
「ゲームして一生を終えますよ。親のお金使い切って、それで終わりです。」

ゲームの世界「だけ」で生きるという暮らしを確立している!

中学生、高校生、思春期を超える頃にはある程度ゲーム世界との関わり方も固定されるかもしれない。

ーーーーー

ゲームを通じて活かされている人もいる。
ゲームを通じて、生きる希望を持っている人もいる。(世界一の大会にでるなんて、すごいことじゃないか??)

ゲームには、ゲームの世界がある。
この世界とどう関わるかだ。

ーーーーーー

例えばパズルゲーム。
これは頭を使う!
そのゲームの「ルール」を理解して、それで試行錯誤を繰り返して、繰り返して、強くなって行く。
(ゲームはゲームが好きになるように、モチベーションが上がるように映像だとか効果音だとかボーナスだとかレベルアップとか新しい技とかアイテムという快楽回路が刺激される仕組み満載だ。)

ゲームは、やればやるほど、はまるようにできている。
(もし「ルール」を理解して試行錯誤しても強くならないのなら、自分にあったゲームを探せばいい。あなたが快楽を感じるゲームはいくらでも探せる)

ーーーーーーー

けど、やってもやってもうまくいかないことがあるのが人生だ。
ゲームから何を学ぶか。
ゲーム世界とどう関わるか。

ーーーーーーー

ゲームを悪く言うこともできる。
主に身体的な意味からだ。

まずゲームのやりすぎで眼球運動が苦手になる。
黒板が見られない。
目でものを終えない。

指先の操作はうまくなるかもしれないが腕や肩との協調運動ができなくなる(肩も使うタイプのゲーム機があるらしいが除外しておく)
ゲームの話しかできなくなる(青春はゲームの中)

とにかく時間を取られて他のことができない。
言葉が拙くなる。

(そしてこれらの話の例外も、そこらへんにゴロゴロ転がっている。めちゃくちゃ喋るのがうまいゲーム界の住人もいる。運動が超絶的なゲーマーもいる。さてさて、どうしたものか…)

ーーーーーー

子どもにゲーム機を持たせるのはいいことか?
スマホを持たせるべきか?持たせぬべきか?
親はある意味で、神だ。

はい、ここからが本題です。

ゲームの世界の外でも楽しみを見つけられる子になればいいと僕は思う。

そのためには、大事な大事な思春期まで、中学校頃までは、ゲームを与えないという選択肢が、賢明かもしれないと僕は思う。
子供がゲームをするかどうか、ということよりも、その子が日常の中で、一生懸命になる場面が、現実の世界で、笑顔になる場面があるかどうかを省みてみてほしい。

ゲームは悪いわけではない。
ただ、ゲームは「はまる」ようにデザインされている。
他の遊びだって同じだ。ゲームは悪いわけではない。

児童発達支援をしていたとき、未就学児の子がお母さんからゲームを与えられていたのを見ている。(知育ゲームである)
企業は、知育ゲームを開発してやらせてそのあとどうなるか、きちんと研究をしてくれないものだろうか。

公害は企業の責任が囚われた。心の問題は、企業に責任はないのだろうか?
「私たちには責任はありません。だって、選んで買っているんでしょ?」

子どもたちは、イヤホンをしている間、鳥の声を、虫の声を、聞いているだろうか。
画面を見ている間、目の前にいる人の表情を、人間を、感じているだろうか。

ゲームをしない時間も、大切にしてほしいとおもう。

オトノネひろげるシェアぼたん